第十話 砕け散る黒猫の爪
 闇夜の中で放たれた銃弾は、トレインの予想通りルガートに命中する事はなかった。
 風景に溶ける様にしてルガートの姿が消え、その直ぐ背後にあった雑木林の中の一つにめり込んだ。
 すでに開始の合図を放った事から、自分も動かなくてはと一歩踏み出したところでトレインは足を止めた。
 一度姿を消すように高速移動を開始した相手が、のこのこと再度その姿を現したからだ。
 殺気ではなく闘気を見せる彼が戦う気がないはずもなく、一体何のつもりだと拍子抜けしたトレインが悪態をつく。
「聞くまでもないと思うが、ここまできてやる気がないってのはなしだぜ」
「安心しろ、それはない。ただ、嬉しくてな。そう思う自分に少々戸惑っただけだ」
 見せられて嬉しくなるような笑みではなかったが、確かにルガートは歓喜の笑みを見せていた。
 気味が悪い奴だと思いながらも、一度トレインはハーディスを降ろした。
「以前貴様と対峙したときには、挑発に乗ってくるまで下手な体術であしらわれたからな。だが今や貴様は、不意をつき戸惑うことなく銃を放ち……不思議な事に、笑みがとめられん」
「認めて欲しいと思った相手に、認められたと感じた瞬間なんてそうさ。俺もあるからな、そう言うことは」
「だが認められただけでは飽き足らない。勝たせてもらうぞ」
「そいつはどうかな。易々と勝ちを譲るほど、お人よしじゃないぜ」
 互いが仕切りなおしの言葉を吐いた瞬間、その姿が同時に闇に溶けて行った。
 林の中で二人の人間が動いていると理解できる現象は、地面を穿つ足跡と、風もないのに不自然に揺れる木々であった。
 地面がトレインで、木々を飛び回るのはルガート。
 木々のわずかなしなりを利用する分、ルガートの方が速かった。
「どうやら貴様は相当なお人よしだな!」
 移動を続けるトレインの背後から、ルガートの手刀が迫る。
 文字通り刃物と化した指先が迫るがトレインがとった行動はわずかに首を傾ける程度であった。
 手刀が吸い込まれたのはトレインの髪の毛の中であり、手ごたえなどありはしない。
 言葉とは相反するようにそれでこそと笑うルガートであったが、トレインの武器が拳銃であるハーディスのみではないと忘れていた。
 走りながら首を傾ける、そんな無茶な体勢で繰り出されたのは肘だった。
「お人よしは、お互い様みたいだな!」
 巻き込むようにしてこめかみに向かう肘を、ルガートは繰り出した手刀とは逆の手のひらで受け止めていた。
 その流れに逆らう事はせず、反動を利用して体が持っていた慣性を変える。
 流される体を回転させて両足を地に着けると、自身の体を跳ねさせ木々を地面の代用として動く。
「前も屋内で似たようなことやってたが、身軽なこった」
「まずはおさらいということだ。私の動きをとらえられるか?」
「なめんなよ」
 挑発に乗って笑うが、木と木の間を移動するルガートの動きを捉えるのは容易なことではなかった。
 特にそのスピードは厄介で、トレイン自身よりも少し速いというレベルにまでなっていた。
 だがルガートは体術と言う性質上、どうしても危険を犯した接近戦を行うしかない。
 だからこそカウンターと言う手がないわけではなかったが、あまり取りたい手でもなかった。
 銃でとらえられるかと言われた以上、カウンターはトレインの趣味ではなかった。
「こないのならば、こちらから行くぞ!」
 悠長に考えすぎていたのか、痺れをきらしたルガートが言葉通り体を弾丸のようにしてトレインへと突っ込んできた。
 危うくカウンターの為に動き出した体にムチを打って回避を選択すると、先ほどまでトレインが居た場所に足を叩きつけていったルガートへと銃口を向ける。
 トリガーにかけた指を動かすも、彼が次なる木を蹴って方向を変えるほうが速かった。
 ルガートの移動手段として耐え切れなかったのか、木が揺れる枝から大量の木の葉を舞い落とし、蹴りつけられた幹は抉れて破片を撒き散らしていた。
 思ったよりもまだ速かったルガートの動きに舌を討ちながらも、トレインはつい先ほど蹴られて揺れる木に視線を奪われていた。
 そして直ぐに振り返ると、同じように揺れる木々に目をくれて笑う。
 近づいていた木からやや距離を取ると、こちらを伺いながら移動をしているルガートへと引き寄せるように人差し指を二、三度クイッと動かす。
「曲芸ごっこもおしまいだ」
 答えは無言での攻撃で返された。
 無謀にもトレインの真正面から突っ込んでくるルガートに銃口を向けるが、トリガーを退くよりも早くハーディスに手を添えられて銃口を剃らされる。
 続いて突き出された拳はトレインへの腹部へと向かうが、体をさばいたトレインにかわされる。
 ここで再びトレインが通り過ぎたルガートの姿に銃口を向ければ、速さに追いつかず先ほどと同じ事の繰り返しであった。
 だがトレインの銃口は、木の根元へと向かっていた。
 銃弾が放たれた直後、何かに引火したかのように爆発が起きてルガートが足を突くはずだった木が折れた。
 銃によって撃ちぬかれた爆弾の爆風にもまれながらも、ルガートは手頃な木に手を伸ばし、握力で幹を握りつぶす事でスピードを殺す。
 突然の事態に、自分の脚力に見合うだけの太さの幹を持つ木を選べなかったのだ。
 その一瞬だけでトレインには十分であった。
 木の幹を掴んで止まったルガートへと二発の銃声が響くと、彼の手が木の幹を離して地に落ちていく。
「やはり、屋内用のこの技を木々で代用するには無理があったか」
 地面に激突する寸前で伸ばした手のひらが体より先に地に着くと、ルガートの体を反転させ足を地につけさせていた。
 爆風と爆煙にもまれただけで、怪我はトレインが放った銃弾による頬へのかすり傷のみであった。
「わかっててやるなよ」
「言っただろう、まずはおさらいだ」
「それに俺がつきあうとも、かぎらないぜ? 今度はお前が逃げ回る番だ」
 そう言ったトレインは、何を思ったのか薄っぺらい財布から幾枚かのコインを取り出しルガートがいる辺りに振りまいた。
 一瞬それがコインの形をした爆弾かと思ったルガートであるが、爆発するような兆候もなく、銀色の光を暗い森の中でうっすらと放っていた。
 全く意味を持たない疑心暗鬼を狙ったものなのか、浮かび上がった考えはすぐさまルガート自身によって打ち消された。
 証明するかのように向けられた銃口、だがその先はルガートから完全にそれていた。
「リフレクショット」
 言うや否や放たれた銃弾は、銃口ともどもルガートとは見当違いの方向へと飛んでいった。
 だが暗い森の中で光った兆弾の光に即座に意味を察したルガートがその身を捻る。
 殆ど目には見えなくとも、真剣の刃が体の近くを過ぎたような感覚が身を包む。
「器用な奴だ。曲芸という言葉をそのまま貴様に送りたいほどだ」
「言われて意外とうれしくないもんだな」
 一発、二発と続けて放たれた銃弾は、辺りに散らばったコインを踏み台に方向を変える。
 もちろんコインの面に向かって銃弾が正面衝突を起こせば兆弾を起こすどころではないが、そこはトレインの腕の見せ所である。
 銃弾を正面から撃たれたことはあっても、まったく人の気配のない場所から打たれたことなどあるはずがない。
 かろうじてコインの場所から弾道はよそくできても、全てのコインの場所を記憶しておくのは難しい。
 しかも一たび兆弾を起こすたびに、コインの位置は移動するのだ。
 これまで上手くかわしていたルガートだが、一発の銃弾が彼の足を掠め、嫌な技だとそれを跳ね返したコインへと意識が向いた。
 だが意識を向けるべきはコインなどではなく、銃を持つトレインだったはずだ。
 ハーディスの銃口がルガートを捕らえ、トリガーが引き絞られる。
「ちッ!」
 目では見えなくとも、放たれた弾の弾道は体が察していた。
 かわせないならば身に着けている物の中で最大の防御力と攻撃力を併せ持つそれを向かわせるしかない。
 手の平をそれが来るべき場所に開くが、指の隙間から見えたトレインは笑っていた。
「そいつはきつい相談だ」
 手のひらに銃弾が触れた直後、一瞬景色が吹き飛んだ。
 ほんの一時、トレインが追撃を行おうと考えもつかない一時だけ気を失ったルガートはすぐに吹き飛んだ体を支えるように足を後ろにだしていた。
 まさか銃弾が爆発するとは、準備を万端にしておいた自分を褒めてやりたくなった。
「このリントヴルムがなければ、腕ごと持っていかれていたな」
 言葉通り、オリハルコン製の手袋をした手のひらは無傷で、それが及ばない腕に火傷を負った程度であった。
 思ったよりも少ないダメージに、攻撃を成功させたはずのトレインの方が歯噛みしていた。
「解せないな。こうして手を合わせ、貴様は無傷で俺が傷を負った。なのに、なにか解せないな」
「負け惜しみにしか聞こえないぜ」
「かもしれんが、確かめておく必要はある」
 ルガートが感じていたそれは、トレインらしからぬ消極さであった。
 まだ数度手を合わせた程度だが、トレインが接近戦をしたのは最初の肘うちだけで後はハーディスによる銃撃のみであった。
 あの日トレインに自信を打ち砕かれてから、己の修行と平行してトレインの事を調べていた。
 もちろんクロノスのおかげか豊富な資料とはいかなかったが、ある程度トレインの戦闘スタイルは入手する事ができた。
 殺し屋というイメージからかトレインはまず銃技に目をむけられるのだが、トレインのそれは銃技であって銃技ではなかった。
 体術と銃技の混合とでも言おうか。
 トレインにとって銃とは銃弾を放つ為の土台などではなく、銃そのものが武器であるのだ。
 銃技だけに頼るのであれば、なにもオリハルコン製である必要もなく、火薬の爆発に耐えられ弾が出さえすればよい程度の銃があれば良い。
 だとするならば自然と銃がオリハルコン製の意味も見えてくる。
「生半可な攻撃で防げると思うな」
 言葉通り、拳を腰で貯めるような素振りを見せたルガートに対して、トレインは乾いた喉で唾を飲み込んでいた。
(思ったより早く、ばれちまったな。できればリフレクショットだけで大半勝負を決めたかったが……やってみるしかないな)
 ルガートに言われるままに、トレインはハーディスのグリップをことさら強く握り締めた。
 自らが持つ最強の攻撃技、黒猫の爪。
 いつもならば、この技を出すと決めたのなら欠片も不安が浮かぶ事はなく、自分と自分の技を信じてさえいればよかった。
 なのに握り締めたハーディスのグリップから今伝わるのは冷たい鋼の感触だけで、対極にある不安が胸にわいてくる。
 こんな事は初めてのことで珍しく焦りを冷や汗というもので表現したトレインであるが、ルガートは待ってはくれなかった。
「行くぞ」
 短く途切れた言葉の後、つい先ほどまでルガートがいた地面が爆発した。
 ロケットの加速のように一瞬で力を解放させたルガートは、ロケットにも似たスピードでトレインに迫ってくる。
 攻撃方法は拳による単純な突き、だが速さも威力も通常のそれであるはずがない。
 一時送れてトレインも地を蹴っていた。
 体にくわえられた回転に追いつくように、ハーディスもまた遠心力を加えながらトレインと一緒に回転する。
「無双天牙!」
「ブラッククロウ!」
 ルガートの言葉から、その技が並々ならぬ威力である事は明白で、対するトレインの技も引けはとらないだけの威力はあった。
 だがリントヴルムとハーディスがぶつかり合った先から、ハーディスの銃身が砕け始めていた。
 完全に砕け散ったハーディスにトレインを守れるはずもなく、トレインの体を突き抜ける天の牙。
 吹き飛んだトレインの体が近くの大木にめり込み、大木が大きくその体を傾けた。
 一体何が起きたのか理解できず、呆然と倒れこんだトレインをながめるルガート。
 オリハルコン製の武器に張り合えるのは、同じオリハルコン製の武器だけである、それが答えであった。
目次