悠久幻想曲  月と太陽と

 

それは道

 

                          幾重にも分かれた可能性

 

                         私は今、その分かれ道にいる

 

                            どちらへ進むべきか

 

                          選んだ道が何処へ続くのか

 

                          私は・・・どちらに進みたいの?

 

                          ー シーラ・シェフィールド ー

 
 
                                              
悠久幻想曲
 
               第二十七話 転機
 
すでに数度着ている筈なのに喉元に引っかかりを感じるのか、何度も襟に指を突っ込みながらアスカが降りてくる。
そしてジョートショップの居間で待っているのは、アスカと同じく正装したアレフとパティ。
アレフはアスカと似たような黒の礼服、パティは普段なら決して履かないスカートのドレス。
「またそれかよ、そろそろ礼服ぐらい買えよ。」
「なんだかんだで、慣れてるんだよコレ。それよりパティいいのか、サクラ亭のほうは?」
「シーラの発表会に行かないわけにいかないでしょ。ホワイトが暇そうにしてらから、今頃ヒーヒー言ってるはず
よ。」
つまりは身代わりをしっかりと置いてきたと言うことだ。
サクラ亭の喧騒を、あの細腕で乗り切れるのか・・アレフとアスカはホワイトの冥福を心の中で祈った。
今日は、以前アスカが招待状を貰ったシーラの発表会。
手渡しはアスカだけだが、他の者も郵送でしっかりと招待状を受け取っていたのだ。
アリサさんは一足先にリヴェティス劇場に足を運んでいる。
「それじゃあ、行きますか。」
玄関のノブに手を置き開けようとした所、アスカの頭の上にポフっと軽い音が響いた。
目線を上に向けると奇麗な花がアスカの目に映る。その花束の持ち主はアレフで、アスカの頭を叩いたのも彼だ。
「俺に?」
「なわけないだろ!」
どうすればそういうおかしな受け取り方が出来るのか、アレフは即座に突っ込んだ。
「シーラから直接招待状受け取ったのは、アンタだけなのよ?花束ぐらい礼儀でしょうが。」
「パティの言うとおり、用意しておいて正解だったな。」
『確かに礼儀だな。私もすっかり忘れていたが・・』
三人から言われ、そういうものなのかと納得したアスカは、アレフから花束を受け取る。
アスカには良く解らないが、アレフの事だから花束のコーディネイトとしては良いのだろう。
「ちゃんとシーラに渡すのよ。」
「渡すだけじゃなくて、ちゃんと激励しろよ。」
世間知らずな弟にさとす様に確認し、先にジョートショップを出て行くアレフとパティ。
二人が出て行った後花束を数秒見つめていたアスカは、キョロキョロしだした。
「アリサさん、ごめん。」
『それぐらい許してくれるだろう。』
そしてテーブルの上に会った花瓶の中の一輪が目に止まると、ソレを抜き花束の隅に付け加えた。
満足したのか、アスカはジョートショップを出て二人を追いかけた。
 
 
 
リヴェティス劇場は人が入り口にまであふれていた。
おそらく人数だけなら先日の大武闘会のほうが多いだろう、だが今日の雰囲気は別の意味で窮屈であった。
普段着の者など一人もいない、敷居の高そうな窮屈さが三人を押さえつけていた。
「これは人がもう少し空いてから入った方がいいわね。どうせ席は指定だし。」
「アスカ、俺たちここにいるから今の内に、シーラの所行ってこいよ。」
パティの言い分は理解できるが、アレフの言い分にアスカは首をかしげる。
「なんで俺だけなんだよ?待ってるぐらいなら一緒に行けば・・」
「いいから行きなさい!」
「そうだ、行ってこい!」
二人に凄まれ、首をすくめてアスカは走り出した。
逆らってはいけない、本能的にそう感じたのだろうか。
「鈍いにも程があるぞ、あれは。」
「鈍いわけじゃないわよ。」
心配そうにアスカを評したアレフだが、パティがそれを修正した。
「アスカは知らないだけよ。この世には好きか嫌いか二種類だけ、好き以上の好きがあるってことを。」
アスカの去った方を見て寂しそうに目を細めるパティ。
シーラ、シェリル、パティの三人のうち一番アスカを理解しているのはパティだろう。
そして理解しているからこそ、パティは他の二人のように思うままに好意を寄せられない。
一度でも感情のまま突き放してしまえば、二度と戻ってこない危うさがアスカにはあるから。
「パティ・・」
そんな寂しい目をするパティに、アレフは慰めるわけでもなくただ傍にいた。
 
 
自分のせいで二人がしんみりしているとは、毛の先ほども思わずアスカは控え室へと向かう廊下にいた。
しばらく進むと関係者以外立ち入り禁止と言う看板とともに、一人のガードマンが立っていた。
「どうも。」
「ちょっと、待った。」
片手を挙げて通り過ぎようとしたが、当然のように止められた。
「友達の激励に来たんだけど。」
「毎年君みたいな自称友達が居て困ってるんだよ。今日はシェフィールド家の令嬢までいるってのに。」
『話が通してないようだな。』
心底困った顔をするガードマンと、同じく困った顔をするアスカ、ついでにブラッド。
説明しても説明損で面倒だと思ったからだ。
このまま戻ろうかと思いきびすを返すとアスカを呼ぶ、聞いたことのある声。
「アスカ様、お待ちください。」
それは手を振りながら奥から走ってくる、シーラのメイドのジュディだった。
これにはガードマンの方が驚いた。なんせ自称友人をシェフィールド家のメイドが様付けで呼んでいるのだから。
「すみません。こちらの方はお嬢様の友人で、通してくださいますか?」
「え・・ああ、どうぞ。」
驚きの表情のままガードマンが声を絞り出すと、アスカはジュディに連れられていった。
もちろん行き先はシーラが待つ控え室。
「それでは、私はここでお待ちしていますので。」
ジュディはアスカのために控え室のドアを開き、アスカにばれない様に部屋の中のシーラにウィンクで合図を出す。
頑張ってくださいという彼女のエールだったりする。
「おっす、シーラ。」
普段と全く変わらぬ挨拶をして入室するアスカ。
その余りに変わらなさ過ぎる態度にシーラは苦笑してしまう。
「ふふ、今日は来てくれてありがとう。」
「来て欲しいから招待状くれたんだろ?」
「そうよね。」
クスクス笑うシーラに小首をかしげたアスカだが、その右手の花束をシーラの目の前に差し出す。
「これ、私に?」
「アレフとパティから。」
二人には失礼だが、アスカの言葉を聞いてちょっぴり落胆して俯いてしまうシーラ。
だが「アスカ君だものね」と妙な納得をして顔を上げると、目の前には白色にピンクがかった小さな花一輪。
「花渡すなんて知らなかったからさ、これで勘弁してくれ。」
「可愛い花。」
「今日のドレスは確かピンクだったからさ、丁度良かったし食卓から失敬してきた。」
「ありがとう、アスカ君。本当に・・」
はっはと笑っていたアスカは、花束を貰った時以上に喜ばれピタリと笑いを止めてしまう。
シーラは抱くようにその一輪を胸元に寄せた後、髪をまとめているリボンの隣に花を挿した。
「どう、似合う?」
「なんか花が完璧に引き立て役になってるけど・・似合ってると思う。」
今度はシーラが意表を疲れポンっと顔を赤面させた。
花が引き立て役とは、それ以上に自分が可愛いか奇麗かと言われた気がしたからだ。
「ん?お〜い、シーラ?」
赤面したシーラの目前で手を振るアスカ。
反応は数秒後だった。
「え?何?アスカ君。」
「いや・・反応なかったから。とりあえず、頑張れ。んじゃな。」
余りにも急な会話の展開に、シーラは慌てて「うん」と答えた。
そしてアスカが去った後交代するかのようにジュディが控え室へと入ってくる。
「気が利くのか利かないのか、解らないお人ですよね、アスカ様は。」
「でも・・そこを含めて、私はアスカ君が好きなの。」
内気だったシーラが赤面することなく言ってのけた事に、そしてシーラにそう言わせるアスカという男に、ジュディ
は素直に感心した。
シーラとジュディの間に、何も語らぬ時間が数秒訪れた後ガチャっと控え室のドアが開いた。
二人が驚いていると、当のアスカがドアから顔を覗かせ控え室内をキョロキョロと見渡す。
「アスカ様・・どうかなさいましたか?」
「いや、今だれか俺呼ばなかった?」
コレには流石に赤面してしまうシーラ。あやうく聞かれかけたのだ。
「いいえ、きっと空耳でございますわ。」
もう一度頑張れよと言葉を残して去っていったアスカを見て、ジュディは思った。
「なんて都合の良い地獄耳・・・」
 
 
「よお、シーラの様子はどうだった?」
戻ってきたアスカを発見したアレフはストレートに聞いた。
もはや最初からアスカが、気の利いた台詞を言うようなことは期待していない。
「何時も通りだと思う。緊張はしてなかった。」
「そうか。」
満足そうに頷いたのはアレフだけでなくパティもだ。
少し時間が経ったせいか、来た時よりは人の流れが収まってきている。
「そろそろ行かない?こんな服じゃ座れないからアタシ疲れちゃった。」
「そうだな。」
パティが促しアレフがそれに答えた。
三人は入り口でパンフレットを貰うと指定の席まで歩いた。
 
 
高い天井に反響を強めるための特別製の壁。
リヴェティス劇場のホールはすでに満員状態。しかしガヤつくわけでもなく、静かな空間が保たれていた。
アスカたちの指定席はホールのほぼ中央であった。
「遅かったじゃないか。」
席を探し当てた時に話しかけてきたのはリサだ。
三人は簡単にシーラの激励にアスカが出向いていたことを伝える。
「なんだよ?」
意味ありげな複数の視線にさらされ、問うアスカだが答えるものは誰もいない。
空いていた三つの席のうち、アスカが最初に中に入りその後アレフ、パティ。
レディファーストなアレフには珍しい行動だが、特に誰もその事については深く突っ込まなかった。
「アレフ、シーラの出番何時頃?」
「中の後ろあたりだな。」
それを聞くと腕を組んで目を閉じるアスカ。
この行動には誰もが焦り、出来るだけ小声で注意をうながした。
「ちょっと、何寝ようとしてるのよ。」
「起きろ、馬鹿。」
「ん〜・・俺はシーラのピアノを聴きに来たんだぞ。他は知らん。」
パティとアレフが起こしにかかったが、一旦目をあけ口を開いた後また閉じてしまう。
いくら小声でも周りには聞こえてしまっている。
我が子の発表を見に来ている者などは、当然のごとくこの台詞に怒りを抱きアスカを睨みつける。
「アスカ君、駄目よ。発表する子は皆真剣なんだから、私達も真剣に聞いてあげないと。」
「そうッス。ご主人様の言う通りッス。」
「・・・わかりましたよ。」
アリサとアリサの膝上のテディに言われ、不承不承目を開けるアスカ。
そうこうしている内に時間になったのか、ホールが暗くなりステージの前で視界にスポットライトが当たる。
「大変長らくお待たせいたしました。コレよりエンフィールド、ピアノ発表会を始めさせていただきます。」
そこから数分は偉い人なのか、複数の老人の言葉などを聞かなくてはならなかった。
薄暗いホール、そして老人の特徴的な声のテンポにより再びアスカは眠りに落ちようとしていた。
「意思弱すぎるぞ、お前。」
「アスカ君。」
アスカの両隣であるアレフとアリサの奮闘のおかげで、なんとか偉い人の話を乗り越えるアスカ。
どうにもアレフとアリサが困っていると、向こうの方から手渡しで一枚の紙切れ・・符が手渡された。
おそらくシャドウの物だろうが、アリサはそれをアスカの背中に貼り付ける。
「ぬぉ・・・眠気が吹き飛んだ。」
どういう原理かはわからないが、アレフとアリサはシャドウに感謝した。
だがアスカにとってはそうでもなかった。
(拷問だな、こりゃ。)
『お前と言う奴は・・この旋律を聞いてなんとも思わないのか?』
エンフィールドのような田舎の発表会でもそれなりのレベルはある。
しかしアスカは、元々音楽を聴いて心を和ませるような高尚な生活を送っていないので何がどういいのかわからない
のだ。流石に良いか悪いかの二択であれば答えられるであろうが。
演奏者が次々に変わっていっても、アスカの感想は変わらなかった。
(はやくシーラの番こないかな。)
『ええい、皆のように黙って耳を傾けい。』
(へいへい。)
ブラッドに音楽の良い悪いが解るかは、本人にしかわからないが言われたとおり黙るアスカ。
ちらっと両脇を見るとみんなステージを見つめ聞き惚れていた。
仕方なく聞く事に集中しようかと思うと、丁度その演奏者の演奏が終わってしまい次の演奏者は・・
「次の演奏者は彼のシェフィールド家のご令嬢。シーラ・シェフィールドさんです。」
「・・いつのまに。」
アスカが心で愚痴を言っている間に、前半・・それ以上が終わってしまっていた。
シーラがステージの脇からピアノの傍まで歩み寄り、そこで客席に向けて一例をし、顔を上げた時に目ざとく見つけ
たアスカに向かって微笑む。
その髪に挿された一輪に気付いたのはアレフだ。
「あの花・・何処かで。」
「ああ、俺が家の食卓から失敬してシーラにあげた。すみません、アリサさん。」
「いいのよ。シーラちゃんに挿して貰えるなら、花も喜ぶと思うわ。」
失敬したのはいいが、アレフにとって花束より一輪をとられて多少ショックではあった。
椅子に座ったシーラの手が鍵盤に添えられ、ゆっくりと動き出した。
同じピアノを使ってこうまで違うものなのか、疎いアスカにも今までの発表者とは違う事に気付く。
音楽に疎い者にまで違いがわかるということは、技術以上のものがあるのだろう。
(なんか・・いいな。)
『それで良い。言葉など、不要だ。』
旋律それぞれの意味を知る必要など無かった。
ただ身を任せ、流れるままに耳を傾ける。会場全体が一つになったかのような高揚感。
そんな時間が永遠のように思え、だがしかし終わってみれば刹那に感じた。
旋律が途切れ、次第に会場の何処からか拍手がまばらに・・やがて拍手の無い場所が無くなった。
アスカ自身も我知らず拍手をしていた。
(やっぱシーラのピアノ、好きだな。)
ブラッドの返答はなかった。おそらく彼も耳に残る余韻に浸っているのだろう。
拍手が終わった後も当然発表会は続き、シーラのピアノに触発されたのか、全員が持てる技術以上のものを発揮した。
シーラのピアノは自分だけでなく、発表会そのものを成功させたのだった。
 
 
 
発表会後、大勢では迷惑だということでアスカ、アレフ、パティがシーラの控え室へと向かった。
先ほどのことがあり、ガードマンにはアスカの顔パスで通してもらった。
「それでは、良く考えておいてくれたまえ。」
シーラの控え室の前まで来ると、老人が中に挨拶しながら出てきた。
アレフとパティは、なんとなくその老人に見覚えがあり頭を下げた。
それに気付いた老人も人懐っこい笑みを残し、去っていった。
「シーラ、さっきの爺さん・・」
「ど・・どうしよう、アスカ君。」
控え室に入ると、アスカが先に聞いたが、逆に何かを聞かれた。
発表会は成功だったのに困惑しているシーラにどうしようとだけ言われても、さっぱりである。
「お嬢様、言葉が足り無すぎますわ。」
「あっ・・・あのね。さっきの人は、グレゴリオ先生。ローレンシュタインの偉い音楽家なの。」
「ふんふん。」
「それで、私の演奏を聴いてローレンシュタインで音楽を学ばないかって。」
ローレンシュタインは音楽の街。どんな楽器でも音楽を志す者なら憧れてやまない街である。
結構知られた話なので、アレフとパティは直ぐにその意味を理解したが、シーラの表情に今は祝いの言葉を贈らず静
観しアスカの言葉を待った。
「だって私は、ただ皆に私のピアノが聞いて欲しくて。だから毎日練習して・・そんなプロピアニストになるとか考
えて無くて。」
よほど困惑しているのか、すこし支離滅裂になりかけている。
「逆に聞くけど、シーラは行きたいの?行きたくないの?」
問いかけに対して問いかけで返すアスカ。
「わ・・私は・・・・」
自分でも良く解らないからアスカに聞いたのだが、問い返され深く考えに沈むシーラ。
アスカはそんなシーラをみてしばし待ってから、口を開く。
「別に今直ぐ答えを出さなくてもいいんでしょ?だったら悩んで悩みつくすしかないんじゃないの?」
一旦顔を上げたシーラはそれを聞いて、再び深く、更に深く沈んでいった。
どうするべきか、どうするのが自分にとって良いことなのか。
アスカたち三人は邪魔しちゃ悪いからと、結局おめでとうの一言もいえないまま控え室を去った。
 
 
 
次の日ポストから新聞を取っていると、アスカの視線のかなり先のほうから誰かが走ってくる。
こちらに向かってくるのは、長い黒髪を揺らし昨日と全く同じ衣装に身を包んだシーラだった。
「ア・・アスカ君、わた・・・私ね。」
アスカの元まで来ると、膝に手をついて息を整えるシーラ。
「シーラ・・まさか一晩中・・・・」
「私ね、決めたの。」
アスカは自分が進言したことで、多少罪悪感を感じている。
だが背筋を伸ばし、朝日より眩しく微笑むシーラ。
「立派なピアニストになるには、ローレンシュタインに行くのが近道かもしれない。でも私はここに・・エンフィー
ルドに居る事にしたの。多少遠回りでも、エンフィールドで立派なピアニストになってみせる。」
その決意の表れであるかのようにアスカの手をとり宣言するシーラ。
シーラの艶やかな黒髪には未だ昨日の花が添えられていた。
多少しおれてきてはいたが、アスカには昨日以上にその花が生き生きしているように見えた。