アスカの言うとおりだよ
たとえどんな姿になったとしても
俺は俺だから
大切な人、大切な物、それは何も変わらない
だから、護るべき時がきたら
その時は・・・
ー ピート・ロス ー
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悠久幻想曲
第二十六話 獣
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とうとう訪れた満月の晩。
多少雲がかかってはいたが、大事をとってアスカとシャドウは昼間のうちにクラウド医院へピートを連れてきていた。
三人が訪れた時にはすでに、儀式の準備は大方済んでおり後は時を待つだけであった。
「ほ・・本当に大丈夫かな?何時ものようにわけわかんなくならないかな?」
廊下で座り込んでいるピートは、まるでこれから手術を受けるかのように不安がる。
心情的には似たようなものなのだろうか。
「心配するな。トーヤがしくじるはず無いだろ?それに不測の事態にはシャドウがいる。」
「任せとけ!って、お前も不測の事態には備えろ馬鹿。」
シャドウがアスカの尻を軽く蹴り、アスカもその蹴りを避ける。
意図しているのか、していないのか、その普段と変わらぬ行動に少しだがピートの心が落ちつく。
「お前達、じゃれてないで部屋にに入れ。はじめるぞ。」
この為に空けておいた病室から顔を出したトーヤに言われ、入室する三人。
病室の窓には幾重にも厳重にカーテンが引かれ、月の光をさえぎっている。
そして、あるはずのベッドは撤去されており、床に理解不能な方円と祭壇が設けられていた。
「ピートは方円の中心に座っていろ。俺たちは方円に踏み込まないように、その周りにいる。」
ピートは言われたとおり中心に座ったが、そわそわとしている。
普段でもじっとしているのが苦手なのだ、格別不安になってくるのだろう。
「座っているだけでいいのか?」
「目をつぶって祭壇に向けて手を組んで祈っていろ。」
そのトーヤの台詞にアスカとシャドウは疑問の目をトーヤに向ける。
本には座っているだけで、そのようなことは書いてなかったからだ。
トーヤは二人の視線に、人差し指を口元において答えた。つまり、彼なりのピートへの心遣いと言うことだ。
「それでは」
始めるぞとトーヤが言おうとした時に聞こえた来たのは、病院のドアを叩く音と焦った声。
「先生!助けてくれ、怪我人なんだ!」
「こんな時に・・」
「先生!」
トーヤは舌打ちをしたが、見捨てるわけにもいかず少しだけ時間をずらすと言い出て行った。
それを聞いてピートは脱力し、アスカとシャドウも肩の力を抜いた。緊張していたのだ。
「な・・なに、グアァ!」
それはトーヤの叫び声だった。何事かと、見えもしないのに声のした壁の向こうを見る三人。
直ぐに何かあったのだと、アスカがドアを開けようとするとドアが勝手に開いた。
勝手にあいたのではなく、誰かが開けたのだと気付いた時にはアスカは人影に突き飛ばされていた。
「なっ!」
シャドウが驚きの声を上げている間に人影は窓の所まで移動し・・カーテンを引きちぎり窓を突き破って逃げた。
カーテンの無い窓から差し込むのは、優しく包み込むような月の光。
「あ・・あ・・・」
ピートのその小さな手が大きく毛深くなっていき、やがてそれが全身へと広がっていく。
そして、ピートの毛深くなった顔から主張しているのは尖った耳と裂けた口。
「何をしている、ピートを押さえ込め!」
無事だったのか、トーヤが部屋に走りこんできて叫んだ。
シャドウはピートを動けなくしようと縛の符を取り出したが、アスカが取り押さえようと背後から飛び付いたのがま
ずかった。
「グオオオォォォォ!」
「うわあああ!」
ピートは背中に飛び付かれた事に驚き、アスカを背負ったまま窓から逃げ出してしまった。
「アホかお前は!!」
シャドウは窓から身を乗り出すと、民家の屋根を跳び渡るピートとアスカに向かって叫んだ。
「過ぎたことを言っても仕方が無い、追うぞシャドウ!」
「わかった!」
見通しの悪い夜に動き回るピートを追うのは難しいと思われたが、意外に簡単であった。
なぜなら、終始ピートの背にぶら下がるアスカの悲鳴が聞こえたからだ。
「おおお!落ち着けピート、俺だぁぁぁぁ!」
「あの馬鹿、逐一宣伝してんじゃねえよ。」
「この分では、要らぬ客がきてしまうな。」
「要らぬ客なら、すでに来てただろ!」
シャドウが言っているのは、もちろん乱入してきた人影である。
ピートを人狼化させて何の意味があるのだろうか。
「逃げた者のことは後だ、見失わないようにしっかり見ていろ。」
そう言いながらも、トーヤは先ほどのことを考えていた。
あれは明らかに自分の失態だと。悲鳴をあげる前に、せめて危険をアスカとシャドウに伝えれていればと。
シャドウとトーヤが夜空のピートを見上げながら走っている頃、アスカはいつまでもピートの背中で悲鳴を上げてい
たわけではない。
アスカなりに現状をどうすべきか考えていた。
「そうだ!獣なら魔眼を見せて大人しく・・」
『今のピートは、興奮状態で理性が無いから無駄だ。それに背中からどうやって見せる?』
魔眼でフサの長老が言うことを聞いてくれた事を思い出したが、直ぐブラッドにおまけ付きで否定された。
それじゃあと他にも頭をめぐらせようとするが、余りの揺れに酔いが回り始めた。
「ぎぼぢわりぃ・・」
『そのような事をいっている場合か、我慢しろ!』
「うう・・」
そうこうしている内に、ピートは民家を外れ陽の当たる公園内へと差し掛かっていた。
「ああ!気持ち悪い!!」
それが本音か、アスカは飛び回るピートを背中から思いっきり殴りつけた。
当然ピートはバランスを崩し落下し、アスカはその背から放り投げだされた。
腰を打ちつけたのかゆっくりピートの方に目を向けると、後頭部を押さえ震えており何処かコミカルだった。
「二人とも無事か!シャドウ、これをピートに嗅がせろ沈静効果がある。」
シャドウはその葉っぱを受け取ると、地面に寝ていたアスカをわざと踏みつけてからピートに近づいた。
ギュペっと意味不明な悲鳴が聞こえたが見事な無視っぷりだ。
「案外殴ったのは正解かもしれん。取り乱した者には、刺激を与えるのが最適だからな。」
「そうなんだ・・・あ〜、まだ気持ち悪い。」
やはり偶然かと呆れていると、人狼と化したピートがゆっくりと立ち上がった。
「お・・俺・・・」
その牙が並んだ口から出てきたのは、不釣合いなほどに高いピートの声。
意識が戻ったのかと安心するのはまだ早かった。聞こえてくるのは複数の足音とアルベルトの声。
「こちらの方に逃げたとの通報だ。探せ!」
まだ完全に意識の戻っていないピートを連れては逃げられないと、ピートを三人で庇うように周りに立つ。
こうしていれば、いきなり排除行動には出ないだろうと言う考えである。
やはり見つかってしまったのか、アルベルトを筆頭にボウガンを携えた自警団員が現れた。
「アスカ、シャドウ・・それにトーヤ先生まで。」
「アルベルト、この人狼に害意はない。矢を収めろ、さもなくば自警団員は二度と診ん。」
急患を目の前にすれば、絶対にそのようなことは無いだろうがアルベルトは反射的に矢を収めるように命令を出す。
人狼を庇いどういうつもりかと自警団員達が騒ぐ中、アルベルトがそれを問いただした。
「我々は通報で人狼が暴れていると・・どういうことですか?」
「ピートは暴れてなどいない。少々興奮して飛び回っていただけだ。」
「ピート?その人狼が?」
「ピートは人狼の生き残りなのだ。それに一度意識を取り戻せば、その姿も自由に変えられる。」
アルベルトを含め、自警団員の十を超える視線が俯いているピートに集まる。
「俺・・俺は・・・」
信じられないと言う顔をしたが、その聞き覚えのある声に本当なのかとざわめく。
正面衝突という最悪の事態だけは避けられたのかと、安心したアスカとシャドウ。
その時に聞こえた風を引き裂く音。肉に何かが突き刺さる音がし、アスカが吹き飛び倒れた。
「アスカ!」
叫ぶシャドウ。倒れたアスカに突き立っているのは一本の矢。
「誰だ!何処から飛んできた!」
アルベルトがすぐさま後ろを振り返り団員に確認するが、ボウガンを構えている者はいなかった。
すぐさま倒れたアスカをトーヤが診たが、すぐにある事に気付き叫んだ。
「いかん、ピートやめろ!」
「アスカ?・・アスカ・・・グオオオォォォ!!」
再び正気を失ってしまい、ピートがその力の矛先として選んだのはボウガンを持つ自警団員達。
その振り下ろされた腕をアルベルトは槍で受け止めたが、じりじりと押されていってしまう。
そして再び聞こえたのは、風を裂き肉に突き刺さる音。今度こそ自警団員だった。
「アルベルトさん、離れてください!」
「馬鹿野郎!なんてこと」
よろめいたピートに、次々と刺さっていく矢。
「やめろ!!」
命令を聞かずに放たれた矢は、アルベルトの槍から発せられた炎に消し炭にされた。
ズンと今は巨体となったピートのからだが地面に沈んだ。
全身に矢を受け、痙攣さえおこしている。
「シャドウ、アスカを頼む。俺はピート・・シャドウ?」
アスカは肩に矢を受けただけなのでシャドウに任せ、ピートを診ようとしたのだが。
シャドウは頭を抱え震えていた。
『ニンゲンめ!』
またしてもシャドウの頭に響くのは、低く重苦しい獣の王の本能の声。
シャドウはその声に、全力で力で抵抗していたのだ。
「シャドウ、何をしている。ピートを見ろ、動揺している場合か!」
だがそれを動揺と受け取ったトーヤは、矢を受け倒れたピートを指差し叫ぶ。
ゆっくりと視線を動かし倒れたピートを見たとき、シャドウの中で本能が今まで以上に叫んだ。
『ニンゲンめ!』
「あああああああああああああああああああ!!」
左目を血の色に染め、ボウガンを持つ自警団員に突っ込んでいく。
ただ止まれと警告したかっただけであろうが。シャドウの叫びにその指がトリガーを引いてしまう。
だが、放たれた矢はシャドウに届くことは無かった。一瞬にして魔眼により焼き払われてしまう。
そして矢を放った自警団員をその目でとらえ力を込めた時、シャドウの前に立ちはだかる者がいた。
「シャドウ!」
それは右肩に矢が突き刺さったままのアスカ。
無理に動いて傷が広がったのか、出血が多くなっている。
「殺すな!殺したって、後がめんどくせえだけだぞ!」
シャドウの足が止まったのを確認すると、振り向き右目の魔眼を発動させる。
複数の叫び声、その手の中のボウガンがいきなり燃えたのだ。
そしてそのまま膝を突いてしまうアスカを、正気に戻ったのかシャドウが支える。
「すまん、アスカ。」
「それより・・ピートは。」
アスカとシャドウがピートに視線を向けるとトーヤが診ているが、その表情がかんばしくない。
倒れた時は痙攣していたのに、今はそれさえなくピクリとも動かない。
「どうやら、間に合わなかったようですね。」
悔しさを交えた声を発したのはアリサをつれたアレンだった。
アリサはアスカの怪我に目を見開き驚いたが、今はとピートの方へ歩み寄っていった。
「トーヤ先生。」
「すまない、結局貴方の力を借りる事になってしまった。」
「かまいません。私は罪深い女ですから。」
そのやり取りの意味は、当事者であるトーヤとアリサにしかわからなかった。
アリサはトーヤによって矢を抜かれたピートを抱きしめると何やら呟いた。
その声はとても小さく、アスカにも断片的にしかきこえなかった。
「・・・大罪・・・び開・・・・・、・・神・・・力・・・・苦しみ・・・・・。」
言葉が進むにつれ淡い光がアリサを包みこんでいく。
『あれは・・まさか。』
アスカとシャドウはその光にどこか懐かしさを感じ、その光は強くなっていった。
目も開けれぬ閃光が辺りを包み、それが収まった頃にはその場には元の人の姿に戻ったピートと倒れているアリサ。
「アルベルト、アレン手を貸せ。シャドウはアスカを頼む。」
ピートをアレンに背負わせ、アリサをアルベルトに背負わせると医院に向けて走らせた。
シャドウもそれに続き、自警団員達はどうしようかとオロオロしだしたが、トーヤにお前達も火傷の治療が必要だと
言われついていった。
自警団員たちはボウガンが燃えたときに、その手に火傷を負っただけなのですでに帰らされていた。
この場にいる自警団員は、アルベルトとアレンの二人だけ。
アリサとピートはベッドに寝かせられ、アスカはその右肩に包帯を巻いて椅子に座っている。
シャドウ窓の近くにもたれ黙しており、トーヤが事の次第をアルベルトとアレンに詳しく話していた。
「大体のことはわかった。・・しかし、儀式の邪魔をした者や矢を放ったのは何者だ?」
アルベルトの疑問はその手の中にある一本の矢。
それはアスカに刺さった物だが、自警団員が支給されているものとは違うものだった。
「おかしな点はそれだけじゃありません。」
そのアレンの言葉には、アルベルトだけでなくトーヤも「何?」と呟いた。
「コレで三度目。天窓の洞窟の事件、トリーシャさんの誕生日の事件、そして今回。アスカさんの周りで事件が起こ
る時、必ずリカルド隊長が出張でいません。」
「二度までは偶然だが、三度目は・・」
「必然、自警団すら操るほどの大きな動きがあるのかもしれません。」
アルベルトの言葉を引き継いで、アレンがまた続けた。
シャドウは未だ黙したまま、アスカもどうでもよさげに聞き流している。
それはもちろん、黒幕を知っているからだ。
「そんな事よりさあ。」
「そんな事って・・・アスカさん、貴方が当事者でしょう。」
「その当事者が、気にしてないからいいの。」
呆れた顔をしたアレンを見事に無視して続ける。
「アリサさんのあの力・・って言っていいのか、なにあれ?」
今まで黙していたシャドウも流石にピクリと反応した。
アスカが聞いた相手は、もちろんトーヤにである。
「俺が勝手に話していいものじゃない。聞きたければ本人に聞け。」
「うわ・・卑怯。」
ギロリと睨まれ、目をそらすアスカ。
気を取り直して、もう一つ気になることをトーヤに聞いた。
「ピートの方は大丈夫なのか?怪我と人狼になってるときの意識は。」
「怪我はもう治っている。それと意識の方も大丈夫だろう。一度は理性を失いかけたが、その前には意識を覚醒させ
ようとしていた。後は慣れの問題だろう。」
それを聞くと今まで座っていたアルベルトが立ち上がる。
何も言わずにドアまで歩き振り返った。
「俺が言うのもなんだが・・気をつけろよ、アスカ。お前は本当に」
そのまま最後まで言わずに出て行ってしまうアルベルト。
そしてアルベルトを追うようにアレンも立ち上がり、予想だが付け加え、部屋を出て行った。
「どうやらアルも、アスカさんが無実だと思い至ったみたいですね。それじゃあ、僕も行きます。」
「さて・・夜も、もう遅い。泊まりたければ、空いている病室を好きに使え。」
そう言ってトーヤも病室を出て行き、残されたアスカとシャドウ。
「アスカ。」
「ん?」
シャドウが窓から、外の月を眺めつつ口を開いた。
「本当に助かった。」
「別に・・何時でも止めてやるが、カルシウムはちゃんと取っとけ。」
「そうだな。」
それからしばらく二人は窓から月を眺め、夜の静寂をゆっくりと楽しんだ。