第四話 呪いの姿


医薬品を置いていく代わりに十分な食料と水をテドンで補給したアムルたちの船は、一路ジパングへと向けて航海していた。
つい先日テドンでいくつもの命が奪われたなど思えないほどに海は穏やかで、順調に船は進んでいく。
専門の水夫や船長がいるために、特にする事のないレンは、水夫の仕事ぶりなどを見学しながら甲板にいた。
本当は手伝いたいのだが、一応国賓級の客人だからと断られてしまったのだ。

「しかし暇だな……アムルと手合わせでもするか」

最初は珍しいからと水夫の働きを見ているのも良い暇つぶしであるが、何日も何週間もそれではさすがに飽きてくる。
そこで唯一とも言える楽しみを挙げると、丁度そのアムルが目の前を駆けていく。

「アムル、今手は空いているか?」

「あ、ごめん。姉ちゃんがまた船酔いで、呼ばれたから行ってくるね。その後なら良いよ」

「またか……」

それはまた船酔いかという意味でもあるが、アムルを呼び出して甘える気かという意味でもある。
もともとブラコン気味であったが、最近ますますそれが酷くなってきていた。

「それじゃあ後でね」

呆れているレンの眼差しにも気づかず船室へと向かおうとしたアムルだが、何もない所でいきなりこけた。
船が大きく揺れたわけでもないのに、ズデンと音が聞こえそうな見事なこけっぷりであった。
ちょっと涙目になりながら起き上がったアムルは、神妙な顔のあと照れ笑いをしながら振り返る。

「あははは」

「何をやっているのだ貴様は」

呆れられた視線を浴びながら、アムルは再び駆け出した。
その小さな背中を見送りながら、いつもと違う一点にレンが気づく。

「……そう言えば、今日は誓いの剣を背負っていなかったな」

折れてしまったからそれも当然かと思い直したレンは、自分の腰に挿していた剣の柄に触れた。
それはいつものレンが持っていた剣ではなく、黄金の鳥を模したツバが特徴的な隼の剣である。
アムルはともかくとして、レンは武器がなければ戦う事もできないので、スカリアが落としていったものをそのまま使っているのだ。
その軽さや切れ味は申し分ないのだが、レンは世間一般的な剣を使い慣れていないので、どうにも手になじむ事はなかった。
それでも、そうは言ってもおられず、抜刀して軽く振ってみる。

「ふっ!」

隼という名が示すように、鳥が過ぎ去るような軽やかさで剣が流れ、二つの軌跡を描く。
手になじまなくとも間に合わせの品としては十分かと、鞘に収めて再び船べりに背中を預けて呟く。

「暇だ……」

フレイあたりなら、一人で修行でもしてればと言いそうであるが、船の上でだけはしたくなかった。
娯楽が少ないのは水夫の者も一緒で、見世物になるのが目に見えているからだ。
もちろんアムルのような相手がいるのならばそのような事は気にもしないのだが。
レンは背中から船べりにもたれるのを止めて、今度は正面から船べりに持たれて変わりない海を眺めた。
そのまま面白くもない海の潮の流れを眺め、時に潮風に乱れる髪を押さえつけながら手櫛を通す。
その様子を何人もの水夫たちが見とれるようにチラチラと見ていた。
自分がそう言った意味で見世物になれるとは思いもしないレンは、あまりにも自覚がなさすぎた。
そんなレンになにやら長いものを持って近づいていくのは、セイである。

「あんまり俺以外の奴を刺激しないで欲しいんだけどね」

「貴様か、何をわけのわからない事を……釣竿?」

「そ、釣竿。暇してんじゃないかと思って、簡単に作ってみた」

小器用な奴だなと思いつつ、差し出された釣竿を受け取ると、海へと投げ込んだ。
だからといってすぐに魚がかかるわけもなく、結局はかかるまで待たなければならず、相変わらず暇そうな顔をするレン。
反対に何がうれしいのか、上機嫌でセイは針を海へと投げ込んでいる。

「釣り、好きなのか?」

「いや、普通。好きでも嫌いでもないかな」

そう言うものの、そのうち鼻歌でも歌い始めるのではないかと思えるほどであった。
だがその理由がわからずに、少しムッとしながらレンが尋ねる。

「だったら何がそんなにうれしいのだ。気になるから言え」

「水夫連中がいつも羨望の眼差しで見てる美人を独り占めできてることだな」

「美人? フレイに何かしたのか、貴様」

この船に女は二人しかおらず、真っ先に自分を選択肢から外したレンが、セイの胸倉をつかんで持ち上げる。
やっぱりわかってないかと、セイは慌てることなく周りを指差した。
その指先につられてレンが顔を向けた途端、幾人物水夫たちが慌てて視線をそらしていく。

「なんかむかつくな。そんなに怖いのか、私が」

「レンちゃん、鏡見た事ある?」

あからさまに気恥ずかしさから顔をそらした水夫たちを見ても、そう言い張るレンにさすがのセイも呆れてしまう。

「馬鹿にするのもいいかげんにしろ。いくら私でも最後には怒るぞ」

「はぁ……やっぱりわかってない。俺がこんなにもレンちゃんを愛してるってのに」

「なっ、あ?!」

急にまじめな顔を作ったセイが言った台詞をまともに受け取ってしまったレンの顔が、ハッキリとわかるほどに赤くなる。
それだけならまだよかったのだが、照れ隠しを含めてその手に収まっていた釣竿が唸りをあげていた。
ピシャンとしたたかに打ち付ける音がセイの頭上に響いた。

「痛ってぇ〜」

「軽々しくそのような言葉を使うな。周りが勘違いしたらどうする!」

「それはそれで好都合、痛ッ。わかった、わかったから叩くの止めて!」

レンが何度も竿を打ちつけ始め、竿が折れるまでそれは続けられる。

「いつまでも馬鹿なことを言っているからだ。貴様の竿をよこせ、折れてしまったではないか」

まったく理不尽ともいえる言い分であるが、セイは折れた竿で殴られてはなお危ないと大人しく自分の分の竿を手渡した。
未だに痛がるセイを尻目に、再度釣り糸を海へと投げ込んだレンは、少し深呼吸して自分を落ち着けてから言った。

「それに貴様が私たちについて来るのは、アムルが目的だろう。正確にはアムルが持つ力だ」

「否定はしない」

「それだけで済ますとは、やはりまだ話す時ではないのだな」

以前も思ったのだが言いたくないのならとは思っていた。
だがその反面、セイに隠されている事があることが苛立って、自然とレンの口からいくつかのキーワードが放たれる。

「ダーマとルビスの遺産。お前がダーマの関係者なのはこれまでの態度で解っている。仮にも僧侶であるしな。それに確かダーマにもルビスの遺産とやらがあったはずだ。それもルビスが世界を造りだした時に全てを書き記したとされる悟りの書が」

ちらりと見たセイは、何も言い返そうとせずに時折見せるあの暗い瞳を見せていた。

「そしてテドンでお前が言った台詞、ルビスの遺産は争いを呼ぶ……そこまで解れば、想像ぐらいはできる」

「そうさ、殺されたよ。ダーマの神官たちに、俺の妹が」

やっと話してはくれたが、とても喜べるような内容の話ではない。
言わなければ良かったと、今更ながらにレンが後悔し始めていた。
そのまま黙り込んでしまったレンに気づいたセイが、その肩に手を置いた。

「レンちゃんが気にする事はないよ。それに復讐だなんてアホくさい事を言うつもりもないよ」

「うむ、すまん」

「それにどうせもうすぐ話すことになっただろうし。レンちゃんも見ただろ、あのアムルの力を」

あの時は森の中で魔物たちと戦いが終わり、丁度森を抜ける寸前であった。
空に暗雲が集まりだし、唸りを上げ始めていた。
一雨くるのか、単純にそう思って森の木々の隙間から空を見上げると、金色の剣が空から落ちたようであった。
稲妻が方向をあげながら落ちたかと思うと、それをアムルが誓いの剣で受け止めていた。

「昔フレイから聞いた覚えがある。幼少のアムルが誓いの剣を持ち出した時も、急に雷雲が集まりだしたらしい。そして大きな稲妻が落ちた後、オルテガがアムルを連れて戻ってきた」

「あの未知の呪文を使ったみたいだな。大精霊ルビスに直接願う詠唱なんて初めて聞いた」

「確かにな。だが……あのシンと名乗った男の事も気になるな。精霊ゾーマなどいるのか? ルビスの呪いとは? 光の勇者に闇の勇者、わからないことだらけだな」

「関係ないね。アムルが大きな力を持ってるのなら、それでいいさ」

さすがにそれはどうかと思うが、解らない事を考えても仕方がなく、レンはたれ下げた釣り糸を見た。
相変わらず何の反応もなく、波にもてあそばれている。
すっかり会話が終わっていまいレンは心の中でため息をつき、今更ながらに二人きりなのにそんな話はとチラッと思っていた。
そんな自分に気づいて必死に考えを振り払っていると、悲鳴が聞こえた。

「うわぁッ!!」

つい今しがた話していた当人、アムルの悲鳴であり二人は顔を見合わせてから同時に走り出した。
と言ってもさほど広くない船の上である。
船室へと降りる階段のある小部屋が死角となっていただけで、すぐにアムルの姿は見えた。
見えたのだが、唖然とさせられた。

「痛い、痛い、痛いッ!」

海の魔物のが比較的強いと言っても、その中で際弱の魔物であるマリンスライム。
魔物と言うよりも単なる船体をかじったり、船客に噛み付いたりする害獣である。
円錐型の貝殻をかぶったマリンスライムに頭をかじられていた。

「なんだ……あれは」

「聞かれても」

「誰か、誰かとってよこれ。痛いーッ!」

ちょっぴり泣いていそうな声で叫ぶアムルであるが、誰一人としてそんなアムルを助けようと動く者はいなかった。
それもそのはずで、マリンスライムは海の最弱の魔物である。
十歳やそこらの子供でもなければ、女でもひっぺがして海に放り投げる事ぐらいはできるはずだ。
誰も助けてくれない事に気づいたアムルは自分で引き剥がしにかかったが、なかなか引きはがす事ができない。

「ん〜ぐあぁっ!」

激痛に耐えるような悲鳴を上げてようやく引き剥がすと、貝殻の先端部をつかんで思いっきり海へと投げ込んだ。
なのに強い海風に押し流されたマリンスライムが再びアムルの元へと戻ってきて、頭へと張り付いた。
再び転げまわりそうになるアムルの頭から、レンがマリンスライムを引き剥がして海へと捨てる。

「あ、ありがとう。レン」

「一体なにをやっているのだ、貴様は。その程度の魔物に」

「う、うん…………兄ちゃん、ホイミしてくれる?」

「それぐらいお前でもできるだろう? 大怪我ってわけじゃあるまいし」

ごまかす様に話をそらしたアムルだが、セイに言われても自分でホイミを唱える様子がない。
いくらなんでも様子がおかしく、そう言えば先ほども何もないのに転んでいたなとふいにレンが思い出した。
そしてまさかと思いつつ、アムルに言った。

「アムル、ちょっと海に向けて魔法を使ってみろ。なんでもいいから」

「え、な……なんで? 魚とかいたら可愛そうだからやめとくよ」

「なら空に向ければいいだけだ」

「でも……」

「アムル、お前まさか」

妙に渋るアムルを見て、セイもまさかとレンと同じような予測を打ち立てた。
そして観念したようにアムルも、黙っていた事を打ち明けた。

「実は……アレ以来使えないんだ、魔法」

アレが正確にどれを指すかまではわからなかったが、特にセイが愕然としていた。





隼の剣を鞘にいれたまま持つレンを前にして、アムルが駆け出した。
いつもなら数メートルの間合いを一瞬でゼロにするようなアムルの動きが、目に見えて遅い。
ドタドタと擬音が出てきそうなその足運びにありありと落胆を見せていたレンは、すれ違いざまにアムルの足を引っ掛けた。
動きも遅ければかわすこともできず、アムルは一回転する勢いで背中から甲板の上に落ちた。

「ちょっと、レン。アンタなにしてんのよ!」

せっかく眠れそうな所で甲板に呼び出されたフレイは、レンのアムルに対する仕打ちに思い切り不満の声を上げた。
すぐに倒れたアムルに駆け寄ると、起き上がれるように手を貸してやる。

「まさかとは思うが、それで全力か?」

「うん……シンと戦ってから急に力が出なくなって。誓いの剣も背負ってると動けないから、部屋に置いたままなんだ」

「どういうこと?」

そんな話初めて聞いたとフレイがアムルを見て、少しは事情のわかっていそうなレンやセイに顔を向ける。

「おそらくは、それこそがシンの言っていたルビスの呪いなのだろう。考えても見れば、アムルの力はどこか不安定すぎた。努力していないとは言わないが、それ以上の力を発揮したかと思えば、習得したはずの魔法でさえ失敗する」

「魔法に関してはいつもそれを見てるのはレンちゃんだったな。イシスへレンちゃんを運ぶときに使ったイオラ。フレイちゃんがさらわれた時に、アムルが使ったベギラマ。魔法剣を覚えたのもその時だったな」

「だから、なによ。二人ともなんで私をみるわけ?」

そういう事があったということは何度も聞いているが、それが示す意味が解らず二人の視線を受けたフレイが狼狽する。
決してとぼけているわけではないその態度をみて、レンが推測を交えた答えを突きつけた。

「アムルが常にその力を発揮するとき、それはフレイお前がそばにいないときだ」

「つまりルビスの呪いってやつの源がフレイちゃんと考えるならば、あのときシンがフレイちゃんを狙った理由がわかる」

「そばにいない時はともかくとして、シンに狙われたのはアイツが単に敵だからじゃない。私はなにも……」

「では聞くが、アムルに強くなって欲しいと本気で思っているか?」

さすがにその質問には、フレイは言葉を詰まらされた。
レンから視線をそらし、自分の貸した手の先に捕まりながら自分を見ているアムルの目を見ようとして失敗する。

「それは……わからない。だって弱かったらアムが危ないじゃない。そういった意味では強くなって欲しいけど、人を超越するほどには強くなって欲しくなんかない。そんなの怖いじゃない」

「でも、俺は強くならなきゃ。シンに殺される。なんでだかわかんないけど、それは決まってる事だと思うから」

「そのときは、私が全力で守ってあげるわよ」

そうしたいとは思っていても、フレイ自身あの時の二人の間に自分が割って入れるとは到底思えていなかった。
通常の、この場合通常と言う言葉が適切かも解らないが、通常の魔法剣でさえ、その威力は計り知れない。
それに加えあの見た事もない空を操る魔法など使われては、割って入り込むと言う考えさえも消し飛ばされてしまうかもしれない。

「こいつは本気で原因を探った方がよさそうだな。いまジパングへと向けて船を進ませているが、丁度心当たりがある」

そう言い出したのは、これまでずっと静観して四人のやり取りをみていた船長ドルフであった。

「ジパングはイシス同様に女が収める国だ。だがイシスとは少し違い、ジパングの女王は代々不思議な力を持っているそうだ。確か……」

「神通力だ。正確には女王ではなく、巫女と呼ばれている」

「おお、レンはジパング出身だったな。そなら話は早い。その神通力とやらで見てもらったらどうだ。アムルと、フレイ両方を。お前たち二人になにか秘密みたいなもんでもあるんじゃないか?」

秘密と言われても元来オルテガという超越した人種の子供であり、それ以上の秘密などあるのかとアムルとフレイは首をかしげている。
それに神通力というものがどんな力なのか、想像もできずにいた。

「ジパングの信仰対象は精霊ではなく、神だ。その神の声を聞く事ができるのが、女王巫女である卑弥呼だ」

「でもジパングは鎖国状態だろ? いくらレンちゃんがいるって言っても、さすがに女王への謁見は難しいんじゃないのか?」

「それは心配するな。妹が姉に会うのになんの不都合がある」

咄嗟にその意味を理解できたのは何人いただろう。
驚愕に対する年季の差か、ドルフだけがピゥっと口笛を吹いていた。

「ジパングの女王巫女である卑弥呼は、私の姉だ」

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