第十四話 カンダタの正体


(アレは本当にアムルなのだろうか?)

レンは自分の目の前を黙々と歩くアムルの背中を見ながら、心の中で一人呟いた。
馬鹿げた疑問ではある。
だがそう思うことが不思議でもなんでもない程に、怪我を回復させたアムルは何かが変わっていた。
セイに尋ねようとしても、重症を回復させた疲労でアムルの変わりに寝込んでしまっていた。
聞く事すら出来なかった、アレが本当にアムルなのか。

「レン、もう少し歩調を早めよう。山道でちょっとつらいかもしれないけど、出来れば夜になる前までにはカザーブの村にたどり着きたい」

「私は平気だが、お前は……」

「大丈夫、怪我はもう完璧に治ってる。だから、行こう」

言葉通り、本当にペースを上げて石ころぐらいしかないような山道を上り詰めていく。
息を少しも乱さずにだ。
あの、アリアハンとレーベを結ぶ平坦な道ですら途中で倒れたアムルがである。

「解ったが、必要以上にペースを速める必要はない。あくまで暗くなる前に着けばいい」

「そう」

突然、アムルが何かに気づいたように立ち止まり、辺りを見渡した。
カザーブはロマリアから北西に山を登り続けた盆地にある村である。
そこまでの山道には岩や、半分枯れかけたみすぼらしい植物ぐらいしかない。

「アムル?」

「なにかいる」

注意深く、そしていつでも動けるようにアムルが身をかがめた。
レンは半信半疑、さらにそのまた半分以下の気持ちで腰に挿した剣の柄に手をやった。

(本当に何か居るのか? しかも私が気づくよりも先にアムルが……)

「そこ、焼き払う炎を。メラ!」

アムルの右手から放たれた炎が、近くの岩へと突き刺さる。
バフゥと間抜けな音を立てて岩の表面が燃え上がり、一つの影が岩を足場として空へと跳んだ。

「本当にっ!」

その影は腐った肉にかりそめの命を与えられたバリィドドックだった。
腐乱し零れ落ちた片目をはためかせ飛び掛ってくる。
レンの動きはバリィドドッグよりも半歩遅く、刀身はまだ鞘の中。
自分に魔物の気配がつかめていなかったショックもあっただろうが、アムルはバリィドドッグよりも半歩速かった。
バリィドドッグが見定めた場所にすでにアムルはおらず、バリィドドッグの真下から炎を放つ。

「メラ、はあぁ!!」

全くの死角から受けた炎にバランスを崩し、落ちてきたと同時にアムルから改心の一撃を貰ってしまう。
腐りきっていなかった部分が拳の衝撃をまともに受け、その余波が腐った部分を粉々に砕いていった。

「レン、他にもまだ居るよ。気を抜かないで!」

「なっ」

そう叫ばれたレンは、反論するよりも顔を紅潮させていた。
恥ずかしすぎる失態に、八つ当たりをするように背後から飛び掛ってきたバリィドドッグを斬り捨て、頭と胴が千切れとんだ。
気がついてみれば囲まれていた。
十匹を越えるか越えないかというところだが、久々にフレイの援護やセイの回復がないと言う援護のない戦いに、多少の緊張感と圧迫感がレンの体を包む。

「いちいち相手にしてられないよ。一気に抜けよう」

自分の背を預かるように構えたアムルが言うが、登り道はこの場に居る大半のバリィドドッグが待ち構えている。

「だが私もお前も、多人数を相手に」

「掻き消す閃光を、べギラマ!」

伸ばされたアムルの小さな手のひらが、眩いばかりの光を溜め込んだ。
閃光呪文であるギラの上位版。
まだ魔法使いであるフレイでさえ使えない代物を、半端な詠唱でアムルが使用した。
膨れ上がった閃光は解き放たれ突き刺さり、上り道側に居た半数をたやすく消し炭としてしまう。

「少しでも早く、カザーブに。そしてシャンパーニの塔に」

「あ、ああ」

もはや言葉すらなかった。
まだ背後に残るバリィドドッグに注意を向けながらも、レンは前を走っていくアムルの背を見ていた。
本当にアレはアムルなのだろうか。
今一度、その疑問を抱きながら。





カザーブに着いたのは予定よりもかなり早い、夕暮れが訪れるよりも先であった。
アムルはこれ幸いにとさらに歩をシャンパーニの塔へと進めようとしたが、レンがそれを咎めた。
いくら人が変わったような強さ見せても、アムルの体力は万全ではなかった為だ。
無理やりにでも手を引き、レンはとった宿にアムルを休ませ、レンは先にと湯浴みを済ませ戻ってきた。

「少し、さっぱりしたか。アムル、またそれを見ていたのか」

ベッドに腰をかけ、食い入るようにアムルが見ていたのは一枚の紙片である。
そこにはシャンパーニの塔で待つと書かれていた、カンダタと言う名前を締めとして。
窓に突っ込みガラス片で怪我をしたアムルのそばに落ちていたのをセイが勝手に預かっていたものだ。
その紙片を見つめるアムルを長めていると、旅人の服のお腹の部分が破れていることに気づく。

「アムル、服が破れ」

途中で言葉を止めたのは、破れているのではなく、繕いを途中で放り出されていることに気づいたからだ。

「あ、うん。これは姉ちゃんが繕い賭けで。このままでいいよ。また姉ちゃんに、繕ってもらうから」

右手でその半端な繕いに触れていると、左手に持っていた紙片を一気に握りつぶした。
ぼふっと握り締めた紙片が燃え上がる。

「この人さ、初めから俺が狙いだったんだ。なのに、なのに!」

その炎は魔力で作り出された擬似的なものであるにもかかわらず、アムル自身の手まで燃やす勢いであった。

「アムル、止せ。手が、止めないか!」

レンが駆けて燃え上がるアムルの手を掴むと、激情はもとのままにレンを気遣う事から炎が消えた。
皮膚がただれ、部屋の中に鼻をつく匂いが充満する。
うつむいたまま動かなかったアムルが、レンを見上げた。

「ねえ……なんで俺は弱いの? 自分が強いだなんて思ったことはないよ。でも、弱いだなんて思いたくない。でも実際は……ザイオンの時だって、ザイオンを失望させて、結局ザイオンに助けられた」

「アムル」

「今回だって、姉ちゃんが連れ去られる間、何もできなかった。俺は弱い、弱い。弱い、弱い、弱い、弱い!!」

「自分を痛めつけるのは止めろ。その体を治してくれたセイにすまないと思うのなら」

強く握り締めた拳に落ちるしずくを見ても、他に掛けるべき言葉がレンには見つからなかった。
決してアムルは弱くはない。
決定的に足りないのは体の成長であり、幼いと言えるまでの体なのだ。
地盤ができていない以上、いくら強くなろうとしても限界は早い。

(それにしても、昼間のあの強さと今目の前で泣いているアムル。不安定すぎる。フレイがいないせいなのか? ならばフレイを助け出すまで、放っては置けないか)

言葉がないのならと、レンはベッドに腰掛けたままのアムルの肩を軽くついた。
急なことで抵抗も出来ず、アムルは仰向けになって泣きはらした顔を見られ、慌てて両腕で隠す。

「な、なにするんだよ」

「今は余計な事は考えるな。フレイを助け出す事だけを考えていろ。それ以外の事を考える事は私が許さない」

そう言ってアムルをベッドに向かって立て向きに転がして、その横に無造作に寝転んだ。

「ちょ、レンのベッドはそっちだろ。なんで俺の横に、俺まだ湯浴みしてないし」

「うるさい、そんなもの明日の朝でいい。私が添い寝してやると言っているんだ。ありがたく受け取れ」

「そんな事言ったって」

嫌がっているわけではなく、ひたすら恥ずかしそうにするアムルをレンは黙って抱き寄せた。
湯浴み後の石鹸の香りがアムルの鼻腔をくすぐり、姉を思い出させる。

「いいから、今晩だけだ。寝ろ」

「…………うん」

見た目以上に幼い声を返して、アムルは目を閉じた。





パチパチと幾重もの小枝が燃え上がる穏やかな音が響く草原の中、一本の小枝が一際大きな音を立ててはじけた。
それは一人の少女が横たわるすぐそばにある焚き火の中の小枝であり、その音に目を閉じていた少女のまぶたがかすかに動いた。

「うっ……」

ゆっくりとその瞳がひらかれていった。
お世辞にも綺麗とは言い難いマントが自らの体の下に敷かれていたが、それでも少女は地面に転がされていた為、体の痛みを覚えた。
その痛みが段々と寝ぼけた頭を正常に働かせていく。
まぶたを開けた時のゆっくりとしたスピードとは対照的に、一瞬で体を起こすと辺りを見渡した。
焚き火は炊かれているものの、他に、自分以外に誰の姿もなかった。
しかも焚き火が夜の闇を少しばかり押しているおかげでソコソコの距離を見渡す事は出来たが、眼前には草原しかなかった。

「なんで誰も、縛られてもいないし。逃げるにしても、どっちに。あっ……キーラ。でてきなさい」

自分の懐にキーラを入れっぱなしにしていた事を思い出し、声を掛けるが反応はなかった。
慌てて服の胸元を引っ張り覗き込むが、自慢にも卑屈にもならない程度の自分の胸が二つあるだけであった。

「ヤバ、どこかに落としたのかしら」

魔物の嗅覚は侮れなく、道案内ぐらい頼もうとしていたのだがと、フレイの顔が青ざめた。
現在地もわからない場所から一人でどこかの村まで歩けるとは思っていなかった。
それにいくら見ず知らずの者に連れてこられたとはいえ、そこから逃げ出しておいて魔物にやられては本末転倒である。

「あれからどれぐらいたったのかしら。それに」

気を失った時と同じ夜の空を見上げながら呟いていると、記憶がフラッシュバックするように瞬いた。
向かってくるアムル、そしてその体が、折れた。

「アム……アムッ!」

全身から血の気が引く感触を味わいながら、フレイは所構わず叫んだ。
そのままふらふらと焚き火から離れ、何処に居るかもわからない弟を探して足が勝手に動いていく。

「おいおい、起きたのはいいがあんまり勝手に動くなよな。逃げようとしたら、また気絶させなきゃならん。知ってるか? 気を失った人間ってのは思った以上に重いんだぞ」

そこそこの歳なのか声に雑音のような物が混じりだした声だった。
フレイがふらふらと歩いていった先とは間逆から投げつけられた声の主は、灰色の鎧にきわめて大きな何かを背負っていた。
一瞬で理解は出来なかったが、それは戦斧、その中でも特別大きなものであった。
柄の部分はそうでもないのだが、柄から突き出た刃が男の体よりも大きかったのだ。
あれを背負って、しかも歩こうなどと馬鹿げているとしか思えなかった。

「アンタ」

そこでフレイは気づいた、アムルを殴りつけたのはその戦斧の刃のない方の柄である事に。

「アンタがアムを!」

「ちょ、ちょっと待て。フレイ!」

無意識下でもフレイの両手に魔力が集まりだしたのを見て、男が慌てて両手を前にだして止めようとした。
だがフレイはたとえ男が土下座をしても止めるつもりはなかった。

「ピーーーー!!」

そんなフレイを止めたのは、男の右肩からフレイの顔面へと飛んで張り付いたキーラであった。

「ぶわっ、なにすんのよ。それにいつからそんな男の仲間になったのよ!」

「ピーピッピ!」

「アタシはアムじゃないんだから、アンタの言う事が殆どわかんないのよ。ちゃんと人間語で喋んなさい」

顔から引き剥がし、玉ねぎの頭を摘むようにしてもキーラはしきりにフレイを止めようと声を上げていた。
姿勢は伝わっても、その意図まではつたわらなかったようだが。

「フレイ、キーラが言いたいのは、また気絶したいのかってことだ。俺だって親友の娘をそう何度も気絶させて気分のいいもんじゃねえが。やる時はやるぞ」

キーラに気を取られており、ハッとしたときには男は戦斧を背中から開放していた。
もう今更、再度魔力を貯めても間に合わないと判断し、フレイは大人しくキーラを肩に乗せた。
だが、ふと男の言葉に疑問を感じた。

「親友?」

「ああ、オルテガのな。まあ、挨拶が後になっちまったが、久しぶりだなフレイ」

無精ひげを蓄えた顔で、似合わないぐらいニコリと笑った男にフレイのであったある人物が重なった。

「おじさん……オルバおじさん?」

これでキーラが必死になって止めた理由が全部知れたという物だ。
目の前の男は、オルバという名の父の友人であったのだ。
あまり回数が多いわけではないが、自分も、そしてアムルも何度か会い、遊んでもらった記憶があった。
旧知の間柄である自分達を戦わせないように、キーラは文字通り身をていして止めたのだ。
フレイはキーラの鼻先、口のやや上に指先をあててごめんと謝る。
解ってもらえればとでも言っているのか、やけにふんぞり返ったキーラが鳴いた。

「それでも、なんでおじさんがアタシたちを襲うのよ。アムルに大怪我までさせて!」

実際フレイはアムルの体が折れ曲がる所までしか記憶していないが、その様がただの怪我で終わらないほどであった事は間違いないと見ている。
いくら父の親友であった者でも、許せる事と許せない事があり、この件は間違いなく許せない事であった。

「やはり、アレはアムルだったのか。まさかオルテガの息子がいまだあんな小さなナリだったとはな。正直、こうやって証明されるまで信じられなかった」

「なによそれは、謝ってるつもり?!」

「いや」

静かな否定が、なおさらフレイの勘をささくれ立たせた。
まるで悪びれた様子がなかったからだ。

「信じられなかったというだけだ。オルテガが14の頃には、もう成人と同じぐらいの背丈だったからな。羨ましいと思った事をよく覚えている」

「信じられなかったからなによ。アムはアムよ。それになんでわざわざアタシをさらって来たわけ? おじさんのやってる事は滅茶苦茶よ!」

「だろうな。正直、今でも戸惑っている。これからやろうとしている事が、本当に正しい事なのか」

その憂いを帯びた声にフレイは理解した。
悪びれた様子が一切ないのではなく、この父の親友は自分でも自分の行いが理解しきれていないのだ。
とても自分の意思で一連の行動を行っているようには見えない。
まさか、誰かに頼まれたのか。
その結論に達した時、オルバがフレイに焚き火の近くに来るようにと手招いた。
警戒は解かぬまま、言葉に従い先ほど自分が寝ていたマントに腰を下ろす。
よく見れば、それはオルバの所有物のようで、座ってよかったのかしらと疑問に思っているフレイの向かいにオルバも座った。

「俺は、二年前にオルテガに会った」

父が生きているという言葉を幾度と鳴くアムルから聞いているとはいえ、言葉がなかった。
よく当たるとはいえ勘などではなく、オルバから告げられたのは事実だったのだから。
オルテガが最後にアリアハンを旅立ったのは四年前、訃報が届いたのはそれから一年後。

「父さん、やっぱり生きてたんだ」

その呟きに驚きを見せたのは、オルバのほうだった。
そういう驚かれ方をされるとは毛ほども思っていなかったからだ。

「ああ、世間でオルテガが死んだと噂が流れた時も疑ったが。オルテガがふらりと俺の前に現れたときはそれ以上に疑った。とてもそいつはオルテガに似ても似つかなかった。体重は十キロ以上落ちてただろう。頬はやせこけ、だが弱っている印象はなかった。目つきの鋭さは変わっていなかったからな」

何があったか何度尋ねても、答えてくれなかったとオルバは続けた。

「それで、父さんはなんでオルバおじさんの所に? 私たちに自分の無事も告げないで」

「それは俺も聞いた。だが、一言会えないと言われた。そして生まれて初めてオルテガのあんな声を聞いた。重みに耐えるように震えるような声、あの世界の希望を背負ったあいつがだぞ。それで俺に、オルテガは言った」

パキンと焚き火のなかの小枝がはじけた。
会話が途切れた所の静寂に割って入ったため、それはとても大きな音のように響いた。

「息子を。アムルを殺してくれってな」

はっと息をのむフレイの声が響いた。

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