第一話 突然の初デート
「待ちやがれ!」
 昼間の喧騒を裂くように、言葉とは裏腹な楽しそうな男の声が飛んだ。
 声を放ったのは大きなボタンの付いたジャケットを羽織った若い男であり、追いかけているのはいかにもと言った顔をした男であった。
 追いかけられているせいか道行く人を老若男女かまわず押しのけ突き飛ばし逃げていく。
「どけぇ、道を開けろ。邪魔だ!」
 余りの行動に、追いかけていた男に併走していた幼さの残る少女が顔をゆがめ、その矛先をとりあえず隣の人物へと向けた。
 自分のミスからの結果なのか、若い男が視線をそむけて直ぐに少女の携帯電話が着信音を奏でた。
 男の助かったと言う顔をちゃっかり瞳に納めながら少女は携帯電話を取り出した。
「スヴェン?」
「一体何がどうなってるんだ。一向に追い込みポイントにこねえし、状況を説明してくれ」
「あ、姫っち待ッ」
 併走する男が止めるも間に合わなかった。
「トレインがまた、ふざけて取り逃がしたの。安心してスヴぇン、一般人への被害は全部トレインが持つって約束したから。あとお昼はおごり」
「言ってない。ずりぃぞ、姫っち。先にスヴェンに伝えたら、俺の否定の言葉は全部無意味になっちまうじゃねえか」
「うん、知ってて伝えた」
「したたかさは相変わらずで……ん? 俺?」
 あきれ返ったトレインへと、姫っちことイヴから差し出される。
 受け取ると、案の定相棒であるスヴェンと繋がったままであった。
「ただいまお掛けになった電話は現在つか」
『ふざけてる場合か。直前にイヴと話したばかりだ!』
「今のギャグ……三点」
「姫っち厳しい!」
「もちろん、百点満点で」
「思って頼りずっと厳しいぞ、せめて五点にしてくれ!」
 追跡中の漫才にキレたスヴェンのお小言が三分ほど続いた後で、トレインは必要事項を纏めて伝えると電話をきった。
 確かにこれ以上ふざけている場合でもなく、追跡相手は程よく息切れを起こし始めていた。
 なにも闇雲に追跡していただけではない。
 ある程度相手の体力を奪い、咄嗟の判断を鈍らせる為に走り続けていたのだ。
 その証拠に本気で走っていなかったトレインもイヴも追跡相手の犯罪者に比べ、息切れは全くしていなかった。
「トレイン、そろそろ。追い詰めすぎると、周りを巻き込んで逆切れしちゃうよ」
 解っていた事だが、改めてイヴに指摘された途端追いかけていた犯人が急遽その足を止めた。
 思ったよりも早く来た逆切れのタイミングに、トレインは腰のホルダーに納めてあった愛銃のハーディスへと手を伸ばした。
 一年ほど前に一度粉々に壊れたが、スヴェンに直してもらったものである。
 阿吽のタイミングでイヴが一歩抜け出し、トレインの発砲と同時に押さえ込む算段であった。
 だがトレインの発砲は行われずイヴもまた急停止せざるを得なかった。
「トレイン?!」
「よりによって、まあ。運がない」
 驚き振り返ったイヴが再度追跡相手の方へと振り向いた瞬間、トレインの言葉を理解した。
「おい、間抜けな掃除屋ども。動くんじゃねえぞ、少しでも動けばこの女の命はねえぞ!」
 トレインたちが追いかけていた相手は、一ヶ月に何度も強盗を行う連続強盗犯である。
 そんな相手が人質としてとったのは女性。
 だがただの女性でないのは、発砲を躊躇したトレインの行動が示していた。
「あ〜、お互い運が悪かったって事で大人しく捕まってくれねえかな? 多分、こっちほど優しくはねえぞ」
「それほど詳しい相手じゃないので、ノーコメント」
「はっ、知り合いかよ。しかもよく見たらなかなかの」
「「あ」」
 犯人が人質目的ではなく、単に趣味として近くに抱き寄せようとした瞬間、その体が宙を舞っていた。
 やっぱりなと言う意味をこめたトレインとイブの声が重なった時に、アスファルトの上に犯人の体が背中から落ちた。
「無粋なお人は好きではありません。しばらくしかるべき場所で、反省なさい」
 美女が凶悪そうな男を投げ飛ばした事で、周りの騒ぎは水をうったように静寂に包まれた。
 それも刹那の事で、ざわめきが歓声に、うねりへとかわっていった。
 だが歓声を送る者は誰も知らないだろう。
 華麗に犯人を投げ飛ばし、静かに言葉を放ったのは、セフィリア・アークス。
 世界の三分の一を牛耳るクロノスと言う組織、その暗殺集団であるクロノス・ナンバーズのリーダーである事を。





 通りの街路樹の下に設置されたベンチに座っているトレインは、セフィリアに借りたハンカチを冷やして右頬に当てていた。
 あの後犯人に逆襲されたわけではなく、トレインたちに追いついたスヴェンに何時ものように殴られたのだ。
 しかもナンバーズとはいえ、無関係のそれも女性であるセフィリアを巻き込んだ事にかなりご立腹であった。
 いつもの一.三倍は痛いはずだと無意味にトレインは断言していた。
「腫れはともかく、痛みは引きましたか?」
「だいぶん、悪いなハンカチ。今度洗って返すよ。次があればだけど……」
「ない可能性の方が高いですね。それは差し上げます」
 セフィリアは休暇中であるのか、いつもの制服ではなく白のワンピースとどこかお嬢様然とした格好であった。
 トレインと一緒にベンチに座っていると、トレインがボディーガードか何かのようであった。
 そのせいかはともかくとして、道行く人々は珍しいものでも見るかのように二人に視線をよこしながら通りを歩いていく。
 そのほとんどがもっぱら男であるのは、セフィリアのおかげであろう。
 当の本人たちは、そう思われているとも思わずに気楽にベンチに腰掛けているが。
「犯人引渡しの手続きはまだ時間がかかるのですか?」
「ああ、悪いな休暇中なのに。ナンバーズとはいえ、表向きは一般人を巻き込んだ格好だから絞られてるんだろうな。それに付き合う姫っちも真面目と言うか、勉強家と言うか」
「私は気にしていません。何処か行くあてがあって歩いていたわけではありませんので。かつて上司と部下だったとはいえ、旧知の仲の人と話すのも悪くはありません」
「まあ、俺とアンタが会ってるのをクロノスの連中が知ったら、いろいろと邪推しそうだけどな。あ〜、止めだ、止めだ。クロノスの事を考えるなんて!」
 わめくようにトレインが言うと、楽しそうなものでもないか辺りをキョロキョロと見渡し始めた。
 ブティックから陶器類を売る店、時には露天商なども通りに店を開いていた。
 どれもトレインの目を引く事はなかったが、たった一つ目を引いたのは古着屋であった。
 以前にも他の店で見た事があるように、お店の外に東洋の服である紺色の着物をマネキンに着せて展示してあった。
 着物を眺める事でトレインは、懐かしく一人の親友を思い出す事になった。
 お互いに男と女ではあったけれど、性別を越えた友情を感じるほどに、大切だと思えた親友。
 そんなトレインの目の前を、何を思ったのかセフィリアが横切っていった。
「セフィリア?」
 トレインの視線で古着屋の存在に気づいたのか、吸い込まれるようにそちらへと歩いていってしまう。
 慌ててトレインが後を追うと、セフィリアは先ほどトレインが見ていた着物に触れ始めた。
 そこでようやくトレインはセフィリアもジパングの事が好きな事を思い出した。
「なんだ、買うのか?」
「いえ、そこまでは持ち合わせがありません。眺めているだけです」
 そうは言うものの、セフィリアの顔は珍しく諦められそうにないような顔を表に出していた。
「なら着るだけ着てみたらどうだ? 着るだけならタダだろ」
「そうですが、少し時間がかかりますよ?」
「どうせ、スヴェンを待たなきゃいけねえから、一緒だろ?」
 トレインの言う事ももっともであるし、元々セフィリアは休暇中の身。
 躊躇する意味も理由もないと、店主を呼んでから着物を持って店の中へと消えていった。
 時間がかかると言ったセフィリアの言葉を甘く見ていたトレインが待ちくたびれた頃に、着物を着終えたセフィリアが戻ってきた。
 着物を着るだけではなく、長い髪の毛を結い上げてかんざしを挿すまでしていた。
 時間にして四十分ぐらいであろうか、店先で座り込んでいたトレインはとりあえずセフィリアの変わりように驚いたが、それもすぐに萎んだ。
「セフィリア、もう少し楽しそうにできないのか?」
「私は十分に楽しんでますが」
「いや、そうなんだろうけど、なんて言うかな。もっと笑ってみろよ」
 トレインに言われて、一応試みてみたセフィリアであったが笑顔とは言いがたかった。
 それは仕事や任務、何かを意図して浮かべるときと同じような微笑であり、トレインが少しばかり頭を抱えていた。
 どう言えば伝わるのか、サヤの言葉をまるまる借りるのもなと思っていると、着付けを手伝った女店主が表に出てきた。
「ほら彼氏が言う通りだよアンタ。もっと笑わなきゃ美人が台無しだよ。それと彼氏も、文句言う前に褒めてやりな。そうすりゃ嬉しくて自然に笑顔になるもんさ」
「彼女じゃねえし」
「彼氏でもありません」
 ほぼ同時に否定の言葉を発するも、通用はしなかったようだ。
「照れなくてもいいさ。なかなか良いカップルじゃないか。本当は十万するもんだが、まけにまけて三万でどうだい?」
「三万?! それでもめちゃくちゃ高くねえか?」
「それならかなり安いですね」
 なんとも対照的なトレインとセフィリアの反応に、店主が溜息をついていた。
 特にトレインへと向けて、解消なしだとでも言いたげに。
 挑発に乗るわけではなかったが、あいにくトレインの財布は羽毛よりも軽く、仕方がないと走り出した。
「んにゃろ。セフィリア、少しだけ待ってろよ!」
 そう言ったトレインが戻ってくると、その手にはお札がそのままで握られていた。
 かなりの距離を急いで走ったのか目ずらしく息切れするトレインは、叩きつけるように三万イェンを店主へと渡す。
「どうだ、これで文句ないだろ!」
「あの、トレイン。無理はしなくて良いのですが」
「無理じゃない! …………多分」
「多分は余計さ。彼氏を待っとる間にアンタの服は袋に入れといてやったらから。ほら手をつないで行っといで」
 店主の勘違いは最後まで続き、トレインとセフィリアは手をつながされてしまった。
 手を離せば店主がすっ飛んできそうな雰囲気もあって、店主からこちらが見えなくなるまでは歩くしかなくなってしまった。
 手っ取り早く、近くの交差点で道を曲がるために歩き出した。
「トレイン、本当に良かったのですか?」
「心配すんな。それよりも、セフィリアはちゃんと笑え。奢りで笑顔にならねえなんて変だぞ。だから笑えよ」
 理由になっていないためでもないだろうが、やはりまだセフィリアには無理なようであった。
 生まれてからずっとクロノスにいた以上仕方がないかとセフィリア自身ではなく、トレインが納得して予定通り交差点を曲がる。
 本来ならそこで手を離すはずが、待ち構えていたような人物の登場で中途半端につながれたままであった。
「こっちがお前のミスで絞られて、しかも戻ってきたと思ったら賞金の中から勝手に金をふんだくって。オマケに」
「和洋を併せ持った美人とデート。ろくでなし決定」
「ろくでなし?! 姫っち今日は一段と厳しくないか?!」
 イヴに詰め寄るよりも先に、スヴェンの右手がトレインの頬にまた突き刺さっていた。
 吹き飛ぶ過程でようやく二人の手は離れることになった。
 飛び掛るようにスヴェンがトレインへと追い討ちをかけ、いつもの些細な喧嘩を始めてしまう。
 その騒ぎから取り残されてしまったセフィリアは何を思ったのかその離れてしまった手をしばらく眺めていた。

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