第三十一話 ポルトガ


イシスで女王から受け取った魔法の鍵は、およそ鍵らしくはない形をしていた。
大雑把な形は鍵ではあったが、平らではなく太い針金を曲げたような形をしており、とっての部分は人の目のようになって眼球部分に赤い宝玉が納められていた。
アムルはその魔法の鍵を持って、ロマリアの関所の扉の前に立っていた。
鍵穴にではなく、扉を包み込む魔力へと向かって魔法の鍵を突き刺して、捻る。
途端に魔力の鍵穴から光があふれ、触れてもいないのにその扉が開きだした。

「やったわね。これでポルトガ、へ? アム、危ない!」

喜びの声を上げたのは、フレイだけでなく、この関所を働きの場とする兵士たちである。
だが声は開き始めた扉の向こうからも聞こえており、僅かな隙間をぬって大勢の男たちが出てきた。
フレイの叫びにとっさにアムルが扉の正面から飛びのくと、こじ開けるようにしてなだれ込む人、人、人。

「うわっ、すっげぇ人。しかも、なんか怖い」

「商人が多いようだな」

目が血走ったような男たちの表情にアムルが引くと、男たちの服装からレンがあたりをつけセイが付け加える。

「ここはポルトガ唯一の陸路だからじゃないか? このご時世、船は高くつくし大商人以外は陸を行くしかないからな」

「なるほどな。それで……待ち構えていたと言う事か。商魂逞しいのか、頭が悪いのか」

「仕方がないんじゃないか? 戦争以外の理由でここが閉じるなんて、誰も想像しなかったんだから」

商人たちの波はそれぞれ、南にあるロマリア、北にあるカザーブ方面、東にあるアッサラーム方面へと散っていった。
ややアッサラーム方面が多かった気もしたが、あちらはイシスもあるゆえだろうか。
呆れるようにその波が収まるのを待ってから、警備の兵士が一人寄ってくる。

「皆さん本当に有難うございました。あなた方の事はしっかりと、ロマリア王とポルトガ王に知らせを入れておきます。なんとか褒美等が貰える様に言付けておきます。では!」

まくし立ててから兵士は久しぶりの警備と、人の流れの整理と言う仕事に戻っていった。

「褒美は嬉しいけど、扉が閉まる原因がアムだもんね。ちょっと悪い気がするわ」

「なんで俺なんだよ。そりゃ、チェリッシュが封印するのを黙って見てたけど……」

「一回や二回会っただけでやけに親しそうね。いつからそんな子になったのかしらぁ?」

「痛ッ、ほっぺ。痛い!」

イシスでの事をまだ根に持っているようにフレイがアムルをつねり、アンタも加われとルミィを見た。
いつもならここで共同戦線が張られるはずが、少しルミィの様子がおかしかった。
うつむく様にして、明らかに元気がなかった。

「ルミィ、アンタどうしたのよ?」

「うん、私……ここまでだから」

誰もが何の事だと思い、ルミィの言葉を待った。

「実はね、着いて来る事さえお父さんやお母さん、お婆ちゃんにも反対されてたの。危ないから、まだ私が子供だからって」

「親としては当然だな。アムルとて、その力がなければまだ外に出させてもらえる年齢ではない」

「私が着いて行きたいって言い出したときも、同じ事言われたわ。だから魔法の鍵はエルフじゃないと本物がわからないだろうからって、半分言いくるめて飛び出してきたの」

そこまでして皆に、アムルに着いてきたかったのかとフレイはちょっと小憎らしかったルミィがとてつもなくいじらしく思えた。
たまに大人びて意地を張った行動は、それだけ時間が限られていると知っていたからなのだ。
自分も意地になって張り合っていた事を、フレイは恥ずかしく思えた。

「もう、そんな顔しないでよ義姉さん。私は義姉さんと張り合うのも楽しかったんだから。あんな所に住んでて、友達もいなかったから」

「ルミィ……」

「ほら、アムル。呆然としてないで、少し送ってやれ。俺らはここで待ってるから」

「あ、うん」

「そんな、いいよ。どうせキメラの翼で一瞬だし」

アムルの背中をセイが押したが、ルミィの方が両手を振って断ってきた。
だがそれでもすんなり分かれるつもりは毛頭なかったようだ。
にっこりと笑いながら、アムルの前に立つと、躊躇せずにその唇をアムルへと押し付けるように触れさせた。
照れてはいるが満足そうなルミィとは対照的に、アムルはコチコチに固まっていた。

「あは、しちゃった」

「あー、あ、アンタねえ!」

「ごめんね義姉さん、冒険は諦めるけど、アムルは諦めないから。それじゃあね、しっかり花嫁修業して待ってるから!」

なんともませた台詞を残してウィンクまでした後、ルミィはキメラの翼を使って飛んでいった。
後に残されたのは、戻ってきなさいと怒りを振りまくフレイと呆然と自分の唇を指で触れるアムルであった。

「ふっ、これはアムルもフレイも一本とられたな。あと、ここで俺にもと言い出したら……解っているな?」

「レ、レンちゃん……俺の見せ場を奪わないで」

そう言うつもりであったらしく、がっくりとうな垂れるセイであった。





ポケッとし続けるアムルをフレイがチクチクと苛めながら、関所を抜けてやや南下しながら一向はポルトガへとたどり着いた。
そこは全てが海沿いにあった。
街も城も海からさほど離れているわけでもなく、強い潮の香りが風に流れる街であった。
だがどうにも想像していた海の喧騒とは程遠く、寂れてはいないのだが、活気が足りなかった。

「かなりイメージと違うわね。もっとこう水夫の力自慢がウヨウヨしてて、怪しげな露天が一杯あったりとか」

「ピ、ピィ〜」

フレイの服の間から外を覗きこんだキーラは、潮の匂いが苦手なのか、すぐに引っ込んでしまう。
通りには確かに人はいるのだが、これまでの街と変わらず買い物に出る女や、使いッ走りの子供ばかり。
水夫のように見える男など、誰一人として通りを歩いていなかった。

「魔物が以前よりも強くなった結果、武装もない船では、まず沖には出られないからだろうな。海は魔物も危険だが、海そのものが本来安全とは言いがたいからな」

「これから船を捜そうって時に……なかなか嫌な事言うわね」

「事実だ。それにロマリア王が話を通しておくと言っていたからな。それなりの武装のある船がもらえるだろう」

「あのおっさん太っ腹だな。船って、安いもんでもないだろうに」

確かに多少金は出すであろうが、この時代勇者に協力するのは国にとって半ば義務でもある。
セイ自身、ロマリアではそれを盾に脅した事も有り、それぐらいの事は知っての台詞であった。

「とりあえず城まで行って見ようよ。実物を見てみれば分かるんだし」

それもそうだと、先頭を歩くアムルについて移動をし始めた。
城は丁度街の西側に位置しており、大通りを真っ直ぐに行ったところにあった。
イシスの特殊な城を見た後では、インパクトに欠けるものがあったが、城の城門の前に専用の港がある事には舌をまいた。
なにしろ海から城の城門まですぐに辿りつけるつくりは正気の沙汰ではなかった。
だが絶対にそれは無理だと分からせるものが、城の正面の港には立ち並んでいたからだ。
何十隻あるのか解らないほどの、軍艦である。

「コイツは、期待できるんじゃないのか?」

ポツリとあっけに取られながら呟いたのはセイであり、唯一正気を保っていたレンは城門の前にいる兵士に取次ぎを行う。

「すまない。アリアハンからきた者だが、王との謁見を行いたい。恐らくロマリア辺りから連絡はきていないか?」

「あ〜確か、ロマリアの関所が閉ざされるちょっと前にそんな連絡があって、特徴を言われたっけ」

顎に手を当てながら思い出すようにレンからフレイ、アムルとセイに視線を移していく。
どうやら四人それぞれの特徴を言われていたようだが、次に呟いた言葉はかなり失礼極まりなかった。

「ジパングの大女に、子供と姉、それに遊び人。間違いないな。しっかし、変わった一行だな。ちょっと待ってな、一応取り次いでみるよ」

失言にまったく気付いていない門番は、専用の入り口からぱっと姿を消していった。

「確かに背は高いつもりだが、大女……私が」

「レンちゃん、気にすんなって。女は背の大きさじゃないさ、胸の大きささ」

「慰めてるつもりか、貴様! 貴様なんて遊び人だぞ、そこに傷つけ!」

「酒と女にギャンブル、もう傷付くすき間もないんじゃないの、その馬鹿に?」

「三つとも大好きで〜す」

傷付けと指差されたにもかかわらずヘラヘラ笑っているセイに、無駄よとばかりにさらにフレイが辛らつな言葉を投げかける。
それでもセイを言葉で傷つけることは出来なかったが、レンの傍にアムルが寄ってきて見上げる。

「む、なんだアムル」

「いいな……俺なんて子供だよ。いいな、俺も背が欲しいな」

物欲しそうに見上げられても、分け与える事など出来るはずもなく、レンは先ほどの失礼な門番が早く戻ってくるように心の中で叫んだ。





ルミィはいないものの、ロマリア王やイシスの手紙から得た情報の一行に間違いないとアムルたちは城の中へと招き入れられた。
だがつれられて行った部屋は謁見の間ではなく、城内にある客室の一つであった。
と言っても城の中にある客室なだけに、割高の宿の何倍も装飾や置物には気をつけられてはいた。
何がなんだかわからずにいると、そこには王とは違うように見える、一人の老人がいた。

「さあ、何時までもそんな所に突っ立ってないで、まずは座りなさい」

彼が手で促したのは彼の座るソファーからテーブルを挟んで対面となるソファーであった。
顔を見合わせてから正面にアムルとフレイが、テーブルの両脇の一人用のソファーに、それぞれレンとセイが座る。

「まずは名乗っておこうかな。私はこの国の宰相であるヒギンズと言う者だ。理由あって王は面会を拒否されたので、私が対応する事になった」

「拒否? 拒否とはどういうことなのだ?」

「お気を悪くされたのなら謝罪いたしますが、あなた方に対してだけではないのです。王は現在誰ともお会いになりません」

少し強めの語調になったレンを軽く手で制して、ヒギンズという宰相は頭を軽く下げてから言った。

「誰ともって、なにかの病気とかですか? 機密とかなんとかで言えない事なら聞きませんけど」

「機密でもなんでもありません。噂程度であれば国民は知っていることですから。時に、黒胡椒というものをご存知ですか?」

「薬の一種で、場所によっては同じ重量の砂金とも交換できるってあの黒胡椒?」

「薬もそうだけど、肉料理に最高の香辛料になるって聞いた事はあるな。砂金と等価だけど、産地のバハラタ方面では普通に香辛料として食うらしいが」

それなりの知識がある事を確認してから、ヒギンズは言った。

「我が王もその黒胡椒には目がないのですが、先日のロマリアの関所が閉ざされた事件から元々少なかった国内の黒胡椒は瞬く間に底をつきました。それで王は仕事をする気をなくし、今は自室にこもっておられます」

あまりの馬鹿らしさに言葉が出なかった。
まるで子供の駄々のような王の行動に怒りを覚えるよりも呆れてしまっていた。
他国の人間ながら、この国の将来は大丈夫かなどと思ったとき、ヒギンズは終わっていなかった言葉を続けた。

「ですが、それは表向きの話です。ここからは機密にも触れますが、ロマリア王とイシスの女王の信頼を得たあなた方だからこそ、話します。よろしいですか?」

雰囲気の急に変わった宰相を前に、自然と背筋が伸ばされた。

「王は黒胡椒を理由に部屋に閉じこもっていますが、本当は違うのです。王はとても恐れていられるのです。オルテガ様を招待なされたあの日から、今回の黒胡椒の件は閉じこもる切欠を作ったに過ぎません」

「父さんが言った言葉?」

「父とは……そうですね、君はオルテガ様のご子息でしたね。オルテガ様も数年前にこの国の船で世界へと旅立ちました。その前夜、王は個人的にオルテガ様を部屋へと招き酒を酌み交わしました。その時オルテガ様が何かをおっしゃったようですが、詳細はわかりません」

何を言われたのかはわからないが、オルテガの言葉に狂わされたとしたら、それは前例のあることであった。
カンダタを名乗ったあのオルバもまた、オルテガの言葉によって、アムルを殺すように差し向けられたのだ。
オルテガが王に向けた言葉が何だったのか、アムルは知らなければならないと、その拳を握り締めた。

「黒胡椒があれば、王様が逃げ込んだ理由はなくなるんだね?」

「ええ、黒胡椒がなくなる前は、何かを恐れながらもちゃんと王としての義務を果たしていらっしゃいましたから。そのために黒胡椒を砂金と交換すると商人を炊きつけ、バハラタへと向かわせました」

それはあの眼を血走らせた商人の群れだとは容易に関連付ける事ができた。
だが黒胡椒を持って帰ってこれるのは何時の事だろうか、正規のルートではアッサラームから船でバハラタに行く事だろうが、この時代で無事に帰ってこられるのか。

「俺達も黒胡椒を取りに行こう。その方が確実だし……違う、俺達が取ってこなきゃだめなんだ」

確信めいた物言いは、あの勘から来るものかアムルは立ち上がっていた。

「しかし何の伝手もない我々がアッサラームで船乗りを探すとなると、たいした手間だぞ」

「あたしもあの街は嫌だな。アムの勘の良さはしってるけど、待ってれば誰かが持ってきてくれるかもしれないし」

「………………まあ、色々と右に同じ」

「それじゃダメなんだよ。王様は待ってるんだよ。魔物が強くったって黒胡椒が平気でとって来れるような人を」

難色を示した仲間にアムルが叫ぶが、現実的な手は一人を除いて持ち合わせていなかった。
このままでは一人で飛び出しかねないアムルの雰囲気を察して、溜息をついてセイが手をあげた。

「海を使わない手が一個だけあるんだけど」

そう言ったセイはとても嫌そうな顔をしていた。





その夜、宰相に用意された城の客間へと案内された一行は、それぞれの部屋で眠りについた。
空には雲がないのか、月明かりが何ものにも遮られる事なくふりそそぐポルトガの夜は、静けさの中に海のさざなみの音がかすかに聞こえていた。
そのせいかどうかはわからないが、フレイは寝入ってすぐに眼が覚めると、何気なく窓を開けてテラスへと足を踏み入れた。
相変わらず吹いている潮の香りのする昼間とはやや違う風を浴びようと柵へと身を任せようとすると、隣のテラスにアムルの姿を見つけた。

「あ、姉ちゃん」

向こうもすぐに気付いたようで、一瞬なにか迷ったようで、結局その場からはアムルは動かなかった。
さすがにそんな態度をとられれば気になるもので、フレイの方から廊下を回ってアムルの部屋のテラスへと向かった。

「アムがこんな時間に起きてるなんて珍しいじゃない。どうしたの?」

「う、うん……ちょっと」

「気になるから、そういう言い方止めなさい。お姉ちゃんにも言えない事?」

「言えなくはないよ。ルミィの事なんだけどさ」

そう持ち出されて、かすかにこめかみが引きつるのをフレイは自覚した。

「あれってキスって奴だよね。でも、なんでされたのか良くわかんなくて」

「わかんないって」

アレだけ迫られておいて、わからないと言える弟の思考回路に呆れとルミィに対する同情を禁じえなかった。
アムルも十四歳であり、普通ならとっくに初恋ぐらいは終えていてもおかしくはない。
と、そこまで考えておいて、フレイはその原因に自分が常に横にいた事を自覚していなかった。

「でも、なんだかちょっと寂しくなって、それで寝られなくて。あは、よくわかんないや」

照れ笑いにさえ、寂しさが滲んでいるようで、もしかしてと再度フレイはアムルの顔をみた。
いつもの無邪気さはなく、細めた眼が潤んで何かを訴えていた。

(もしかして、もしかすると気付いてないだけで初恋なの? ルミィってば、無理にでも着いてくればアムと恋人にでも)

そこまでの考えに至った時、痛んだのは何故かフレイの胸であった。
締め付けられるような、されど一瞬の痛みが駆け抜け、消えていった。
だが、自然とフレイはアムルを後ろから抱きしめていた。

「姉ちゃん?」

「明日もまた早いんだから、今日はもう寝ましょう。寂しいのなら一緒に寝てあげるから、ね?」

アムルならば絶対に断らない事を知っているため、ルミィに対して罪悪感を覚えながら、フレイは抱きしめる手の強さを強めた。
こうして姉が周りにいる限り、アムルの異性間の成長が遅れるのではと思いつつ、フレイはまだ傍から離したくないと強く抱きしめた。

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