キメラの翼により飛んだ先はイシス城の城門前、一本の道の両脇に人の顔を持った獣が並ぶ場所である。 ピラミッド脱出の勢いのまま、姿勢制御もせず使用したため着地は荒っぽいものとなった 着地と同時に砂地が掘れる程に砂を巻き上げ、ちょっとした地震のようなものまでおきていた。 それだけに、レン以外折り重なるように着地した場所が砂地であった事は幸いであった。 「痛ってぇ、大丈夫みんな?」 「お、重い……私の上にいるの誰? どいてぇ」 「だ、誰が重いよ。あたしの上にも誰か……」 「俺じゃねえよ。俺はフレイちゃんの……上、下? あ? どっちだこれ」 「い、生きてるのか私は……」 単に折り重なるだけなら良かったが、だれそれの足がと絡まるようにしていたため、それぞれが両足で立ち上がるのには少し時間が掛かった。 その間に城の城門からは音を聞きつけた兵士たちと、何故かお城付きの女官たちが血相変えて駆けつけてくる。 「あちゃ〜、派手な登場しちゃったから怒ってるのかしら。しょうがないわよね、レン?」 確認するようにレンに言葉を投げかけたのはフレイであったが、様子がおかしかった。 まるで立ったまま寝ているかのように眼を閉じて、熱を持った砂漠の風にユラユラとその体が揺れていたのだ。 そう、城門前の騒ぎには兵士が駆けつけるだけでよいのに、何故女官も一緒だったのか。 そもそも熱病の薬は足りなかったはずなのではないか。 その疑問にフレイがたどり着くと、ゆっくりと倒れていくレンを前に誰もが思い出した。 「レン!」 とっさにレンの前へとアムルが走り、倒れきる前にその煮えたぎる様に熱いその体を支えた。 もはやその体温は人とは思えないぐらいに熱い。 「ちょっと、一体どういうことよ!」 「聞きたいのはこちらです。少し目を放した隙に、いなくなってしまわれたのですから。それより早くレン様をこちらへ!」 「姉ちゃん、聞くのは後だよ。どこに連れて行けば良いの?」 「こちらです!」 「あ、待って。私も行く!」 砂を巻き上げながら慌てて走っていくアムルたちを見送り、セイは女官と一緒に走ってきた兵士に向き直る。 本当はセイ自身もレンについていてあげたかったが、優先すべき事があるから残ったのである。 「城の前に着地した事はいくらでも謝る。これから女王への謁見を頼めないかな? ご所望の品を取ってきたって言えばわかると思う」 「貴方たちの事は女王からおふれが回っております。多くは申しません。まずは体を清めください。その後で謁見を行えるように連絡を入れておきますので」 「謁見は俺とアモン。こいつだ。それでいいよな、アモン」 「あ、ああ……」 「では、湯殿へと案内いたします。どうぞ」 兵士の後についてセイとアモンは歩き出した。 ピラミッドに入ったのが朝方であり、日はすでに地平線の彼方に沈もうとしている所であった。 セイとアモンの影は夕日に横から照らされて、長く、長く伸びていた。 そのせいか、アモンの顔にも暗い影が伸びていた。 「いや、すまない。待ってくれ。やはり俺もレンの病状が気になる。謁見はセイ、お前一人で行ってくれ」 慌てたように走り出したアモンに、兵士が後ろから声をかける。 「客室は城内に入って右に折れた先の突き当たりにありますので」 場所さえ聞かずに場内に入っていこうとしたアモンを見て、セイもまたその顔に影を浮かべ睨みつけていた。 「悪い。謁見は明日以降にして、女王に薬草をとってきたから薬を貰える様に頼めないか?」 「はあ、お伝えする事はお伝えしますが……」 「じゃあ、頼んだぜ」 兵士にとってはアモンに続いてのセイの心変わりに、それほど仲間が心配だったのかと感動していたが、その実は違っていた。 話を聞けばこの兵士も人事ではなく、激怒していた事であろう。 セイは足はレンのいる部屋にではなく、逃げるように走っているアモンを追っていた。 場内に入ってすぐに外から自分の姿が見えなくなったと思うと、アモンは通路を左に折れて直進していった。 そのまま辺りを見渡しながら突き進み、手ごろな窓を見つけたら足をかけて外へと飛び出した。 だが城は高い城壁に覆われており、結局はまわりまわって正面から出るしかなかった。 外に出ると一段と回りを気にしながら、アモンは隠れるようにして城壁を出て街へと向かっていった。 「これ以上、あんな奴らに付き合ってたら命がいくつあっても足りねえ」 城壁を出てすぐに毒づくと、さらに外へと向かって走っていった。 必死な形相で走るアモンが異様に見えたのか、街の誰もが何をそんなに急いでいるのかと奇異な視線を向けていた。 そして時折、アモンの前に運悪く立っていた街人は、アモンの怒声に嫌悪と共に飛びのいていた。 「どけ、道をあけろ!」 「キャァ!」 「うわっ、バカヤロー! なにをそんなに慌てて嫌がるんだ!」 背中から遠くなっていく怒声を浴びながら、アモンは自問自答した。 何故自分が焦っているのかと。 一番やっかいだと思っていたレンは、熱病で倒れ、あの姉弟やエルフの子供は疑ってすらいない。 残るあの男は…… 「馬鹿馬鹿しい。あとはコイツを売り払って、それで……」 より一層足をはやめたアモンは、ついにイシスの街を抜け砂漠へと足を踏み入れた。 そして懐から取り出したキメラの翼を、掲げようとした時、その腕を後ろからつかまれた。 「な……だ、誰だ!」 「俺だよ、アモン」 振り向いたすぐそこに居たのは、確かにセイであったが、どこか記憶と一致しない部分があった。 姿は同じであるはずなのに、どこか気安かった雰囲気が一変しているのだ。 顔は笑っているのだが、鋭利な刃物を思わせる雰囲気が物言わずアモンを突き刺しているようであった。 「なぜ……お前は今、謁見を」 「俺もレンの様子が気がかりだったんだ。薬の事だけを取り付けて、病室へ向かったお前を追ったんだ。で、ここはどこだ?」 「くっ……離せ!」 解って聞いているその顔に、アモンは腕を振り解いて、再度キメラの翼を掲げた。 「兎に角俺はこれで失敬させてもらうぜ。もうお前らに用はないからな!」 「バギ」 短くセイが呟いた事で、掲げたはずのキメラの翼が爆ぜるように細かく切り刻まれていた。 その際アモンの手には一切の傷はなく、どれだけ魔力を洗練させれば手に持ったものだけを切り刻めるのか。 自然とアモンの足が後ろへと、あとずさっていた。 「俺はこの世に嫌いなものがありすぎるんだ。一つ、神や精霊にすがる事しか知らない奴。一つ、権力に魅入られた奴。一つ、誰かに犠牲を強要する奴」 一つと呟くたびにセイがアモンに近づいていく。 「そしてアモン、お前だ。人を平気で裏切れる奴。もっともレンちゃんは、とうにお前が下種に成り下がっている事に気付いてたがな」 「喧しいゴチャゴチャと! 何も知らないくせに、奇麗事だけで世の中渡っていけると思うな、ガキが!」 そう叫びながらアモンが取り出したのは、太陽の光を集約させたように黄金に光る爪であった。 腕から手のひらまでを多い、その先に三本の鋭利な爪が伸びる、黄金の爪。 本来ならばイシスが保管し、ピラミッドになければならない代物である。 「やっぱり、あのミイラはお前だけを狙っていたのか」 「ああそうさ。だがここまでくれば、呪いなんて関係ない。だからと言って王家に狙われるのもお断りだ。だから事実を知ったお前にはここで、死んでもらう!」 「やっぱりな。俺一人できて正解だったぜ。アムルにはまだ早いからな、お前みたいな下種を知るには」 「死ねえぇ!!」 黄金の爪を右手にはめ、黄金の軌跡を描きながらそれが奮われた。 とっさにセイは後ろに跳ぶと、アモンの腕ではありえない傷跡を三本、砂の大地へと刻んだ。 「ふっ、はははは。どうだこの威力。ただでさえさっきみたいにちんけなバギでも使ってみたらどうだ。一秒ぐらいは長く生きられるかもしれないぜ」 「いらねえよ。お前ごときに呪文なんていらねえ」 黄金の爪の威力の前に、酔いしれるアモンに、その冷静な挑発するような声は効果がてきめんであった。 叫びながらその体を加速させる。 「良い度胸だ。だが体中を刻まれてもま、だ?」 気がつけばアモンの体は、宙を舞っていた。 視界の中で世界が回り、自分をあざ笑うセイが見えた後、容赦なく砂の大地に背中から叩き落された。 アモンは信じられないとばかりに、しばらく動く事ができないでいた。 何故血まみれのセイを前に自分があざ笑うでなく、自分が見下ろされあざ笑われているのか。 「き、さま!!」 だから激昂して立ち上がると、渾身の力を持って黄金の爪を横ないだ。 すると砂漠の風がアモンに味方したかのように、三本のカマイタチが砂を切り裂きながらセイに向かっていった。 だがそのカマイタチがセイを切り刻む事はなかった。 セイがなにかしたわけではない。 まるでカマイタチ自身がすり抜けるように、ただ立ち尽くすセイの横を通り過ぎていったのだ。 「ば、馬鹿な! なにをした、マヌーサか?!」 「呪文なんて使ってねえよ。そんなもんなのさ、武器に溺れる男の攻撃なんて。見せてやるよ、己を極めた男の攻撃って奴を」 セイの足元にある砂が深く、えぐれた。 それだけ強く踏み出したセイの体は、砂漠の上であるにも関わらず目にも止まらぬ速さであった。 気がつけば、アモンの腹にセイの拳が突き刺さっているほどに。 「う……ぁ…………」 「まだお寝んねには早い。行くぞ。はあぁぁぁ!!」 腹に拳が突き刺さった状態から、さらに体を加速させて打ち抜いた。 吹き飛ぶアモンの体においつき、両手を組んで打ち下ろし、砂の上へと叩き付けた。 その動き、その力強さ。 全てはアムルよりもレンよりも速く、力強かった。 「久々だから、手加減なんて出来ないぜ」 「ま…………俺は……」 「どんな理由があろうと、お前は何度も踏みにじった。レンちゃんの気持ちを、過去を。だから許さない、許せない! 決して忘れる事の出来ない罪を刻み込んでやる、お前の体に」 拳が、肘が、足が流れるようにアモンの体へと叩き込まれていった。 本来ならば一撃で意識を刈り取られてもおかしくはないが、そこはセイが狙って意識を刈り取らなかったのだ。 罪を刻むのは体異常に、脳、記憶にであったから。 「さあて、ここらで最後にしとくか」 片手でその体を持ち上げられたアモンは、もはや呼吸だけしか体を動かせる事は出来なかった。 そのまま砂漠の砂の上に放り投げられたアモンは、うわごとのように、呟いていた。 「……ラ…………イザ…………」 最後の一撃は寝転がされたアモンの顔面に拳が打ち下ろされた。 砂が二人を中心に円形に吹き上がるり、その力強さを強調していたが、それでも拳はアモンの顔のすぐ横に落とされていた。 何故外したのか、その理由はアモンの呟きにあった。 それに気付いたからこそ、セイは止めを躊躇って外したのだ。 そして耳を澄ましてアモンの呟きに耳を傾けると、それは人の名前であった。 「イザベラ……もうすぐ…………金が、助けてやれ………………」 意識を半分失いながら嘘などつけるはずもないだろう。 続いて聞こえたアモンの呟きは、ベリーダンスとアッサラームの商人だった。 「だから黄金の爪が、金が欲しかったか」 アッサラームの街は夜の街であり、それだけ後ろ暗い事などいくらでもある。 名物のベリーダンスとくれば、金を落とさせる為にどんな事でも店のオーナーはやってみせるだろう。 しかもイザベラといえば……聞き覚えのある名にセイは、拳を開きアモンの腕から黄金の爪を外させた。 道具袋の中からナイフを取り出すと、黄金の爪に埋め込まれた比較的小さな宝石の隙間にナイフを突き立てた。 ギリギリとナイフから軋んだ音が鳴ると、刃が折れると同時に小さな宝石が外れた。 その宝石を両手で包み込んだセイは唱え始める。 「天と地にあまねく精霊たちよ。汝らの偉大なる力をもって悪しき呪いを解き放ちたまえ、シャナック!」 両手から放たれた聖なる光が宝石を包み込んだが、見た目は呪文を唱える前となんら変わりは見えなかった。 それでもセイはその小さな宝石を倒れているアモンの上へと放り投げた。 「さっさと帰れ、それだけありゃ人一人買う金にはなるだろう。イザベラちゃんに感謝するんだな」 もはや聞こえているのか解らないアモンにそう言うと、黄金の爪を持ってセイはイシスへと戻っていく。 その背中は、すっかり元のセイの姿となりながら。 「あ〜あ、もう劇場に行っても会えねえか。損な性格、俺って」 「あ、一体何処に行ってたのよアンタ。レンが倒れて大変な……なんかあったの? 砂まみれよアンタ」 「ちょっとつむじ風にイタズラされてさ。ま、俺の格好良さに風も嫉妬してんだろ? 罪だな、俺って」 「単に目障りだったんじゃないですか?」 フレイはともかくとして、ルミィの台詞にはさすがのセイも膝が砕けるようなジェスチャーを見せた。 可愛らしい外見から繰り出される辛らつな台詞は、それだけ威力が高かったのだ。 「ルミィちゃん、最近本当にフレイちゃんに感化されすぎだぞ。そのうちこんな乱暴な」 「誰が乱暴よ!」 「痛ぃ! 折れた、指が折れッ!」 指差した指をつかまれ、そのまま九十度曲げられた為にポキッと小気味良い音が鳴った。 だが痛みはそれ以上であり、レンが寝ているにもかかわらずセイはゴロゴロと痛みを抱えて床を転がった。 そこでようやく迷惑そうな顔をしてアムルとその肩にいるキーラがが振り返り注意を促す。 「ピーピッ!」 「も〜、薬を貰ってやっとレンがちゃんと寝られたんだから静かにしてよ。姉ちゃんもルミィも、先に湯浴みして貰った部屋で休んでて!」 「怒らないでよ、ごめんアム。キーラも。レンが治ると思ったら嬉しくて。お姉ちゃんを嫌いにならないで」 謝りながらもフレイがアムルにしな垂れかかると、当然のよにルミィが過敏に反応する。 「お義姉さん、アムルから離れなさいよ! それに静かにって言われたばかりでしょ!」 「静かにしてるわ、アムルが構ってくれたらね」 「はぁ……なんでそうなるんだよ。もう」 どうしてそうなるんだよと言いたげにアムルが溜息をつくと、それまで床を転がっていたセイが立ち上がった。 そして、良案をアムルに与える。 「なら俺がレンちゃんを看てるから、三人とも湯浴みに行ってこいよ。アムル、お前がいないとこの二人が五月蝿いしな」 「解った。後を頼むね、兄ちゃん。姉ちゃんもルミィも行こう。湯浴みは別々だけどね」 「あ、あああああ。当たり前でしょ。アムルのスケベ!」 「あら、なに? ルミィは恥ずかしいわけ? そうよね、そんなぺったんこじゃあねぇ」 真っ赤になって肩をいからせるルミィに、勝ち誇るようにフレイが見下ろした。 「わ、私はまだこれからなんですから。それっぽっちで満足してるお義姉さんとは違うんです!」 「だ、誰がそれっぽっちですって!」 「もう、なんですぐ喧嘩するのかな。ほら、騒いだらレンが迷惑だって」 「ピーッ!!」 結局一段と騒ぎながら出て行った三人と一匹を見送って、セイはレンの寝るベッドの横にある椅子に腰掛けた。 薬が効きはじめていたようで、真っ赤に火照っていたレンの顔は平常に近く、熱もそれほど高くはなかった。 沈静に向かっている事にほっとしつつも、油断はでいないと額に乗せられた温くなったタオルを冷や水で冷やしてまた乗せる。 すると、うっすらとだが、レンの瞼が動いて開きだした。 「貴様、セイか…………私は」 「勝手に抜け出してピラミッドまできたは良いが、またぶっ倒れたんだよ。今は寝てろよ」 「そうか、すまない」 口ではそう言ったものの、レンに瞳を閉じる気配はなかった。 まるでセイから告げられる事を待っている様に、何も言わずに天井を見上げていた。 「……はぁ、まったく。察したとおりだよ。アモンは、黄金の爪を勝手に持ち出して呪いを発動させた」 「それで、黄金の爪は?」 「聞くも涙、語るも涙、必死こいて取り返したさ。つっても王家の呪いで奴が自滅しただけだけどな。そうでなけりゃ俺一人で取り返せるはずないだろ」 「そうか」 またも短く言葉を切ったのは、それだけ底をついた体力が戻っていないからであろう。 だがそれでもレンは休もうとせずに喋り続けた。 「本来なら、私が決着をつけるべきだった。だが本当に怖かったのだ」 「大丈夫だって」 「私は、強さにしか興味がないかもしれない自分が。心ではなく、力に惹かれているかもしれない自分が。だから……」 「大丈夫だって、言ってるだろ?」 「確かめたくなかっ」 熱病に体を侵されているとはいえ、珍しく泣きそうな程に弱々しいその姿を見るには忍びなく。 セイはレンの唇を一本の指で塞いで、微笑んでいた。 柔らかく熟れた唇をその指がなぞり離れると、唇から熱い息が漏れた。 「大丈夫だって。レンちゃんは、ちゃんと解ってる。だから今度はちゃんと良い男を好きになれるさ。俺みたいな」 「馬鹿者…………だが、嬉しいぞ」 それを最後に、レンは瞳を閉じて深い眠りに入っていった。 眠ったかと安心してセイは、もう一度タオルを冷やしてから、レンの額に乗せた。 「どうしてこう、うちの女性陣はふいに無防備になるかね。俺じゃなきゃ襲ってるぞ」 セイが思い出したのは、オルバにさらわれてから帰って来た時のフレイであった。 あの時もフレイは平気で自分の迷いを口に出し、セイの前で無防備にその頭を撫でられていた。 溜息をついて眺めた窓の外は、すっかり夕日が沈み夜の帳がおりていた。
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