第十一話 聖夜、夢に踊る子羊なの(後編)
 気がつけばはやてもなのはも、聖祥の制服に身を包んだまま学校の教室で授業を受けていた。
 男の先生が背を向けながら黒板に文字を書き連ね、皆が一生懸命にノートに黒板の文字をうつしている。
 少し見下ろした机の上のノートには途中までうつされた黒板の内容が書かれており、慌ててはやてもなのはも黒板をうつしだした。
 だがあまりにも直前の記憶と現状が食い違いすぎて、すぐに鉛筆を持つ手が止まり、ゆっくりと互いに互いを振り返り、顔を見合わせていた。
 今まで長く辛い夢を見ていたような、そんな錯覚に襲われ、確認するように瞳を覗き込み合い頷く。
『はやてちゃん、ここ学校、なんだよね? 私たち夜の公園で、闇の書さんと』
『そや、間違いあらへん。闇の書に妙な魔法かけられて、幻なんやろうか? けどあの子は私らがあかね君を苦しめてるって』
 念話ではやてが呟き、その苦しみと言うものを聞く時間を与えられたのかと、あかねの席へと振り返る。
 そしてはやてとなのはの視線が交わる先に居た人物を目にして、直ぐに二人は席を立っていた。
「アリサちゃん、なんでアリサちゃんがそこに?」
「席が後ろから詰められとる、あかね君がおらへん!」
「ちょっと馬鹿、なに急に立ち上がってるのよ二人とも。あかねって誰よ。そんなことよりも後ろ、後ろ」
 アリサからすれば授業中に突然立ち上がった二人が不可解に映り、後ろを見ろと注意を繰り返してくる。
 だがはやてとなのはには注意よりも、アリサの発した言葉の方が重要で、そんな馬鹿なと席順を確認するように辺りを見渡した。
 本来あかねが居るべき席が消失し、その後ろにいるアリサ以下数名のクラスメイトの席が前へと詰められていること以外は何も変わらない。
 フェイトもすずかもどうしたのかという、心配そうな視線を向けながらこちらを見ており、本当にあかね自身とその席だけがない。
 そしてもう一点、現実とは違う点を見つけなのはが指差して言った。
「はやてちゃん、立ってる。はやてちゃん、立ててるよ!」
「うわ、ほんまや。あれ、車椅子もあらへん。どうなっとるんや!」
 ありえないことの連続で混乱の頂点にあった二人であったが、それもそう長くは続かなかった。
「お前ら、そんなに俺の授業が詰まらないか。俺の授業中にいきなりアルプスの少女ハイジごっこをして、そんなに詰まらないか」
 聞き覚えのない声に振り返れば、まずなのはの目の前に大きな手の平が迫っていた。
 小さななのはの頭を鷲づかみにしてしまうと、その頭を引っ張りながらはやての席まで歩かせ、今度ははやての頭も鷲づかむ。
 授業中に突然騒いだ二人に与えられた罰は、乱暴に髪をかき回されることであった。
 あうあうと大人の男の人の力にはさからえず目を回す二人には、直ぐ近くで呆れた顔を見せたアリサの顔が良く見えていた。
 三分は頭を振られ、髪の毛もくしゃくしゃになった二人は、改めて罰を与えた先生を見上げ、思わず呟いてしまった。
「えっと、どちら様ですか?」
「先生やあらへんですよね?」
 大きな溜息はアリサのものであった。
「寝てただろ、お前ら寝てただろ。担任の顔って言うかどんなに深く寝てたとしても、親戚の顔を忘れるなはやて」
 今度は頭を強く撫でくりまわされるに留まらず、はやてとなのはは頭をくっつけ合い両端から拳をぐりぐりとねじ込まれていた。
 あまりの痛みに涙で滲む瞳で、二人は自分たちに罰を与える男の人を何とか見ようと頑張っていた。
 本当に自分たちの担任の先生ではないが、その顔にはどことなく見覚えがあるような気がしてならなかった。
「大空太陽だって、名乗らせるな。その駄目駄目な生活態度、なのはは士郎の旦那に。はやてはうちのお袋にチクるからな。たっぷり怒られてきやがれ」
 その名前を聞いて、はやてとなのはは頭部を襲う痛みすら忘れて驚いていた。
 目の前の男の人は大空の姓を名乗るだけに留まらず、はやての生活態度の報告先に自らの母親を指名した。
 これがまだシャマルやシグナムならば解るが、何故目の前の男の人の母親なのか。
 まさかと理解すると同時に二人は、大空太陽を名乗る教師の束縛を振り切って走り出していた。
「こら、二人とも待ちやがれ!」
「高町なのは、とっても頭痛が酷いので早退させてもらいます」
「八神はやて、以下同文です。早退と言う名の逃亡です」
 制止の声は太陽だけでなく、事情が飲み込めていないであろうフェイトやすずか、アリサのものも混じっていた。
 だがはやてとなのはは、手を繋ぎながら足を止めることなく走り続けていた。
 気がついてしまったこの世界の事実が怖く、手を繋いで居なければとても冷静ではいられなかった。
 この世界には最初から大空あかねと言う存在がないのかもしれない。
 大空あかねと言う存在が消え、あの大空太陽と言う名前の教師がその消失を生めるように存在していた。
 だから現実と同じくはやてが聖祥にいたり、八神の姓のまま大空の家に居候していることになっている。
「なんやのこの世界、これがあかね君の苦しみとどう関わってくるんや」
「私にもわからないけど。たまたまあかね君が別の学校に行ってる可能性だってあるかもしれない」
「そっか、なら大空の家に。今の時間はあかね君のお母さんおらへんけど、部屋ぐらいあるはずや」
 本当にそれだけなら、せめてそうであって欲しいと二人は急ぎ大空の家を目指して走っていた。
 ただしあかねが居ないこと以外にも僅かな違和感は胸の中で燻ってはいた。
 まだ明確に言葉に出来るほどでもないのだが、はやてもなのはも同様にそれを感じていた。
 その答えが見つけられないままに大空の家へとたどり着いた二人は、躊躇なく玄関のインターホンを鳴らしていた。
 冬の寒さが気にならないほどに上気した体を鎮める為に、呼吸を荒く繰り返しながら待つこと少し。
「はいはーい、ちょっと待っててくださいね」
 対応に現れたのは意外にもシャマルであった。
「あら、はやてちゃんになのはちゃんも。本当に学校を抜け出したんですね、太陽さんから二人が行くはずだからって連絡ありましたけど。カンカンに怒ってましたよ」
「そんな人、知らへんよ」
「もう、そんなこと言って。喧嘩でもしたんですか?」
 憮然とした表情になったはやてを上手い具合にシャマルが勘違いしてくれ、二人はそのまま家に上がり二階へと向かった。
 二階にあるはずのあかねの部屋、そのドアの前に立ったはやてとなのはは顔を見合わせ、そしてドアを開いた。
 勉強机や半分以上が漫画の置かれた本棚、成長を見越した少し大きめのベッド、それらが二人を出迎えるはずであった。
 だが実際は、勉強机の代わりにパソコンの置かれたデスクがあり、本棚は教本や授業で使用する教科書で埋められていた。
 唯一変わらないのがベッドぐらいのもので、内装も家具も何から何までが違う。
 恐らくはあの大空太陽の私室、本当にあかねという存在の代わりに入れ替わってしまったのかと、あかねという存在が消えた世界なのかと二人は崩れ落ちそうになる体を互いになんとか支えあっていた。
 あかねの苦しみはまだ見えないが、あかねの存在が消失したこの世界が示すものはあかねの願望なのだろうか。
 大空あかねと言う存在の消失、闇の書と共に太陽の中に消えるという決意、その考えが心に染み入るごとに、互いを支えきれなくなっていく。
「Master. There is not so much time」
「時間はたぶん、大丈夫。闇の書さんが私たちを連れて転移するとは思えないから」
 愕然とする二人を心配し、レイジングハートが呟いたがなのはは時間についてあまり気にはしていなかった。
 ただレイジングハートが呟いたこと自体に意味があり、まずはやてが気付いた。
「なのはちゃん、レイジングハートあるの?」
「だって待機状態の時はほら、いつもペンダントだからここに」
「I'm here. I am always with the master」
 なのははレイジングハートを掲げて見せたことで、はやてが何を言いたいのか気がついた。
 闇の書が自分たちを吸収する直前まで、はやてはゴールデンサンを身につけていたのにペンダントとして胸元にかけていなかった。
 何故レイジングハートが一緒に居て、ゴールデンサンがこの世界に入り込むことを許されなかったのか。
 大空の家へとたどり着くまでに抱いていた違和感も、無関係ではなかった。
 聞いたこともない大空太陽と言う存在の違和感。
 あかねという存在の消失。
 消失そのものはあかねが望んだこととして、大空太陽と言う存在は本当に必要だったのだろうか。
 答えはもちろん必要ない、である。
 はやてが大空家に居候する理由にしても、単純に親戚だったからと言う理由でまかなえる。
 それにはやてたちが居候していることから、あかねが、母親が一人きりになることを苦慮したとも考えにくい。
 太陽と言う名前はおそらくゴールデンサンからとったもので、既に大空太陽がいる世界にゴールデンサンは必要ない。
「最初から、直ぐそばにいたんだ」
 事実に気付いたなのはが呟き、頷いたはやても間違いないと口にする。
「そうや、そもそも闇の書はあかね君の苦しみを知れと言ったのに、隠す必要なんかあらへん。大空太陽がそのまま大空あかねやったんや」
「でも教師って言う立場になるだけなら、どうして名前まで。ううん、そんなことよりも早く学校に戻ろう、はやてちゃん」
「戻る必要はありません。だいたい授業が終わるまで待ってくれたら、自分から名乗り出るつもりでしたし」
 そう呟きながら階段を上ってきたのは大空太陽、姿を変えたあかねに他ならなかった。
 はやてとなのはが勝手に騒いだせいだとでも言いたげな言葉に、はやてもなのはもムッと腹を立てざるを得なかった。
 自分たちがが必死にあかねを求めてきたのとは裏腹に、あかねの言動が気持ち悪いぐらいに冷静で薄情とも思えたからだ。
 二人共に他の同世代の女の子よりは、好意を向けられていたと言う自覚があった分なおさらである。
「なんやのそれ、いくらあかね君でも怒るよ」
「それではやてさんの気がすむのならいくらでも」
「どうしたの、どうしちゃったのあかね君?」
 大人の姿である以前に、その返答はあかねの心のありようそのものが変わってしまったかのようであった。
 あかねはなのはの問いかけに答える前にと、自室へと足を踏み入れていった。
 そして自分はデスクに仕舞い込んであった椅子に座り、二人にはベッドにでも座ってくれと手で促した。
 不安と戸惑い、そこにほんの少しの怒りを込めながらはやてもなのはも言われた通りにベッドに腰掛けた。
「本当は、闇の書の主となること以上はなにも考えていなかったんです。そうすれば最悪でもはやてさんの命だけは助かる、それだけでした」
「でも私は、そんなことされても嬉しくない。私の代わりにあかね君が死んでしまったら、あかね君のお母さんになんて言えばええの。私が私を一生、許せへん」
「そうだよ、それにクロノ君が言ってたの。ジュエルシードを封印して取り出せば、一先ず闇の書の完成状態から抜け出せるって。まだ他に手がきっとある」
 あかねとの見えない壁を前に、一度はベッドに座った二人であったが直ぐに立ち上がると椅子に座るあかねの手をそれぞれ手に取った。
 戻ってきて欲しいという想いを込めて、その手を包み込んだ。
 だがあかねは握られた両手と、はやてたちを直視出来ないように視線をそらし呟いた。
「申し訳ありません。それに今の僕は、はやてさんの為だけにこうしてここにいるわけじゃないんです」
 その言葉に二人が思い浮かべたのは、闇の書の化身であった。
「闇の書の主となって取り込まれた直後、僕は彼女の心を感じました。本来の機能とはかけ離れてしまった蒐集と言う機能で、他人ばかりか時にはシグナムさんたちからもリンカーコアを喰らい、完成した暁には主のリンカーコアをも喰らって主を取り殺す」
 あかねは気がついていないのか語るにつれ手に力が入り、話に耳を傾ける二人の顔が話の内容と手の痛みの両方により顔を曇らせていた。
「決して望まぬ行為を、延々と繰り返しさせられる苦しみ。自分はただ創られた意味と理由に従い、偉大な魔法を残したいだけなのに、他者を傷つけるだけの存在に変えられてしまった。望んだ未来があるのに、何時も望まぬ未来ばかりが目の前に現れる。知っていましたか? 彼女の本当の名前は夜天の魔道書、闇の書なんかじゃありません」
 例え相手が創られた存在である魔導書であったとしても、救いたいと言う気持ちが言葉以外にも力を込められる手を通して伝わってくる。
 何か心のありようが変わってしまったと思ったことは気のせいだったのか。
 だが救いたいと胸の内を打ち明けたあかねを前に、なのはは自分の知るあかねと何かが違う気がしていた。
 そして逃げるように伏せられたあかねの瞳を覗きこみ、かつて一度だけそれを見たことがあると、なのはは記憶を引っ張り出した。
「なのはちゃん、絶対に手を離したらあかんで。今のあかね君の言葉に嘘はない、けど全部話したわけやない」
「うん、知ってる。私も知ってるよ。今のあかね君は、幻想のお父さんを追いかけてた自分に気付いた時と同じ目をしてる。自分自身に絶望してる」
 指摘され、これまでの見掛け上の冷静さをかなぐり捨て逃げ出そうとしたあかねの手を、はやてもなのはも逆に強く握り逃がさなかった。
「夜天の魔導書が言っとった。自分とあかね君は闇と光で表裏一体だから、同じ苦しみを抱えとるって。今のあかね君の話に嘘がないなら、あかね君も同じや。同じ悩みを抱えとる!」
「あかね君、教えて。何を望んで、どう望まない未来が現れたの? 同じってそう言うことなんでしょ!」
「違います、僕と夜天の魔導書は同じなんかじゃない。僕は彼女を助けたい、これ以上辛い思いをさせたくないだけなんです!」
 あかねが否定するように叫ぶと、放してなるものかとはやてとなのはが掴んでいた手の平があかねの手をすり抜けていた。
 勢い余って転んだ二人を前に、僅かな躊躇を見せながらもあかねは背を向けたままにその体を透けさせ何処かへ消えようとしていた。
 今逃してしまえばきっと二度と自分たちの前には姿を現さない、そんな恐怖に突き動かされながらはやてとなのはが立ち上がろうとするがあかねの姿がが消える方が速い。
 間に合わないと何処か頭の隅で浮かんだ考えを蹴飛ばしながら、はやてとなのはが手を伸ばすがそれでも届かない。
 あかねが風景に滲むように消えるその瞬間、今まさに消えようとしていた風景にひびが入っていた。
「It is greatly late」
 レイジングハートが珍しく憎まれ口を叩くと、完全に破壊された空間から突き抜けてきた右手が消えようとしていたあかねを強かに打ちつけていた。
「ご丁寧に俺だけこの世界から弾きやがって。よう、兄弟。約束通り、しけた面しやがった手前を殴りにきてやったぜ!」
 悲鳴を上げる暇もなくなぎ倒されたあかねは、背中から床に倒れ込んでいた。
 拳と言う直接的な打撃方法に声も出なかったはやてとなのはであったが、本当に驚いているのは別のことであった。
 大人の姿となったあかねが、急に現れたその姿とそっくりな人に殴りつけられた。
 似ているというのではなく、両者の姿はほとんど瓜二つであった。
「The device is the one like you to strike as for the master, Golden sun」
「マスターじゃねえ、兄弟だ。もっとも、こんないじけたクソガキなんざもはや兄弟でも何でもねえがな。おら、立てやこら。誰が寝転がれって言った!」
「話が見えへんし、ゴールデンサンやの? 暴れすぎ、そんなん話聞けへんやんか!」
「あかね君を止めてくれたのはありがたいけれど、それはやりすぎなの!」
 倒れたあかねの胸倉を掴み揺さぶるゴールデンサンを、はやてとなのはが後ろから飛びつくように止めていた。
 だが大人と子供と言う体格差から、今一度振り上げられた拳があかねに叩きつけられそうになっていた。
「どうして今頃、現れたんですか?」
 拳が叩きつけられる直前に止めたのは、あかねの呟きであった。
「ゴールデンサンがいれば、僕は色々な人を止められた、助けられた。シグナムさんとの決闘にも負けなかった。そうすればジュエルシードに願って、はやてさんを追い詰めることもなかった。貴方がいれば、貴方がいないと僕は誰も守れない。クロノさんの強さに憧れはしても、結局僕は貴方になりたかった」
「だからこんな箱庭みたいな世界に逃げ込んで、自分で思い描いた世界で俺の姿になったのか?」
 返答も頷きもなかったが、答えは明白でゴールデンサンはあかねを近くのベッドへと投げ捨てた。
 そして今まであかねが座っていた椅子に自分が腰掛けると、ベッドの上に倒れたあかねをじっと見つめ始めた。
 ベッドの上で弾んだあかねの姿が仮の姿から本来の子供の姿へと戻っていた。
 本物を目の前にして、偽者である自分に耐えられなかったのかは本人にしか分からない。
 ただあかねはゴールデンサンから、はやてやなのはから逃げるようにベッドが接する壁に背をつけて膝を抱えていた。
「誰かに差し伸べようとした手が、相手に届かないなんてこと自体考えたこともなかった。魔法に出会うまではそんな大げさなことは出来なかったし、魔法に出会ってからは貴方がいた。貴方がいなくなってから初めて、その怖さに気付きました。何度も何度も、届かなかったから」
「それは私かて同じやよ、あかね君。足の病気が治らへんかったら、麻痺がもっと上にきたらどうなってしまうんやろかって。眠られへん夜かて一杯あった。でもな、私は脅えて泣いて暮らすようなことはせえへんかった。脅えて泣くよりも笑いたかった。笑顔で一杯の思い出で頭の中を埋め尽くしたかった」
「僕にはとても出来ません。はやてさんみたいな勇気がないんです」
 出来ないと嘆くあかねに首を振って見せ、はやては囁くようにつげた。
「勇気なんか関係あらへんよ。私がそう出来たのは、一緒にいたい人たちがいたから。笑いあいたい人たちがいたからや。本当にそれだけのこと」
「この世界は確かに優しくて、あかね君の望みをそのまま叶えたような場所かもしれない。けれど、全部幻だよ。眠る時に見る夢と同じで、いつか覚めなきゃいけない世界なんだよ。あかね君が本当にやりたいことって、どんなことなのかな?」
「僕の本当にやりたいこと」
 ベッドに座り込み膝を抱えるあかねへと、はやてとなのはがそれぞれの想いを込めて囁く。
 必要なのは勇気ではなく、胸の奥に仕舞いこんだ本当の願いだと。
「それさえ心の中にしっかり持っとれば、勇気なんて後からついてくる。迷わず前に進むことが出来る」
「だから行こう。外の世界に、あかね君が本当にやりたいことをやりに」
 差し伸べられたはやてとなのはの手に、俯いていた顔を上げたあかねはゆっくりとだが手を伸ばしていた。
 本当に自分がやりたかったこと。
 夜天の魔導書を完全なる自殺へと導くために、共に太陽へと転移することではない。
 それはもう他に方法がないからと諦めて、仕方なく選んだ方法だ。
 本当にやりたかったのは全てを救うこと、敵も味方も、目に映る全ての人が笑顔でいられるような最善を掴み取ること。
 その為には目の前に差し出されたはやてとなのはの手を、掴まなければならない。
 そしてはやてとなのはの手を掴んだ瞬間、辺りの景色が一変した。
 ゴールデンサンが無理矢理現れたときのように景色にひびがはいり、砕けるようにして散っていく。
 何もない暗闇が一切を支配しているそこに浮かび上がったのは、夜天の魔導書の化身の姿であった。
「我が主」
「申し訳ありません、夜天の魔導書さん。僕は貴方を逝かせるわけにはいかなくなりました。もっと別の方法で貴方を助けます」
「不可能です。すでに時間が経ちすぎ、防衛プログラムの起動を確認しました。早く太陽へと転移を、このままでは主の意志に関わらず、暴走した防衛プログラムが辺り一体を飲み込み崩壊させてしまいます」
「だったらまずは、夜天の書本体を海上へと転移させてください。そこなら被害は最小限に抑えられます」
 夜天の魔導書の嘆願にも聞こえる言葉に、あかねはもう頷きはしなかった。
 思い通りにならない現実を前に逃げ出すように、望みもしない願いを口にしたのは自分だけではなかったからだ。
 夜天の魔導書もまた、あかねと同じなのである。
 自分の思いを手助けしてくれるはずの主を喰らうように死なせてしまうねじ曲げられた運命を前に、逃げ出しまった。
 本当の願いはもっと別にあったのにと歩み寄り、夜天の書の手をとった。
「僕の願いも貴方の願いも、太陽に消えることなんかじゃなかった。僕はより多くの人を助けたかった。貴方はより多くの偉大な魔法を残したかった。自分の思いを誤魔化してはいけなかったんです。逃げ出しちゃいけなかったんです。貴方の想いを僕が助けます。だから、僕の想いを助けてくれませんか?」
「はい、我が主の御心のままに。主の願いを我が叶えます」
 夜天の魔導書本体が二人の間に姿を現し、あかねが手に取り開いた。
「夜天の書を海上に転移、後に防衛プログラムに割り込みをかけて切り離します。その際多くの魔法が失われてしまう可能性がありますが」
「もちろん、夜天の魔導書の思いの為にあとで回収します。心配はいりません」
「信じています、我が主」
 防衛プログラムへの対処の為に姿を消していった夜天の魔導書の化身を見送るあかねの頭に、手の平がのせられた。
「さっさと戻るぞ、時間がねえことに変わりはねえんだ」
「そやな、防衛プログラムってのを止めなあかんし」
「行こう、あかね君。皆の所に」
 はやてとなのはに手を引かれるまでもなく、しっかりと頷いたあかねは三人の後に続いていた。

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