悠久幻想曲  月と太陽と

 

なんてったって、先輩

 

                      わからねぇ事があったら、なんでも聞いてくれ

 

                          あ?いいかこういうのはな

 

                            ガァーッとやってだな

 

                              グワシッと・・・

 

                              あれ、お〜い?

 

                            ー ピート・ロス ー

 
 
                                              
悠久幻想曲
 
               第三十一話 初仕事
 
「駄目だ、駄目だ、駄目だ。絶対に。」
シャドウの絶叫に怯んだ様子も無く、アーシャは精一杯眉を吊り上げる。
普通なら怒って見えるその顔も気の抜けた可愛らしい顔に見え、シャドウの頬が垂れた。
「何故です?シーラさんだってマリアさんだって働いてるじゃないですか。」
「何故って、それ・・はだな・・・」
「何故です?どうしてです?」
比較対照を出されては強くいえないのか、たじろぐ。
「と、とにかく!アーシャは、まだ働く必要なんか無い。」
「理由が明確じゃないです。だからアーシャは、シャドウ兄様の言う事なんか聞きません。」
顔を背けられ、心底困ったようにシャドウがアスカの方を見てくる。
反対する理由は心配だからと、実際無いような物だが無視もできないのだろう。
頼られてもとアスカはさらに仕事の分配を待ってる皆をみたが、家庭の事だからと目をそらされてしまった。
小さくため息をつく。
「アーシャ、シャドウは心配してくれてるんだ。」
「お気持ちは嬉しいですが、アーシャだってちゃんとできます。」
「解ってるよ。でもこのままじゃ、何時まで経っても話がすすまないだろ?」
譲歩の証であるかのように、アーシャが耳を傾けてくる。
「だからアーシャにパートナーをつければ良いんだよ。そこで・・ピート。」
「お・・俺?」
「って、ちょっと待て!なんでピートなんだ。普通お前か、俺だろうが!」
「うるさい。」
流石に面倒くさくなったのか、右手で無理やりシャドウを押さえつける。
そして押さえつけたまま左手でテーブルから仕事の依頼状を取り、ピートとアーシャに見せた。
「場所と内容はそれに書いてあるから、俺がシャドウ押さえてる間に行ってこい。」
「はい、です。ピートさん行きましょう。」
「お、おぅ。」
「イデデ・・アーシャ、待て。」
シャドウの制止を聞くことなく、アーシャはピートの手を引いて玄関を出て行く。
そろそろいいかなっとアスカがシャドウの頭から手を離すと、出て行ったはずのアーシャが玄関からぴょこんと顔を
出した。
「アスカ兄様、ありがとうです。・・・今日のシャドウ兄様、嫌いです。」
再び玄関が閉まり、もうシャドウを抑える必要は無かった。
経つ気力がないほどにヘロヘロで、逆にアスカが持ち上げていた。
「面白いものが見れたのは良いが、そろそろこっちにも仕事を回してくれよアスカ。」
そんなに面白かったのか、台詞は真面目だがアレフの顔がにやけていた。
良く見れば皆同じで、アリサやテディですらも声を押し殺して笑っている。
「それじゃあ・・」
「あ、できればこっち優先してくれない?」
仕事の依頼状に目を向けたアスカにマリアが手を上げて主張した。
「私とソレで出来る仕事。私じゃないと・・ソレ使えないでしょう?」
マリアの言うソレとは、アスカの手の内でヘロヘロのシャドウのことだ。
たしかにと、皆からの同意は早かった。
 
 
 
仕事の分配がなされている頃、アーシャとピートが二人並んで仕事先へ向けて道を歩いていた。
アーシャはうきうきと浮かび上がりそうな足取りだが、ピートは少し足取りが重そうだった。
「大丈夫かなぁ・・」
ピートにしては珍しく浮かない顔。
それはアスカはパートナーと称したが、面倒を見ろと言われたと思っているからだ。
実際アスカに問いただせば、そこに居たからといいかげんな答えが帰ってきただろうが。
「え〜っと、あっ・・ここです。」
アーシャがいきなり立ち止まったので、行き過ぎたピートは足を戻す。
指差されているのはラ・ルナ。
「アーシャ、ちょっと見せて。」
「どうぞ。」
手渡された依頼状には厨房の手伝いと書いてあり、括弧で皿洗い等とくくられていた。
「・・よりにもよって、苦手な。」
呟きが良く聞こえなかったのか小首をかしげるアーシャ。
「いや、俺が落ち込んで居てもしょうがない。ここは先輩として、仕事人の正しい姿を・・よし!」
「あっ・・ピートさん、正面から入っちゃ駄目ですよ。こういうのは裏口からです。」
意気込んでラ・ルナに入ろうとしたピートの服のすそを引っ張ったのはアーシャ。
いきなり正しくない姿を見せたようだ・・・しかも、初心者のアーシャに訂正されている。
「冗談・・冗談に決まってるだろ。」
笑ってごまかそうとしたピートだった。
 
 
「特に難しい事をしてもらうわけじゃない。下げられた皿を洗うだけ。」
二人に簡単な説明をするとオーナーは、表に接客に行ってしまった。
最初荒い場に背の届かなかった二人に踏み台を用意してくれるなど、気さくな人だった。
「それじゃあ・・」
「待ってください、です。」
台に上ろうとしたピートの服のすそを掴んで、またしても制止。
「作業を分担したほうが効率的です。ピートさんは洗う方とすすぐ方どっちにします?」
「ああ・・うん、分担ね。知ってたよ?す・・すすぐ方で。」
明らかに動揺が見て取れるが、アーシャは気にした様子も無く頷くと台に上る。
ピートも俺の方が新人みたいだと諦めが入りつつ、台に上った。
「皿はいくつあっても足りないんだ。どんどん洗え、ちっこいの二人!」
コック見習いだろうか、若者が使用済みの皿を積み上げていく。
「はい、です。」
ちっこいのという言葉にカチンと来たピートだが、アーシャがすんなり聞き流したため踏みとどまる。
そして洗剤で洗われた皿をアーシャから受け取ると、すすぎ始めた。
その胸中はやはり自分の方が新人みたいだと暗雲が漂っていた。
 
 
しばらくは順調に仕事は進んでいた、無言での作業にピートは少し退屈していたが。
ハプニングとはえてしてそういう時に起こるものである。
天井から垂れるのは細く白い糸、弱そうに見えて意外と強い蜘蛛の糸、もちろんその先端には主である蜘蛛が居た。
その蜘蛛がピートの目の前に降りてきたのは偶然か、神の悪戯か・・・
「・・・・ん?」
余りにも近すぎて焦点が合わなかったらしい。
止せばいいのにじーっと見て焦点をあわせてしまった。
「・・く・・・く・・・・」
かすれた声と共にピートの口が段々と大きく開いていく。
口を出来る限り開きそこから声がはじけ飛ぶ瞬間、一瞬早く気付いたアーシャが手でピートの口を塞いだ。
「ピートさん、厨房でそんなことさけ・・あ・・・わわわ、です。」
口癖になりつつあるのか、踏み台からバランスを崩した状態でも「です」を強調するアーシャ。
自分でも一瞬口癖なのかと思考がそれた時、保っていたバランスが一気に崩れた。
ピートもろとも床へ倒れこんだ。
「どうした、ちっこいの・・・て、何をやってるんだ!」
台から落ちた音が聞こえたのか先ほどの口の悪い青年が見たのは、アーシャの下敷きになっているピート。
事の起こりを見たわけではないが、ひっくり返った台をみてなんとなく予想をつけたようだ。
「ったく。ほら起きろ。」
時間が惜しいとばかりに二人に手を差し出す若者。口とは裏腹に良い人なのかもしれない。
「転んでも良いが、皿だけは割るな。気をつけろ。」
それだけ言うと急いで行ってしまう。
残された二人はぽかんと放心状態、先にピートが復活し蜘蛛を警戒しだす。
蜘蛛を発見しまた叫びそうになったが、今度は自分で口を塞ぎ目でなんとかしてくれとアーシャに頼み込む。
ちょっと情けない。
「ごめんね。・・・しょっと。」
アーシャが蜘蛛の糸を切り、窓から外へ出す。
それでようやく落ち着いたピートが台を起こして上った時に、ある事に気付いた。
「あ・・・割れ・・てる。」
ピートの言葉を信じられず、流しを覗き込むと皿が一枚割れていた。
それもどうしてと聞きたいほどに真っ二つであった。
「マズ、さっきの人絶対に割るなって・・・」
ピートの頭に浮かんだのは、若いコックに怒鳴られる自分とアーシャの姿。
割った事ではなく怒られる事を心配しているピートをよそに、アーシャは割った皿を片付け別の場所に置くと皿洗い
を再開した。
「割ってしまったものは仕方ないです。仕事が終わったら一緒に謝りましょう?」
「え゛・・」
「隠そうだなんて駄目です。今良くても後でばれたら、アスカ兄様たちに迷惑がかかってしまいます。」
早々に逃げ道を塞がれたピートは頬を引きつらせる。
だがアーシャ一人に謝らせるわけにはと覚悟を決め、渡された皿をすすぎはじめた。
その覚悟が効いたのか、ピートは先ほど以上に皿洗いに打ち込み、アーシャもピートの手を休ませるわけにはと手を
せわしなく動かした。
 
 
 
仕事の終わりは当然店が閉まる頃、すっかり夜になってしまっていた。
「申し訳ありませんでした。」
「すみません。」
仕事終わりでウェイターやコック、オーナーが集まる中頭を下げるアーシャとピート。
しかし険悪な雰囲気になることは無く、目くじらを立てるものは一人も居なかった。
「失敗は誰にでもある。それに隠すことなく言ってくれて、こちらも助かるよ。」
頭を下げたままのピートはオーナーの言葉にほっとする一方、隠さなくて良かったと冷や汗をかいていた。
「それでも仕事だから給金の方から割ったお皿の代金は引いておくよ。」
「それはもちろんです。こちらからもそうしていただけると、気が楽になります。」
頭を上げて恐縮そうに言ってからにっこり笑うアーシャ。
その純粋すぎる行為に後光でも見えたのか、みなが唸る。
「しっかし、あんた本当にあのシャドウの妹か?」
そう言ったのは、あの口の悪いコック。
「え?・・シャドウ兄様をご存知で?」
「知ってるもなにも・・あのショート財団の一人娘にぞっこんの奴だろ?アイツの笑えるエピソードは有名だし。」
恥ずかしそうに身を縮めるアーシャ。
「それに今日アンタがちゃんと仕事できるように、わざわざ頼みにきたし。」
「私のところにもきたな。」
「オーナーの所にもですか?私のところにもきましたが・・」
若者に続き、オーナー、ウェイター、他にもほぼ全員と言えるスタッフが俺の所にもと言い出した。
ピートはシャドウらしいと乾いた笑いを浮かべた。
アーシャも見た目は周りに合わせて笑っていたが、内心は少し怒っていた。
「それじゃあ、今日はここで解散だ。」
オーナーが手を叩いて場を占め、告げる。
そしてアーシャがピートに帰りましょうと言おうとすると、夜遅いからだろう迎えが二人現れた。
「ち〜っす。」
「アーシャ大丈夫だったか?ちゃんとできたか?」
 
 
「今日はお疲れ様です。また明日です。」
「ああ・・・明日。」
元気とおしとやかの中間の勢いで手を振るアーシャに、軽く手を上げるピート。
よくよく考えれば今日は教えられるばかりで何も教える事がなかった。
三人が見えなくなるとピートはサーカスの方面へと歩き出し、気合を入れた。
「明日こそ、やるぞ!」
やる気は十分だが、なにをどうやるのか、計画性の無さはアスカと同じだった。
そして見えなくなった三人はというと・・・
「あの・・アーシャさん?私なにかいけない事しましたでしょうか?」
冷や汗だらだらのシャドウからぷいっと顔を背ける。
シャドウの中では当初アスカとシャドウが並びアーシャが真ん中で三人手をつないで帰る予定だったのに、実際はア
スカだけが手をつないでいる状態。
「シャドウ兄様、アーシャを信用してなかったです。」
「へ?」
上目遣いでシャドウに漏らすとまた顔を背けてしまう。
「あ〜・・アレか。オーナーとかに頼んだのが気に入らないのか。」
「喋ったのかあいつ等!」
「そんなの問題じゃないです。」
怒りの矛先をねじれさせたシャドウにビシッと指をさす。
たったそれだけなのに、実際剣を刺されたように青い顔をしてよろめくシャドウ。
ものすごく滑稽である。
「シャドウ兄様が、アーシャのこと信用してなかったのが問題なんです。アーシャにはアスカお兄様の記憶が少しあ
るから、仕事の事は多少なりとも解ってるんです。」
「いや・・・初耳。」
アスカがぼそっと突っ込むが、二人・・特にシャドウは聞いていない。
「そ・・そんな、知らなかった。・・・・・・俺はアーシャの兄様失格だー!!」
何がショックなのかアスカにはさっぱり解らないが、シャドウが風に涙を乗せながら走って行ってしまう。
だが帰路へと向かう二人の足を止めるにはいたらなかった。
言い方を変えると、二人はシャドウを追いかけることもせずゆっくりと帰り道を歩いていた。
「コメディアンにでもなるつもりかアイツは・・」
「リンチ漫才です。・・・・・・・ふぃぁ・・・」
どつき漫才は聞いたことがあるが、笑いどころの難しそうな漫才である。
気が晴れた事で今日の疲れが一気に表れたのか、あくびの後目をこするアーシャ。
「ほれ。」
アーシャより三歩先に出るとしゃがむ。
「家に帰るまでが仕事です。・・がんばる・・・です。」
「いいから、ほれ。」
「・・・うう。」
結局は誘惑に負けて負ぶさる事にした。
それにしても、気が利くようになったものである。
「アスカ兄様の背中・・・温かいです。」
「そうか?でも寒気ってのは、まず背中におこるよな。」
意味の無い返答だが、うれしそうに「はい、です。」と言ってくる。
妹をおんぶする兄。誰もが見れば目じりが落ちそうなこの光景を見て、陰の気を発する者が一人。
木に隠れてそれを見ていたシャドウである。二人が追ってこなかったので寂しくなって引き返してきたのだ。
「何故だー!俺だって・・俺だってアーシャをおんぶしたいのにー!!」
再び走り去ったシャドウを追う者はやはり誰も居なかった。