第一話 侵略開始


ネクロゴンド、それは絶壁とも言うべき山々に囲まれた陸の孤島である。
さらに大地には深き樹海が広がり、昼間でさえも数メートル先が見えないほどに暗い。
当然そんな場所に生きる生物は魔物ぐらいであり、その強さは他の大陸の追随を許さない。
人と言う存在が生きていくどころか存在するだけでも難しいその場所には、人が造り上げたような城があった。
ネクロゴンド付近に生息する凶悪な魔物でさえも迂闊に近寄ろうとはしない城である。
なのに世界中の人々が、その城が誰の城なのかを知っていた。

「時は満ちた」

城の謁見の間にある王座に座る一人の青年が、五人の将と大勢の魔族たちを前に言葉を落とした。
髪から瞳、身に纏う衣装までもが黒一色に染められた青年。
彼の一言により五人の将はハッと短く応え、続いて歓声が上がる。

「我らが故郷の太陽を取り戻すために、皆良くぞ耐えに耐えて忍んできた。だがもう耐える必要は無い、忍ぶ必要も無い。我らが悲願、アレフガルドの太陽を取り戻せ」

「アレフガルドに太陽の光を!」

「我らが世界に太陽の光を!」

何度も何度も繰り返し、太陽を取り戻せとこの場に集まった魔族たちが叫び続ける。
戦が始まる前の戦太鼓のように繰り返されるそれを、青年が手で制して静めさせた。

「この世界の人間に盗まれた我らが太陽は、光の玉へと姿を変えている。探せ光の玉を、その為にはこの世界の人間など何千人殺そうと構わぬ。奴らは生命の源たる太陽を盗みし大罪人、殺せ」

「太陽を盗みし大罪人に死を!」

「我らの苦しみを思い知らせろ!」

「殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ!」

憎悪の大合唱を前に指揮を取り続ける男は、心地良さそうに歌わせ続ける。

「我が手足となりて大罪人を裁く執行人、我が五人の将たちよ。名乗りを上げよ、同胞達にその声を聞かせよ」

次なる歌い手は、ずっと青年の前に控えて膝をついていた五人の男女。
将と呼ばれたとおり、この場に数多いる魔族たちの中でもとりわけ力のある猛者たちである。
その中で一番体格のよい男が、これ以上待てないと立ち上がり筋肉で引き締まった両腕を掲げた。

「我は太陽を司りし将、ボールマン。クソみてぇなこの世界の奴らに悲鳴を上げさせぶっ殺せ。この俺が手伝ってやるからよ。野朗は全員ついて来い!」

野人のような雄たけびに、煽られるように魔族の男達が賛同の声を上げる。
ますます加熱していく謁見の間であるが、次に立ち上がった男は静かに告げた。

「ふっ、野蛮な。こんなにも醜い男が我が姉上と同じ将とは」

「んだとぉ、言ってくれるじゃねえか。お坊ちゃんよ。だったら今晩その姉上を可愛がってやろうか?」

「聞き捨てなりませんね」

別の意味で熱くなりかける二人であるが、不意に一人の女性が割り込み止めた。

「およしなさい、スカリア。それにボールマンも、私は可愛がられるだけの女じゃなくってよ。私は月を司りし将、ルセリナ。そしてこの子が星を司りし将のスカリア。この世でもっとも美しき姉弟よ」

「我が姉と我が君に永遠の忠誠を。その証明として近日中にこの世界の人間の屍を山と築かせてみせましょう!」

青く整えられた軍服を着たスカリアが、細身の剣を捧げて宣言する。
その様子を姉のルセリナが誇らしげに、ボールマンがよくやると両手を挙げてちゃかしている。
それでも抱く思いは憎しみと同じであり、ルセリナ、スカリア、ボールマンの名前が連呼されていく。
残る将は男と女の一人ずつ。
先に立ち上がったのは男の方であるが、灰色のローブを目深に被っておりその容姿の一切が包み込まれている。

「故あってこの姿のまま失礼する。私は水を司りし将、ヴォース。ただ殺すだけではつまらん。まずは苦しめて苦しめて、死こそが救いと思わせるほどにこの世界の人間を苦しめて見せよう」

淡々と喋っているがそこに込められた憎悪の深さに、熱くなっていた謁見の間が瞬く間に冷えていった。
まるで凍りついたように声を出す事を忘れた魔族たちの前で、最後の女……少女が静けさの前に恐れることなく立ち上がった。
緋色の髪を両端で結び、黒いレザーの上着とスカートを着た少女はチェリッシュである。
アムルと戦い敗れた頃よりもその眼差しは強くなっており、誇るべきものを見つけたかのようである。
まずは玉座に座る青年に頭をたれ、振り向き様に集まった魔族たちへと声を上げた。

「私は命を司りし将、チェリッシュ。若輩ではあるが我が君に教えを受けている。それに志は皆と同じ。我らが世界アレフガルドに太陽の輝きを取り戻さん事を誓う」

静かに、だが響き渡る誓いの言葉に魔族たちの歓声が再燃をみせた。
それぞれの将を賞賛する声が、世界中の人間を憎悪する声が膨れ上がる。
その歓声を手で掴むように玉座の青年が立ち上がりながら右拳を握りこんで掲げた。

「我が将たちよ、我が同胞達よ。求めるべき太陽は、光の玉として封じられている。探せ、光の玉を。すでに幾つかの場所に当たりはつけてある。まず手始めにこの城から近いテドンを襲え、そこから力を感じる!」

青年が一つの国を示すとすぐに星の将であるスカリアが嘆願するように頭を垂れた。

「我が君よ、世界へと向ける戦いの狼煙を上げる大役は是非このスカリアに」

「ま、待てスカリア殿。テドンにはアムルたちが向かっているはずだ。いくら貴方でも一人では」

侮辱する気かとチェリッシュを睨みつけようとしたスカリアであったが、チェリッシュの後ろに立ってその肩に手を置いた姉の姿を見た途端に睨むのを止めてしまっていた。
チェリッシュも心配するなとばかりに笑いかけるルセリナの微笑を見て何も言えなくなってしまった。

「ま、ここで譲ってやるのが大人って奴だよな、ヴォース」

「依存は無い」

まだチェリッシュは納得できていないようだが、他三人の意見が一致を見たところで青年が命令を下す。

「では星の将スカリアよ。お前に部下と兵力になる魔物を授ける。テドンにて光の玉を探し出せ。そして手に入れてみせよ!」

「ははっ!」

命を受け、その場に集まった魔族の若者達から数人を選び抜いてスカリアは謁見の間を去って行った。
この場にテドンでのスカリアの活躍を疑う者はいなかった。
成功だけを信じて、必ず光の玉もしくはこの世界の人間に対してあらん限りの恐怖を振りまく事を疑いもしない。
アムルと戦った事のあるチェリッシュと玉座の青年、バラモスを除いては。





集まった魔族たちが去っていくのと同時に熱気も去り、冷えていく謁見の間。
そこには未だ玉座に座り続けているバラモスと、彼の前で不満をあらわにしているチェリッシュがいた。
バラモスはチェリッシュの不満が何処にあるのかを理解しながらも、何も言わずに笑っている。
当然の事ながら、何も問答が無い状況に先に耐え切れなくなったチェリッシュが尋ねた。

「お答えいただけますか、バラモス様。何故スカリアを一人で行かせる様な命令を下されたのですか?」

「一人とは? 私は奴に数人の部下と忠実な魔物たちをつけたが?」

「本当にそう思われていますか?」

さも可笑しそうに言ったバラモスに、チェリッシュは本気で聞き返した。
もちろんそれはバラモスから教えを受ける間に悟った、踏み込んでも良いと理解できる領域までの事であるが。
するとバラモスは造られた笑みを浮かべるのを止め、普段どおりの残虐な、それでいてしっくり来る笑みを浮かべていた。

「まず無理であろうな。お前達五人の将は、現時点でもアムルと同等の強さか、一歩及ばぬ。唯一勝機が見えるとすればヴォースであろうな。それにアムルにはさらに三人の仲間がいる。いくらスカリアが雑兵を何人連れて行こうと無駄であろう」

「そこまで解っていながら、何故ですか?!」

理解しきれないと、言葉を投げかける相手が誰であるかも忘れてチェリッシュは叫んでいた。
スカリアや他の将たちは、アムルという存在を直に知らないからこそ、気にもしていない。
だが逆に気にしてもいないからこそ、無謀にも幾人かの部下と魔物たちだけでスカリアを行かせようとしている。
なのにバラモスは、今目の前にいる魔族の王は全てを知っていながら行かせようとしている。
そこでチェリッシュは不意に、自らの師が倒されたと報告した時の嬉しそうな声を上げたバラモスを思いだした。

「まさか…………アムルをさらに強くする為の捨てい」

そこまで呟きながらも、チェリッシュは自分の言葉を自分で否定した。
そんなはずは無いと、先ほどの演説でバラモス自身が我らが悲願と言っただずだと。
チェリッシュは再びアムルと戦う事だけが願いであるが、バラモスは他の将や魔族たちと志を同じくしているはずである。

「バラモス様、最後に一つだけ」

「下がれ、チェリッシュ」

「え?」

つい興奮して踏み込みすぎたチェリッシュへと、バラモスの片腕が大きく振り上げられていた。
何を言われたのか理解できぬまま振り下ろされた腕から、風が唸りチェリッシュの直ぐ前の床に大きな亀裂を作り上げる。
直撃こそしなかったものの、割れた床の破片が飛び散り、チェリッシュの頬に小さな傷を作り上げていた。

「バ……バラモ」

「下がれ、二度は言わぬ」

その声そのものが刃そのものであるような恐怖を受け、チェリッシュは問い詰める気概すら無くし謁見の間を退室していった。
チェリッシュが退室して直ぐにバラモスは震えるように両腕を抱きかかえ、痛みに耐えるように玉座の上で蹲る。

「我に体を乗っ取られてもまだ歯向かう気力があるとは、見上げた奴よ」

蹲ったまま呟いた言葉に余裕は少なく、額に薄っすらと汗をかき始めていた。
だが長くは続かず、まるで手馴れた一時の発作であるように、バラモスは面を上げていた。
そして右手を顔において、天井を仰ぐようにして笑い出した。

「くっくっく、無駄よ無駄、何もかもが無駄なのだ。全てはあの方の定められた運命の通りに動き出す。そう全ては……この私でさえも、そしてルビスでさえも」

ルビス、そう呟いたバラモスの瞳には僅かな陰りが見えていた。





ポルトガから南へと下っていく海岸線を、一隻の船が南下していた。
全長二十から三十メートル辺りの、やや小ぶりなキャラベルである。
だが小ぶりとはいえ、船そのものに使われている木材や、マストは全て一級品であった。
何故ならその船はかつてオルテガがポルトガから譲り受けたものであり、現在はアムルたちが譲り受けたものであったからだ。
そのマストの頂上部にある見張り台に上っていたアムルは、視界に入りきらない海を眺めて両腕を広げている。

「なにか、見えたのか?」

「ううん、ただ……世界を両手で抱きしめられそうで」

狭い見張り台で振り向いたアムルの視線の先には、丁度今ハシゴを上ってきた船長、ドルフがいた。
この船同様にオルテガを世界各地へと運んだ船長でもある。
一応ポルトガお抱えの水軍のお偉いさんらしいのだが、その見た目はどう見ても海賊の親分といった感じが強い。

「そういう目をすると、お前がオルテガの息子だと嫌でも教えられるな」

「父さんもよく、ここに来てたでしょ?」

何故それを知っているのか、少々驚きつつドルフは答えた。

「ああ、アイツは俺達凡人には理解できないものを何時も眺めていた。アイツについていけば大丈夫だと思わされる反面、誰一人アイツの横に並べない事をいつも皆が悔やんでいた」

「だから……なのかな」

アムルがふと思い出したのは、必死に自分を殺そうとしてきたオルバの姿であった。
あの姿を見せられた理由の中に、そういった悔やみもあったのか、微かにアムルの視界が霞みかける。
だが泣いてはいけないとグッとこらえた。
ドルフもオルバの事は少し聞いており、思い出させちまったかと見ない振りをしていた。
やけに風の音が耳に五月蝿くなってきた時、見張り台の真下からアムルを呼ぶ声が聞こえてきた。

「アムル、ちょっと降りて来い。フレイがお呼びだ!」

「あ、うん。船長じゃあ、俺行くね」

「ランシールには程遠いが、もう後数時間の辛抱だってフレイに伝えておけ。もうしばらくしたら川をさかのぼり始めて、テドンという名の村に着くからな」

伝えるよと言うとアムルは、マストに打ち付けられたハシゴを一直線に降りていくと、ある程度の高さを残した所でハシゴから飛び降りた。
だが間の悪い事に、着地と同時に船が大きく揺らいでバランスを崩して転がっていく。

「うわっ、わわわわ」

船べりに後頭部を打ち付けてようやく止まったアムルを、やれやれとレンが見下ろす。

「何をやっている。その程度でバランスを崩すとは修行不足だぞ」

「うぅ……痛い」

「全く、早くフレイの様子を見て来い。まだ船室でへばっているはずだ。フレイの用が済んだら甲板に来い、こういった場所での手合わせも良い経験だ」

涙目で後頭部を抑えているアムルに言うだけ言うと、レンは助け起こす事もせずにさっさと行ってしまう。
どうやら何かが不満のようだが、決してアムルがバランスを崩した事ではないらしい。
ようやく後頭部の痛みが和らいできたアムルは、レンに言われたとおりに船室へと向かいだした。
甲板から続くドアを開けて階段を降りていき、アムルたちに用意された二つの部屋のうち女性用の部屋のドアを開けた。

「姉ちゃん、来たよ」

「ア〜ム〜……あんまり、大きな声出さないで」

大きな声を出したつもりは全くアムルには無かったが、船酔いでずっと苦しんでいるフレイにはそうではなかったらしい。
入り口のドアの方へとベッドの上で寝返りをうったフレイは、頭痛を抑えるように額に腕を乗せていた。

「薬は飲んだの? 確か、兄ちゃんが作ってくれたよね」

「あんなのが作ったのが効くわけないじゃない。それよりこっちきて」

本当は少しは効いた気もしているのだが素直に言うのも癪で、フレイは辛そうに体を起こしてから、近寄ってきたアムルの腕を引いて抱きしめた。
びっくりしたアムルが身じろいでやや抵抗するが、そこはフレイがしっかり腕を回して押さえつける。
そして子供特有の体の柔らかさと、高めの体温を体全体で堪能する。

「う〜ん、お日様の匂い……落ち着くぅ」

「ちょっと、恥ずかしい」

「何を今更言ってんの、我慢しなさい。お姉ちゃんは船酔いですっごく気持ち悪いんだから、いたわれ」

抱きしめられるのといたわるのは少し違うんじゃないかと心の中で突っ込んではいたが、アムルは結局されるがままであった。
これまでも何かあるたびに抱きしめたり抱きしめられたりしていたが、アムルは何かが違うような感じがしていた。
フレイの体温も、柔らかな匂いも同じはずなのに、それを感じるたびに首筋や耳の辺りがカッと熱くなる。
ようやくフレイが体を放してくれても、まともに顔も見れず取り繕うように言った。

「起きても大丈夫なの? 寝てた方がよくない?」

「寝すぎて体が痛いんだもん。少しは動いた方が良いだろうし、どうせレンとアムの事だからこの後手合わせでもするつもりでしょ。それ見張ってる」

「見張るって……」

まるで浮気を心配する恋人の言い草に、アムルの顔が微かに赤らんだ。
思い出したのは先日フレイにキスされてしまった一件である。
急に赤くなって視線をそらしだしたアムルを見て、いたずら心を出したフレイがニヤニヤと笑いながらアムルの両頬を手で包み込む。

「な〜に、思い出しちゃったのかな。お姉ちゃんともう一回してみたい?」

「し、しし、しなくて良い。兎に角姉ちゃんは寝てて!」

振り払うようにフレイの両手を離すと、アムルは躓きそうになりながら部屋を出て行った。
その慌てっぷりを笑って見送りながら、フレイは言われた通りにもう一度ベッドに横になる。
本当に幾分楽になった船酔いにほっとしながら、自分自身あのときのキスの感触を思い出してしまう。
そして今更ながらに顔を赤くして、どうしてあんな事をしてしまったのかと悶々と悩みだしていた。

「あ〜、前から自分たちがおかしいって自覚はあったけど、さらに深みにはまってる気がする。絶対まずい。まずい…………けど、アムって可愛いのよねぇ。背だって伸びさえすれば格好良くなるだろうし、二人並んでれば……」

背が伸び自分とつりあうまでになったアムルを想像して、今の自分と並べてみる。
だが想像の中で自分とアムルが並ぶ前に、船酔いも忘れてガバッと起き上がって頭を抱える。

「だから、それがまずいんだって!」

そんな風にフレイも同様に悩んでいるとも知らず、アムルはからかわれたと思って頬を膨らませながら再び甲板へと上がっていた。
心を落ち着けるようにかすかに塩味のある風を吸い込んで、吐き出した。

「…………はぁ〜」

大きく溜息に似た息を吐き出して顔を上げると、船の進行方向に向かって左側に大陸が見えた。
正確には何かあったときの為に大陸に沿って船を南下させているだけなのだが、その大陸の遥か彼方に微かにだが巨大な山がある。
本当に頂上ぐらいしか見えないが、ネクロゴンドと呼ばれる未踏未開の地である。
一般的には魔王バラモスの居城がそこにあると言われている。
そう考えた途端、アムルの顔つきがフレイの弟から変化していった。

「あそこにバラモスが……それに父さんも一度あそこへと行ってる」

もしかするとアムルやフレイの元へと帰ってこなくなった原因はそこなのか。
いつか自分もと人知れず拳を握ったアムルだが、やがて不審気に繭を潜ませ始めた。

「なに、あれ?」

始めはネクロゴンド上空の雨雲かなにかだと思った。
だがそれは雨雲などよりも黒く、どんどん空を埋め尽くすように広がっていた。
かなり遠く、それらがどんな姿をしているかまでは見えなかったが、確実にいえることが一つあった。
ソレと同時に、いつの間にか船長の変わりに見張り台に上っていた水夫の一人が望遠鏡を目から離して叫んだ。

「大変だ、テドンの村に向けて物凄い数の魔物が向かってるぞ!」

魔族とその配下である魔物による世界で始めての侵攻が始まり始めていた。

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