第二十話 NoUからの伝言
「イヴ、食べたくなければいいんだぞ」
 頬杖をつきながら、食が進まなさそうにお皿の上のパスタをフォークで突いているイヴへとスヴェンが言った。
 行儀の悪さよりも先に食べるかどうかを尋ねたのは、このところずっとこの調子であるからだ。
 イヴとて久しぶりのスヴェンのご飯が嬉しくないはずもないのだが、スヴェンがご飯を作るようになった原因が原因である。
 セフィリアが黙ってクロノスへと戻ってから三日。
 周りは静かなもので、人を勝手に巻き込んで暴走する人がいなくなって本当に静かである。
「食べるけど、時間がかかりそう。洗い物は私がするから、スヴェンは先に食べてて」
「そうか……なら、俺は食ってから少し部屋に篭るからな」
「うん、わかった」
 そう言って溜息をついたイヴは、誰もいない席をにらみつけた。
 この三日間ふらりといなくなっては、昼夜問わず帰ってきて泥のように眠り、また出掛けるといった事を繰り返しているとレインの席である。
 一体何をしているのか、セフィリアの事が気にはならないのか。
 セフィリアが黙ったままクロノスに戻ったのは、何か意味があったのではないのかと思える。
 理解できないのは、何時ものようにふらりと出かけては姿を消していつの間にか帰ってくるトレインである。
 苛立たしげにフォークで皿の底を苛めていると、玄関が開く音がした。
 咄嗟に時計を見上げたイヴは昼を回ったところを確認してから、立ち上がり玄関から続く廊下へと出る。
「どこに行ってたの?」
「散歩だよ、散歩。姫っちも家の中でほんばかり読んでないで外に出たほうが良いぜ。んじゃ、俺はしばらく寝るからな。言わなくても静かだろうけど、静かにしていてくれよ」
 今にも笑い声を上げそうな顔で言われてイヴは我知らず拳を握っていた。
 色々巻き込まれたこともあるが、その程度の間柄だったのだろうかと言ってやりたくなる。
「なに怖い顔してるんだよ。俺は疲れてるから、遊んでほしけりゃスヴェンをあたってくれ」
 頭にかるく手を置かれすれ違われた時に、イヴの我慢が限界を超えた。
 何か言ってやらなければと考えもまとまらないうちに開き出した口を止めたのは、肩に置かれたスヴェンの手であった。
「イヴ、トレインを休ませてやれ」
 だってと反抗するより前に、スヴェンの言葉がひっかかる。
 休ませてやれとまるでトレインが疲れきっているような言葉遣いがである。
 何かがおかしい。
 頭に上った血を鎮めて降ろしていくと、先ほどまでは気付かなかった匂いが漂っていた。
 石鹸の匂いが廊下に残っていた。
「外から帰ってきたのに、石鹸?」
「イヴ、少しいいか。お前にも話しておこうと思う」
 スヴェンに呼ばれ、すでに冷めてしまったパスタが待っているテーブルにつく。
 冷め切ったパスタの変わりにスヴェンがお茶を用意してくれ、それを口にしながら話してくれた。
「俺も、本人から直接聞いたわけじゃない。ただトレインが出かけている間に、少しアイツの部屋を物色させてもらった」
 そう言ってスヴェンが取り出したのは、トレインの部屋には似つかわしくない書類の束であった。
 その中には地図らしきものも入っており、いくつかの地点に赤い丸とばつが記されていた。
 丸だけが示されている場所、丸の上からばつが記されている場所もある。
「いくつかの地点の事をアネットに問い合わせてみた。どうやら、すべてクロノスの拠点らしい」
「ちょっとまってスヴェン、こればつ印が……まさかトレイン」
「一人で潰して回っているみたいだ」
「でもセフィリアさんが近い場所にいる保障なんてどこにも」
「たぶんそれも解ってやっているはずだ。そしてトレインは待っている。向こうからのコンタクトを」
 セフィリアがトレインの所にもぐりこんでいた事は、クロノスの中の誰かが知っていたはずだ。
 そしてセフィリアが戻ってきてすぐに幾つもの拠点が潰されればまっさきに疑われるのはトレインである。
 無茶苦茶なようで理にかなった行動であるが、スヴェンの危惧はそこではなかった。
 今回、トレインはあくまで一人で行動しようとしている。
 チームであり相棒である自分達に相談もなしに、自分だけで全てのかたをつけようとしているのだ。
 それはつまり、っとそこまで考えた所で玄関のチャイムが鳴らされた。
「こんな所に客とは珍しいな」
 一体誰がとスヴェンが席を立った所で、二階からすさまじい勢いでトレインが階段を駆け下りてきた。
「イヴ、お前はここにいろ。様子が変だ」
「トレインが変なのは何時ものことだよ。それに、わざわざインターホンを鳴らしてから奇襲してくる人なんていないよ」
「まあ、確かに」
 結局はイヴも連れて、十分に注意をしながら玄関へと行くと、そこには何度か会った事のあるナンバーズがいた。
 イヴやスヴェンは詳しくは知らないが、セフィリアに次ぐ実力者だったはずである。
 そこにいたのはクロノ・ナンバーズのU、ベルゼーである。
「アンタが歩きとは、明日は雨が降りそうだ」
「ヘリでもよかったのだが、撃ち落されては経費の無駄なのでな。一番近い拠点に置いてきた」
「ここに来たってことは俺からのメッセージはしっかり受け取ってくれたみたいだな」
「たかだか人一人暴れた程度でどうにかなるクロノスではない。それにメッセージなどなくとも、元々来るつもりではいたのだ。無駄な労力だ」
 今にもハーディスを抜きさりそうなトレインとはちがい、ベルゼーは淡々と答えていた。
 そしてコートの中をあさると、一枚のデータディスクを取り出してトレインへと投げてよこした。
「セフィリアの処刑が行われる場所と、クロノスの影響下にない土地のリストだ。用件は以上だ」
 本当にデータディスクを一枚渡しただけで、ベルゼーは背を向けていた。
 これにはさすがのトレインもめんくらい言葉を失いかけていた。
 それはスヴェンも同じであり、この中で一番冷静だったのは先ほど一度頭に血を上らせてから沈めたイヴであった。
 セフィリアの処刑と聞いて多少の動揺はあれど、頭は冷静であった。
「おじさんの目的は、セフィリアさんを助ける事なの?」
「いや、その逆だ」
 一体何処に本心があるのか、逆とは助けない事、つまりクロノスの方針に従うと言う事である。
 ではトレインが受け取ったデータディスクの意味は何なのか。
 完全に背を向けて玄関のドアを開けたヴェルゼーは首だけで振り向き、トレインをみた。
「トレイン、セフィリアの事を頼む」
 この言葉で唯一冷静だったイヴまでも、混乱する事になってしまった。
 ベルゼーが呟いた台詞は、逆の逆。
 ますますベルゼーの本心が何処にあるのかわからず、一枚のデータディスクが罠としか思えなくなってくる。
 ベルゼーによって開かれた玄関のドアが再び閉まると同時に、トレインが乱暴に開け放った。
「アンタの思惑が何処にあるのか、そんな事はどうでもいい。俺はセフィリアを助け出す。クロノスから、アイツがコレから背負うであろう全てから」
 ベルゼーからの返答はなかった。
 突然の来訪者は静かに現れ、静かに去っていく。
 そして残されたデータディスクを早速見ようと、スヴェンがトレインの持つそれへと手を伸ばす。
「俺の部屋で中身を見てみよう。何時まで時間があるか、まだわからないからな」
 だが指先が触れる直前でトレインは、取り上げるようにデータディスクを遠ざけた。
「これを渡す前に二人に言っておきたいことがある」
 突然の悪ふざけをしておきながらなんだろうと小首をかしげるイヴとは違い、スヴェンは理解していた。
 トレインが一人で行動を始めたことを知ったときから、こうなることはわかっていた。
「今日、この場でこの掃除屋チームを解散しようぜ」
 やはりなと思い、タバコを一本取り出し吸い込んだスヴェンとは違い、イヴの目はどういうことかと見開かれていた。

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