第二十五話 復活のNo.T
 何処まで続くのか定かでない階段をイヴは一心に駆け降りて行っていた。
 この先に待つのはセフィリア一人だけの命だけではなく、二階の部屋で戦うトレインとベルゼーの命も掛かってくる。
 セフィリアを救い出す事であの二人が傷つけあう危険を、命のやり取りをさせる必要もなくなるのだ。
 屋敷についてからずっと戦わず一歩引いた場所にいただけに、イヴが負った責任は重さを増していく。
「それにしても、どれだけ続くのこの階段」
 もうすでに二階から一階どころか、地下二、三階ぐらいにまで下りてきている気がした。
 電灯のような明かりはなく、まともに奥が見えない階段をイヴはトランスの時に発生する光を応用させて足元を照らしていた。
 コレがなければ本当の暗闇であり、こんな所に何日も閉じ込められたら気が狂ってしまうだろう。
 それにクロノスの申し子であるセフィリアに植え付けられた呪いのこともある。
「急がないと」
 早くその呪いを解いてあげなければならない。
 自分にしか出来ない方法で、大切な友達であるセフィリアを助けなければならない。
 イヴのそうした思いが通じたように、唐突に階段の終わりは訪れた。
 トランスの光で微弱な灯りを作っていたとはいえ、本当に唐突に訪れた階段の終わりにイヴは転びかけた。
 ガクンと膝が砕けたようになったが、意地になって次の一歩を踏み出す。
「セフィリアさん、声を出す事が出来ますか? 助けに来ました、トレインもスヴェンも一緒です!」
 階段の終わりから続いたのは一本の通路、長さはそれ程ではないが幾つかの独房が用意されていた。
 声を出す事も出来ないのか返事はなく、面倒だとイヴは片っ端から独房のドアをナノスライサーで破壊していく。
 一つ、二つと壊していき、三つ目のドアを破壊した独房にセフィリアはいた。
 いたのだが余りの姿にイヴは口元に手を当てて目をそらしかけた。
「セフィリアさん……」
 涙の枯れた後がはっきりと顔に残っており、その瞳は何も映そうとしていなかった。
 無造作に壁にもたれかかり、あれほど綺麗だった金色の髪は壁と背中に押しつぶされた乱れ汚れきっていた。
 抵抗の証か、腕はドアを叩いたらしき怪我で血にまみれ、かつては手入れの行き届いていた爪の殆ども欠けたり折れたりしていた。
 見る影もないとはこういう時に使うのか、イヴは涙をこぼしながらセフィリアを抱きしめた。
「私が貴方の呪いをといてあげます。だから、帰りましょう。トレインの所に。皆で一緒に。もうあのアジトには居られませんけれど、新しい場所で新しい生活を始めましょう」
 セフィリアの髪を撫で付けながら呟いたイヴの髪が輝いていく。
 トランスの時に発光するのはいつものことだが、イヴの髪は本当にトランスを開始していた。
 束になった幾つかの髪の毛が注射針のように細い管となっていく。
「セフィリアさん、貴方の体には悪意あるナノマシンが注入されているんです。特別な思考、自由を求めた時にだけ活性化するナノマシンが。今からそのナノマシンを私のナノマシンで破壊します」
 クリードの屋敷でドクターのナノマシンに操られたトウマとムンドックという掃除屋を助け出した方法である。
 実際に行ったのはそれ一度きりであり、当然成功したのもそれ一度きり。
 数字だけを見れば成功率は百パーセントであるが、試したのが一度と言う事を考えると成功率が格段に下がるはずである。
 だがやるしかない、普通ではいられなかった自分に、普通の女の子のように友達の恋愛の相談を受けるなんて貴重な経験をさせてくれたセフィリアを助けたい。
 もちろんセフィリア自身やトレインの為にも。
「お願い、私のナノマシン。あの時の奇跡をもう一度私にみせて!」
 注射針と化したイヴの髪がセフィリアの体に突き刺さる。
 そこから注入される光は、イヴの助けたいと言う思いを形にしたナノマシンである。
 ナノマシンが体に流れ込んでいくにつれセフィリアの体が痙攣を起こし、虚空を見つめていた瞳に一瞬だけ光が戻る。
「あ、イ……ヴちゃん?」
 ゆっくりと動いたセフィリアの瞳がイヴを捉え呟いたあと、セフィリアは再び意識を失った。
 セフィリアの体の中で呪いのナノマシンとイヴのナノマシンが戦っているのか、セフィリアの体の各所でトランス時のような光が生まれては消える。
 注射針のトランスを解いたイヴは、セフィリアの片手を両手で包み込み助かってくれと一身に願っていた。
 自分が助けるのだと言う意思とは別に、不安は必ず付きまとっていた。
 ギュッと目を閉じて、セフィリアの手のひらを握る手に力を込める。
 時が経つにつれセフィリアの体の至る場所で輝いていたトランスの光が一つ、また一つと消えていく。
 イヴのナノマシンが勝ったのか、それともクロノスの呪いであるナノマシンが勝ったのか。
 薄目を開けながらイヴは、まだ瞳を閉じているセフィリアへと声をかけた。
 反応は相変わらずない。
 駄目だったのか、自分の力が足りなかったのか。
 絶望感に打ちひしがれそうになったイヴの手をセフィリアの手が僅かにだが握り返してきた。
「セフィリアさん!」
「イヴちゃん? どうして、私……」
「助けにきたんです。トレインもスヴェンも一緒です。もちろんこれからも、だから私と一緒に来てください。トレインとベルゼーさんを止められるのはセフィリアさんだけなんです!」
 衰弱して声を出す事も辛そうなセフィリアに、すぐに来てくれとは酷な言葉ではあった。
 だが言葉にした通りトレインとベルゼーの決闘は直ぐにでもとめなければならない。
 セフィリア自身多少混乱はしても直ぐに頷いてもらえると思っていたが、イヴの予想は悪い意味で外れた。
「私は、行けません。イヴちゃん、今すぐトレインとスヴェンさんを連れて逃げてください。後の事はベルゼーが何とかしてくれます」
「どうしちゃったんですか、セフィリアさん。トレインに会いたいんでしょう、直ぐそこにまできているんですよ?!」
「会いたいに決まっています。トレインが危険を顧みず着てくれた、それがどれ程嬉しい事か。でも、怖いんです。私の体にはクロノスの施した仕掛けがあるんです」
「それはもう大丈夫なはずです。私のナノマシンが破壊したはずです」
 体を両腕で抱きしめたセフィリアを説得して言うが、首を横に振られてしまう。
「イヴちゃんが嘘を言うはずのないことも、恐らくはそれが本当だとも思っています。それでも、私は……」
 ますます縮こまるようにして自分を抱きしめるセフィリアを見て、イヴはようやくクロノスの呪いの本当の怖さを知った。
 一時的な体調不良や痛みが本当の目的ではないのだ。
 こうして繰り返し刺激を与える事で、心を砕く事。
 今のセフィリアのように、トレインに会いたいと直前まで願っていたセフィリアに躊躇させるほどに。
 呪いの元は壊せても、心まで癒す事はイヴのナノマシンでも不可能であった。
「セフィリアさん、あの呪いの恐怖は私には理解しきれません。でも立ってください。呪いの痛みに打ち勝つ勇気を出してください。今セフィリアさんが躊躇するこの瞬間にもトレインとベルゼーさんは戦っているんです。あの二人は戦わせてはいけないんです。だけど止められるのはセフィリアさんだけなんです!」
 頼み込むように声を絞り出すイヴであったが、想像以上にクロノスの呪いはセフィリアを縛り付けていた。
 どうすればセフィリアが立ち上がってくれるのか、イヴには解らなかった。
 トレインやベルゼーだけではない。
 こうしてセフィリアが躊躇う間にも、スヴェンやクリード、エキドナだってナンバーズと戦っているのだ。
 どうすればいいのか、歯噛みしながら考え込んでいたイヴは、やがて立ち上がった。
 脅えた瞳でイヴを見上げたセフィリアを見下ろし、言った。
「セフィリアさん、私が貴方にしてあげられる事はここまでです。後は自分で何とかしてください。私はトレインやスヴェンを助けに行きます」
「イヴちゃん」
 トレインに会いに行く事を拒みながらも、自分に行かないでと縋るセフィリアの声をイヴは黙殺した。
「最後に一つだけセフィリアさんに恨み言を言います。私やスヴェンの事はこの際どうでもいいです。セフィリアさんはトレインの気持ちを裏切りました。貴方に会いたい、取り戻したい一心でクロノスにたて突いたトレインの行為を。それだけは絶対に許しません」
 コレで本当に最後だと、イヴはセフィリアを置いて走り出した。
 走り去る格好を見せてセフィリアが呪いを振り払う事を期待しなかったかと言えば嘘になる。
 階段を十数段上り、一度だけ振り返り追って来ない事に唇を噛む。
 トレインとベルゼーの両方を救い出す手立てはなくなり、ならばせめてトレインだけでもと階段を上り始める。
「待ってください、イヴちゃん」
 声は階段の一番下からであった。
 まだ以前のセフィリアの声には遠い弱気が見え隠れした声であった。
 だがそれでもセフィリアは自分の足でたち、自分の力であの牢獄を抜け出していた。
「セフィリアさん!」
「トレインとベルゼーを止めに行く前に、一つだけ条件があります」
 この期に及んで言い出したセフィリアは、えっと言葉を詰まらせたイヴにしっかりと笑ってみせながら言った。
「泣きはらした顔のままでトレインに会うわけには行きません。だからハンカチを貸してもらえますか?」
「トランス、ミスト!」
 セフィリアの笑顔につられて笑ったイヴは、次の瞬間にはナノマシンを利用して水蒸気を作り出していた。
 短い時間で出来るだけセフィリアの意図を汲んでできる最大級の協力であった。
 水蒸気を利用して軽く顔を拭ったセフィリアは、イヴから受け取ったハンカチで涙の後を消していく。
 本音を言えば久しぶりの再会の前にお風呂に入って化粧もちゃんとしたい。
 言い出せばきりがなく、そんな状況ですらない。
 だから今出来る最大限の努力を行ったセフィリアは、瞳の中に宿る意思を強固にして弱くなった自分を戒める。
 痛みの一つや二つで、会いにきてくれたトレインを裏切ろうとした自分の中で、砕けた心の変わりに新しい心を打ち建てる。
 トレインに会いたい、トレインと一緒にこの先を生きていきたい。
 クロノスの為ではなく、自分とトレインの二人の為に生きるという決意を新たにする。
 顔を拭いていたハンカチを顔から降ろした頃には、そこには以前と変わりないセフィリアがいた。
「イヴちゃん、トレインを。そしてベルゼーを止めます。案内してくれますか」
「はい、急ぎましょう。セフィリアさん」
 イヴを先にして、セフィリアは暗闇の中から抜け出す為に階段を上り始めた。
 自分を愛してくれた男と、献身的につくしてくれた男の戦いをとめるために、数日の監禁で多少衰えた肉体にムチを打って走った。

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