頬を撫でるそよ風に包み込むような太陽の光
人間の感覚とはなんと素晴らしい事か
時には他人を包み込み時には突き放す
人間とはなんと未熟な精神だろうか
素晴らしき未熟者
私は人間をどう思っているのだろうか
ーブラッドー
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悠久幻想曲
第八話 人として
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時計の秒針の音が響く静かな夜、不規則なテンポではあるが本をめくる音も響く。
昼間は騒がしい連中に囲まれているアスカも、夕食を終えた後のこの時間だけは一人静かな時を過ごしている。
何時ものように旧王立図書館から借りてきた本を、これまた何時ものように読んでいるアスカだが、何時もと違うのは右手を包
む包帯だ。
「痛っ・・やっぱ妖刀で斬られただけあって、治りが遅い。」
『薬を付けてさえ、大して回復させられないとはな。』
アスカが妖刀で傷を負ったのはまだ三日前だが、普通の刀傷であるならほかっておいても既に治っている時期だ。
アスカは理由あって常人とは比べ物にならないほどに回復力が高い。
その理由の一つが、薬を使ったことが数度しかなく薬慣れしていないことである。
「このままじゃ痛くて集中できないし・・・久しぶりに外に出てみるか?」
『そうだな、偶にはそれも良いかもしれん。』
普段落ち着いた喋り方のブラッドの声が、僅かながら弾んだものに感じられる。
だがその僅かにでも弾んでしまった声がアスカの心を揺るがし、痛めていない方の拳を強く握らせる。
「早くみつけないとな。」
『焦るな、いつか必ず見つかる。それに私は、今の生活が気に入ってるのだ。』
いつも一緒にいるからといって相手の考えていることまでがわかるわけではない。
だからそれがブラッドの本心であるかどうかなどわからないが、気遣いの心は伝わってくる。
『明日は何もかも忘れて休め。』
早朝日が昇り始めてまだ間もないころ、一人の青年がエンフィールドの門に訪れた。
年はすでに二十歳を過ぎ二十三、四といったところだろうか無造作に腰まで伸ばした白銀の髪が朝日を反射し光のヴ
ェールを纏った様に見え気品を通り越して畏れさえ感じさせる。
「おはよう、今日一日この街に滞在したいのだがよろしいか?」
「・・・・お、おはようございます!」
一瞬青年に見とれて呆けていた門番だが、すぐに気を取り直し挨拶をするが敬礼しているあたりまだ正気ではないの
だろう。
「こ、こちらに氏名と簡単な住所、あとは所持している刀剣などをご記入お願いします。」
青年は一瞬困った顔をしたがすぐにペンをはしらせる。
「ブラッドさんですか・・・住所不定?」
「旅人をしているでね。」
旅人などは大抵住所不定なのだが、目の前の青年が旅人ということに無理を感じたのか怪訝な顔をされる。
旅人というよりはどこかの貴族のお忍び旅行のほうがぴったりと思ったのだろう。
「エンフィールドへようこそ。」
それでも何か自分を納得させる理由でも思いついたのだろう、お決まりの台詞でブラッドを迎え入れた。
「さてと、体を動かすのは久しぶりなのだが。」
右手をギュッギュと握って関節の動きを確かめる。
「悪くない・・しかし困ったな。朝食をとるにしても店が開いていまい。」
右手をあごに当てて考えるポーズをとったのは数秒、陽の当たる公園でブラブラ散歩することにした。
朝早いだけあって人の姿はほとんど見えない。
例外は朝の早い老人、そして自警団員であるアレン・エルスリードである。
おそらく朝の鍛錬が日課なのだろう、木刀を流れるように扱っている。
ゆるやかな風のようにふわりと舞い上がったかと思えば、突風のごとく体全体で突きをくりだす。
一通りの流れが終わったころにはブラッドは我知らず拍手をしていた。
「そこまで洗練されると、もはや武の域を越えて舞いだな。」
ブラッドに気づいていたのかアレンは驚いた顔をせず、おはようございますと言って続ける。
「途中から見られているのを意識して舞のほうにしたんですよ。」
アレンの晴れやかな笑顔は、ブラッドにとって舞の一部であるように見えた。
彼の最もよく知る青年はこんな顔で笑うことがあっただろうか。
常に意識を内に向けて広い世界を知ろうとしない。
「どうかしましたか?」
そんなブラッドの思考を中断させるアレンの声。
「いや、なんでもない。自己紹介がまだだったな、ブラッドだ。」
「アレン・エルスリードです、よろしく。」
差し出されたアレンの手をにぎり握手を交わす。
「鍛錬中にわざわざ舞を見せて貰ったからには、お礼をしなければならないな。」
「お礼なんていいですよ、舞ってのは見てもらうためにあるんですから。」
口ではお礼と言っているがブラッドにはどっちでもいいことなのだ。
一日を過ごすのに少し相手をしてもらえれば良いのだから。
最初は渋っていたアレンだが最後には折れて一緒にサクラ亭で朝食をとることにしたが、それには一人追加の申し込
みがあった。
「もう少ししたら女の子が来るんですよ、あ・・ほら。」
アレンの指差した方向にはリボンを付けたピンク色の髪の女の子が手を振っているところだった。
「お兄ちゃ〜ん、おっはよぉ〜。」
「パティちゃん、おはよ。お兄ちゃんとブラッドさんの朝ご飯お願いね。」
サクラ亭のドアをくぐると同時に、ローラがパティに二人の朝食を注文する。
ローラの分がないのは彼女が理由あって生き霊、精神体でご飯が食べられないからである。
「まったく朝から元気ね、ローラは。ところでブラッ」
パティの台詞は途中で途切れることとなった。
それはブラッドが店に入ってきた瞬間ブラッドに目を奪われたからであるが、すぐ気を取り直しローラを手招きで呼
ぶ。
「ちょっと、誰あの人?」
「しらなーい、お兄ちゃんの知り合いみたい。」
「まあ、いいわ。あたしもご飯つくったらテーブルに混ざるからね。」
この辺はパティも女の子である。
見目の良い人には多少なりとも興味を持つ。
「おにいちゃん、パティちゃんも後で加わるみたいだからカウンターじゃなくてテーブルにしましょ。」
ブラッドとアレンの二人はローラに促されるままに、テーブルに着きパティの料理を待つことにした。
「へ〜、ブラッドさんって探し物をしながら旅してるんだ。」
朝食の途中で喋るのも作法的によくないが、ここにそれをとがめるものはいない。
「何をかはいえないが、気ままな旅と言えば気ままだな。」
「探し物をしながら旅をするって、アイツと同じね。」
パティが言ったアイツとはアスカのことだが、ブラッドはほとんどアスカを自分として話しているからあたりまえの
ことである。
「アイツとは?」
実際アイツが誰なのか解っているのだが、当てるわけには行かないので知らない振りをするブラッド。
「アスカという人なんですけど、色々不思議な人なんですよ。」
この捕らえ方は、大方アスカの周りの人共通の捕らえ方だろう。
正体不明、記憶喪失の旅人。これで不思議と思わないほうがおかしい。
「アスカ?アスカ・パンドーラか。」
「ブラッドさん、アスカお兄ちゃんのことしってるの?」
「知っているも何も私はアイツの兄貴みたいなものだ。」
「「嘘!」」
「これは奇遇ですね。」
ブラッドがアスカを知っている時点ですら驚きなのに、さらにアスカの兄貴と言われては声をあげて驚くしかない。
一人驚いてるのか解らない反応がいるが・・
「ちょっと、本当にアスカのお兄さんならアイツ呼んで来ないと!」
「おちつけ、兄貴のようなものであって血は繋がってない。」
慌てて店を出て行こうとするパティだが、ブラッドの一言に呼び止められる。
「アイツが一人でも生きていけるように手伝っただけだ。」
パティが再び席に着いたのを確認すると、ブラッドは言葉を続ける。
「だが、それが良かったことなのか。」
「よかったことなのかって良いに決まってるじゃない。」
「そうですね、貴方のおかげで彼はいままで無事でいられたのでしょう?」
ブラッドの言葉の意味をローラとアレンはわからなかったみたいだが、パティは少し心当たりがあるようだった。
「アイツは強くなりすぎた・・一人で生きていけるほどに。」
強いことがいけないのか、一人で生きると言う意味がわからず三人はブラッドの言葉を待った。
「人は互いが互いに支えあいながら生きていくものだ。たった一人では生きていけない。だがあいつは違う。あいつ
はたった一人でも、寂しさも空しさもほとんど感じることなく生きていける。」
「なんで・・そんなことに。」
辛うじて声を出せたのはパティである。
「理由は言えない、それに過去より今だ。俺はアイツに普通の人として生きてもらいたい。」
これは純粋にブラッドの願いである。
10年前にアスカに救われ、彼から奪った多くのものを多少でも補いたい想い。
一人の人としての想い。
「だからお願いしたい。アイツに気づかせてやってくれ、人は支えあいながら生きていくことを。」
真っ直ぐな目をして頭を下げるブラッド。
三人はそんなブラッドに驚いたがすぐに笑顔で応えた。
「ブラッドさん、昼もうちで食べてく?」
あのあとしばらく普通の談笑をしていたが、アレンは自警団にローラは教会へと帰っていった。
今は昼前の仕込みの時間で客はほとんどいない。
「そうだな・・特にいくところも無いし、そうするとしようか。」
「あんまりお腹空いてないなら、ちょっと時間ずらしたほうがいいわよ。昼はかなり込むから。」
その言葉に従いどこかで時間をつぶそうとしたブラッドだが・・結局何処かに行こうという気にもならず、陽の当た
る公園に逆戻りとなった。
ベンチに座り姿勢は正しいままに体の力を抜く。
アスカ以外の人と話す事などめったにないので、思ったより疲れたのだろう朝より少し体が重く感じる。
「まったく、アスカもそうだがアンタも若さがないなブラッド。」
うとうとしかけたところで聞き覚えのある声に起される。シャドウだ。
「アンタがいるってことは、アスカは寝てんのか?」
「・・そうだ。」
ブラッドの返答を聞くと、シャドウはそのまま隣に座る。
「聞きたいことがあるんじゃないのか?」
ブラッドの方を見ずにシャドウは語りかけてくる。
聞きたいことは山ほどある、何故アスカを狙うのか、何故自分を知っているのか、何故・・
多すぎて何から聞いて良いかもわからない。
「お前は敵か、味方どっちだ?」
それで出た言葉がありきたりな言葉。
「大部分敵だ、最終的には味方だけどな・・げ!」
ずっとニヤニヤしていたシャドウの顔が青ざめ歪む。
ブラッドがシャドウの見ている方向を見るとその方向にはツインテールの女の子、マリアがすごい形相でこちらに向
かって走ってくる。
「みつけたわよ、シャドウ!なんで私はアンタを知ってるの!」
言ってる事がおかしい気もするが、どうやらシャドウを追いかけているらしいことはわかった。
「もしかして、狙ってここに来た訳ではなく逃亡中にたまたま寄っただけか・・」
「うるさい、いいかアスカに良く言い聞かせとけ俺は敵だってな。」
そう言い残すとシャドウはさっさと逃げ出した。
「まちなさ〜い!」
「断る!」
「待てって言ってるでしょ、ルーンバレット!」
「ノォ―――!!」
魔力球の爆発により何処かへ吹き飛ばされるシャドウ・・ここ数日のクールさはどこへやら。
「敵か・・だが悪い奴ではなさそうだ。」
ブラッドの出した結論も、アスカのシャドウに対する評価と大して変わらないものだった。
「さて・・サクラ亭で飯でも食うか。」
サクラ亭に戻ったブラッドはそこでアレフとシーラに出会い、これまた昼間にした説明と同じ事をすることになった。