ジリジリと真上へと上り続ける太陽のもと、マサラタウンと呼ばれる小さな町を走りぬける少年の姿があった。 赤い帽子で跳ねる髪を押さえつけ、髪と同じぐらいに元気にあふれた眼差しを持つ瞳が印象的な十を過ぎた頃の少年である。 彼は全力疾走に近いスピードで一直線に、マサラタウンで一番大きな建物を目指して走っていた。 目指すのはオーキドポケモン研究所である。 ポケモン研究家の第一人者とも言われるオーキド博士が設立した研究所であり、マサラタウンで唯一他の街からも知られている施設でもある。 「おはようございます!」 町の中心から外れた場所にあるオーキド研究所へとたどり着くと、少年は勢い良く研究所の入り口のドアを叩いた。 ガンガンとけたたましい音が鳴り響いても反応はなく、おかしそうに首を傾げてからもう一度叩く。 数回ドアを殴りつけたところで、ようやくカギが開けられ白衣を着た初老の男が顔を覗かせた。 「こら誰じゃ。研究所のドアを壊そうとしとるのは」 「俺です、俺ですよオーキド博士。サトシです。博士から手紙を貰ってから指折り数えてこの日を待ってたんですから!」 「ん〜?」 昨晩は遅くまで研究をしていたのか、ドアを開けてくれたオーキド博士は眠そうに目をこすりながらサトシの顔を覗き込んだ。 次第にはっきりしだした博士の視界の中で、サトシの顔が浮かび上がり、唸るような声を挙げた。 「お〜、お〜、サトシか。そうじゃった、そうじゃった。ワシがお前を呼び出したんじゃったな。中で待っておるが良い。直にシゲルとルカサ君も来る事だろう」 「え、あの二人まだ来てないんですか?」 「ワシが指定した時刻にはまだ十数分あるからの。まあ、まかり間違ってもすっぽかす事はないじゃろう」 幼馴染二人がまだきていない事に信じられないと言った感じで驚くサトシを見て、オーキド博士はこれが普通の反応だと苦笑した。 まだまだ謎が多いとされる不思議な生き物ポケットモンスター、略してポケモン。 そのポケモンをモンスターボールという特殊な道具に入れて携帯する事を許可されるのは十歳からである。 サトシや今はまだここにいないオーキド博士の孫であるシゲル、二人の幼馴染であるルカサ。 三人ともが今日この日にオーキド博士から最初のポケモンを渡され旅立つ日なのである。 正確にはオーキド博士の目的を手伝ってもらう名目で旅立たせる日であるが、サトシにとっては自分が旅立つ日なのであろう。 研究室の一室にサトシを案内したオーキド博士は、眠気覚ましのコーヒーを入れながらサトシに言った。 「よほど楽しみにしておったようだが、ポケモンの勉強はしっかりしたのかのお? ポケモンは真に奥が深い、勉強しすぎてしすぎる事はないぞ?」 「勉強なんて嫌いだって言いたいんだけど、母さんがね。ポケモンの勉強は後でもできるから、まずは無事に旅を続けられる知識をつけろって。おかげで料理洗濯と一通りの事はバッチリできるようになったけど、逆にポケモンの事はさっぱり」 「はっはっは、ハナコさんらしいじゃないか。確かにポケモンを知るには直に触れあい、自らで学び、ポケモンから学ぶのが一番じゃ」 「母さんも似たような事を言ってたよ。だけど母さんが一番心配しているのは……」 「そうじゃったな。サトシのお父さんは……」 軽い世間話のつもりが、少々くらい雰囲気になってしまった所で、救いの声が二つ研究所内に届いてきた。 「おはようございまーす」 「お爺様、言われた通りやってきました。ルカサも一緒です」 「おお、入ってきなさい」 オーキド博士がやってきたシゲルたちを迎えに行ったところで、サトシは一度気持ちを落ち着かせた。 自分に沈んだ顔が似合わない事を自覚しての事であり、シゲルやルカサにからかわれないためでもある。 「あれ、サトシが先に来てる。珍しい、明日は雪が降るんじゃないの?」 「まあ、例外中の例外だろうね。今日はサトシにとって記念すべき日だから」 研究室に入ってきて早々に嫌味を飛ばしてきたのが、ルカサである。 長いロングの髪は腰に届くにつれ花びらのように開いており、申し訳程度に帽子を頭に載せている。 ノースリーブにミニスカートと、かなりの軽装である。 次に入ってきたシゲルは、二人と違い髪形もきっちりセットされており、澄ました雰囲気が自然とあふれ出していた。 「お前ら、挨拶より前に嫌味かよ。性格悪いぞ」 「サトシに言われたくはないわね。約束の時間に遅れるどころか平気ですっぽかす、人から借りた物は借りっ放し」 「それは性格が悪いわけじゃないだろ。忘れっぽいだけだ」 「あのね、そうやって堂々と忘れっぽいって自分で言う所が性質が悪いのよ」 悪い悪くないと額をくっつけて言い合う二人の間に、やれやれとシゲルが割り込んだ。 「お前達ここに一体何をしにきたんだ。喧嘩なら外でやってくれ、もしもお爺様の研究室のものを怖しでもしたら黙っていないよ」 「シ、シゲル顔が怖いわよ」 「相変わらずオーキド博士に心酔してるな」 シゲルに凄まれ、今度は逆に手を取り合って体を引くサトシとルカサ。 仲の良い三人の様子を微笑ましそうに眺めていたオーキド博士であったが、一つ咳払いをして本題にうつる。 「さて、お前達自身も解っての事だろうが、今年でお前達も十じゃ。今日はお前達の為にそれぞれ一体ずつのポケモンを用意しておいた。その一体を連れて旅立つと良いじゃろう」 この言葉に待ってましたとばかりにガッツポーズをしたのはサトシだけで、シゲルとルカサの反応はいまいちなものであった。 「そしてもう一つ、お前達に頼みたいのは」 「説明の途中ですが待ってください、お爺様」 「なんじゃシゲル」 「僕たちはまだ旅立つとは一言も言っていません。僕にはお爺様のようなポケモン研究家となる目標があります。悠長に旅をしている暇があるのなら、もっとポケモンについて学びたいと思っています。叶うならばお爺様のそばで」 「あの、私もです」 シゲルに続いて手を挙げたのはルカサであった。 「私はポケモンドクターになりたいんです。だからトレーナーのように旅立つよりも、ポケモンの治療法とか薬、他には木の実なんかの勉強をしたいんですけど」 「ええ、お前らポケモントレーナーになりたかったんじゃなかったのか?! だって俺より全然ポケモンに詳しいじゃないか」 「サトシ、お前こそ俺らの一体何をみてきたんだよ。僕もルカサも最初から研究家とドクターになりたいと言っていたはずだ」 「意気揚々とここに来たのもアンタ一人よ?」 本気で知らなかったと驚いているサトシに呆れるが、ポケモンに携わる仕事がポケモントレーナーしかないと本気で思っていそうなため仕方がない。 わざわざポケモンを用意してくれていたオーキド博士にすまなそうにして振り向きながらも、自分達が本気である事を示す為に真っ直ぐ見つめた。 オーキド博士はというと、二人の言い分がわかっていたかのように驚いた様子は見せていなかった。 ただシゲルとルカサの二人を、二人と同じ真っ直ぐな瞳で見つめ返し言った。 「シゲル、ルカサ君。お前達の目標は解っておった。だからあえてワシは旅立って欲しいと思う。もちろん後で頼もうと思っていたワシ自身の用のこともある。じゃがな、自然の中でのポケモンとの触れあいなくして立派な研究家、ドクターにはなれないというのがワシの持論じゃ」 そんな持論をオーキド博士が持っていた事は初耳らしく、シゲルでさえ驚いていた。 「事実ポケモン研究家の多くの仕事はフィールドワークが主となっており、ワシのように研究室に篭っておるのは歳をとった研究家のみじゃ。ポケモンドクターも同じ、本や教科書で知った内容では対応しきれないことが多すぎる。旅の中でポケモンに関わり、触れ合うことが一番の近道だとワシは思うがの。どうじゃ?」 真摯なオーキド博士の言葉に、シゲルもルカサもはっきりとした迷いを見せていた。 だがそれは旅立つことそのものに対してというよりも、心の準備を何もしてこなかった自分に対してであった。 もう一押しかと、オーキド博士はそれ以上自分の意見を押し付けるのではなく、矛先を変えた。 両手を頭の後ろに置いて暇そうにしていたサトシにへである。 「すでに言ったと思うが、お前達の為にタイプの違う三体のポケモンを用意しておいた。まずはサトシ、トレーナーとしてバトルを前提に選ぶ必要のあるお前に選ばせてやろう」 「いやった、悪いな二人とも。俺が先にポケモン貰っちゃうからな。それでオーキド博士、どんな奴らがいるんですか?」 素直に喜び両手を挙げるサトシにつられたのか、興味を引かれた様子のシゲルやルカサの様子をオーキド博士は見逃してはいなかった。 「さてまずは一匹目、ほれゼニガメじゃ」 サトシだけではなく、シゲルやルカサにも見せるように持っていたモンスターボールを投げつける。 野球ボールぐらいの大きさのモンスターボールは、真ん中から二つに分かれるように口を開けて中に入っていたゼニガメを放り出した。 名前の通り大きな甲羅を持った亀の子ポケモンであるゼニガメは、見知らぬサトシたちの姿を見つけると急いで隠れるようにオーキド博士の後ろへと隠れてしまう。 しゃがみ込んだサトシがおいでと手を招いても、一向に近づいてくる気配が無い。 「あれ、なんだコイツ。おーい、そんなところに隠れてないでこっちにこいよ。俺はサトシだ、よろしくな」 「ん〜、少しばかりコイツは恥ずかしがりやでの。そう言う意味ではサトシには向かんかもな」 「恥ずかしがりやさんか。そういうのってちょっぴり可愛いかも」 ゼニガメに軽く手を振り、愛想を振りまくルカサには触れずオーキド博士は次なるモンスターボールを投げた。 赤い光と共に次に現れたのはゼニガメより背丈のある、赤い肌を持ったヒトカゲであった。 今度はオーキド博士の後ろに隠れるような事はせず、ペコリとサトシたちに向けてお辞儀をした。 「今度こそ、俺はサトシよろしくな」 「カゲ」 「おおすげえ、意思の疎通が出来た」 「随分ゼニガメと反応が違うんだな。種族が違うからですか、お爺様」 「いや、礼儀正しいのはヒトカゲだからではなく、コイツがコイツだからじゃ。ポケモンも人間と同じく個性、性格がある。これもまた本を読むだけでは解らん事じゃな」 シゲルとルカサも興味を引かれ考えを改め出した所で、オーキド博士は最後のモンスターボールを投げた。 最後のポケモンは、三匹の中で一番変わった姿をしていた。 濃淡ある緑色のまだら模様の肌を持ち、四足で立つそのポケモンは背中に植物の種のようなものを背負っていた。 これまたオーキド博士の言う個性や性格なのか、じっくりとサトシたちを順に眺め見定めるような眼差しをしながら声を出した。 「ダネ」 「フシギダネ、動物と植物の中間の存在として有名なポケモンじゃな。成長するにつれ背中の種が草となり花を咲かせる。だが寄生されているわけではなく、種もフシギダネの一部というわけじゃ」 「フシギダネか。俺はサトシ、よろしくな」 これまでの二匹と同じように名乗って笑いかけるサトシであったが、フシギダネはダネっと呟きながらそっぽを向いてしまう。 ゼニガメのように照れているわけでもなく、プライドを感じさせる仕草にサトシがムッとしていた。 「これで三匹全て出揃ったな。さて、サトシよ。どいつを連れて行くかの。シゲルやルカサ君も、旅立つつもりがあるならばどのポケモンが良いか考えておくとよいな」 ポケモンに興味の無い人間が研究家やドクターになろうと思うはずもなく、オーキド博士の言いようは少々意地悪なものであった。 すでに一番をサトシに取られている状態で考えておけも何もあったものではない。 どのポケモンをパートナーに選ぶか迷って言うサトシを羨ましそうに見ているシゲルとルカサの姿があった。 「どいつにしようかな。ゼニガメか」 「ゼ、ゼニ」 「ヒトカゲ」 「カァ〜」 「最後にフシギダネ。迷うなあ!」 名前を呼ぶごとにそれぞれの反応してくれるゼニガメやヒトカゲとは違い、フシギダネは鳴く事もせずそっぽを向いていた。 狙っていたわけではなさそうだが、その事が一番サトシの気を引いたのは確かであった。 目をあわせようとしないフシギダネをじっとサトシが見つめる。 顔の向き合わないにらめっこにフシギダネが嫌な汗をかき始めた頃に、サトシが宣言した。 「よおし、フシギダネ。君に決めた!」 さっそくフシギダネを抱っこするように持ち上げるサトシに、口を挟んできたのはシゲルとルカサであった。 「ちょっと待て、サトシ。どう見てもお前、懐かれてなかっただろう。見るからに相性最悪だぞ」 「ほら、思い切り暴れてるじゃない。というより、嫌がってない?」 「フシーッ!」 ルカサの言う通り、サトシの両手から脱しようとフシギダネは暴れていたが、逆にサトシは抱きしめるようにして言った。 「最初から懐かれようだなんて思ってないさ。でも俺はポケモンマスターになるのが夢なんだ。だから俺はフシギダネに好かれて見せる。俺はもっともっとフシギダネの事を知って、好きになってみせる。今日は最高のパートナーに出会った俺たちのきねッ!」 喋っている途中でサトシの顔を緑色のつるが叩いていった。 尻餅をついたサトシの手を脱出したフシギダネが、今しがたサトシの顔を叩いたつるのムチを種の中にしまいこんでいた。 しばらく叩かれた顔を抑えて唸っていたサトシであったが、怒るよりもなおさら顔に笑顔を浮かべて言った。 「痛ッー、効いた。今のがつるのムチか。強いじゃん、俺のフシギダネ!」 「ダネダネ」 駄目だこりゃとでも言いたげに呟いたフシギダネの口ぶりに、シゲルとルカサがぷっと吹き出していた。 「喧嘩をする程仲が良いとも言うしの。さあて、残るはシゲルとルカサ君じゃな。欲しいポケモンは決まったかな」 「決まりました。それで旅に出てみようと思います。まだお爺様の言った意味は本当の意味で理解できていないでしょうけれど、旅に出て期待に応えて見せます」 「なんだかサトシがサトシが羨ましいってのも少しあったり。幼馴染には負けてられないわ」 「よろしい、ではどちらが先に選ぶかの?」 同時にお互いを見たシゲルとルカサは、頷きあうと自然と別々のポケモンへと足を踏み出していた。 シゲルはヒトカゲへと、ルカサはゼニガメへと。 「ヒトカゲ、これからよろしく頼む」 「カゲ」 礼儀正しく頭を下げあうシゲルに比べ、ルカサは恥ずかしがるゼニガメを抱えると頭を引っ込めているのも関わらず抱きしめた。 「私は断然このゼニガメ。恥ずかしがりやなところが可愛さに拍車をかけてるのよね。よろしくね、ゼニガメ」 「ゼニィ……」 甲羅の中から響いてくるゼニガメの声に、ルカサは嬉しそうであった。 三人がそれぞれのポケモンとそれぞれのコミュニケーションをとっている様子を眺めていたオーキド博士が、軽く手を叩いて三人と三匹のポケモンを振り向かせる。 オーキド博士が望んだように三人が旅立つ事は決定したが、本当に頼みたい事はこれからなのだ。 近くの机に置いておいた空のモンスターボールと共に、オーキド博士は液晶ディスプレイの付いた電子手帳のようなものをそれぞれに手渡した。 「空のモンスターボールは今さら言うまでもないな。肝心なのは、一緒に渡したポケモン図鑑じゃ。その図鑑には現在発見されているポケモンの情報が全てインプットされておる。じゃが、完璧というには程遠い。そこでお前達にはその図鑑の完成を手伝ってほしいのじゃ」 手伝って欲しいという言葉に一番反応したのはシゲルであった。 もとよりオーキド博士と同じ研究家になりたいと思っているシゲルには、オーキド博士の手伝いとは夢のような話であった。 「つまり旅をしながら様々なポケモンと出会い、図鑑に足りない情報をインプットすれば良いんですね?」 「そう言う事じゃ。難しければポケモンの映像を保存する事である程度の情報は自動的に保存できる仕組みになっておる」 「知らないうちにどんどん科学が発達していくわね。ポケモンドクターを目指す身としてはおいていかれないようにしないと。サトシ、アンタもって聞いてないし」 同意を求めてルカサが振り返った頃には、サトシは自分のフシギダネへと向けてポケモン図鑑を開いていた。 電子音の堅い音が鳴ると同時に、合成された音声が流れ、フシギダネの説明を始めた。 『フシギダネ。体に大きな種を背負っている。この種は生まれた時から植わっており、生後しばらくは種から養分を得て成長する』 「おお、すげえ喋ったぞこの図鑑。おもしれえ!」 「人の話を聞かない代わりに、行動力が無駄に高いわ。っと、ゼニガメも気になるわね」 『ゼニガメ。背中の丸い甲羅は単に身を守るだけでなく、表面の溝によって、水の抵抗を減らしつつ素早く泳ぐことができる』 当たらし玩具を貰った子供のようにはしゃぐ二人を見て、オーキド博士は呆れると同時に違うタイプの三人を選んだ決定に満足していた。 ポケモン図鑑の完成にはより多くのポケモンとの出会いが必要である。 その為にわざわざ全く違うタイプのポケモンを用意し、全く違う夢を持つサトシ、シゲル、ルカサを選んだのだ。 だがたった一つだけ予想だにしない誤算があったのだが、その事にオーキド博士が気付くのはずっと先の事であった。
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