第十四話 居ついた飼い猫
 なんだか良く解らないが、セフィリアが一ヶ月の間居候をする事が決定した時は嬉しかった。
 嬉しかったはずだ。
 はずなんだと自分に言い聞かせるようにしながら、トレインは食卓テーブルに顎をのせてだるそうにしていた。
 ルガートとの決闘で負った傷の調子が悪いからではない。
 家と呼んで差し支えない自分たちのアジトで、居心地の悪さを感じているだけなのだ。
「まさに、借りてきた猫」
「姫っち、誰に向かって喋ってんだ?」
「別に」
 椅子の上で体操座りをしていたイヴは、背を丸めて持っていた本で顔を隠してしまう。
 自分で言って照れたようだ。
 それは良いとして、何故食事時でもないのにトレインとイヴが並んで食卓テーブルに座っているかと言うと居場所がないからだ。
 セフィリアが居候を宣言した翌日、トレインの部屋の横を陣取り色々と内装に手を加えたまでは良かった。
 良くなかったのは、自分の部屋だけでなくリビングやキッチンといたる所にセフィリアが手を加えたのだ。
 食卓テーブルの上一つをとっても、以前はテーブルクロス一つなかったのに、真っ白なそれと中央に花瓶が置かれ艶やかに花が生けられている。
 何を張り切っているのか、朝昼晩のご飯もセフィリアの手作り。
 この状況を一番喜んでいるのは家事全般から解放されて趣味の武器作りにいそしんでいるスヴェンだけであろう。
 イヴは内装はまだしも、スヴェンのご飯が食べられない事が不満であるし、トレインは内装を変えられたことすら不満であった。
 借りてきた猫と表現したイヴの言葉がその通りで、自分たちのアジトながら何処にいればよいのかわからないのだ。
「トレイン、貴方の部屋の布団は干しておきました。洗濯物があれば言ってください。イヴちゃんも……えっとスヴェンさんはどこでしょうか?」
「たぶん自分の部屋にいると思う。入らない方が良いよ。凄い事になるから」
「そうですか。でしたらトレイン、お買い物頼めますか? スヴェンさんが行けないとなると、車を使えるのはトレインだけですし」
 本で顔を隠していたイヴは、面倒臭そうにトレインが断るとばかり思っていた。
 なのにそれを聞くや否や放たれた答えは意外なものであった。
「わかった。でも何を何処で買ってくるかメモしてくれよ。車に乗ったらすぐに忘れるからよ」
 それは早すぎるだろうと突っ込んでくれるスヴェンは自分の部屋で趣味に没頭している。
 及ばずながら心の中で突っ込んだイヴは、珍しい事もあるものだと立ち上がったトレインを見上げながら言った。
「セフィリアさん、メモを渡すぐらいなら一緒に行ったらどうですか? トレインの事だから戻ってきた時には、メモを落としたとか言って笑う可能性もありますよ?」
「そうですか、困りましたね。私はもう少しここのお掃除をしていたいのですが」
 トレインの事が好きなのではないのかとセフィリアに突っ込みたくなるぐらい、メモを落としたという可能性に悩み出してしまった。
 もうイヴでは突っ込みきれないため、黙っていようと再び本で顔を隠すと、小さな声が頭の上から降ってきた。
「途中でアメ買ってやるから、姫っちがついてきてくれ。頼む」
 今度は何一つ突っ込まず上目遣いでトレインを見上げると、懇願に近い顔で瞬きを繰り返していた。
 どうやら合図のウィンクのつもりらしいが似合わない。
 そして悟ったのは、またセフィリアの張り切りが空回りし出していると言う事であった。
 せっかくトレインが変り始めた気がしたのに、もったいない進歩のない人だとイヴは助け舟を出した。
「良い事を思いつきました。私が一緒についていきます。私ならトレインと違ってメモも必要ないですし、忘れる事もありません」
「じゃあ、イヴちゃんお願いします」
「先にガレージに行って車出してくる。玄関の前に止めとくぜ、姫っち」
 脱兎の如くガレージに逃げ出したトレインを見送り、イヴは買ってくるものをセフィリアから一つ一つ聞き出した。
 危惧したほどの量はなく、その殆どが食材である為憶えるのはそれ程困難ではなかった。
 一度覚えた内容を確認してさあ玄関を出ようというところで、セフィリアの手がイブの腕を掴んだ。
「セフィリアさん?」
「イヴちゃん、トレインの事を頼みます。街で悪い人に騙されないように、しっかりガードしてください」
「あの買い物ってほとんど食料なんですよね」
「トレインは格好良いので、妙な人がトレインに好意を寄せても困ります。お願いしますね」
 やっぱり、イヴは先ほど感じた思いが間違いではない事を確信した。
 セフィリアはトレインと一つ屋根の下に住む事になって、明らかに舞い上がっていた。





 二人が出かけ、スヴェンは自室に篭りきり。
 人様の家に一人という状態に限りなく近いものの、セフィリアは忙しそうに働いていた。
 掃除機をかけたり、少し気になるところがあれば一人で大き目の家具さえ動かしていく。
 その辺りは少し普通の家事をこなす女性とは違うが、やっている事はほぼ家事である。
「ふぅ、もうひとがんばりですね」
 なんだか家事に目覚めた新婚さんのような振る舞いであり、やはりイヴの睨んだとおり舞い上がっているのだろう。
 放っておけば掃除機の音に負けないぐらいの鼻歌でも歌い出しそうなセフィリアを、玄関の呼び鈴が止めた。
 あまり客人が訪れる場所ではないので不思議な感じがするが、呼び鈴はどこでも大差のない音である。
 一瞬出てもよいのか迷ったセフィリアであるが、舞い上がった心は留まる事を意味もなく許さなかった。
 玄関をこちら側から開けてどちら様と出ると見知らぬ女性がそこにいた。
「みない顔だけど、トレインたちはいないのかい?」
「いえ、トレインとイヴちゃんは買い物に。スヴェンさんは自室ですけれど」
 何処かで見た憶えのある顔だとセフィリアは頭が冷めていく思いであった。
 幸いこちらを襲う気配もないが、見知らぬ訪問者の前に無防備に出るなど迂闊というしかない。
「怪しい者じゃないよ。アネット=ピアス、街のすぐそこで喫茶店のマスターやってる者だよ。トレインがやっかいな決闘をしたって小耳に挟んだんだが」
 アネットの名を聞いてセフィリアも目の前の人物の事を思い出した。
 セフィリアも何度か耳にした事のある腕前の元掃除屋で、今は情報屋を営んでいるはずである。
「そのわりには辺りが静か過ぎて、いっそ当人たちに聞きにきたのさ」
「なんのことでしょうか? 私には何の事だか、解りかねますが」
「そうかい、あんたがそうだったのかい」
 ルガートの事を聞きにきたのかと思いきや、意外な納得のされ方にセフィリアが身構える。
 下手な情報を持ち帰られるわけにも行かないが、トレインの知り合いである以上傷つけるわけにも行かない。
 アネットはそうでもなさそうだが、明らかにセフィリアは緊張から体を硬くしていた。
 そこへ振って沸いたのは眠そうな同居人の声であった。
「いかん、いかん。没頭できる時間があるのも考え物だな。ついつい徹夜を……アネット、アンタがこっちに来るなんて珍しい事もあるもんだ」
「トレインがナンバーズと決闘した後に、ナンバーTが転がり込んだと聞いてね。物見遊山で様子見にきたのさ」
「おい、なんで知ってるんだ。それはもう誰かに言っちまったのか?!」
「あんまりこの街でドンパチして欲しくなくてね。もう何処かへ行っちまったって偽の情報を流しておいたよ。礼はたまっているツケを払うってのでいいよ」
 それでもいつかはばれるだろうがと言葉を残してアネットは上がりこんできた。
 助けられた、そう言葉から伺う事が出来た為セフィリアもとめはしなかった。
 スヴェンがキッチンから紅茶を入れ、セフィリアの分まで入れてくれた。
「少し腰を落ち着けて話そうか。セフィリア安心しろ、アネットは信頼できる。逆に理解してもらった方が、協力を頼めるしな」
 一度心を落ち着けてリビングのソファーにつくと、セフィリアは入れたての紅茶を口に含んだ。
 それからスヴェンの言う通りに事のあらましを説明した。
 スヴェンの言った通りアネットは理解を示してくれ、セフィリアの情報が入ったら積極的に偽の情報を混ぜてくれると約束してくれた。
 それでも隠せて一ヶ月だと言われたが、十分な時間であった。
「しかし、アンタも大変だねぇ。よりにもよって惚れた相手がアレだとは」
 一通りの約束が終わった後にアネットが呟いた言葉に、スヴェンはうんうんと頷いていたが、セフィリアの行動は違った。
 ビクリと体を震わせると、言い終わってから言わせてなるものかとアネットの口を塞ぐ。
 オマケにスヴェンにはぎこちない顔で笑顔を送り誤魔化そうとしている。
(まさか、ここまでしてばれてないとでも思っているのか?)
 呆れて半眼でスヴェンが視線を送るも、セフィリアは誤魔化し笑いを続けるのみである。
 そしてこほんと一つ咳払いをうち何かを言おうとした所で、玄関が勢いよく開いた。
 蹴り破ったかのような音に、偽の情報に惑わされなかった者がいるのかと三人とも身構えるがそうではなかった。
 飛び込んできたのはアジトの中だというのにハーディスを抜き身にして振り回しているトレインであった。
「おーい、こいつはすっげえ。さすがハーディスUだぜ」
 アジトを出て行った時とは豹変した態度で帰ってきたトレインは、どうにも浮かれている様子で、皆は答えを後ろからついてきたイヴに求めた。
「買い物の途中で引ったくりがあって、トレインがはしゃいで捕まえたの。それで、コレ。スヴェンがんばって」
「ん、なんだこの紙き……なにぃ!」
 イヴから手渡された紙に印刷されている文字を呼んでスヴェンが固まる。
 と言うよりも怒りを溜め込んでいたようで、徐々にぷるぷると震え出す。
 手渡されたのは領収書であった。
「たかが引ったくりを捕まえるのに巻き込んだ人数十人。壊した物品は三つ。換算すると三十万イェンの損害だよ」
「三十万ぐらい安い安い。それぐらい借金が増えたからって変わらねえよな、スヴェン」
「ちりもつもればという言葉を知らねえのか、お前は!」
 案の定怒りの鉄拳をスヴェンから貰うも、ハーディスUの性能に浮かれているトレインは反省するよりも反撃にでていた。
 そう時間が経たぬうちに飯抜きの通達が出ることは間違いないのだが、トレインはそのことに気付いていないようである。
 傍観しているイヴもとめる様子はなく、ほったらかしにされたアネットはお茶を飲んでから傍らの美女に問いかけた。
「アレを見ても、アンタは大変だとは思わないのかい?」
「思いません。むしろ、あの笑顔の為ならば、私はこの先どんな事が待ち受けているとしても耐えることができます」
 耐える事ができるとは妙な言い回しではあったが、アネットは深くは考える事はしなかった。
 ただセフィリアが本当にトレインに惚れている事を再認識し、あの能天気男がそれに答えるだけの器があるのか。
 その点だけを不安そうにしていた。

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