「くそ、私がついていながら」 ダンっと腕が壁に叩きつけられ、後から追いつくように上着のすそが舞う。 痛みがないわけではないが、それを感じないほどに苛立ち、怒りがレンを支配していた。 「まあ実際はついてなかったんだけどな。兵士達が侵入者と俺を間違えた点は」 皮肉ではなく、珍しく顔を引き締めているセイは本当にそう思っていた。 レンはフレイのそばにおらず、離れなければいけない理由が兵士によって作られた。 不運が重なっただけだ。 「事の元凶が……もう少しまともな言葉はないのか!」 「謝ってフレイちゃんが戻ってくればそうするさ。少しは落ち着けよ。俺だって馬鹿やりすぎたとは思っている。だから、それなりの事はするつもりだ」 「それなりの事だと? お前に、いや今の私たちに何ができる?!」 「そうだな……とりあえず今すぐに出来る事は黙る事だな。黙らなくても、静かに。アムルが寝てるんだぜ」 そう言ってセイが指差したのは、客室のベッドの上。 ガラスの破片で切った各部裂傷を治療され、腕と胸部に包帯を巻かれたアムルであった。 今できることが黙る事だけだと聞かされ、カッとなって大声で怒鳴りそうになってしまったが、レンはなんとか耐えた。 今後の行動ならば、別にアムルが寝ているこの部屋でなくともよいからだ。 だが、部屋を出ようと言う前にセイが続けた。 「全治三ヶ月、だっけか。フレイちゃんを助けるどころじゃねえな」 骨折の治療、と言っても骨のズレを直し、添え木に包帯を巻いただけであるが、その後の発熱にアムルは大量の汗を出し、時々昨晩の事を思い出しているのかうなされている。 「確かにアムルを放っておけはしないが、ロマリア王に頼むぐらいならできる。その間にお前と私で」 「解ってる。解ってるから、フレイちゃんについてはしばらくは多分大丈夫だ。キーラがいない」 「キーラが?」 「推測だけど、フレイちゃんはキーラを懐に入れたまま連れて行かれた。気絶している間に手篭めにされる心配はない」 その可能性を無意識に否定していたのか、躊躇なく口にしたセイを睨む。 「こわ……だから大丈夫だって。それにフレイちゃんが連れて行かれたのには、たぶん理由がある。問題はそっちより、あっちかなぁ」 セイが視線を向けた先には窓すらない壁だったが、何枚もの壁を透視した先には王宮会議室があったことだろう。 昨晩の侵入者の件について、早朝から緊急会議が開かれている。 「近日に迫っている戴冠式用の金の冠が盗まれたそうだな」 「たぶんそっちはロマリアへの牽制用に持っていったんだろうけど、逆効果だったかな」 二度目の台詞に、さすがにレンが射抜くようにしてセイを見る。 「貴様、何を知っている。何故貴様がフレイを連れて行った理由がある事を知り、また冠が盗まれた事が牽制だとわかる?」 「それは後でアムルから聞いてくれ、問題は王宮のロマリア王以外の者達だ。下手に手を出されたら、嫌でもフレイちゃんを人質に取らざるを得ない事態が起きる。まったく無意味な人質として」 「意味が解らない。何を、知っている」 「色々、じゃダメ?」 何処までもはぐらかすつもりか、レンは唇に人差し指を当てて首をかしげた馬鹿に聞く事を諦めた。 ただ一言、気持ち悪いと呟いて。 「大丈夫、後でアムルから全部話させるから。俺は、そのためのお膳立てを二つする。それが俺がする、それなりの事だ」 セイは一度うなされているアムルに近寄り、その呟きを耳に流し込んだ。 姉ちゃんと呟き続けるアムルの声を。 我知らず握った拳、その手のひらの皮同士がこすれ、ひりつくような痛みを生み出した。 「ちょっとだけ、待ってな。お前を先に回復させると、身分にこびりついた見栄とメンツに拘るグズどもを黙らせられないんだ」 セイの呟きはとても小さく、レンには届かなかった。 届かないといった点ではうなされているアムルにとっても同じだろうが、セイは満足したのか部屋のドアへと足を向けた。 何処へ行くのか、そう尋ねそうになったレンだが、なんとなくその背を見て何処へ行くのかが解った。 王宮会議室であろう。 見送った後、レンは黙ってアムルの額に乗せてあった温くなったタオルを再び氷水で冷やして、乗せた。 「なんだ貴様は!」 セイが王宮会議室の前まで行くと、扉の前に立っていた二人の兵士が長槍をクロスさせて扉を塞いだ。 それでもセイが無視したまま扉に手を当てると、行動に出た。 実力で止めに入ったのだ。 二人の兵士のうちの一人の腕がセイの手を掴もうとしたが、セイが呟く方が速かった。 「永遠の眠りに誘え、ラリホー」 とても小さな声であったため、抵抗すらできずにセイの腕を掴もうとしていた男が崩れ落ちた。 黙って扉の前で身構えていた兵士も続いて崩れ落ちた。 誘いの洞窟でアムルがアルミラージから食らった眠りの魔法である。 強制的に眠りに落ちるだけで、それ以上の害はない。 眠りに落ちた兵士二人を一瞥し、セイは目の前の扉をゆっくりと開け放っていった。 当然のことながら、会議中に無礼にも乱入してきたセイに、野良犬でも見るような目つきが幾つも注がれた。 「失礼する」 「なんだ貴様は。兵士たちはなにをしていたのだ。ええい、ここは貴様のような輩が居ていい場所ではない、即刻出て行け!」 「誰か、誰かおらぬのか!」 「セイ君」 唯一、乱入物の名を知っていたロマリア王が半分だけ腰を浮かし咎める様な口ぶりで名前を呼んだ。 しかしながら、セイはロマリア王を一瞥しただけで退かず、前へと進み、歩きながら呟く。 「私は」 誰を見ているわけでも、誰を見ていないわけでもない。 等しく会議室に居る者を見つめる。 明らかに場慣れしていた、このように多大な社会的地位を持つ者達の前に立つ事に。 「連れ去られた少女を無視し、メンツのため金の冠を取り返す事を止めに来たわけではない」 セイの言葉に動揺したのはロマリア王だけであった。 その他の重鎮達は、その行為が当たり前だとばかりに眉一つ動かすことはなかった。 国としては確かに当然だろう。 国賓ではないし、王が個人的に連れてきたただの旅人であったから。 「だが一つ、忠告をしておこうと思い馳せ参じた。貴方達がただの少女と思っている連れ去られた少女が誰か。侵入者に手傷を負わされ、ちょうど今ベッドの上で苦しんでいる少年が誰なのか」 「誰も何も王が個人的に呼んだ、ただの」 「そう、ただの」 この場にレンやフレイが居れば、真正面から貴様は誰だと問いかけただろう。 それほどまでにセイの持つ雰囲気が普段彼女らと居る時とかけ離れていた。 ヘラヘラと酒さえあれば笑っていられるようなだらしないものではなく、能面、表情が無かった。 「アリアハンが世界に誇り、世界が希望を委ねた相手。オルテガ。そのご子息とご息女。まったくもってその通り、ただの旅人です」 今度こそ、すべからく誰に対しても動揺が走った。 会議室の上、司会進行用の議長席へとセイがたどり着き、両腕を机の両端に置いて幾分体を沈ませた。 「気に病むことは有りません。ロマリア王が個人的に招待し、何故か丁度その日にやってきた侵入者に襲われただけなのです。あまつさえ二人の仲間の一人を誤認で捕まえ、さらに仲間で一番力を持つ者がその誤解を解きに離れた。不運が不運を呼んだ結果です」 もはや言葉通りでない事は明白であった。 事実を列挙しただけではあるが、皮肉の連続であるように聞こえてしまう。 個人的にとは、非公式、つまり秘密裏にという事である。 丁度その日とは、計画を練り、企てた事になる。 計画は、二人の仲間を一人一人と離れさせ、手傷を、あわよくば消す事。 ガタンと何かがなった。 誰かが緊張に耐え切れず、痙攣した体で机を叩いたのかもしれないし、不条理な状況に机を叩いたのか。 それを機に会議室の中の一人が立ち上がる。 「誰がそのようなたわ言を信じるものか。そう、昨晩は誰もこの城に来ておらぬ」 つまり来なかった事にしてしまえば、だがセイは笑いも屈しもせず淡々と言葉を放つ。 「いえ、世界中が信じます。ロマリアは魔王バラモスの前に屈し、希望の芽を摘み取ろうとしたのだと。なぜなら私の名は」 ゆっくりと、セイは自分の本名を呟くのと同時に、とある紋章が刻まれたペンダントを取り出した。 聞いたロマリアの重鎮たちの動揺は、アムルたちがオルテガの子だと聞いたときと同等か、それ以上であった。 それほどまでにセイの名と、取り出したペンダントに刻まれた紋章の威力は大きかった。 「私は忠告をしに馳せ参じただけです」 それもまた、皮肉の一つであった。 入った時と同じぐらいに静かに、厳かに出てきた扉を閉める。 その瞬間、会議室の中が呪縛から解き放たれたように騒がしくなっていった。 これがロマリア王が招待した本人でなければ、責任だなんだという話であったろうが、そんなことはセイの知った事ではない。 先ほど淡々と話したように、淡々と歩き、幾分か離れてから壁を背にして大きく息をついた。 「あ〜、似合わねぇ。な〜にマジになっちゃってんの? 本名まで……アレまで出して」 服の中に隠してある胸元のペンダントを、服の上から握り締める。 理由など解りきった呟きであった。 あと一つお膳立てが残っていると壁から背を離すと、ロマリア王が走って向かってくる。 「セイ君」 自分の呼び方が変わらなかったことに少しだけ、安堵しつつ、それすら驕りだなと自分自身を馬鹿にした苦笑をもらす。 「走らなくても逃げません。ロマリアは今回の件には不干渉、ただし冠だけは取り返せって所でしょう?」 ロマリア王が自分に追いつくのを待ってから、並んでアムルが寝ている部屋へと向かう。 「う、うむ。無用な刺激はしない代わりに、必ず取り返せとなってしまった。本当にメンツだけの問題なのだよ。金の冠と呼ばれて入るが、実際は金箔を表面に貼っただけの張りぼて、単なるお遊び用の玩具なんじゃ」 「急ごしらえで別物を用意しても、毎回楽しみにしている人にはその違いがわかるでしょう。単にメンツの問題だけじゃ有りません。お祭りを邪魔されたら、誰だって怒ります」 「すまない」 「構いません。ロマリア王にはロマリア王の、私には私の…………」 途中で言葉を止めて固まってしまったセイを、ロマリア王が訝っていると、何故か急に壁に向かって頭をたたきつけた。 あまりの勢いの強さに、ゴンッと壁が揺れた気がした。 「痛ぇ〜〜〜〜〜、割れた?割れた? ねえ、おっさん頭蓋骨ぱっくりいってない?!」 「な、何をしているのかね?」 頭を抑え床を転げまわるセイを、気味が悪そうに狼狽しながら訪ねる。 「いや、急には元に戻れなかったもんで、無理やり。お〜、いて。あ〜、おっさん。あの事はアムル達には黙っておいてくれよ。さっきは緊急事態だったし、俺はもうあそことは関係ないから」 「うむ、そう言った話を伝え聞いていなかったわけではない。一部ではこれ幸いにと君を引き込もうとした国もあるぐらいだ」 「冗談、俺は酒、女、ギャンブルがあれば生きていける人間だぜ? 百害あって一利なし、がフレイとレンの認識だろうなぁ。アムルは……正直よくわからんが」 「坊か……わしはまだ様子を見ていないが、坊はどうなのだ?」 四人の客人を知るのがロマリア王しかいなく、会議で縛り付けられたのだから知らないのも仕方がないだろう。 「右腕がと肋骨を何本か。体中にはガラスで切った傷が無数。正直、フレイちゃんよりアムルの方がやっかいだろうな。もう一回マジにならなきゃどうにもならん」 「それほどに酷いか。それでは神官たちを呼んでも無意味か。確か回復魔法は」 「本人の体力にもよるが、致命傷や骨折等重度の怪我を治すには至らない。たとえ治せたとしても本人に対する負担が大きすぎるからだ。下手をすれば怪我を治して本人を殺す事にもなりかねない」 「愚問だったか。君が知らぬわけはない」 「そういう知っている事が当たり前の言い方、嫌いなんだけどなぁ」 少しだけへそを曲げたようにして口を閉じると、歩く事しかする事がない。 いや、もう一つ考える事はできた。 (回復魔法の定義は、普通のホイミやべホイミ、ベホマといった通常使用されるものが定義の基だ。だが、回復魔法には本人の治癒力を高める以外のものがある。いや、本来はこちらが回復魔法と呼ばれるべきだろう。ホイミ等は治療魔法。経過があって結果がある) 考え事をしつつ、無意識に目の前のドアを開けた。 未だうなされているアムルの横で表面上そうは見えないが、心配そうにタオルを冷やしては額に乗せるレンがいた。 そのレンが待っていたように振り向くが、ロマリア王がセイの横にいることについては何も言わなかった。 単刀直入に尋ねる。 「何がどうなった?」 「うむ、ロマリアは今回の件に関しては不干渉。無駄に坊の姉を、無視して行動するつもりはない。ただし、お前達には金の冠を取り返してもらわなければならなくなった」 「なるほどな。一応、フレイが無視される可能性を考えていたが、それを止めにいったのか」 言外にどうやって止めたのかと聞いてきていたが、セイは答えることなくアムルのそばへと寄った。 答えてこないことも予想していたのだろう、黙ってアムルの横を空けた。 「少し、出ていてくれるか? アムルと二人きりで話をしたいんだけど」 「まだ目すら開けていないのだぞ?」 「二人で話がしたいんだけど」 もう一度は理由すら聞かずに行動させ、結果を示した。 ならば二度目、お膳立ての二つ目を理由すら聞かずに行動させて問題はないのだろう。 そう判断したレンは、言われるまでもなくロマリア王を伴って外へと出た。 扉を閉めると同時に、尋ねる。 「ロマリア王、奴は何者だ?」 当然の質問であっただろう。 レンも連れて行かれたフレイが無視される可能性を考慮した事から、国民ですらない個人に対しどういた対応を行うかぐらいは理解できていた。 だからこそ、今回の不干渉という結論が解せない。 「セイ君が何者だと尋ねられても君達の方が良く知っているであろう? 彼はただ、アムルとフレイがあのオルテガの子だと知らせただけだ」 「ふん、口裏合わせはすでにしてあるという事か」 口ぶり程にレンは苛立っては居なかった そんな事は全てが収まってから問い詰めればよい事である。 フレイを救うこと、それが最優先で行わなければならない事だ。 再確認を終えると目したまま、レンは締め出されたドアを見上げるようにしていた。 熱と痛みにうなされるアムルを、顔色一つ変えずに冷ややかにセイは見下ろしていた。 ダブる過去。 だがしかし、自分と状況が似ているわけではない。 だが事態は似ており、アムルには現時点で希望が残されている一点だけが違う。 「アムル、姉ちゃんを救い出したいか?」 うなされ、意識があるのかどうか疑わしいにもかかわらずアムルの手が動いた。 ゆっくりと、だが確実に大切な物を手探りするように天井へと伸ばされる。 「そうか」 何が言いたいのか理解できたわけではない。 ただ、セイは勝手にそれを了承だと捉え、その手を両手で握り締めた。 「コイツは本当の意味での回復魔法だ。経過はなく、結果だけを対象者に残す。だが、肉体に掛かる負担は治療魔法の比じゃない。体調を崩すどころか、下手をすれば寿命が縮む。それでも」 尋ねきる前に、アムルの手のひらが握り返してきた為、セイは口ずさんだ。 「天と地にあまねく精霊たちよ」 一つだけ言わなかった事があった。 「汝らの偉大なる力を持って」 この魔法は経過を飛ばして結果をもたらす、いわば世の理を常を無視した魔法。 対象者だけでなく、下手をすれば術者の寿命も削られる事となる。 「傷付き倒れ伏したる者に、今一度生きる力と肉体を与えたまえ………………ザオラル」 繋げた手を通して、セイからアムルへと力が流れ込む。 理と常を無視した魔法だけに、それは無理やり理と常を持って理解しようとしたためかもしれない。 錯覚である。 だが、確かに力は流れ込み、アムルの体から怪我が文字通り消えていく。 「なあ、アムル。絶対にフレイちゃんを助けろよな。それぐらい、それぐらいやってみせろ」 アムルの体が徐々に回復するにつれ、セイの意識が薄く遠ざかろうとしていく。 させじと、強く、さらに強くアムルの手を握り締める。 「俺はこれでも結構期待してんだぜ。未来の勇者によ」 アムルの手がセイの手を握り返した。 そして、うっすらと瞳を開き始めた。 「それでこそ……」 セイの手のひらが解け、アムルの手だけがそこに残された。 ベッドに上半身を倒れこませたたセイを横目で確認したアムルが、ゆっくりとその体を起こした。 そして自分を束縛する包帯を解いて起き上がると、代わりにセイをベッドに寝かせた。 体は、全快していた。 「ありがとう、兄ちゃん」 ペコリと頭を下げると、アムルは上着を羽織り、誓いの剣を背負う。 「絶対に、助けるから」 部屋の扉に手を掛け、セイの方に振り返った。 「助けるから」 扉を開けると、倒れていたはずの者と、起きていたはずの者がまるまる変わっていたことにレンもロマリア王も驚いていた。 まるでセイが身代わりになったかのように見えたのかもしれない。 だが、悠長に説明などしていられないからと、あるものを握り締めたアムルは言った。 「レン、行こう。姉ちゃんを助けに」
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