世間ではゆっくりと不穏な流れが生まれようとする時、サンドラは体を癒して復帰まであと少しという所であった。
アリオスト研究に戻り、ルイセは家でサンドラのリハビリの手伝いと中断された実習をしていし、ウォレスは去ろうとしたものの、説得を受けて居候をしていた。
そしてルーチェの姿はフェザーランドにあった。
連れの姿は不思議となく。アリオストの飛行装置ももちろん無い。
替えがまだ無いのかいつものジャケットとは違う黒い上着を羽織っている。時折の風が裏地に描かれた花ををちらちらと見せた。
警備と思われるフェザリアンの姿がちらほらとあるが、なぜか部外者に気づくものは誰もおらず。
遠く水平線に沈もうとする太陽を見ながら、照らされた影を伸ばし足音も立てずに歩いていく。ルーチェの姿はすぐに奥へ奥へと消えていった。
かなり奥まで来たルーチェは、飾り気の無い金属の扉をつまらなそうに開けて部屋に入ってく。

「貴様かえ…どのようにして入ってきた?」

近寄った途端、羽が風を起こす。
ステラは先日と違い休んでいたのか少しゆったりとした服を着ていた。
衛兵や、グローシアンとの闘争の間に築かれた多少のセキュリティに引っかからずに来た事を聞かれたが、ルーチェは返事を返さずにステラの傍まで歩いていく。

「答えよ」

「人や獣の技術の方がこういう時は優れている」

「そうかえ。貴様が来ると言った時間は既に過ぎている。それに関してはなんという気かや?」

返事に少し不機嫌そうに羽を揺らして女王は続いて聞いた。
ルーチェは大きくとられた窓に目をやる。見晴らしの良い位置に作られた部屋であった為、沈む夕日に染まる空と海がよく見えた。

「あの時も同じように日が沈んでいたよ。遅れてはいないと思うが」

ステラは同じように外を見て、踵を返す。
少ない家具の一つ、女王と呼ばれる者が使うには素っ気無さ過ぎる白いテーブルの上に乗る無愛想なポットを取り奥へ行く。ポットはまだほんのり暖かい。

「それで、何をしに来たのかえ」

「別に何も」

ルーチェの声音に何故か少し違和感を覚えて、ステラは振り向いた。
だが夕日を見るルーチェの顔からは何も読み取れず、気のせいかと奥へ向かう。

「あぁ、珍しい本の一つもあれば読みたい」

ルーチェは奥に向かうステラの後をついていき袖から瓶を一つ取る。
ステラは返事を聞いて、用も無いのに来るコイツが変なのか人間はこうなのか考えながら、ポットのお湯を入れ替える。

「持っていく事は許さぬが、そこの棚にある本なら読んでも構わぬぞ」

ルーチェの方など向かずに指差すステラの手をとって、何か言おうとするステラの手の上に瓶を置く。
控えめに装飾され、可愛らしい瓶を見て、これはなんだとルーチェを見上げるステラにルーチェは言う。

「茶葉だ。良い香りのする葉だよ」

ステラは微かに息をついた。瓶を置き、用意していた茶葉に蓋をする。

「これで淹れろというのかえ?」

ルーチェは首を振って本を取りに行く。倫理に関する本。歴史書、簡単な医学などのフェザリアンが追求している学問に関する本。それに歌に関するものが色々とあった。
歴史書や知識の本にも惹かれたが、歌の本らしき背表紙を一つ選んでとってみた。

「ステラの好きな茶が良い」

選ぶ本を間違えたようで色々な歌が載っているのかと思いきや、歌に関していろいろと書いた本らしい。
フェザリアンは本当に様々な時に歌を用いるようで、恋人に送るにはどんな歌がよく歌われるかとかラブレター代わりに作られた名曲とかが書いてあり、ルーチェはフェザリアンってこういう奴らなのかと先程のステラのように偏見を持ち始めた。
その間に良い香りがステラのいる方からしてくる。少し甘めの香りだった。
ルーチェはそのまま一冊二冊程本をさっさと読み、お茶を一杯頂いた。
香りを楽しみ、喉を潤しながらルーチェの頭の中では、昨夜見た夢の内容が思い出されていた。

"どうした。ローランディア王国の宮廷魔術師はまだ生きているぞ。もっとも、お前たちだけの責任ではないがな"

その内容とは先日サンドラに刺客を差し向けた創造主が、何か大掛かりな計画を実行し始めるというものだった。

(創造主は動くつもりだ。俺はどうすべきだ? )

本当は、いつまでも養われているままではいられない上、サンドラの助けになる事も考え相談の上職業訓練か就業するつもりだったのだが、創造主はあの仮面の騎士達に”計画を急ぐ必要がある”とも言った事からルーチェ達の生活を脅かすものだと予想している。

「…ふむ、何かあったのかえ?」

「叱られただけだ」

ステラはルーチェの返事に何も返さない。
ルーチェもその後は考え事をして、また茶を頂いてその日は帰った。

「また来る」

これまでの事、これからの事、ゆっくりと考えたルーチェは心なしか笑みを見せて帰路に着いた。

獣道9 社会人になってみようか



家に戻ったルーチェは倒れていた間の情報に目を通すサンドラの元へ向った。
その後ろにはウォレスとルイセがいて、書類に目を通していたサンドラは何かあったのかと問うような目をしてルーチェを見た。

「昨日の夢にサンドラを襲った奴らが化け物から命令されているのを見た」

「え?」

寝ぼけ眼で兄の手を掴んでいたルイセが間抜けな声を上げる。

「もう少し早く言って欲しいですね。貴方の夢は特別なのですよ」

日中ずっと資料に目を通して疲れていたサンドラは、ため息をついてそう言った。

「詳しく話しなさい」

資料を読むためだけの薄明かりの中、ルーチェは話を続ける。
夢の中で、薄暗い洞窟の中にいた巨大な銀色の怪物と…サンドラを襲った者達と同じ、その怪物を模した甲冑に身を包んだ者達…そして、巨大な怪物を小型化したような、小型の銀色の怪物。
創造主と恐らく自分と同じように作られた者達の事を夢から読み取れたできるだけの事だけを、ルーチェは説明した。
まだ創造主とは話す程決意がなく、ルーチェはその事は言わずに置いた。

怪物の特徴を説明した所で、今まで黙っていたウォレスが口を開いた。

「ちょっと聞いてくれ。俺は昔、傭兵団に入っていて水晶鉱山の警備をしていた」

「たしか、化け物が暴れて、って話だったよね?」

ジュリアンに話すとき、聞いていたルイセが口を挟み、ウォレスは苦笑した。

「ああ。やっぱりあの時聞いていたか」

「ご、ごめんなさい…」

「構わんさ。それで、その化け物だが…似ているように思えるんだ」

「この子が夢でみた異形にですか?」

サンドラの問いにウォレスは頷きで返した。

「そして隊長は奴を追って行方不明となった。その隊長を探していた俺の腕と眼を奪ったのは白い鎧の男達も、サンドラ様を襲った奴らと同じかもしれん。

この間戦ったとき、似ていると思ったよ。俺はこの通り、シルエットしか見えねぇが、あんな刺々しい形をしてりゃ、すぐに分かるぜ。話を聞く限りじゃ、同じ連中のようだな」

話を聞いたサンドラは、その容貌などに一つの伝承を思い出したが、ルーチェの表情から言った方が良いかどうか迷って資料に目を戻す。
それを見てルーチェはサンドラに近づく。

「サンドラ、話してくれ」

ウォレスがサンドラに顔を向け、ルイセはそう言われてもまだ決めかねるサンドラに更に近寄ろうとするのを、機嫌悪そうに腕を引いて止めた。

「俺は化け物達を探す」

「…あくまでも伝承に残るだけなのですが」

サンドラは、もったいぶるように一度切るとルーチェの顔を見つめた。

「昔、グローシアンが人間を支配していた時代に人を襲うゲヴェルという怪物が現れたそうです。そして、数人のグローシアンがゲヴェルと戦い…詳しい事は分かりませんが、それ以降ゲヴェルも当時いたグローシアンもいなくなったそうです。もし夢でみた異形がゲヴェルだったら……」

本来の渋々といった口調でサンドラは説明し、ルーチェの目を見て表情を少し険しくした。
理由は無い。あくまでも勘であったが。サンドラが襲われたのは確かだが、ルーチェがそれだけで怪物たちを気にしているのではないように思ったからだ。

「くっ! 調べてみたいのはやまやまだが、この体じゃ……」

盲目のウォレスでは調べづらい上、場所も悪い。水晶鉱山はバーンシュタインにあるのだ。
それを知るウォレスは口惜しそうに言い、サンドラは都合が良いと一つ提案をする事にした。

「方法はあります」

「本当か!?」

「ウォレスの実力なら我が国に仕官できるでしょう。そうすれば公務として他国に行くチャンスがもらえるかも知れません」

仕官…今まで断ってきたのは隊長を探すという目的には自由である方が望ましいからであった。
その自由を捨て、いつ他国へ行くチャンスが得られるかわからぬ仕官をする事にウォレスは瞬間、反感を覚えたが、

「しかたねぇか…よろしく頼みます」

「ウォレス。俺も手伝おう」

「「ルーチェ(お兄ちゃん)!?」」

家族の視線を受けながら、ルーチェはウォレスを見る。

「どういう風の吹き回しだ?」

「遊んでいるわけにもいかないだろう? それにまた襲われるとも限らない。用意をして待つより殺した方がぐっすり眠れる」

ウォレスは一応は納得し、「駄目です」サンドラは却下した。

「そうだよ!」

ルイセがルーチェに抱きつき、見上げる。
見返したルーチェの目には妹は怒っているというより、悲しげに見えて何も言わずに言い分を一先ず聞くことにした。

「危ないよ。ウォレスさんだって大怪我したのに!」

「グランシルの大会で優勝できたからな。足手まといにはならないさ」

「でもジュリアンさんに負けたもん! また「だから、成長する必要がある。ルイセ達を守れない」

ルイセの言葉に返事を返すルーチェは、創造主達の夢の中、創造主が最後に言った言葉を思い出していた。

”それにしても邪魔だな、あの娘は……”

「ルーチェ、覚悟はできたのかしら?」

「…ああ」

サンドラの言葉に、ルーチェは頷く。

「……信じましょう「お母さん!?」ルイセ、貴方はルーチェが信じられませんか?」

ずるい言い方をされてルイセは母を睨んだ。サンドラは涼しい顔で見返す。
ウォレスは殺気混じりになりそうな雰囲気に頬をかき、ルーチェはティピがいたらもう少しましだったかもしれないと思って一先ず傍観する事にした。
放っておいて後でフォローするほうが楽だと知っているので自然と、そう動いてしまう。

「お母さんより信じてるもん…! お兄ちゃん、私も行くからね!」

部屋がノックされる。二回。音から、サンドラには執事とわかった。

「失礼します。サンドラ様、お休みの所申し訳ございません」

「なんです?」

初老の執事に皆の視線が集まる。
執事は、チラリと皆を見たが淡々と告げた。

「バーンシュタイン国王が倒れたようです。良くも悪くも騒がしくなるかと…」

とんでもない醜聞でもない限りは、後軽く二十年近く王座にあり続けるというのがローランディアの見方であったのに、それが突然倒れるなど…ありえない。
だがこんな手に出れば反発は免れぬし、力もまだまだ蓄えるつもりと見ていたのだが…何かおかしいと思いつつ、サンドラは断定するような口調であえて言っておく事にした。

「暗殺ですか…あの王子も思い切ったことをしますね。以前会った時はそれ程焦っている様には見えませんでしたが?」

夕食に呼びにくるときと同じ調子で告げる執事に、サンドラも同じような調子で返す。
まだ死んでもいないのにサンドラの発言は不穏当すぎるような気もするが…サンドラはもう死んでいるだろうなと考えつつ、ルイセを見る。
案の定、震えていた。

「あ、暗殺って…お母さん」

「王子と決めるのは早計ではございませんか?」

意見を言う執事に、サンドラは少し考え、答えを返す。

「そんな手を使う者で…今の王を殺して利のある人間はいません。ルーチェ、ウォレス。明日一番で城に向う事にしましょう。ルイセも今日は早く寝なさい」

サンドラの言葉にウォレスと執事が部屋を後にするが、ルイセは部屋を出なかった。

「お、お母さん…さっきの話「ルイセ、迂闊な発言はしないようにしなさい…(まぁ、こんな事はめったにありませんが)」

「う、うん」「さっ今日はもう休みなさい。ルーチェ、今夜はルイセについていてあげなさい」

ルーチェは頷き、ルイセの手を引いて部屋を出て行く。
思っていたより遥かに忙しくなりそうだとサンドラは椅子の背にもたれ…なぜかルーチェが部屋に戻ってきた。

「…ああ、そういえば代わりの剣が必要でしたね」

「餞別をもらったからそれはいい…それより」

「何かしら?」

「これを調べて欲しい」

ルーチェはサンドラの机まで歩き、首から提げていたペンダントに通していた指輪を渡す。
それは最初の外出の日に幽霊から手にいれた指輪だった。

「私は嫉妬深いと知っているはずですが…」

嘲るように笑みを浮かべるサンドラに、ルーチェは普段と変わらない無表情で返す。

「幽霊から貰った」

「…一応預かっておきます。先程の武器、幾つか既に用意させてしまったので見るだけでもしておきなさい」

「おやすみ」

頷き、去ろうとするルーチェにサンドラは立ち上がり手を伸ばす。
ルーチェののどを掴んで引き寄せる。

「まあ、私のことを忘れなければよしとしましょう」

早くなる動悸を気にしないようにして、サンドラは唇にキスをする。
ルーチェが何度か瞬きをした後、応じる。サンドラは舌に思い切り歯を立ててやった。

「…魔女め」

唇に手を当てる男を見ながら、女は血の味のする唾液を嚥下した。

「危険に向っていくなどと言い出すからです…気をつけるのよ?」

「ああ」





翌朝、朝食を軽く済ませてからルーチェ達はローランディア王城に向う。
そこそこに歴史のあるその城の中枢は、少々ゆれていた。
バーンシュタインの国王死去の報が先ほど届き、時を同じくして病気で臥せっていた宮廷魔導師サンドラが城に出てきたからであった。
宮廷内にいる者達がひそひそと話す中をサンドラはルーチェとルイセ、そしてウォレスの三人を伴って進んでいく。
ウォレスは堂々と、ルイセはしっかりとルーチェのジャケットを掴み、隠れるようにルーチェの後ろを歩いていたし、やっと戻ってきたティピは興味深げに周りのあれこれを見ていたが。
普段どおりといえば、普段どおりなのだが…サンドラは娘達の態度が少し恥かしかった。

(普通は違うのだが、)今の王アルカディウスはサンドラに高い評価を与えていた為王への目通りはすぐに許可された。
アルカディウス王は皺を寄せていた顔に喜色を浮かべサンドラを迎えた。

「おお、サンドラ。体はもうよいのか?」

「はい陛下。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」

嬉しそうに声をかけてきた王に礼をして、もう少しルイセに度胸をつけてもらいたいものだと思いながら歩を進める。
だが、せっかく少しは早く慣らす為に城につれてきたと言うのに、ルーチェにくっついているのでは逆効果ではないだろうか?
王の前でそんな事を考えながら、サンドラは垂れた頭をあげる。
この国の王族には珍しく穏健な人物であるアルカディウス王は、サンドラの復帰を素直に喜んでいるようだ。

慌てて礼をするルイセと、ティピに頭を抑えられるルーチェを置いて、王に最も近い位置でサンドラは足を止めた。
武官より、文官よりも王はサンドラの事を重く用いていた。

「宮廷魔導師サンドラ、出廷しました」

「うむ。これからもよろしく頼むぞ」

「勿体無いお言葉です」

王の信頼の篭る声に、面白くなさそうにするものと同じように信頼の眼差しを向けるものと、両方を無視してサンドラは返事を返す。

「陛下に紹介したい者を連れて来たのですが、お時間はよろしいですか?」

「今ちょうどバーンシュタインの新王の戴冠式にレティシアを出席させることを決定した所じゃ。レティシアが来るまでまだ時間はあろう」

レティシアとは、見目麗しいと評判の王の娘。
国民の人気もあり…王の評判もあり、少々人気がありすぎるのが原因で、次の王であるコーネリアスに疎まれているようである事を除けば、誰にとっても良い王女といえる。
勿論、サンドラも含みなしで好感を抱いており、自然微笑みながら返事を返した。

「紹介したいものとは、この者です」

サンドラはそう言って、ルーチェを見せ、紹介する。
息子という所で、ルーチェがサンドラが引き取った子であるとようやく気づいた者の誰かが、説明の後考える王に異議を唱えるはじめるが、サンドラは少ない反論で、別によいと判断する。
ルーチェの事をルーチェと呼ぶ人間が増えるのが気に入らないというだけで、ルーチェの名前をカーマインと、さらっと嘘の名前で紹介したサンドラはそれぐらいに寛大であった。
いつもの態度など無かったように冷めた様子でルーチェの事を話すサンドラに、ルイセが顔に出さずに不思議がるのを見て、ルーチェとサンドラは誉めてやりたくなるが、王の判断を待った。

「よかろう。では、早速一つ仕事を頼むとしよう」

「なんなりと」

「我が姫、レティシアの護衛を任せる」

アルカディウス王の言葉に、場がざわつく。

「僭越ですが陛下!!」

「なんじゃ?」

いきなり声をあげた文官を咎めることなく聞く王に、その男はルーチェ達を指差し、鼻息も荒く言い募る。

「…よろしいのですか!?そのような…者達に姫の護衛を任せるなど…」

王は、罵りを何とか言わずに講義した文官の言葉に何度か瞬きをする。

「今年のグランシルの優勝者はエキシビジョンでも中々の戦いをしてみせたと聞いておる」

「しかし、いきなり姫の護衛など…」

その時、ちょうど玉座に向かって左手の奥にある扉から、白いドレスに身を包んだ少女が入ってくる。
年の頃はルイセより上であろう、入室し王の傍に行く姫には優雅さと落ち着きが見て取れた。
レティシアは、王の前まで来ると裾に行くにつれ薄く青紫に染められたドレスの裾を摘んで優雅に礼をした。
ティアラをあしらった長い金の髪が揺れる。

「お父様。レティシア、参りました」

王は、自慢の娘を前に一瞬顔を綻ばせたが、すぐに表情を戻す。

「うむ…レティシアよ。バーンシュタイン王国の王子が即位する事になった」

初耳だったのだろう、レティシアが表情を変えた。
そのしぐさに愛らさを感じて、王は一つ咳払いをする。口元が綻びそうだったのだ。

「急な事だが、もうすぐ開かれる新王の戴冠式に我が国の代表の一人として出席してもらいたい」

姫が軽く頷くのを確認してから、王は手でルーチェ達を示す。

「この者達を護衛に付ける」

タイミングよく視線をあわせながら、ルーチェは誰に教わったのかバーンシュタインで流行っている礼をしてみせる。
ルイセも慌てておじぎをしする。微笑みをみせるレティシアに、ルイセはとても暖かな印象を持った。

「なに…心配はいらぬ。この者達はサンドラが是非にと推す者」

「陛下!!」

再び声をあげた文官を、王は少し煩そうに見る。

「騒がしいぞ…私はサンドラを信頼しておる」

その返答に、文官が唇を噛んだ。
忌々しげにサンドラを、更に蔑みを加えてルーチェを見る。
ルーチェと、目が合う。文官は一瞬動きを止めた。

「行き先は南にある砦の先だ。そこで先方から、インペリアル・ナイツの騎士が出迎えに来る事になっている」

「バーンシュタイン王国のインペリアル・ナイツというと、有名なあの近衛騎士団でしょうか?」

「そうだ。彼らならば信頼に足る人物。お前たちには、彼らとの待ち合わせの場所までの護衛を頼みたい。勿論戴冠式が終わり次第、同じ場所で待ち合わせ再び姫の護衛を行ってもらう」

「承りました」

「では、お父様。私は用意をしてまいります」

王が頷くのを確認してから、レティシアは下がっていく。

「陛下。皆にも下がらせ、用意をさせようと思いますが」

動きを止めた文官に一瞬視線をやり、サンドラは王に確認を取る。

「うむ。よきに計らえ」

「はい」

サンドラが頷き、ルーチェ達の下に戻ってくる。

「戴冠式までそう日にちがありません。すぐに出立となるでしょう…すぐに用意をして門で待ちなさい」

頷き、ルーチェ達は一礼をして謁見の間から退出する。
サンドラは去っていく三人の背を少しの間見つめていたが、気を取り直すように息をつくと、他の議題に取り掛かった。


退出した途端に、ルイセがルーチェの腕をつねる。
何事も無かったように歩きながら、ルーチェは視線をルイセに向けた。
ルイセはすぐに手を離してルーチェのいない方を向く。
それでも、ジャケットを持つ手を離さないし、距離をとったりもしないのだが…ルーチェはそれに少し口元を綻ばせる。
逆にルイセの方はその態度に更に勢いよくそっぽを向いた。

「どうかしたのか?」

ウォレスの問いに首を振って、ルーチェは屋敷に戻る。
去っていく彼等を、並び立つ石像の影から見ていた壮年の貴族達は口元に手を当てたりあらぬ方向を見たり、各々の考え込む態度で見送った。
「フフ、…ハハハ」
「コーネリウス様?」
その中で、唯一コーネリウスだけが笑い声を上げた。

「お帰りなさいませ。旅の用意がございますので…どうぞこちらへ」

屋敷に戻った途端、執事が促すと同時に侍女達がウォレスを連れて…いや連行していく。

「徒歩なのか?」

「はい、お忍びという事です。日程を確認した所、お嬢様のテレポートをお使いになれば途中グランシルなどで羽を伸ばされても十分間に合うかと」

ルーチェは礼を言ってから門に向かい、レティシア姫を待った。
だが、ルーチェ達がついてすぐ現れたレティシア姫は、何故か宮廷内で出会った時と同じ服装であった。

「お待たせしました。道中、頼みますね。さあ、出発いたしましょう」

「レティシア姫、お忍びと聞きましたがあまり目立たない着替えはありますか?」

「はい」

レティシア姫は答えるとドレスの裾を上げる。
驚くルイセ達が止める間もなくドレスを脱ぎ捨てると、下には街娘が着ているようなワンピースが現れ、レティシアはティアラも外し…結われていた髪が綺麗に流れた。

「驚かれました?」

レティシア姫が荷物を持ってきた侍女に脱いだドレスを渡すと、侍女も手馴れた様子で手早くドレスなどを仕舞う。
ルーチェは微かに首を振り、門から出た。

「乳母や、近衛にも仲の良い者がおりますから」

ルイセが手馴れた様子でお忍びの服装に着替えた事を聞いた所、レティシアはそう答えた。

「それと…私の事はどうかレティシアと呼んでください」

姫の言葉にルイセは、元々他人と話すことに慣れていないからか何か言おうとして止めてしまう。
ティピが早く答えなさいよと、ルイセの服を引っ張った。ルイセが頷き小さな声で答え始める。

「あの…レティシア姫様相手に、そんなこと…」

「これまで同年代の方と話す機会が無かったんです。ですから、よろしければ私と友達になって欲しいんです」

お姫様相手なのだから、ほぼ拒否権などなさそうなお願いであったが…グローシアンに生まれた事などで友人がほぼ皆無のルイセとしてもその申し出は嬉しく、ルイセは小さくはいと答えた。

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