第十一話 新たなる黒猫の爪
 夜風が木々をなぐささやきが耳に届く。
 時々雨のようにルガートに降り注ぐのは、砕け散ったハーディスのかけら達。
 何が一体どうなったのか、自らの技の威力におぼれる暇もなくルガートはそれだけを考えていた。
 また一つ欠片が体に降り注いだそれを手に取り、そのままリントヴルムで握りつぶしていく。
 力をそれ程込めなくとも欠片の一部はさらに粉々になり、それがオリハルコンなどではなく、少々強度の強い鋼に過ぎないと教えてくれる。
 つまりトレインはオリハルコンですらないハーディスを、もうすでにハーディスとは呼べぬ代物で戦っていたのだ。
「トレイン」
 怒りが、侮辱とも言えるその行為に怒りが湧き上がる。
 その矛先は言うまでもなく大木の根元で、幹を背にして座り込んでいるトレインであった。
「どういうつもりだ。何を考えてこんな玩具で俺に立ち向かった。俺とお前の戦いは、そんなにも安いものだったのか?!」
 一部怒りを開放させて蹴りつけた大地がひび割れ砕ける。
 それほどの怒りを充満させたルガートを目の前にしても、トレインが微動だにすることはなかった。
 まるで静かに眠っているかのように木の幹に背をもたれさせたまま頭を垂れている。
 意図したものなのか、それともそうせざるを得ないのか、ルガートが歩み寄っていくと俯いていた頭が動いた。
 ゆっくりと上げられていく頭を二、三度振ったトレインは、後頭部に手のひらを当てながら呟いた。
「痛ッ、まさか最初の一撃で砕けちまうとはな。せめて三度ぐらいもつとは思ってたんだが、甘かったみたいだな」
 言いながらトレインは砕け残ったハーディスのグリップ部分を持ち上げるが、すぐにそれさえバラバラに砕けて手のひらから消えた。
「もつ、もたない以前に、ハーディスに救われたか」
 認識を改め、体の異常を確かめながら立ち上がるが、すぐにルガートが伸ばした手のひらに襟首をつかまれ背後の木に押し付けられる。
「これ以上俺を怒らせるなよ、トレイン。知っていたんだな。ハーディスが耐えられないのだと、知っていたんだな!」
「ああ、知っていた。知っていたさ」
 答えた瞬間、ルガートの拳がトレインの腹部に突き刺さっていた。
 めり込んだ異物に内臓が押し上げられ、苦悶の声がトレインの口から漏れていく。
「その程度のものだったのか、お前の覚悟は。トレイン、お前という存在はその程度のものだったのか!」
 くの字に折れたトレインの体を、両の手のひらを合わせた拳で地面に叩きつける。
 自分は、今夜の為に、トレインとの戦いのために全てを捨てた。
 殺し屋としてのプライドも、無双流を継ぐものとしてのプライドもかなぐり捨てて、クロノスという組織に頭を垂れた。
 だからこそ、トレインの不十分な覚悟が。
 覚悟とさえ呼べない心の持ちように腹が立って仕方がなかった。
「トレイン、貴様は!」
 地べたにたたきつけたトレインの体目掛けて蹴りを突き出すが、ルガートは頭に血が上りすぎていた。
 トレインの体が消えた代わりの置き土産につま先が触れてしまう。
 瞬時にして光を放ちだしたそれは、ルガートと目の前の大木を消し飛ばす勢いで膨れ上がり爆発した。
 咄嗟の事で完全に回避することは敵わなかったようだが、爆煙の中から両腕で顔を庇ったルガートが飛び出してくる。
 すぐさま体勢を立て直すが、トレインの姿は闇夜と木々の中に消えていた。
「ルガート、確かに俺の覚悟はお前に比べて小さかったかもしれない」
「かもしれないではない。貴様は覚悟すらしていなかっただけだ!」
「いや、俺だって下げたさ」
 姿の見えないトレインへと叫んだ後にもたらされたのは、トレインなりの覚悟であった。
「俺に出来る範囲で、アイツに……」
「だが事実、貴様はオリハルコンの武器を持っていなかった」
「そうだな。アイツにあれ以上我がままを言えなかった。困らせたくはなかった。今思えば俺らしくねえ。相手に遠慮するだなんて」
「言い訳など聞きたくはない」
「ああ、言い訳のつもりもねえ。俺はまだ諦めたつもりもねえ。お前には負けられない、だから勝つ!」
 姿こそ現していないものの、力強く言いきった言葉からルガートはトレインが本気で勝つつもりなのだと察した。
 どう考えても武器を失ったトレインが勝機を持っているとは思えなかったが、この決闘に後戻りなどはない。
 次にしよう、次があるからなどといった馬鹿げた言葉は、今この場所には不要なのだ。
 だからルガートもまた勝つために、不利も有利も棚に上げて、見えぬトレインへと向けて構えた。
(言い切ったは良いが、手持ちの、さらに仕える武器は爆弾数個。どうする?)
 確かにトレインは勝ちたいと思っていたが、あまりにも手持ちの武器が少なかった。
 スヴェンからは爆弾以外にも特殊弾を渡されていたが、これは銃がなければ何の意味ももたない。
 どうすべきか、考えるまでもなくトレインの頭に浮かんだ手は一つであった。
「そこか、トレイン!」
 思い浮かんだ手を使うと決める前に、隠れていた木が後ろ側からへし折られていった。
 屈みこんだ頭の上をルガートのリントヴルムが通り過ぎていく。
 すぐさまトレインは逃げに徹したが、飛び出した方向が悪く、隠れる木々のないちょっとした空き地に飛び出してしまった。
 直ぐに足を止めるも、さらに背後からルガートが追って飛び出してきた。
「ちッ!」
 トレインが無手と解っていてもルガートはその手を止めず、攻め続けてきた。
 受け止めるハーディスがなければトレインに選択できるのはひたすらに回避、小手先の牽制さえも避けるという手段であった。
 いかにそれが不可能な行為かを示すように、致命傷こそないもののトレインの体に無数の傷が生まれていく。
「どうした、トレイン。先ほどの言葉は口からでまかせか?」
 無抵抗そのもののトレインを攻め続けることに逆に苛立ちを感じたルガートの叫びに、トレインは笑みで答えていた。
 まだ自分は手を隠している、そう教える笑みであった。
 一体トレインがどんな手を隠しているのか、ルガートは心躍る笑みに誘われトレインを攻め続けていった。
 トレインもまたルガートが誘いに乗ってくれたことにさらに笑みを浮かべていた。
 もしもルガートが一度退きでもしたら台無しである。
 ルガートに見えないように、ズボンのすそからあるものを一つ一つ、ルガートの攻撃をかわしながらばら撒いていく。
 できれば仕掛けは全てまき終わって欲しかったが、それにルガートが気づく方が早かった。
 トレインを捕らえる為に踏み込んだルガートの足先にそれが触れる。
 蹴り上げられたそれは、小さくカツンという音を立ててから転がっていく。
「これは……薬莢?」
「あ〜あ、気づかれちまったな」
 足の先で蹴ったのが薬莢などではなく使用前の弾丸であることに、ルガートが足を止めていた。
 よくよくあたりを見渡してみれば、自分達を囲うようにいくつもの弾丸がばら撒かれている。
 そのような物をばらまいてどうするつもりか、理解し切れなかったルガートに一瞬の隙が生まれた。
 トレインの腕が無造作に二人の間に爆弾を放り投げ、やや慌てた様子で逃亡する。
 再び逃げ回る気かと一度ルガートも退いたが、爆発の熱気が薬莢を刺激し暴発を行う、完全にランダムに放たれる銃弾をリントヴルムで弾いていく。
 これが最後の手なのかと気を抜くのはまだ早かった。
 普通の弾丸ではない弾丸が破裂し、それぞれ熱波と冷気を当たり一面に振りまくき、さらにその二つが融合して爆発を大きくしていく。
 トレインが一分一秒でもといった様子で逃げ出した意味を察した頃には、逃げる間もなくルガートの姿は灼熱の炎の中に消えていった。
 一方逃げ出したはずのトレインも、想像以上の爆風に巻き込まれ流されていっていた。
 手頃な木の幹に手を伸ばし掴まると全てが納まるのをじっと堪える。
 全てが終わった頃には、あれだけ燃え広がった炎もくすぶるように小さくなっており、所々黒く変色してしまった林の中を歩く。
「こりゃ、間違いなく山火事に発展しちまうな。ルガートは……」
 爆発の中心点、つい先ほどまで自分とルガートがいたはずの場所まで戻ると、早速ルガートを探す。
 近くにそれらしく倒れた人影でもなければ、とても倒せたと安堵するわけにもいかない。
 逆に死なせるわけにもいかないと、一歩踏み出したところで、トレインの足が何者かに掴み取られた。
 その手はゾンビか何かのように地面の中から伸びており、トレインの足を掴んで話さなかった。
「地面の中?!」
 どんな発想の仕方だと驚くトレインの前で地面が盛り上がり、トレインの足を持ち上げてルガートの姿が現れた。
 全くの宙釣りになる前に近くの木へと投げつけられたトレインは、木の幹に足をつけて止まるとルガートを見た。
 身なりに付きまとった土くれによって炎や熱波による負傷は見られなかったが、事実無傷に誓いのだろう。
 完全に自信を土の中から掘り起こすと、軽く体をほぐしてからトレインに歩み寄ってくる。
「恐れ入ったぞ、トレイン。まさかあのような手を思いつくとは」
「そいつはこっちの台詞だ。手持ちの弾薬ほとんど使ったのに、あんな手でかわされるとはな。おかげでもう本当にこの手を使うしかないな」
 そう言ってトレインが握りこぶしを持ち上げると、ふっと無表情なルガートが笑みを浮かべていた。
 思わぬトレインの反撃に溜飲こそ下げたものの、それでもトレイン同様決闘を続けるつもりらしい。
 格闘を主とするルガートと、銃技と格闘の両方を扱うトレイン。
 この両者が格闘のみで戦ったのなら、どちらが勝つかは目に見えている。
 戦うまでもなく解りきった勝敗を前にしても、ルガートどころかトレインまでも互いの拳を納めるつもりはなかった。
「いくぞ、トレイン」
「ああ」
 二人同時に飛び出した直後、二人の激突に間に合う速さであるものが落ちてきた。
 巨大な刀剣にも見えるそれは槍。
 ルガートは一瞬それが何か解らなかったが、見たことのあるトレインはその主を探して叫ぶ。
「ベルゼー、どういうことだ。アンタがなんで邪魔をする!」
 名前だけは当然のように知っていたルガートが、ここまで来てと高揚感に水をさされたことに苛立ちあたりを睨む。
「邪魔ととるかはお前達しだいだ。華を添えにきた。もっとも私が、ではないがな」
 ゆっくりと闇夜の中から姿を現したベルゼーの言動に、トレインもルガートも眉をひそめていた。
 ベルゼーの鉄扉面から読み取れるものなど何一つなく無視して続きを行おうとしたが、すぐさまベルゼーの言う華を持った彼女が現れた。
 華を胸に抱えたセフィリアが駆け寄るのはトレインであったが、いつも脇に持っているはずのクライストがないことにまさかと顔を驚かせる。
「トレイン、今は何も聞かずこれを受け取ってください。貴方が望んだ、貴方の武器です」
「セフィリア、こいつは」
「私は言いました。何も聞かずと。御武運を」
 トレインの口を人差し指を添えることで閉じさせると、セフィリアはベルゼーのグングニルを回収して彼の元へと返っていった。
 華を添え、言うべきことを言ったらそのまま現れた時と同じように闇の中へと消えていった二人。
 その二人を見送りながら、残されたトレインとルガートは添えられた華に視線を注いでいた。
 一度は失くしたトレインの武器、黒猫の爪。
 相変わらずというのは少し違うが、握るグリップから先は己の手の一部かのようになじんでいた。
「サンキュ、セフィリア」
 今はもうここにいない彼女に礼を述べると、トレインは待たせていた相手へと笑みを投げかける。
「始めようぜ、ルガート。ここからが本当の決闘だ」
「ふん、新たな爪を研ぐ暇を与えるほど私は優しくはないぞ。かかってくるがいい」
 同時に蹴った地面の上で、ようやく本当の意味での決闘が始まった。

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