第十九話 師のあだ討ち


「余計な邪魔を!」

「ビーッ!」

黒いローブに身を包んだ少女が舌打ちをした通り、彼女の手にあるナイフは機転をきかせたキーラによって歯でとめられていた。
そのまま少女は隙をうかがうように、アムルは驚きと困惑、そして怒りを顔に貼り付け構えた。

「いきなり何するんだよ、危ないじゃないか。キーラ、大丈夫? 口切れてない?!」

「ピ、ピ〜……」

「ふん、いい気味よ。魔物の癖に人間なんか護って。本当なら貴方の腹を割いて血と苦しみの海の中で殺してやろうとしたのに! 貴方だけは」

「ング、知らない人に殺される覚えなんて無いよ」

言葉の頭で詰まったのは、知り合いになら殺される覚えがあったからだ。

「貴方が知らなくても、私には貴方を殺す理由があるのよ。貴方が、絶対に許せないんだから!」

「くっ、こんの!」

ローブをばさばさと風になびかせながら、再度少女がナイフを片手に迫ってきた。
その動きは決して素早いとは言えず、余裕をもってさけると、彼女のローブを思いっきり引っ張った。
少しバランスを崩させるつもりが、少女が自分から脱ぎ去ったのか、ローブはいともあっさりと脱げてしまった。
そして現れたその姿。
黒く肌に張り付くようにして出来ている上着と短く織り込まれたスカートは得に特徴という程の物ではないのに、その姿がアムルに誰かを思い出させた。
その顔、肌は日の光を知らないかと言うほどに白く、両端で縛った髪は淡い桃色であったからだ。

「君、魔族……なの?」

「そうよ。でも、そんな事は関係ない。貴方は落ちこぼれの私を拾ってくれたあの方を、優しかったあの方を殺した。それで十分よ!!」

「殺した?!」

「なにを白々しい。あの方を、ザイオン様を殺したくせに!」

その言葉がアムルの中で時間を止めてしまうには、十分すぎる言葉であった。
アムルとて、全てを直感で知る事ができるわけではない。
何にも左右される事のない勘であるからこそ、自らの思考でコントロールする事はむりなのだから。
呆然と、少女がナイフを両手で支えて迫ってくるのにもかかわらず立ち尽くしている。

「ザイオンが……死んだ」

「死んでちょうだい、アムル!」

全ては彼女の、目の前の少女の涙が全てを語っていた。
ザイオンが、死んだと。

「アムッ!!」

ようやくこちらの事態に気づいたフレイが叫ぶ、だが距離がありすぎて間に合わない。
だが、叫ぶだけで十分であった。
ハッと我に返ったアムルは、顔面に向かってくる刃先を慌ててかわし、一度距離をとろうと後ろへ後退した。
だが目の前の少女はそれでも諦めず食いついてくる。

「ザイオン様は、大怪我してたのに。貴方なんかを助けるために」

「くっ」

「あの方がいなかったら、私は誰に。誰を師と仰いで」

「師?」

跳び下がり、後退を続けていたアムルの足が止まった。
その顔が困惑から覚める様にして、変化する。

「君が、ザイオンの!」

右足を引いて半身になると、アムルは一気に前へと、少女へと向かっていった。
その急激な方向転換に明らかに少女は反応が遅れ、刻一刻と顔へと迫るアムルの拳を何も出来ずに見ていた。
だが、直撃の瞬間拳は止まり、アムルの姿が視界から消えた。

「こっちだよ!」

わざわざ声が上がったのは少女の背後。
振り返るよりも先に、アムルの足が少女の足を払い、その体を宙に浮かせた。
だが少女も浮いた体で無理に体をひねり、アムルへと片腕を向けていた。

「調子に、のらないで。邪を貫く光を我に与えたまえ、ギラ!」

右腕から膨れ上がる閃光が、すぐそこにいるアムルへと向かうが、アムルは避けるそぶりも見せずに単に右手を上げた。
突き刺さるはずの閃光が止まり、徐々にアムルによって握りつぶされていく。
閃光がアムルに握りこまれ消え去る様は、少女にとってどのように見えただろう。
ただ、怒りに身を任せてアムルに突っかかる気概だけは確実にそがれていた。
足払いによって浮いた体を地面に打ちつけ、血の気も少し引いていただろう少女を見て、アムルは小さく呟いた。

「もう、いいや」

消え去った閃光の変わりに、アムルの右手に炎が生まれた。

「えっ?」

術者自身であるアムルさえ飲み込むかのような炎は、やがておさまり、アムルの右手に宿った。
アムルはそのまま拳を振り上げ、未だしりもちをついている少女へと振り下ろした。
地面をえぐり、土を膨れ上がらせた衝撃は軽々と少女を吹き飛ばしたが、その悲鳴は困惑交じりであった。
再度地面へと体を打ちつけて、ようやく純粋に痛みによる悲鳴を上げさせた。

「もう、いいよ。君じゃ、僕に勝てないよ。だからこれ以上怪我する前に止めよう? ね?」

吹き飛ばした事を謝るよりも先に、アムルは痛みに打ち震えている少女にそう告げた。
だが、少女は震えながらも必死に体を起こし、アムルを睨むようにした。

「ふ、ざけないで。ザイオン様の仇は、私が」

少女の行動と言葉は、美しい師弟愛とでも人は評するかもしれない。
だがアムルは私がと言う言葉を聞いて、初めて少女に対して怒りを見せた。

「ザイオンの弟子だって言うなら、それ相応の力を見せてよ! 単純に喚いて叫ぶだけなら誰でも出来る。ザイオンの弟子じゃなくてもいいんだよ!」

いくら自分で落ちこぼれと認めてはいても、全くの他人には言われてよい言葉ではなかった。
今までとは違う種の激昂に駆られそうになった少女だったが、アムルの言葉はまだ終わっていなかった。

「ザイオンの弟子ならもっと強くなってよ。君がそんなんだったら、俺は誰と戦えばいいの?! ザイオンとの約束を、強くなるって約束を誰と果たせばいいの?! もっと強くなってよ!」

少女にしてみれば、勝手な事をと思える言葉であった。
それでも、少女には怒りよりも感じるものが胸に去来していた。
師が少年へと残した約束。
自分が今仮に目の前の、自分よりも小さいのではと思えるような少年を殺しても、ザイオンは返らない。
返らないどころか、自分で殺せる程度の強さならば師は、自分に少年に対して怒るだろう。
では、殺す以外にどうすればよいのか。
戦う事。
落ちこぼれなんて言葉を捨て、強くなり、そして目の前の少年と今一度戦う。
少女は痛む体を押して、立ち上がった。

「アムル、貴方は今よりももっと強くなるつもり?」

「もちろん!」

「ザイオン様よりも?」

「うん、目標なんだよ。今わかった。ザイオンが父さんみたいになりたいって思ったみたいに、俺もザイオンみたいに強くなりたいって思ったんだ。初めてできた強さの目標なんだよ」

今一度、少女は師を素晴らしい人物だったのだと、奇しくもアムルの言葉によって再認識した。
死してなお、生きる者に影響を与えている。
ならば自分も、今よりももっと強く、師に恥じぬよう強くならなければならない。

「わかったわ。私も、いずれザイオン様に匹敵する力を身につける。すぐには無理でも、いつかかならず。その時には」

「戦おう。お互い今よりもずっと強くなってから」

少女は頷いた。

「私の名はチェリッシュ。ザイオン様の弟子、チェリッシュ、忘れないで」

「うん、俺はアムル。絶対にいつか会いに行くから」

痛む体をややひきずるようにしてチェリッシュは、ロマリアの関所、その門へと足を向けていった。
すでに二匹いた暴れざるは退治されており、アムルの仲間が自分を迂回してアムルへと駆け寄っていくのが見えた。
アムルがそうしたから、みのがしてくれるらしい。
そのことに、クスリと笑い、チェリッシュは一つある事を思い出していた。
たった一つ師がやり残した事。
魔王バラモスから命ぜられた任務を。
ちょうど門を潜り抜けた向こう側でチェリッシュは振り返り、四人のなかのアムルを見た。

「アムル、一つ教えてあげるわ。何故あの時私とザイオン様が誘いの洞窟にいたのか」

一体チェリッシュが何者であるかとアムルに詰め寄っていた三人を含めて、一斉にチェリッシュに視線が集まった。

「バラモス様にアリアハンとロマリアを結ぶ旅の扉を封印せよと命令されたからよ。バラモス様はまだ貴方がアリアハンを出ることを速いと考えてた。理由なんて知らないけど、ザイオン様が成し遂げられなかった事を私が継ぐわ」

「門を閉じる気か!」

「その程度ならまだマシよ。あの子、門を封印するつもりだわ!」

継ぐという言葉を聞いて、レンやフレイが走り出したが遅かった。
チェリッシュは門へと手をつくと、口早に呪文を唱えた。

「幾千幾万の人を飲み込みし偉大なる門よ。閉じよ、その顎を。そして永き沈黙の時を過ごせ、アバゴウ」

魔力による施錠によって、徐々に閉まり始める門。

「私は封印や召喚といった特殊呪文だけはザイオン様に褒められてた。旅の扉は無理でも、この程度の門を封印するぐらいならできるわ」

「じゃあ、扉を開ける方法を探してから会いに行くよ。またね」

暢気なまたねという言葉を聞いて、チェリッシュに向かう二人のうちフレイが反転し、アムルの下へと駆け寄っていった。
チェリッシュが閉まる門の隙間から最後に見たのは、フレイに殴られるアムルの情けない姿であった。
そのことに少しだけ笑うと、チェリッシュはバラモスの城へと行くために移動呪文を唱えた。
光に包まれ、チェリッシュの姿は底から消えていた。





「アンタって子は、なんで暢気に手なんか振ってるのよ! 解ってる? 誘いの洞窟と同じ状況で、また足止めを食らうのよ?!」

「痛ぇな、姉ちゃん。いいじゃんちょっとぐらい」

「ああ、その何も知らない台詞が腹立つ。単純な攻撃や回復といった呪文と違って、封印や召喚といった特殊な呪文は統一性がないの。本人の才能による所が大きくて、まず他人じゃ解くことができないの!」

すっかり閉じてしまったロマリアの関所の門は、魔力を扱う事ができる者にはオーラのようなものに包まれている事が解る。
民間人の避難が終わった兵士らしき人たちがポツリポツリと集まり、門のところで騒ぎ出している。
人通りの多い関所だ、そこが閉じられれば国にとってどれ程負担がのしかかってくる事だろうか。

「大丈夫だよ。開けられるって」

「何でそう言えるのよ」

「ん〜、なんとなく」

「いつもの根拠のない勘?! いつもは許せるけど、今日は特別腹立つ!」

アムルの背後にまわりこみ、フレイは腕を回してギリギリとアムルの首を絞める。
ぐえっと苦しげにアムルが呻くが、フレイは止める様子がない。

「ほらお前たち、止めろ。フレイ、それでその封印を他人が破る方法は皆無なのか?」

「全くないわけじゃないと思う。人間の間では研究が進められてないけど、エルフとか特殊な種族ならわからないわ。彼らは魔法も人とはポテンシャルが違うし、特殊な道具を作る事に長けてるから」

「エルフか」

「エルフか〜、美人が多いって聞くよな。種族を超えた愛……燃えるぜ」

全く場違いな声を上げたのはやはりセイであったが、二人がいつもの如く制裁を加える前に多くの兵士たちがこちらへ向かってくるのが見えた。
それでもしっかりと制裁が加えられたが、それを見て兵士たちがしり込みしたのは言うまでもない。
さらに兵士たちに十分な説明を行うために、一行はさらに足止めを食らう事となった。





世界を侵略する魔王と評されてはいても、バラモス城がおどろどろろしい暗雲に常に覆われているわけではない。
むしろ他のアリアハンやロマリアの城と相違点を見つけることのほうが難しい。
ただ一点、魔物が動き回っているという点を除いて。
チェリッシュは移動呪文であるルーラでバラモス城に戻ってくると、真っ先に一つの扉、部屋を目指した。
魔王バラモスのいる謁見の間である。
その扉の前には二体の動く石像が構えており、チェリッシュを見るなり嘲笑を見せた。

「誰かと思えば、いつもザイオンの後ろについて回っている金魚のふんではないか」

「奴の姿が見えないようだが、まさかお前一人でバラモス様にお目通りが叶うと思っているのか?」

馬鹿にされるのがある程度慣れてくると、逐一反応する気にもならずチェリッシュは言葉短く応えた。

「思っているからきたのよ。さっさと開けてくれると嬉しいわ」

半分は虚勢である。
今のチェリッシュでは、動く石像一体が相手でも一瞬にして握り潰される事だろう。

「どうやら気が触れてしまったようだな。バラモス様に会わせるまでもない、いまここ……で?」

チェリッシュを本気で殺そうと動き出した動く石像の首が、落ちた。
顔だけでもチェリッシュよりも大きく、それが落ちてきた事にチェリッシュは短い悲鳴を上げた。
首を落とされた動く石像は、そのまま倒れこみ、自身の自重で体を破壊していった。

「誰がお前たちに俺の謁見相手を選別しろと言った?」

声は、扉の向こう側から聞こえた。
若く威厳と呼べるような重さはやや足りないように思えたが、それでも全てを引きずり込むような闇が感じられた。

「バ、バラモス様! 申し訳」

そこで残り一体の動く石像の首も落ちた。
相変わらず扉は開いてすらおらず、どうやって切り落としたのかなにもチェリッシュにはわからなかった。
足が自然と振るえ、自分が魔王に対して何を感じているかは明白であった。
絶対的な恐怖である。

「入れ、チェリッシュ」

何故魔王ともあろう人が、実力者のザイオンとはいえその一弟子を知っているのか。
考えるよりも先に、開き始めた扉をからチェリッシュは震える足を無理やり動かして謁見の間へと入っていった。
扉から続く血のように赤い絨毯は、真っ直ぐ王座へと続いており、そこに魔王はいた。
力によって大半の優劣が決められる魔族がひしめく闇の大地、アレフガルド。
新たな光の大地を求めて動く魔族たちを統べる王、支配者がそこにいた。
だが恐怖はともかくとして、その姿はあまりにも普通の少年でいすぎた。
王座の肘掛にひじをつき、その手に顔を預けて、さらには足を組んでいるため想像でしかないが、身長は百八十前後。
腕が特別太いわけでも、顔がこわもてであるわけでもない。
漆黒の髪に、漆黒の瞳、一切を漆黒に包まれたその姿。
不謹慎ながら、チェリッシュは一切無駄のない漆黒に、恐怖を忘れ心を奪われた程であった。

「ザイオンがいないようだな」

「は、はい。ザイオン様は、誘いの洞窟にあるたびの扉を封印する再に、現れたアリアハンの勇者アムルによって倒されました」

「ほう」

喜びの声に、一瞬チェリッシュは立場を忘れて声を上げかけたが、何とか耐えた。
逆らえば、先ほどの動く石像の二の舞になる事は間違いない。

「その時のザイオン様の最後のお言葉をお伝えします。あの男の息子は、まだ時ではないと。強くなるには時間がかかる。それがザイオン様の最後の言葉でした」

「やはり、まだアリアハンを出るには早かったか。いつオルテガの手が伸びるとも限らんからな。最低限自衛の力をつけるまでは待ちたかったが」

なんだろうとチェリッシュは違和感を感じていた。
アムルたち人間の目的は今目の前にいる魔王の討伐であろう。
そのもっとも討伐者の有力候補があのアムルであるのに、目の前にいるこの方はアムルを待っているように思えた。

「アムル一行は誘いの洞窟を抜けロマリアへ、後にポルトガへ向かう所で私が関所を封印しました。すこし状況は違いますが、大陸に一行をとどめる事には成功いたしました」

「師の不始末は弟子がとったか。もうよい、下がれ」

もう興味をなくしたかのような言葉に、やはりチェリッシュは違和感を感じていた。
魔族の王であるから、魔王という呼び方は間違いではない。
そしてこの世界の人間はバラモスを恐ろしい者だと、討伐を企てる。
だが、バラモスが積極的に何かをしただろうか。
バラモスは一度としてこの世界の国や街を滅ぼした事はない。
確かに魔物が人を襲う事はあるが、それは単に捕食目的であり、特別邪悪な行いではない。
好き好んで襲う者もたまにはいるが。

「チェリッシュ」

感じた違和感に溺れそうになっていると、退出しようとした所で不意にバラモスが声をかけてきた。

「はい、なんでございましょう?」

「アムルがいずれ世界に出るときに、俺は五人の将を魔族の中から選ぶつもりだ。太陽、月、星、水、命、それぞれを司る将軍をだ」

「はい、その話については聞き及んでおります。我が師、ザイオン様が命の将となるべきであったと」

「もしお前が目指すのならば、教えてやろう。戦いの術を」

突然そう言い出したバラモスの真意がわからず、正面から顔を見据えたが、これといった表情は見られなかった。
その言葉が単に気まぐれであるかのように、何も表情を映していない。
だが魔族の王たるべき人からの言葉に、チェリッシュは迷うことなく頷いていた。

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