第十九話 笑顔の代償
 手錠で拘束されたセフィリアが連れられていったのは、クロノスの本部にある謁見の間であった。
 そこはクロノスの中で最高幹部への映像越しの謁見が許される唯一の場所である。
 普段はセフィリアやベルゼーと言った隊長格ですら容易には足を踏み入れられず、例外はナンバーズの任命式である。
 薄暗い部屋の中で浮かび上がるのは三つのスクリーン。
 クロノスの実権を握る三人の重鎮たちである。
「セフィリア・アークスよ。ナンバーズを束ねるべきお前が拘束という手段をとられた意味は理解しているな」
「はい」
 確認のために放たれた言葉をセフィリアは正面から肯定した。
 迷いなく淀みなく。
「ナンバーズリーダーでありながら、私は命より大事なナンバーズとしての証であるクライストを抵抗組織の一つに奪われてしまいました」
「そうだ。これまでの功績から一ヶ月の猶予を貰いながら組織の壊滅は成功したものの、すでにクライストの行方は闇の中」
「相違ありません」
 事実とは違う言葉を吐き、偽者の情報を確認されてもセフィリアは頷いて見せた。
 すべては思惑通りベルゼーが取り計らってくれたのだ。
 これでトレインと、イヴやスヴェンにクロノスの手が伸びる事はない。
 クライストを紛失した自分がどのような罰を受ける事になっても、クライストの行方は言葉通り闇の中である。
 与えられた一ヶ月の間に、罰を受けるだけの覚悟は済ましてある、トレインへの思いは成し遂げてある。
「よもや忘れたわけではあるまいな」
 再びの確認は、三人の幹部の声が重なっていた。
「オリハルコンはクロノスの最高機密。それはナンバーズの命でさえ上回る」
 ナンバーズであるならば知らないはずがない。
 任命の再にその時々のリーダーから一番最初に教えられるナンバーズとしての心得なのだから。
 セフィリア自身、トレインやルガートといったナンバーズに教え込んできた事である。
 わかっていた。
 わかっていながらも、あの時に禁を破ってまでトレインに新しいハーディスを渡したかった。
 それについて後悔はなく、こうなる事は覚悟済みであった。
「どのような罰も受け入れる所存です。クロノナンバーズの元リーダーとして」
「よかろう。ただし、ただの処刑では済まさぬ。貴様は汚点だ。長いクロノスの歴史の中で始めてオリハルコンの武器を紛失したナンバーズ。これからも続くクロノスの歴史の中で、貴様の名は、教訓という名の汚点として残っていく。死してもその名は開放されず、クロノスが続く限り残されていく」
「了解いたしました」
 頭を垂れていたセフィリアは、三つのスクリーンを見上げて笑顔で言った。
 内心それがどうしたと思っていた。
 以前の自分であるならば自分がクロノスの汚点になることに屈辱さえ覚えたことであったろう。
 だが今はこの先クロノスの中で自分がどう残っていこうと、構わない。
 トレインやイヴ、スヴェンと過ごした日々がこの心の中にさえ残っていればそれでよかった。
 それさえ守る事が出来れば本望であった。
「汚点と言われ、開き直るか。これまで目をかけていてやっていた分だけ不快である。ベルゼーよ、連れて行け」
 言われて軽く一礼したベルゼーが、手錠から伸びた鎖をひっぱる。
 何処へ連れて行かれるのかは解りきっていた。
 覚悟していた分だけ恐れは少なかった。
 先を歩くベルゼーの背中を見ながら、ふと他ごとに気をとられるほどに。
 今まで当たり前のように多くの事を頼み込んでいて不思議に思わなかったことが妙なぐらいである。
 何故ベルゼーは、クロノスの幹部たちを欺いてまで協力してくれたのだろうかと。





 その独房へは、一度だけ足を運んだ事があった。
 自分がリーダーの任期の中でそれほどの問題を起こしたのは、トレイン一人である。
 反抗的な態度をとり始めたトレインをこの独房へと案内したのは自分であった。
 まさか自分がこの独房へ入る日が来るとは、当時には思いも寄らなかった事だ。
「解っているとは思うが、処刑の期日と場所が決まるまでここにいてもらう。この独房を選んだのは、私の手向けであり、おそらくお前を苦しめる事になるであろう事がクロノスを欺いた自分への罰だ」
 手錠を外しながらベルゼーが呟いた言葉に、セフィリアはその事を尋ねた。
「ベルゼー、貴方は何故そこまでつくしてくれたのですか? 本来ならば、私がクライストを手放そうとした時点で告発するのが貴方の役目であったのでは?」
「知っていると思うが、私もクロノスの為に生まれクロノスで育ったイレイザーだ。それ以外に言うべき事はない」
「それ以上は機密と言うわけですか」
「そうだ、今のお前はそれを知る権限は持たない。それにこの事を知っているのは私のほかにはメイソンぐらいのものだ。クロノスにはまだまだ秘密が多い。しゃべりすぎたな」
 手錠を外しセフィリアを独房へと入れると、ベルゼーは扉に手をかけた。
 そこで思いも寄らなかったのはセフィリアが頭を下げてきた事だ。
「ベルゼー、これまで本当にありがとうございました。私が最後に私として行動できたのは、トレインへの思い以上に貴方の協力があっての事でした」
「気にするな。もう二度とこんな事はないだろうからな」
 ドアが閉められ、ベルゼーの足音がゆっくりと去っていく。
 そこはもう、完全な暗闇であった。
 ベルゼーが持っていた灯りも足音と共に消え去り、目が慣れても何かが見えることもない。
 セフィリアは手探りでベッドを探し当て、そこに腰を下ろした。
 もう後は何か考え事をするしかする事は残されていない。
 ベルゼーが協力してくれた理由はわからずじまいであったが、最後まで考えるのはトレインの事である。
 記憶の中に残されたトレインの笑顔が一コマ送りで流れていく。
「そう言えば、この独房はかつてトレインが入っていたものですね」
 トレインを独房から出した時には、心地良くて気に入ったと言っていたが何を考えていたのだろうか。
 シーツ一枚ないコンクリートのベッドにトレインの温もりが残っているはずもないが、指先でなぞる。
 そして唐突に会いたいと願ってしまった。
「あ、涙」
 強くトレインを意識した途端、頬を涙が伝っていた。
 ぬぐてもぬぐってもあふれてくる。
 思い出したのはベルゼーが、苦しめる事になると言った言葉であった。
 まったくもってその通りであった。
 違う独房であれば、トレインの事を考えはしても意識して感じることはなかった。
 会いたいと願う事はなかった。
 願ってしまった今、死にたくないと思った。
 トレインの元へと帰りたい、一ヶ月だけなんて足りなすぎる、もっともっと何ヶ月、何年も。
 セフィリアは無駄だとおもう暇もなく、独房のドアへと駆け寄っていた。
「ベルゼー、いないのですか? 開けてください、私を彼の元へと行かせてください!」
 特殊な材質でできた独房のドアを叩いても、セフィリアの手が痛むだけであった。
 それでもセフィリアは叫ぶ事をやめなかった。
 一度決壊した感情は止まらない。
 トレインの笑顔が、これまでの日々が浮かび、自分が選んだ道が、覚悟が崩れていく。
「何故私はクロノスの申し子として生まれたのですか。私も自由に、普通の女として、アッ……」
 自由になりたい。
 そう願った瞬間に、体の中を何かが駆け抜けた。
 これまで何度も味わった不快感など比べ物にならないぐらいに、肉と皮膚の間を虫が這うような気分である。
 今ようやくこれが何なのか解った。
 ナンバーズを籠の鳥としておくべき、何かが植えつけられている。
 自由を求める事で、クロノスから心が離れる事で発動する何か。
 恐らくは、ナンバーズの中でもクロノスの為にクロノスで生まれた者たちへと埋め込まれている。
「ト、レイン、貴方に」
 独房のドアを爪で引っかきながら、うずくまる様にセフィリアは倒れこんでいく。
 体の中で痛みを、不快感を発しない場所がない。
 トレインを思わなければ耐えられず、トレインを思う程に痛みが不快感が増していく。
 どこまでも悪循環に陥り、初めてセフィリアは悲鳴を挙げた。
「会いたい。トレイン、トレイン!」
 それでもセフィリアは会いたいと願っても、助けて欲しいとは叫ばなかった。
 本心では助けに来て欲しい、ここから連れ出し一緒に逃げたい。
 だがトレインが助けにくればそれだけトレインが危険な目にあう。
 だからそう願う事は叶わず、ただ一つ名前を呼ぶことだけは許して欲しいとセフィリアはトレインの名を呼ぶことで耐え続けていた。

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