俺さ、みんなが好きだ
みんなの笑ってる顔が好きだ
毎日顔をあわせて、挨拶を交わして
一緒に仕事をして、一緒に遊んで
皆の事が大好きだから・・行くよ
ごめん、お別れだ
ー アスカ・パンドーラ ー
□
悠久幻想曲
第三十七話 旅立ち
□
「・・・静かだ。」
その夜、再審請求を翌日に控えたアスカは一人自室のベッドの上で寝転がっていた。
その顔色や表情は優れず、しばらく天井を見つめた後、体を丸めた。
「寒い、一人は寒い。」
冷風に耐える捨て猫のように体を丸めるアスカ。
その眼には涙さえ浮かんでいたが、それを慰める者は今ここに誰も居ない。
寂しさと言う感情をどのように感じようと、今のアスカは言葉通り一人で耐えるしかない。
これからずっと。
「・・ッ。」
急に苦しそうに胸を押さえ、体を更に屈める。
「駄目だ。誰も殺させない・・」
呟くのでさえかなりの労力を使うのか、汗が流れていく。
数秒から数分へ、さらに数分たった頃にようやくアスカが一息ついた。
そしてベッドから立ち上がると、ほとんど使わない机の引き出しを開け取り出したのは、闇夜に薄く光るナイフ。
震える手でナイフを握るとそれを自分の手首に押し当てた。
ツーっと流れたのは赤い血。しかしその痛みに耐えかねるとナイフを投げ捨て、流れる血を見つめた。
「痛い・・嫌だ、怖い。死にたく・・・ない。」
今まで感じたことの無い恐怖による涙。
切りつけた右腕を抱えたアスカはその場で座り込み、動けなかった。
再審請求を行う役所の前には、今アスカに頼まれ彼に親しい者達が集まっていた。
それぞれが思い出すのは彼と出会ってからの一年間。
「まあ、俺たちは仕事柄投票には参加できないが、大丈夫だ。」
「私アスカお兄ちゃんが再審出来る方に丸うったよ。」
自警団員は捜査する本人だと言う事で、投票権を持たない。
だがそれを安心させるように言ったのはローラだ。魂も定着し病気も治りつつある。
「今まで色々あったけど、絶対街の人たちもアスカ君の良い所わかってくれてるはずよ。」
ローラを見て寂しげに微笑んだせいだろう、シーラが元気付けるようにアスカの手を取る。
「アンタ大丈夫?なんか顔色悪いわよ。」
「ちょっと、昨日眠れなくてな。」
「何柄にも無く緊張してるんだよ。大丈夫だって!」
アスカの背中を景気付ける様に叩いたアレフだが、その音に自分で驚いていた。
当然叩かれたアスカも喉に物が詰まった様にセキをしていた。
「ッテェ〜・・お前最近力がついてきてるんだから、自覚しろよ。」
「自分の事が解らないようでは、まだまだ半人前ですよ。」
「先は長いなぁ。」
遠い眼をしてごまかすアレフ。
その様子にアスカが笑い、次第に皆に笑いがうつっていく。
そして最後まで笑っていたのもアスカだ。ひとしきり笑うと真面目な顔をした。
「ここに入る前に、皆に言いたい事があるんだ。」
「ちょっと待った、坊や。まだホワイトとアーシャが来てないよ。」
「二人はまだ来ない。用があるから。」
アーシャは一週間前から、アスカ曰くホワイトの所へ行っているらしい。
しかし兄の再審請求にまで顔を出さないのは明らかにおかしいが、時間が無いため無理やり納得した。
「俺がエンフィールドに来てから、一年とちょっと。沢山楽しい事があった。」
一人一人顔を見ていき、言葉を続けた。
「俺は皆が大好きだ。ずっと、ずっと・・」
照れることなく皆を見据えて放った言葉。
皆も目をそらすことなく、アスカを見つめた。
そしてアスカが目を向けたのは、皆の中で一番後ろに居たマリアだった。
「マリア。」
「あ・・・うん。」
「シャドウは絶対帰ってくる。お姉ちゃんも、その時は頼むよ。」
「解ってるわ。貴方も、シャドウ君も私の大事な弟よ。」
マリアはアスカの言葉を信じ、アリサはかみ締めるように心のうちを言葉にした。
満足したアスカはこれから再審請求の結果が発表される講堂へと向かうため、役所のドアへと近寄った。
アスカの頼みにより、皆はここで帰りを待つ事になっていた。
後はもう結果を待つだけ、アスカはドアをくぐる前に皆に一度振り向き唇をそっと動かした。
一人だけその動きに気付いた。だが声の無い言葉に首をひねり、気にしない事にしたのはパティだった。
部屋の中心にはアスカが、その正面には結果を発表する役員が、そしてこの件に興味を持つ住人がぐるりとコロシア
ムのようにアスカの周りを囲んでざわめいていた。
アスカは顔を知らないため気付かなかったが、その中にはハメットの姿も見られた。
「皆さん静粛に。」
静かな声だが、その声に少しずつざわめきが消えていった。
「これよりフェニックス美術館盗難事件、再審請求の結果を発表いたします。」
役員の手には結果を示した紙が握られていて、アスカをじっと見た。
今まで何度も体験した手順なのだろう。発表の前に当人の意思を確認するのは。
「被告アスカ・パンドーラ、君はこの盗難事件を否認しますね?」
役員にとっては、この確認は当然のものだが観衆はざわめいた。
否認するに決まっているだろうと。
「皆さん静粛に!」
今度は叫んだ役員にざわめきが一気に消えた。
消えてから数秒、大勢の観衆の中で下を向いていたアスカは顔をあげた。
そして告げた。決して大きくは無い声で。
「僕がやりました。」
「そうですか。それでは、結果・・・・・なんですと!」
驚く役員にもう一度アスカは言った。
「僕がやりました。」
役員だけでなく、観衆・・そしてハメットもこれには驚いていた。
一年間それなりに働き、ずっと無実を主張してきた当人が今になって認めたのだ。
驚かない方がおかしい。
「き・・君は、フェニックス美術館盗難事件の容疑を認めるのだね?」
上ずった声で問いかける役員に、観衆は静まり、アスカは口を開いた。
「僕の本当の名前は、シャドウ・パンドーラ。あの窃盗事件は、すべて僕がやりました。でも・・共犯者が居ます。
その人の名前はハメット・ヴァロリー、ショート財団秘書と言う肩書きの男です。」
ハメットにアスカの独白を止めるチャンスは無かった。
アスカは止まることなく独白を続け、ハメットもこの予想すら出来ない事態に固まっていた。
「一年前・・そこからすべては始まりました。ショート財団の研究所で偶然生まれた人工生命。それを量産しようと
したハメットは、より清らかな土地を求めジョートショップを狙った。」
あらかじめ何度も練習したかのように滑らかな言葉。
「そして旅人である僕をジョートショップに住み込ませ、女主人が僕に程よく情がうつったところで事件を起こし、
彼女に保釈金である十万Gを払わせそれをハメットが肩代わりした。後は・・・話さなくても解るでしょう?」
ざわめきしか聞こえなくなった講堂で、ハメットはようやく我に返り身を隠そうとしたが遅かった。
講堂に入るには名前の記帳が義務付けられている。
ハメットがこの場に居る事は等に役所に押さえられており、ハメットの両脇には屈強な男が居た。
「何をするんですか!あんな犯罪者の言葉を鵜呑みにするんですか!」
「だからといって無視するわけにもいきません。無実であれば直ぐに釈放ですよ。」
騒ぐハメットを押さえつける男、私服にふんした自警団員だろうか。
そしてアスカの元にも男達はやってきた。暴れる様子が見て取れないと、ゆっくりとその手に手錠をかけた。
もちろんこれから自警団事務所で取り調べであり、そのためには外へ・・・皆の前へ出なくてはならなかった。
この場に居る誰が今の状況を予想しただろうか。
荒々しく開けられた役所のドアからは、大勢の人が流れ出て道を作るように両脇に分かれた。
そしてその道を歩くのは手錠をかけられたアスカと見知らぬ仮面の男。
「道を空けて下さい!空けて下さい!」
アスカを引き連れた男が叫ぶ。
「ちょっとどういう事よ!」
「アスカ君!何があったの!」
パティとシーラ、他の者の叫びも、群衆に消えていった。
それぞれが群集によりもみくちゃになり、バラバラに引き離されてしまった。
アスカはゆっくりと視線を皆に移し、話しかけられなかった事にほっとして歩いていってしまった。
皆が事の顛末を聞かされたのは、自然と集まったサクラ亭であった。
しかしおおよその事は集まる前に聞いてしまった。号外まで出ているのだ。
今やアスカの・・今はシャドウと名乗る少年を知らぬ者は、エンフィールドに居ない。
「・・ッ・・なんで・・どうして、アスカ君。」
涙を流すシーラだが、慰める者は誰も居なかった。
皆それ所ではなかった事もあるが、慰めの言葉を持っていないこともあった。
アリサは事を聞いた後寝込んでしまい、アルベルトがジョートショップへ連れて行った。
「・・・・・本当、なんでしょうか。」
ポツリと漏らしたのはクリスだった。
その先は言わなくても解った。アスカが喋ったことだ。
「信じたくねえ・・でも、なんで今頃になって・・・・・騙すなら最後まで騙せよ!」
「どっちが本当の坊やなんだろうね。」
アレフの叫びに続いたリサの疑問に答えられるものは居なかった。
今まで自分達が共に居たアスカ。事件の全貌を話したアスカ。
「マリアが・・・マリアの家が悪いの。」
「違うわよ。マリアが悪いわけじゃないわ。」
今のパティなら全てが理解できた。
ハメットと言う男と共謀したのはおそらくシャドウの方。アスカは和解した後、それを隠した。
そして今、帰って来ると言ったシャドウを庇い・・・すべての罪を被ったのだ。
「悪いのはアスカよ。何も知らない癖に、なんでも隠そうとして・・」
「それじゃあ何?パティちゃんはアスカ君を信じてないの!」
そっと呟いたパティに噛み付いたのはシーラだ。
だがパティは冷静だった。
「シーラも・・他のみんなも、アスカの事を知らな過ぎる。」
「じゃあ、パティちゃんはアスカ君の何を知ってるって言うの!」
「私も全部知ってるわけじゃないけど、シーラよりは知ってるわ。アスカは子供よりもっと無垢なの。アスカは人を
好きになることはあっても、嫌いになる事は無い。だから逆に人をより好きになって愛する事が出来ない!愛さえ
知らない!」
「もういい!もういいから・・」
その言葉は特にシーラに衝撃を与えた。
それはパティの思い込みかもしれない、だが本当にそうなのか自分がまよってしまっていた
パティの両肩に手を置いて止めたのはアレフだ。
「よくない!私もアスカが好きだったから良く解る。アイツを振り向かせようとしても駄目なの!手をとって、母親
みたいに何度も優しく教えて・・・でも、私にはできなかった。」
最後はもう消えそうな声だった。
取調べが終わった夜、アスカとハメットはお互い隣の牢に入れられていた。
アスカの証言からショート財団の秘書室を取り調べ、出てきたのはジョートショップへの借用書。
他には人工生命に関する調査資料、清らかな土地を欲する理由などアスカの証言を裏付ける物ばかりだった。
「本当に・・信じられない人ですね、アスカ君は。」
「俺はシャドウだ。」
律儀に答えてきたことへか、答えそのものへか、ハメットが薄く笑った。
「私にとっては、もはやどうでもいいことです。ショート財団の秘書の地位を奪われては、生きる意味も・・母の遺
言を果たす事もできない。」
「・・そんな・・・ァツ、グゥ。」
「な・・なんですか!苦しいのですか!」
突然唸り声が聞こえ、ハメットは鉄格子からなんとか隣のアスカを見ようとする。
しかし鉄格子からは顔さえ出す事が出来ず、そのうち唸り声は収まった。
「・・・なんでもない。」
「まったく、びっくりさせないでください。」
「陥れようとした人間を心配するのか?」
「私は好き嫌いで人を落としいれはしません。現に私は貴方が嫌いどころか、好意を抱いていた。」
隣の牢からアスカの驚きの声が聞こえ、ハメットは微笑んで続けた。
「亡き私の母の口癖は、私の祖先は偉大なる王に使える騎士だったと言う事でした。今の時代、王政はかろうじて残
っているとは言え、それは偉大な王とは程遠い。いまや世界を動かすのは王ではなく商人。だから私は王に騎士と
して仕えるのではなく、偉大な商人に秘書として仕える事で過去の威光を亡き母のために取り戻そうとしていっ
た。」
「偉いな・・お前。」
「陥れようとした人に言われるのは、変な感じですが・・今となっては、どうでも良いことです。」
もう一度ハメットがどうでも良いことと呟くとお互いに口を閉じた。
今の季節鉄格子の窓からは虫の声など聞こえない。聞こえるのは隙間を流れる風の声。
「王・・獣の王。」
アスカの呟きに、ハメットが壁の向こうへ顔を向けた。
「ハメット・ヴァロリー、お前は王に仕える気はあるか?この世に存在する四人の王の一人、獣の王ブラッディ・ア
イに。」
アスカの問いかけにハメットは疑問符しか浮かんでこなかった。
当然だ。四人の王を知る人は、アスカとシャドウ、アリサとカッセルとたった四人しかいない。
ハメットが何をと問い返そうとした時、それは起こった。
見えたのだ。壁の向こうに居るはずのアスカが見えた・・・壁が音も無く消滅したのだ。
アスカはハメットの方を見ていた。その両の目を赤く光らせ。
月の無い闇夜を失踪するのは二つの影、アスカとハメットだ。
ハメットはアスカの内にある何かを感じ取り、素直に言われるままに忠誠を誓ったのだ。
そして脱獄。おそらくまだ誰も気付いていないだろう。
「アスカ様。どちらへ向かわれるのですか?」
「俺はシャドウだ。二度とアスカと呼ぶな。」
「かしこまりました。シャドウ様。」
二人は祈りの灯火の門を抜けても走り続けた。
たとえ自警団が来ても逃げ切る自信はアスカにはあった。
一番恐れたものは・・自分自身。簡単に捨てられると思った街への未練。
「こんな夜更けに男同士で散歩とは、寂しいのぉ。」
突然聞こえた声に二人は足を止めた。
警戒を始める前に、二人の少女が現れた。
「アスカ兄様!何を考えてるですか!」
「アーシャ・・それにサーシャ。あの二人は居ないようだな・・お前たちだけ予想外に魂の定着がはやかったか。」
アーシャと共に現れたのは、アーシャにそっくりな風貌の少女。
彼女こそかつてエルの魂に封じられていた邪龍である。
「シャドウ様。」
「いや・・いい。俺が話をつける。」
アスカの前に進み出たハメットを制し、下げさせる。
「アスカ兄様行かないで、ちゃんと話せばみんなわかってくれるです。アスカ兄様が戻らないなら、アーシャも着い
て行くです!」
「駄目だ。お前はここに居るのが一番だ。」
「嫌です!アスカ兄様、本当はここにいたいのに・・アーシャもアスカ兄様を手伝うです。」
真剣なアーシャの眼差しに、アスカがふっと目元の力を抜いた。
そして懐をあさり、取り出したのは一通の手紙だった。元々は何処か他の街についてから出すつもりだった手紙。
「これをお姉ちゃんに渡してきてくれ。そうしてくれたら・・アーシャも連れて行く。安心しろ、ちゃんと待ってる
から。嘘だったら、俺を嫌いになってもいい。」
「絶対です。絶対ですから!」
手紙を受け取ると、何度も確認しながら走っていくアーシャ。
ついに見えなくなったアーシャに、ほっとするとアスカはエンフィールドに背を向けた。
最初から待つ気などなかった。口に出したとおり、アーシャにはエンフィールドに居る方が良いと思ったから。
「やれやれ・・ああも純粋だと、本当に童の双子か怪しいのぉ。」
「シャドウ様。こちらの方は・・」
「サーシャは騙されるほど純粋ではないからな。連れて行くしかない。」
「お主妹の目の前で不純とぬかすか。」
何も答えず歩いていくアスカに黙って従うハメット。
サーシャも一時は膨れたもののついていった。
十年前から捜し求めた物はすべて手に入れた。だが、また新たな探し物が出来てしまった。
今度は何年かかるのか・・当ての無い旅。
早朝のまだ日が昇って間もない頃、エンフィールドを駆け抜ける二人の男の姿があった。
一人は黒髪のボサボサ頭の黒服の青年。もう一人は、長い銀髪を無造作に垂らした白服の青年。
立ち止まることなく二人が向かった先は、サクラ亭であった。
「アスカ!アスカは何処だ!」
サクラ亭の扉を荒々しく開けた黒服の青年が叫んだ。
その声に起こされたかのように、テーブルでうつ伏せで眠ってしまっていたパティが眼を覚ました。
あのままサクラ亭で夜を明かしたのか、シーラやアレフなど皆の姿が見られた。
「誰でも良い。アスカは・・再審請求はどうなったのだ!」
次に叫んだのは銀髪の青年。
パティはその青年を見て、眠たげな眼を見開いた。
「ブラッドさん!なんでここに!」
「説明は後だ。どうなったのだ。」
「誰でもいい、説明してくれ。」
急かすブラッドに続いた黒髪の青年を見て、再びパティが驚く。
「アスカ!なんで・・どうして!」
「俺はシャドウだ。アスカの探し物ってのは人工的に作られた肉体と、魂を移動させる魔法だったんだ。俺とブラッ
ド、アーシャとサーシャも今はもうちゃんとした人間なんだ。」
「え・・サーシャって・・・」
一向に話が進まないので、シャドウが苛立ち頭をガシガシとかく。
これだけ騒げば当然なのだが、パティのほかにも寝ていたものが眼を覚ましだす。
「シャドウ!」
「マリア・・一発で見抜くなんて、さすがだ。教えてくれ、再審請求は?」
飛びついてきたマリアを受け止めると、パティに今一度問う。
「アスカは・・自分が全部やったって証言して、今は自警団の牢屋よ。」
「馬鹿者が・・・・シャドウ、行くぞ。」
「解ってる。マリア、すまん。まだやる事が残ってる。」
首に手を回しているマリアを放そうとするが、いっそう力を込められてしまう。
困ったシャドウは、マリアの背中をポンポンと叩いてやると静かに言葉を連ねる。
「もう、何処にも行かない。俺はここに居るから。」
「本当に?」
「嘘はつかない。」
約束の証であるかのように、そっとマリアにキスするシャドウ。
マリアは安心した顔になると、ようやくシャドウから手をほどいていった。
シャドウがもういいぞとブラッドに顔を向け、二人してサクラ亭を出て行ったが、直ぐに立ち止まる事になった。
サクラ亭を出て直ぐ・・アーシャが泣きながらこちらへ歩いてきたのだ。
「アーシャ!」
「アーシャ、どうした何かあったのか!」
しゃくり上げるアーシャは喋りたくても喋れないようだった。
二人は急いでいたが、シャドウがなだめるようにアーシャを抱きしめ落ち着けてやる。
「ゆっくりで良い。何があったんだ?」
「・・グッ・・・ェ・・アスカ兄様が・・アスカ兄様が。」
アーシャが乱れた息を整えている間、サクラ亭にいた者たちも外へと出てきた。
「アスカ兄様・・アーシャを置いて行っちゃった。待っててくれるって・・・約束したのに・・・」
「な!・・・ちくしょう!!」
アーシャを置いて走り出したシャドウの変わりに、ブラッドがアーシャを抱き寄せる。
「遅かったか・・すまん、アーシャ。」
「ブラッドお兄様は悪くないです。・・・アーシャ、アスカお兄様が嫌い・・・・・です。」
「ブラッドさん、一体どういうことなの?」
必死にアーシャをあやしている時に聞きにくかったのだが、パティが意を決して問いかけた。
突然現れたシャドウとブラッド。行方不明だったはずのシャドウ。もう一人のアスカであるはずのブラッド。
何がなんだか話が全く見えてこない。
「結論だけ言う。」
沈痛な面持ちになったブラッドに、未だ寝ぼけ眼だった者も一気に眼を覚ました。
ためらいがちに開かれたブラッドの口から告げられたことは。
「アスカはもう・・エンフィールドから姿を消した。」
「嘘・・だってアスカ君は今、自警団事務所の牢屋に。」
「アスカに人の作りし牢など意味を成さない。それに、アスカには行かねばならぬ理由がある。」
告げられた事実を信じたくないのか、小さなシーラの呟きにブラッドは答えた。
今まで何のためにアスカが十年もの間旅をしてきたのか。
それは今ブラッドがいる事で叶えられた。だとして、次なる旅の目的とは・・・
シャドウが向かった先は、ジョートショップだった。
本当の意味での肉親、アリサにだけは何か残していくだろうという考えでもあった。
「お姉ちゃん!」
だが、シャドウの予想は正しかったものの・・良いことではなかった。
早朝であるにもかかわらず、食卓のテーブルに座っているアリサ。
そしてその手には手紙が握られ、アリサは顔を伏せたまま微動だにせず涙を流していた。
「アスカ・・アスカ・・・・・」
シャドウはそんなアリサを見て、そっと背中から抱きしめた。
しばらく泣き続けたアリサも、次第に落ち着いたのかようやくシャドウの存在に気付いた。
「シャドウ・・あの子は・・・・行ってしまった。」
差し出された手紙を受け取り、文面に眼を通す。
決して奇麗な字とはいえなかったが、そこには短いが旅の理由が書かれていた。
【お姉ちゃん、シャドウ、ブラッド、アーシャにサーシャへ。 】
【この街で遣り残した事はすべて終えた。だから、また旅に出るよ。 】
【獣の王、ブラッディ・アイの本能が俺の中にいるから。こいつを封印する方法を探しに。 】
【何時までかかるか・・・何年後か、何十年後か。また世界を回るよ。 】
【後、これは個人的な頼みだけど・・お姉ちゃん、シャドウをアスカって呼んであげて。 】
【シャドウもアスカを名乗れ、お前にはその権利があるから。 】
分かれの手紙にしては短い文章。字が汚かったのは、時間が無かったからだろうか。
どちらにせよ、一方的な別れの手紙。
「ふざけるな・・・ふざけるな・・・俺は、シャドウだ!アスカじゃない、シャドウだ!」
シャドウの叫びで再び涙を流し始めたアリサ。
旅に出た理由もわかる。しかし、この手紙には最も重要な事が書いてないのだ。
「帰ってくる」その一言が、この手紙のどこにも書いてなかったのだ。