降り注ぐ日差しが、大地を貫いていくのは連邦領内。 ヴォルトーンの旧市街、今では一番の活気を見せる市街に大きなアパートがあった。 旧市街が活気を取り戻す切欠となったアパートであり、この世を救った救世主たちが住むアパートである。 最もその救世主たちの半分はアパートを出ており、現在そのアパートを利用しているのは三人。 今はアパートを出て実家に戻ったアネットの幼馴染であり、アパートでは新参者のグレイ。 アパートが出来上がった頃からの入居者であり、フェザリアンと人間の混血児、闇の精霊使いの素質を持つ少女と多用なプロフィールを持つモニカ。 そして元闇のロードであり、救世主たちのリーダーを務めていたスレイン。 ヴォルトーンの旧市街の名物ともなったアパートは世界が平和になった今も、入居者は変われど、アパートそのものは変わらずそこにあった。 「ふぅ……」 一〇一号室、スレインの部屋から漏れてくるのは、借主であるスレインの溜息である。 備え付けの執務机に座り何をするでもなく座り、肘をついて顎をたてかけている。 何処か遠い目で正面ではなく別の場所を見つめていたスレインは、もう一度溜息をついた。 そのまま固まったように動かなくなり、じっとしている所でアパートのドアがノックされた。 「スレイン、いる? よかったらご飯食べにいかない?」 耳慣れた声は、モニカのものであった。 曲がりなりにもあの日魂の壷を持って闇の総本山へと一緒に行った仲である。 居留守を使おうかと思っていた考えをなんとか頭の隅に追いやると、スレインはのろのろとした動作で立ち上がり鍵を掛けていたドアを開ける。 「モニカさん、申し訳ないんですけど少し食欲がないんです。ご飯はまたの機会でよろしいですか?」 「このところずっとそれね。日差しが元に戻って夏ばてのようなものかしら。病院へ行く?」 「いえ、そこまでは。本当に少し食欲がないだけなんです」 再度申し訳ないとスレインが言うと、モニカの返事も待たずにドアを閉めてしまった。 しかもカチャリと鍵の閉まる音のおまけ付きである。 「むっ」 スレインの元気がない事は知っていて、何とかしてあげたいと思っているのにこの仕打ちはありなのか。 わずかに頬を膨らませてむっとしたモニカは肩を怒らせる。 「何かあるんだったら言ってくれればいいのに」 元々冷めた性格である為に沸騰した怒りもすぐに鎮火してしまう。 心配そうに閉まったドアの向こうに居るスレインを見るモニカのまわりに、薄紫の光が集まってくる。 モニカの感情に触発された闇の精霊であり、一際大きく輝くのは闇の妖精であるラミィである。 「どうしちゃったんですかねぇ、スレインさん。ラミィちゃんも心配ですぅ」 独特の間延びした声がモニカの耳元で発せられる。 元々は闇のロードであったスレインの放つ波動を気に入ってまとわり付いていたのだが、スレインが精霊使いで無くなった日から今度はモニカの近くに居るようになった。 ミシェールが月の社に言った今は、モニカの一番近しい友人でもある。 ただし、人と妖精では様々な感覚が違うので一般的な相談ごとには向いていない。 「ラミィ、どうしたらよいと思う?」 「ん〜、ラミィちゃんには良く解りません。スレインさんの事も心配ですけど、基本的にモニカさんのような闇の精霊使いのそばにいればラミィちゃんは幸せですから」 悩みがないと言っているようなもので少し羨ましいが、相談できないものは仕方が無い。 相談できる人にするしかないと、モニカは昼食を後回しにして頼れる人の元へと足を伸ばした。 旧市街を出てすぐそばにある商店街を抜けていく。 モニカのようなフェザリアンの混血児は目立つ為、様々な人から声を掛けられながら目指したのは連邦議長の屋敷である。 とは言っても相談相手は議長ではなく、その娘であるアネットである。 屋敷の前の警備員にもほぼ顔パスで通してもらい、勝手知ったる議長の屋敷とアネットの部屋のドアをノックする。 「アネットさん、少し相談したい事があるんですけど」 「ああ、モニカちゃん? ちょっと待っててね、ちょっと部屋を片付けるから」 ドタバタと、おそらくは部屋に広げた薬品類を片付ける音が続く事十数分。 向こう側からドアを開けてくれたアネットには、白い粉がまるで雪のように降り積もっていた。 「もしかして、調合の真っ最中でした? 忙しいのなら出直しますけど」 「大丈夫、大丈夫。今のは患者さん用とかじゃなくて、純然たる趣味と言うか。とにかく入って」 「変わった趣味ですねぇ。でも白い粉が綺麗ですぅ」 余り褒め言葉とも思えない言葉をラミィが放つが、幸運にも精霊使いではないアネットには届かなかった。 アネットの部屋に入れてもらったモニカは、用意されていたティーテーブルの椅子の一つに座る。 すぐにアネットがお茶をいれてくれたので、軽く口に含んで喉を湿らせる。 「それで、モニカちゃんが相談なんてどうしたの? もしかしてスレインの事だったりして」 「どうして解ったんですか?」 「ああ、やっぱり」 フェザリアンの血が混じっているせいか基本的にクールなモニカは、迷う事が余り無い。 そのモニカが迷うのは人生を変えてしまうぐらい大きな物事ともう一つ、スレインに関してのみである。 だからアネットが推理する事は難しい事ではないのだが、やっぱりと言ったアネットの表情は当たってしまったと言う様な顔であった。 他の事ならともかくとして、スレインに多少なりとも好意を持っていたので相談を受けにくいのだ。 もともと幼馴染のグレイとスレインの間で揺れていたので本当に好意だったのかといわれると微妙な所であったのだが。 「実は最近スレインの元気がないんです。溜息ばかりで上の空、思い切って昼食に誘ってみたんですけど断られて」 「そう言えば、アタシも商店街をうろついてるスレインを見たかな。ぼうっとしてる割には、キョロキョロと何か探してるようだったけど」 「大事なものでも落としちゃったんですかねぇ」 「大事な落としもの……」 ラミィの声が聞こえない為、唐突な言葉に聞こえたアネットは少しばかりビックリしていた。 「落としものかあ。でもスレインだったら探すのを手伝ってくれって言いそうだけれど。根本的に、何に悩んでいるのかわからなきゃ手のうちようがないわね。スレインの事でなければ、普段のモニカちゃんならすぐに気付きそうだけど」 「モニカさんはスレインさんが大好きだからですぅ。これが恋は盲目っていうものなんですねぇ」 アネットのからかい混じりの言葉に加え、ラミィの直球的な声にモニカは俯き赤くなる。 自他共にスレインへの気持ちを認めてはいても、改めて指摘されるのは別である。 「可愛いなぁ、モニカちゃんは。とりあえず、スレインに自分が心配してる事を伝えてみようよ」 「私がスレインを心配してる事をですか?」 「そうそう、スレインだってモニカちゃんの事を気にしてるはずだもん。モニカちゃんが心配してる事に気付いてさえくれれば、ちゃんと事情を話してくれるはず。がんばっていってらっしゃい」 部屋から押し出されるようにして見送られたモニカは、周りをフワフワと飛ぶラミィを連れてアパートへと戻っていった。 スレインの部屋である一〇一号室へと戻ってきたモニカは、まず最初にまだスレインが部屋にいるかラミィに確かめてもらった。 執務机に向かって座っている事を確認してもらったモニカは、普段よりも一杯空気を胸に吸い込んだ。 あまり大きな声を出す事に慣れていないので少し恥ずかしかったが、我慢してドアの向こうに届くように声を大きくした。 「スレイン、ドアはこのままでいいから聞いて」 返事は無かったが、このままで良いといった手前、モニカはそのまま続けた。 「スレインが何を悩んでいるのか、すぐに聞き出そうだなんて思わない。ただ解って欲しいの、貴方の事が心配なの。出来れば一緒に悩んであげたいの」 「ラミィちゃんもですぅ。スレインさんの悩みはラミィちゃんの悩みでもあるですぅ」 「ほら、ラミィだってそう言ってる。私の声が聞こえ」 バンッと鍵ごと壊すような勢いで、ドアが開かれた。 あまりに突発的なことにモニカは言葉を詰まらせ、肩で息をするぐらいに慌てた様子のスレインを見ていた。 解ってくれたんだとモニカが喜んだのは数秒、自分ではなく見当違いな場所をキョロキョロと見渡し始めたスレインに戸惑い始める。 「スレイン?」 「モニカさん、ラミィさんが言ったって。近くにいるんですか? どこにいるんですか?」 「ラミィちゃんはスレインさんの目の前にいるですよぉ。と言っても、もう聞こえないんでしょうけど」 肩口から聞こえたラミィの声に、モニカはゆっくりとその居場所を指差した。 「そこにいるんですか、駄目だやっぱり見えない。モニカさん、本当にラミィさんはそこにいるんですか?」 スレインに両肩をつかまれて揺さぶられたモニカは、全てを悟っていた。 単純な答えであった。 話によればスレインが闇のロードとしての記憶をなくしてほとんどすぐにラミィはそばにいた。 それからホムンクルスの体になるまでずっと、朝起きて、夜寝るまでずっとだ。 そのラミィを感知する事が出来なくなって、スレインは単純に寂しかったのだ。 「やっぱりラミィちゃんもスレインさんとお話したいですぅ。そうだ、お手紙ならお話できますぅ。モニカさん、スレインさんにお手紙の交換しないか伝えてください」 「スレイン、ラミィがお手紙の交換しないかって……」 「手紙、そうか。する、します。ラミィさん、交換しましょう。文通です!」 舞い上がると言う言葉がこれほどピッタリな状況はあろうか。 クルクルと回ったスレインは、ラミィがいない場所へ両手を広げて文通の宣言をしている。 「やったですぅ。間接的にですけど、またスレインさんとお話ができますぅ」 ラミィも嬉しいのか、以前のようにスレインの周りをふわふわと飛んでいる。 二人ともずっと一緒にいた知り合いが、ある日を境にいなくなったようなものなのだから仕方が無い。 だが、一点だけモニカは我慢できない事があった。 妖精とは言えラミィは女の子である。 多少小さくはあっても、コウモリのような羽を背負ってはいても、可愛い女の子である。 そんな可愛い女の子の事で、ここ数日自分をないがしろにしてずっと悩んでいたのはある意味罪であった。 にっこりと堅い笑みを浮かべたモニカの指先が、背伸びを加えてスレインの耳へと伸びる。 「スレイン」 「はい、なんでしょ痛ッ、なんでつねるんですか。イタタタタッ!」 「ラミィとお話できるって解って元気がでたでしょう。ご飯食べに行きましょうか?」 「なんで耳を、元気は痛い。モニカさん?!」 「ああ、待ってくださいですぅ。ラミィちゃんも行きます」 モニカをどうして怒らせたのか解らなかったスレインは、旧市街の街中をモニカに耳を引っ張られながら歩く事となってしまった。 人々にクスクスと笑われ、モニカには耳を引っ張られ。 それでも自然とスレインに笑みが浮かびそうになり、ますますモニカは耳を引っ張る力を強めていった。 「言っておきますけど、スレインのおごりです」 「モニカさん、痛いですよ。何を怒って」 「怒ってる理由がわからないスレインに怒ってるんです」 「そんなの一生わかッ。ラミィさん、モニカさんを!」 間が悪い事にラミィに助けを求めたスレインはますます耳を引っ張られ、さらにはモニカの妬け食い分の昼飯代まで払わされる結果となった。
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