「ルビスよ……何故、何故私を裏切ったのだ。何故私を…………」 暗く光の届かぬ場所で、一人の男が祭壇に祭られた女性を模った石像を前に呟いた。 石像で有りながら、今にも動き出しそうなほどに精巧に作られたそれは何も答える事が無かった。 問いかけに応えるはずが無いのに、物言わぬ石像に男は明らかな失望を見せていた。 祈るために合わせた手が、力なくほどかれ顔をうつむかせる。 「先に裏切ったのは私……そう言いたいのだろうか? だが私は、お前に生きのびて欲しかった! お前だけでも!」 再び目の前の石像に顔を上げた男の目には、悲しみと憤り、そして愛があった。 「応えてくれルビス! 私にはお前しか……お前しかいないのだ! 決して手にすることの出来ないお前を望みつつ、私にたった一人で悠久の時を過ごせと言うのか!」 男の必死の叫びにも、やはり石像の女性はなにも応えなかった。 耳に痛いほどの静寂のなか、やり切れない想いを込めた男の拳が大理石か何かでできた床を砕いた。 「ルビスよ、私がここに来るのはコレが最後だ。もう、お前の声は期待しない。ただ私の声がお前に届く事を願う」 立ち上がり黒衣のマントを翻らせた男は、石像へと背を向けて歩き出した。 本当に期待することを止める決心をしたのだろう。 それでも歩き出す直前に、男は最後の言葉を小さく呟いていた。 「お前を、愛していた」 湖の底から空を見上げたような、滲むようにぼんやりとした視界。 徐々に視界に透明感が現れた時、目の前に映ったのは真っ赤な顔をしつつ飛び退こうとしている少女であった。 「わッ!!」 「うわぁッ! あ? あーッ!!」 少年も少女と同じように飛び退いたのは良いが、限りあるベッドの上であるため、当たり前のように落っこちてしまう。 最後の抵抗にと、ベッドの角で必死の抵抗を試みるが、無駄な努力であった。 落下による悲鳴と振動が起きる。 小鳥のさえずりが聞こえそうな清涼な空気が無粋な振動音にぶち壊されてしまった。 「いってぇ……もぅ、なんだよ姉ちゃん。朝っぱらから大声だして」 「なによ人のせいにして。折角起こしにきてあげたのに、アムがあんな事言うから……」 「あんな事?」 「なんでもないわよ! それよりさっさと着替えなさい。今日こそナジミの塔を上りきって、父さんを探しに行く許可を貰うんだからね。私も爺ちゃんも用意終わってるんだから」 一体何のことだと首を捻るアムルにまくし立てた姉は、金色の髪を揺らしながら足取り荒く行ってしまう。 布団を未だ頭から被ったままのアムルは姉を見送り、キョトンとしたまま窓の外を見た。 空は青く澄み渡り、雲が散り散りになって流れている。 寝坊するには惜しすぎる程に良い天気であるが、アムルの頭の中はまだ半分夢の中に取り残されていた。 「変な夢見た気がするけど……寝言でも言ったのかな? キーラは聞いてた?」 「ピー、ピキー?」 アムルが上目遣いになると、頭に被った布団からモゾモゾと一匹のスライムが這い出してきた。 「そっか、お前も寝てたのか……まあ、いいや。そんな事よりも、ナジミの塔の方が大事だし」 それだけで夢の事を忘れてしまうと、アムルは被っていた布団を振り回すようにして勢い良く自分から剥ぎ取った。 なびいた布団が空気を打って、その下から実際の年齢よりもあどけない顔が現れる。 それでも癖がある黒髪が少年特有の快活さを強調し、大きな黒い瞳がさらに拍車をかけていた。 アリアハン国が世界に誇っていた勇者オルテガの息子、アムルは十四歳であった。 「あ〜、もう腹がたつ!」 「なんじゃ、起こしに行く時とはうってかわって不機嫌じゃの。アムルが何かやらかしたんかの?」 二階から降りてきたフレイに真っ先に声をかけたのは、鉄の籠手や具足、鎧を着込んだ祖父であった。 祖父と言ってもまだその肉体には男としての力強さが残されており、その祖父がいるテーブルの脇には、かなり重そうな幅広の帯剣が立てかけられている。 一度持ち上げようと試みた所、十秒と持ち上げ続けられなかった代物である。 「別にそういうわけじゃないんだけど……」 アムルが予想した通り、姉のフレイはアムルの寝言を聞いただけだった。 ただその寝言の内容が問題だったのだ。 (寝言の内容も問題だけど、三つも下の弟にそう言われてときめいた自分が一番腹立つのよね。変態かアタシは) 「赤くなったり、青くなったり忙しいやつじゃな。それでアムルのヤツは起きたのか?」 「あ〜、うん。多分もうすぐ」 「ピーッ!」 「降りてくると思う」 降りてきた階段をフレイが見上げると、上からキーラが落っこちてきた。 受け止めてやると、肩に乗せてやる。 「その事なんだけど」 今まで厨房で忙しく動き回っていた母が、エプロンで濡れた手を拭きながら心配そうな顔で二人の間に割り込んできた。 「お父さんを探しに行くというのは止められないの? 認めたくないけれど、お父さんはネクロゴンドの火口に落ちたって……お父さんが持ってた剣も河口付近に…………」 いくら子供を止めるためとはいえ、こんな事は言いたくないのだろう。 手を拭いていたエプロンをそのままギュッと握り締めて俯いている母の声は、震えていた。 まだ歳若いフレイはもちろん、長年の年月を経た祖父、ダイダでさえどう声をかけるのかが最善なのか解りかねている。 だが意外にも母ライラに声をかけたのは、丁度いま降りてきたアムルであった。 「母さん何言ってるの? 父さん生きてるよ」 諭すわけでも慰めるわけでもなく、ただそれが当たり前の事実だと言わんばかりの言い草だった。 「ア、アタシもそう思う。なんでって聞かれたら、アムの勘だからって根拠の無い理由なんだけど。ほら、アムの根拠の無い勘って外れた事ないし」 「そうじゃのぉ。アムルのそういう所だけはオルテガ以上だしの」 「根拠がないわけじゃないよ。だって父さん生きてるじゃん」 「あ〜はいはい。そうやって事実のみしか主張できない事を根拠が無いって言うの」 最初から、生きている事を前提として喋る三人に、ライラの表情が少しだけ柔らかくなった。 だが例え生きているとしても、外の世界へと出て行こうとする娘と息子に訪れる危険への心配はなくならない。 「解ったわ。母さんもう、何も言わないわ。ただし、旅立つのは約束通りナジミの塔を最上階まで上り切れたらよ。それぐらい出来なきゃ、旅なんてとても出来ないんですからね」 「解ってるって。昨日までに最上階の三階まであと一歩って所までいけたから、今日には最上階まで行くつもりよ。ね、アム」 「そうだね。一昨日だって、姉ちゃんがフロッガーに顔舐められてパニック起こさなければいけたはず、ダッ!」 「そう言う事は言わなくていいの!」 頭を押さえてうずくまったアムルの頭の上には、フレイの樫の杖があった。 魔力の加護は最低限のものであるが、その硬さは一級品だ。 「なんだよぉ……本当の事だろ、この前はさそりばちに会って腰抜かしたくせに」 「あれはさそりばちの攻撃でしびれちゃっただけよ。そう言うアムだって、ずっとまえに一角うさぎにお尻刺されたアザがまだ残ってるでしょ!」 「ち、違う、刺されたんじゃないよ! あれは……ちょっと便秘だったから一角うさぎに浣腸頼んだんだよ。そしたら外れて」 「下手な嘘も大概にしなさい。この超健康だけ優良児!」 段々とヒートアップしていく暴露に、パンパンっと手を叩いてライラが止めた。 「はいはい、そこまで。ケンカになる前に止めておきなさい。ほら、仲直り」 「ん〜……わかったわ。アム、おいで」 「あ、うん」 不承不承と言った感じでフレイが両手を広げると、そこに向かってアムルが寄ってくる。 そのままアムルがフレイの背中に手を回しギュッっと抱きつき、フレイもそれに応えて広げた両手を畳み込んだ。 身長的にアムルが頭一つ小さいため、フレイがアムルを抱きこむような形となる。 しばらくアムルの感触を堪能してから、それでもとフレイはどう言って良いのか解らないと言った顔でライラに尋ねた。 「母さん前から思ってたんだけど、この仲直りの方法おかしくない? 恋人じゃあるまいし、友達に聞いても変って言われたんだけど」 「あら、言葉だけのそっけない仲直りよりはいいんじゃない? 母さんと父さんがケンカした時もよくこうやって仲直りしたもんよ」 片手を頬に当てながら当時を思い出して顔を赤くするライラに、フレイは冷静に突っ込んだ。 「母さん達は夫婦でしょうが、なに照れてるのよ」 「いいじゃない。フレイはそうするの嫌なの?」 「嫌じゃない。アムって暖かいし、なんか安心するから……」 「姉ちゃん、そろそろ……苦しい」 アムルのくぐもった声が聞こえ、フレイは少し照れながら解放してやる。 やはりアムルの方も恥ずかしかったのか、照れるそぶりは無いもののやや顔が赤い。 そんな二人を見てダイダが戦士ではなく好々爺の笑みを向けながら言った。 「さて、そろそろ飯にしようかの。ワシは待ちくたびれたわい」 「そうしましょうか。アムル、貴方は先に顔を洗ってらっしゃい。フレイは茶碗の用意お願いね。塔を上るのなら一杯食べて元気付けていかないとね」 「「は〜い」」 「お疲れ様です、ダイダ様」 「うむ、ご苦労」 アリアハン城の地下にある大きな扉の前にいた兵士に、ダイダは慇懃に応える。 兵士がダイダを敬っているのはオルテガの義父だからではなく、元アリアハンの騎士団団長だったからだ。 「ご苦労様です」 「ごくろうさま、兄ちゃん」 「やあ、二人とも。いつも頑張ってるね、今日こそ最上階までいけることを祈ってるよ。いやぁ、思い出すなあ僕の兵士採用試験の最終試験」 フレイとアムルも、すっかり顔なじみとなってしまった兵士と軽く挨拶を交わすと、ナジミの塔への扉を見上げた。 ナジミの塔は、本来アリアハン全体を見渡す監視塔として、さらに有事の際の拠点として立てられたものだ。 それゆえアリアハン城の地下から塔内へと通路が続いている。 だが、時代が進むにつれ国内は安定し、塔は無用の長物と貸し……いまやただの魔物の巣窟と成り下がっていた。 それが都合良いからと、兵士の言ったとおりの使われ方をしている。 「さあ、ここをくぐればナジミの塔へと続く通路じゃ。毎度のことじゃが、二人とも準備はいいか?」 「もちろん、何度ここに来てると思ってるの? 準備は万全よ」 「ピーッ」 師から譲り受けた魔法使い用の服とスカートを着て、帽子を被ったフレイは樫の杖を持ち上げた。 続いて彼女の肩の上にいるキーラも準備万端とばかりに声を上げた。 二人と一匹は次にアムルへと視線をよこした。 「大丈夫だよ、爺ちゃん。今日は行けそうな……いや、行ける! それで父さんを探しに行くんだッ!!」 握った拳をもう片方の手の平に叩きつけ気合を入れる。 「うむ、では開門せよ」 「はっ!」 ダイダの命令で、兵士が扉を開けるレバーを引いた。 錆びた鉄がこすれる音が響き渡り、徐々に扉が開いていく。 そして徐々に見えてくるのは、ナジミの塔へと続く通路……ではなく、魔物の大群であった。 人面蝶にさそりばち、フロッガーにバブルスライムと他にも塔内の魔物全種が勢ぞろいしている。 「なっ、なにー!!」 叫んだのは門番の兵士だ。 「アムルッ!」 「爺ちゃんッ!」 魔物の群れが動くよりも、二人が仕掛けを無視して扉を閉めるほうが早かった。 無理に押し返して仕掛けが壊れたような音がしたが、そんな事は後でいい。 「お主、他の兵士や騎士達に応援を……緊急事態じゃ!」 「はいっ!」 問題なのは、獲物に気づき今も門へと体当たりをかけている魔物達だ。 各個バラバラにではあるが閉まった門に体当たりをかけ、ドンっと衝撃が伝わるたびにパラパラと天井から砕けたレンガが落ちてくる。 アムルとダイダが必死に押さえているが、あれだけの大群相手に長くは持たない。 「くっ……アムル、状況は切迫しておる。お前なら、どうする?」 「ちょ、お爺ちゃんこんな状況で」 「魔物を突っ切ってさ、最上階を目指す」 迷い無く言い切ったアムルを見て、止めようとしたフレイもハッと気づく。 「そうか、いくら普段私たちがこの通路を使ってるからって魔物がこんな待ち伏せするなんておかしい。例えしたとしても、数が多すぎる。つまり、この状況を作り出した黒幕がいる。アムってば冴えてる!」 「あ、そうなの? ただ元々、最上階に行くのが目的だったから行こうと思っただけなんだけど」 アムルの今気づいたと言わんばかりの発言に、ダイダも気が抜けたのか体当たりされた扉が一瞬だけ大きく開いた。 「なんのッ!」 「あんたねぇ……でも、突っ切るにしてもここの守りはどうしよう」 「兵士の兄ちゃんが、ンガッ。応援を呼びに行ったよ。城に侵入される事はない」 「確かに、ワシらが先陣を切って突き抜ければ魔物の勢いを削ぎ、上手くいけば分断する事ができるかもしれん。か、かなり有効な策じゃ」 「お爺ちゃんまで……わかったわよ。それじゃあ、まず私がでかいのぶっ放すから合図したら扉を開けて」 話がまとまると、フレイは少し扉から離れた所で樫の杖を床に突き刺し、手をかざす。 そして肩に乗るキーラに、服の中に隠れていろと合図した。 「ピキ」 「天と地にあまねく精霊たちよ。汝らの偉大なる力をもって邪を滅する光を我に与えたまえ」 地面に突き刺した樫の杖に淡い光が灯りだし、熱い力が込められていく。 危機的状況で集中力が増していたのか、思いのほか集まった力に自然とフレイは口の端を上げた。 「お爺ちゃん、アム、いくわよ!」 「こっちはいつでも良いぞい」 「こっちも、大丈夫」 「三…………二……」 扉を押さえながら、いつでも飛び退けるようにダイダとアムルは腰の位置を下げた。 「……一…………今よ、ギラッ!!」 アムルとダイダが退いた事で盛大な音を立てて開いたドアから、数え切れないほどの魔物が飛び出した。 そして次の瞬間、フレイが杖から放った光の熱線によって瞬く間に焼き殺されていく。 だが運良く他の魔物の影になって直撃をまぬがれた魔物、後列にいて熱線が届かなかった魔物はまだ大勢いる。 いきなりの不意打ちに多少勢いはそがれたものの、まだその目は獲物から眼を離していなかった。 「行くぞ、二人とも。ハァァァ!!」 「姉ちゃん、行こう!」 「わかってる!」 腰に帯びた剣を抜いたダイダが扉をくぐり、アムルがフレイを守るようにして走る。 駆け抜ける先にいる魔物をダイダが切り捨て、左右後方から飛び掛る魔物をフレイが魔法で焼き払い、アムルが拳で殴りつけた。 出鼻をくじかれ、さらに大群の中を突っ切る三人を見て、明らかに魔物の勢いが完全に止まった。 そこへ更に、 「ダイダ様、助太刀いたします!」 「魔物を場内へと入れるな! なんとしても死守するのだ!」 城内から集まってきた騎士や兵士達が、声を上げながら魔物達の後ろをとった。 いきなりの増援に、逃げ出す魔物も現れ始める程だ。 「やったわね、まさに狙い通り」 「このまま一気に最上階を目指すぞ。塔中の多くの魔物がここに集まっているうちにじゃ」 「うん、姉ちゃんも気を抜いてる場合じゃないよ。前見て前」 「むっ、アムの癖になまいき。お姉ちゃんは気を抜いてなッ」 フレイの気が緩んだ一瞬の隙を突いて、フロッガーの焼死体の下から一匹の一角うさぎが飛び出した。 狙いはフレイだが、アムルへと顔を向けたいたフレイは気づくのが遅れた。 「フレイッ!」 「姉ちゃんッ!」 先頭を走るダイダは言うに及ばず、アムルも反応しきれていなかった。 一角うさぎの鋭い角がフレイへと迫る。 「キッ」 「ピギャーーーッ!!」 フレイが悲鳴を上げるより先に鳴り響いたのは甲高いスライムの声と、ジュワッと一角うさぎが焼け焦げる音だった。 一斉に足を止め、見たのはフレイの肩に乗るキーラだ。 どうやら初級の火炎呪文であるメラを唱えたらしが、フレイを心配するように体をこすり付けている。 「ピー〜」 「う〜ん、ありがとうキーラ。やっぱり、男は口で言うより行動よね。アムってば動く事もできなかったのに」 「なんだ、姉ちゃんが油断するのが悪いのに。爺ちゃん先に行こう。姉ちゃんはキーラが守ってくれるから良いってさ」 キーラに感謝するのはわかるが、その言い方が不満でアムルは再び走り出した。 「な〜に妬いてんのよ。次は守ってくれれば良いじゃない」 「妬いてない! お前ら邪魔ッ!!」 からかう様に言いながら、フレイも魔物を八つ当たりで蹴散らすアムルの後を追い始めた。 そんな二人を見ながら、ダイダは大きく息をついた。 孫娘の危機が回避された事や二人のやり取りもあるが、それだけではなかった。 「やれやれ、キモが冷える思いじゃわい。最後まで上手くいけばいいのじゃが、こんな手は一度きりじゃて」 「お爺ちゃ〜ん、早く。アムがどんどん先行っちゃうよ!」 「おお、イカンイカン。フレイ、アムルを止めるんじゃ!」 「今私が声をかけると、余計走って行っちゃうんだけど!」 「ヤレヤレ……なにをやっておるのか。まだまだ子供じゃのぉ」 今度はため息として深く息を吐くと、最近纏うのがきつくなってきた鎧をガチャガチャと鳴らしながら走り始めた。
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