第二十六話 薬を求めて


昼間の暑さが信じられないほどに、どこまでも冷えていく砂漠をアムルは、走っていた。
冷えていく砂漠に反比例するように、背中におぶったレンの体温が上がっていく。
一分一秒でも早く。
そう思い、アムルは砂に足を取られながらも、懸命にその足を前へ前へと踏み出していた。
その時である、砂に埋もれるはずの踏み出した足が、硬い何かを踏んだような感触を感じたのは。
浮かび上がる大地、その表面にある砂が落ちるにつれ姿を現したのは、昼間も戦った軍隊カニであった。

「こんな時に」

慌てて飛び降りたのはいいが、睡眠を邪魔された軍隊ガニは、明らかに逃がしてくれる様子ではなかった。
戦っている場合ではないと、アムルは一度背中のレンを見ると、逃げだした。
当然追ってきた軍隊ガニが、その巨大なはさみを振り下ろす。

「くっそぉ!」

逃げ出したアムルの直ぐ後ろに振り下ろされた軍隊ガニのはさみ。
直撃するような事はなかったが、舞い上げられた砂が降りかかり、体にまとわりついてくる。
砂を被る度にアムルの動きが衰え、そう長い間は避けきれないことは明白であった。
さらに間の悪い事に、夜の砂漠に響く音を聴きつけたキャットフライが数匹やってきた。
襲われているアムルを見て悪戯心でもだしたのか、一匹、一匹とアムルを蹴っては離れる事を繰り返す。

「いいかげんにッ!」

蹴られてすぐに反撃しようとして、背中からずり落ちかけたレンの体に慌てる。
やはり反撃は無理だと、走る事に集中しようとしたアムルに途切れ途切れの声でレンが呟いた。

「アムル、私のことは……ほうっておけ。たたか、え…………」

「レン、喋らないで。俺が絶対に!」

「この、ままでは」

「嫌だ! 本当の勇者は、絶対に誰も見捨てないって、兄ちゃんが教えてくれたんだ!」

叫んだ瞬間、間の悪い事にキャットフライに後頭部を蹴られてレンを背負ったまま砂漠の砂の上に倒れこんだ。
その拍子に砂が口の中に大量に入ってきたが、問題はそこではない。
月明かりを遮る影が、二人の真上に現れたのだ。
今まさに、軍隊ガニの巨大なはさみが振り下ろされようとしていた。

「ッ!」

段々と自分へと向けて加速していくはさみを見上げながら、何かがアムルの視界の中に、意識の中に入り込んできた。
金髪を持ち、白の衣と薄く蒼い羽衣を纏った見知らぬ美しい女性であった。
その女性がアムルへと白く美しい手を差し出して、何かを呟いた。
とても優しい慈しむような笑顔、アムルはそれを、振り払うようにして我知らず叫んだ。

「いつもいつも、なんなんだよ。俺の邪魔を、するなぁ!!」

途端に、振り下ろされるはずだった軍隊ガニのはさみが跡形もなく吹き飛んだ。
荒々しく吹いた爆風が夜に冷やされた砂漠の上を駆け抜けて昼間のような熱を与え、燃え上がらせていた。
はさみを一瞬で失いもがき苦しんでいる軍隊ガニへと、アムルは立ち上がりながら手のひらを向けた。
今度はその頭部が爆発四散して、細かな破片となって飛び散らせた。

「お前らも、消えろ! 邪を砕き散る力を与えたまえ、イオラ!」

怯え、戸惑っていたキャットフライたちも、逃げる暇を与えられることなく、大きな爆発の前に消えた。
アムルは粉々に砕け散った魔物たちを一瞥すると、イシスがある方角へと振り向いた。

「アムル……貴様、また…………」

「レン、もうちょっと待ってて。すぐにイシスに着いてみせるから」

そして、レンをしっかりと背負いなおすと、今までよりも更に速く、砂に足を取られることなく走り出した。





まだ太陽の光が砂漠を白に染める前に、アムルはイシスへとたどり着いていた。
だがその顔に余裕が見られたわけではなかった。
まるでどちらが熱病に侵され始めているのか解らないほどに、アムルも大量の汗をかき、体を上気させていた。
夜通し走り続けたことで疲労の色はその目が語っていたが、まだ光が失われたわけではなかった。

「宿に……それから、医者」

明確な意思を持って呟くと、また走り出した。
もはや意思はともかくとして、アムルは全ての行動を勘に従って行っていた。
初めて訪れる土地と街。
地図も持たずに宿など探せるはずも無いが、アムルは何一つ迷う事なく目の前に見えてきた宿に飛び込んだ。

「この人を、医者を呼んで。レンが、病気なんだ!」

まだ早朝ではあったが、宿は朝が早いらしく、幾人もの従業員がいた。
突然飛び込んできた子供にあっけに取られたのは一瞬、すぐにアムルの背負ったレンを介抱しだすが、その顔は晴れなかった。

「坊や、出来るだけの事はしてあげるが……」

「どういう事? 熱病って良く知らないけど、薬があれば治るんじゃないの?!」

「その薬が今はないんだ。見たところ、イシス近辺に良く見られる熱病だとは思うけど、つい先日それが流行ったばかりなんだ。薬が手に入るかどうか……あるいは王宮に行けば何かしらの手は」

従業員の人の話を聞くやいなや、アムルは介抱され始めていたレンを再び背負いなおしていた。

「もうちょっと我慢して、これから王宮に行く」

「坊や、自分が何を言っているのか解っているのか?! 今はまだ謁見可能な時間ですらないんだ」

「そんなの関係ないよ。会えないのなら、門をぶち壊してでも。今の俺なら」

本当にそれをやりかねない形相のアムルは、他人の言葉では止まる気配も見せなかった。
それを止めたのは、レンであった。

「アムル……本当に強くなりたいのなら、良く考えろ」

喋ってはいるが、意識がはっきりとしていないようで、レンの目は開かれていなかった。
ただうなされながら、うわごとの様に言いながらアムルを止める。

「お前の力は、振り回すために……自身を振り回すために、あるんじゃない。か、考えろ。すべからく、目に映るものを守りたいのなら」

途切れ途切れの言葉を聞いて、アムルは耐えるように唇を噛んだ。
まだ、足りない。
魔法拳を手に入れ何かをなぎ倒す、壊す力は手に入れたものの、足りないと感じた。
力は手に入ったが、強くはまだなれていなかったことを痛感しつつ、アムルは頼み込んだ。

「レンを、寝かせてあげてください」

「偉いぞ坊や。幸い完治させる薬はないが、熱を抑える薬はある。坊やも時間まで休んだ方がいい。酷く顔色が悪いぞ」

「え……あっ」

宿の従業員の人に言われて自覚した途端、アムルは目の前が真っ暗になっていくのを感じた。
体力の限界であった。





それからアムルが目を覚ましたのは、数時間たった午後過ぎであった。
掛けられていたタオルケットを掴みながら、跳ね起きるようにして目を覚ました。
屋内まではさすがの日差しも届かないせいか、汗をかいている割には何処か体がひんやりとした空気を感じていた。

「よかった。アム、目が覚めたのね?」

「姉ちゃん?」

起きた途端、夜通し走り続けたことや寝汗で汚れているのにも関わらず、アムルは抱きしめられていた。
それがフレイだと気付くのに時間はかからなかった。

「やっとアンタがいる宿を探し出したら、アムまで倒れたって聞かされて……すごく心配したんだから。こんな事なら一人で行かせるんじゃなかった」

「大丈夫だよ。ちょっと疲れただけだから、それで皆は?」

「ルミィとあのアモンって男は疲れきって寝てる。レンはセイと宿の人がレンを見てる。薬で少しは楽になったみたいだけど、完治は難しいらしいわ」

「じゃあ、やっぱり王宮に行かないと」

そう呟いたアムルだが、当然の如く私も行くわと言ったフレイの顔を見た。
街についても休憩すらせず自分を看ていたのだと解るほどに、目元には隠しきれない疲労からくまのようなものができていた。
そして、今すぐにと言う言葉を呑み込んで、耐えた。

「いや、王宮に行くのは夕方にしよう。薬で少し抑えられてるなら、まだ大丈夫でしょ。姉ちゃんは夕方まで寝てて。俺が兄ちゃんと看病も変わって、兄ちゃんもちゃんと寝かせる」

「でも、少しでも早く」

「いいから寝てて、ちゃんと夕方には起すから。レンを助ける為に、皆まで倒れたらだめだよ。レンを助けたいなら、何があってもまずは皆が元気でいないと」

「アンタ何時の間に……」

そんな風に考えられるようにと、フレイの言葉は続けられなかった。
変わりに抱きしめる力を強め、より一層に弟であるアムルが感じられるように抱きしめた。
力も心も急激な成長を遂げるアムルが、知らないうちに何処かへ行ってしまわないように。
レンが数日前に言った通り、本当にいつか自分がアムルにとって邪魔になる日が来ないようにと願いながら。

「解ったわ。お姉ちゃんこれから寝るから、ちゃんと起しに来るのよ」

抱きしめたアムルを離すと、立ち上がるアムルと入れ替わるようにしてフレイがベッドに入り込んだ。

「姉ちゃん、俺すっごく寝汗かいてて……別の部屋にベッド用意してもらおうよ」

「いいの。この方が、アムが傍に居る気がして良く寝られ……」

恥ずかしい様な複雑な顔をするアムルを前に、フレイは言葉通りすぐに眠りへと陥っていた。
そんな姉を前に、アムルは自分が被っていたタオルケットをかけてやり、お休みと一言残して部屋をでていった。
それから適当な従業員を捕まえ、レンがいる部屋を訪ねた。
どうやら早朝に飛び込んできた自分たちの事は噂話程度に知れ渡っているようで、その部屋はすぐにわかった。

「入るよ。兄ちゃん、レンの様子はどう?」

「アムルか……今の所、薬で微熱程度には抑えられているが。それはまだ第一段階だからな。この熱病は、数時間の短い潜伏期間の後に発病。それから一週間は薬以外の解熱剤で微熱程度には抑えられるらしい」

第一と言ったからには第二があるのだろうと、アムルは黙ってセイの説明を聞いた。

「だが第二段階に入ったら解熱剤もあまり効かないらしい。高熱がおさまらず、本人の体力しだい。短ければ一日、長くて三日で死ぬらしい」

淡々と喋っているようで、セイの手は強く遣る瀬無さを感じて握られていた。
どうやら、この熱病に対する薬が手に入らない事を聞かされているのだろう。

「だけどまだ一週間はあるんだね? ならまず兄ちゃんはこれから夕方まで寝てて。その間レンの看病は俺がするから。夕方になったら王宮に言って、本当に薬が無いのか。熱病に対する策が何も無いのか聞きに行くよ」

「王宮にか、解ったしばらく寝させてもらう。お前はもう、大丈夫なのか?」

「うん、問題ないよ。ちゃんと寝たから」

そうかと呟いたセイは、表面こそいたって普通であったが、内心驚きに包まれていた。
アムルは自分よりも三十センチ近く背の高いレンを背負って、砂漠を走ったのだ。
それでも数時間だけ眠っただけで、疲労は殆どとれ、これから何をすべきか判断し、実行しようとしている。
フレイとは違い、その成長を心から喜んだセイは、一度アムルの頭をポンっと叩いて頼むぞと言葉を残して部屋を後にしようとした。

「あぁ、そうだ」

そこで思い出した様に、アムルに声をかける。

「あのアモンって奴、お前はどう思う?」

「どうって……別に。ただ、強くないと思う。戦う力もだけど、心も。なんとなくだけど。でも、なんで?」

「いや、俺もなんとなく聞いてみたかっただけさ。さすがに、お前にはまだ早いよ」

アムルの問いかけには正確に応えず、セイは部屋を後にした。





やがて夕方となり、言葉通りアムルは皆を起すと、イシスの町の北にあるイシス城へと向かった。
その中にはしっかりとアモンの姿があったが、特に異論を唱える者はいなかった。
ただ俺もレンを助けたいんだと言う言葉を否定してまで、同行を断るつもりもなかったのだ。

「あれがイシス城」

焦らず急がずアムルが呟いた言葉に釣られて、誰もがその城を見上げた。
街から見えていたのは頭の部分だけであったが、その全てを視界に納めるとアリアハンやロマリアの城とは何もかもが違っていた。
城壁は切り出した石を積み上げて作られており、そこを潜れば場内へと続く道以外は砂があふれており、道の両脇には人の顔を持った四足の動物が脇を固めるように何匹も並べられていた。
そしてもっとも違うのは、場内で働く者に女性が多いと言うことであった。

「イシスは世界でも珍しい女王が治める国なんだ。だから働く者には女性が多く、他国の城よりも花一つでさえ心配りがなされているんだ」

アモンの台詞に場内を見渡すと、確かに煌びやかな壷や装飾の置物よりも、生命力あふれる花たちが生けられていた。
普通城は厳格で冷たい印象を受ける物だが、その花のおかげで冷たいはずの城にほのかな温かみが感じられた。

「俺は女王様を見た事はないが、大層綺麗な方らしい。他国から一目女王を見ようと訪れる者も居るらしい」

さらに続いたアモンの説明に、皆は一斉にセイを見た。

「おい、なんで俺を見るんだよ。大丈夫だってレンちゃんが病気の時に、わざわざ女王様をナンパして機嫌を損ねたりしないって……賛美歌ぐらい歌うかもしれないけど」

「今ここでコイツ、縛ってゴミ箱に捨てない?」

「ゴミ箱だと捨てられたゴミで生命を維持するかもしれないから、日干しがいいと思うわ」

「ルミィちゃん、フレイちゃんに毒されないで……」

こんな小さな子までにぼろくそに言われて、ちょっと凹んだセイだった。

「姉ちゃんもルミィもダメだよ。レンを助けるまでは兄ちゃんが必要なんだから。何かするなら、レンを助けてからだよ」

「「はーい」」

「アムルまで?! そんなリーダーシップの使い方、間違ってるぞ!」

城の中でさえ普段と変わらないように振舞う四人を見て、アモンは少しあっけにとられていた。
とてもあのレンが一緒にパーティを組むような連中には、決して見えなかったからだ。
そもそも、実力を目の当たりにしたアムルはともかくとして、まるで子供のルミィや、戦えないセイと一緒に居る事が不思議でたまらなかった。
それでもその事を口に出すような事はしなかったが。

「君たち、そろそろ謁見の間だぞ。出来るだけ静かにしていた方が懸命だ」

普段ならレンが止める所をアモンが止め、一行は謁見の間の扉の前で立ち止まった。
両脇に立つ門番も女戦士であり、その二人にアムルが代表して口を開いた。

「アリアハンが世界に誇る勇者オルテガの息子、アムルです。今日は女王様に懇願したい事があってきました。謁見の許可をもらえますか?」

アムルの言葉に門番の二人は驚き、その視線はすぐにアムルへ、その額に輝くサークレットに注がれた。
そのうちに一人の門番がその場を離れ、そして戻ってきてすぐに許可すると告げた。
もちろんアモンもその事には驚いていたが、謁見を前に特に何かを尋ねてくる事は無かった。

「では、入れ。決して女王様に粗相のないように」

謁見の間の門が開き、その先には他国からもその人を見に訪れると言われる程に美しい女がいた。
王座についたその人は、この日差しの強い国にいてさえ艶やかさを失わない黒髪を何故か蛇を模した黄金のティアラでまとめていた。
白くゆったりとしたシルクを幾重にも纏い、それを留めるように首からも黄金の首飾りが掛けられていた。
さすがに称えられる程の美しさに、女のフレイやルミィでさえも溜息をついていた。

「貴方が、あのオルテガの息子ですか?」

「はい、その言葉に嘘はありません。証明しろと言われても困るけど」

「いえ、なんとなく解ります。姿形はあの方と似ても似つかいませんが、貴方の持つ雰囲気がどことなくあの方を思い出させます。それにその蒼石のサークレットは、あの方がしていた物と同じです」

女王の元まで歩くと、女王の方から話しかけてきた。
息子と証明しろと言われたらできないと言うしかなかったが、向こうから認めてくれたことでアムルは少し安心していた。

「して、今日は私に懇願したいことがあると?」

「ここには一人俺の仲間が居ません。熱病におかされ、宿で休んでいます。しかし、聞けばつい先日に熱病が流行り薬が手に入らないと聞きました。それは、本当ですか?」

「それは熱病が流行った事は本当です。ですが、薬が無いわけでは有りません」

女王の一言に続いて薬をくれないかと言おうとしたが、先手を打たれた。

「ですが、薬を渡す事はできません。今残っている薬の数は多くなく、これは国民を救う為の備蓄です。あの方の息子の仲間の為には譲ってはあげたいのですが、まず優先されるのは国民。そのための保険をおいそれとは譲れません」

はっきりと言い切った女王を前に、アムルは何も言えずにいた。
変わりに口を挟んだのは、セイであった。

「ですが女王様。このまま熱病に対しイシスが国外のものに対してなにも策を取らないと噂がたてば、困るのはそちらでは? 無意味に騒ぎ立てるのはこちらも好ましくありません。せめて無策ではないとお示しください」

その挑戦的な言葉にフレイたちはぎょっとし、女王の身を守る兵士たちは色めき立った。
このまま女王がなにもいえなければ、無能であると言っているのも同然である。
そうなる前に、この一行に口止めをするか塞いでしまうのが良策かと兵士たちの手に力がこもる。
が、女王はセイを見下ろし、余裕を持って応えた。

「なにも国外の者を放置するつもりはありません。幸い、我が王家の墓、ピラミッドにこのような時の為の薬の作成を助ける薬草が蓄えられてあるとの文献があります。ですが、宝と過去の王が安置されているだけあって、ピラミッドは並みの洞窟とはわけが違います。先日も派遣した兵の隊が連絡を絶ちました」

つまり策はあるものの、実行できていない事を示していた。

「そこであの方の息子、アムル。貴方にピラミッドの宝物庫から薬草を取ってきてはもらえないでしょうか? そうすれば貴方の仲間の看病は城で受け持ち、薬も出来次第投与すると約束しましょう」

セイの挑戦が、そのまま女王からアムルへと跳ね返ってきていた。
だが挑戦とは言葉ばかりで、女王の瞳は懐かしそうに、受けてもらえると確信しているような節がみえていた。
解りましたとアムルが受諾すると、その瞳は優しくも寂しい笑みが広がっていった。

「ありがとう、貴方なら受けてくれると思っていたわ。あの方の、息子なのですから」

その言葉の意味を知らぬまま、アムルたちはピラミッドへと旅立つ事となった。

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