悪は滅ぼさねばならない
俺の悪は、俺から大切なもの奪う者
お前の悪は、ニンゲン
俺は俺から大切なものを奪う者を滅ぼした
次に滅ぼすべきものは何だ
ニンゲンなのか
ー シャドウ・パンドーラ ー
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悠久幻想曲
第三十四話 決別
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紅月の事件からすでに一週間が経とうとしていた。
アスカは未だクラウド医院で目覚めることなく眠り、シャドウも姿を消したままであった。
皆の必死の捜索にもかかわらず。
「何処なのよ。何処行っちゃったのよ!」
走りながら自らを奮い立たせる言葉を発したのはマリアだ。
その行き先は、シャドウに教えられ一緒に通ったオープンカフェ。
「マスター!シャドウを・・・シャドウを見なかった?」
おそらくマスターである老人の耳にもシャドウ失踪の話は届いていたのだろう。
必死の形相を見せるマリアを見て悲しげに首を横に振った。
「一週間前に君と来たのが、私のみた最後だったよ。」
「そう。あの、シャドウがもしきたら連絡頂戴。」
「もちろんだよ。」
老人独特の落ち着ける笑みを貰うと、マリアは直ぐにまた別の場所へと走り出した。
「シャドウ君、彼女を悲しませるなんて彼氏失格だよ。」
走り去るマリアの背中を見つめ呟くマスター。相手はもちろん行くえの知れないシャドウ。
この一週間、シャドウを探し回っているのはマリアだけでなかったのだ。
シャドウの行きつけのカフェの主人、彼もまたシャドウを心配する一人だった。
この一週間でマリアは思い当たる場所をすべて回り終えていた。
シャドウと一緒に行った雑貨店、レストラン、何をするでもなく歩いた川べり。
そして残った場所は一つ、あの日カフェを出てから向かった・・・告白を受けた公園。
「ここ。」
本当にそこが最後であった。ゆえにマリアはそこへ行く事を恐れていた。
そこに居なければ、もう何処を探せば良いのかわからなかったから。
「ここに居なかったら・・」
自分の考えを振り払うように頭を左右に振る。
たしかに怖かった。だからといって探さないわけにも行かない。
ゆっくり、一歩ずつ歩いていくと植木の影からベンチの角が見え、誰かの組まれた足が見えた。
しっかりと確認する前に足が勝手に走り出していた。
植木を回り込みベンチの正面へと出る。
「シャ・・ド・・・・ゥ。」
喜びが一瞬で去っていった。
「あの・・何か用ですか?」
息を切らせたマリアを見て、怪訝な顔をする見知らぬ男。
何処をどう見てもシャドウと見間違える事はできなかった。
「なんでもないです。人違い・・・・でした。」
言葉が終わらないうちにきびすを返し、そこから逃げるように走り出した。
しかし長い間走ることは出来なかった。
どうして良いのかわからない動揺、流した涙で息が乱れていた。
「・・ック、なんで・・・・ゥ・・私まだ・・・返事してない・・」
拭っても拭っても止まらない涙。
悔やまれるのは、告白に対する返事が無いままであった事。
そして立ち尽くすマリアを眺めるのは、死角である樹木の陰に背を預け立つシャドウ。
「マリア。」
悔やみ、悲しみ、苦しみ、多くの感情がつまった呟き。
出来るなら今すぐにでもマリアを抱きしめたかった。そうしないのは、何時まで自分が自分でいられるかと言う不安。
もう自分を本当の意味で止められるのは、アスカだけになってしまったから。
「卑怯だよな、俺。」
その手の中にあった一枚の符を握り締め、潰した。
「でも憶えていて欲しいんだ。お前にシャドウって人間が確かに居た事を。」
握り潰した忘却の符を破り捨てると、静かにその場を去っていく。
シャドウは二度と振り向かなかった。
「私も・・・好きだったのに・・」
届かないマリアの呟きが、風に流され消えていった。
アスカが目を覚ました時、最初に見たのは泣き顔のシーラだった。
そこはクラウド医院の病室。シーラのほかに居たのはアーシャだった。
「アスカ兄様!」
ゆっくりと病室のベッドから体を起こすと、泣きついてきたアーシャを受け止めた。
衝撃で痛みが体を駆け抜けたが・・おかげでリサをかばい、紅月に斬られたことを思い出した。
胸に手を置くと、そこには何重にも巻かれた包帯。
「よかった。・・一週間も起きなかったんだから。」
「なにかあったのか?」
喜んではいるのだが、僅かなかげりが気になった。
「シャドウ兄様が、居なくなっちゃったです!」
「いなくなった?」
「アスカ君が大怪我をした日に、突然・・・皆探してるんだけど、なんの手掛かりも。」
目を伏せたシーラを見て、何故だと考えるが情報が少なすぎた。
「あの後一体何があったんだ?」
「あの時アスカ兄様が斬られて、急にシャドウ兄様の様子がおかしくなったです。」
涙を拭いて話し出す。
出来るだけ詳しく話したかったが、アーシャ自身も多くの事は知らなかった。
結局話せたのはシャドウの様子がおかしくなり、その後ブラッドが出てきて紅月から逃げ出した事。
「最後にシャドウ兄様を見たのは、カッセルお爺さんです。でも・・何処かに走り去ったってだけで、手掛かりはな
いです。」
まだ少ししゃくり上げている、アーシャの背を撫でる。
「おかしくなった」と言う表現には心当たりがあった。大武闘会、ピートの事件、シャドウの異変は何度か見ていた。
本当にそれなのかは、本人に確認しなければわからないが。
シャドウが居なくなったとしたら、マリアがそこら中を探しているはずだ。
自分が思いつくような場所なら、大抵探されている。
『すまん。私がついていながら。』
(俺もただ斬られただけで、何も出来なかった。)
ブラッドの謝罪に一時思考が中断される。
『これ。二人して暗くなるでない。何か無いのか、シャドウが行きそうな場所の心当たりは。』
(そんなのマリアがとっくに・・)
『印象の残り方なぞ、人それぞれじゃ。マリアに残っていなくとも、シャドウやお主はまた別じゃろ。』
その言葉に何処か忘れかけていた場所が、頭を通り過ぎた。
マリアが忘れようとしていて、自分達には強く残っている場所。
ぼやけていた風景が、少しずつ思い出されてくる。そして強くひらめき「あっ」と声を上げる。
「何か思い出したですか?」
「アスカ君。」
深い思考に沈んだアスカを邪魔しないように、黙っていた二人が身を乗り出した。
「あそこだ。自信ないけど・・・他に考えられない。」
自分に言い聞かせるように呟くと、ベッドから立ち上がろうとするアスカ。
もちろん病みあがりなため、シーラとアーシャが止めた。
「まだ起きちゃ駄目。本当に大怪我だったのよ。」
「そうです。場所さえ教えてくれれば、私達が行くです。」
そんな二人の制止もアスカを止める事は出来なかった。
アスカは首を横に振り、口を開く。
「俺じゃなきゃ駄目なんだ。シャドウは俺を待ってる、そんな気がするんだ。」
シーラとアーシャを順に一度ずつ見つめ、もう一度口を開いた。
「頼む。無理はしない・・・行かせてくれ。」
傷のせいではない、他の痛みに耐えるアスカの表情。
二人にはそれいじょう止めることは出来なかった。
せめて連れて行ってくれという二人の言葉を断ったアスカが歩いているのは、街の西門から行ける山道だった。
一歩、歩くだけで衝撃が体を突き抜けるため、かなりゆっくりではあったが。
『アスカよ。一体何処へ向かっているのだ?』
「あ〜・・ッ、ちょっと余裕ねえわ。」
息が荒く、喋る事でさえかなりの体力を消耗してしまう。
『童には解りそうに無いが、着けばブラッドにも解るのであろう?』
「そういう事にしておいてくれ。」
『むぅ・・』
それ以降何も問わずに、アスカが歩く道筋を眺める。
本当にゆっくりだが移っていく光景に、ブラッドも予想がついてきた。
普段の倍以上の時間をかけ登り行き着いた場所は、山頂。
そしてアスカが来る事が解っていたかのように、そこで待っていたのはシャドウであった。
「やっぱりな・・・ここだと思ったよ。」
そう思った理由は、マリアが忘れたいと思い、自分達に強く印象のある場所。
ここはアスカとシャドウが、命を懸けてぶつかり合った場所。言い方を帰れば初めての兄弟喧嘩の場所。
膝に手を置き息を整える。
「帰ろうぜ、シャドウ。皆心配してる。」
右手を差し出すと、シャドウが歩み寄ってくる。
そこからは事後でも信じられなかった。
大した音はしなかったが、痛む右手・・・シャドウに払われたのだ。
「なんで・・」
「くだらない兄弟ゴッコも今日までだ。」
言葉で言われてもまだ信じられず、ひりつく右手を見つめるアスカ。
「俺を殺せ、アスカ。」
その言葉にビクッとアスカが震えた。
「何だよ・・・それ。」
「まだ俺が俺で居られる内に殺せ。」
「なんでだよ。」
「後悔したくなければ、殺せ。」
「なんなんだよ、一体!!」
言葉とは裏腹に冷静なシャドウに比べ、アスカの言葉は次第に叫び声となっていった。
憎めと言われた事はあった。でも、今はすべての理由を知っている。
だったら・・・今度は何故。
「なんで殺さなくちゃならないんだよ!好きな奴殺して後悔もくそもあるか!」
自然とアスカの目から涙がこぼれていた。
しかし、それでもシャドウの異様な冷静さを奪う事は出来なかった。
「今俺を殺さなければ、お前はもっと多くのものを失う。それだけだ。」
「格好つけるのはマリアの前だけにしやがれ!馬鹿な事・・くだらねえ事言うな!」
叫んでからアスカはめまいがした。
無理をしたせいか、胸の傷が開き血がにじんでいた。
それでも気を張って叫ぶ。
「俺は絶対認めないからな!お前は、絶対に・・連れ・・・・・・る。」
糸の切れた操り人形のように崩れ落ちるアスカ。
地面に倒れてもシャドウは微動だにせず、見ているだけであった。
今まで黙って静観していたブラッドだが、いっこうに動く気配の無いシャドウを見て、アスカと変わった。
ゆっくり立ち上がると土を払い向き直った。
「一体どういうつもりだ。」
静かだが、怒りにあふれた声だった。
「言ったろ・・アスカに殺して欲しいだけだ。」
「死にたいのなら、何故それをアスカにやらせようとする。」
ほんの僅かだが、その問いで動揺が見られた。
しかしほんの一瞬だった。
「別に、自分で死ぬのが怖いだけさ。」
数分互いに向き合ったまま見つめる。先に動いたのはシャドウだった。
きびすを返すとこの場を立ち去ろうとした。もちろんブラッドは制止の声を掛けたが、無意味だった。
目的・・それが本心かどうかは置いておいて、知ることが出来た。
しかし、その理由については結局解らずじまいであった。
再びアスカが目覚めたのは、クラウド医院のベッドの上であった。
病み上がりで勝手に出歩いた事で、それを見逃したシーラとアーシャも一緒にトーヤに叱られた。
その後は結局ベッドに逆戻り。
「なぁ、ブラッド。シャドウ何か言ってたか?」
『いや、何も。私が表に出ても、殺せとしか・・・』
思い出したのはシャドウの瞳。
必死にその心内を隠し、押し込めていた。
「わかんね。なにがシャドウをあそこまで・・」
『お主にわからぬ事を、シャドウや童が解るはずなかろう。』
当然と言えば当然の言葉だった。
その日は一睡もすることなく、アスカはシャドウの事を考え続けた。
だが、答えが出る事も無く、アスカは翌日に退院をすることになった。
アスカが一心に考え事をしている間、シャドウはとある人物と密かに会っていた。
「期待していなかったわけではありませんが、まさか戻ってきてくれるとは。」
「勘違いをするな。戻ってきたわけじゃない。」
シャドウの正面のデスクに座っているのは、ショート財団秘書のハメット・ヴァロリー。
戻ってきたとは、シャドウが居るその部屋がハメットの専用室だったのだ。
「今や、あの土地をお前に渡すつもりは無い。あそこはアリサさんやアスカ、アーシャの場所だ。」
「それは残念ですね。」
確かに状況を指せば、シャドウはハメットの下に戻ってきた事になる。
だが本人には利用はしても、簡単に利用されるつもりも無かった。
結果的にどのように事が動いてしまうかは、想像できてしまっていたが。
「それで、以前お前が言っていた話は本当か?」
「雷鳴山の火山抑制装置。当時は半信半疑でしたが、最近その確認が取れました。」
「そうか。」
ハメットから資料の束を受け取ると、パラパラと無造作にめくる。
「貰っておく。」
きびすを返し、不必要なほどに大きなドアまで移動した時、ハメットがその口を開いた。
それは利用し利用される者だからか、それともその放たれた言葉通りだろうか。
確かなのは気紛れでなどという、不確かなものではないと言う事だろう。
「似ているとは思いませんか?」
その一言でシャドウの足が止まった事を確認すると、続けた。
「シャドウ君、君と私がです。例え誰に嫌われようと、自分の信じる道を突き進む。君は、それが親しき者のためで
あり、私はすべて自分のためであると言う違いはあれ。」
一呼吸間が置かれた。
「不器用なんですよ、私達は。」
言葉が終わるとシャドウは、止めていた足を再び動かし始めた。
そしてドアのノブに手を置くと振り向き、先ほどの問いに答えた。
「俺とお前は似てなんかいないさ。俺は不器用なんて奇麗事は言わない。酷い男なだけだ。」
ドアが閉まり、部屋に残ったのはハメットのみ。
「いえ、似てますよ。自分が何をしているのか、自覚できているのですから。」