普通の生活を営む人間から見て例え自分が異端の存在だとしても、自分にとってはそれが普通であり、特別に何かを思うことはなかった。 ただその方が都合が良いからと所属した組織の中で、ナンバーズと呼ばれる十三人の暗殺者に選ばれてしまったこと。 だからと言って何か劇的に生活が変わるわけでもなく、やっていることはチンピラの時代から何一つ変わってはいなかった。 生きていく為の金を得る為に、指定されたターゲットをイレイズする。 ターゲットの名前も所属する組織も、生きてきた人生の背景も知らず左胸に鉛玉を置いてくる。 誰が呼んだのか黒猫と言う名から、最近は我知らず不吉と言うやつも左胸に置いてきているようだが、自分が関知していない以上やはり何か変わったわけでもなかった。 そして今日もまたトレインは、何処の誰とも知れぬターゲットのイレイズの為に、とある豪邸の敷地内にある林の中に身を潜めていた。 「今日の昼飯は何がいいか。近場の店は食い飽きたな」 今現在住処としているアパートの周りでは、賑やかな通りとは縁がない場所であることもあり、飲食店の数も知れている。 本気で商売をする気があるのか怪しい店舗や、在庫処分に躍起になっているような店ばかり。 いっそもう少し繁華街の方へと住処を変えるべきであろうか。 そんな悩みのの一つさえ、暗殺を前に神経を研ぎ澄ます暗殺者のものではなかった。 いたって普通のサラリーマンが辛い業務から逃避する為に呟いたり、考えたりすることと何一つ変わらない。 樹木と茂みを隠れ蓑に座り込んでいたトレインであったがとある音を耳にした途端、眼差しを変え、懐に手を忍ばせた。 耳に届いたのは、車の排気音、それも通常車ではなくリムジンのような特別な車に使われるものである。 今隠れている茂みから、屋敷の前に停まったリムジンまでは距離にして三十メートル少々。 停まったリムジンを囲むように身構えているSPの数も十を超えた程度で壁にもならない。 リムジンのドアが開き、ターゲットが降り立ちドアが閉められたのを機にトレインは茂みを飛び出し、懐から取り出したハーディスの撃鉄を起こした。 「リドリー氏をおまもッ!」 真っ先に叫んだSPへと目掛けて銃弾を放ち眉間を鉛玉で貫くと、そのままクイックドロウで近くに居たもう一人、さらに一人と撃ち殺していく。 後ろ姿でよく解らないが何かを抱えた様子のターゲットは一度リムジンのドアが閉められたことで、屋敷に逃げ込むかリムジン内に逃げ込むか戸惑いを見せていた。 そのターゲットを屋敷内へと連れて行こうとしたSPの一人をまたハーディスから放った銃弾で生命活動を終わらせる。 これで使用した段数は失われた命の数と同じ、四発。 まだ二発の弾をシリンダー内に残しながらも、トレインはシリンダーから全ての薬莢を取り出し新たに六発詰め込んでいく。 もちろんその間にも異なるSPからトレインは銃撃を受けていたが、突然の襲撃に慌てて放たれた銃弾などまず当たらない。 これならまだ新人暗殺者の方がましだと思えるまばらな銃撃の中をかいくぐり、勢いのままにリムジンの上さえ飛び越えていった。 ようやく自分の力で屋敷の中へと駆け込む決意を見せたターゲットの目の前に降り立ち、ハーディスをその眉間へと向け突きつける。 後は引き金を引いて直ぐにあらかじめ決めておいた逃走経路から逃げるだけ。 特に引き金を引くなどは子供でも出来る作業であるのに、トレインは瞳を見開いたままそれを行うことが出来ないでいた。 「た、頼む、子供だけは。金なら、依頼主の三倍、十倍は払う!」 「パパァ」 あらかじめ考えていたとしか思えない毎度ターゲットが懇願する願いごとなどどうでも良かった。 トレインが目を奪われていたのはターゲットが抱えていたものである。 書類の入った封筒でも、札束が詰められた鞄でもなく、慌しくなった周囲の状況に脅え涙を浮かべる幼い少女であった。 フラッシュバックがトレインの中の時間を止めていた。 血を流し床に倒れ伏す両親と、その両親を見下ろすザギーネという名の暗殺者、そして脅えながらも両親の死体から目をそらせないでいた自分。 「リドリー氏、伏せてください!」 そしてたった一つの銃声が、止まっていたトレインの時間を動かした。 「なに?」 腹から背中へと駆け抜けていた何か。 促されるように腹部へと手を伸ばし、再び手を持ち上げてみれば赤い液体が付着していた。 見慣れた赤い血液であったが手が全てそれに染まるほどに自分の体から流れている状況と言うのは、初めてのことであった。 「撃て、休みなく打ち続けろ!」 指示に従い次々に鳴り響く銃声が、トレインの体をまるで人形の様に弄んでいく。 三発、四発と数えた所で再起動したトレインの頭が、打ち込んできた人数分だけトリガーを引きSPを撃ち貫いていく。 SPの数は残り三人であるが、傷を負いすぎた上に、これ以上は応援が到着する可能性の方が高くなってくる。 トレインは目の前で伏せているターゲットを踏みつけ、逃げられない状態にしてからハーディスのトリガーを引き絞った。 今までに聞いたこともないほどに乾ききった音が鳴り響き、ターゲットが頭蓋から血を噴出し動かなくなった。 想定外の出血とそれに伴う熱からか、それ以降の記憶はトレインにとっては少し曖昧なものとなっていた。 いや、確かに怪我は想像以上に大きかったが、それは言い訳にすぎなかった。 自分はターゲットが子供を抱えていたことに驚き、躊躇した。 これまで両手で数えきろうとすることが馬鹿らしいほどの人間をターゲットとしてイレイズしてきた自分がである。 あるいは感傷、暗殺者となる切欠を思い出しただけだと自己弁護もできたことだろう。 今ここで、何処とも知れない路地裏で座り込んでいる自分の胸のうちにターゲットの子供を抱えてさえ居なければ。 「意味がわからねえ」 子猫のように小さな少女を抱えてはいても、血と一緒に四肢の力が抜け始め支えきれなくなり始めていた。 今ここで少女が目を覚ませば、傍らに転がるハーディスを手に父親の敵を討つことも可能であろう。 そんな考えさえ浮かんでくる自分を自嘲し、トレインは手当てもままならないままに壁に身を預けたまま動こうとはしなかった。 もう直ぐそこに死期が近付いていると感じはしても、何故か抗う気になれなかったのだ。 「あの時のアンタもこんな気持ちだったんだろうか」 自分の目の前で両親を殺し、ザギーネ自身も目の前で死を受け入れながら死んでいった。 もしかすると死期を感じ取ったのは最初に撃たれた時で、その時から我知らずザギーネと同じように死んでいくのを望んでいたのかもしれない。 暗殺のターゲットの子供に見守られながら、安らかに死を受け入れ消えていくということに。 「トレイン?」 ようやくしっくり行く答えを見つけたのに、トレインは薄れそうになる意識の中で名を呼ばれ、無理やり引き戻されていた。 路地裏の薄汚いアスファルトに散らばる砂利が滑る音が耳に残り、聞き覚えのある声の女性が近付いてくる。 霞んだ視界の中でそれが誰なのかはっきり映し込むことはなかった。 だがそれでもトレインはその聞き覚えのある声が誰なのか、はっきりと感じ取ることが出来ていた。 「セフィ、リア……」 「私自身、ただの暗殺任務でここまで大怪我を追ったナンバーズと言うものは初めて見ました。立てますか?」 「真っ赤に染まった地面を見てくれ、死にそうだ」 「いえ、それはわかっています。聞きなおします」 なんでこの状況で問答なのかと思いながらも、トレインは問いかけに耳を傾けるしかなかった。 「立ち上がり、再びクロノスの暗殺者として生きる意志はありますか?」 「さあな」 一度は死を受け入れた手前、トレインは生に執着することもなく本心を呟いていた。 だが自分が流す血とは別に、体の上に持たれ温もりを寄越してくる小さな少女を前に改めて言いなおす。 「生きる、手を貸してくれ」 例え気まぐれが生んだ結果だとしても、それがトレインの答えであった。
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