第七話 野良猫と飼い猫
 何時ものようにアジトへと遊びに来たセフィリアを迎え入れたイヴであったが、その様子は何時もとは程遠かった。
 落ち込んだように顔を伏せてしまう事が多く、トレインが現れるのを今か今かと待つ様子もない。
 思い切ってあいにくトレインが出かけていると伝えても、残念がる様子もみせずに深刻そうな顔を続けていた。
「セフィリアさん、なにかあったんですか? いつもと様子が違いますけど」
「ええ、少し。詳しくは言えませんが、クロノス内部の事でちょっと」
 クロノス内部での事と持ち出された以上、イヴはそれ以上落ち込んでいる理由を問いただす事は出来なかった。
 手持ち無沙汰になりながらも自分で用意したお茶に手をつけながら、セフィリアが話せる範囲の事を話してくれるのを待つしかない。
「例えば……」
 十分ほど静かな時間が流れた後、ようやくセフィリアは口を開いたがそこで言葉は止まってしまう。
 どうすればよいのかではなく、今現在何を迷っているのかさえ解らなくなり、言葉がでないのだ。
 少し落ち着こうとお茶を口に含み、口内で液体を転がして味わってから喉に通す。
 気を利かせてくれたのか、紅茶の香りが重苦しい気分を少しだけやわらげてくれる。
 今自分は、新たなる同士であるNo.]Tがトレインと敵対する立場にあることを感じ、ここへきた。
 何をするために、どうするために。
 セフィリアの口がもう一度開かれる。
「例えばです。えっと、とある女性は新しい自分の部下が好きな男性と因縁があることを知ってしまいました。私はこれをどうするべきなのでしょうか?」
 セフィリアの言葉を聞いて、イヴは危うく持っていたティーカップを落としかけていた。
 例えが例えになっていない事に加え、後半部分でとある女性を私だと言ってしまっている。
 どうしてこのセフィリアという女性はトレインが絡むと途端に間が抜けた行動や言動を行い出すのか。
 トレインも大変な女性にと思った所で、イヴは最も肝心な部分に気づいた。
「ナンバーズの誰かがトレインを狙っているのですか?!」
「イヴちゃん、どうしてそれを!」
「下手な例えでまるわかりです。誰なんですか? まさか、またあのバルドルとかクランツとか言う人たちですか?」
 ちゃっかり飛び出してきた名前を脳内に刻み込みつつ、知られてしまったのならとセフィリアは告げた。
「これまで欠番であったNo.]Tに、組織外からスカウトしてきたルガート・ウォンという元殺し屋が納まりました。つい先ほど正式なナンバーズとしてのオリハルコン製の武器の授与も行われました」
「聞いた事がある名前です。確か、変なおばさんの誕生日パーティの時にトレインと一悶着起こしたとか」
 随分前のことなのでうろ覚えだが、トレインとの再戦を誓って姿を消したはずである。
 そんな人が、しかもナンバーズとなっているとは、こんな時にトレインはどこをほっつき歩いているのか。
 苛立たしげにティーカップをテーブルに置いたイヴは、妙な事に気づいた。
 セフィリアは先ほど、自分がどうするべきなのかと尋ねてきていた。
 何故そのような事を迷うのが、イヴには解らなかった。
「セフィリアさん、何を迷っているのですか? トレインの事が好きなんですよね。だったら素直にトレインに狙われている事を話せば良いじゃないですか」
 全く持って正論なのだが、セフィリアは迷うような素振りを見せていた。
「そう、するべきなのかもしれません。ですが、私はクロノスの、クロノナンバーズのNo.Tなのです」
「でもそれ以前にセフィリアさんはセフィリアさんですよね。自身の事を最優先にして何が悪いんですか?」
 正論、イヴの言葉は今のセフィリアにとっては毒としかならない言葉であった。
 かつてのトレインのようにクロノスの外に意識がむき出したセフィリアであるが、トレインとの違いは、彼女は生まれた時からクロノスにいたことである。
 野良猫から飼い猫になって、また野良に戻ったトレインと違い、セフィリアは最初から飼い猫であったのだ。
 自分のために自由な意志で行動するといっても、コレまで歩いてきた道が許さない。
 自然と体が拒絶を示すように体調を狂わせていく。
「セフィリアさん?」
 顔色が悪くなりだしたセフィリアを心配して覗き込むと、吐き気を催しているのか口元に手を当て出した。
 突然の事にイヴは慌てるが、セフィリアをトイレに連れていこうにも背丈が明らかに足りない。
 トレインはもとより、スヴェンも出かけており冷静なはずのイヴが混乱しはじめる。
「なにやってんだ、姫っち。ってセフィリア、お前顔色すっげえ悪いぞ。大丈夫か?」
 救いの声は酷く軽かったが、救いには間違いなかった。
 かと言って好きな人に嘔吐している姿を見られるのも嫌だろうと、イヴはトレインに言った。
「トレイン、セフィリアさんを私の部屋のベッドに運んで。なんか気分が悪い見たいで、その間に私は冷たいタオルとか用意するから」
「体調悪い時にまで姫っちに会いにこなくても……セフィリア、立てるか?」
「大丈夫です、一人で」
「いや、無理だろ。足がプルプルしてるぞ」
 自分で立とうとテーブルに手をつきながらも、トレインの言う通りセフィリアの足は震えていた。
 生まれたての馬かよと脳内で突っ込みをいれながらも、トレインは足でセフィリアの膝裏を軽く蹴って転ばせた。
 突然のいたずらによる浮遊感に驚いているセフィリアの背中を片手でささえ、いましがた蹴った膝裏にもう一方の手を滑り込ませる。
 自分がどうされたのか客観的に考えてしまったのか、青かったはずのセフィリアの顔色がどんどん赤くなっていく。
 そんなセフィリアに気づきもせずに、よっという軽い掛け声で抱き上げたトレインは、そのまま後ろで呆然としているイヴへと尋ねた。
「姫っちの部屋に運んじまっていいんだな? 勝手に入るけど、後で文句言うなよ?」
「い、言わない。言わないから、入っちゃって」
「にしても見た目よか随分軽いんだな。ちゃんと飯食ってんのか? そんなんだから体調が悪くなったりするんだぞ」
 トレインに抱えられただけで体調が回復したように見えるセフィリアを見て、イヴは冷たいタオルなどを一応格好として持っていくことにした。





 トレインによってイヴのベッドに寝かされたセフィリアは、やはり先ほどの体調が嘘のように回復していた。
 それはそれで現金すぎるだろうと思ったが、イヴは今は深くつっこまないことにした。
 なぜなら先ほどの一件でセフィリアの迷いの天秤が傾いていたからだ。
 もちろん、良い方向へと。
「トレイン、貴方に少し話したい事があります」
「ルガート・ウォンのことか?」
 先に言われてしまうとは、すでに知っていたとはと言う驚きをもってセフィリアはトレインを凝視していた。
 どうやらルガートは、トレインの居場所をすでに把握していたようであった。
 確かに授与式の後で知り合いに会いに行くと言ってはいたが、こうも行動が早いとはセフィリアの想像を超えていた。
「アイツ、ナンバーズになったんだってな。別にどうしようとアイツの勝手だけどよ。さすがにそう来るとは思いもしなかったと言うか、アイツが現れるまで約束なんて忘れてたけど」
「まさか、もうすでに彼と?」
「いや、まだだ。アイツが望んでいるのは真っ向勝負で俺に勝つ事だからな。奇襲みたいに、突然やってきてってのはなしだそうだ」
「そうですか」
「そうですかじゃねえよ、いいのか? 俺にクロノスの内部のことなんか喋っちまって」
 問題がないと示すには、中途半端すぎる頷きでセフィリアは返していた。
 すでにルガートがトレインの前に現れていたのが予想外で、傾いたはずの天秤が再びバランスをとり始めていた。
「ねえ、まさかスヴェンが一人で出かけてるのって、それが関係してるの?」
「まあな、ちょっと俺が面倒な事を頼んじまったからな」
 何を頼んだのかは謎であるが、準備を必要としていると言う事はトレインが再戦を受けるつもりであると言う事である。
 心配そうにイヴはトレインではなく、セフィリアに視線を向けると、また苦しそうに胸に手を当てていた。
 クロノスの一員としての自分と、トレインに好意を寄せる一人の女性との狭間で苦しんでいるようであった。
「トレイン、彼と戦う事を止めてはくれませんか? お願いします、彼と戦わないでください。もうすでに彼はナンバーズなんです。これまで裏切り者と言われた貴方に必要以上の追っ手が向けられなかったのはクロノスにとって無害と判断されているからなんです。もし貴方がルガートを倒すような事があれば……」
「すまねえ」
 だがトレインの返答は、無常であった。
 それどころか、トレインの方こそ再戦を望んでいるような意志が瞳に見えた。
 最強の殺し屋の名を持ちながらも戦闘狂ではないトレインが見せる戦闘への意志は並大抵のものではないはずである。
 一体何がトレインをルガートとの再戦へと意欲を向けさせるのか。
「トレイン、理由を話してくれないとセフィリアさんも納得できないよ」
「セフィリアを納得させる意味がわかんねえけど、話す事は話すさ。スヴェンにも訳を話さす厄介な事を頼んじまったからな。スヴェンが帰って来たら、三人に話してやるよ。何故俺が、クロノスともめる事になってもルガートと戦いたいのか。いや違うな」
 自分で自分の言葉を否定したトレインは、懐から見慣れない小さな銃を取り出していた。
 子供が使うような護身銃のようであり、かなり使い込まれてボロボロになった銃を手の中にしっかり握り締めはじめていた。
「俺はアイツに負けるわけにはいかない。アイツに勝ちたいんだ」
 トレインの瞳に宿っていた意志が、勝利という目的だけを睨んでいた。
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