第三十五話 フレイの決断


「姉ちゃん!」

人さらいのアジトがすぐそこにあるというのに、大きな声を出しながら胸の中に飛び込んできたアムルを、フレイはしかりつけるよりも抱きしめていた。
その体が小刻みに震えていたことから、アムルに少し遅れてやってきたセイやレンには危ない目に合ったとしか映らなかった。
だが事実は少しずれ込んでいた。

(なんて恐ろしい事を平気で頼むの、オルバおじさんは。あの人は父さんの仲間なんかじゃなかった。あの人は、父さんの狂信者)

フレイはアムルの体を抱きしめて最大限の安心感を確かめつつも、父とオルバに恐怖した。
確かに以前からオルバにはオルテガを信じすぎる所があった。
「例えバラモスが大儀によって動いていると聞かされても信じただろう」という台詞。
あれに嘘偽りは全く無かったのだろう。
もうすでにオルバはアムルを世界から排除すべき存在だと認めてしまっていた。

「姉ちゃん、もう大丈夫だから」

「ピ〜〜〜」

「ありがとう、アム。キーラもね」

「それにしても、一体なにがあった? この一刀両断にされた死体は……」

フレイが心の整理をつけたのを見計らって、レンが寸断された四つの死体について問いかけた。
キーラが戻ってきた事は解ったのだが、キーラの言葉がわかるアムルの言葉が支離滅裂で詳しくわからなかったのだ。

「時間が惜しいから手短に説明するね。あそこに見えるのがアジトなんだけど、ここまで来てバレちゃったの。そこをとある人に助けてもらったの」

「そいつがコレをやったのか、人間の体を寸断など腕力だけでなくかなりの技もいるぞ」

「ジンバって言ってた。すごく大きな剣を使う人で、その人が言うには私たちには人質の救出を最優先にしてアジトに突入して欲しいらしいの。もし仮に人さらいが逃げても入り口で待ち構えたジンバが後始末を付けてくれるって」

ならば何故今そのジンバがここに姿を見せないのか疑問は残るが、フレイが嘘をつく理由も思い当たらずにレンとセイは頷いた。
確かに討伐と救出を同時に行うのは難しいが、仮に人質をとられても交渉次第で何とかなる場合が出てくる。
いずれこの死体となった四人が戻らなければ、怪しまれるのは時間の問題である。
フレイはアムルを引き離して、大丈夫だからととぎこちない笑みを見せた。

「行きましょう。奇襲は迅速にが鉄則よ」

「だろうね。アムル、姉ちゃんに甘えたいのなら、今怯えている人たちをすべて助けてからにしろ。お前が今甘えれば、それだけさらわれた娘たちは怖い思いをするんだ」

「あ、甘えてなんかないもん。すぐに行こう。早く助けてあげないと」

抱きしめられているフレイの手の中からぱっと離れると、アムルの眼が弟から戦いを控えた男のそれへと変わる。
その変化を見届けてから、レンが確かめるようにセイとフレイを見て、言った。

「よし、目的は敵の殲滅ではなく、娘の救出。先陣はアムルがきれ、一直線に人質のもとまでいくぞ」

「やってみる!」

「ピーーッ!!」

最後にフレイの肩に乗ったキーラが嘶いて、皆が人さらいのアジトへと突入して行った。
その姿を少し離れた場所で気配を殺して隠れていたオルバは予想通りだとばかりに微笑んだ。
フレイがオルバの事を隠した事も、これから起こることもすべて。





人さらいのアジトの造りは単純であり、かつ複雑であった。
正方形の部屋を規則正しく並べ、一つの部屋には四つの出入り口が用意されている。
これはピラミッドにもあった造りであり、正しい道順を知らぬものが踏み入ればたちまちに迷い、現在地でさえ見失ってしまうものであった。
もちろんフレイやセイが通った部屋順を忘れるようなことは無く、一つ一つの部屋を選んだのはアムルであるのだ。
迷うことなく次から次へと正方形の部屋の中を突き進んでいく。

「それにしても、これだけの構造のアジトをただの人さらいが造れるとも思えんが」

一体何時になったらアジトの中枢へとたどり着くのか、変わらぬ正方形の部屋の連続に辟易したレンが漏らす。

「造ったとは限らないんじゃないか? たまたまあった洞窟を利用したってところだろ」

「まあ、その方が納得はできるな」

答えてくれたセイの言葉に頷いて、レンはちらりとフレイの顔をうかがう。
フレイの様子がおかしい事に気付いていたのだ。
普段ならば自分よりも先に何時までこの同じ部屋が続くのかと憤慨するのはフレイの方が先のはずだからだ。
洞窟と言う暗がりでは顔色がわかりにくいが、なにか思いつめているように見えるのは間違いなかった。
一度足を止めて聞き出すかと思ったとき、アムルが次の部屋へ向かわずに、次の部屋への出入り口のわきの壁へと隠れるように背をつけた。
そのままレンたちにも隠れるようにと手で合図する。

「この向こうから少し様子が変わってる。多分この向こうがそうだよ。どうする?」

「そうだな、まずはキーラに様子を見てきてもらおう。通路の隅に隠れていけば見つからないで先の様子を見てこれるだろう」

「ピッ」

頼んだぞとレンが最後に付け加えると、キーラは言われた通り通路の隅の暗がりを利用して更に奥へと進んでいった。
キーラが戻ってくるまでに人さらいたちが通るかもしれないので、奥だけでなく今来た道へもセイが気を配る。
だがそれは杞憂に終り、時間にして五分も経たないうちにキーラが通路の真ん中を堂々と飛び跳ねながら戻ってきた。

「おいキーラ、何の為に隠れて行ったんだよ。思いっきり堂々と戻ってきやがって」

「ピ、ピーッ!」

「わからん。アムル、通訳してくれ」

戻ってきたキーラをセイが摘み上げるが、何を言っているのか理解が出来ず、レンが通訳を頼む。

「ピ〜ピピ。ピーッピッピ!」

慌てたように声を上げるキーラの話を聞いて、アムルが何度も頷いて相槌を入れる。
その様子を見て、レンとセイは解るのかとお互いに顔を見合わせる。

「中はもぬけの空だって。だけどさらわれた人たちが大勢牢屋みたいな所に入れられてるみたい」

驚きながらアムルから告げられた言葉に、アジトの中枢へと走りこんでいった。
最後の正方形の部屋を出ると、そこから真っ直ぐな通路が続き、コレまでとは違った部屋が視界の中に開いた。
相変わらず洞窟であることには変わりないのだが、中央に置かれたテーブルと対になった椅子。
ベッドにタンスといった生活用品が並べられたくつろぎ空間となっていて、極めつけは造りかけの炊事場である。

「アホだな」

人をさらうような男達が洞窟の中にせっせとくつろぎ空間を作る姿は、セイのような感想しか浮ばない。

「ピーッ!」

「さらわれた人たちはさらに奥だって」

「なら私とフレイが入り口を見張るから、アムルとセイで助けに行ってやってくれ」

「お嬢さ〜ん、すぐに王子様がいくからねぇ〜!!」

小躍りしながら駆け出したセイの後に、キーラを頭に乗せたアムルが追いかけていく。
どうやら奥に突き当たってT字路になっているようで、二人はキョロキョロと左右を見渡してからキーラの支持で右に折れた。
それを見届けてからレンはいつでも動けるように部屋の中央に置かれた椅子に軽く腰をかけ、フレイを見上げた。
怯えと迷い、アムルがいなくなった事でその二つが容易に読み取れる様になったフレイを見かねて、レンは単刀直入に問うた。

「なにがあった?」

あからさまにビクっと体を震わせた後、足を引いたフレイはベッドに足を取られてそのまま座り込んでしまう。
もう少し言い方があったのではと思ったものの、器用な言い回しを思いつけずに、レンはフレイの言葉を待った。

「い、言えない。まだ……って意味でだけど」

かすれた声で顔を伏せたままフレイが呟き、先を続ける。

「どうすれば良いのかは解ってるのに、決心がつなかないの。何を、誰をとっても何かを失くしちゃう」

「さっぱりわからん。何を言っている?」

「これ以上はまだ聞かないで。私の我侭だって解ってる。アムだけは失くせない。アムだけは守りたい。だけど、酷すぎる」

ついにフレイが頭を抱えてポロポロと涙を流し始めてしまう。
レンは椅子から離れると、解ったという意味を込めてその頭を抱えるように抱きしめた。
それでもフレイの口から嗚咽は止まらず、ゆっくりとその頭をなでつけながらレンは何があったかを想像するしかなかった。
何かがあったのは間違いなく、森へと入った後。
もっとも怪しむべきはフレイがジンバと言った巨大な剣を持ち、容易く人体をも切断する力量の持ち主。

(ジンバ……どこかで聞き覚えが。いや、ないか)

もしフレイがその人物を隠そうとするのならば、そのままの名前であるはずがない。
ジンバという語感と、巨大な武器。
そのキーワードに該当する人物がうっすらレンの頭をよぎった時、折角の思い付きを吹き飛ばしてしまう声が聞こえた。

「おうおう、勝手に人様の隠れ家に入り込んで見せ付けてくれるじゃねえか。どうせなら俺らも混ぜてくれよ」

「何時の間に!」

考えに没頭しすぎ、フレイは元よりレンはすっかり入り口への警戒を怠ってしまっていた。
すぐさま腰に差した剣に手を掛けようとしたが、入り口に立つ四人のうちのリーダー格が斧で斬りかかって来る方が速かった。
とっさにフレイを抱え込んで跳んだはいいが、相手の斧が鞘に触れてしまい、反動で剣をその場に落としてしまう。

「チッ、フレイ立て。ひとまず奥に逃げるぞ!」

「あ、わかったわ」

「へっ、奥に逃げるとは好都合。袋のネズミだぜ。折角上玉が二人も向こうからやってきたんだ。お前ら逃がすんじゃねえぞ」

どうやら向こうはゆっくりと間を詰めるつもりらしく、一人が出入り口を固め、残りの三人が歩いてくる。
振りながら走るレンの視線の向こうには、すでに残骸となったベッドに埋もれる剣があった。
っと、今度は前方不注意により戻ってきたアムルとぶつかってしまう。

「ぷわっ、なに走ってるんだよ」

「ピーッ!」

「すまん、すぐそこに敵がいる事に気付かなかった。セイは奥か?!」

珍しくやや焦った口調でレンが尋ねているのに、アムルの眼は別の事に釘付けられていた。

「姉ちゃん……泣いてるの?」

突然襲われた為に、涙を拭くことも出来ずに走ってきたフレイの顔であった。
言われて気付き、慌ててフレイは涙を拭ったが少し遅かった。
アムルが二人を庇うようにして、追いかけてくる人さらい立ちの前に立ちふさがる。

「なんだガキィ? 」

突然あらわれたアムルを見て、その小さな体躯を前に笑う。

「お前らが」

「待て、アムル!」

せめてセイと合流してからでもと、レンが止めようとしたが間に合わなかった。

「お前らが姉ちゃんを泣かせたのか!」

狭い通路の中をアムルが駆け抜け、人さらい達がそれぞれ武器を構えた。
リーダー格が斧を持ち、両脇にいる男がそれぞれナイフを抜く。
いくらそれほど広くない通路とはいえ、一対三になりかねない状況の中、アムルは真っ直ぐ人さらいたちへと駆けて行く。
振り上げられる斧が目前にまで来たアムルに対して振り下ろされる。
その瞬間、アムルの姿が消え、目標を見失った斧が無意味に大地を叩き割った。

「ぬっ、どこ行きやがった!」

人さらいの一人が声を上げるのと同時に、タタンッと二度地を蹴った音が鳴った。

「こっちだよ!」

アムルの声は天井からであった。
先ほどの足音は壁と天井を蹴った音であり、そのままの勢いでナイフを持った一人の頭を拳で打ちぬいた。
それでも天井を蹴った時の勢いはいくらも衰えておらず、そのまま四肢をついて地面にへばりつくように着地する。
一人を殴り倒されても、まだ人さらいの残り二人はアムルの動きが眼で追えてもいなかった。
これから上を見上げようとしているナイフを持ったもう一人の足を払い、倒れた所で腹に一撃を入れて離れた。

「な、なんてすばしいっこいガキだ。この一瞬のうちに」

「五月蝿い! 姉ちゃんを泣かす奴は絶対に、許さない!」

見た目では解らない強さに恐れおののく相手を前にしても、アムルは手を緩めるどころか全力を尽くそうとしていた。
構えた右手から炎が暴れ始める。

「はあぁぁぁぁぁぁ!」

「いかん、アムル!」

こんな狭い洞窟で魔法拳などを使えばどんな事になるか。
レンは走り出すと、構えをとるアムルを追い抜き、先ほどのアムルのように壁と天井を使い、残りの二人の人さらいを抜いた。
目指すはすでにつぶれたベッドの上に転がる自らの剣である。
柄を掴んで振り払って無理矢理鞘から刃を解き放つと、折り返して駆け出した。

「フレイ、なんでもいいからアムルを止めろ!」

「えっと……とりゃ」

「うわっ、ちょっと姉ちゃん。なにすんだよ!」

後ろから抱きつくようにフレイが飛びかかった事で、集中の途切れたアムルの拳から炎が消えた。
その間にすでに状況が読み込めずに混乱しだした人さらいの一人を剣の峰で殴り倒してしまう。
そして残るは斧を持ったリーダーだけであるが、こちらはなんとか迫り来るレンへとその手にある斧を振り下ろした。
だが振り下ろされきる前にレンが剣の刃を斧の柄に走らせて、分断させた。
手元から離れて近くの壁に斧の刃の部分が突き刺さり、得物を失ったリーダーは大人しく喉元に剣を突きつけられるしかなかった。

「くっ、勝手に人のアジトに入り込んだ挙句、何が狙いだ」

「聞きたい事があるが、救出が先だ。お前が逃げ切れるかどうかは、運次第だな」

それだけ言うとレンはリーダーであろう人物を叩き伏せ、意識を刈り取った。
本来ならば仲間が他にもいるのか等と聞き出すべきなのだが、簡単に本当の事を言うとも思えないし、聞きだす時間も惜しかった。
そのままレンは剣を鞘に収めもせずに、フレイに後ろから飛びかかられ膝を着いているアムルに歩み寄り、平手を打ちつけた。
乾いた音が響き渡り、あまりの唐突な行動に普段ならば起こるであろうフレイも眼を丸くしていた。

「姉を思う気持ちなら私もわかる。だが先ほどのお前の行動はあまりにも軽率だ」

それだけ告げると、レンはセイがいるであろう洞窟の奥へと行ってしまう。
その遠ざかる足音を聞きながら、アムルは払われた頬を押さえ涙を眼に浮かべながら唸っていた。

「アム……」

心配そうにフレイが肩に手を置いて振り向かせようとするが、そっとその手が払われた。

「ウグ……姉ちゃん、念のためこいつらロープで縛っとこう。たぶん簡単には起きないと思うけど、さらわれた人たちを街まで連れて行く間に逃げられると困るし」

「解ったわ。手持ちのロープで足りるかしら」

あえて泣く事を、甘える事を我慢して道具袋からロープを取り出したアムルは、時折ポトリと雫を落としていた。
そんなアムルを慰めてあげたいと思う反面、フレイはそっと取り払われた手がアムルの慰めるなという意思表示に思えてならなかった。
だから今は何も言わずに、自分も道具袋からロープを取り出して人さらいたちを縛り上げる。

(アムはずっと強くなろうとして、実際に強くなってきてる。今回だってたまたま私が泣いてるのを見ちゃっただけで……)

魔法拳の構えを取る前に、アムルは自分よりも格段に大きな体躯を持った人さらい二人を、速さでかく乱し瞬く間に打ち倒した。
それが強さでなくてなんであろうか。

(でも私が泣いてるのを見た程度で我を失って、それはまだアムが子供だって証)

その証をみつけたフレイは、一つの決断を下そうとしていた。

目次