第九話 思い出の中の父
 ああ、コレは何時の頃だったかろうかと、モニカはその光景を見ていた。
 今の自分よりも更に小さな自分とその隣に立つ父の姿。
 回りの風景同様に父の顔はもやが掛かったようにはっきり見えなかったが、この出来事が何時の事なのかははっきりと思い出した。
 小さな自分から父が少しばかり距離を取ると、家の中から持ち出してきた剣を抜き放った。
 そしてもう一振りの剣を小さな自分の前の地面に突き刺した。
「さあ、モニカ。今からお父さんが大事べッ?!」
 甲高い音を後頭部から鳴らした父はうずくまり、その後ろにフライパンを持った母が居た。
「子供に、しかも女の子に何を教えようとしているのかしら。そんな事よりも、頼んでおいた巻き割りは終わったのですか?」
「それは今からモニカに剣を教えつつ、やろうかと」
 無駄な足掻きに対して、フライパンがもう一度振り上げられてた。
 再びうずくまった父にあきれ果てた母は、本当にしょうがないと腰に手を当てていた。
 それは幼くして姿を消した父との数少ない思い出の光景であった。
 この後、護身の為にせめてとナイフの投擲術を教えられる事となった。
 精霊使いとしての素質以外に父から受け継いだもう一つの技術である。
 すっかり忘れてしまっていたが、こんな事もあったっけと思った所でその夢が急速にモニカから離れていく。
 気がつけば、明かりのない自分の部屋であった。
「一杯のごちそうですぅ。でもラミィちゃんは妖精なので食べられないんですぅ」
 ベッドに横になったまま薄紫色の光に目をやれば、フワフワと宙を浮いているラミィが目を瞑り寝言のような事を呟いていた。
 その姿でやはりここは自分の部屋で、先ほどの夢は忘れていた思い出だと結論付ける。
「確かあの後数ヵ月後に……何もかもが大変で、忘れていたわ」
 父の失踪後、塞ぎこみがちになった母が他界。
 祖父もしばらくして時空移動計画のために村を離れていった。
 ミシェールの事があったため、自らの村に残ったとは言え、寂しくないはずがなかった。
 そしてその祖父もいまは別世界に行ってしまい、唯一の肉親は叔父が一人。
 まったくの天涯孤独ではないが、血の繋がりを持った人が居なくなっていくのはやはり寂しい。
 少し身震いをしたモニカは、寂しさを忘れるように布団の温もりに身を任せたが、大人しく眠るのは難しそうであった。
 フワフワと浮かんで眠るラミィを見ていれば、最低限寂しさからは解放されるものの今は誰かと話をしたかった。
「起きてる、わけない。けど」
 まだ部屋が暗い事から夜中もしくは、夜明け前とわかっていて躊躇はした。
 それでもモニカはパジャマの上に上着を羽織り、最低限髪に櫛を通してから部屋を出て行った。
 一つ、二つとアパートのドアを通り過ぎ、目的のドアの前にたどり着くと、そっとドアをノックした。
 当然返事はなく、例え今うっすら目を覚まし、スレインが無視したとしても仕方がないと解っている。
 なのにモニカは今一度ドアをノックし、相手が自分だと解るように声も駆けた。
「スレイン、お願い。少しで良いの。聞こえていたら、開けてもらえる?」
 辛抱強くモニカが待っていると、ドアのノブが回り、開いた。
 目は半分閉じて眠そうであったが、人の良さそうな笑みを浮かべようと努力しているスレインが迎えてくれた。
「あの、とりあえず入ってもらえますか、くひぃ」
 あくびをかみ殺そうとしえ変な声が漏れていた。
 その顔は本当に眠そうで、ごめんなさいと呟いてからモニカはスレインの部屋へと入れてもらう。
 スレインの部屋には、向かいあって話せるテーブルがないため、モニカは少し布団が乱れているベッドに腰を下ろした。
 その直ぐ後にスレインも隣に腰を下ろし、用件を聞いてきた。
「こんな時間に、一体どうしたんですか?」
 スレインが理由を尋ねるのは何もおかしいことではなく、むしろ寝ているところを起こされたのだから当然の権利である。
 だが聞かれて初めてモニカは理由をおいそれと口に出来ないことに気づいた。
 普段自分は子供ではないと思っているので、夢で父と母の姿を見たから寂しくなったとはいえない。
 例え言ったとしてもスレインは受け止めてくれるだけであろうが、言う側であるモニカは口を濁してこう言った。
「なんとなくスレインの顔が見たくなったの」
 それが別の意味で逆効果であった事をモニカが知るのは、寝ぼけ眼だったスレインが顔を真っ赤にして固まるまでであった。
 自他共に恋人と認める二人、今は夜明け前、並んで座っている場所はベッドの上。
 他人が見なくとも、十分に誤解できる場面である。
「あの、モニカさん?」
「う、そです。ち、父と母の夢を見て、その寂しくなっただけで……」
 お互いに顔を赤くしている所で、モニカはようやく自分もまた少し寝ぼけていた事に気付いた。
 いつもならばこんな誤解を受けるような行動は、しないような、スレイン相手にだけはするような、そこでモニカは考えることをやめた。
 なんとか思考を再起動させたスレインが、寂しいと言う言葉を汲み取って抱き寄せてくれたからだ。
「大丈夫です。いつも言ってますけれど、僕はずっとモニカさんのそばにいますから。約束します」
 欲しかった言葉が欲しかった相手からすんなり贈られ、モニカは先ほどまでの寂しさから解放され今は満足感で満たされ始めていた。
 たかが一言二言でここまで安心できる自分は安上がりかも知れないが、他に比較の対象を知らないので気にもならない。
 スレインは必要以上に安心させようと馳せず、モニカを抱き寄せた手でモニカの肩を叩いてくれた。
 心臓の鼓動と同じリズムで、強くも弱くもなく。
 与えられた安心感も加えてモニカの瞳は重くなり始めていた。
「ありがとう、スレイン」
 完全に寝入ってしまう前に最後の力を振り絞り、モニカはそう呟いた。
 ネジのきれた人形のようにことりと眠ってしまったモニカであったが、困ったのはスレインであった。
 寂しさを紛らわせて安心させようと言う意図はあったが、寝かしつける意図はなかったのだ。
 抱き寄せた手を、胸の中で眠るモニカをどうしようか迷ってしまう。
 送り帰すにもモニカの部屋が開いているのか、そもそも抱きかかえた格好でドアは開けられない。
 折角寝入ったモニカを運んで、もしも目が覚めたら可哀想でもある。
 なんだかんだと理由をつけながら自分の部屋から連れ出す考えを消してしまうスレインであった。





 目を覚ましたモニカは、目の前にスレインの顔がある事に驚いた。
 そして次に、向かい合うようにベッドに倒れこみ、スレインの腕を枕にしている状況に驚いた。
 昨晩ラミィにお休みを言って眠ってから、この日モニカは初めてちゃんと目が覚めた。
 半分寝ぼけていたとはいえ、夜中に自分が起き出しスレインの部屋に来てしまった事はしっかり覚えている。
 ベッドに座ってスレインに抱き寄せられた所までは覚えている、だが何故二人して眠っているのかは解らなかった。
 結局モニカの寝顔を見ているうちにうっかりスレインまでもが眠ってしまったのは、スレイン当人しか知らないことである。
「ラミィが起きる前に、部屋に戻らないと。それに誰かに見られでもしたら」
 かなりぎこちない動きではあったが、スレインを起こさないようにベッドから立ち上がる。
 今は一分一秒でも早く部屋に戻らなければならないのだが、それを邪魔したのは昨晩無理にスレインを起こしてしまった事であった。
 罪悪感を拭う為に、もしくは自分の為に無意味に部屋の中を見渡してから、眠っているスレインの頬へと口付けを行う。
 相手の了解を得ないその行為に羞恥心は強く、顔を赤くしたモニカはスレインの部屋を後にした。
 ドアを開け、一歩踏み出したところで大事なことを思い出した。
「モニカちゃん。おは……」
 今は慎重すぎる程に慎重にならなければ鳴らない時であることを。
 スレインの部屋を飛び出した自分の目の前に居るのは、夜勤明けか眠そうだった瞳を一気に見開いたアネットである。
 彼女の指先がモニカのパジャマ姿を捉え、確認するようにその部屋のネームプレートを指出した。
「そこ、スレインの部屋。え、だってモニカちゃんパジャマ姿で」
「違う。これは、私が寂しくなって」
「寂しくなって?!」
 完全に事実を決めて掛かっている相手の誤解を解く事は、フェザリアンの頭脳を持ってしても不可能であった。
 むしろフェザリアンの頭脳を持つが故に、説得は不可能だとわかってしまった。
 モニカは振りほどけないほどに強く腕をつかまれ、今しがた出て行こうとしていたスレインの部屋へと逆戻りすることとなった。
 そしてアネットは寝こけているスレインをたたき起こすと、二人を床の上に正座させた。
「アネットさん、あの……なんで僕の部屋にいるんですか?」
 当然の質問は、誤解という名の下に鉄拳で打ち消された。
 目を白黒させるスレインと、それを気遣うモニカに対してアネットの誤解による怒りはまだ収まりそうにもなかった。
「黙らっしゃい。そりゃモニカちゃんは頭も良いけど、まだ子供なのよ。二人が好きあってるのは知ってるけれど、節度ってものがあるでしょう!」
 アネットの余りの剣幕に、何もしていないのに二人は同時にすみませんと謝ってしまった。
 そのことがさらにアネットの誤解を深めるものであり、さらに誤解を解くのが難しくなっていった。
 結局一時間からそこらで解けるような誤解ではなくなってしまい、今日と言う一日の殆どを使い切るはめとなってしまった。
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