第六話 新たなる]T(イレブン)
 クライストが、ターゲットの胸に吸い込まれるようにして押し込まれていった。
 押し込んだのは当然、自らの腕である。
 ターゲットに苦悶の表情はみられず、今自分に何が起こったのかさえ理解していないような節が見られた。
 血と脂で刃を鈍らせたクライストを引き抜くと同時に倒れこんだターゲットは、胸から血を流しながら倒れこんでいくのと同時に、セフィリアは我へと返っていた。
 血も死体も、戦場の雰囲気のかけらもないシャワー室。
 シャワーから放たれるお湯が肌に当たっては弾け、セフィリアの体から汚れを落としていく。
「くっ……」
 それでもまだ足りないとばかりに、セフィリアはボディソープを体に塗っては洗い流していく。
 本当に洗い流したいものが何なのかはわからないが、そうせずにせられなかったのだ。
 体をこすりすぎて、やがて悲鳴を上げるように肌が真っ赤にはれ上がるまでセフィリアは止められなかった。
 吐き気にも似た衝動を感じたセフィリアは、自らの胸に手を置いて思考を飛ばした。
 今一番会いたいが、今は一番会いたくない相手、トレインの事である。
 会いたいという理由は理解できるものの、何故会いたくないなどと感じてしまうのか。
 矛盾を感じながらも、セフィリアは最近イレイズを行った直後に訪れる不快感に苦しみながら長いシャワーを続けた。
 一時間以上もシャワーにうたれてからあがると、セフィリアは力尽きたように体も満足に吹かないままにソファーに腰を下ろした。
「一体私は、どうしてしまったというのでしょうか。いつものことなのに、クロノスに反する危険分子をただ」
 ただ処理しただけだと思うだけで、吐き気までがもよおしてくる。
 口元を押さえて気持ちを落ち着かせようとしても、なかなかうまく行くことはなかった。
 本当にどうしてしまったのか、折角明日の休日はトレインの元に行こうと考えていたのにと苛立ちを隠せなかった。
 会いにいけなくなる状況だけは避けたいと考えている所で、部屋の内線が音をかなで始めた。
「…………はい」
『私だ』
 受話器の向こう側はベルゼーであり、特に彼が連絡してくるような理由が思い浮かばなかった。
 だが彼がこうして連絡してくるという事は緊急の場合が多く、下手をすれば明日は休日返上である。
 今一度気分をおちつけようとしてから、セフィリアは用件を尋ねた。
「なんでしょうか?」
『長らく欠番であったNo.]T(イレブン)の候補が決まった。すでに専用の武器も用意されようとしている。すまないが、明日に授与式となるだろう』
「わかりました。新しい]Tの名前を聞いてもよいでしょうか?」
 単純に知っておいた方がと言うつもりで尋ねたのだが、ベルゼーが躊躇するような間をあけていた。
「ベルゼー?」
『ああ、すまない。その者の名はルガート・ウォン。元賞金首であったが、クロノスがスカウトした。以前はたかだかA級の賞金首であったが、この一年の間にナンバーズに匹敵する力を手に入れたようだ。詳細はメールにて送信する』
「了解しました。明日は授与式のためにそちらに向かいます」
『すまないな。折角の休日を失くすのもしのびない。延期という事でかけあってみよう』
「感謝します。それでは」
 電話を切った頃には、不思議なことにずっと感じていた不快感が消え去っていた。
 アレだけ苦しんでいたはずなのに、再び自分の体の異変に首をかしげながらも、セフィリアはバスローブを羽織って執務机へと向かう。
 立ち上げたパソコンにてメールを確認すると、ベルゼーから送られた情報が載っていた。
 賞金首だった頃の顔写真から、自分と同じぐらいの年齢であった事がわかる。
 だが彼のプロフィールの中に放ってはおけない情報が入っており、先ほどベルゼーが躊躇した意味を知る事となった。
「彼が一度トレインと戦って……」
 そこには、ルガートが一度トレインと死闘を繰り広げた内容が記述されていた。
 決着はつかなかったとはあるが、最大の問題はその次に記述されていた。
「その後トレインとの決着をつけるために、暗殺業を中断し、今に至る」
 それはつまり、準備が整ったという事であり、いつその時が訪れるかわからないという事であった。
 トレインにとって危険人物を迎え入れるどころか、さらにオリハルコンの武器という力を与えねばならないのかと、セフィリアの中で忘れたはずの不快感が蘇り始めていた。





 ナンバーズとしての証であるオリハルコン製の武器、その授与式はクロノスの本部で行われる。
 この時だけは、急務のナンバーズ全員も集められ、さらにモニター越しにではあるがクロノスを統括する三人の長老への謁見も許されている。
 とは言うものの長老も定型的な言葉を渡すのみで、本当に意味があるのはナンバーズのリーダーであるセフィリアからのオリハルコン製の武器の授与のみである。
 数年前にも同じこの場所で、セフィリアからトレインへと装飾銃であるハーディスの授与が行われた。
「新たなNo.]Tよ、全てはクロノスの為に働く事を期待している」
 長老からの言葉が終わると、セフィリアはベルゼーから今回受け渡すべきオリハルコン製の武器が手渡された。
 武器は格闘術を扱うルガートのために用意されたグローブ。
 シャオリーのセイレーンに使われているオリハルコン製の布から作られたグローブである。
「No.]T、ルガート・ウォン。正式なナンバーズとなった貴方にコレを授けます。オリハルコン製の武器であるリントヴルム、貴方のナンバーズとしての証です」
 これまえ跪いていたルガート立ち上がり、正面からセフィリアと相対した。
 その時に初めてセフィリアはルガートの顔を写真以外でみたのだが、明らかな差異が見て取れた。
 メールに添付されていたものが、賞金首として撮られたものだということもあるかもしれないが、明らかに雰囲気が変わっていた。
 殺伐とした者がすべて排除され、どこか清々しささえ感じられるような澄んだ瞳であった。
「オリハルコンはクロノスの最高機密です。時にそれはナンバーズの命でさえ上回る事もあります。その事を重々知っておきなさい」
「了解した。受け取ろう、ナンバーズの証を」
 グローブを受け取ったルガートは早速それを手にはめて、何度か手のひらを握り、また開いていた。
 授与式はこれにて終了であり、長老を映し出していたモニターもいつしか消え去っていた。
 ナンバーズたちも元の任務のある各地へと散っていく中で、ルガートがリーダーであるセフィリアへと尋ねた。
「これではれてナンバーズとなったわけだが、初任務は直ぐにでもあるのか?」
「ベルゼー?」
「いや、まだNo.]Tに相当する任務は報告されていない。今しばらく任務が発生するのを待ち、リントヴルムになれる事を優先するといい」
「外出の許可は?」
 またしても尋ねられた事に、まさかという思いがありながらもセフィリアが答えた。
「基本的に自由です。クロノスの手は世界に広がっています。呼び出しに応じさえすれば問題はありません」
「なら少しばかり知り合いに会ってくる」
 それが誰であるのかは、疑う余地はなかった。
 止めるべきと感じながらも、止めるべき言葉を思いつきもせずにセフィリアにはルガートの後姿を見送るしかなかった。
 止めるべきだとただのセフィリアが思っていても、No.Tとしてのセフィリアは止める必要がないと判断していた。
 イレイズした直後の不快感と似たものが胸にこみ上げ、それは全てセフィリアにのしかかる矛盾が生み出したものであるのに間違いはなかった。
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