第九話 平穏、それは儚く脆いものなの
 クロノから無限書庫での調査を依頼されてからもう一週間以上になり、ユーノは殆どの時間を図書館内で過ごしていた。
 元々遺跡調査を生業とする部族の出でもあり、それ自体はたいした苦ではなかった。
 調査の合間に見つかる歴史を記した書に触れられることで、むしろユーノは調査そのものを楽しんでいた。
 そのおかげでアリサのことまで忘れてしまっていることに後々天罰が下るのだが、そうとは知らないユーノは現在一つだけ頭の痛いものを抱え込んでいた。
 段々と解ってきた闇の書に関する調査の為に広げた十を超える書物に囲まれたユーノの後ろで、呟き続けられるプレシアの愚痴であった。
「アリシアは、我侭は言っても私を困らせたことはない。何時の間にか、随分と美化してたものよね。聞いてる、ユーノ君?」
「聞いてます、聞いてますから。闇の書の守護者との決闘に連れて行ってもらえなくて、アリシアが拗ねてるんですよね」
 ただ聞いているだけでもなく、同じ話を三回以上されていますと泣きたい気持ちを我慢してユーノは答えていた。
「拗ねるのは別にいいのだけれど、仕事場までも文字通り張り付いてきて。周りの視線が痛いこと痛いこと。保護観察中の人間って視線よりは随分ましだけれど、子育てに翻弄されてる人って視線はちょっと……私も良い年だし」
 そう言った直後、プレシアはちらりと意味ありげにユーノへと視線を投じていた。
 その行為自体も何度も行われたことであり、プレシアがどんな言葉を待っているかは明白であった。
 貴方が望む台詞を言いますから早く仕事場に戻ってくれと願いを込めて、ユーノは無理に笑顔を浮かべながら言った。
「プレシアさんもまだまだ若いですから、大丈夫ですよ」
 何がどう大丈夫かは置いておいて、とりあえず若いと言ってもらえてプレシアの表情が和らいだ。
 毎度毎度ユーノの元へ愚痴を言いにくるのは、お人よしのユーノが空気を呼んでプレシアの望む台詞を言ってしまうからである。
 だからプレシアはわざわざ忙しいユーノの元を訪れているのだが、ユーノはその悪循環に気付いていない。
「さあ、気もすんだことだし、これ以上邪魔するのも悪いから仕事に戻るわ。アリシアの面倒も見なきゃならないし」
 背伸びをして休憩を終わらせるつもりのプレシアを見送ろうとしたユーノであったが、気になる情報をふいに思い出した。
 折角愚痴を言い終え去るつもりになったプレシアを引き止めるのには少し躊躇したが、自分も全く無関係ではない為に意を決して尋ねた。
「あのプレシア、本当なんですか? あかねの体にジュエルシードの力が残ってたって」
「本当のことよ。考えても見れば、次元震を引き起こすほどのエネルギーが、数度の奇跡でなくなるはずがない。あかね君の記憶が戻らなかったのは、あかね君を独り占めしたいというアリシアの願いを叶え続けていたから。アリシアのピンチに、ゴールデンサンが助けに来たのも。ジュエルシードはアリシアの願いを叶え続けていた」
「それで次はあかねの強くなりたい思いに引きずられ、魔力の絶対量が増えたりしていた。けれどジュエルシードを体内に残していて、誰も気付かなかったのはおかしくないですか?」
 あかねの体内にジュエルシードが残っていたと言う考えは一歩譲るとして、何度かメディカルチェックを受けた上で誰も気付かなかったのもおかしい。
 虚数空間に落ちたこともあり、あかねは直ぐにメディカルチェックを受けていたし、記憶が戻った後も何度か受けていた。
「それはアリシアがデバイスとしては考えられない演算能力で、ジュエルシードの力を上手く調節していたのよ。きっと当時診察した人も、少し魔力が増えた程度にしか思わなかったのでしょうね」
「闇の書を調べる間に何点かユニゾンデバイスに関する記述も見つけましたけれど、スペックが通常のデバイスとは比べ物にならない。アリシアを見ていると、まるで普通の子供なんですが」
 ふと妙な間を持って会話が止まり、どうかしたのかとユーノがプレシアを見上げてみれば、心底嬉しそうな微笑を見せていた。
 小さく動いた唇が何か言葉を発したが、良く聞こえず首を傾げながらユーノは話を続けた。
「そして今、そのジュエルシードはあかねのリンカーコアと間違われたまま、闇の書の中に」
「そう言うことになるわね」
 あかねがアースラを降りた直後にプレシアが行ったジュエルシードの報告から、クロノとリンディがそう仮説を立てた。
 蒐集が行われたはずなのに、リンカーコアにダメージを負っていなかったあかね。
 それにあかねの中にあった大きすぎる魔力も消え去り、密かな計測では再びAマイナーに戻っていた。
 ジュエルシードと闇の書、二つのロストロギアが同化にも近い形でそばに在ることになる。
 現在クロノとリンディは本局の中を駆けずり回り、予備戦力の増強申請を方々に行っていた。
「今の闇の書の主が、温厚な普通の人だというあかねの情報が唯一の救いか。もしも闇の書の主が悪しき願いを抱いたのなら、一体どうなってしまうことか」
「闇の書、そちらも中々に大変なロストロギアなんでしょ?」
「それが意外なことに、闇の書は本来決して危険なものではなかったんです。本来の名前は夜天の魔導書。その目的は各地の偉大な魔導師の技術を蒐集して研究する為に創られた、主と共に旅する魔導書。今の姿は本当の姿ではなく、歴代の持ち主の誰かが蒐集された技術を悪用しようと、夜天の書のプログラムを改変した結果なんです」
「少し耳が痛いわね」
 プレシアがそう呟いたのは、自分もまたアリシアを生き返らせる為に数々のロストロギアとかかわり、本来の使用方法とは異なるやり方で力を引き出す為に手を加えたりもしてきたからだ。
「その改変のせいで、旅をする機能と破損したデータを修復する機能が暴走して、転生と無限再生をおこなうようにもなった。そして一定期間蒐集を行わないと主の体を侵食する機能まで、あかねの言った通りでした。だけど闇の書は完成した途端に、主の魔力を際限なく使わせる」
「それが解ったのが後になるから結果論になるけれど、あかね君をアースラから降ろしたのはまずかったわね」
「クロノ自身そう言ってました。あかねの決闘を守護者たちが受けた以上、管理局にはない信頼関係が構築されている。もし仮に蒐集を止めろと言っても、僕らからじゃ聞いてもらえなくても、あかねにならそれが出来た可能性がある」
 奇しくもユーノとプレシアは、同時に深い溜息をついていた。
 情報提供すら拒み協力できないと明言したあかねを、アースラから降ろしたクロノの判断は妥当で、決して間違った行動ではない。
 闇の書の主に同情したあかねが、管理局の捜査情報を漏らす危険性さえ可能性としてはあったのだ。
 だが現実には、あかねの持つ守護者達へのコネクションが必要となってきている。
 自分たちの判断で有無を言わさず降ろしただけに、リンディやクロノからは逆立ちしても、戻ってきてくださいとは言えない。
 かと言って、あかねがやる気と協力する気を取り戻すのを待つだけの時間的余裕もない。
「仕方がないわね。アリシアに言付けを頼みましょう、あかね君と仲直りする切欠にもなるわ。確か、向こうの世界のお祭りとかでパーティに招待されているから」
「ああ、それならあかねが念話で僕に絶対来いとか妙な剣幕で。行けるのかな、調査はまだ続いてるし」
「貴方、結構仕事の虫ね。恋人のアリサちゃんも来るんでしょ。顔出しておきなさい」
 プレシアはちょっとしたアドバイスのつもりで口にしたのだが、ピタリと動きの止まったユーノの顔色が瞬く間に蒼白となっていた。
「アリ……あーッ! 連絡しておくのすっかり忘れてた!!」
 ロッテとアリアを紹介したいからとクロノに本局に連れて来られてからこれまで、一度も地球に戻っていない。
 それどころかアリサに何も言わないままで戻ってきてしまっており、ユーノは本気で自分の命を心配し頭を抱えていた。





 ソファーの上で食後の緑茶を口にしたあかねは、目の前の光景を見てなんとも平和だと思わずには居られなかった。
 テレビの前に陣取り、座っているのは四人と一匹。
 シャマルだけは洗い物の途中でキッチンに居るが、それさえ終われば目の前の光景に合流することだろう。
 画面の中で動き回るキャラクターも四人、過激な言い方をすれば爆弾を配置しては、いかに相手を爆殺させるか虎視眈々と狙う狂ったロボット。
 複数での対戦こそが真価を発揮するボンバーマンである。
 もちろん操っているのはあかねの母親を筆頭に、はやてにヴィータ、シグナムであった。
「主はやて、何たる仕打ち!」
 ゲームに一番不慣れなのはシグナムであり、アイテムを取りに行き止まりに足を踏み入れた途端、入り口に爆弾を置かれていた。
 爆弾を蹴るアイテムも殴りつけるアイテムもない今、もう後は爆弾が爆発するまでの数秒の命である。
「修行が足らんよシグナム。目先のアイテムに目がくらむなんて。あっと三秒、に」
 楽しそうにカウントを始めたはやてであったが、予想外にも下方から伸びてきた爆発の炎にボンバーマンを焼き尽くされてしまう。
 相手を陥れる手としては最高の快感を得られる方法であっただけに、それに酔いしれ注意を怠りすぎていた。
 火力の強さを生かし、はやての視界の外れに爆弾を置いたのはヴィータであった。
 一秒後、文字通り何も出来ないままにシグナムのボンバーマンも爆殺されたが、精神的ダメージははやての方が大きかった。
 手の中からぽろりとコントローラーが膝の上に落ちたのが、良い証拠である。
「シグナムは論外、はやてもまだまだ。これでやっと一騎打ちだぜ。今度こそ勝つからな」
 やはり最後はこの二人かと半眼で画面を見ていたあかねは、ヴィータが絶対に勝てないことを知っていた。
「良いわよ、お母さんの偉大さをまたその身に刻んであげるわ」
「今度こそぜってえ、勝つ!」
 声を張り上げながら操るボンバーマンを突っ込ませるヴィータであったが、あかねの母親は冷静に足元に一つ爆弾を置いていた。
 そして突っ込んでくるヴィータへとそれを蹴りつけた。
 画面上を滑っていく爆弾一つ、その形が通常のものではないことに、ヴィータは気付いていない。
「爆発する前に蹴り返せばかんけ」
「ポチッとな」
 本来ならば爆発するまで数秒掛かるはずの爆弾が、あかねの母親の指令一つで即座に爆発した。
 リモコンボム、最強にて最悪。
 対人、対コンピュータを問わずゲームバランスを著しく破壊するアイテムであった。
「ひ、卑怯だぞ。何時の間にそんなもん取ったんだよ。取ってたならもっと早く参加しろよ」
「この為にあえて一歩退いて、アイテムを取ってからは一度も爆弾使わなかったのよ。これも戦略、戦略」
 弱者の罵倒こそ勝利の美酒とばかりにあかねの母親は頬に手を当て、ヴィータのなじり声を全身に浴びていた。
「くそ、もう一回。今度はあたしが先にリモコンボムとってやる」
「そうや、私も負けてられへんで」
「はいはい、そこまでよ。はやてちゃんもヴィータちゃんも。あかね君のお母さん、大人なんですから一番残念そうな顔をしないで下さい」
 画面に映るリトライの文字を選ぼうとした所で、洗い物を終えたシャマルが制止をかけた。
「そろそろ順番にお風呂に入らないと、遅くなっちゃいますよ。人数も多いことですし」
「あら、もうそんな時間? 私としたことが娘たちとのおっぱいタイムを忘れるなんて」
 何やら不穏な台詞をあかねの母親が口にすると、シグナムとシャマルが胸を隠すように腕で覆い身を引いていた。
 そして何やら助けを求めるように、本来の息子であるあかねへと視線を向けてくる。
 実際にあかねには助けを求める二人の声が聞こえていたのだが、内容が内容なだけに顔を俯かせた顔をあげるのも難しかった。
 絶対に今の自分は顔が赤いはずと、助けを求める声を無下に断っていた。
「そ、そうだ。私はザフィーラのお散歩に行かないと」
「それは昼間に行っただろうだろう。この寒い中でわざわざ出るのも辛いぞ」
 あかねからの助けは期待できないと、思い出したように言ったシャマルを、一人逃がしてなるものかとシグナムが掴んで放さなかった。
「それは、そうだけど」
 だがシャマルもアレだけは回避したいと、もう一歩あえて茨の道へと足を踏み入れた。
「最近家に篭りきりで……た、体重が」
「うぐッ」
 そして茨の道はやはり茨の道だったようで、意図せず目の前のシグナムまでもを巻き込み、茨により全身傷だらけとなっていった。
 だが身をていして口にした言葉は効果があったようで、あかねの母親の標的は他へと移っていた。
 心に負った傷と得られた結果が、等価なのかと言うとそれはまた別かもしれないが。
「なら今日はヴィータちゃん、一緒に入りましょか。お母さんが一日も早く、ヴィータちゃんのおっぱいを大人にしてあげるわ」
「あたしは大人だ。こんな体なんだから小さいのはしょうがねえだろ!」
「はいはい、それじゃあヴィータちゃんを大人の女性へとごあんなーい」
「こら、脇に抱えるな。もうすでに子ども扱いしてんじゃねーかよ!」
 米袋のように脇に抱えたヴィータの声も無視して、あかねの母親はお風呂場へと直行して行った。
 しかもさも当然のように一番風呂なのであるが、家長兼支配者であるだけに誰からも文句がでることはない。
 嵐が去った、ようやく去ったという思いであかねは伏せていた顔を上げると、寝そべったまま瞳を閉じ、耳を折り曲げて聞かない振りをしていたザフィーラが目に入った。
 さすが女系家族の中で唯一の男であるだけに、慣れたものである。
 自分もザフィーラの様に耳を折り曲げて聞こえないように出来ないかと、本気で羨ましく思ってしまう。
「それじゃあ、ザフィーラのお散歩行ってきます」
「夜ですし、シャマル一人では不安なので私も。主はやて、決して体重とかではなく、シャマルの身を案じてです」
「確認せんでも、わかっとるって。行ってらっしゃい」
 女二人慰めあうようにザフィーラを連れて行くのを見送り、ようやく静かになったと本来騒ぐほうでもないあかねは、すっかり温くなったお茶で喉を潤した。
 シャマルが先ほど家に篭りきりと言った通り、シャマルたちは殆ど大空の家を出ることなく蒐集も行っていない。
 闇の書によるはやてへの侵食も停止したままで、このまま今の時間がと思った所であかねはかぶりを振って考えるのを止めた。
 今の自分には誰かの行動を阻もうとするだけの意志も、過ちを正すだけの力もない。
 見守ると言う表現すらおこがましい、ただの傍観者だと目を伏せた。
「やっぱりあかね君も、大きい方がいいのかな?」
「は?」
 突然の問いかけに顔を上げてみれば、胸に手を当てたはやてが真顔で呟いていた。
 最初は意味がわからず呆けていたが、理解した途端に羞恥に顔を赤くしたあかねは、はやての手首を掴んで両手を胸から遠ざけさせた。
「はやてさん、母さんの影響を受けないで下さい。僕は絶対にそんなはやてさん嫌ですからね」
 そんなことになったら本気で泣きかねないと、半ばあかねの目は潤んでいたかもしれない。
 あかねの必死のお願いに、コクコクと言葉なく頷いているはやてであったが、理由はあかねの剣幕ではなかった。
 本当に今さらなのだが、あかねの母親とヴィータはお風呂、シャマルとシグナム、ザフィーラは散歩。
 では居間に残っているのはと言うとはやてとあかねであり、今現在あかねははやての両手を握っているかの様な形となっていた。
「す、すみません。手痛かったですか?!」
 直ぐに気付いたあかねが両手を離してしまうと、はやては不機嫌そうに口先を尖らせてから深い溜息をついていた。
 あかねは解っていて話をそらしている、どうせなのはのことでも片隅に思い出したのだろう。
 はやてはちょっと怒った様に、自分の二つ隣ぐらいの絨毯を叩いて示した。
「あかね君、ここ。座るんや」
 何故か正座で座ってきたあかねの膝に丁度良いからと、はやてはコロンと転がって頭を置いた。
「はやてさん?」
「私な、今すっごく幸せやよ。シグナムたちがそばにいて、あかね君のお母さんのおかげで学校にまで行けた。なのはちゃんたちみたいなお友達も増えて、ちょっと前までには考えられへんかった。足だって治るかもしれん」
「はやてさんがそう思うのであれば、僕も嬉しいです」
「けど、何時の間にこんな我が侭になってしまったんやろ。全然足りへん、もっと欲しいもんがある」
 あかねの膝に頭を乗せたまま寝返りをうったはやての顔は、あかねの位置からではうかがい知ることが出来なくなってしまった。
 何を答えて良いのか、解らずに居たあかねへとはやてが先に確認するように呟いた。
「守れなくて泣いてしまうぐらい大切な約束。あかね君はなのはちゃんのこと、好きなんやろ」
「それは……」
「ええんよ。あかね君の答えが、気持ちがどうであろうと私の気持ちは変わらへん。私はなのはちゃんには負けへんつもりや」
 ここまで言われて悟れないほど、あかねも鈍くはなかった。
 はやてに好意を見せられ素直に嬉しいと思う反面、はやての言う通り同じぐらい抱くなのはへの思いが絡みつく。
 だが両者へと抱く均等な気持ち以上にあかねを留めさせていたのは、今や見る影もない意志と自信であった。
 なのはとの約束を、今になっても先延ばしにしている理由もそこにあった。
 今の自分には誰かを好きだと言えるほど、好きだと言った相手に誇れるようなものがない。
 守りたいと救いたいと叫んでも何も出来なかった自分、とても胸の中の想いを誰かに伝える資格があるとも思えなかった。
「とても、近いうちにとは約束できません。けれど、いつかきっと答えます。はやてさんに、なのはにも」
「もう、今だけでもいいから私の名前だけ呼んでくれたらいいのに」
 相変わらず表情は見えなかったが、はやての頬が膨らんでいた。
「それと、もうさん付けみたいな他人行儀はなしや。答えを先に延ばした分だけ平等に接してや。なのはちゃんばっかりずるいよ」
「居候してる分、はやての方がずるい気もしますが」
「これはなのはちゃんの方が、先にあかね君に出会ってた分やからええの。それにちゃんと我が侭やって言うたよ」
 そうですねとあかねは呟き、母親とヴィータが風呂から上がるまでずっとはやてを膝の上で寝かせ続けた。

目次