過去は再び繰り返される
それが悪い事であればあるほど
もしも全てを話す時が近づいているのなら
私は怖い
全てがそろっていないからこそ
全てを話す事が怖い
ー ブラッド ー
□
悠久幻想曲
第二十九話 開かれる箱
□
荒い息をし、暑くも無いのに汗をかいていれば誰もがそう思うだろう。
「エル・・お前、大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ。」
アスカの問いかけに、焦点がずれた目線で答えるエル。
経過はどうであれ十万Gはそろい、そこまでして働かせる必要も無いのだがエルは仕事を休むつもりがないようだ。
本人の意思を尊重と言う事で、せめて負担の軽い書類整理に回すのがアスカの精一杯だった。
「ちょっと変更して、トリーシャもこっちの書類整理に回ってクラウド医院の方はシャドウがなんとかしてくれ。」
「まかしとけ。」
「エルさん、本当に大丈夫?」
「・・・ああ。」
トリーシャに支えられジョートショップ内に入っていくエル。
他の者も心配ではあったが、ジョートショップにアリサが居ると言う事で仕事に散っていった。
しばらくは書類の紙がすれる音、そして荒いエルの吐息だけが響いていた。
しかし段々と呼吸の間隔が速くなってくれば、こちらも心配で書類の整理が手に付かない。
「エル、正直迷惑なんだが・・辛いなら休め。」
「ちょっと、アスカさん。」
一応アスカは心配しての一言だが、いたわりが少し足りないのかトリーシャにたしなめられる。
「いや・・アスカが正しいよ。ちょっと、休ませて貰う。」
「大丈夫ッスか、エルさん。」
エルがテーブルからソファーに横たわると、聞いていたのかアリサが冷たいタオルを持ってきた。
タオルを額に当てることで少し落ち着いたのか、呼吸が僅かだが落ち着く。
「最近少し夢見が悪くて、寝れないんだ。」
「どんな夢見てるんだよ。」
ソファーはアスカの丁度真後ろなため、振り向かずに問いかける。
「龍に。」
「龍?」
トリーシャが口を挟んだが、続ける。
「自分が龍になる夢を見るんだ。黒くて、ギラギラした眼を持つ。それで・・」
喋る事が辛いのか、それともためらっているのか言葉が途切れる。
それでの先が気になるが、アスカとトリーシャはエルが自分から言うのを待った。
「・・・それで、暴れるんだ。家を壊して、人も・・・殺して。その中に・・・・・」
途切れ途切れの言葉のはずなのに、段々と早くなる口調。
「トリーシャを・・殺して、アスカもマリアも・・・嫌だ。なんで・・殺したくない。」
聞いたことの無いエルの涙声がそこに混じり、流石に無関心ではいられず振り向くアスカ。
ソファーの上のエルは滝のように汗を流し、必死に恐怖を抑えるかのように両腕を抱え小さくなっていた。
「おい、エル!大丈夫か、トーヤ呼ぶか!」
「殺したくないのに・・なんで、やめて・・・ない。」
「エルさん!」
アスカが近づくと助けを求めるように縋りつかれる。
もうどう見ても普通の状態ではなかった。本人の意向など無視してトーヤを呼ぶしかない。
「トリーシャ、トーヤ呼んでこい!アリサさん、お湯沸かして、後汗拭けるものとか!」
「す・・すぐ、呼んでくる!」
「わかったわ。ちょっと、待ってて。」
「エルさん、頑張るッス!」
バタバタと周りが動く中、アスカはエルのそばに居る事しか出来なかった。
エルに掴まれた腕が紫色に変色しても、文句を言うことなくそこに居た。
そしてエルが微かに纏い始めた魔力の異様さに気付いた者が一人。
『こ・・・これは・・』
トリーシャはトーヤ、そしてそこにいたシャドウを伴って帰ってきたが、状況は変わらなかった。
診察を始めてそう経たないうちにトーヤが解らないと言い出したのだ。
「解らないって、発汗に発熱おかしな所だらけだろ!」
「表面上はそうだが、逆に言えばそれのみしか症状が無い。言ってしまえば健康体なのだ!」
「ちょっと二人とも、今は言い争ってる場合じゃ・・」
多少荒っぽくなったシャドウとトーヤが深呼吸をして、心を落ち着ける。
エルは辛さが増しているのか、声は殆ど聞き取れないほど小さくなっていた。
一体何が原因なのかトーヤはアリサに顔を向けた。
「アリサさん、貴方になら・・わかりますか?」
何故そこでアリサの名前が出るのか、不思議がる視線がアリサに集まった。
アリサが神妙な顔をしてエルに近づこうとした時、ジョートショップのドアが激しく叩かれた。
「魔術師組合の者だ!長直々の話があると、開けてもらおう!」
アリサはその声を無視し、アスカの腕を掴んでいるエルにその手をかざす。
その間にも魔術師ギルドの者がドアを開け数人なだれ込んでくる。
なだれ込んできたもの達が左右に分かれ、間をゆっくり歩いてきたのはローブを目深に被った長だ。
「ふむ・・半信半疑だったが、信じて正解だったようだ。」
エルの状態を一目で理解したかのように呟く。
そしてかざしていた手を引っ込めると神妙な面持ちでアリサが呟いた。
「・・・邪龍。」
「今ならまだ間に合う・・アリサ、今が約束の時だ。」
「待ってくれ、長。」
「トーヤ、全ては街の決定だ。アリサもこの街に来た時に、それは承知しているはずだ。」
「・・・・はい。」
アスカとシャドウ、トリーシャを蚊帳の外において、大人の間だけに飛び交う会話。
割り込みたくても言葉では割り込めない雰囲気が形成されているのだ。
「トーヤ先生、いいんです。今なら私は・・」
再びエルに向かい振り向いたアリサの表情は、言葉とは裏腹に怯えが見え、手が震えていた。
だから二人は、示し合わせたかのように動き出した。
それは二人の今は無き記憶がそうさせたのか、アスカがアリサをエルのそばから押し出し、シャドウがそこへ結界を
張った。
「貴様ら、今自分が何をしているのか解っているのか!」
「喧しい!勝手にクダクダ言いやがって・・とは言ったものの、どうするよアスカ。」
「全力で結界を張ってくれ。俺がなんとかする。」
困った顔で振り向いた先は、このような状況でやけに落ち着いていた。
エルの手をそっととる。
「・・アスカ・・・・」
「大丈夫、怖くないよ。僕が助けるから。」
普段決して見せない無垢な笑顔。
そして紡がれる言葉。アスカがこの言葉を紡いだのは二度目。
だが一度目の記憶は無い。それは誰のために紡いだ言葉だったのだろうか。
「大丈夫だから・・泣かないで。」
霞がかかった記憶の向こうに一瞬見えたのは・・・泣きじゃくる少女。
「・・自らの大罪を憎みて再び開くのは、神々が創りし箱。今その神聖なる力を用いて邪龍を封じる。」
アスカの体が淡い光につつまれる。
「アスカ!」
そう叫んだのは誰だったのか・・全てが光に包まれた。
アスカが気付いた時には、見知らぬ場所にいた。
建物の中のようだが、窓が見当たらない。洞窟か何かだろうか。
「ここはエルの魂の中だ。」
声に驚いて振り向くと・・・ブラッドが居た。
アスカが今ここに居るのに、何故か居た。
「驚く事は無い。エルの魂に入る時、一時的に分離しただけだ。」
ブラッドの言葉は最後まで聞こえなかった。
「・・泣いてる。」
さえぎったのは何かの叫び声。アスカは声の方に走り出した。
自分でも現状は少しも理解できていないが、やるべき事だけはしっかりと理解していたのだ。
「待て、アスカ!」
制止を聞かずに建物の中を走った。
一本道で迷うような事は無く、たどり着いたのはホールのように大きな場所。
そして・・・そこに居たのは、鎖に雁字搦めにされた一匹の龍。
「出せ!童(わらわ)をここから出せ!」
その龍は鎖に自由を奪われながらも暴れていた。
そのたびに、鎖は音を立てて軋み、ホールも衝撃に揺れていた。
「何故童が・・・童が何をした!」
「アスカ、奴がエルを狂わせている張本人だ。奴を殺せばエルも元に戻る!」
アスカに追いついたブラッドが叫び、そのことで二人が邪龍の目に留まった。
その目は憎しみともう一つの感情を映し出していた。
だが、ブラッドにはそこまで読み取る事が出来ないでいた。
「殺す・・何故だ!生まれながらにして悪と決め付けられ、何故封じられ、殺されなければならぬ!」
「殺さない。」
ゆっくりと邪龍に近づいたアスカがポツリと漏らした言葉。
それはブラッドでも読み取れなかった、邪龍の本心を理解しての言葉。
一瞬だけ、ほんの一瞬だけだが邪龍の動きが止まった。
「もう泣かないで、僕は君を殺したりなんかしない。」
「貴様、童を笑うか!」
邪龍の腕を縛っていた鎖がちぎれ、その腕が無防備なアスカを切り裂いた。
飛び散った血と一緒にアスカの体が浮き上がり・・・弾むことなく床に落ちた。
「アスカ・・貴様!」
ブラッドの両目が赤く染まり邪龍をとらえる。
「何、貴様は!」
自由になった片手を自身にかぶせ身構える邪龍だが、想像した衝撃は無かった。
底の見えない瞳をゆっくりと開けると、アスカが立ち上がりブラッドの正面に立ちはだかっていた。
しかし、その身の傷からは血が川のように流れていた。
「・・駄目・・・殺しちゃ・・駄目。」
「しかし!」
「駄目・・」
弱々しく息をするアスカだが、その決して揺るがない瞳にブラッドがたじろいだ。
邪龍も同じくたじろいだ。振り返った時のアスカの微笑みに。
「・・ねえ・・・・君も・・・泣か・・ないで。」
今度は邪龍も腕を振るう事が出来なかった。
今まで会った事がなかったからだ。自分が傷ついてまで相手を気遣う人物に。
「僕なら・・君を・・・解放・・できる。人間に・・・・」
「嘘だ!今だけ・・今だけ都合の良いことを言っておいて!」
会った事が無いからこそ、信じられなかった。
そんな事をして何の得があるのか。まだ意味無く憎まれた方が、不本意だが納得できた。
「嘘じゃない・・ブラッドもそうだから・・・・人間に。」
「本当・・・なのか?もう、故なく憎まれなくて良いのか?」
「人間は・・自由。好かれるのも・・・憎まれるのも・・・・・・・・全部。」
ブラッドはアスカに回復魔法をかけ支え、ただ二人の会話を静観していた。
邪龍が理由は違えど、自分と似ていたから。
十年前を思い出していた。本来のアスカの姿を。
「なりたい・・人間に。もう憎まれるのは・・・・嫌じゃ。」
今ならブラッドにもわかった。
アスカの言うとおり邪龍が泣いていたことが。
生まれながらにして恨まれる事に、種族と言う檻に囚われ憎まれる事に。
「自らの・・大罪を憎みて・・・・再び開くのは、神々が創りし箱。今・・・その神聖なる力を・・・・用いて邪龍
を開放す。」
封印と言う言葉は使いたくなかった。
だからアスカは開放と言った。
アスカから発せられた光が、やがて閃光となりホールを覆った。
「くそ!アスカの奴。もう、もたねぇぞ・・」
光が収まってから数時間後、アスカの姿が消えエルは一時的に落ち着きを取り戻していた。
しかし限界が近いのか、シャドウの額には水滴が多数見受けられた。
「何の準備もなしに、これほどの結界を長時間保つとは恐れ入ったが・・・諦めよ。」
「嫌だね。真っ先に諦めた奴の言う事なんて、聞くかよ!」
その言葉は一瞬だけ長を怯ませたが、魔術師ギルドの周りが反発した。
「余所者に何が解る!」
「邪龍が蘇ってからじゃ遅いんだ!」
「だから、犠牲にするにはまず余所者からか?」
アリサが余所者だったと知ったのはさっきだが、犠牲と言う言葉が後ろめたかったのかギルドの誰もが目をそらした。
シャドウは気に入らなかった。都会じゃないのだからエンフィールドが余所者に敏感なのは仕方が無い。
だが、犠牲を当然と考える諦めが気に入らなかった。そして苛立ちと共に聞こえたのは、あの声。
『ニンゲンめ!』
シャドウは舌打ちをすると、揺らいだ結界の面を元に戻す。
今ここで我を失っては、自分を止められる者がおらず、エルもどうなるかわからない。
(うるせぇ!人様の心にズケズケ入り込みやがって、ひっこんでろ!)
『ニンゲンめ!』
(聞こえねえのか、ひっこんでろ!)
ねじ伏せる様に心の中で叫ぶ。
どっと疲れが溜まってしまったが、声はもう聞こえなかった。
「シャドウ君、結界をといて!お願い、あの子には・・アスカにはもう無理なのよ!」
結界の前で両手を組んで懇願するアリサ。
そして朦朧とする意識の中でシャドウは何かがひっかかった。
「アリサさん・・・もしかして、俺達の事何か知ってるんじゃ。」
その問いかけに、アリサの顔が珍しく歪んだ。
今度は確信を持って問いかけようとしたシャドウだが、背後からの強烈な閃光に考えは彼方に追いやられた。
光が収まった後、振り向いた先に居たのはエルを両手に抱いたブラッドだった。
「待たせたな、シャドウ。」
「たしかに待ったが・・・ってブラッド、人前に堂々と出てんじゃねえ!」
「それについては、すまないな。なにぶんアスカは疲労していてな・・出てこれないのだ。」
あの場に居たのはアスカの魂そのもの。魂が瀕死の傷を負ったのだ、出てこれないのは当然だ。
「ちょ・・シャドウさん、誰なのこの人。アスカさんは?」
突然現れたブラッドに当然のごとく全員が唖然とし、トリーシャが一番はやく順応した。
しかし誰と聞かれて答えられず、シャドウは困った顔をしてブラッドを見た。
「私は・・・そうだな、アスカのもう一つの人格とでも言っておこう。」
トリーシャは生返事をしただけで、納得してはいないようだ。
「未だ結界は解けている、取り押さえろ!」
魔術師ギルドの誰かが叫び、ブラッドの腕の中のエルを抑えようと動いたが。
「愚か者!」
長の一喝で止められた。
「よう見てみぃ。先ほどまでの禍々しい魔力を欠片も感じん。」
『クソ爺の分際で、童を悪呼ばわりか!』
(言いたい奴には言わせておけ。それにクソ爺とは・・お前も相当歳だろう?)
『ふん、女子に歳を聞くものではない。』
ブラッドの頭に直接響く声。アスカではなく、邪龍だ。
さきほどの龍の姿ではわからなかったが・・・本人いわく女らしい。
「ギルドの長よ。いまやエルの中に龍はいない、ここは退いてはくれぬか?」
「・・そなたの言葉を信じよう。魔力を感じれない以上意味が無い。」
「それとこの件については緘口令を布いてくれると助かるのだが。」
「無論じゃ。噂が広まれば無用な迫害も出てこよう、先日の人狼の件もある。」
長の命令は絶対なのだろう。決して納得は言っていない顔だがジョートショップを去っていくギルドのメンバー達。
シャドウは一気に気が抜けたのか、床に座り込んでいる。
「とりあえずは、説明が必要だな。」
ブラッドはエルをソファーに寝かせると、テーブルを指差した。
座って話そうという事だ。
「・・・そういえば、なんか忘れているような。」
シャドウは、気を抜いたと同時に大事な事まで忘れてしまっていた。
「先ほども言った通り、龍は封じた。エルはもう大丈夫だ。」
テーブルにつき、アリサが用意したお茶を一口飲むとブラッドがまず口を開いた。
当然のことながら、トリーシャやトーヤからほっとしたため息が漏れる。
「それじゃあ、貴方は・・シャドウ君がブラッドと呼んでいたけど、アスカ君は?無事なの?」
「少々龍を封じる時に怪我をしてな、三日もあれば出てくる。」
その出てくるという表現がイマイチ理解できないのか、アリサが曖昧な返事をする。
「心配するな。私はアスカを害する存在ではない。」
「それは俺も保証する。」
「あー!何処かで聞いた事あると思ってたら、その長い銀髪に名前・・・アスカさんのお兄さん!」
トリーシャの大声にアリサは動揺しつつそれを隠し、ブラッドは苦笑した。
トーヤはエルが大丈夫ならそれでいいのか、あまり興味なさそうにお茶を飲んでいる。
「そういう風に自己紹介したこともあったな。」
『それなら童は妹になるのか?』
(好きにしろ。)
『それなら、好きにする。』
あの龍の姿を見た後では可笑しいが、嬉しそうな波動が龍から届く。
「アスカがいきなり居なくなっては不自然なので、ある程度は身内に話さなければならない。」
「それって・・エルさんに・・・」
「私は構わない。」
その声に振り向くと、エルがソファーから起き上がろうとしていた。
体を重そうにしていたのでトリーシャが駆け寄ろうとするが、手で制する。
「夢見たいな曖昧な記憶しかないが、アスカが体を張ってたのはなんとなく憶えてる。だからアスカ・・今はブラッ
ドか・・・従うよ。」
「本人が良いと言ったのだ、そうするとして・・・」
唐突にブラッドはテーブルの上の書類をとって目を通しだす。
何事かと皆が視線を集めるが、当のブラッドの方からも何事だと視線を返される。
「事件が一段落したのだ、仕事はせねばなるまい。」
「ま・・まじめだ。もう一人のアスカさんとは思えない。」
トリーシャの呟きは、真相を知るシャドウ以外の全員から同意を受けた。