第三話 慣れない親猫
 ベッドをシルビアに占領されたことで、トレインはテーブルについていた椅子に座り込んで眠っていた。
 腕を組むことで固定して足を組み、深く座り込んで背もたれに背を預ける。
 ベッドより格段に寝心地は悪いものの、それで全く眠ることが出来ないと言うわけでもなかった。
 ただその眠りは浅く、怪我の多い体に対して休息を与えると言う意味では失敗であった。
 場所が悪いと言うだけのことではなかった。
 臆病さの体現なのか、長年の生活でただ身についてしまった習性なのかは解らない。
 ただ自分のテリトリーに自分以外の存在がいることだけで、自然と眠りが浅くなってしまう。
 小さな物音一つ、寝返りや寝言一つにしても過剰に反応し、気が付けばテーブルの上に置いておいたハーディスを手にしてシルビアへと銃口を向けていた。
「パパ……」
 今回もまたシルビアの何気ない寝言に目が覚め、記憶の通り配置してあったテーブルの上のハーディスを手にしていた。
 腕を伸ばし銃口をベッドの上の小さな膨らみに向け、撃鉄を起こす。
 その金属同士がすれる音で完全に目が覚めると、引き金へと伸びていた指が止まり、なんとか撃つことを止めることが出来た。
 熱帯夜の暑さで目が覚めたときの様に体中には汗が流れ落ちており、体の回りの空気がねっとり絡みつくように感じてしまう。
 息は荒く、ハーディスをテーブルに置くと同時に深い溜息が漏れた。
「くそ、またか」
 セフィリアまでもを親と思い泣き喚いた為、仕方なくセフィリアが帰るまではと置いてみれば、いつの間にかベッドの上で眠っていた。
 余りにも無防備なその姿に、犬猫の様に捨てるのが面倒になって放置したのだが。
 その結果がこれであった。
 自分自身の眠りさえ妨げられ、ただただ苛立つ気持ちを増大させているだけである。
 一度はテーブルに置いたハーディスを手に、今度は自分の意志で撃鉄を起こし狙いを定める。
 ターゲットが抱いていた子供、運悪く記憶を失い自分を親だと勘違いしたが、それがどうかしたのか。
 シルビアが何を勘違いしようと、自分が彼女の親を殺した事実に変わりはない。
 育ててやる義務もない。
 今ここで引き金を引けば、けたたましい銃声がアパートに響き、ここにはいられなくなるだろうが、それだけだ。
 小さな命を奪うことを邪魔するものは何もない。
 自分の手の中にある、命。
「馬鹿馬鹿しい」
 暗殺者はしているが、自分は快楽殺人者ではない。
 ターゲットや邪魔者は殺しても、意味のない殺しはしない。
 それは暗殺を仕事とする者としての最後の一線だったのかもしれない。
「明日にでも、セフィリアに預けてどうにかしてもらうか」
 ハーディスを再度テーブルの上に置いたトレインは、このままではたいして眠ることは出来ないだろうと部屋を後にした。
 小さなアパートの中にある階段を上っていき、そのまま最上階へ、屋上へと足を踏み入れる。
 緊張から眠れなかった体を夜風に晒し、火照った体を冷やしていく。
 自分はタバコを吸わないたちだが、タバコをすいたくなる瞬間とはこういう時かもと想像しながら夜風を楽しんでいると、今しがた自分が登ってきた階段を誰かが上ってくる足音が耳に届いた。
 別に誰が来ても不思議ではないのだが、時間が時間だけに思わず身構えてしまう。
「私です、トレイン」
 向こうにも緊張感が伝わったのか、警戒は必要ないと示してきたのはセフィリアであった。
 暗闇の中では少々目立つ長い髪が夜風に流され、それを手で押さえながら歩いてくる。
「忘れ物か?」
 他に理由が思いつかずそう尋ねたのだが、思いも寄らない答えが返って来た。
「シルビアの寝顔を見てきました。それと、これを。無用心ですよ。一人ではないのですから」
 そう言ったセフィリアがトレインへと投げて寄越したのは、トレインの部屋の鍵であった。
 確かに部屋を出る時に鍵をした覚えはなかった。
 特に盗まれて困るようなものは思い浮かばなかったし、少し出るだけのつもりであったからだ。
 部屋を開けるのに鍵をしないのは確かに無用心であったが、セフィリアが指摘しているのはシルビアがいるのにという点であろう。
「まるで、本当の母親みたいだな」
 軽い冗談のつもりであったが、面白いほどにセフィリアは反応してくれていた。
 いつも引き締められているセフィリアが目を丸くした姿は、ナンバーズの中でも恐らく自分が初めてなのではないかと思ってしまう。
「まさか、貴方の口からそんな冗談が聞けるとは思いませんでした」
 そして返って来た言葉に、今度はトレインが目を丸くする番であった。
 セフィリアの台詞は単純にトレインの台詞を否定する言葉なのか、それともそのままの意味なのか。
 つい先日まで、冗談など口にしようなどと思いもよらなかったはずである。
 本当に冗談であったのか、それとも単純にセフィリアの言葉を聞いてそう思ったまでなのか。
 トレインの中で答えが出ないうちにセフィリアが踵を返して去ってしまい、答えてくれるものは誰もいなくなっていた。





 翌朝、結局眠りが浅いままだったトレインは、静かなノックの音に目を覚まさせられていた。
 一定の間隔で、繰り返し行われるノックは、もちろん部屋とアパートの廊下を隔てるドアからである。
 こんな早朝から一体誰かと、ハーディスに手を伸ばして応対に出ようとした所、声が聞こえた。
「私です、トレイン」
 昨日の夜も聞いた全く同じ声と台詞であった。
 一体何をしにきたのかとハーディスをテーブルに置いたままドアを開けると、セフィリアがそこにいた。
 外を出歩いたのだから当然と言えば当然なのだが、早朝にも関わらず身だしなみは整えられ、眠そうな顔などしてはいない。
 セフィリアは開けられたドアから部屋へと入り込むと、まず一直線にベッドに歩み寄り、まだ寝ているシルビアの顔を覗き込んでいた。
 昨日のシルビアの寝顔を見にきたと言う台詞もあながち嘘でもなかったらしい。
「昨日の続きじゃないが、どうかしたのか?」
「正直、私にもわかりません。何を思ったのか、朝食を作りに来ました」
 今度は母親みたいだと口にはしなかったが、セフィリア自身にその自覚があったらしい。
 困惑交じりでシルビアの寝顔を眺めた後、来ていた服の袖をまくって、本当にキッチンの方へと歩いていった。
 少しばかりセフィリアに倣いトレインもシルビアの寝顔を覗き込んでみたが、子供が寝ているだけである。
 これだけ近くで他人が覗き込んでいると言うのに、起きる気配一つない。
 シーツの中の温もりに守られ、すやすやと眠っていた。
「ぐっすり眠りやがって。こっちはずっと眠れなかったってのに」
「トレイン」
 少しばかり腹が立ち、邪魔してやろうかと思った矢先、キッチンからひょっこり顔を出したセフィリアに注意されてしまう。
 もう言葉もなかった。
 クロノスの中でも特に恐れられるナンバーズの最初と最後が、たった一人の少女のことで注意をしたりされたりと。
 なんだか腑に落ちないものを胸のうちに抱えながら、もう少し寝かせてやるかとベッドを放れようとすると、シルビアが愚図る様に声を挙げた。
 ようやく人の気配や、セフィリアがキッチンに立ち朝食を用意する物音に気付いたのか。
 こしこしと目元を擦りながら、その瞳を開いた。
「ん〜……パパ、おはよう」
「ああ」
「パパ、おはよう!」
 なんと答えてよいものか、適当に相槌を打ったのだが、シルビアはお気に召さなかったようだ。
 パンパンに膨らんだ頬で繰り返される言葉に、諦め同じ言葉を返す。
「おはよう」
 何が嬉しいのか満面の笑みに変わるのに時間はかからず、シルビアがベッドから立ち上がった。
 そしてなにやらキョロキョロとして、何かを探し始める。
 良く意味が解らずその様をずっと見ていたトレインであったが、やはりきっかけを与えたのはセフィリアであった。
「おはよう、シルビア。洗面所はあっちです」
「うん、おはようママ」
 何故セフィリアが知っているのかと言う疑問は残れど、ひとまずトコトコと洗面所へと駆けて行くシルビアを見送る。
 それからキッチンへと足を踏み入れたトレインは、壁に背もたれ腕を組みながら、本当に朝食を用意しているセフィリアへと尋ねた。
「アイツを預かってくれるのなら、ありがたいんだが?」
「私は特定の部屋を所有していません。ホテルを転々とする身ですから」
 どうやらセフィリアの手により施設かなにかに放り込むと言う考えが根底からない返答であった。
 まさか本気で自分が育てようと勘違いされているのではと否定しようとしたが、顔を洗ったシルビアが戻ってきてしまう。
「ママ、シルビアもお手伝いする」
「ではこのお皿をテーブルに運んでください」
 どう見ても運ばせるには心もとないのだが、焼きたてのパンとスクランブルエッグ、簡単なサラダの乗ったお皿をセフィリアは渡していた。
 そして残り二つのお皿は無言のまま笑顔でトレインへと差し出されていた。
 聞かずとも運べといわれているのは間違いなく、トレインはそれを受け取ると、ふらふらと危なっかしいシルビアを先に歩かせテーブルへと向かった。
 どうにかシルビアが転ばず運び終わり、自分もテーブルにお皿を置くと、一足早く椅子に腰掛ける。
 なんだか良く解らない状況に肘をつき、その手の平の上に顎を置いたが、視界の隅にちょこまか奮闘するシルビアが目に入ってしまった。
 椅子を引こうにも大きすぎて動かせずにいたシルビアの代わりに、椅子を引き、少々乱暴に襟首を掴んで座らせる。
 最後に牛乳のパックとコップを三つ持って現れたセフィリアが席に着き、シルビアの先導のもとで頂きますと復唱。
「いただきます!」
「はい、いただきます」
 ただ、またしてもトレインが反応しなかったことに、シルビアだけでなくセフィリアからも無言の圧力が放たれていた。
 根負けするよりも先に、張り合わずトレインも手を合わせ言葉を口にした。
「いただきます」
 朝っぱらから何故こうも自分のペースを乱されなければならないのか。
 セフィリアが用意した朝食が美味しかったことだけが、唯一の救いであるように思えてならなかった。

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