第十三話 ありがとう
 気がついたら、朝だった。
 ひんやりとした空気から漠然と早朝である事を感じとったトレインは、頭が正常にはたらくにつれはっきりとなった視界に映りこんだそれに驚いた。
 こちらを覗き込むようにして寝こけているセフィリアである。
 クロノナンバーズのNoTともあろうものが、人にひざまくらを行いながら無防備にも眠りこけていた。
 恐らく同等の実力を持つであろうトレインが顔の数十センチ前で目が覚めたのに、反応すらしない。
 全く、これ以上にないほどに無防備な姿をさらしていた。
「あ〜、そういや昨日は力つきて。それから憶えてねえな」
 力尽きる前にセフィリアが現れた事ぐらいは憶えていたが、ならば何故こんな林の中でひざまくらなどされているのか。
 真剣勝負の反動からか、ぽけっと考え込んでいたトレインは真正面からセフィリアの寝顔を見つめていた。
 首筋を通って流れ落ちる神も、今は閉じられている瞳も、すみからすみまで。
 思わず手を伸ばしそうになって触れそうになっては手を止めたのは、トレインだけの秘密であった。
 トレインが何度か葛藤を続けるうちにセフィリアのまぶたがゆらぎ、目を覚ましたのは、運よく完全に手を引いた後であった。
「よ、よう。目が覚めたか」
「あ……え?!」
 下から覗き込まれるようにして放たれた言葉に、寝ぼけ眼だったセフィリアは一気に目を覚ましていた。
 寝顔を見られていたこともあって跳び退りそうな勢いであったが、トレインが膝の上にいてそれもできなかった。
 せめてと両手で顔を隠すと、指の隙間から何事もなかったかのようにしているトレインに言う。
「み、見てましたか?」
 寝顔を見られたくないなどという感情をトレインが理解できるはずもなく、最初その質問の意味を図りかねていた。
「十分も経ってないと思うが、わからん。すっかり朝だし、帰ろうぜ」
 気にした様子もなく言いはなって直ぐに立ち上がったトレインは、振り返ってセフィリアへと手を差し伸べていた。
 格好悪い所を見られてしまったと、手を取って立ち上がろうとしたセフィリアはひっぱられるままに転んでいた。
「なにやってんだ、お前?」
 どうして好きな人にこんな場面ばかりと恨んだのは、一晩中正座していた為にしびれた両足であった。
 立ち上がろうとして気づいたが、痺れきった足は感覚などないに等しい。
「すみません、どうにもならないみたいで……」
「仕方ねえな。俺の背中に乗れよ」
 そう言って振り向いて背中を差し出してくるトレインだが、トレインのほうは足が痺れた程度ではなく怪我人である。
 しばらく躊躇していたセフィリアも、いつまでも地面に座り込んでいるわけにもいかず折れる事にした。
 これ以上格好悪い事にはならないだろうと諦めの境地に達したセフィリアは、あることに気づいた。
 早朝といってもアジト方面の街道になると、散歩などですれ違う人が皆無なわけではない。
 すれ違うたびにその人たちが不自然に振り返ったり、明らかにぎょっと注視してくるのだ。
 確かに程よくトレインはボロボロであったが、それだけではないようだ。
「トレイン、なんだか妙な雰囲気じゃないですか?」
「けっこうこの辺にいる時間も長いけど、確かに変だな。人とすれ違ったら驚く日っていう決まりごとでもあるのか?」
 二人ともが同時に行った勘違いを正されたのは、アジトのドアを開ける直前に出てきたスヴェンからであった。
 ルガートとの戦いから無事に帰ってきた事を喜ぶ顔ではなかった。
 いつもよりも目深に帽子を被ったように見えるぐらいに俯き、ブルブルと打ち震えていた。
 そして静かに呻いた言葉で二人の勘違いを正す。
「お前の負けられない戦いってのは、まあ確かに戦いだが。朝帰りの事を言うのか? 俺はてっきり男同士拳を交える事だと思っていたんだが?」
 そう、良い年した男と女が朝っぱらからおんぶしてされて道を歩けばそうとられても仕方がない。
 事情を知っているはずのスヴェンでさえこうなのだから、道行く人などなおさらである。
「こ、これは違います。一晩中膝枕をしていたら、その足が」
「ほほう、一晩中?」
「一晩中といってもトレインは疲れきって直ぐに寝てしまって」
「トレインが疲れ切るぐらい激しかったと」
「激しッ?!」
 普段紳士を自称する彼が、赤面し言葉をなくすまでセフィリアを追い詰めるのにも理由がある。
 相棒であるトレインの力を信じているといっても、相手がクロノナンバーズである。
 緊急時には直ぐに対応できるように寝ずに起きていたのだ。
 その結果が朝帰りである。
 紳士でなくとも、怒るであろう。
「で、トレイン。肝心のお前からの言い訳はあるか?」
「アンタが考えているような事は何もなかったよ。どいてくれ、結構疲れてるんだ」
 スヴェンを押しのけるようにしてアジトへと入っていったトレインを、スヴェンは信じられないと言う目で見ていた。
 セフィリアが慌てても口をつぐみ、何を考えているのか顔を伏せていた。
 そのトレインが通り過ぎる様、照れていたように見えたのだ。
 本当に何かあったのなら、逆に開き直りそうな男の照れが信じられず、怒りに任せて吸っていたタバコをぽろりとスヴェンは落としていた。





 玄関でのやり取りに気づいて起きたイヴも加えて、四人は居間のソファーに集まった。
 トレインからルガートとの勝負には勝ったことを知らされたが、それ以上に驚いたのは見た目こそ小さな差異があるものの、ハーディスが完全なる姿でトレインの手にあったことだ。
 聞けばセフィリアが持ってきてくれたという話であるが、スヴェンもイブもオリハルコンの事でもめていたのは知っている。
 それが何故と思うのは受け取った本人であるトレインも同じで、改めてセフィリアに尋ねた。
「あの時は、何も聞かずにいてくれって言われたけど、何も聞かないわけにもいかねえ。聞かせてくれねえか?」
「そのハーディスは、私のクライストを元に作られたものです」
 セフィリアが言った言葉の意味を正確に掴み取れたのは、クロノナンバーズに在籍したいたことのあるトレインだけであった。
 クロノスの機密の中の機密、オリハルコン。
 ナンバーズに与えられた武器を勝手に形を変え、しかも裏切り者に値する自分に渡した。
 深刻な顔をせずに入られなかったトレインであったが、その顔を明るい顔でセフィリアは覗き込んだ。
「心配しないでください、トレイン。今回のことはベルゼーが上手く手はずを整えてくれています。貴方が心配するような事は何もありません」
「ベルゼーが……」
 確かにあの時ベルゼーが一度割り込んできた事が、セフィリアの言葉の信憑性をあげてくれた。
 ハーディスを受け渡される場面を彼も見ていたのだ。
 それを止めなかったとなると、すでに手を打っている可能性が高い。
 つまりセフィリアには何の心配もいらないのだが、明らかにトレインはほっとしていた。
 時折セフィリアに対してだけ思うそうした感覚に戸惑いつつ、笑う。
「なら、オッケーだな。使い心地もなんだか前よりいいみたいだし。新しいハーディス、ハーディスUってとこだな」
「よく話が見えないが、問題なしって事でいいんだな?」
 オリハルコンについての話についていけなかったスヴェンが確認をいれるが、ゆっくりとセフィリアは首を横に振っていた。
「なにか、あるんですか?」
「深刻な話ではありません、イヴちゃん。新たなクライストが用意されるまで、一ヶ月。その間、私は完全に無防備となってしまいます」
 その隙を狙う者などいくらでもいるのだろうが、何故深刻にならないのか。
 穏やかではないはずの話なのに、穏やかに言うセフィリアの答えは単純なものであった。
「ですから、一ヶ月の間私をここでかくまってください。組織に出入りすると返って目立ちますから」
「つまり、ここに置いてくれと?」
「はい、その通りです」
 確認したのはスヴェンであったが、駄目ですかとセフィリアが尋ねたのはトレインであった。
 少々上目遣いなのは、仕方のないところだ。
「まあ、いいんじゃねえの?」
「おい、トレインそんな簡単に」
「本人が危ない目にあうのがわかってるのに外に放り出すってのはアンタらしくないな。どうせ一ヶ月だけだろ?」
「私も問題ないと思う。セフィリアさんがそれでよければ」
 はっきり言ってスヴェンが心配していたのは、トレインとセフィリアという健康な男と女が一つ屋根の下に住むという事であった。
 ないとは思うが、イヴにとってよからぬ影響がと考えていたのだが、そのイヴから賛成意見が飛び出してしまった。
 ここで無理に反対するのも結局はトレインの言う通り、紳士道に反する。
 悩みに悩みきった上で、出てきたのはやはり承諾の言葉であった。
「解った。確かに放り出すわけにもいかない。部屋は余っているはずだから、好きな部屋を使ってくれ」
「ありがとうございます。トレイン、一ヶ月の間ですけれど私を守ってくださいね?」
 特にトレインへと向けられた笑顔のお願いに、間髪入れないタイミングでトレインが頷き返していた。
 人のお願いに対してとる行動としては珍しい、そうスヴェンとイブに思われているとも思わず、トレインはセフィリアに部屋選びの為に連れて行かれた。
 全くの抵抗を行う事もなく、むしろ自分から足を動かしていた。
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