もう十分だよね
もう素直になっていいよね
言葉にするのはまだ恥ずかしいけど
素直になるから
だから向き合おうよ
そこから始めようよ
ー マリア・ショート ー
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悠久幻想曲
第三十二話 告白
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「ここは・・・」
シャドウが立つのは闇の荒野。
大地も空も無く闇だけが広がる空間に、表現がおかしいが一人立っていた。
辺りを見回しても何も無い。
「夢・・か。」
夢の中で夢と気付く事は特に珍しくない。
決定的には、喋ったと頭で認識していても声そのものが認識できなかったからだ。
『・・・・・・・・・・せ・・・』
「なに?」
自分以外の声が頭に直接響き振り向くいた。
やはり視界に広がるのは闇だが、確かになにかがそこに居た。
闇よりも深い、かといって黒かと問われれば否定したくなるもの。
『・・・殺せ・・滅せよ。』
「ブラッディ・アイ」
『悪は滅ぼさねばならぬ。ニンゲンこそが悪、世の平定のために滅ぼさねばならぬ。』
シャドウの呟きは確信だった。
しかしそれを無視してブラッディ・アイ・・・闇の中のなにかは言葉を続けた。
『ニンゲンは繰り返す獣。再び繰り返される前に、滅せよ。』
「一体何の事だよ。繰り返すって・・・滅ぼされなきゃならない事って何したんだよ!」
シャドウの頭に浮かんだのは祖父の言葉。
十年前の何か。自分達が記憶を失った年。本能を歪められた事件。
『悪は滅ぼさねばならぬ。繰り返される前に。』
「答えになってねえ!」
『滅ぼさねばならぬ。』
シャドウが何度叫んでも答えは変わらなかった。
ただ滅ぼせと、何も語らず一方的に。
「滅ぼしたきゃ、勝手にどっか俺に関係の無い所でやってくれ!俺を巻き込むな!」
それはシャドウの本心だろう。
「ただし、俺の知り合いに手をだしたら・・俺がお前を殺してやる。」
これも本心。
飛び上がるようにベッドから体を起こす。
運良く叫び声を上げなかったのは、喉が干上がっていたからだ。つまり、上げたくても上げられなかったのだ。
聞こえるのは自分自身の荒い息と、同室のアスカの静かな寝息。
寝汗がたまらなく気持ち悪かった。
「くそっ・・」
かすれた声で悪態をつくと部屋を出て行く。
階段を下りて向かったのは、台所。水が欲しかったのだ。
コップにあふれるほど水を汲み、顔を伝って滴り落ちるのを気にせず一気に飲み干す。
乱暴にコップを置くとひびが入ったのかピキッと高い音がした。
「何があったんだよ・・なんで覚えてないんだ。」
記憶の無い事がすごく恨めしかった。
力を込めた手の中のコップがまた音を立てた。
根本的な出来事を知らなければ、批判も説得も出来ない。
「シャドウ兄様。」
「あっ・・・起こしちゃったか?すまん。」
振り向いた先にアーシャが居た事に驚き謝るが、首を横に振られた。
「シャドウ兄様・・・手。」
指差された方の手を見ると、コップのひびで切ったのか血がにじんでいた。
すぐに大した事無いと判断すると、不安そうにしているアーシャに微笑んだ。
「大丈夫だ。まだ起きる時間じゃない、部屋に戻りな。」
心配そうに何度も振り向いたアーシャを安心させるように必要以上に笑顔で居た。
作り笑顔はシャドウ自身の不安の表れか、アーシャが見えなくなると血がにじむ手を口元に移動させた。
そのまま傷口を口につけた。
「マズイ。」
顔をしかめながらも、血がにじまなくなるまでそうしていた。
「おはよう、マリア。」
その日マリアが家の玄関を開けたとき、ある人物を見た後そのまま玄関を閉めた。
今日は平日である。今の時間帯はジョートショップで仕事の割り振りがされているはず・・何故いるのか。
それだけではなく、何か違和感を感じたのだ。
「おはよう、マリア。」
「お・・おはよう。」
もう一度玄関を開けると、やはりシャドウがそこに居た。
「今日学校終わったあと、用事あるか?」
「ないけど・・」
質問の意図、家に来た意味が解らず困惑しつつ答える。
やはり違和感も健在だ。
「デートしよう。」
「は?」
「邪魔が入らないように待ち合わせ場所はここだ。嫌ならこなくていい、それじゃあ。」
「えっ、あ・・・うん。」
差し出された紙に場所が書いてあるのだろう。
その雰囲気、真剣な眼差しに押されて受け取ってしまった。
マリアはこれで何時ものようにやかましく騒ぐのかと思いきや、シャドウはそれ以上何も言わずに去っていく。
浮かれるわけでもなく、無理して抑えるわけでもなく・・・自然に歩いていた。
「シャドウ。」
「どうした?」
振り向いた時の微笑みに、マリアの顔が赤くなる。
「これから仕事?」
「ああ、ここに来たから先に振り分けてもらった。」
「い・・いってらっしゃい。」
返答は微笑みだった。
「・・・・・・良い。」
違和感の正体は、シャドウの落ち着きだった。
むやみやたらと騒ぐのではなく、大人っぽく自然体。
それが気に入っただけではない。もう長い事意地を張ってきた、そろそろ素直になろうという考え。
「えへへ☆」
受け取った紙を大事そうにポケットにしまうと、当初の予定通り学校へ。
ただ予定通りでないことが一つ、マリアの足取りがかなり軽やかで人目を引いていた。
一日中そわそわして、ようやく訪れた放課後の時間。
クラスメイトがゆっくりと教科書を鞄に詰め込む中、マリアは先に鞄に教科書を入れていたので真っ先に教室を出る。
何かあったのかという視線を背中に感じる間も無く走った。
「え〜っと。」
走り続けてはさすがに疲れるということで、地図を片手にしてからは歩いていた。
普段はさくら通り中心に生活しているが、今居る通りは聞いたことすらないし店の名前もなじみの無いものだった。
「あっ。」
地図を見つつ歩いていると、とあるオープンカフェでシャドウが手を上げていた。
「何時から待ってたの?」
「別に、さっき来た所。」
そうなんだと安心してシャドウの向かいに座るマリア。
だが、シャドウの手元のコーヒーカップに何故かコーヒーが入っていない事には気付かなかった。
シャドウはマリアが迷うといけないからと大分前から来ていたのだ。
「えっと・・紅茶。」
「かしこまりました。」
店主らしき老人が直接注文を聞きに来て、引っ込んでいった。
「でも良くこんな所知ってたわね。けっこう良さ気だし。」
「仕事でちょっとな。けどオープンカフェたって、建物が古いから外に出してるだけだってさ。」
言われて建物を見てみたが・・確かにちょっと古かった。
だが汚いというわけではなく、程よく趣があると言えた。
「お待たせしました。恋人かい、シャドウ君?」
「まあね。可愛いだろ?」
最初は置かれたティーカップに目を奪われていたマリア。
店主の問いにあまりにも普通にシャドウが答えたため、すぐ理解する事が出来なかった。
しかし数秒もすればさすがにできる。コレでもかというほどに顔が赤くなった。
「ちょ・・ちょ・・・」
シャドウは微笑んだ後去っていった店主に手を挙げている。
言いたい事はあるが言葉に纏められないマリアは、そのままなにも言えずうつむくしかなかった。
死ぬほど恥ずかしかった。面と向かって言ってくるのは父ぐらいの者だと思っていた。
「どうした?」
「べ・・別に。」
朝方はその大人の雰囲気が良かったが、今はその余裕がちょっと腹立たしかった。
自分が子供に思え、その考えを打ち消すために紅茶に口をつけたが。
「熱っ!」
急いで口からカップを放したため、波打った紅茶が数滴服に落ちた。
「おいおい・・ほら、ハンカチ。」
仕方ないなとばかりに差し出されたハンカチを無言で受け取る。
なんだかシャドウの雰囲気に振り回されている感じがしてきた。
いつもならシャドウが騒いでこっちが仕方ないとばかりに手を出すはずが・・これでは逆ではないかと。
汚したままで返せないとシャドウのハンカチをポケットに突っ込み、意を決して紅茶を流し込んだ。
「熱くない、飲んだ!」
熱くないわけは無く、喉元をすぎても熱さは感じたが我慢した。
「そうやってムキになる所が、可愛いんだけどな。」
「真顔で言わないで!」
二度目ともなれば多少免疫がついたのか、顔を赤くしつつも席を立ち伝票を掴む。
「ほら!行くわ・・よ。」
スルリと伝票が自分の手から消えていた。
そして目の前にいるシャドウの手の内には伝票があった。
「これぐらい払うよ。マスター。」
「はいはい、毎度ありがとうございます。」
シャドウが支払いを済ませる間、マリアは伝票が消えた手とシャドウを交互に見ていた。
「あれ?」
「それでね、トリーシャったら皆から追いかけられて・・」
カフェを出てからマリアは、歩きながらずっと喋り続けていた。
狂った調子を元に戻したかったからで、今のところ成功していた。
「それで・・・えっと。」
しかし、一方的に喋り続ければいつかネタは尽きる。
「さっきから私ばっか喋って、シャドウも何か喋りなさいよ。」
「そうか?」
自分がそうしたのにちょっと理不尽かなと思ったが、シャドウに気にした様子はない。
「それじゃあ、さっきのカフェを知ったきっかけでも。」
「そういえばマスターと知り合いっぽかったよね。」
「仕事で行ったのが最初なんだが、それ以来ちょくちょくな。」
へぇっと感嘆の声を上げていると、自分達を追い抜いていく中年に差し掛かった男。
抜かれたと言ってもその人が急いでいたわけでも、小走りをしていたわけでもなく普通に歩いていてだ。
なんとなくシャドウの足元を見ると、歩幅がやけに小さくゆっくり歩いている。
「あっ。」
「どうかしたか?」
「あ・・ううん。なんでもない。」
自分に合わせて居てくれるんだと気付いての声だった。
急いで取り繕うように胸の前で両手をふる。
「結構歩いたし、何処かで・・・あの公園で休むか。」
シャドウが先ほどの声をどう受け取ったのか、少し先に見える公園を指差した。
大きさでは陽の当たる公園には遠く及ばないが、公園は公園であった。
敷地内に入ると、すぐにベンチが目に入り一緒に座った。
そこからは先ほどまでとは一転、静かな時間だった。お互いに喋ることなく目の前の光景に目を向ける。
家族連れ、学校帰りなのか遊ぶ子供、自分達と同じように別のベンチに座る男女。
「俺さ・・」
おもむろに口を開いたシャドウにマリアが顔を向ける。
シャドウもそれを待っていたようで、続けた。
「マリアに謝らなきゃならない。ごめん。」
「何よ急に・・しかも、何の事だかわかんないし。」
「まだアスカに憎んでもらおうとしてたときの事。」
それを聞いたマリアの顔が少しだけしかめられる。今更だし、余り聞きたくない類の話だからだ。
「マリアに迷惑かけて、泣かせて・・・・ごめん。」
「今頃言われても、困る。」
「悪いな。でも、順番だから。」
ひそめた眉を更にひそませる。
言葉の意味も解らなかったが、シャドウが立ち上がり自分の正面に立ったからだ。
「今まで順番がメチャクチャだったんだ。謝りもせず一緒に居て、つきまとって。」
次に放たれる言葉が予想できたわけではない。
ただシャドウのその真剣な眼差しにマリアは自然と肩に力が入っていた。
「俺はお前の事が、マリアの事が好きだ。」
世界から二人だけが締め出された様にマリアは感じた。
先ほどまで見ていた家族連れ、子供達、恋人、その全てが見えず目の前にいるのはシャドウだけ。
喧騒だけではなく、風の音も木の枝のこすれあう音すらも聞こえない。
確かに耳に残る余韻だけが何時までも耳に響いていた。
シャドウは満足したように大きく息を吐くと、元居た場所に腰を下ろした。
「正直最初はなかば勢いみたいなもので、性格的な過保護かとも思った。けど妹が・・アーシャが居るようになって、
やっぱ違うと思った。」
「あの・・あのね。」
しばらくは余韻にぼうっとしていたマリアは、舌を噛みそうになりながらも言葉を並べようとする。
それを遮ったのはシャドウだった。
人差し指をマリアの口元に持っていき口を閉じさせる。
「慌てなくて良いから。ゆっくり考えれば良い。」
本当は答えを聞くことが怖かったのだが、それを口にすることは無い。
口にしたらそれはマリアを惑わせる事になるから。
しかしその事が逆にマリアから答えを言い出す機会を奪ってしまっていた。
「帰ろうか。」
「うん☆」
言葉に出来ない分マリアは立ち上がったシャドウの手をとった。
答えは心の中ではすでに決まっていた。けれど何時、どのように答えを言えばいいのかわからなかったから。
せめて態度でだけは示しておこうと、手をつないだのだ。
そしてシャドウも手をつないだまま何も言わず、マリアを家まで送り届けた。