第二十三話 ノアニールの夜


エルフの里から逃げるようにノアニールに戻った四人は老人に出来るだけの報告を行った。
三人が生きている事を伏せつつ、夢見るルビーと交換で目覚めの粉を貰った事をだ。
そしてさっそくと促されるまま老人の家から外へ出たのだが、誰も何処へ行こう、何をしようと言い出さなかった。
アムルの手元にある目覚めの粉を見下ろしながら、そっと視線をかわしあう。
最初に切り出したのはレンだ。

「で、どうするのだ?」

「さあ? 殆ど喧嘩売ったまま逃げてきたからな。使用方法までは聞けなかったしな。門の封印の話だってしてないし」

「結局私たちの目的は果たせてないのよね。でも粉だし、お湯に混ぜて飲ませてみる?」

フレイが挙げた案が一番現実的だが、街中の住人に飲ませるとなると人手が足りない。
そもそも薬が足りるのか、まごついている四人に老人がそわそわとしながら追い討ちをかけてくる。

「どうしたんじゃ? 頼んだ身でこう言うのもなんじゃが、できるなら早くしてくれんかの」

「あははは、ちょっと待ってくださいお爺さん。準備がかかるもので」

ぎこちないフレイの笑みに一瞬首を傾げたが、納得はしてくれたようで口を挟むのをやめてくれた。
だがそれでも長い時間はだませそうになく、街の住人一人一人に飲ませて歩くかと覚悟を決める。
もちろん目覚めさせた順に、問題がなければ手伝わさせるつもりである。

「それじゃあ、セイそこの井戸から水を汲んできて。レンは水の汲めるコップをありったけ持ってきて。アムは……まだ袋の口はあけなくて良いわよ。後で小分けにするけどね」

「あ、そうなの?」

袋を縛ってある紐を緩めていたアムルを止めたが、もうすでに袋の口は半分開いていた。
その時僅かな風が薬を少しだけ舞い上がらせたため、アムルがそれを大きく吸い込んでしまう。

「は、はっ……」

「ピーッ!!」

粉と呼べる極小の粒たちがアムルの鼻を刺激する。
一番近い場所、アムルの肩にいたキーラが気づいて袋を閉じようとするが、袋を持った手に飛び乗った振動で口がさらに大きく開いた。
間の悪い事は重なるもので、そのまま一気にアムルが息を吐き出した。

「はーっくしょんッ!」

「あーーーーーーーー!!」

突然上がったでかいくしゃみと悲鳴に、近くの家に入ろうとしていたレンと、桶を井戸へと落としていたセイが振り返った。
目覚めの粉が盛大に袋から飛び出していた。
せめて一粒一粒が小石サイズであればまだかき集める事で事はすんだはずだったが、なにしろ粉である。
小さな風が吹いた程度で地面に落ちることなく、街中へと広がっていった。
まるで大量発生した花粉のように散らばりながら空へと広がっていく。
呆然とその様を見上げるフレイとレンとセイ、そして老人。

「あ、アム……なにやってんのよ! 粉は袋の粉は?!」

「ちょ、ちょっと待って……鼻が」

思わずフレイがアムルの胸倉を掴んでしまうが、アムルはまだ鼻をぐずつかせている。

「鼻がじゃないでしょ!」

「ぶふぇっくしょんッ!」

先ほどよりも液体的なものをはらませたくしゃみが鳴り響き、アムルの前にいたフレイにふりそそぐ。
あっとレンとセイから声があがり、フレイは震えていた。

「アンタって子は……アンタって子は…………」

「ぶひ、やっとおさまった。姉ちゃん、とりあえず吹いたら? 汚くなってるよ」

「誰のせいだと思ってるのよ!」

スパーンっと小気味良い音を立ててフレイの手のひらがアムルの頬をなでた。
それでもすでに後の祭りであり、袋の中から目覚めの粉は全てなくなってしまっていた。

「お主たち、もう一度。すまぬがもう一度もらってきてくれんか」

恩を感じながらも老人の声と表情には明らかな怒りが満ちているが、そうする事はおそらく難しくレンもセイも自然と目をそらした。

「アム、アンタが責任とってもう一回貰ってきなさい」

「え〜、無理だよぉ。だって夢見るルビー壊したの俺じゃん。女王様はともかく、他の人が許してくれるかどうか」

「ゆ、夢見るルビーを壊したじゃと! お主たち、先ほどはそんな事一言も!」

「「あっ」」

実は夢見るルビーと交換で薬を貰ったとしか言ってなかったのだ。

「ん? ご老人、静かに。何か聞こえぬか?」

街はずれにある老人の家からは眠る人たちが見えなかったが、確かに声が聞こえた。
最初は僅かだったそれも、段々とざわめくように大きくなっていく。

「方法はともかくとして、アレで正しかったみたいだな。うわ〜、ありがたみねぇ〜」

誰もがそのセイの意見には頷いていた。
くしゃみで吹き飛ばしたアムルも、目覚めて欲しいと思っていた老人自身も。





眠りから目覚めた真実の一部を話した所、十二年も眠りに落ちていた事実を忘れようと誰ともなく宴をはじめていた。
十二年という歳月の間に歳を取るという事はなかったが、それでも外の世界は十二年分進んでいる。
そうした不安を十二年前と変わらぬ隣人を通して、忘れようとしていたのかもしれない。
街中が宴で湧き上がる中、フレイたちは手分けしてとある情報を求めて歩き回っていた。

「封印された門を開ける魔法か道具? 聞いたことないな。そんな事よりも、アンタも飲めよ。よかったらこの後」

「もう十分いただいたわ。ありがとう」

一緒にと続けられる前に断りを入れると、フレイは見えないように溜息をついてその場を離れた。
すぐに聞こえるのは冷やかしと、同情の声。
同じように男から誘われるのは何度目の事か、フレイは情報の入らない聞き込みよりもそちらに辟易していた。

「まったく、エルフと友好の会った街なんて嘘じゃないの? 情報の欠片も見つかんないじゃない」

苛立たしげにそう呟くと、自分と同じように聞き込みにまわっているはずの馬鹿の浮かれた声が聞こえた。

「もっと持ってきて今日はじゃんじゃん飲んじゃうよ! あれ? 君可愛いね、どう? この後二人で」

「嫌だもー、セイさんったら」

「良いじゃない、付き合って上げなよ。主役の申し出を断るもんじゃないわよ」

「え〜、余計な事言わないでよ。私が狙ってたのにぃ」

セイの声には、複数の黄色い声が続いていた。
フレイがそちらへと振り返ると、すっかり目的を忘れて女性たちをはべらすセイがいた。
グデングデンに酔っ払い、その赤く染まった顔に乗っている目は垂れ下がっている。
だがセイの手は恐ろしく正確な動きで女性の胸やお尻に触っていた。

「あの馬鹿、すっかり忘れてるわね」

二重のイラついた声を上げると、フレイに気がついたセイが手を振ってくる。

「お〜い、フレイちゃ〜ん。そんな所に突っ立ってないでこっちにこいよ。酒の味はともかく、可愛い子が一杯だぜぇ」

「あの人誰ぇ?」

一応主役の一人だが、女はどうでも良かったのかあっちへ行けとばかりに複数の視線にさらされる。
張り合うつもりなどさらさらないフレイはすぐに踵を返して別の場所へと行こうとしたが、セイの台詞に足を止められた。

「あ〜、一緒に旅をしてる俺のコ・イ・ビ・ト」

「うそぉ、嫌だぁ。セイさんは私たちの者よねぇ」

「えー、参っちゃうな。ど・ち・ら・にしようかカ・ミ・サ・マの言うとおり、なんてなぁ」

再び黄色く耳障りな歓声が上がり、再度フレイは踵を返した。
そのままツカツカとセイの前まで歩き、真っ赤な馬鹿面をする男の前で魔力を込めた右手を上げる。
青白い魔力から流れてくる風は、かなりの冷たさであった。

「その様子じゃ、お酒もすっかり温くなっちゃったでしょ?」

「ふっ、大丈夫大丈夫。そのままこの子達の愛で熱燗にして」

「遠慮しなくていいのよ、思いっきり冷やしてあげるから。邪を撃つ氷礫を我に与えたまえ、ヒャド!」

小さな氷の塊が、ぽちゃんとセイのグラスに落ちたのを皮切りに、段々と大きく勢いのある氷の塊があふれ出した。
そのままセイへと降り注ぎ、悲鳴が宴の喧騒で掻き消されながらもあがる。
セイの周りの女の子たちは、すっかりその光景に引いていた。

「誰がアンタの彼女よ。くだらない事言ってないでアンタも門の封印をとく情報を集めなさい!」

「ごべんなさい……調子に、乗ってました。でも、もう動けません」

セイが氷漬けになって倒れたのを見て、とうとう女の子たちも逃げ出した。
その光景をみてなんとなく鼻をならしたフレイは、倒れこんだセイを放り出してとある二人を探し始めた。
もちろんアムルとレンである。
一応二人も情報をあつめに歩き回っているはずなのだが、宴の中を何度も誘いを断りながら歩いてもすれ違う事すらなかった。
セイの事もあり、フレイは二人も疑い始める。

「おかしいわね。まさか二人ともあの馬鹿みたいにサボって……二人? まさかレンの奴、何も知らないアムをお酒の勢いで誘ったんじゃ!!」

させるもんですかと走り出したフレイだが、実際は当然のことながら違っていた。
宴のメインである街の中央から離れる事十数分、街外れとも呼べる場所にアムルとレンはいた。

「わ、わ……わっとっと!」

レンから繰り出される流れるような剣の連撃を、アムルは危なげな様子で避けていた。
隙を見つけては反撃を試みようにも、今だと思った瞬間には次の斬撃がせまっており退くしかなかった。
なかなか反撃を行う隙を見出せないアムルに、レンが言い放つ。

「どうしたアムル。避けてばかりでは勝つ事など決してできないぞ」

「解ってるよ、そんな事!」

「だといいがな」

挑発的な言葉を吐いた次の斬撃を大きく飛び下がったアムルは、腰を落としやや半身になって右手を左手で包み込んだ。

「はぁぁぁぁ!!」

右手からあふれ出す炎、魔法拳である。
だがそれを見て躊躇するどころか、逆にレンは一気に間をつめた。

「え゛! ちょ、待ッ」

「戦場で、誰が待ってくれると言うのだ?」

「ィギャアァ!」

その言葉の後、ゴインと峰を返したレンの剣がアムルの頭をしたたかに打った。
集中した魔力はその痛みであっさりと四散し、アムルは頭を抱えて地面を転がり始める。
ゴロゴロと何時までも転がり続けるアムルを見て、レンは剣を鞘に収めて手近な場所に腰を下ろした。

「痛い、痛い、痛い。レン、もうちょっと手加減してよ!」

「だからちゃんと峰を返した。しかし思ったとおり、魔法拳は威力は凄いが魔力を集めるまでのタイムラグが致命的だな。それでは実力が拮抗した相手には使えん」

「うう……チェリッシュの時はもうちょっと早かった気がするけど。その時のテンションで結構かわるかもしれない」

う〜んっと頭を抑えながらそう呟いたアムルを見て、レンは密かにその自己判断に笑みを浮かべていた。
己のレベルや技量、特性を知ることは強くなるための一歩であり、アムルは誰に言われるでもなくそれを行ったのだ。
無意識のうちにさえ強くなる意志をもっているからこそできる行いである。
今はまだレン自身よりも実力は遥かに下だが、追いつく可能性は十分にある事にレンは笑みを浮かべたのだ。

「さて、もう一度だけ手合わせをしたら」

「あー、こんな所にいたのね! レン、それにアム。私一人に情報収集させて、なにやってたのよ!」

「姉ちゃん、一人って兄ちゃんは?」

「あの馬鹿が真面目に情報収集するはずないでしょ! なによ、その顔は」

「別に」

フレイが現れた事で確かに顔をしかめていたレンだが、問われてすぐに顔をそらす。

「感じ悪いわね。そりゃあ? アムとの二人っきりの時間を邪魔されて怒るのもわかるけど」

「何が言いたい」

「姉ちゃんもレンも止めなよ。そりゃ少しサボってたのは認めるけど、ちゃんと情報収集もやってたよ。何もわかんな、わっぷ」

険悪なムードになりかけた所をアムルが割って入るが、当て付けるようにフレイがアムルを抱きしめた。
子供を相手に嫉妬もなにもないが、手合いの興もそがれたレンが黙ってこの場を離れていってしまう。
その後ろではますます抱きしめる力を強めたフレイがレンの背中に舌をだしていた。

「も〜、姉ちゃん……何考えてるんだよ。レン、怒っちゃったよ?」

「うるさいわね。アムがサボるからいけないんでしょ?」

「ちょっと手合わせしてただけなのに……」

「何か言った?」

そう凄まれて言われては何も言い返せず、アムルは黙り込むしかなかった。
チラリとレンの去った方向を見て、心の中で謝る。

「それにしても本当にこの街、エルフと友好的だったのかしら? しばらく聞いて回ったけど、収穫ゼロよ」

「…………そりゃそうだよ。完全にエルフが悪いとは言えないけど、十年以上も勝手に眠らされたんだ。誰も、今はエルフの事を思い出したくないよ」

「むっ、なに? 情報を集めようって私の提案が悪かったっての?」

「情報は確かに必要だし、そうは言わないけど」

その言い草が気に入らず、フレイは胸の中からアムルを解放してその顔を見た。
アムルの表情は確かにそう言っていた。
なんと言ってやろうかとフレイが考えていると、聞き覚えのあるが、聞きたくなかった声が聞こえた。

「でも一人だけは違うんじゃない? ね、お爺ちゃん」

「って、ルミィ?! それにお爺ちゃんって……」

それは、あの老人を伴ったルミィであった。
さすがにそのとがった耳はボリュームのある髪の毛の中に隠しているが、顔をほころばせている老人の前に立っていた。

「この子から、息子が生きている事を聞きました。こうして孫にまで会えるとは、再度お礼を申さなければなりません」

「どういうこと? なんでアンタが、それも生きてる事まで喋って」

「貴方たちが帰った後、すぐにお婆ちゃんが一人であの洞窟に来たの。すまなかったって、それから一緒に暮らさないかってお母さんとお父さんに言ったのよ」

「そっか、やっぱり女王様行ってくれたんだ。ちょっと安心した」

ほっとしたアムルの笑みに、何故かルミィが顔を赤くし、その事に気付いたフレイがムッと眉を怒らせていた。

「べ、べつにお母さんとお父さんがまだノアニールに居るはずだから伝えてきなさいって言ったのよ。私は、どうでもよかったんだけど。し、仕方なく」

「ああ、そう。良かったわね。これで用が済んだでしょ」

「まだ済んでないわよ。義姉さん?」

さっさと帰れと言わんばかりの言葉に、ルミィは逆に挑戦的にフレイを見上げた。
その孫の様子に全てを察した老人はにこやかに笑いながら、首をかしげているアムルを見ていた。
そして何故ルミィがノアニールまでやってきたかを説明する。

「なんでも閉ざされた門の封印を破る魔法かアイテムを探しているとか。その事でルミィはあなた方につげにきたのです」

「お婆ちゃんから聞いた話なんだけど、その昔イシスって国になんでも開けられる魔法の鍵って言うのを送った事があるらしいの。用途はお墓にそなえるって良くわかんない事だけど、それならまだあるかもって」

「イシス?」

「ロマリアから東南にあるアッサラームと言う街から、今度は西へ砂漠を突っ切った先にある王国じゃ」

思いがけない情報に、フレイの不機嫌は何処へやら、アムルと手を取り合って喜んだ。

「無駄じゃなかったわね。また距離を移動しなきゃなんないけど、何にも情報がなかった頃よりましだわ」

「砂漠かぁ……見たことないけど、どんな所かな」

「砂漠自体はあまりよいものでは有りませんが、イシスは代々美しい女王が治めていると言う。もしかすると魔法の鍵を送ったのも、女王が治めるという共通点があったからかもしれませんな」

「女王様ねぇ。そんなのはどうでもいいわ。大事なのは魔法の鍵よ、鍵。ありがとうね、ルミィ。私たちは、そこへ向かうわ」

私たちと言う点を強調したフレイだが、ルミィは逆に笑っていた。
それは相手の手を読んでいたかのごとく、勝ち誇ったものであった。

「何言ってるの? 魔法の鍵なんて、貴方たちが見て解るはずないでしょ? 私も一緒に行ってあげるのよ。だから宜しくね、義姉さん?」

「なっ…………」

「アムル、まだ宴は続いてるわよ。私、こんなに人が多い場所初めてなの。はぐれないように付き合ってね?」

「うん、別にいいよ。じゃあ、姉ちゃん。俺、ルミィと一緒に行ってくるから。兄ちゃんとレンに魔法の鍵の事伝えておいて」

「あ、こら待ちなさい! 何を勝手についてくる事に決めてるのよ。話を聞きなさーい!!」

宴の中心へとアムルの手を引くルミィをフレイが追いかける。
当然追いついたとしてもルミィの言葉を否定する事などできるはずもなく、ルミィが一行に加わる事となった。

目次