第二十話 ノアニールの呪い


ロマリアの関所を離れたアムルたちは、一度ロマリアに戻り王の元を訪れた。
そして近辺に住むエルフの情報を貰いうけ、一路北へ、カザーブよりもずっと北のノアニールを目指した。
ただ一言、ロマリア王の無駄足になるかもしれないという言葉を貰っていた。
ノアニールは、エルフに呪われた街だったのだ。
その意味は、足を踏み入れて一秒と発たずに目の当たりにする事になった。

「これが、呪い?」

真っ先にポツリとフレイが呟いたとおり、街の人が全員眠りに陥っていたのだ。
ある子供は犬の散歩の途中で、ある主婦は井戸に水汲みに来て桶をもったまま、若い男女が手を繋ぎながら寝ていさえいる。

「お〜、すっげぇ。みんな立ったまま寝てるよ。イッテ」

「嬉しそうに言うんじゃないの。眠らされてる人の気持ちにもなりなさい。まったく、これがダーマも匙を投げたエルフの呪いね」

「ダーマが? へぇ……ダーマがね」

アムルとは違う気色の嬉しそうな声をセイが上げたため、フレイは怒るよりも呆れて言った。

「アンタまで何を嬉しそうにしてるのよ。一応僧侶でしょ? その総本山でもあるダーマが匙を投げてなんで嬉しそうなのよ」

「べっつにぃ」

両の手のひらを空に向けて肩をすくめると、セイはフレイの追及を受け流して一人の街人へと近寄る。
十七、八頃の女性で、デートにでも送れそうだったのか、短めのスカートで走ったまま眠っていた。
その眠ったままの女性の前でセイは考え込むように、見つめていた。
そして、意を決したように腰を屈めそのまま女性のスカートの中を覗こうとして、

「なにをしている」

「アウッ」

街の中を見回ってから戻ってきたレンに、剣の鞘先で下げた頭の後ろを突き刺された。
音はあまり出なかったが、レンが指した鞘先をグリグリとねじったため痛みはセイの悲鳴が証明していた。

「イダダダダ、刺さッ。だめ、グリグリ。するのはいいけど、されるのはどうもッ!」

「どうやらこの状況は街中に広まっているようだ。これでは到底エルフの情報など入りそうもないな」

「そう、王様の言うとおり無駄足になっちゃったわね。となると、どうしようか」

「あ、やば。新たな感覚に目覚めそう」

痛がるセイを無視して会話を続けた二人だが、悶えはじめそうになったため、体ごと引いた。

「気持ちわるぃ。変態だ変態だと思ってたけど、アンタやっぱり」

「なんで?! いいじゃねえか、ってレンちゃん。汚物をつついたように俺のマントで鞘を拭かないで」

「汚物の方がまだマシだ。フタをすればいいだけだからな」

「なんかどんどん扱い悪くなってない?! …………そうか、はっは〜ん」

閃いたとばかりにセイの目つきが変わり、フレイとレンはさらに引いた。

「照れてんだな、二人とも! 大丈夫、俺はいつもふたッ」

気持ち悪くもウィンクしながら投げキスをしようとした所、硬い物がセイの腹にめり込んでいた。
握りこんだアムルの拳である。

「姉ちゃんは照れてない。言ったよね、勘違いしないでって」

グリグリと拳をねじりこむ。

「あら、でも気にかけてもらって悪い気はしなかな」

「ム〜ッ!」

「イダ、アイダダダ。わか。フレイちゃん、わざと。止めて、レンちゃん。見てないで、トメ」

わざとそう言ったフレイの台詞で、アムルの拳のねじりぐらいが加速した。
腹に拳がめり込んだ事でセイは息は吐けるが吸えない状況に追い込められ、段々と顔が青くなってきている。
そこへ四人のいる場所とは違う場所から、通りの砂利を踏みつける音が聞こえた。
セイ以外が一斉にそちらを向くと、一人の老人が杖を付いてそこにいた。
多少こちらの事に驚いているようだが、警戒とは違う、疲れた暗い顔をこちらに向けてきていた。

「久しぶりに声が聞こえたかと思えば、この眠りの街に何か用でも?」

眠らずにいた人がいるとは思っていなかったので反応は遅れたが、レンが答えた。

「エルフに会いたいと思って訪れたのだが、ご老人はこの街のものですか? それならば」

「確かにワシはこの街のものじゃ。それも街をこんな風にしてしまった原因のな」

深く重苦しい溜息を吐いた老人は、見た目からさらに一回りも二回りも小さくなってしまったように見えた。
自らの街を眠りの街に陥れてしまったのなら、わからないでもないが。
その言葉は一行の興味を引くには十分な言葉であった。
頷きあい、レンに視線をよこす。

「ご老人、もしよければ詳しく話してもらってよろしいか」

「ああ、得に隠し立てしているわけでもない。少し長くなるので場所を変えよう」





エルフは人に比べてその数も少なく、世界に集落が点々と存在するのみである。
魔力のポテンシャルの高さというプライドと、人と比べた絶対的な存在数の少なさから友好的とは言いがたかった。
それでもノアニールは、世界でも珍しいエルフと友好のあつい街であった。
あふれるほどとは行かなくても、街にはエルフの姿が常に見え、人がエルフの里へ案内される事さえあった。
だがそれも十二年前、人の男とエルフの女によって壊される事となった。
二人が恋をしたのである。
そのこと自体は決して問題ではなかったのだが、エルフの女はエルフの里の女王の娘、王女だったのである。
ノアニールとの友好から純潔のエルフの数が減る中、それは大きな問題となった。
純潔だけではない。
いずれ生まれるであろう子、純潔でないその子に対する王位継承を認められるのか。
二人が引き裂かれる事が決定するのに時間はかからず、完全にそうなる前に二人は駆け落ちをした。
そして、

「本当の問題はそこからでした。駆け落ちをしただけでも問題であるのに、二人は事もあろうにエルフの宝の一つである夢見るルビーを持ちだして逃げてしまったのです」

老人の家に案内をされてテーブルに着くと、老人は息をつく事がないほどに一気にそう話して言った。
十年以上も眠り続ける隣人を見続け疲れ果て、楽になりたかったのだろう。
まだ、その話は続いた。

「その事は調査に来たダーマの神官たちには話したんですか?」

「はい。おかげでこの街を眠りに陥れたエルフを一方的に弾圧する事ができず、ダーマが独自で呪いを解く方法を探りましたがダメのようでした。ですが、話さなかった事が一つあります」

フレイの質問に答えた老人は、いつも手元に持っているのか一通の封筒を取り出した。
白く長細いその封筒の表面には一言、遺書と書いてあった。
まだ二人は逃げたとしか聞かされていないが、その意味を知り誰かが喉を鳴らした。

「二人は確かに駆け落ちをしましたが、他国へ逃れたわけではありません。ただ誰にも祝福されなかった事を悲しみ、いずれ生まれてくるであろう子ごと身を投げました」

「子供ごと……」

状況からそう言ったとはいえ、親が子を殺す。
そのことにアムルが寒気を感じたように自分自身を両腕を回して抱いた。
オルバがオルテガに殺してくれと頼まれた事を思い出したのだ。
なにかそうしなければいけない理由があるのだと思えはしても、やはり心の底から寒々とした風のようなものが吹いた気がした。

「アム、大丈夫? 顔色悪いわよ」

「うん、大丈夫。ちょっと……手かして」

何かを言おうとして、結局何も言わずにアムルはフレイに手を差し出して握ってもらった。
指先がとてもつめてく冷えていたおかげで、姉の手が温かかった。

「しかしご老人、ダーマの神官にさえ話さなかった事を何故我々に?」

「二人が身を投げた場所を荒らされたくありませんでした。せめて死後ぐらいは…………そしてもう一つ、あなた方にお頼み申したい事があるからです。この遺書には二人が身を投げた場所が記されております。そこへ行って夢見るルビーを取ってきていただきたいのです」

何故とは誰も聞かなかった。
目の前の老人はやせ細り、恐らくまだ初老であろうが明日にでも身の危ないようにも見える。
どう答えるべきか、すでにレンの中では答えは決まっていたが、一応三人に目を向ける。

「どうする?」

「私は構わないわよ。夢見るルビーを返せば、封印の開錠方法を聞くきっかけにもなるし。なにより身投げじゃお墓もないでしょ。造ってあげなきゃ、可哀想じゃない」

「俺もいいぜ。愛の伝道師としちゃ放っておけないし、欲の塊みたいな僧侶でよけりゃ、祈りぐらいささげてやれる」

「アムは?」

うつむく様にして握ったフレイの手だけを見ていたアムルは、顔をあげた。

「俺も行く」

「決まりだな。ご老人、その遺書見せてもらえるか?」

その言葉に少しだけ疲れが抜けたような顔をした老人は、素直にそれをレンへと手渡した。





残された遺書には、ノアニールから更に東にある地底の湖が記されていた。
ご丁寧にその洞窟の場所から内部の詳しい地図まで遺書には入れてあった。
遺体を回収して欲しかったのか、駆け落ちした二人が何を思って地図を同封したかは、わからない。
一行は地図を頼りに、ノアニール東の森を突っ切っていた。

「ねぇ、アムル。もうちょっとお姉ちゃんにペース合わせてよ。何そんなに急いでるのよ」

「あ、ごめん」

フレイの非難がましい声にアムルは振り向くが、数秒と待たないうちにまた歩いて行ってしまう。

「もう、何慌ててるのよ。そんなに急いでも洞窟前で野宿決定だってのに」

ノアニールをに入ったのが昼近くであり、本当なら老人の家に泊めてもらってから来る予定であった。
アムルが早く行こうとせかしたのだ。
誰もが身を投げた二人を早く手厚く葬ってやりたいのだと思ったのだが、どうも他に理由がありそうだ。

「あ〜、俺ももう歩けない。だりぃ……」

「貴様は単に普段の不摂生のせいだろう。毎晩、毎晩遅くまでゴソゴソと五月蝿いぞ」

「あれ、いやだなぁ。そんなに心配ならそっちから夜ばぃ……」

「何か言ったか?」

「いえ、なにも」

ちらつかされた剣を前に首を横に振ると、セイは先を急ぐアムルを見てから足を重そうに歩き出した。
すでにノアニールを発って数時間は経ったろうか。
元々日を枝がさえぎるため薄暗かった森が、日が落ちてきたようでさらに薄暗くなってきている。
レンは最後尾にいるフレイと、先頭にいるアムルを見比べ声をかける。

「アムル、それにフレイ。あまり離れすぎるな。これから更に暗くなるぞ。はぐれないように、緊急に動けるようにもっと固まって動くんだ」

「私はもとより、そのつもりよ」

「フレイちゃんはともかく、アムルが先行しすぎだな。アムル!」

少しでも立ち止まればアムルの背中が立ち並ぶ木々に隠れてしまうほどに距離が空いていた。
セイにまで呼ばれてはとしぶしぶ戻ろうとしたアムルの目の前を、黒い何からかなりの速さで通りぬけた。
うわっとアムルが叫び、それを目で追うと、近くの木の枝に留まった。
大ガラスよりも素早く強いデスフラッターである。
一匹、また一匹と集まってくる。

「アム、伏せてなさい。邪を貫く光を我に与えたまえ」

「馬鹿止めろ。ここは森だぞ!」

レンに止められあっと気づくが、アムルはすでに複数のデスフラッターに攻撃を受け始めていた。
アムルも必死に叩き落そうとしているのだが、木から木へと飛び移るようにして攻撃を仕掛けてくるデスフラッターの動きを捉える事が出来ないでいる。

「フレイちゃんは下がって、レンちゃんはアムルの所に。アムル、一瞬だけデスフラッターの動きを止めるぞ。狙え!」

二人を従えるように言ったセイは、両手を袂に置いて呟く。

「天と地にあまねく精霊たちよ。汝らの偉大なる力をもって邪を裁く一刃の風を与えたまえ、バギ!」

カマイタチには程遠い風がセイから吹いた。
だがそれでもその予測不可能な横風に、アムルへと襲い掛かろうとしていたデスフラッターの動きが、目に見えて遅くなった。
体の姿勢制御で手一杯といったところに、アムルの拳が、走り寄ったレンの剣が駆け抜けた。
デスフラッターの動きがおかしくなったのは一瞬でも、一瞬後にはデスフラッターはすべて地に伏していた。

「上出来、上出で、ブッ」

「アンタ邪魔。アム、大丈夫だった? 何処か怪我したりとかしてない?」

「うん、大丈夫。ちょっと突つかれたけど、血も滲む程度だし」

「そっか、よかった。ねえレン、ここから地底湖の洞窟までどれぐらいなの? アムの怪我治療したいし、野宿の準備をするならそろそろ薪とか集めた方がいいんじゃない?」

やるべき事を二つ上げたが、あきらかに前者の比が大きいであろうフレイの台詞を聞いてレンが地図を覗いた。
ほとんど見えない太陽を見上げ、歩いてきた道のりを振り替えりしばし考え込む。

「もう一時間も掛からないとは思うのだが、あと三十分歩いたら着いても着かなくても準備を始めよう。おい貴様、何を暢気に寝ている。行くぞ」

「折角活躍したのに、報われねぇ……」

呟いたのは、フレイに突き飛ばされて地面に顔から倒れていたセイであった。





結局レンの言葉どおり一時間どころか三十分かからずに地底湖のある洞窟へと一行はたどり着いていた。
洞窟の入り口付近は木も茂ることなく誰かに整えられたようにスペースがあり、そこに簡単なかまどを作り火をおこした。
干し肉を火であぶり、干しぶどうなどの保存食を腹につめ、見張りを一人残して眠りについた。
一人見張りとしておきていたのはセイであり、火が消えないように燃える薪をつついては、くべている。

「しかし、思った以上に体力が落ちてるな。酒も最近はあんまり飲んでないのに……止めなきゃだめかな」

燃えるかまどの火で自らの腕を照らして呟く。
その腕は無駄な肉は殆どついていないように見えるが、セイ自身がそう思うのなら筋力も落ちているのだろう。
筋力等落ちる原因となったコレまでの不摂生を思い出していると、寝ている三人のうち一人がもぞもぞと動いた。

「眠れないのか?」

「…………うん」

「寝酒ってわけにはいかないか。お茶でよければいれるぜ?」

動いたのはフレイのそばで寝ていたアムルであった。
セイの言葉に惹かれるように、寝具にしていたマントを被ったままかまどに近づいた。

「お前がこんな時間に起きるなんて珍しいな。まあ、わりと察しはついてるが。お前の様子が変だったのは、ノアニールの爺さんに話を聞いてからだな?」

「じいちゃん、生まれてくる子ごと身を投げたって言ってた。殺したんだよね、自分の子供を」

「オルテガの、父ちゃんのことか」

話しながら手持ち無沙汰になったセイは、またしても薪を一本かまどに放り込んだ。
それは誰もが、フレイはもちろんレンでさえ避けていた話題であった。
セイは又聞きであるが、オルテガがアムルを殺すために親友を使わした事を聞いている。

「二人が身を投げた場所に行けば、何かわかるかなって思ったんだ。どんな思いで、気持ちで、死んだのか。子供を殺す決心をしたのか」

「……ほら、お茶だ」

熱そうに入れたてのお茶の表面に息を吹きかけて、一飲みしてからアムルは続けた。

「でも、本当は解ってる。悩んで悩んで、悩みつくして。それでもどうしようもなくてソレしか手が無くて。父さんは決めたんだと思う。理由はわかんないけど、たぶん俺を殺すことでたくさんの人が救われるんだと思う」

火傷するほど熱いお茶に、水滴が落ちた。
ポロポロとアムルの瞳から流れ落ちては、カップの中に沈んでいく。

「父さんは勇者だから。大勢の人を助けなきゃいけないのはわかる。でも…………俺を取って欲しかった。たくさんの人よりも」

「こんなこと言うとお前は怒るかもしれないが、オルテガは勇者になりきれなかったんだ」

カップを抱えて蹲るように鳴いているアムルの肩を抱き寄せて、その頭を抱え込むように腕を回した。
捨てられたものは、きり捨てられた者はもう見ていられないと、その頭をなでる。
誰も犠牲にしない真の勇者がみたいとセイの口から言葉が放たれる。

「本当の勇者なら、どんな絶望的な、悲観的な状況でさえ。大も小も両方救えるはずだ。どんなに大人数を救えても、誰かを犠牲にして生き残ったそいつらは幸せか? 犠牲を無駄にするななんて生き残った奴らだから言える台詞だ」

抱き込む力を更に強めた。

「捨てられた奴らはお前みたいに泣くんだよ。だったら、お前は勇者になってみろ。大も小も、一人の犠牲もなく全てを救える勇者になってみろよ」

コクリと頷き、アムルはそのまま崩れるようにセイにもたれかかってきた。
どうしたのかと顔を覗き込んでみれば、眠っていた。
セイの言葉に何かしらの意味を見出して安心したのか、決意を胸に秘めたような顔をして目を閉じていた。

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