アムルが飛び出していった事で急に物静かになってしまった屋内が、ガチャリと開いた玄関の音によって動き始めた。 夫妻が、レンが、セイが振り返り戻ってきた人物を見た時、言葉を失った。 アムルの両頬に大きさの違う張り手の跡が、左右一つずつ付いていたからだ。 あまりにもはっきりと浮き上がっている手形が、張り手の威力を物語っている。 「た、ただいま…………」 いかにも痛いのだとばかりに両頬をおさえるアムルが小さく呟いた事で、ようやくセイが言葉を投げかけた。 「お前、一体なにやらかしたんだ? どうみてもフレイちゃんと、あの子。ルミィちゃん、だっけ? その子の手形だろ」 「よくわかんない。ただ、言わなきゃいけないことがあって、言ったら……姉ちゃんが怒り出して、二人が喧嘩して叩かれた。なにが悪かったんだろ」 「うちの子が? そんな、まさか」 まさかと呟いた夫人の思惑とは裏腹に、声が聞こえてきた。 声高に声を荒げ、まさに言い争う二人の声である。 自然と耳がすまされた。 「だから、アンタもあの過去の光景見たでしょ? アムルは別にアンタが好きで言ったんじゃないわよ。生まれてきてよかったねって単純に言いたかっただけなの!」 「違います。あの目は本気だったわ。まあ私エルフの血を引いてるだけあって可愛いし、アムルが好きになっちゃうのも無理ないのよね」 「なによガキの癖して、自我自賛? バッカみたい」 「そっちこそ、弟相手に嫉妬? 見苦しいにも程があるわ」 窓から、玄関からそっと外を覗けば、顔をつき合わせてにらみ合うフレイとルミィが見える。 まだお互いに口だけで手が出る様子はないが、手が出るまでそう時間が掛からないことは明白である。 外を覗きながら事情の見えない四人は一斉に視線で問いかけた。 事情を聞きたいと言う八つの目を前にして、腫れ上がった頬を押さえるのを止めたアムルが説明した。 「いや、あのね。さっき祭壇の所に行ったんだけど、夢見るルビーが過去を見せてくれたの。父さんがおじさんとおばさんを助けた当時を」 そう言われて夫妻がハッと気が付けば、アムルの手には夢見るルビーが握られていた。 「夢見るルビーにそんな力があったとは」 「それに夢見るルビーの入った箱には私が封印を施してあったはずなのに」 「夢見るルビーの力は良くわからないし、封印は勝手に解けちゃった。それで、父さんが誰にも祝福されぬのなら、せめて君たちがその子を祝福してやることだって言ったんだ」 オルテガと夫妻しか知らぬはずの言葉を聞かされ、過去を見せられた事が本当なのだと夫妻は確信した。 だが、問題はその後であった。 「だからルミィを祝福してあげないとって思って言ったんだ。おめでとう、そして愛してますって」 アムルがそう言おうとした理由は即座に理解できた。 それでもそう言ってしまった事を理解できた者は一人もいなかった。 そして何か悪い事言ったかと首をひねるアムルに対して、こいつは馬鹿だといた視線を惜しみなく注ぐ。 「無邪気って罪だよな。底なしに。その点俺はいつもどんな時でも本気だぜ。な、レンちゃん」 「鬱陶しい、近寄るな。まったく、フレイもなに本気で子供相手にムキになっているんだか。理解できんな。姑か、アイツは」 フレイはともかくとして、ルミィの方は表面上はアムルが愛していると口にしたから仕方なくと見せているが、まんざらでもなさそうである。 だからこそ、煮え切らなかったアムルの両頬に大きさの違う手形があるのかもしれない。 「アムル君と、ルミィの今後については後でじっくりと話すとして」 ウチの娘に手を出すんじゃないぞと言葉でクギさしながら、父親の方が切り出した。 「夢見るルビーを返す事に依存はありません。ですが約束して欲しい事が二つあります。一つは交換条件としてノアニールの街を目覚めさせるようにエルフの女王と交渉する事です」 「まあ、交渉次第で無理ではないだろうな。エルフの合理主義から、無意味に街を眠らせるよりは、宝を選ぶはずだろうし」 セイの言葉を聞いてから、アムルはコクンと頷いた。 だが、次の言葉を聞いて、同じように頷く事は出来なかった。 「私たちは自殺した事にし、最悪生きている事を告げても、居場所までは明かさないで欲しいのです」 その言葉にアムルは理解及ばず、視線をさまよわせていたがレンとセイは頷いていた。 「下手をすれば再度引き離され、ルミィの処遇は考えるだけでも恐ろしいな。閉鎖的な部族、種族は時として恐ろしい決断を下す事がある」 「目に浮かぶようだな。武装したエルフ、取り囲まれる洞窟。引き離され、抹殺される父と孫」 「そんな、母は……母は、そのような事…………」 「するかもしれない。心のどこかでそう思っているから、ココに住んでいるのであろう? 何処か遠い街に行くでもなく、隠れ住むようにして」 図星なのか黙り込んでしまった元王女を前に、アムルは我知らず、ぎゅっと夢見るルビーを握り締めていた。 何か違う、そう感じながらレンの言葉、父親の言葉を脳内で反芻していた。 そして、決断する。 「じゃあ、今から行こうよ。エルフの里に、夢見るルビーを返して、ノアニールの人たちを起こして貰える様に」 そうアムルが決意を新たにしている頃、外でにらみ合っていたはずのフレイとルミィはお互いに掴みかかり始めていた。 「まったく、アンタの不用意な発言で大変だったわよ! まっ、それでも別れ際のルミィの悔しそうな顔。今でもはっきりと目に浮かぶわ」 「あはは……はぁ」 そう言って笑いながらアムルの手を引いて先頭を歩くフレイの顔には、引っかき傷が数本見て取れた。 綺麗な金糸の髪も乱れ、後でしっかりと櫛を通さなければ後に響く事だろう。 見えないようにアムルが溜息をついたことには、幸いにも気づいていない。 洞窟を出るときにルミィは一行に、アムルについて行くとの一点張りだったが両親の、特に父親の必死の引止めに泣く泣く見送ったのだ。 ついて行くと言っても、アムルが来てほしそうな目で訴えてくるからついて行ってあげると、かなり遠まわしな発言だったが。 「ところで、夢見るルビーを返すのは良いが、本題忘れてきてないか? 俺達は元々、ロマリアの門を開ける道具を貰いにきたんだぜ?」 「確かに少し趣旨がずれはじめているな。夢見るルビーの変わりに、ノアニールを目覚めさせる。ならば門を開ける道具の変わりに、何かを要求されると考える方が普通だな」 「三人の居場所を教えるのと交換、ってわけにはいかないしな」 セイの言葉に、アムルが顔をしかめていた。 「本当にそれでいいのかな? 居場所も教えず、できれば自殺したという事にして欲しい」 「そんな事言ったって、仕方ないじゃない。折角手に入れた平穏を私たちの都合、と勝手な思いで壊せないでしょ?」 全くの正論だが、それでも納得できない様でアムルは顔をくしゃくしゃにして考え込んでいた。 一番良い方法は、もっと別にあるのではないかと。 そう感じるのは、彼ら夫妻の抱える矛盾からであった。 フレイに手を引かれながらも考え続けるアムルに、足早にセイが近づいてポンと頭に手を乗せた。 「お前が思うようにやってみたらどうだ?」 「って、アンタは何を無責任な事言ってるのよ。アンタもさっき言ってたじゃない。引き離されるかもって」 フレイの非難の声にセイは当然といった口ぶりで答える。 「まあそうなる可能性もあるし、なにも状況引っ掻き回して逃げるわけじゃない。失敗したらしたで、責任持って夫妻を逃がせばいい。それなら無責任じゃないだろ?」 「確かにな。一番最悪なのは、夫妻が引き離されること。ならば引き離される直前になっても、三人を上手く逃がす事ができれば問題ない」 「レンまで……でも十年以上も住んだ場所から逃げさせられても困るじゃない」 「そうかな?」 アムルの言葉にえっと驚くと共に、フレイの手が離れる。 「結界が張られてるっていっても、薄暗い洞窟で、家族以外誰もいない場所で。住み、慣れたと思う? 俺は思わない。それに見つかるんじゃないかって外も歩けず、怯えて」 引き離されない代わりに、ずっと見つかる事に怯えて生きていかねばならない。 なによりも……今はそうでなくても、いつか諦めてしまう時がくる。 そうなれば本当に終りだと、アムルは見えてきたエルフの里を眺めて、力強く足を踏み出した。 エルフの里、そこはまさに森であった。 森の中に里があるわけでも家があるわけでもなく、森がそのままエルフたちの家であった。 樹齢何年なのか推察する事すら出来ない巨木をくりぬき、ドアをはめ込んだ家々。 そんな里で少ないながらも営みを続けるエルフたちであったが、アムルたちが近づくにつれ上げたのは叫び声であった。 「人間よ、人間が来たわ!」 「女王様に連絡を、女子供を隠せ。さらわれるぞ!」 言葉どおり女子供は怯えるように逃げ出し、男たちは手に弓を持ち木々を盾に待ち構える。 何時攻撃されてもおかしくない状況の中、アムルが先頭で里の奥へと歩みを進めていく。 「さらわれるね。一体何時の時代の話かしら?」 「十二年前か、それよりももっと前か。おいセイ、状況が状況だ。エルフの美しさに惑わされて下手な真似して、私たちを巻き込むなよ」 「しないさ」 やけに落ち着いた言葉に逆に大丈夫かとレンは訝ったが、気をアムルに戻した。 いつ弓を放たれても助けられるように。 四人がどんどん里の奥へと向かって歩いていく中、一人のエルフが立ちふさがる様にして話しかけてきた。 「貴様たち、何をしにきた。いや、目的はいい。今すぐ去ればなにもしない。だが、去らぬのならば!」 軍服に似た深い緑色の服を着たそのエルフが言い終わるのと同時に右手を上げた。 おそらくあの手が下ろされたとき、木に隠れながらもアムルたちを取り囲んだ男たちに弓を撃たせるつもりなのだろう。 里の奥へと進む足を止めたアムルたちに、ギリギリと弓の弦がきしむ音が周りから聞こえた。 本当に何時弓が放たれてもおかしくない状況で、アムルは一度大きく息を吸い込んでから言った。 「夢見るルビーを返しにきました。女王様に会わせてよ」 弦の軋みがおさまり、声によるざわめきへと変化した。 本当にと尋ね返される前にアムルは夢見るルビーを掲げて見せて、答えを待つ。 「本物、のようだな。少し待て……一応言っておくが下手な真似はするなよ。誰か女王様をここへ」 「もう、来ておる」 男が叫んだすぐ後に、エルフの女王は里の奥からゆっくりと歩いてきた。 ルミィや元王女と同じ金の髪、白い肌は日の光に焼けるという行為を知らず、体の線は細い。 さらに孫がいる年齢にも見え無いほどに若く、ここにいるエルフたちの誰よりも美が飛びぬけていた。 「女王、勝手に出向いてもらっては困ります」 「すまぬ、懐かしい魔力を感じたのでな。確かに夢見るルビーである。人間の子よ、お主たちの言いたい事はわかっておる。ノアニールの件であろう?」 女王の言葉に頷いたアムルは、何かを待っているようであった。 「ではコレを持っていくが良い。目覚めの粉、これで街人の目が覚める」 「なによ、なんなッ!」 「姉ちゃん、待って」 拾え言わんばかりにどさりと地面に投げ出された袋に、フレイは激昂しかけたが、アムルの手に引き止められる。 アムルが待っていたのはそれではないのだ。 待っていたのは、 「どうした? はよう拾わぬか」 「ねえ、なんで聞かないの? このルビーを誰から手に入れたのか、どうやって手に入れたのか」 「聞かずとも解るからだ」 不意のアムルの問いかけにも、女王が戸惑いすらしなかった事にアムルが薄く笑う。 「そんなんだから。何もかも解ってるような振りして、何もわかってないから」 「私を愚弄するつもりか?」 「じゃあ何がわかってるのさ。そうやってわかってる振りをして言葉を閉じて。何もかも解ってるなら、なんでおばさんが欲しがってる言葉をあげないんだよ。なんで言ってあげなかったんだよ!」 アムルが声を荒げるのと同時に、ルビーを握る手から炎が舞い上がる。 アムルたちを取り囲んでいたエルフたちが弓を構えた。 それでも構わずアムルは夢見るルビーを握る手に力を込め、やがて夢見るルビーが軋んだ音を立てた。 「な、なにをしておる。ルビーが、あの子供を止めよ!」 即座に女王の命令を遂行したエルフたちが、迷うことなく弓でアムルを射った。 アムルへと真っ直ぐ飛んだはずの矢は、アムルへと突き刺さる事は無かった。 レンのないだ剣に折られ、セイのバギが生み出す風に遮られ、フレイのギラによって燃やし尽くされて消えたからだ。 だがそれで終りと言うわけでもなかった。 「あ〜もう、私まだちょっと話が見えてないんだけど! やばいわよ、次の矢を用意してるわ。次が来るわよ、次が!」 「俺はだいたい解ったけど? レンちゃんは?」 「とりあえず、アムルが何をするつもりかは……ルビーを壊す気だな」 次の矢を警戒しながらもアムルを見ると、レンの言うとおりであった。 「おばさんは待ってたんだよ。隠れるならもっと里から遠い地で隠れれば良いのに、探しに来てくれるかも。一人の親として愛してくれているのなら、探しに来てくれるはずだって待ってたのに!」 おそらくアムルの言葉の何割もエルフたちには伝わっていない事だろう。 アムルが自分の主観で言葉を喋っているからだ。 ただ推察するなら、できない事も無かったが、それに成功したのはたった一人であった。 「まさか、あの子は」 「そうだよ。生きてるよ、この里の近くに住んでる! 子供だっていて、ちゃんと愛してるのに。なんで!」 仕上げとばかりに頭の少し上へとルビーを放り投げたアムルに、女王は我が身を省みずに駆け出していた。 「止めろ!!」 どちらを止めたかったのか。 一瞬の葛藤。 夢見るルビーの破壊か。 それによって我が子を知る者を断罪せねばならないことか。 女王の目の前で、夢見るルビーは粉々に砕け散った。 そこはこのエルフの里にある女王の家であった。 特別豪華に飾り立ててあるわけでもなく、家の元となった樹木が森で一番古い巨木である事だけが他の家との違いである。 そんな巨木の家の中から声が漏れ聞こえてきた。 笑い声、幾重にも積み重ねていく中でもっとも親しく、大切な団欒の声。 窓を覗けば声の主は四人いた。 見目麗しいエルフの女が二人と、赤ちゃんで三人、そこに人間の男が一人溶け込んでいた。 「お母様、ルミィが今日は喋ったのよ。ママって。それでこの人ったら次はパパって呼ばせるんだって。でもママしか言わなくて」 赤ちゃんを抱いたエルフの女性が、赤ちゃんをあやしながら嬉しそうに報告する。 その内容にエルフの中に混じっていた一人の人間の男が、憮然としながら抗議した。 「それはお前がずっと抱いているからだろ。明日こそは絶対パパと呼ばせるんだ」 「ふふ、できるかしら? お母様……どうかなさいました?」 「いや、つい先日まで子供だと思っていたお前がママか、私も祖母なのだな。複雑だが、悪くない」 この家で一番年上の女性が笑い、自分の子の胸で眠る孫の頬を撫でた。 返される無邪気な微笑みに、自然と頬が緩んで悪くない想いがあふれてくる。 そう、エルフの王女が本当に欲しかったのはこの光景なのだ。 特別なものなど何一つ無い。 されどその一瞬、全てが特別であるこの光景が。 そう気づいた時、その光景は薄く消え去るようにして白い光の中に消えていった。 「今のは……夢、だったのか?」 「夢だよ。夢見るルビーが見せてくれた夢。でも、女王様の気持ち次第ですぐに手に入る夢、ほんの少し優しく、勇気をもてば手に入る」 「私が」 アムルの呟きに、呆然としながらも確認するようにエルフの女王が呟いた。 それと同時に、どうして王女の気持ちに気付いてやれなかったのかと後悔が押し寄せてくる。 後悔、それのみしか考える事の出来なくなった女王に、誰かの叫び声が届く。 「夢見るルビーが!」 そこでようやく女王の思考回路が、正常に繋がった。 アムルの右手で砕け散った夢見るルビー。 粉々になった夢見るルビーは風に流されるように、エルフの里に広がっていく。 そして砕け散った欠片の一つ一つが光り始めると、エルフの里をその光で飲み込んでいった。 「ルビーは……」 「今は粉々だよ。でもいつか甦る。夢見るルビーは夢の結晶だから。夢を見て、叶え続けていけば、いつか必ず甦る」 「夢の結晶……では先ほどの夢は」 「誰の夢なんだろうね。十年以上も持ち歩いていた人の、どうしても叶えたい夢かもね」 そう、エルフの村さえ飲み込むような力強い夢。 エルフと人間の共存をそれほど強く思い続けた者は、誰であったのか。 「生きているのか、私の娘は」 「知らない」 生きているのかという疑問をアムルは、答える事を断った。 問題なのは望んで探す事なのだ。 探しながら愛しているという言葉をあらわして、伝えればいい。 元王女がこんなにもエルフの里に近い洞窟で隠れ住んでいたのは、探し出して欲しかったのだ。 愛しているという言葉の代わりに、探し出してほしかったのだ。 だが誰かに言われてではなく、女王自らが自分の意志で探さなければ意味が無い。 「行こう、姉ちゃん。レン、兄ちゃん。もう、ここには用がないから」 「アンタ、知ってたの? 夢見るルビーが夢の結晶だって。でもそれじゃあ、あの光景は? 私とアンタ、ルミィが見た過去の光景も夢? アンタが父さんに愛して欲しいからって見た、ただの夢なの?」 「半分は俺の夢だと思う。でも愛してくれているのは事実だよ。俺は父さんの子だから」 そう言ったアムルをフレイは黙って抱きしめてやった。 自分も愛していると言えばよかったが、すこし恥ずかしかったのだろう。 その分力強く抱きしめて、言えない分を伝えた。
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