第三十話 イシス(その3)


イシスにある兵士訓練場には、いつもの兵士たちの怒号が響かずある種異様な静けさが訪れていた。
灼熱の太陽が生み出す熱風も何処か温く感じるような原因は、剣を鞘に収めたまま敵兵を模した人形の前に腰を落としているレンであった。
訓練場にさえあふれるように敷き詰められている砂の上をじりじりと足をすりながら、人形へと近づいていく。
ある距離にまで近づくと、レンの指が柄を押し上げ、鞘から銀の刃が顔を見せた。
そして次の瞬間、人形の胴体が上下真っ二つに斬れていた。
斬り飛ばされた上部がドサリと砂の上に落ち、ゆっくりとレンが剣を鞘に戻すと、今まで一連の動作を見ていた兵士たちがワッと歓声を上げた。

「うっわ〜、真っ二つよ。真っ二つ」

「ピ〜」

斬り飛ばされた人形の上半身を持ち上げて、その切断面をルミィが皆に見せると、キーラが少し怯えた声を上げた。
それをレンはルミィから取り上げると、切断面をしげしげと眺める。

「まあまあ、だな」

「どこがまあまあよ。人形を切るだけじゃなくて、切断まで……万全じゃ。あ、その手」

「ん? 剣を鞘で走らせるときに少し失敗したか」

呆れたフレイが気がついて指差したのは、鞘を握っていたレンの左手の親指と人差し指の間であった。
鞘から刃が流れる時に誤って斬ってしまったようで、血が滲むようにあふれてきていた。
すぐに舐め取ろうか迷ったレンだが、とある人物に手を差し出す。

「おい馬鹿」

「って誰が馬鹿だ。もはや呼び名ですらないぞ!」

「いいから、治せ」

「それが人にものをたのアダッ……解ったよ。たく、安らかなる癒しを、ホイミ」

無造作に差し出された左手に、鞘で殴られて出来た頭を抑えながら魔法を唱える。
当然ように見る見るうちに血は止まり、傷跡は消えていった。
これで満足だろと言いたげに治った手のひらをセイが叩くと、二、三度握っては開いてからレンが笑う。

「ありがとう」

その言葉はとても小さく、近くにいたフレイとセイでさえ殆ど聞き取る事は出来なかった。

「さあ、アムル。久しぶりに手合わせと行こうか。ここ数日寝てばかりいたからな、今ならお前でも勝てるかもしれないぞ」

「そんな勝ちいらないよ。絶対に真っ向から勝ちを貰うんだから」

さらにすぐに踵を返して、待っていたかのようなアムルといつもの手合わせを始めてしまった為に、なおさら怪しかった。
砂を蹴散らし巻き上げながら剣と拳を交える二人をみながら、フレイが尋ねる。

「あの後、なんかあったの? 言葉はいつもどおりなのに、アンタにお礼をいうなんて変よ?」

「とうとうレンちゃんも俺のこの素敵な魅力に気付いたのさ。だからこれまで以上に照れてんのさ」

「そっか」

違う意味でフレイは納得していた。

「なにもなかったのね。アンタが過剰にものを言う時って、嘘ばっかりなのよね」

「セイさんって、つくづく薄っぺらいですよね」

「ピーピピ!」

「キーラまで、どうせ俺は薄っぺら男さ」

いじけるような言葉を吐きつつも、セイの表情は笑っていた。
おかげでますます薄っぺら奴と二人と一匹から冷たい視線を送られたが、やはり笑っていた。
そのままレンとアムルの手合わせを再び見学をはじめた兵士たち同様に、見ていると一人の女官が訓練場に現れた。
すこし場違いな感を受けるその女官は、まっすぐにフレイたちの所まで走ってきて、告げた。

「女王様がこれからお会いになるそうです。すぐに謁見の間までお越しいただけますか?」





「なにぶん忙しい身なので、急な呼び出しをお許しください。そして、この度のあなた方の働きにはとても感謝しています」

謁見の間で女王が頭を下げながら言った事に、アムルたちは当然のように首をかしげていた。
そもそもピラミッドに薬草を取りに行ったのは、レンの事での交換条件であったからだ。
薬を貰ってさらに女王という身分の人に頭を下げられては、釣り合いがとれていない。

「薬が十分に国庫に蓄えられた今なら本当の事をお話しましょう。わが国の国庫には、すでに薬が尽きていたのです」

「それじゃあ、国民の分だけと言うのは嘘」

女王はフレイの言葉を否定することなく、静かに頷いた。

「すでに今年は熱病の大流行が一度起き、再度薬の原料の取れる季節を待っていては間に合いませんでした。そこであなた方の頼みを聞くと言う形でピラミッドへ赴いてもらったのです」

「でもなんで、最初から言ってくれれば」

「そうよ。わたし達が弱みに付け込んでお礼をせびるとでも思ったの?」

当然のように上がったアムルとルミィの疑問に答えるには、女王は口ごもってしまっていた。
すでに本心をあらかた喋っているとはいえ、おいそれと女王自ら口には出来ない事だからだ。
そんな女王を見て、代わりに答えたのはレンだった。

「二人とも、女王の気持ちを察しろ。国にとって弱みを知られると言う事は、喉元に食いつかれたのも同然なのだ。今こうやって旅人に過ぎない我々に内実を話すことすら、一大決心に違いない」

「ありがとう、本来なら私の口からいわなければならない事を……」

「私の国ジパングも、女王が治める国だ。そこもまた単に人事ではない」

そこまで言うと、さすがに側近たちがわざとらしく堰をしたり、意味ありげな視線を女王に送り始めた。
内実を話す事にあまり良い感情は持っていないのだろう。
それよりも先に放すことがあるとばかりに、催促しているようにも見えた。
そのあからさまな態度にアムルたちが気付かぬはずもなく、軽く身構えてしまった。

「今回の働きに対し褒美を与える前に一つ聞きたいことがあります。我が国に仕官するつもりはありませんか?」

突然の事にとっさにアムルたちは側近たちをみるが、驚きもせず気味が悪いほどににこやかに微笑んでいた。

「貴方たちはその若さで、我が国や近隣諸国の将に勝るとも劣らぬ力を持っています。望めばあなた方が望む地位を授けましょう。どうですか?」

望む地位とはまさに破格の申し出であった。
何処の国にいきなり将を例えに出して、士官の申し出を許す国があるだろうか。
それもまた女王という柔軟な考えを持つ国だからかもしれないが、アムルの返答は早かった。

「女王様、俺は仕官の話は断ります」

「そう、ですか」

「私も、もともとそんなつもりはないけど、アムがしないならなおさら。残念ですが、お断りします」

「はいはい、私もアムルがいなきゃ嫌だもん」

仕官を断るにはふざけた理由だが、フレイとルミィの顔は真面目であった。

「私もだ。私はまだ自分の力に納得がいっていない。このまま仕官をして将に納まったところで、必ず後悔する」

「ま、軍隊なんて似合わないしね。戦はしなくて、三食昼寝つきなら考えても良いけど、無理だろ?」

レンとセイは自分なりの答えを口に出したが、視線だけはアムルへと集まっていた。
まるで抜けられない理由がアムルそのものであるかのように。

「そうですか、やはり貴方たちの中心にはアムル、貴方がいるのですね。あの方、かつてのオルテガ様も、その仲間たちも同じような理由で断られました。姿は似ていなくとも親子なのですね」

心底残念そうに目を伏せた女王を見て、勘が働いたのはレンとフレイであった。
女王はよくオルテガの事をあの方と目上の人のように語り、今も様付けでその名を呼んでいた。
目の上ではなく、まさか憧れを込めてとその女の勘が二人に告げていた。
ルミィも女の子ではあるが、わりと直球勝負なところがあるため、深い大人と思慮にまでは気がつけなかったのだろう。

「では仕官の話はなかった事として、今回の働きに対する褒美の話に移りましょう。望みの物は有りますか?」

ようやく本来の目的を達する事ができると、アムルは皆を見てから女王に頼み込んだ。

「昔、エルフがピラミッドに納める為にイシスに贈ったとされる魔法の鍵を取ってくる許可を貰えますか?」

「魔法の鍵……聞いたことがありますね。ですが、ピラミッドに納めたという話は…………」

「女王様、その鍵ならばピラミッドではなく国の宝物庫にあるはずです。時の女王がそのあまりの素晴らしさに、手元において置く事を望んだはずでございます」

魔法の鍵のありかを答えたのは側近の一人であった。
女王自身も宝物庫で見た覚えがあるのか、すぐにその事は了承してくれた。

「他にはありますか?」

「それで十分です。必要なものは十分にありますから」

「無欲な所も、あの方に似ているのですね。今夜も城にお泊りください。明日の朝までに約束のものは探して起きましょう。アムル、近くへ」

急に威厳を取り払い優しい顔を向けた女王の近くまで歩くと、まるで耳打ちをするような小さな声で女王は言った。

「今宵月が真上に昇る頃、私の元へと来なさい。話は付けておきます」

そう言ってもう一度にこりと笑った女王を最後に、アムルたちの謁見は終わる事となった。





その夜、アムルは自分に与えられた部屋を抜け出して、謁見の間へと歩いていった。
それは単に呼ばれたから行くと言うだけであって、特別に何かを期待していたわけではなかった。
女王の耳打ちの内容も誰にも言わずにいたが、言わない方が懸命だとは感じていた。

「こんばんわ」

女王の言う通りに話が通してあったのか、謁見の間の扉の前には門番はおらずアムルはその扉を開けて中を覗きこんだ。
奥へとひかれた絨毯の先にある玉座には誰もいなかったが、その途中に女王付きの女官が一人立っていた。

「アムル様ですね。お話は伺っております。さあ、何時までもそこにいられては無用な噂が流れてしまいます。こちらへ」

「うん、でも女王様ってなんの用か知ってる?」

「それは女王様ご自身にお聞きください。この先の寝室で女王様がお待ちです」

この先とは、玉座の後ろの壁の隅にある扉であった。
その扉を指し示した女官はそこから動く気配を見せず、アムルは一人女王の寝室へと入っていった。
扉をくぐってすぐに感じたのは、冷えた空気と強く漂う花の匂いであった。
アムルにとっては少し匂いがきつすぎたのか、クラクラする頭を押さえながら奥にある天蓋付きのベッドに横たわる女王を見た。

「よく来たわねアムル。さあ、こっちにいらしゃい」

「え、でも…………」

そう言われたもののアムルは少し戸惑っていた。
何故なら女王は寝室で待つという言葉通りに、肌が透けるほどに薄い肌着一枚であったからだ。
国内だけでなく、国外でさえも賛美されるその肉体を惜しげもなくさらしている。
さすがに男女間に無頓着なアムルでも照れずにはいられなかった。

「本当に可愛い子。なにもとって食おうというわけではないわ。あの方の息子なのですもの」

またあの方と敬うような言葉に、アムルは照れるのを忘れて問いかけた。

「女王様はなんで父さんをそんな風に言うの? 父さん勇者って言われてたけど、ただの平民だよ」

「そうね。普通ならそう思うわね。でも、あの方は生まれついての英雄、勇者だったわ。その一言一句が頑なな人の心でさえ揺り動かし、一挙一動が迷いを持つ人の手を引いた」

女王の語り方は、まるで己の体験談の様であり、当時を思い出すようにやや上目遣いとなっていた。
その事にはアムルも気付いており、漠然とながら父のことが好きだったのだろうかとまで考えが行き着いていた。

「だからあの方のまえで私は自分の全てをさらけ出し、妻子がいると知りながら抱かれたいと思いました。自国他国を問わずに私の美しさを褒め称える言葉は尽きないけれど、本当の姿はただの女なの。軽蔑するかしら?」

「正直よく、わかんない。でも父さんは女王様の事好きだったと思うよ。女王様の言う事とは違うかもしれないけど、う〜〜〜、上手くいえないけど。俺も女王様のこと好きだし。本当だよ」

言いながらアムルは漂う濃い花の匂いに頭をやられて、グラグラとその体がぐらつき始めていた。
その様子にクスリと笑うと、女王はアムルの小さな体を抱き上げ、自分のベッドへと降ろした。

「ありがとう、アムル。だから、少しだけこうしていさせて」

「うぅ……頭が、ガンガンする」

愛しい男の息子の胸を借りて、女王は添い寝をしてその頭を寄せた。
静かな砂漠の夜にトクンとアムルの心音が繰り返される。
その音がとても安らぐ子守唄のようで、女王は初心な少女のように、女王と言う仮面を捨てて微笑んでいた。

「姿は似ても似つかないのに、やはり親子なのね。とても安心できる。まるであの方に抱かれているよう」

すっかり花の……お香の匂いにやられてしまったアムルは、もう自分がどこにいるかも解らなくなっていた。
ただ高熱に侵されたようにグルグルと視界がまわり、前後不覚となっていた。

「ごめんね、アムル。今夜の事は覚えていられては困るの。だからせめてものお詫びよ」

そう言ってアムルの頬に唇を合わせた後、枕の下に隠しておいた腕輪をアムルの右腕にはめた。

「これはね、星降る腕輪。遥か昔、とある国の王女と旅人が恋に落ち、引き裂かれる際に旅人が贈った腕輪よ。例え殺されても星となって見守り、危険が迫れば流れ星となって貴方の元に現れると誓った腕輪。あの方が私に下さった唯一の物」

その名前の由来をオルテガが知っていたのかどうかは解らず仕舞いであったが、贈られたという事実だけで女王は十分であった。

「でも、これを貴方に贈るのは私が男に私という女を見せるのが最後だから。もう、私には必要ない物だから」

「女王様、そろそろ」

いつの間にか女王の寝室に現れて告げたのは、あの女官であった。
その行動に怒るわけでもなく、女王はアムルを抱いて女官へと任せた。

「そっと部屋へと返してあげなさい。もし誰かに見つかったのなら、寝ぼけていたとでも言えばいいわ」

「かしこまりました。それでは」

静かに闇に溶けるようにいなくなった女官を振り返るわけでもなく、女王は窓際へと歩きその窓を開けた。
冷えた風が室内へと入り込み、特別な香を部屋から閉め出すように洗い流していった。
そしてまるで胸に閉まった思いをかき集めるように女王はその両手を袂へと抱き、ゆっくりと両腕を空へと掲げた。

「さようならオルテガ様。そしてアムル」





翌朝、寝ぼけることなくやけにすっきりと目覚めたアムルは、胸が熱いような温かいような感じをうけた。
そっと胸に触れると、不思議と涙で濡れているようで、かすかに花のような匂いがしている。
さらに右の腕には見知らぬ腕輪がはめられており、一層アムルを混乱させていた。

「なんだろコレ……」

しげしげと腕輪を眺めていると、元気に部屋の扉を開けてフレイが入り込んできた。

「おはよう、アム。暑いんだから何時までも寝てると汗びっしょりになっ……な、なー!!」

「姉ちゃんどうしたの?」

プルプルと自分を指差しながら言葉を失った姉を見るが、何を驚いているのかが解らない。
その指は顔の中心よりやや右を指しているようだが。

「アンタって子は! それにこの匂い、香水?! あの馬鹿ね? あの馬鹿にいかがわしい店に連れて行かれたのね!」

「なに? 何のこと言ってるの姉ちゃん?」

「キーッ! しらばっくれちゃって、そのほっぺたのキスマークが証拠よ! さあ、全部白状しなさい馬鹿アム!!」

「ピーピー!」

フレイがアムルの首を絞め、キーラまでもそうだそうだと言いた気に、フレイの肩で跳ねている。

「本当にわからないんだって、痛いよ」

「まだ言うか。さっさと白状しなさーい!!」

灼熱の一日が始まる朝に、まるで夢のように儚い夜を打ち消すように、平手の音が鳴り響いた。

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