セフィリアのおかげで連日賞金首を捕まえられたトレインたちは、珍しく懐に余裕の出来る状態であった。 そのせいもあってしばらくはゆっくりしようという雰囲気が自然と流れていた。 トレインは朝からぶらりと街へ散歩に行っていたのだが、アジトのドアを開けた途端にいつもとは違うかすかな匂いが混ざっていることに気づいた。 春風が置いていく花のような匂いに首をかしげていると、今度はそれに混じって甘い匂いが混じりだした。 一体何なんだと思いながら居間を覗き込むと、イヴが何かを食べているようであった。 「姫っち、何食べてるんだ? 余ってるなら俺にもくれ」 「いいよ。たくさんあるから」 そう言いつつも箱すべてを持っていかれないように警戒しながら、イヴはお菓子の入った箱を差し出してきた。 イヴが食べるには少し違和感のするお饅頭であった。 珍しいものを食べているなと思いつつ一つもらうと、口に入れた瞬間に先ほどの甘い匂いの正体が知れた。 「姫っちが和菓子とは珍しいな。いつ買ってきたんだ?」 「私は買ってないよ。セフィリアさんにもらったの。何度かもらってるし、トレインも何度か食べてるはずだよ」 その名前を聞いた途端に餡子を喉に詰まらせかけたトレインは、激しく咳き込んでいた。 「そうだっけか。それにしてもなんで姫っちとセフィリアが」 「友達だから」 「すっげぇ違和感のある台詞だな」 その違和感とは明らかに年齢差を指摘しての事であった。 イヴは自分でもそう思ったようだが、それよりも無神経にも言葉に年齢の事を上乗せしたトレインを半眼で睨み付けていた。 当然いまだにセフィリアが忙しい中で、自分たちのアジトにやってくる理由をトレインは知らないのだ。 トレインの鈍さも問題であったが、お互いが顔を合わせる機会がまだないのが原因であった。 何度も犯罪者を先に捕らえてしまったせいか、アジトにきているくせにセフィリアがトレインに会おうとしないのだ。 「まあ、そう言うな」 イヴがなんとか手伝えないかと思っていたときに、自室から出てきたスヴェンが会話に加わってきた。 「イヴの知り合いなんて、俺たち以外にはリンスレットぐらいだからな。相手が誰であれ、友好の輪が広がるのはうれしい限りだ」 (また、オヤジくせえ) トレインにそんな事思われているとも知らず、ウンウンうなっているスヴェンは続けて懐のサイフから一枚お札を取り出してきた。 「いつもお土産をもらうばかりじゃなんだから、トレインひとっ走り行って買ってきてくれ」 「え〜、なんで俺が。言い出したスヴェンが行けばいいじゃねえか」 「何言ってるんだ。セフィリアと一番付き合いが長いのはお前だろう。彼女の好きそうなものを適当に見繕ってくれればいい」 「付き合いが長いって言っても、それほど知らねえんだけどな」 面倒くさそうに散々渋る様子を見せるトレインであったが、強力な援護が送られる事になった。 「スヴェン、私が責任持ってトレインに買いに行かせる」 もちろん、援護とはセフィリアへと向けてのものであったが。 散歩から帰ってすぐに街へと出る事になってしまったトレインは、あまり機嫌がよろしくはなかった。 渋るようにして同じような文句をイヴへと投げつけていた。 「な〜、姫っちが行くんなら俺が行かなくてもいいんじゃねえのか?」 「ダメ、トレインが選んで買わなきゃ意味がないの」 「俺はその言葉の意味がわからねえよ」 「いいから、来るの!」 なにをムキになっているのか、逃げ出そうとする素振りを見せでもすればイヴは腕をつかみ、あまつさえ殴りかかる事もあった。 ますます意味がわからなくなってしまったトレインは、最近誰かに振り回される事が多いことを気づき始めていた。 もっとも普段は自分が他人を振り回しているという事には気づいていなかったが。 「そうは言っても、本当にセフィリアの趣味なんてほとんど……」 知らないともう一度言おうとしたところで、トレインは一つだけ知っている事を思い出した。 先ほど食べたお饅頭もそうであるが、セフィリアは大のジパング好きであったのだ。 確かイヴもお土産から、それとなく気づいているようだしと、トレインはイヴをつれて歩き出した。 和菓子のお店が思ったよりも見つからず、一時間以上探し回ったところでようやく一店舗見つける事が出来た。 古めかしいくすんだ木造の一軒家で、入り口の上にこれまた木の看板が立てかけられていた。 こねくり回した字が読めなかったが雰囲気は、それなりのものに見えた。 「こんな所でいいんじゃねえか?」 「詳しくないけど、それっぽい」 二人して店頭に入り込むと、和服の従業員に出迎えられ、二人はショーケースにお菓子が並べられた場所に案内された。 ショーケースに入れてある辺り、普通のケーキ屋と変わりはなかった。 定番の饅頭から、見た事もない置物のような美麗なものまで、色とりどりのお菓子がこちらを魅了してくる。 「美味そうなのが多いな。て言うか、これってゼリーじゃねえの?」 「ゼリーですよ。名前は恋水、恋する心をバラの花びらにあらわしたものです」 「お菓子に意味なんてあるんだな。初めて知った」 トレインが指差した和菓子は透明なゼリーの中に真っ赤なバラの花が閉じ込められた逸品であった。 名前とともに由来を店員が説明してくれたが、あまりにもストレートすぎた。 そのようなものを贈るにはまだ早いと、イヴは別のお菓子を指差した。 「すみません、こっちのはなんて言う物なんですか?」 イヴが指差したのは、一見すると何の変哲もない丸いこげ茶色のお菓子であった。 「それはおとし文です。こちらは由来がすごいですよ。身分違いの恋をした女性が、そのせつない恋心をしたためた文をそっと落として密かに想いを伝えようとしたという、その気持ちを表したお菓子なんです」 こっちもダメかとイヴは次なるお菓子を指差して説明を求めるも、次から次へと恋が由来となったお菓子が出てくる始末。 ジパング好きであるセフィリアならば、どれを知っていてもおかしくなく、勘違いさせてしまう事請け合いである。 そんなイヴの苦労もしらずに、次から次へとお菓子を指名するイヴへとトレインが言った。 「なんだ姫っちも和菓子好きだったんだな。帰りに図書館でも寄ってそれっぽい本借りるか?」 高らかにトレインが笑う横で、人の気も知らないでとイヴが拳を作っていた。 そんな二人の様子を店員の女性が首をかしげながら見守る中で、とりあえず深い意味のない無難なお菓子をいくつか包んでもらった。 受け取った包みをさっそくトレインが振り回そうとするのを止めようとすると、先ほどの店員がこっそりイヴに話しかけてきた。 一体なんだろうと首をかしげるイヴへと、先ほど説明してくれたおとし文を一つ手渡される。 「お嬢さん、がんばって。格好良いお兄さんじゃない」 「は?」 ウィンク一つおまけされての言葉の意味を、イヴはしばらく理解する事が出来なかった。 だが理解した瞬間には、イヴはお店ごと先ほどの女性店員を吹き飛ばしたくなるような衝撃にかられた。 トレインを兄と間違われるならまだしも、自分がそんなトレインへと密かな想いを抱えているなど論外である。 想いを抱え込んでいるのは私じゃないと顔を真っ赤にしたイヴは、トレインを置き去りにするような勢いで歩き出した。 「おい、姫っち。図書館はそっちじゃねえぞ」 「本は借りないの、もう帰るよ!」 「何怒ってるんだ?」 「怒ってなんかない。それより、お菓子の入った包み振り回さないで!」 「へいへい」 腑に落ちないといった顔をするトレインを引き連れたイヴは、やってきたときの半分の時間でアジトにたどり着く事になった。 次にセフィリアがアジトにやってきたのは、数日後であった。 それでもまだトレインに恋心を抱いていると女性店員に勘違いされたイヴは、ショックが抜け切っていなかった。 「イヴちゃん、大丈夫ですか?」 「大丈夫です。本当は大丈夫じゃないけど、大丈夫だって言う事にします」 何かあったのか聞きたそうなセフィリアを前に、本当のことを喋るわけにも行かなかった。 と言うよりも、喋った時の方が怖かった。 セフィリアだけには先日の事を隠し通すつもりで心を固めると、イヴは今日のメインイベントを進める事にした。 「セフィリアさん、いつもお土産をもらってばかりだったので、先日トレインと一緒に買ってきました」 「トレインと……イヴちゃんとトレインの二人でですか?」 途端に放たれだした殺気にも似た凄みを感じて、あわててイヴは嘘をついた。 「いえ、スヴェンもです。決まってるじゃないですか」 「そうですよね。イヴちゃんにとってトレインはお兄さんみたいなものですよね」 「お兄さんですか…………」 知らずとは言え、傷口に塩を塗られた形となったイヴは言葉もなかったが、まだ兄の時点で色々諦める事にした。 「もう兄でいいです。トレインいるんでしょ。この間買ったの持ってきて」 「なんだよ、姫っちが探せば良いだろうに」 セフィリアと顔を合わせないようにでもしていたのか、本当に近くにいたトレインの文句が返ってくる。 しばららく台所方面で探し回る音が聞こえた後で、トレインが包みを持って現れた。 それをイヴに渡すと思いきや、トレインは自分で包みをセフィリアの前に差し出した。 「よくわかんねえけど、いつもありがとうな」 本当はスヴェンからそう言いながら渡すように言われただけであったのだが、次の瞬間にはトレインとイヴは我が目を疑った。 包みを受け取った時のセフィリアの顔が、見る見る笑顔へと変わっていったのだ。 ここ数日セフィリアと話していたイヴですら見た事もないような、笑顔を浮かべていた。 我が目を疑ったトレインが微かに照れるほどの。 「ありがとうございます。トレイン」 「あ、ああ……」 「あいにく今日は長居はできませんので、これで失礼しますね」 そう言ったセフィリアが名残惜しそうに去っていって数分、いまだトレインとイヴは我が目を疑い続けていた。 だがいくら時間がたとうとすでに起こってしまった事実は揺るがない。 トレインがぽつりとつぶやいた。 「いつの間にか良い笑顔するようになったじゃねえか。一体セフィリアに何があったんだ? 姫っち聞いてるか?」 「聞いてるよ。トレインもそろそろ気づこうね」 「知らねえ事にどう気づけって言うんだよ。意地悪しねえで、教えてくれよ」 鈍いにもほどがある。 あの笑顔を向けられてなおそう言い張るトレインに、恐れを抱くイヴであった。
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