第十二話 旅立ち


まだ日が完全に昇りきる前の村の入り口で、ファミリアを一から作り上げた一つの家族が勢ぞろいしていた。
その中で一人だけ皆と向かいあう形で立っているのは、十年ぶりの旅支度を終えたルカであった。
旅のために新しくそろえた物は殆どなく、かつて自分が使っていたものか、リュカが青年時代に使用していたお古ばかりである。
そんなルカの身なりの中で、一つだけ違う輝きを放つ炎のリングが左手の薬指にはめられていた。

「ルカ、忘れ物はないかしら? あなたの事だから、何の心配も要らないと思いますが」

「ええ、母上。何か足りなければ、その時はその時でなんかと調達します」

「頼もしいのは良いけれど、三年ね。三日でなんとかならないわけ? できるだけはやく帰ってきなさいよ」

「善処しますよ、ビアンカさん」

軽く笑いながらルカは答えると、リュカに向き直り一度頭を下げた。

「父上、三年の間ラナの事を頼みます。必ず三年後までに戻ってきます」

「頼まれなくても娘だしね。ラナの事も、ルカの農園の方も無事なように守っていくよ。その辺は安心して行ってきなさい」

「農園の方は、プックルやメッキーの方が詳しいでしょうから、二人に色々聞いてください」

軽い引継ぎをリュカに行っていると、ルカのマントを後ろから誰かが引っ張ってきた。
振り向いたルカの直ぐ目の前には、顔をうつむかせたまま上げようとしないヒナがそこにいた。

「あ〜あ、やっぱり我慢できなかったか。ヒナ、泣くなとは言わないけど涙ぐらい拭きなさい」

泣いているのかと思いヒナの前にビアンカが屈みこんだのをみて、ルカもそれにならった瞬間、ヒナが急にその顔をあげていた。

「これな〜んだ」

そう言ってヒナが見せた左手の薬指にはぶかぶかであるが、何故か命のリングがはまっていた。
渡した覚えはないルカはもちろんの事、皆も一斉にビアンカを凝視していた。

「あはは、ルカ君とラナちゃんが婚約した後、あんまり泣き喚くもんだから慰めのつもりで。ルカ君から渡されてない以上、一方通行だけどね」

「いいもん。三年もあるんだから、それまでにもっと良い女になるんだもん。それからもう一度今度はお兄ちゃんから貰いなおすの」

「三年後も僕の気持ちは変わっていませんよ。それでも良いですか?」

「もう変えるつもりなんてないよ。お兄ちゃんの横は二つあるんだもん。お姉ちゃんがいない方に私が入ればいいんだもん」

明らかに親子だと解る台詞がヒナから放たれると、苦笑するしかなかったルカは頭を一なでして立ち上がっていた。

「ラナ」

ヒナの発言や持っていた命のリングの事について呆気に取られていたものの、ルカに呼ばれてすぐにラナは顔をそちらに向けていた。
なんとなく名を呼ばれた事につられる様に、ルカを安心させるようにして左手の甲を持ち上げて見せていた。
左手の薬指、そこにはルカから渡された水のリングがしっかりとはめられていた。
ヒナとは違い、ルカの手によって約束の証としてはめられたリングである。

「三年後、ちゃんとルカの事を待っていますわ。だから私を迎えに来るにせよ、私の元に帰ってくるにせよ。無事でいてください」

「ラナから借りたコレがあれば、大抵のことは大丈夫です」

そう言って荷物の中からルカが見せたのは天空の剣であった。
しばらくは倉庫兼物置のなかで埃を被っていた物を掘り起こしてきたのだ。
ルカが持つ天空の剣へとラナは歩み寄ると懐かしそうにその剣の鞘に触れた。

「何度見ても懐かしい。この剣から始まったのですわね」

「世界を救うに飽き足らず、僕とラナを結び付けてくれました」

支えあうようにして天空の剣を持っていた二人は、その剣を支えるお互いの手にはまるリングを見つめ、ついでお互いの顔を見つめなおした。

「行ってきます」

「ええ、行ってらっしゃい。ずっと待っていますわ」

口付けあった後、ルカは荷物を背負いなおして歩き出した。
何処へ行くかはルカ自身も決めていないが、三年間、魔界を歩き続けるつもりらしい。
その背が見えなくなるまで、見えなくなってもラナとヒナはしばらくその場で立ち続けていた。





ルカが旅立った翌日、村そのものは普段と変わらない音なしいまいちにを続けていた。
大人しいと言ってもそれはファミリアの基準であって、村の何処かしこでは小さな騒ぎが乱発していた。
そしてここ、ラナたちの家ではというと、リュカたち大人たちは普段どおりの生活をまた続けていた。
ルカがいたときと全く違うのは、当然のようにラナとヒナの二人であった。

「ヒナ〜、起きてる?」

「うん」

二人が気だるそうに寝転ぶのは、昨日までルカが使っていたベッドである。
なんとなくラナが起きているかヒナを確かめて直ぐに会話は終わってしまう。

「お姉ちゃん、起きてる?」

「起きてますわ」

しばらく後、今度はヒナの方から似たような問いが投げかけられ、似たような返事がラナから返されていた。
またしばらく沈黙が続き、気だるそうに二人はベッドの上を転がり続ける。
その間にたまに見つめるのは自分の左手の薬指にはめられた指輪であった。
欠片でもルカの事を思い出そうと、ルカの事をそばに感じようとしているのだが、ルカが旅立ったのはまだ昨日のことである。
いまさらながらに三年という長さを実感した二人は、三年間の間にルカを驚かせるぐらい良い女になっていようと決心した心を忘れていた。

「三年、長すぎますわ。ビアンカさんの言う通り、三日で帰ってきてくれ……ませんわよね」

「我慢できない、お兄ちゃんに会いたい。お兄ちゃんに触りたい、頭撫でて欲しい、匂いをかぎたい」

「最後のはどうかと思いますが、ほぼ同意ですわ」

「だったらお姉ちゃん、お兄ちゃんのベッドから降りてよ。お兄ちゃんの匂いが減っちゃう」

「お断りします」

さすがに喧嘩に発展する事はなく、一瞬だけ顔をあげてにらみ合うのみであった。
すぐに力を失くすとここにはいないルカを求めるように、ルカのベッドに顔を押し付けた。

「ルカ、今頃どのあたりかしら。ご飯はもう食べたのかな、ちゃんと寝てるかな。もしかして一晩中歩いていたなんてないですわよね」

「やっぱり野宿だよね。寝てる間に凶暴な魔物とかに教われてないかな」

二人がうじうじと悩んでいると、突如として部屋のドアが荒々しく開けられた。
空けたと言うよりも蹴破ったと言う表現の方が近いぐらいの勢いで、ドアが開いたのと同じぐらいの勢いで足を踏み入れたのはフローラであった。
驚いている二人に無言で歩み寄ると、ルカのベッドのシーツに手をかけて思い切りひっぱりあげた。

「夢を見つけようと男は旅立ったと言うのに、いつまでも見苦しいですわよ!」

ゴロンとベッドから振り落とされた二人であるが、それ以上に問題があった。

「お母さん?!」

「お兄ちゃんの匂いが、シーツ返してよフローラお母さん」

二人の非難をあっさり聞き流したフローラは、シーツを丸めて自分の後ろへと放り投げた。
慌ててそれを覆うとした二人の首根っこをつまみ上げ、ある方向へと振り向かせた。
それはフローラが今さっき入ってきたドアであり、今度は大荷物を抱えたビアンカが入ってくるところであった。

「とりあえず適当に詰め込んだけど、こんなもんかしら。まあ、足りなければルカみたいにその辺でなんとかするか」

ビアンカがどすんと降ろしたのは、バッグ一杯に詰め込まれた旅道具たちであった。

「そのうち言い出すだろうとは思いましたが、何時までもいじけるだけで……さっさとこれを持って二人ともルカを追いかけなさい」

「でも……私ちゃんと待ってるって」

「別に待ちきれなかったって言えばすむじゃない。今すぐ帰れなんてルカ君は言わないわよ」

あっさり前言撤回となってしまうが、待ちきれないのは事実であった。

「二人って事は、私も行って良いんだよね。お姉ちゃん、行こう。今ならすぐに追いつけるよ!」

「そうね、待ってるだけなんて無理ですわ。行きますわよ、ヒナ!」

フローラとビアンカが用意したバッグ目掛けて走ると、それを拾い上げたまま二人は家を飛び出していった。
運がよければ今日中に、悪くても三日後ぐらいまでには追いつけることだろう。
ルカが旅立ったときと同じ方角へと真っ直ぐに進んでいるのなら。

「ビアンカさんの言う通りでしたわね。気づく事さえできたなら、一直線」

「私は結婚直後のアンタ達を追いかける勇気なんてなかったからね。追いかけるなら早い方がいいのよ」

ルカを追いかけて走っていく二人を窓から眺めつつ、二人はそう呟きあっていた。
二人の姿が窓から見えなくなると、どちらともなく部屋を後にした。
三人の子供達の無事を祈る日々が始まる事にはなったが、その心配は一ヶ月ほどでなくなることになる。
ルカと合流する事の出来た旨の手紙が二人から届く事で。

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