第一話 守る、その役目は誰のものなの(後編)
 ベッドの上で壁にもたれ座っていたあかねは、携帯電話を弄びながら何度も時計の針を確認していた。
 そろそろか、そろそろかと何度も時計と携帯電話を見比べ、メールが届いたことを知らせる着信音が鳴るなり、壁から背を離し胡坐へと座り方を変える。
 液晶画面に映し出された手紙の絵と、着信しましたと言う言葉を見るより前にメールを開く。
 そこにはつい先ほど自分がはやてへと送ったメールの返信が書き連ねられていた。
(あかね君は男の子やから。でもやっぱりシグナムは女の子やからたまには可愛らしい服と髪型して欲しいわ。なんて言うか、お侍さんみたいやから)
 メールに書いてあるシグナムと言う人は、はやての家に居候している親戚の一人であるらしい。
 シャマル以外には会ったことはないのだが、ヴィータやシグナム、そしてペットのザフィーラも十分過ぎる程にどんな人が想像できていた。
 それだけはやてが言葉一つ一つに思いをのせており、あかねもまたはやてとのメール交換を楽しみにしていることが大きい。
 最初は返信の文を素早く打ち込んでいたあかねであったが、次第に番号を押す指が遅くなっていく。
 それでもなんとか最後まで文を打ち込み終えると、送信ボタンを押して返信を完了する。
 同時に、持っていた携帯をベッドの上に放り投げた。
「逃げてますよね、僕」
 半年も諦めずに追い求めた空白の二ヶ月、だが同時に半年も追いかけて思い出せなかったのだからと諦めようとする自分がいた。
 これがまだ少しずつにでも思い出せていたのなら事情は違ったのだろうが、何一つ思い出せないことが大きかった。
 もっと言うと思い出せないということよりも、空白の二ヶ月の記憶を取り戻した状態の自分を求めてくる、なのはに少し疲れていた。
 アリサも言っていたが、失くした二ヶ月の倍以上の時間を一緒に行動したのだ。
 今さら取り戻さなくてもと言う考えが、どうしても浮かんでしまう。
 溜息と共に体を横倒しにして、ベッドの上に寝転んでいく。
 過去ではなく、今目の前にあるものだけに目を向け、文章にしたためて送りあう。
 はやてとのメールは本当に気が楽で、楽しかった。
 早く返信が来ないかと、ベッドの上に放り投げたはずの携帯を手探りで探していると、携帯に手が触れるより先に奇妙な違和感が体全体に絡み付いてきた。
 なにかこう、密度の薄い水の中に沈み込んだような奇妙な違和感、目の前の景色さえ普段とは違うズレを感じられた。
 胸騒ぎと共にあかねはベッドから跳ね起きると、自室をから飛び出し、階段を降りて居間へと跳び込み叫んだ。
「母さん!」
 返事はもちろんのこと、居間にいるはずの母親の姿すら見えず、静寂だけが答えとして残されていた。
 何かが起こっている、だがそれが何かは解らない。
 解らないのに、何故だかこの現象を知っている様なもどかしさに絶えられず、胸を服の上から握り締める。
 居ても立っても居られず消えた母親を探しに行こうと玄関にて靴を履いた時、それが聞こえた。
「Stand by ready. Unison in」
「え、なに?」
 湧き上がる不安と苛立ちにて照らし消し去る様に、胸元にある黄金色のペンダントが輝きを放ち始めていた。
 金色の丸い石から放たれた太陽に良く似た輝きが体全体を包み込んでいき、光の繭に包まれていたあかねのシルエットが変わる。
 短く刈られていた髪がどんどん伸びていき、反対に体つきは少しだけ小さくなっていった。
 分解された衣服の代わりに黒の上着とミニスカートが装着され、最後に体全体を覆っていた光がそのまま凝縮したように金色のコートになって体を包み込んだ。
「誰かが広域に結界を張った? それに近付いてきてる」
 バリアジャケットを纏い玄関から飛び出して空を見上げ呟いたのは、元はあかねだったはずの少女であった。
 あかねが知らずに身につけている金色のペンダント、デバイスに宿るアリシア・テスタロッサの人格。
 アリシア・ゴールデンサンと名を変え、デバイスとして生きることになった少女である。
「誰かわからない。けれどいきなり結界を張るだなんて、これから何かしますって言ってるようなものだよね」
 強制的に眠らせたあかねの意識に触れるように胸に手を当て呟いたアリシアは、金色のコートから炎を吹き出させた。
 重力の束縛を振り切り、その足が地面から離れていく。
「私があかね君を守る。守るんだから。ジェットフライヤー」
 意を決したようにこちらへと向かってくる魔力の先へと視線を向け、さらにコートから炎を噴出させて若干小さくなった体を空へと押し上げる。
 出来るだけ家から離れるように、自由に魔法を使えるだけの広さを持った場所、せめて住宅街ではないオフィス街へと向けて飛んでいく。
 向こうもこちらの移動に気付いたのか、方向を修正しながら追いかけて来た。
 とてもオフィス街までは間に合わないと、アリシアは手近な民家の屋根に足を止めると、空を見上げて相手を待った。
 あと一分もないだろうか、見上げた空の上で人ならざる姿を持った男がその足を止めていた。
「フェイトの使い魔の子と似てる。 使い魔、じゃあ他にもまだ誰かいるの?」
 現れたのは獣の耳と尻尾を持った浅黒い肌の男で、その額にはアルフと同じ小さな宝石の様なものが見えていた。
 誰かが様子を見るために使い魔を放ったのかと、身構えたアリシアに使い魔の男が苛立ったような声で突きつけてきた。
「古代のベルカでは、主を守護する獣を守護獣と呼ぶ。使い魔などと呼ぶな」
「古代ベルカ?」
 聞き覚えのない言葉に首を傾げるも、守護獣を名乗る男は問答無用とばかりに魔力を高めていく。
「我が主の為に、お前のリンカーコアを貰い受ける」
 それが獣としての本能なのか、獲物を狙う瞳が真っ直ぐにアリシアを貫いていた。
 たったそれだけで、守ると決めたはずなのに体が震えるのをアリシアは感じていた。
 あかねを守ると決めた心に嘘偽りはない。
 ただ今はまだ気持ちが先行するばかりで、アリシア・ゴールデンサンは戦いと言うものを経験したことがなかった。
 人としての生は短い歳月に終わり、ゴールデンサンの名を継承してからも、経験と言う意味ではあまり変わりはなかった。
 普段はあかねの乱れたリンカーコアを正常に動かすことに終始し、外がどうなっているかの認識もない。
 今回のように外部からの緊急事態を感じた時にだけ、強制的にユニゾンを行いあかねを守る。
 それも久方ぶりのことで、あかねやなのはが海鳴臨海公園でフェイトと別れた時から実に半年振りのことであった。
 守りきれるのだろうか、そう浮かんだ疑念を振り払い、アリシアは両手を包み込むフィンガーレスグローブを軋ませるように拳で握りこむ。
「とりあえず攻撃しないと。貫け光の」
 振り払った恐怖が戻ってこないうちにと、守護獣へと手を伸ばし魔力を使い刃を生成しようとする。
 だが意識を集中した先から、すでに守護獣の姿は消え去っていた。
 驚く間もない次の瞬間、思いも寄らぬ真横からの衝撃に体が吹き飛ばされる。
 ぎりぎり魔法で防御することはできたが、体がばらばらになったかの様な痛みが脳を駆け抜け、アリシアは何かで吹き飛ばされたぐらいの認識しか持てなかった。
 投げ出され隣家の屋根を突き破りそうになった体を制御し、屋根に足をついて衝突を避け、そのまま空に足をつく。
「痛い、あかね君の体なのに……守護獣とかいう人は、何処?」
 後から自覚できた痛みの発信源であるわき腹をおさえ、つい先ほど自分がいた場所を睨んでも誰もいない。
 相手の行動が早いのか、自分の判断が遅いのか。
 一体何処へと辺りを見渡そうとした所、考えもしなかった背後から声が届いた。
「動くな」
「ッ?!」
 背中に手の平を押し当てられ、息が止まってしまいそうになる。
「俺自身は、蒐集に慣れていない。下手に動くな、手元が狂う」
「まだ私、何もしてない。あかね君を守るって、魔法からあかね君を傷つける全部から」
「軽々しく守ると言う言葉を使うな。お前のような魔力が大きいだけの未熟者に守れるものなど、何もない。何かを守るには、決して折れぬ意志と、揺るぎない力。その二つが最低条件だ」
 少なくとも折れぬ意志を感じさせる使い魔の言葉に、アリシアは体を襲う痛みにより乱れた呼吸のまま、歯を食いしばった。
 母親であるプレシアから歪んだ教育を受けたフェイトは、戦闘のプロフェッショナルと呼んで差し支えない。
 だが幼少期までしか生を全うできなかった自分は、力と呼べるだけの魔法を学ぶことはなかった。
 優しかった母親の庇護の元で、闘争と言う一切のものから守られたまま生きてきた。
 守護獣の言う最低条件のうちの一つが、根底から掛け落ちている。
「でも、それでも決めたんだから!」
 例えその通りだとしても意志だけはあると、背中に押し付けられた手の平から逃れる様に、前へと駆け出した。
「チッ!」
 馬鹿がと言いたげな舌打ちを耳にしながらも、距離をとろうと敵の手が届く短い距離を駆け抜ける。
 だが直ぐに太ももの裏から表へと、わき腹後ろからお腹へと雪のように真っ白な魔力の刃が貫いていく。
 殴り飛ばされた時の何十倍の痛みを感じながらも、アリシアは足を止めず金色のコートから炎を吹き上げ、守護獣の戒めを振り切った。
 出血をともなう肉体的な痛みも大きかったが、大切なあかねの体を傷つけたことの方がさらにアリシアの心を痛ませていた。
「絶対に許さない」
 痛みを感じる体に手を這わせてみれば、粘着性を持った赤色の液体が体の上を流れていた。
 手の平を染めていく赤い液体を握りこみ、アリシアは初めて守護獣を正面から見つめた。
 守ることへの不安や、戦いへの恐怖を今は忘れ、自分の敵となる守護獣を正面から睨み返していた。
「最初から、許されようなどとは思っていない。全ては、我が主の為に」
「何も知らないくせに。あかね君がどんなに優しくて、どれだけの心を救ってきたか知りもしないで」
「我らにとって何の意味も、関係もない話だ」
 またしても守護獣の姿が一瞬にして消えるが、今度こそアリシアは見逃さなかった。
 自分もまた飢えた獣の様に鋭さを増した目で追いかける。
「ラウンドシールドッ!」
 回りこまれた背後へと手の平を向け、方円の魔法陣を浮かび上がらせ守護獣の魔力を込めた拳を受け止める。
「むッ、この程度の防御など!」
 さらに力を込める守護獣の声を聞いて、アリシアは怯まずラウンドシールドへと魔力を込めて強固に固めていく。
 金色と白色の魔力がそれぞれ反発し合い魔力の火花らを散らしていく。
 やがて金色の光を放つ魔法陣は守護獣の拳を完全に止めることに成功し、アリシアは不適に笑って見せた。
 自分の魔法は、ちゃんと通用する。
 相手を退けさせてあかねを守ることが出来ると確信したその時、守護獣が呟いた。
「少し手加減が過ぎたか」
「え?」
 叩き付けた拳と自分をみて呟いていた守護獣の言葉は聞き間違いだと、ただの負け惜しみだと思っていた。
 守護獣の拳は止めたものの、それはアリシアの精一杯の力を込めたラウンドシールドだからである。
 なのに守護獣はあの攻撃が手加減をした結果だと言うのか。
 そんなはずはないと身構えるアリシアの前で、守護獣は筋肉が盛り上がった両腕を胸の前で交差させ、やや体を屈める格好となる。
 膨れ上がる魔力の色は、先ほどアリシアの体を貫いた刃と同じ白色で、守護獣の前にミッドチルダ式とは違う三角形を基本とした魔法陣が浮かび上がらせた。
「死にたくなければ、全力で防げ」
 言葉以上に説得力を持っていたのは、守護獣が練り上げた魔力の大きさであった。
 熱くなっていた頭に冷水を掛けられた気持ちで、アリシアもまた防御の為の魔力を練り上げた。
「縛れ、鋼の頚木!」
「も、もう一度ラウンドシールドッ!!」
 閃光にも見える白刃の刃が、守護獣の生み出した三角形の魔法陣から飛び出していた。
 全力で防がなければ本当に危ないと、アリシアはこれまでにないほどに魔力を込めたラウンドシールドを形成し身を守る。
 白刃の刃と金色の盾が接触し、防いでいられたのはものの数秒であった。
 ひび割れ砕けていくラウンドシールドを前に、アリシアは身動き一つ出来なかった。
 白刃に今一度体を貫かれると数秒の間意識を失い、民家の屋根が陥没する程に勢い良く背中から落とされていた。
 全力で生み出した防御魔法が一瞬で砕かれた。
 信じられないとばかりに呟いた言葉は守護獣へと言うよりも、アリシア自身へと向かっていた。
「嘘だよ。太陽のお兄ちゃんから、ゴールデンサンの名前を受け継いだ私は。この程度だったの?」
 虚数空間の影響により、自身が壊れる最後の最後まであかねを守ろうとしたあかねの兄貴分、初代ゴールデンサン。
 だがあかねがジュエルシードに願っても、初代は消えたままで新たな官制意識として自分が選ばれた。
 なのに守るべきあかねを守ることも出来ず撃ち落された自分は、ゴールデンサンの名を継ぐべき官制人格だったのだろうか。
「肉体的なダメージは、ほとんどなかったか。思ったよりも、優秀な防御魔法だったようだな。盾の名を冠する守護獣として敬意を表する」
 守護獣の人がそんなことを口にしながら降りてくるが、あかねを守れなかったのでは意味がない。
 太陽なら、初代ゴールデンサンならこの状態でもあかねを守ることができたのだろうか。
 知りたい、会いたい。
 あの時虚数空間に飲み込まれる数秒の間だけでも、自分を妹として遊んでくれた初代ゴールデンサンに会いたい。
「会いたいよ。太陽のお兄ちゃん」
 守護獣の人が自分に手を伸ばすその時でさえ、恐怖より先にアリシアは願っていた。
 涙があふれ頬を伝うその時、何処からともなくその人は現れた。
「この、クソ犬っころがッ!!」
「ぬうッ、仲間か!」
 アリシアへと手を伸ばそうとしていた守護獣は、防御魔法の上から光輝く拳を受けて空の上を滑らされる。
「この俺の妹分を泣かせておいて、相応の覚悟は出来てるんだろうな。手前の主とやら共々、叩き潰してやろうか?」
 中指まで立てて守護獣を挑発し終えたその男は、大きく息を吐き終えると陥没した屋根の上で転がされていたアリシアへと手を伸ばす。
 差し伸べられた手を握り立ち上がったアリシアは、半信半疑のまま望んだままに現れたその男を見ていた。
 出会ったのはたった一度であるが、忘れるはずがない。
 あかねをそのまま成長させたような顔つきや、大切な誰かを守る為には神にさえ噛み付きそうなその覇気。
 繋がった手の暖かさは何よりも勝る安心感をくれた。
「太陽のお兄ちゃん。本当に、本当の?」
「良く、頑張ったな。ちこっと負けそうだったが、それでも十分鼻が高いぞ。さすが二代目ゴールデンサンだ」
 太陽ならあかねを守りきれたのか、なんとかできたのかと尋ねたかったはずが、予期せぬ言葉と頭を撫で付ける手の平に答えは気にならなくなっていた。
 それよりも体を蝕む痛みに、散々魔力を叩きつけられた恐怖が思い出させられ、決壊した涙が止まらなくなってしまう。
「本当に、痛かった。とっても、怖かった。今だけ我慢しなくていいかな。泣いてもいいかな? 今度はちゃんと守るから。太陽のお兄ちゃんみたいに、あかね君を守るから」
「ああ、この場だけはもう大丈夫だ。あの犬っころは俺が叩きのめしてやる」
「聞き捨てならないな」
 安心させるようにアリシアを抱きしめた太陽へと、怒りを込めた声を投げつけたのは守護獣であった。
「我が主を叩き潰す、だと。その様な戯言を、二度と口に出来ない様にしてくれる」
「先に人の大切なもんに手を出したのはそっちだろうが。手前の大切なもんだけが、無事だと思うなよ」
 最初にアリシアに向けられた獣の本能よりも上の殺気、それを向けられてもなお不適に笑った太陽は、後ろで震える妹に何事かを呟いていた。
 吼え猛る守護獣が拳に白い魔力を纏わせながら突っ込んでくる。
 十数メートルの距離が一瞬にしてなくなるほどの速さで、恐怖からか太陽の後ろにいたアリシアがギュッと強く目を瞑る。
 それを気配で察した太陽は、向かってくる守護獣に真っ直ぐ体を向けると体中に魔力を張り巡らせた。
 あかねと同じ、太陽の様に輝く金色の魔力である。
「あばよ、犬ッコロ。眩く輝き照らせ、サンシャイン。要は太陽拳だッ!」
 あざ笑う太陽の全身から眩い光が全方向に肥大し、殺すと睨んでいた守護獣の瞳を貫いていく。
「ぬあッ、ぬかった!」
 完全に不意をついた思いも寄らない魔法に目をやられた守護獣は、片手で目を覆いつつ、もう片手は誰かが近付かぬように腰元に携えていた。
 目を潰した隙に一発ぐらい殴ってやろうと思っていた太陽は、急遽予定を変更し、アリシアの手を取った。
 不意を付いても隙が出来ないほどに戦いなれている。
 そう感じた太陽は、瞼を閉じて目を守っていたアリシアを連れてさっさと逃げ出していた。





 今度こそオフィス街へと逃げ込んだアリシアと太陽は、ビルとビルの間にある路地裏に身を隠し息を潜めていた。
 獲物に逃げられた怒りからか、より大きくなった守護獣の魔力は見当違いの場所をうろうろとしている。
 このまま見つからなければと行きたい所だが、このオフィス街の中では見知った魔力と見知らぬ魔力が戦闘を行っていた。
 今も轟音が鳴り響き、魔力同士のぶつかり合いで空気が震えているのがその証拠であった。
 海鳴近辺でこれほど大きな魔力を持つのは、なのはに以外に考えられない。
「なのはの嬢ちゃんの方にも、来てたのか。助けに行ってはやりたいが、こっちも時間がねえ」
「太陽のお兄ちゃん、その手」
 口惜しそうに呟く太陽の手の平は、景色に溶け込むように薄れ始めていた。
 手の向こう側にある風景が見えてしまう程で、驚き手を伸ばしたアリシアの手がそのまま通り抜けてしまう。
「いいか、良く聞けアリシア。ものごとには全て、理由がある」
「消えちゃう。太陽のお兄ちゃんが消えちゃうよ!」
「頼む、アリシア。聞いてくれ。時間がないんだ」
 折角会えたのにと泣き喚き、まだ触れられる胸の中に飛び込んでくるアリシアを抱き止めながらも、太陽は願うように呟いていた。
「奇跡なんて、この世にはないんだ。全てには理由が、あの犬ッコロや、なのはの嬢ちゃんを襲っている相手にも。俺がこうして一時的にでも、蘇ることができたことにも。そして、あかねの記憶が全く戻らないことにも」
「あかね君の記憶が戻らない理由?」
「それを探すんだ。それが見つかれば、あかねの記憶は戻る」
 かつてフェイトが危惧した通り、アリシアが人と言葉を交し合うのは半年振りのことであった。
 ゴールデンサンと言う金色の宝玉の中に意識を潜ませ、事故により乱れたあかねの魔力を制御する毎日。
 なのはたちなら望めば答えてくれただろうが、あかねの目の前で喋ることも出来ず、無闇にユニゾンを行ってあかねの体に妙な影響を与えたくはなかった。
 ただただ、あかねの為だけにある存在。
 寂しいと思うことはあれど、あかねの為だと思えば耐えられた。
 だが太陽の言う通りあかねの記憶が、魔法に関する記憶が戻れば少なくとも、一人ということはなくなる。
「どうすれば良いの? 太陽のお兄ちゃんも一緒に探してよ。一人じゃ、私だけじゃ無理だよ」
「悪い、本当を言うと俺はそれが何なのか解ってるんだ。だがそれによって蘇らされた俺には、喋ることができない。自信を持て、お前は二代目ゴールデンサンだろ。それにお前は一人じゃない。あかねがお前に残してくれた強力な助っ人が、来たみたいだぜ」
「この魔力、フェイト?」
 駆けつけに向かう相手は違うのであろうが、間違いなくフェイトともう一人がこちらへとどんどん近付いてくる。
 あかねが残してくれた人の繋がりが、大切な妹が来てくれる。
「アリシア、忘れるなよ。俺が蘇った理由、あかねの記憶が戻らない理由。それを探すんだ。全てのものごとには理由がある」
「うん、ちゃんと探すよ。もう大丈夫だから」
 そう呟き約束するが、不安が消え去ったわけではなかった。
 謎の襲撃者たちに加え、太陽の言うあかねの記憶が戻らない理由。
 解決すべき事柄がずらりと目の前に並び立つ状況でありながらも、アリシアは涙を拭い微笑みを見せた。
 理由があるにせよ奇跡を起こしてまで駆けつけてくれた兄に、泣き顔で別れを告げたくはなかったのだ。
 今はまだ小さな灯火に過ぎないゴールデンサンとしての、最初の一歩。
 少しだけ安心した様子の表情を最後に太陽は目の前から消え去り、再び決壊しそうになる涙をアリシアは飲み込んだ。
「私なんかが行っても、足手纏いだろうけど。あかね君や太陽のお兄ちゃんなら、見てみぬ振りはしないはずだから」
 アリシアは路地裏を飛び出して、大穴を空けられたそこから煙を吐き出している一つのビルを見上げた。
 そのビルへと赤い何かが飛び込んだ直後に、続いて黄色と薄い緑の光が飛び込んでいく。
 湧き上がるのはフェイトが近くにいる歓喜と、フェイトではない誰かに向かう小さいながら深いわだかまりであった。

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