第五話 ヒミコ


ようやくジパングの大陸が見えてくる頃には、船首の近くにアムルたち四人の姿があった。
ジパングでの目的は大きく二つある。
一つは折れてしまった誓いの剣とレンの剣の修復。
もう一つはルビスの呪いの原因を突き止め、アムルを元の強さに戻す事である。
特に二つ目のアムルを元の強さに戻すと言う目的は、かなり深刻なものであった。
とにかく今のアムルは弱く、スライム一匹に勝てるかどうかも怪しいぐらいだ。

「う〜……ようやく陸が見えてきたぁ。ぎぼちわる。早く船を降りたいわ」

「もう少しの辛抱だ。まずは船を人里はなれた場所につけねばならん。鎖国中のジパングに外国船が立ち寄っては大騒ぎになるからな」

レンの言った事はすでに船長であるドルフも承知の事であり、この船はいま人気のない砂浜へと向けて進んでいた。
それもレンが指定した断崖絶壁の下にある砂浜と言う特殊な場所にである。
もう三十分もあればたどり着くであろう場所まで来ているが、待ちきれないとばかりにアムルが足をパタパタと動かしていた。

「早く、早く」

「落ち着けよ、アムル。焦っても何も良い事なんかないぞ」

「そうだけど、やっぱり早く原因を知りたいもん」

力を失くして焦っているアムルを、同じぐらい焦っているはずのセイがなだめる。
遥か頭上のマストから見張りの男が叫んだのは、そんな時だ。

「船長、浜辺に人影が見えます。どうしやすか!」

見張りの声に操舵士のそばにいたドルフが懐から望遠鏡を取り出して覗き込んだ。
数秒後にどう判断したものか困ったような顔をしてから、望遠鏡を船首にいるレンへと投げてよこした。

「レン、お前が判断してくれ。俺にはただの酔っ払いにしかみえん」

「酔っ払い?」

その単語にアムルとフレイが一斉にセイを見上げる中、レンは言われた通りに望遠鏡で今向かっている砂浜を見た。
望遠鏡により遠くが鮮明に見えた先にいるのは、砂浜に一人あぐらをかいてとっくりと杯で酒を一杯やっている中年の男であった。
見覚えのありすぎるその顔に何故ここにとレンが思っていると、望遠鏡の向こうからその男がニヤリと笑ってくる。
驚きとともに望遠鏡を目から外したレンは、ドルフに伝えた。

「問題ない、このまま船を着けてくれ。アレは顔見知りだ……残念ながら」

「ちょっと望遠鏡貸して……あ、本当だ。おっさんが一人でお酌してる。わっ、しかもこっち見た」

フレイがレンから望遠鏡を奪うと、同じような感想を述べる。
さらに次にアムルがフレイから望遠鏡を借りて覗き込むと、やはりこっちを見たと言う。

「レン、あのおっちゃん知り合いなの?」

「何故あんな所にいるかは知らないが、アイツが今回の目的の一つだ。ジパング屈指の刀鍛冶であるデイダラだ。まさか姉上の差し金か?」

人気のない砂浜を選んだのに、狙ったかのようにそこで酒盛りをする男を見つけてレンはそれ以外の予想ができなかった。





船から下ろした小船で砂浜へとアムルたちがたどり着くと、ようやくデイダラは酒盛りをやめて立ち上がった。
そして二、三度服についた砂を払うと、おっさん臭い笑みを浮かべて大声でしゃべりかけてきた。

「おお、姫……じゃなかったな。レン、大きくなりやがって」

胸を見ながら両手をワキワキと動かすデイダラに、レンは明らかな不快感を見せて腕で胸を隠していた。

「余計なお世話だ。それで貴様がここにいるのは姉上の差し金か?」

「何年かぶりに会ったってのに詰まらん反応だな。そんなんだから良い男が寄り付かねえんだ。見た所、ガキに姉ちゃんに……ふん、少しはやりそうな男がいるじゃねえか」

「なに?」

デイダラが見つめる先にいるのは、セイだけである。
仲間から一斉に怪訝な視線を向けられるセイであるが、なにやら懐をあさりだして大きな瓶を取り出した。
そしてデイダラの杯に酒を注ぎながら、仕事帰りのおっさんのように肩をくみ出した。

「幻の銘酒、鬼桜。効くぜこれは、デイダラのおっさん」

「あ、てめぇ。良い酒持ってんじゃねえか。忘れちまった。忘れちまったよ俺は」

明らかにな誤魔化しにデイダラが乗っかり、二人して歩き出してしまう。

「おいこら、せめてここで待っていた理由を忘れるな!」

「おお、そうだったな。ヒミコがお前らの力を必要としているからだ。特に、そこのガキ。オルテガの息子であるお前の力をな」

「俺の、力を?」

「おい、デイダラ。どういうことだ。姉上は、一体ジパングで何が起きている」

ヨタヨタと肩を組みながら歩いていこうとする二人の打ち、デイダラの肩にレンが手をかけようとしたとき、その姿が風のごとく消えた。
景色に溶け込んだと錯覚してしまいそうな一瞬で、デイダラはレンの背後へと移動していた。
一体どんな力を使ったのか、足元の砂浜には踏み荒らされた足跡一つない。

「まあ、慌てるな。ヒミコに会えば解るさ」

「いつの間に……」

「相変わらずだな、お前は。いつになったら師匠である俺の足元が見えてくる事やら」

最後にそういうと、レンのお知りを手でポンと叩いてから、デイダラは再びセイと肩を組んで歩き出した。
しばらくその後姿を見ながら呆然としていたレンは、アムルとフレイに促されてから二人を追い始めた。
デイダラが先を歩いて向かったのは、当然ながら女王巫女であるヒミコがいる屋敷であった。
そこに行くまでの間に、特にフレイが「ガイジンだ」と言って指を指される一幕もあったが、レンがいるせいかそれはすぐに止んだ。
ヒミコがいる屋敷は、真っ赤に塗られた鳥居と呼ばれる門をいくつもくぐった先にあった。
それはほとんどが木で作られた、他国の城とは似ても似つかない屋敷であった。

「変わったお城ね」

「城ではない。御社だ。女王ではなく、巫女なのだからな。それと靴は脱げよ」

入り口でそう言われ、気がつけばデイダラもセイも履物を脱いでからあがりこんでいた。
思わずそのまま上がろうとしていたフレイは、慌てて靴を脱いでから着いていった。
玄関を過ぎても木張りの廊下が続き、とある部屋へとデイダラが入っていき、それにレンが続こうとすると何かが胸元へと飛び込んできた。

「姫ちゃんだ、姫ちゃんだ、姫ちゃんだ」

それはアムルよりも小さな少女であった。
レンと同じつややかな黒髪を長く伸ばしたまま下ろしており、服装もレンににた袴に多数の首飾りや冠を頂いている。
少女はレンに抱きついて抱っこされると、そのまま胸に顔をうずめて誰かの名前を違ったまま呼び続けている。
その少女の襟首をデイダラが呆れた顔でつかみあげて、引き剥がした。

「こらヒミコ。うらやま……じゃなくて、ちゃんと座ってろ。それにいつまでもレンをヒメコだなんて幼名で呼んでやるな」

「え〜、ヒメちゃんはヒメちゃんだもん」

デイダラが猫のようにヒミコと呼んだ少女をつかみあげて上座へと持っていく。
その間に側近らしき女性たちと言い争いになってしまうが、それよりも気になったことがあった。

「あれがアンタのお姉さん? どう見てもアムよりも年下に見えるんだけど……それにブッ」

「アレでも姉上は二十八だ。あと幼名について触れるな」

「え〜、ヒメちゃんって呼んじゃいけないの?」

「殴るぞ、アムル」

まさか未だにそう呼ばれるとも思っておらず、一気に不機嫌になったレンが用意されていた座布団へと腰を下ろした。
座るついでに、先に座っていながら声を殺して笑っていたセイへと拳を打ち下ろす。
そのあまりの痛みに、セイは笑うのをやめて今度は痛みに耐えるために震えていた。
浜では師であるデイダラにしてやられ、ここでは皆に笑われいい加減嫌になったレンが話を進める。

「姉上、そろそろ話してくれ。このジパングで何が起こっているのか。そして、私の頼みも聞いてほしい」

「うん、いいよ。これでも結構切羽詰ってるの。アムル君も、フレイちゃんもそこに座って。ちゃんと話すから」

促されて座布団と言う名のクッションの上に腰を下ろすと、ヒミコが懐から一通の手紙のような物を取り出して、側近の女に手渡した。
その手紙をさらにレンが受け取って開いてからヒミコがしゃべり始めた。

「それは数日前に魔族を名乗る男がここに来て渡してきた手紙なの」

レンが開いた手紙を皆で覗き込むように見ると、殴り書きのように汚い字でいくつかの事が書かれていた。
時間と場所、その中で一番目を引いた言葉があった。

「光の玉を差し出せ? 姉上、これは?」

「光の玉なんて宝物は聞いた事がないの。でも一つだけ心当たりがあるのはこれ」

ヒミコが見せたのはいくつか首から下げていた首飾りの一つである、紫色の宝玉が収まったものであった。
黒ではないのだが、いいようなない深みを持った紫色の宝玉は、屋内であっても鈍い光を放っている。
光という単語は欠片も浮かんでは来ないが、光の玉といわれるとなぜかそれがそうであるようにも思えた。
そしてアムルとフレイは、あの時と同じような気持ちが胸の中にかすかに生まれた。

「まただ……テドンでの時と同じ、とても懐かしい」

「パープルオーブだ。六つあるうちの一つ」

吸い込まれるようにヒミコが持つそれを凝視していると、周りの空間が脈打ったような奇妙な感覚に二人が包み込まれた。
すると次の瞬間、パープルオーブがテドンでのグリーンオーブのように強く輝き始めた。
段々と輝きが強くなり、いずれ光の柱を生み出そうとする瞬間に、ヒミコが耳慣れぬ言葉を呟き始めた。
呪文の詠唱の用でもあるが、同じ言葉とは思えないように滑らかなそれが続くとパープルオーブの光が段々と収まり始めた。
やがてわずかな発光となったそれをヒミコは自分の服の中に隠すようにしまいこんだ。

「お、おさまっちゃった。すげぇ」

「これぐらいできなきゃ、女王巫女は務まらないよ。とは言っても、力が開放されきる前だったからできたようなものだけど」

羨望の眼差しでヒミコを見るアムルに対し、にっこりと歳に似合わない無邪気な笑顔を見せるヒミコ。
そんな二人にちょっぴり嫉妬したフレイが、アムルの襟首をひっぱって床に転がした。

「うわっ」

「あらら」

それを面白そうに笑ったヒミコに、さらにフレイの目が釣りあがる。

「それで、ジパングとしてはどうするつもりなのかしら。パープルオーブを差し出すのかしら?」

「できれば差し出したくはないんだけど、魔族たちが立てこもった場所が問題なの」

剣呑なフレイの台詞をも物ともせずにヒミコは再度手紙を見ろと促してきた。
再び汚い字で書かれた手紙を見ると、オロチの塚で待つと書かれている。
セイとフレイはそれが何であるかわからなかったが、レンには何かわかったようで顔が青ざめている。

「まさか脅し文句にヤマタのオロチの封印を」

「そのまさか。何故やつらがこの塚の存在を知っているのかは置いておいて、ヤマタノオロチが蘇ったら彼らだってただではすまないよ。今は、オルテガがいないのに」

「オルテガ? なんで父さんの名前がそこで出てくるの?!」

「十八年前ぐらいの事だ」

アムルの言葉に答えてきたのはデイダラであった。

「八つの首を持ち、山ほどの巨大な体躯を持つオロチがこのジパングを襲った。そいつが何処から、何故ジパングを襲うかは今でも謎だ。だが奴の巨大な力にかなう者は無く、俺が鍛えた神剣アマノムラクモの剣を使いこなせるつわものがいなくなった頃オルテガは現れた」

「アマノムラクモの剣を持って一晩中ヤマタノオロチと戦ったオルテガは、神剣の力を持って地中深くにヤマタノオロチを封じ込めた。その名残がオロチ塚」

「ちょっと待ってよ。父さんでさえ封じ込めるのがやっとの怪物なんて勝てるわけないじゃない。それにレンもアムも剣が壊れてるのよ」

「剣の事なら心配するな。このジパング屈指の刀鍛冶に直せない剣など存在しない」

立ち上がりながらフレイが叫んだ言葉に、自信満々にデイダラが答えたが問題はそれだけでもなかった。

「一番肝心なことがある。アムルが力をなくしていることだ」

セイの言葉に、さすがのヒミコもデイダラも言葉を失うしかなかった。





ヒミコの屋敷がある都から十キロ以上離れた森の中に、そのオロチが封じられていると言うオロチ塚はあった。
森の木々に飲み込まれそうな岩山には洞窟があり、さらに奥へとつながっている。
ただでさえ森と言う環境で光はほとんど届く事はないのに、オロチ塚である洞窟の奥は日の光の欠片でさえ見つかりそうに無い。
だがそれででもオロチ塚の奥のさらに奥へと入り込んでいけばその限りではなかった。
うっすらと床から赤く光る火の光があふれているからだ。
それはジパングが黄金の国と等しく呼ばれる火の国と言う名を良く示している、溶岩であった。

「たく、熱いばっかで面白みの欠片も無いところだぜ。チェリッシュの小娘が、面倒な手を考えたせいでよ」

滴り落ちるよりも早く蒸発してしまう汗のせいで、体中から蒸気を発するその男は忌々しげに呟いていた。
その男をなだめる様に、後方を歩いていた魔族たちが足元の溶岩に気をつけながらフォローする。

「仕方ありませんよ、ボールマン様。貴方もスカリア様の容態をご覧になったでしょう? あれほどの手傷、並大抵の敵ではありません」

「別によ、俺らは仲良しこよしの集まりじゃねえ。だけどよ……」

急にまったく関係ないことを言い出したかのように見えたボールマンに、部下たちが一斉に首をかしげた。

「だけどあんな傷を見せられたら、逆に敵をとってやりてえじゃねえか。それに、こんなチマチマした作戦は俺の性に合わねえんだよ!」

照れが入ったようで、後半を強く強調したボールマンに部下たちは苦笑を強いられた。
どちらも本音なのであろうが、より前者の方が気持ちが強いのだろう。
誰もがそういうタイプは嫌いではないと言う意味で、苦笑をしていた。

「それにしてもこのオロチ塚ってのは何処まで続くんだ?」

「そればかりは解りません。オルテガの証言を信じるのならばもうすぐだとは思うのですが」

「オルテガか……」

部下の言葉にボールマンが無神経そうなその目を細め、何かを思い出すようなしぐさを見せた。

「奴程の力が俺らにあったらよかったって何度思った事か」

「敵対されなかっただけマシというものですよ……どうやら、見えてきたようです」

部下が指差したのは曲がりくねった洞窟の奥から見える、ひときわ大きな赤い輝きであった。
その正体が何であるのか、少し足早に駆けるとそれはみえてきた。
溶岩が冷えて固まったデコボコした道が不意に途切れ、人の手で整備された空間が広がる。
その中央には切り出された石で作られた祭壇が広がり、その頂に一振りの輝かしい剣が刀身から突き刺さっていた。
祭壇の向こう側は全てが溶岩の海であるのに、剣が発する輝きがその熱を奪い取っているようであった。

「こいつがアマノムラクモの剣か……たいした剣だぜ」

「とても人間が作り出した剣とは思えませんね。精霊ゾーマ様が作り出したと言われても信じてしまいそうです……ボールマン様?」

本来はここで光の玉の受け渡しを行うはずが、群雲の剣がある祭壇へとボールマンが足をかけたことに部下が怪訝な声で問いかける。

「なに、実はバラモス様から個人的に策をさずけられただけだ。奴らが確実に本物を持ってくるように、この剣を」

そう言いながらボールマンがアマノムラクモの剣に手をかけると、ジュワッと手が焦げ付く匂いと音が広がった。
並々ならぬ力を感じる剣だけあって、そこに施されている封印も並大抵のものではないのだろう。
苦悶の表情を浮かべながらもボールマンはアマノムラクモの剣を話そうとはしなかった。

「おやめください、ボールマン様。オロチの封印をとくなど」

「心配すんな。バラモス様はおっしゃった。アマノムラクモの剣さえあればオロチを操る事ができるだろうと。脅すだけじゃ足りねえんだよ。それに忘れたか、俺の力を。我慢比べなら俺の勝ちだ」

ボールマンの手のひらから、いつしか焦げ付く音が消えていた。
彼の肌が燃えるような赤色に染まり始め、髪を始め全てが赤く熱を帯び始めた。
これが太陽の名を与えられたボールマンの力、灼熱の体である。
決して封印をとかれぬ様にとアマノムラクモの剣は力を放出しだし、ボールマンも負けじと体の体温をまさに太陽へと近づけていく。
どちらが先に根負けをするのか、わずかにアマノムラクモの刀身が祭壇から引き抜かれた。

「やっ!」

喜びの声を上げることができたのも一瞬の事、ボールマンはアマノムラクモの剣ごと何かに喰らい尽くされた。

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