最終話 最高の笑顔を君へ
 乱れそうになる呼吸を押し止めながら、二人はそれぞれが負った怪我を空いている方の手で抑えた。
 トレインは右の二の腕に出来た斬り傷を、ベルゼーは左肩に負った銃創を。
 それ以外にも傷は見受けられるが、大きな怪我はそれぐらいで二人の実力は拮抗していた。
 ずっとトレインを倒すべき敵と冷たい視線で射抜き続けていたベルゼーが、ふいに笑みを見せた。
「今さらながらと思うが、クロノスは惜しい人材を逃したものだ。飼い猫への躾も大事だが、多少の身勝手さは寛容になるべきだった」
「それはどうかな。俺は寛容さの中にある自由じゃ満足しなかっただろう。だから結果は同じだったさ」
「かもしれんな。所詮は、もしもの話だ。そして今、お前はクロノスの敵としてそこに立っている。だから私はお前を殺さなければならない。全てはクロノスの、世界の安定の為に」
 トレインだって、決して世界の安定を脅かしたいわけではない。
 ただ一人、セフィリアという女性をクロノスから解放して、共にこれからを過ごして生きたいだけなのである。
 だがベルゼーがそう言う以上、ここでセフィリアを助ける事は少なからず世界の安定の為にはならないのだろう。
 大と小、どちらを選択するのかと言うと問いかけに、迷わず大を取るのがベルゼーと言う人間である。
 恐らくはセフィリアを助け出す事で、一時的にクロノスと言う組織が大きく揺れて世界の安定が崩れることになるのだろう。
 トレインは大と小、自分にとって近しい人間が居る方を選ぶ人間である。
 だからトレインもベルゼーと同じように迷いはしなかった。
「姫っちが階段を下りていって結構経つな。こっちもそろそろ決着をつける頃合だな」
「仮にセフィリアが現れたとしても、お前の死を持ってその心を砕く。この私の手で」
 トレインがハーディスに詰まっていた残りの弾丸を全て床の上にばら撒いていった。
 もう銃を撃つ事はなく奥の手を使うという意思表示である。
 対するベルゼーも特別な行動は取らないまでも、トレインの意思を汲み取りグングニルをコレまで以上に強く握り締めた。
「我が槍グングニルに、貫けぬものなし」
 ベルゼーは槍を扱う事だけに特化し、さらには槍で突くという攻撃方法を昇華させ続けたナンバーズである。
 言葉の通りベルゼーとその槍グングニルに貫けないものなどない。
 一度本気で貫こうとすればその速さに防御は間に合わず、例え防御に成功したとしても盾ごと貫かれてしまう。
 まさに最強の矛を持ったのが、ベルゼーと言う男であった。
 最強の矛に対して防御を行う事ほど無意味な事はない。
 最強の矛を防ぐには最硬の盾ではなく、こちらも同じ最強の武器を持って挑むしかない。
「俺の爪にだって、引き裂けないものはないぜ」
「どちらが最強の武器か、それのみが勝負を決める」
 ベルゼーが足を踏みしめると床にひびが入り亀裂が走っていく。
 それほどまでに強く床を踏み込んでいるのだろう。
 トレインもまた身を屈めるようにして足のバネを最大限にまで縮めていく。
 合図は何一つないまま二人が同時に地面を蹴った。
 トレインは体を回転させながら、ベルゼーはただ一直線にその体を加速させた。
 だが直線的に体を動かしたベルゼーはまだしも、トレインの円運動を利用した加速は最大速に達するまでに僅かな差が存在した。
 ベルゼーのグングニルの矛先が、トレインへと迫る。
 曲線を描くハーディスは明らかに間に合わないタイミングであった。
「くッ」
 せめて体を捻ってかわそうとするトレインであるが、ベルゼーの突きはそれでかわせるほど甘くはない。
 それに多少の動きであればベルゼーの強靭な肉体がトレインの意思を察知して矛先をずらす位やってのける。
 グングニルの先端がほんの薄皮程度トレインの胸を突いた。
「トレイン、ベルゼー!」
 その時に響いたのは、セフィリアの必死の叫びであった。
 トレインの意思ではなく、セフィリアの姿を探して本能的な動きで体がずれた。
 さすがに本能的なところまではベルゼーにも読み取れず、グングニルの矛先がトレインの体の表面を斬り裂きながら通り過ぎていった。
 交錯する二人の体であったがトレインの攻撃はこれからであった。
 体勢が崩れたまま無理に体を捻り、痛みと共に飛び散る血を物ともせずに、通り過ぎようとするベルゼーの背中に思い切りハーディスを喰らわせる。
「ブラッククロウ!」
 本来ならば三連打撃の所を、一撃見舞うのが精一杯であった。
 それでもうつ伏せになるように倒れこんでいくベルゼーと、胸を切り裂かれた勢いとブラッククロウの勢いで自分の意思とは無関係に吹き飛ばされたトレイン。
 ズダンッとすさまじい音を立てながら床へと叩きつけられた。
「トレイン!」
 すぐさま駆け寄ったセフィリアの後から、イヴも一緒に駆け寄って行く。
 二人でトレインを仰向けにさせて胸の傷を確認すると、浅い傷が胸から脇の方に駆け抜けただけで浅い傷ですんでいた。
 確認して安堵の息をついたのも束の間、セフィリアはイヴにトレインを任せ今度はベルゼーへと駆け寄っていく。
 だが後数歩と言う所で立ち上がったベルゼーがそれ以上近づくなと言う意味を込めて視線で射抜いた。
「ベルゼー、傷は……大丈夫なのですか?」
「痛みがないわけではないが、大丈夫だ。私の突きを受けながらの攻撃で、通常の半分以下の威力しかなかったのが幸いした」
 グングニルを杖の代わりにするように立ち上がっている姿は、とてもそうは見えなかった。
 だがこれ以上駆け寄る事はベルゼーの鋭い視線が許そうとしなかった。
「ベルゼー、最後に一つだけ私のお願いを聞いてください。命令ではありません、お願いです。もうトレインとは戦わないでください。トレインと私を、行かせてください」
「お前とした約束は、一ヶ月。その期間だけ長老会を欺くという約束のはずだ」
「それは……私が浅はかでした。とても一ヶ月では足りなかったのです。私はこの先ずっとトレインと一緒に生きていきたい」
「例えそれが叶ったとしても、安息の日々が訪れるとは限らんぞ。クロノスか、又はその他の組織がお前達を狙う事だろう。クロノスのNo.TとNo.]Vがそろっていれば、それは当然の行いだ。幸せになれるとは限らん」
 それは本当の事なのだろう。
 世間的には処刑された事になっていたトレインの存在は、裏の世界では生き残っている事が常識であった。
 どんな情報操作を施したとしても真実は何処からか漏れ、流れていくのだ。
 ベルゼーの言う通りセフィリアとトレインが共に居る情報が流れ、安息が安息となりうる前に破壊される恐れもある。
「例えどんな障害が目の前に現れたとしても、私はそれを障害とは思いません。なぜなら私の望みはトレインのそばにいること。何処でどんな生活になろうと、トレインと共に居る事さえできれば全ての事柄は障害にすらならないのです」
 静かに迷うことなく言い切ったセフィリアを見て、ベルゼーはイヴに支えられながら立ち上がったトレインへと言った。
「トレイン、私の負けだ。私はセフィリアがここに来るまでにお前を殺すと言った。だがお前を殺す前にセフィリアは私の前に現れた。これを敗北と言わずになんと言おう、好きにするがいい」
「ベルゼー、アンタも一緒に来るか? 姫っちの力でクロノスの呪いは解ける」
「私の気が変わらないうちに行け」
 トレインの誘いを断ち切るようにベルゼーは言った。
 そう言う気がないわけではないのだろうが、これから揺れるであろうクロノスと言う組織を支えて世界の安定を続けさせるつもりなのだろう。
 それがどれ程困難な道のりなのか、誰よりも己に厳しい男にトレインはただ敬意を表して頭を下げた。
 世界の為に己を犠牲にする考えに同調は出来ないまでも、自分で決めた生き方を貫くベルゼーに尊敬の念を抱いたのだ。
 別れの言葉もないままにトレインはイヴとセフィリアをつれて外を目指した。
 ただベルゼーとすれ違う瞬間、トレインにだけ聞こえるようにベルゼーの言葉が耳にしみこんできた。
「セフィリアの事を、頼んだぞ」
 言葉では応えず、トレインは小さく頷きベルゼーとの別れを済ませるとセフィリアへと振り返った。
 差し出したのは自らの手のひらであり、応えるようにセフィリアもその手をとった。
 未だ敵陣の中であり、スヴェンやついでにクリードたちを連れて脱出しなければならない。
 だが今この瞬間だけはと、トレインとセフィリアはお互いの手を取り、互いが互いのそばにいることの喜びを感じあっていた。





 時は流れ、数ヵ月後。
 ジパングと言う小さな国にある古都、古い街並みを当時のまま出来るだけ残したその街を数人でぞろぞろと歩く人影があった。
 年齢も姿も見事にばらばらな四人組は、時に辺りを見渡しながら歩いていた。
「あっちぃ、何日経っても慣れねえ。なんなんだよ、これ。あちい、あちい、あちい」
「これがジパング名物高湿度の夏。熱帯地方の人でも辛いらしいね」
「なんだよ、姫っちはやけに涼しそうだな。またトランスでずるしてんじゃないだろうな」
「ずるじゃないけど、少しね」
 イタズラっぽくイヴが言うと、先ほどまで煩かったトレインがさらに声を大にしてわめく。
「やっぱりずるじゃねえか」
「トレイン、そうそうイヴに構っていると。僕は彼女に伝えざるを得ないのだが」
「って、クリード。お前そろそろ自分の仕事を見つけろよ。俺たちは三人で一つのチームなんだよ」
「つれない事を言わないでくれないか、トレイン。探偵業なんて人手が大いに越したことはないさ、特にたいした事件の起こらないこの平和な国ではね」
 クリードが透明感のある爽やかな汗を振りまきながら言うと、先頭を歩いていたスヴェンが振り返る。
 お前達なと不満をありありとだしているのだが、その手に持った子猫の写真がアンバランスであった。
「仕事をしろ、仕事を。今日中にこの子猫を探し出して飼い主の元につれていかなきゃいけないんだぞ!」
「スヴェン、こんなクソ熱い真昼間に子猫が出歩くのかよ。一端戻って日の暮れた夕方に再開しようぜ」
「まあその空き時間にトレインがナニをするのかは自由と言うわけで、僕も同意見だな。僕のベイビーとトレインのベイビーが出会う日も近いね」
「スヴェン、クリードさんからセクハラされた」
「頼むからやる気をだしてくれ、俺だって暑いものは暑いんだ。せめてトレインとクリードは我慢しろ」
 そう言ったら言ったで、一人だけ名前を外したことで揚げ足をとられてしまう。
 エコヒイキだのなんだのと。
 がっくりとスヴェンが脱力していると、ちょいちょいと服の裾をイヴがつまんでくる。
「どうしたんだ、イヴ?」
「スヴェンが気を抜いたおかげで、二人が逃げ出したよ。ほら」
 イヴが指差したのは瓦と言う家の屋根を保護する焼き物の上を飛び跳ねていく二人の姿であった。
 こらっとスヴェンが叫んでも、もう遅い。
 二人は勝手気ままにある場所を目指して走っていた。
 その途中で一度トレインがあるものを見つけて足を止める場面もあったのだが、たいした手間を取るでもなく目的の場所へとたどり着いた。
 普通のジパング家屋を改装させた、茶店を兼任した小さなお宿である。
 その店先に居座るのは、この街ではトレインたちの様に少し浮いた印象を受ける男であった。
 お皿の上のお団子を口に含み、お茶を流し込んでからトレインに鋭い視線を送ってくる。
「帰ってきたか、トレイン。さあ、俺と勝負しろ」
「暑いからパス」
 トレインの姿をみるや腕まくりをしながら言い放つが、返答は無常なものであった。
 あまりに軽いお断りの言葉に固まるルガートを置いて、トレインは茶店の奥へと入っていく。
 人の、トレインの気配を感じて表の方へと駆けてくるのは、艶やかな着物を着こなし金の髪を結い上げた女性である。
 そして姿を確認するや否や、はしたなくも飛びつくようにトレインへと抱きついた。
「お帰りなさい、トレイン」
 受けとめられた事を喜びながらも、二人の間に割り込んだ違和感に眉をひそめる。
 少し距離を置いてトレインの腕を見てみると一匹の小さな子猫が抱かれていた。
 今まで寝ていたのか、自分が抱かれていることと覗き込まれていたことに驚き小さな声で鳴いていた。
 その姿が余りにも可愛らしくてセフィリアがクスリと笑う。
「セフィリア」
「はい、なんですか?」
 もう一度セフィリアの意識を自分へと向けると、トレインは子猫をクリードに手渡して言った。
「ただいま」
「おかえりなさい、トレイン」
 やり直しだとばかりに抱きつき、今度はちゃんと両手を使ってセフィリアを抱きしめるトレイン。
 二人はもう一度二人にしか聞こえない距離で、ただいまとおかえりを繰り返す。
 何も特別遠出をしていたり、会うのが久方ぶりと言うわけでもない。
 二人は互いのそばにそれぞれがいる事を毎日のように確かめあい、そして毎日微笑みあうのだ。
 今その時に出来る最高の笑顔で、コレから送る毎日をずっと。

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