第三十七話 本当の化け物


先手を取る事が出来たのは、やはりアムルであった。
一直線にかけて行くアムルに対して、オルバは大戦斧を握りなおして持ち上げた。
突進していったアムルは、オルバの攻撃が届く間合いギリギリで直線から横へと移動を変えた。
方向の急転換は相手の目を惑わす効果もあったが、オルバの目はアムルを見失ってなどいなかった。
約九十度方向を変えてから向かってきたアムルに対してその大戦斧を振り下ろした。

「アムル、しっかり見えてるぜ!」

打ち下ろされた一撃は、大地を、そこにある何もかもを吹き飛ばし破壊した。
大地はえぐれ、その中に隠れていた石でさえも砕き散らせている。
だが、壊されなかった者もいた。

「見えてるのは俺も同じだ!」

ギリギリでその刃をかわしたアムルが、拳に力を込めて跳び上がるとオルバの顔面を打ち抜いた。
オルバの体が吹き飛びそうになるが、彼の腕が掴んでいる大戦斧は地面にめり込んだままである。
その柄を掴んだ腕を軸にして踏みとどまると、跳び上がって拳を振りぬいたままのアムルを睨み付け、地面から抜いた大戦斧を横に凪いだ。
風を真っ二つに切り裂く音が響いたが、オルバの腕に風以外の感触が伝わる事はなかった。
その代わりに、振り切った大戦斧の先に刃とは別の重みが伝わった。

「言ったよね、見えてるって」

大戦斧の刃から柄へと伝わるのは、駆け抜ける疾風のごとき足の振動。

「ば、馬鹿な!」

「くらえ!!」

今度こそ、オルバの体がアムルの拳に打ち抜かれて吹き飛んだ。
一瞬でも意識を失ったのか、オルバの腕が大戦斧の柄をつかむ事はなかった。
吹き飛んだままにオルバの体が地面と削りあうと、二、三転してやがて止まる。

(馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な! いくらアムルがオルテガの息子だからと言って、何故俺が空を見上げている。アムルの成長速度は知っていたはずだ。だが更に想像の上を行かれたのか。それとも、まだ俺にためらいがあったとでも言うのか!)

痛みを感じる事よりも、オルバは打ち倒された事に思考を奪い去られていた。
数ヶ月前まで、アムルはオルバに手も足も出なかった。
あの時魔法剣という隠し玉さえなければ、あの時にアムルの命は尽きていたはずだ。
なのに今、たった一度打ち倒されただけとはいえ、自分の方が一方的にやられた、それも魔法も使わず単純な体術のみで。
混乱の極みにあるオルバだが、そこへ追い討ちするようにアムルが呟いた。

「おっちゃんには決定的な弱点がある。確かに大戦斧による一撃は受け止めるのは不可能に近く、避けるしかない。だけどその一撃必殺を支える大戦斧の大きさが、もっとも大きな弱点でもある」

倒れたまま、オルバが強く拳を握り締めるのが確かにアムルにも見えた。
それはオルバ自身が知っているという意味でもあった。

「大戦斧は打ち下ろすか、横に凪ぐしか攻撃方法がない。まして振り始めてから軌道を変えるなんて不可能。だから避けるしかない代わりに、ひどく避けやすい」

もっとも完全にアムルの言葉通りであるわけではなかった。
もしも目の前で自分と同じ大きさの刃を持つ大戦斧を振り上げられ、恐怖を抱かぬ者はそういない。
さらにはその重量ゆえに、目標物にぶつかる瞬間の速度は計り知れない。
大戦斧を前に恐れぬ勇気と、劣らぬ速さ、その二つが必要不可欠でもあった。

(俺が甘かった。もはやアムルはただのガキじゃない。思えば、バハラタの街を守る為にルーラを選択した判断力。俺の大戦斧を恐れず向かう勇気と速さ。アムルは間違いなくオルテガの息子だ。そして強い)

確実に勝てるのか、アムルを前に初めてオルバは自分を疑った。
まだ余力は十分にあり負けるとは言えないが、勝てるとも言えなかった。

「だから、止めよう」

「な……なんだと?」

アムルの口から漏れた言葉に、オルバは起き上がって言った。
オルバの思考が冷えて急速に混乱がなりを潜ていく。
何を今更言っているのかと思って見た先にいるのは、殴り倒したオルバを心配そうに見つめるアムルがいた。
たった今、自分自身が殴り飛ばした相手をである。

(見つけた。勝てる、確実に)

「おっちゃんは俺には勝てない。今の俺にはおっちゃんを吹き飛ばすだけの力もあるし、まだ魔法も使ってない。もちろん、魔法拳も。おっちゃんなら、この意味がわかるよね?」

冷静になってみれば、これほど解りやすいものもなかった。
僅かだが声に混ざる感情。
殴り倒したのに追い討ちもせず、諦めさせようとする言葉。
その全てがオルバの中で一つの解を導いていく。

「ああ、確かに解った。お前じゃ、俺に勝てない事がな」

「おっちゃん!」

立ち上がり、付着した土くれを払いながら呟いたオルバに向かってアムルが叫ぶ。
だがオルバはその懇願を聞き流して確信をついた。

「お前、人を殺めたことがないだろう?」

ビクリと目を丸くしてアムルが怯えた。

「言ったはずだ。次に会う時には殺すと。あれにはお前が俺を殺すという意味も含まれている。おっと、今お前がルーラで逃げれば、俺は近くの街か村へ行って、出会う端から人を殺す」

今まさにオルバに指摘された通りに、ルーラで逃げようと考えていたアムルがいた。
冷静を装った仮面がオルバの手によって、次々にはがされ、つい先ほどまで有利に見えていたアムルの足元が崩れていく。
反対にアムルによって足元を崩されかけていたオルバが、着実にその足場を固めて行っていた。

「だ、だったらおっちゃんを気絶させて、それから何処かの街の牢屋にでも入れてもらう」

「一生か?」

「え?」

苦し紛れに叫んだ言葉でさえ揚足をとられ、追い詰められていく。
そして次々に投げつけられるオルバの言葉で、完全に立場が逆転していった。

「牢屋なんて不自由な場所に、一生俺を閉じ込めておく気か? 湿った臭い場所で、一生俺に臭い飯を食わせて平気なのか?」

「だって、だって……他に」

「だったら俺が動けないように一生俺の足でも折り続けるか? 仕方がないから、そう逃げるのか?」

オルバの言葉は全てにおいて無理があった。
そもそも事の発端はオルバが、オルテガに頼まれてアムルを殺そうとしているのである。
アムルは完全な被害者であり、間違いなく加害者はオルバのほうであった。
だがそれを割り切れるほど、アムルの心は成熟しきっていない。
無理が有りすぎるオルバのモノの言いようではあるが、アムルは今自分が悪いと思い込まされていた。

「俺、俺は…………」

完全に青ざめた顔でないはずの答えを探すアムルを前に、オルバはアムルの横にある大戦斧まで歩いていった。
その歩みは隙だらけであったが、アムルにその隙を突くような余裕はなく、何のリスクも負わずに大戦斧を回収されてしまう。
これで最初に武器を手放させたアドバンテージでさえも消えた。

「アムル、背中の誓いの剣を抜け。これで終りにしてやる」

最後にそれだけをアムルに呟くと、オルバは奥の手を出すための距離をアムルからとって振り向いた。

「そのままお前が死ぬなら俺はそれでもかまわん。だが最後にお前へのはなむけだ。確かに俺は力しかない。だが力を極めた一撃は、全てを凌駕する速さに変わる」

ゆっくりと大戦斧を三十度の角度で持ち上げると、オルバはアムルに向かって半身の格好となった。
そのまま上半身を捻っていく。
オルバが最後の一撃を繰り出そうとする中、アムルはまだ迷っていた。
このままでは確実にオルバの一撃が放たれてしまうが、この場に一匹だけアムルを正気に戻させる存在がいた。
それは今までずっとアムルの懐にいたキーラであり、アムルの服から頭へと這い上がると思いっきりその頭へと噛み付いた。

「痛ッ、イタタ! な、何するんだよキーラ!」

「ピーッ! ピピッピー!」

すぐさま引き剥がして自分の前へと持ち上げてもまだ、キーラは訴えてきていた。
オルバにはその言葉の意味は分からなかったが、アムルの顔からどんどん怯えの色がなくなって行くのが見えた。

「ピ、ピーピ。ピピピピピピッピー!」

「……そうだよね。ありがとうキーラ。危ないから少し離れていて」

「ピッ!」

アムルの手からキーラが飛び降りて、近くの岩陰へと避難していく。

「何か妙案でも受けたのか、それとも別れがすんだか」

「うん、とっておきの妙案。とりあえずはおっちゃんを完璧に負かす。その後の事を考えるのは、その後でだ。だって今殺されちゃったら、考える事もできないもん。それに……」

オルバへと明るく言い放ったアムルだが、それは結局答えが見つかっていないのと同じであった。
だがそれだけではない事も明白であった。
すべてはアムルの笑顔と、背中から引き抜かれた誓いの剣の輝きが語っていた。

「俺が思いつかなくても、姉ちゃんたちなら何か言い考えが浮ぶかもしれない。この場所に姉ちゃんたちはいないけど、俺は一人ってわけじゃない!」

「なるほどな、熟考の先に無考を見たか。ならば行くぞ」

アムルとオルバの距離は約十メートル弱。
その距離ではオルバの大戦斧もアムルが引き抜いた誓いの剣も到底届く距離ではない。
だがその位置のままでオルバは大戦斧を構えたまま、その上半身を捻っていった。
力を極めた先にある速さ。
その言葉がどんな意味であるにせよ、並大抵の一撃でない事はアムルも理解していた。
コレまでの暴れるだけの炎とは違う、静かな炎が誓いの剣からあふれ出す。

「アムル、これが……」

オルバの後ろにあったはずの刃が、上半身を捻る事により前へ、さらに円を描いてその先へと進む。
完全に大人として成熟しきった固い体で行うにはどれだけ負担が大きい事か。
リスクを負った上で上げる事の出来る破壊力。

「力の先にある速さだ!」

オルバの巨躯が限界まで捻られた瞬間、反動を持って大戦斧をなぎ払わせた。
切り裂かれる空気があたり一面の草を総毛立たせ、見えない刃がアムルへと向かって疾走した。
切り裂かれた空気が生み出す断層。
力に寄って生み出された風のごとき刃がアムルへと牙をむいて襲い掛かった。
それに対してアムルは、真っ向から見えない刃へと炎を纏った誓いの剣をぶつけてきた。
その瞬間、力によって無理矢理生み出された空気の断層に、埋め合わせを行うように空気が流れ込んだ。

「う、うおおぉぉぉぉぉ!!」

一気に流れ込んだ空気が逆に圧縮され、アムルの生み出した炎をより強力に、本人でさえ焼き尽くし始める。
自分の肌を焼かれ、体が悲鳴を上げる中、それでもアムルは誓いの剣を握る手に込めた力を緩めなかった。
今手を緩めれば、瞬く間に風の刃にその身が切り裂かれると理解していたからだ。
そして炎では風の刃に勝てない事も理解していた。
だからアムルは初めて炎、メラ以外の魔法を誓いの剣に込めた。
その魔法とは、

「イ、イオラ!」

風を相殺するための爆風を剣に込めて、アムルは誓いの剣を一気に振り下ろして切り裂いた。
イオラの威力を込めた誓いの剣が風の刃を押し返し切り裂いた。
その瞬間に、アムルは確かに見た。
決して見えぬはずの風の刃がもう一刃、爆炎を切り裂きながら目の前に迫っているのを。

「か、風の刃の連撃?!」

「一撃目は奥の手を放つための前準備だ!」

一撃目を放った後、遠心力を与えてもう一度振りぬいた大戦斧によって出来たそれの威力は、一撃目を明らかに超えていた。
さらに一撃目ですでに剣を振り下ろしきっていたアムルに、それを迎撃する事は不可能であった。
迫る風の刃、精々できたのは、振り下ろしたはずの誓いの剣を盾として持ち上げる事ぐらいであった。
確かに風の刃による斬撃そのものは免れたが、受け止め切れなかった衝撃がアムルを貫き、吹き飛ばした。
真後ろへと吹き飛ばされたアムルの体が背中から岩にぶつかり、めり込んで岩を砕く事で止まった。

「ガハッ」

反動で体が前のめりとなり、そのまま血を吐いた。
打ち付けられた体から噴出した血でズルズルとすべり、地に足が着いた傍から砕けていった。
意識は僅かに残ってはいたが、動くだけの体力もなく、砕けた岩の前で座っているのが精一杯であった。

「奥の手ってのは軽々しく口に出すべきもんじゃない。一撃目が全てだと決め付けて全力を出し切ったのが、お前の敗因だ」

さすがに奥の手だけあって体に無理があるのか、オルバの息も切れ、時折体の軋みに顔を歪めていた。
だがそれでも、今のアムル程ではなかった。
再び大戦斧を持ち上げると、一歩一歩動けないアムルへと近寄っていく。

(まだ、生きてる……のかな? だったら俺の体はどこいっちゃったのかな? それに、なんだか眠たいや)

「ピー、ピッピー!!」

意識はあるものの、すでにアムルの体は痛みを通り越して何も感じなくなっていた。
アムルがぶつかった岩が丁度キーラが隠れていた岩であり、すぐに駆けつけ鳴くがアムルは答えられない。

(おっちゃんが、歩いてくる。負けた時の事なんて考えてなかった……ころ、される。死ぬんだ。死んだらどうなるのかな。もう、会えないのかな? 誰に? ……誰にだろう?)

混濁した意識の中で、正常な思考などできなかった。
それでもオルバは一歩ごとにアムルへと歩み寄り、十分に近づくとその手の中の大戦斧を振り上げ、アムルの首へと狙いを定めた。

「最後の情けだ。フレイに言い残す言葉はあるか?」

「ピーーーーーーー!!」

(ねえ、ちゃん? 死んだら、姉ちゃんにもう会えないの?)

「すでに喋る事すらできないか」

振り上げていた大戦斧を、オルバが更に持ち上げた。

(嫌だ、それだけは嫌だ。二度も会えなくなるなんて死ぬよりも嫌だ。それだけは、嫌なんだ)

かすれた視界の中で、鮮明になっていくのはオルバではない、二人を別とうとする誰であった。
その人を思い出すだけで血と唾液の混じった口の中で軋むほどに歯が互いを潰しあう。

(許さない……例え貴方であろうと、私は決して許さない!)

その感情はアムルの中で、初めて生まれたものであった。
決して生まれる事のなかった人としての醜くも純粋な、殺意。
両目に込めた憎しみの目でオルバの大戦斧が振り下ろされるのを見たのを最後にアムルの意識は途切れた。
だが振り下ろされた大戦斧はアムルの頭を叩き割る直前で、その動きを止められていた。

「私は許さない。一点のくもりもなかった彼の心に、醜いシミを生まれさせた貴様を!」

「お前は……何時の間に、いったい何者だ!」

止めたのはオルバではなく、直前で手を差し伸べた男によるものであった。

「私は許さない」

そのまま男はは素手で受け止めた大戦斧の刃を握りつぶし、その部分を軸にしてオルバごと持ち上げた。
まるで小さな人形にそうするかのように軽々と大戦斧ごとオルバを地面へと叩き付けた。
先ほどのアムルのように、背中からたたきつけられたオルバが、口から血を吐いていた。

「たかが、人間の貴様が何をした! もっともルビス様に愛されている子に、一体何をした!!」

すでに体力がつきかけ、先ほどの一撃で慢心相違のオルバに男は容赦なく蹴り続けた。
その一撃一撃は、並の戦士であれば即座に再起不能にするほどの威力があった。
オルバも並みの戦士であれば直ぐに気を失う事も出来たであろうが、彼の実力がそれを許さなかった。

「ヴホ…………お前は」

「汚らわしい貴様に喋る口など持たぬ。そうだな、せめて貴様自身の武器であの世に送ってやろう。貴様にはルビス様に懺悔する資格もない。魂のみの存在となっても、己の罪を悔い続けろ!」

(オルテガ……化け物は別にいた。コレは別物だ。オルテガ、お前の息子は…………無実)

男によって持ち上げられた大戦斧が、振り下ろされた。





それからどれだけの時間が経ったであろうか。
やがて白みだした空であったが、朝日は雲に隠れたままであった。
太陽を隠し続ける雲が、黒く染まっていき、雨を一滴こぼした。

「う…………」

その雨粒がアムルの頬に落ち、冷たさがアムルの意識を呼び寄せた。

「生きて、る。どうして……」

失っていたはずの体の感覚も戻っており、パラパラと砕けた岩の破片を体から落としながら体を少しだけ起こす。
体の感覚だけではなく、痛みも、傷さえも体の何処にも見受けられなかった。
何があったのか、少しだけ重い頭を振って体を立ち上がらせる。
かなりゆっくりとした動作に、待ちきれなかった雨が強さを増していった。

「体の傷が……誰か、手当てを? まさか、おっちゃんが?」

ゆっくりとした足取りで歩き始めると、雨が土砂降りに近い振り方になってきた。

「おっちゃん? 何処にいるの? そうだ、キーラは?」

まだ覚醒しきっていない頭で必死に考え、歩く。
すると、何かに躓いてアムルは転んでしまう。
かなり大きな石にでも躓いたのか、それにしては硬くはなかったと思いながら振り返る。
そこにはかつて人だったものがあった。
首から上がない、かつてオルバと言う名の、歴戦の戦士だったモノがあった。

「あ……あ、どうして、だって勝ったのは…………アーッ!!」

解らなかった。
殺したのが誰か、自分なのか、それとも。
唯一それを知るらしき一匹のスライムは、死体の直ぐ傍にいた。

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