仕方ないんです
水は水に土は土にかえる
それが自然なんです
だから、かえらなければならないんです
不自然なのですから
兄様にかえります
ー 少女 ー
□
悠久幻想曲
第三十話 魂の欠片
□
アスカの中のもう一人の人格の暴露。
驚きの大小もそれぞれなら、それへの慣れもまた人それぞれであった。
そして、大部分の者が心に何かしらの区切りを付け始めた頃、アスカが目覚めた。
「・・・・・・・」
ただ、少しおかしかった。
目線が何処か遠くを見ていて、終始微笑んでいるのだ。
少しどころか、微笑んでいる時点でかなりおかしいのかもしれない。
「アスカ君?」
「・・・・・」
シーラがアスカの顔を覗き込むが、無視とはまた違う気がするのだが・・結果は一緒だった。
目線は向けるのだが、反応らしい反応が返ってこない。
「なに似合わない顔してるのよ。ほら、ほら。」
「・・・・・」
「おいこら、起きろ。」
パティが目の前で手を振っても、反応が無い。
あげくアレフがアスカの頭をペシペシと叩いたが・・・結果は同じ。
困った顔をしたパティとシーラ、アレフは、サクラ亭へとアスカを連れて来た張本人、シャドウを見る。
しかし、シャドウ自身も困っていたようで、視線を彷徨わせていた。
「朝起きたらブラッドからアスカに変わってたんだが・・見ての通りだ。飯を出せば食うし、手を引けば歩く。ただ
無気力に近い、よくわからん。」
「トーヤに診せた方がよくないか?」
「まぁ・・それは考えたが、だからって診せてどうなるものでも。」
意見を否定されたアレフ自身も、それもそうかと腕を組み悩む。
「ブラッドさんなら、何かわかるんじゃない?」
「聞いたけど、わからんのだと。」
「あっそう。」
パティはお手上げのポーズである。それは皆も同じだが。
あらかたシャドウの思いつく事は実行し、それでも駄目だったからこそサクラ亭へと来たのだ。
「アスカ君がこうなった原因はわからないけど、きっかけはやっぱりアレかな?」
シーラに言われ、やっぱりかと再度シャドウもそこへ思い至る。
アレとは邪龍の件の事で、緘口令が布かれているからわざわざそう言う言い回しをしたのだ。
しかしきっかけがどう働いてこうなったのか、それが解らなければ何の解決にもならない。
今のところ大した害がないことや、昼の気だるい時間帯でもあることから今一みんなに緊張感が欠けていた。
「・・すみません。」
気楽にどうするべきかと考えていると、サクラ亭のカウベルが鳴り一人の少女が顔を覗かせていた。
年の頃十三、四といった所か、艶やかな黒髪を腰まで伸ばしゆったりとした黒いローブを身に纏っている。
ただ大きさが合っていないのか、足元がおぼつかない。
「はいはい、いらっしゃい。」
「いえ・・あの、お客ではないんです。人を探しているんです。」
「人?」
「・・はい。」
ためらいがちな少女とパティのやり取りを、一時アスカから目をはずし見る。
「黒髪で、頭がボサっとしていて・・黒い服を着た・・・」
「黒髪で・・」
「ボサっとした頭・・」
「黒い服・・」
少女の出したキーワードを、シーラ、アレフ、シャドウと順に反芻しアスカに視線を戻していく。
「名前はアスカ・パンドーラです。」
最後にパティが少女から視線をアスカに移し、少女もそんなパティに釣られるようにアスカを見た。
驚きに目を大きく見開いた少女が震える声で呟いた。
「・・兄様・・・・」
シャドウを含めた四人はその言葉に一旦少女を見、またアスカを見た。
そして再び少女を見て、そろえて声を上げた。
「「「「兄様!!」」」」
大声に少女がビクッと身を屈める。
「ブラッドさんみたいに今度は偽者じゃないよね!」
『失敬な。』
ブラッドの聞こえぬ突込みは、もちろん自然にパティに無視された。
「アスカ君起きて!目を覚まして、妹さんよ!」
「笑ってる場合じゃねえぞ!」
シーラとアレフが懸命にアスカを揺さぶるが、変わらず反応が無い。
少女はアスカの元まで歩み寄り、その瞳を覗き込んだ後シャドウの方を見た。
「やはり・・そうなんですね、シャドウ兄様。」
それを聞いて、シャドウはピンときてしまった。
本当の意味での肉親ならアスカを知ってはいても、シャドウの存在を知るはずが無い。
つまりこの少女も自分と同じぐらい曰くありなのだと。
一旦落ち着こうとシャドウが切り出し、一つのテーブルにじっくり腰を据えた。
一つのテーブルに六人は少々手狭だが、誰もその事は言わなかった。それ所ではないからだ。
「あ〜まず、現状の確認だ。おま・・君は俺たちの妹だと。」
「正確には・・違います。私はシャドウ兄様と同じ、アスカ兄様の魂の欠片です。」
落ち着いていると言うより、何処か我慢をしているような気がシャドウにはしたのだが今は黙っていた。
「あのぉ〜・・ちょっといいかしら?アスカ君は男の子で、貴方はどう見ても・・・」
遠慮がちな言い方だが、シーラの言いたい事はストレートに理解できた。
アスカの魂の欠片なら何故、シャドウのように男じゃないのかと。
「アスカ兄様の魂のみが私ではないからです。・・先日の龍の魂もかなりの割合で混ざっていますから。」
『童の魂が?』
『ありえない事ではないな。』
二人も会話に参加できれば良いのだが、通訳すべきアスカは呆けたままだ。
「・・・俺、早引けしていいか?」
「逃げるな!それでアスカを探してどうするつもりだったの?」
まるで頭痛がするかのように頭を抑えて逃げ出そうとしたアレフをパティが捕まえる。
頭が居たいのはパティも同じようだが、重要そうな事を選んで聞いた。
「アスカ兄様のこの状況は、龍を封印した際に魂が欠けたことで感情に欠落がでているんです。自然治癒を待てばど
れだけかかるか・・一番の解決法は、私がアスカ兄様と再び一つになる事です。」
なんでもない事のように言ってはいるが、握り締めた手が震えていた。
「ちょっと待った。お前は本当にそれでいいのか?一つになるってことは、自分を捨ててアスカそのものになるって
ことだぞ。」
「元々私はアスカ兄様の一部。今こうしてここに居ること事態が不自然なんです。」
手の震えは無意識なのだろう、シーラたちも少女の震えに気付きアスカに顔を向ける。
今まで反応は無かったが、少女は説得を聞き入れるような表情はしていない。
説得は事の張本人であるアスカにゆだねるしかなかった。
「・・・・・」
だが顔は少女に向けても、無反応なアスカに駄目なのかと嘆息が複数でる。
「アスカ兄様。」
「・・・・・・・・・・駄目。」
ようやく喋ったアスカの言葉に少女は目を丸くして驚き、皆は喜んだ。
「でも今のままじゃ、アスカ兄様の生活に支障がでてしまいます。」
「・・駄目。」
「でも!」
「駄目。」
段々と反応の早くなるアスカに、少女は俯き唇をかみ締める。
アスカが当然のごとく自分の提案を受け入れると思っていたので、どうして良いかわからないのだ。
「本人がそう言ってるんだからいいじゃねえか。」
シャドウがそうフォローするが、少女の顔は晴れない。
「なんだか解らないが、アスカとシャドウに妹ができたんだ。エルの全快パーティついでに祝おうぜ。」
「そうね。シャドウの時もなんだかんだでやったし・・」
「そうしよう、ね?」
シーラがしゃがみ、少女の顔を覗き込んで頼み込む。
しかし結局は同意も拒絶もないまま、うやむやになってしまった。
「でも、よかったじゃないか。魔力が普通に使えるようになったんだろ?」
「魔術師ギルドの長に聞いたら、アレを封印するのに殆ど使われてたんだとさ。」
リサの問いかけに、普段余り見せない笑顔で答えるエル。
これぐらいお手の物と、手のひらに魔力の明かりを灯して操る。
「何よエルったらそれぐらいで・・・マリアにだって出来るわよ。」
突っかかったわけでも、馬鹿にしたわけでもなく、エルを認めたうえでの行動だろう。
マリアがエルと同じように魔力の明かりを灯し、エルの周りを周回させる。
エルもそれに応え、マリアの作った明かりを追いかけ、時折明かりの色を変化させた。
「奇麗なのぉ〜。」
「クリスもシェリルも出来るんだろ?奇麗だからやってくれよ!」
「もちろん、それっ!」
「えっと・・こう、ですか?」
ピートにうながされ、明かりの追いかけっこに参加する。
色の違う光の玉が辺りを飛びまわり、幻想的な風景を作り出した。
エルの全快・・と言っても病気だったわけではないが、パーティは元々企画されていたもの。
一部を除いては盛大に盛り上がっていた。その一部とは・・・
「・・・・・・」
「・・・・・・」
顔は笑っているが、ただそれだけのアスカと、未だ納得できないのか少女の居るテーブルである。
まるで見えない壁があるかのように、その空間だけが騒ぎから取り残されていた。
その異空間に意を決したような顔つきでシャドウが近寄る。
それに気づいた者は多数いたが、出来るだけ現状維持だと騒ぎを止めなかった。
「・・シャドウ兄様、あっ・・・」
シャドウは少女の目の前に歩み寄り、その小さな体を抱き上げると自分は椅子に座り、自分の膝に少女を座らせた。
そして左手で少女を支え、右手で少女の頭をそっと撫でる。
「俺・・少し前に、アスカに酷い事をしたんだ。」
驚きの大きさの現われか、少女が勢い良く振り返ったため左手に力を込める。
「アスカを困らせて、怒らせて・・・俺を憎ませ、拒絶させようとした。」
「・・何故・・・です?」
「怖かったから。」
少女の体が僅かだが震えた。
「俺がアスカの魂の欠片だから、いつか元の場所に収まって俺が消えるんじゃないかって。俺は俺、アスカじゃない
って心が叫んで。」
「でも・・」
「お前は俺と一緒だ。もう我慢しなくて良い、一人で抱え込まなくて良い、怖かったんだろ?」
少女の言葉をさえぎる様に放たれた言葉が、その瞳を震わせさらに大きく開かせる。
気付くのが少し遅かったが、シャドウと少女は同じ存在。恐れるものは一緒だったのだ。
「私・・アスカ兄様の欠片だから・・・元に戻らなきゃ、でも・・・・だったら、私は誰・・」
大きく開かれた瞳から、一筋の涙がこぼれた。
「お前はお前だ。アスカじゃない。」
「・・・でいいの?・・わた・・・・私・・このままで・・・・・・・」
シャドウの胸に顔を押し付け、必死に涙をとどめる少女。
少女を支える手に力が込められる。無言の肯定であった。
「我慢しなくて良い。泣きたい時に泣けるのは、女の子の特権だ。」
泣きついてくる少女の頭を撫でるシャドウ。
「なんだか、即席のお兄さんには見えないわね。」
「内容はかなり違うが、過保護って意味じゃアッチと一緒じゃねえの?」
二人の邪魔をしない程度に呟いたパティにアレフがある人物を指差した。
その先にはシャドウが少女を膝上で慰めている事に頬を膨らませているマリア。
会話の内容を聞いていたのだろう、邪魔をするような行動には出そうではないが・・・先ほど作り出した明かりが、
マリアの動揺を示すよう忙しく点滅していた。
「すっごい、納得。」
「あははは・・・でも、納得してくれたみたいでよかった。」
ほっとした様に胸に手を当てるシーラ。
しばらくの間、少女はパーティの喧騒を隠れ蓑に泣き続けた。
しばらく泣いて気が済んだのか、泣き止んだ少女だが・・・シャドウの膝から降りる気配は全く無かった。
シャドウも特に気にした様子も無くパーティは続きそうだったが、シーラが最初にそれに気付いた。
膝上を満喫する少女の前に来ると、正面に座り込む。
「貴方・・お名前は?」
何時までも誰もそれを聞かなかったのでくちびを切ったのだ。
しかし、少女は困ったようにシーラを見てから、シャドウを見上げた。
「名前・・・無いです。」
よくよく考えてみれば、あたりまえだった。
例の事件が起こったのは三日前、つまり少女が生まれたのも三日前だ。
「えっと・・・・ごめんなさい。」
「あっ・・違います。シーラさんは悪くないです。」
シーラが慌てて頭を下げたものだから、少女も慌てて否定する。
問われて困ったのは事実だが、シャドウを見上げたのは名前が欲しかったからだ。
生まれて初めて手に入れる自分だけの物。自分そのものを表す言葉が名前。
『そういえば、童も名前がないんだが。』
『とうぶん私かアスカしか呼ぶものが居ないが・・・そのうち付けてもらえ。』
アスカの中の龍も名前の有無に気付いたが、保留になりそうだ。
「ガリバレー!」
突如会話に参加してきたピートが叫ぶ。
だが皆一斉に耳を疑った・・ピートは自信満々にふんぞり返っているが、女の子につける名前ではない。
「はい、はい!お子様は余計な口出ししない!」
「子供扱いするなよ、カッコイイじゃねえか!」
「い・い・か・ら、ちょっと黙って!」
パティは最初、呆れておざなりに扱ったが、少女が涙目になっているのを見て無理やりピートを押さえつけた。
皆がこれでは可哀相だと一生懸命名前を考えるが、迷ってしまう。
名前は一生ついてまわるのだ。必要以上に考えにはまってしまう。
「あの・・私、シャドウ兄様かアスカ兄様につけて欲しい。」
多少さっきの不安が関わっているのだろうが、アスカとシャドウを見比べてた。
「名前か・・姓はパンドーラなんだろうが・・・・」
名付け親をとられて悔しそうな視線がシャドウに注がれる中、ぽつりと。
「・・・・アーシャ。」
「アーシャ?」
アスカが呟き、少女が疑問系で返した。
「・・アスカと・・・シャドウの妹。だから・・アーシャ。」
「・・アーシャ。」
ぽつり、ぽつりと説明された理由を聞いて少女、アーシャが自分の名前を繰り返す。
「私・・アーシャは、アーシャが良いです。」
笑顔で言ったアーシャにアスカが微笑み返す。
滅多に見られる微笑の相手がアーシャである事に、ちょっぴり嫉妬してしまうシーラとシェリル。
だがそこは年上の余裕・・というか、妹相手ということでなんとか我慢。
「良かったな、アーシャ。」
「はい。ありがとうございます、シャドウ兄様。」
言葉と共に頭を撫でたシャドウにアーシャが抱きついた。
そこでぷちっと誰かの何かが切れた。
「ちょっと貴方、シャドウから離れなさいよ!」
「アーシャは貴方って名前じゃないです。アーシャです!」
「いいから、離れなさい!」
マリアがシャドウからアーシャを引き離そうとし、アーシャがシャドウの首に手を回した者だから・・
「ちょっ・・首が・・・・・グェ。」
「・・・・・」
シャドウの顔色が段々と青くなっていくのを、微笑で見守るアスカ。
先ほど嫉妬してしまったシーラとシェリルは突っ込めなかったが、それ以外の者はしっかりと妹に嫉妬するなと内心
でしっかり突っ込んだ。
アーシャがアリサの了解を得て、ジョートショップにまたまた居候して三日。
流石に部屋数が足りないのでアリサと同じベッドで寝ているが。
アスカは何故か、すっかり元通りに戻っていた。
「アスカ兄様の、バカー!」
どれだけかかるかと言ったのは自分なのに、アスカをバカ呼ばわりしてミニスカートとシャツを着たアーシャが、ジ
ョートショップの玄関から飛び出していく。
たしかに恐怖を抑えてアスカにかえると言ったのだ・・・気持ちはわからないでもないが。
「バ・・・バカって言われた。」
アスカも理不尽さを感じ、珍しい事に傷ついていた。
「アーシャは正しいぞ。間違ってない!」
「良いわね女の子って、明日はどんなお洋服きせようかしら。」
シャドウはフォローすることなく許容し、アリサはアーシャの着る服を色々とそろえていた。
アスカを慰める気は一切無いようだ。
「アスカさん・・・がんばるッスよ。」
唯一慰めてくれたのがテディだが・・かえって心にしみた。