緑の騎士



伸ばした分厚い舌の先に落ちたのは、水筒の口から流れ落ちた一滴の雫のみであった。
その事に軽く舌打ちをしたマーガスは、顔全体をすっぽり覆うフードの付いた灰色マントの中から辺りを見渡した。
樹脂でも塗りこんだような光沢を持つマントの中から除き見る光景は、水筒の水が全てなくなった今、地獄としか思えなかった。
長い山道を歩きにくくさえぎる様に乱立する岩と、容赦ない日の光を受けて熱く熱を持った岩肌ばかりで、緑の欠片一つ見当たらない。
このまま太陽の光の舌で干からびるのが先か、次の村へとたどり着くのが先か、考えるまでもないとマーガスは再び歩き出した。

「こんな姿でなんて、死んでも死にきれない。なら歩くべきだ、決まってる」

照りつける太陽の光を避ける様に光沢を持ったマントの裾をひっぱり地肌を隠す。
その時に伸ばした腕もマントにくるまれており、手のひらはミトン型の手袋に包まれていたりといった徹底ぶりである。
あまりに奇異ないでたちのマーガスは、さらに一振りの剣を背負っていた。
幅広の一目で大剣とわかるそれを、よろめくことなく背負い歩く姿が何よりも印象的であり、彼がただの旅人でないことを示していた。
次の村が見えず、さらに水筒の水が切れた状態でも彼の足が鈍る事はなかった。
岩肌ばかりが続く山道を迷いなく上り、もう少しで山頂に差し掛かる頃に人影が立ちふさがるように現れた。
山のふもとの住人か、旅人か。
日の光が逆行となってよく見えない相手へとちょうど良いとばかりにマーガスが声をかけようとすると、その人影は何も喋ることなく目の前で突然倒れこんできた。
思わず駆け寄り抱きとめたマーガスの腕の中でうめき声をあげた男の背中からは、凶暴な動物にでも食い破られたのかえぐれた肉から大量の血が流れ落ちていた。

「おい、しっかりしろ。一体何があった!」

「ば……け、が…………ばけもの」

途切れ途切れの呼吸の中で男が訴えたのは文章にすらならず、化け物とだけ息絶えるまで繰り返し呟いていた。
化け物と言う言葉に歯を食いしばる様にして耐える素振りを見せたマーガスは、息絶えた男をその場に置いて走り出した。
山頂からくだりへと変わった道のりを駆けると言うよりも、跳ねるように身軽に駆け抜ける。
すると幾ばくも進まぬうちに見えてきたのは、空から巨大な剣でも落ちたかのような光景であった。
大地から伸びる巨体が、空を食い破るように開いていたあぎとを閉じると、何かを飲み込むようなしぐさを見せた。

「あれは、大蛇か。なんて大きさだ?!」

その足元には横倒しになった馬車が何台もあり、原型をとどめている物は一つとして見当たらなかった。
疑うまでもなく危険な相手だと判断したマーガスは、ミトン型の手袋の上から背負った剣の柄へと手を伸ばした。
鞘から解き放たれた刃が輝き、大蛇がそれに気づいた。
睨み付けた得物を怯ませる眼光を放った直後に、マーガスの遥か頭上から落雷のように急降下して襲う。
大地ごとえぐる様にしてその口の中に放り込まれたが、砕けた岩だけの噛み心地に忌々しそうに岩を吐き出している。
肝心のマーガスはというと、

「こっちだ!」

声に反応して大蛇が見上げた直ぐ目の前にいた。
高く跳び上がったマーガスを大口を開けて飲み込もうとするが、鋭い斬撃が生み出す光が大蛇の牙を折る方が速かった。
何が起きたのか理解できないままに苦しみ悶えようとする大蛇の体を、牙を追った剣に力を込めて真っ直ぐ切り裂いていった。
青い血の雨と共に着地したマーガスの背後で、大蛇の体が地響きを鳴らしながら倒れこむ。

「化け物か」

振り返り大蛇の死骸を確認したマーガスは、忌み嫌うのではなく、同情を込めた呟きを何故か呟いていた。
感傷に浸っているのも一瞬の事で、すぐに辺りを見渡し始めた。
あまりに大きな大蛇に目を奪われ気づかなかったが、辺りには最初に出会った男と似たような格好の人々が倒れ息絶えていた。
全滅なのかと呟きそうになった時、声が聞こえた。
とてもか細く、今にも消えてしまいそうであるが必死にここにいると叫んでいるような声。
一体何処からとフードに包まれた耳をそばだてると、その声は横転して破壊された馬車の方からであった。

「あっちか、待ってろ。すぐに助け出してやるからな」

馬車の瓦礫を丁寧に、ゆっくりと除去していくと瓦礫となった木材の中でぽっかりと空いた空間の中に泣き声の主は居た。
年の頃は十歳から十二歳といった小さな少女であった。

「ほら、もう大丈夫だ。怖い大蛇はもういないぞ」

「……ック、ヒック。おじさん、誰? 皆は? 大蛇はどうなったの?」

どうやら最初に馬車を横倒しにされた時に、そのまま埋もれてしまっていたらしい。
未だ涙をぽろぽろとこぼす少女になんと説明してよいのか、おじさんと不本意な呼び方もよそに困っていたマーガスはとある事に気づいた。
普通こういう場合、子供は真っ先に親を呼ぶものではないのかと。

「大蛇はなんとか倒したが、皆やられてしまった。私が来た時には、もう…………すまない」

「どうして、殺さないでって言ったのに。私はただ、探しに行こうって売られたわけじゃないのに」

混乱でもしているのかマーガスには理解できない言葉を並べ立てた瞬間、少女が爆発でもするかのような勢いで泣き始めた。
抱きしめ慰めてやりたいのは山々であったが、マーガスには抱き寄せないかわりに黙って頭を撫でてやることしか出来なかった。
その事を激しく歯がゆく思いながらも、少女が泣きやむまでずっと頭を撫で続けていた。
忍耐強く言葉ではなく手のひらで慰めていた少女が泣き止んだのは、日が傾き出してかなりの時間が経った頃であった。
どんなに考えても今日中に次の村にたどり着くのは無理だと諦めたマーガスは、多くの死体から離れた場所を選び、夜の闇を少しだけ退ける焚き火を始めた。
あたりに枯れ木は見当たらなかったが、壊れた馬車の木片を持ってきておいたので薪には困らなかった。
ついでにもう誰も使わないだろうからと、水や食料も拝借していた。

「ねえ、おじさん」

「おじさんは止めてくれないか。こんなマントで姿が見えないだろうが一応まだ二十三なんだ。お兄さんの方が嬉しいな」

「おじ……えっと、お兄さん。なんでそんなに焚き火から離れてるの?」

とても不思議そうにリコと名乗った少女が尋ねるのも無理はなかった。
焚き火からわずか一メートル足らずの場所にいる彼女とは違い、マーガスは焚き火から二メートルも三メートルも離れていた。
それでは明かりとしてはともかくとして、暖を取る意味が殆どなくなってしまう。

「気にしないでくれ、火が苦手なんだ。色々あってね、火の近くは駄目なんだ」

「良い人だね、お兄さん」

突然の言葉に今度首を捻る事になったのは、マーガスのほうであった。

「大蛇を倒したからかい?」

「ううん、違うよ。私が夜を怖がるだろうからって、火を起こしてくれたんだよね」

「それもあるが。ご飯は温かい方が良いだろう?」

見た目よりも随分大人びた物の考え方が出来る子なんだと驚きながらも、マーガスは焚き火の近くに寄り、火で暖めておいた干し肉を差し出した。
リコもそれを受け取ると、すぐにかぶりつき出していた。
本当はあまり食欲のなさそうな顔をしていたのだが、無理にでも食べなければ生けない事を半ば理解しての事のようだ。
大声で泣き喚いていた時とは落ち着きが違い、相当聡明な子なのかもしれない。

「食べながらでいいけれど、リコは近くの村からあの馬車で?」

「うん、歩いたら子供の私でも一日でつけるところにあるよ。わたしね、お母さんとお兄ちゃんがいなくなって、あの商隊の人たちに頼み込んで村を出たの」

なんと言えばよいのかマーガスが迷っているうちに、ポトリとリコが持つ干し肉の上に雫が落ちた。

「あれ? あは……一緒にいたのはたった一日だったけど、悲しいね。知っている人が死ぬのって」

その表情は大人びているのか、大人になろうと精一杯背伸びをし、立て続けに起こった隣人の死を小さな少女が理解しようとしているのか。
どちらか解らないながらもマーガスは、焚き火を挟んで向かい合っていた場所から立ち上がり、焚き火を回りまわってリコの隣に腰を下ろした。
そんなマーガスの行動を不思議そうにリコは見上げて尋ねる。

「お兄さん、火。駄目なんじゃないの?」

「火の勢いを落とせば大丈夫だよ」

本当は火が放つ熱が、体を乾かそうとする光熱がたまらなく不快であった。
だが死と言う現実に立ち向かおうとする少女を放って置けるはずもなく、マーガスは久方ぶりに他人へと近寄る事に耐えていた。
黙ってリコが干し肉を食べ終わるのを待ち、やがて眠そうに目をこすり始めたリコに寝るように促した。
マーガスのマントの裾を掴みながら寝入ったリコの頭を撫でながら、マーガスは自分の臆病さを呪い罵り続けていた。
ゆっくりとリコのまぶたが閉じ始めたのを確認して、頭を撫で付けるのをやめると、マーガス自身も剣をそばにおいて焚き火にありったけの薪を放り込んでから横になった。





翌朝、リコよりも早く起きたマーガスは何事もなく夜が明けたことに首をかしげていた。
昨日大蛇を倒してからしばらく誰かの視線を感じていたような気がしたのだが、気のせいかと思い直しリコを起こした。
まだ眠いのか無意味な唸り声を上げながら抵抗する所など、やはりまだ子供であった。
少し可哀想ではあるが無理にでもリコを起こしてから、マーガスは手持ちの水や食料などを確認してからリコと一緒に山道を下り始めた。
リコが子供でも一日でと言うだけあって、下り始めた山道の遥か舌には村らしき集落が見る事が出来た。

「ねえ、おにいさん。村に着いたらどうするの?」

「まずは事情を話して村長さんに君を渡すよ。身の振り方はもう一度村長さんに決めてもらうと良い」

「私のことじゃなくて、お兄さんがなんだけど」

「私?」

何故そんな事を尋ねるのか、不思議に思いつつも特に隠し立てする事でもなくマーガスは答えた。

「水と食料を譲り受けて、また直ぐに旅に出るよ」

「ふ〜ん、なんで旅をしてるの? その変わった格好と関係があるの?」

「君は鋭いね。そうさ、少し前に全身に大火傷を負ってしまってね。マントの下はとても醜い体なのさ。だからそれを治せる医者か、すごい力を持った魔法使いか誰かを探してる」

「そうなんだ、見つかると良いね」

「ああ」

見つかればいいなとは、マーガスは簡単に答える事が出来なかった。
今まで一体何人の医者に怯えられた事か、恐れられた事か。
まともに診察も受けられないで、体よりも心に傷を負うことのほうがずっと多かった。
となれば魔法使いと言うわけだが、医者などと違いその存在はとても稀有なものであった。
少しマーガスが口を閉ざしてしまった事で、リコも触れてはいけない事に触れてしまった事を察したのか会話が途切れたままになってしまった。
途中の何度かの休憩も、マーガスから水を飲むかと尋ねられ、リコも「うん」か「いらない」と答えるぐらいになってしまった。
村までの距離を歩くよりもお互いに無言になってしまった事のほうが苦痛で、妙な話、自然と二人の足はスピードを上げていた。
おかげで昼を過ぎ、空が朱に染まりきるよりも前に村がすぐ目の前へと迫ってきていた。

「もう少しだな、まだがんばれるな?」

そう言って振り向いた先には、マーガスの想像もしなかった表情のリコがいた。
躊躇うように、まるで村へと帰る事を拒むような顔を見せていた。

「リコ?」

「ついて行っちゃ駄目かな、お兄さんに」

それが村にたどり着いた後の事を言っているのは明白で、だからこそ最初に村についた後のマーガスの行動を尋ねたのであろう。

「朝にも言った通り、私の旅路は行く先も不明だ。そんな旅に君みたいな女の子は連れて歩けないよ」

「うそ」

「うそ、え?」

「真に受けて、冗談に決まってるよ。あはは、会ったばかりのお兄さんについていくわけないよ」

笑いながら村へと駆けていくリコを見送りながら、何処までが本気なのか、本当にその通り冗談なのかマーガスは計りかねていた。
どうにもリコという少女の性格がいまいち掴みきれないのだ。
そもそも昨日出会ったばかりで完全に掴む事が無理なのだが、どうにもリコは捉え所がなさすぎた。
幼子のように泣きじゃくったかと思えば、同年代と話していると錯覚してしまうほどに大人びていたりと印象がコロコロと良く変わっていた。

「でも、それもここまでか」

小さな同行者を伴い、何事もなかった事に安堵しながらマーガスは村へと足を向けていった。
村へと足を踏み入れた直後には、怪しげな鈍く光るマントで全身を覆ったマーガスは刺々しい視線を幾つも感じたが、それも自分の下にリコが戻ってくるまでであった。
リコの後から一人の老人、村長らしき人に山の上であった大蛇の事を話すと、たいそう喜び村人総出で歓迎してくれた。
全滅してしまった商隊についても後日手厚く葬ってくれるように頼んだ後に、マーガスは村長の家へと招かれた。
当初は水と食料を貰ってすぐにでも旅立つつもりであったが、引き止めるリコと村長の手によって連れて行かれてしまった。
頼んでもいないのに並べられたご馳走を前に、改めてと村長が頭を下げてきた。

「本当に、ありがとうございました。確かに顔見知りの商人たちが被害にあったのは残念な事ですが、その後の憂いを断って頂いた事には大変感謝しています」

「たまたま通りがかっただけだと言いたいところですが、一つだけお礼として答えてもらえませんか?」

「それはもう、なんなりと」

木を削って造ったワイングラスに酒を注いでもらう傍らに、マーガスは尋ねた。

「この辺りでなくても良いのですが、腕の良い医者か、特別な力を持った魔法使いはいませんか?」

「それは……」

「リコにも少し話しましたが、このマントの下の体は酷いありさまです。とても人様に見せられるものでもなく、それを治せる程の腕を持った人を探しているのです」

「あいにくですが、それだけの腕があればこの辺りでは、そう言った噂一つ聞きませんな」

恩人の問いにはと答えたそうな村長の答えは、知らないと言う答えでしかなかった。
マーガスもその答えはある程度予測していたため、それほど落胆する事はなかったが、村長の奥さんらしき女性が口を挟んできた。

「お爺さん、マーガスさんはこの辺りの人でなくてもと言っているではありませんか。それなら一人ご存知でしょう?」

「知っているのですか?」

「知っていますとも、かの有名な大賢者ギアス様です」

奥さんが教えてくれた名前には、マーガスも聞き覚えがあった。
名前の前に大賢者とつく事から解るように、その人は知識の塊のような人であったらしい。
国の基礎となる法や制度を最初に作り上げたとまで言われる賢人であるが、その存在は酷く怪しく生きているかどうかさえ怪しい。
なにせ親や祖父母が子供に勉強させようと話す昔話に登場するような人物である。
ならば何故そんな人の名を出したのか、不思議がるマーガスへと奥さんは続けた。

「実はこの土地へと大賢者ギアス様が立ち寄った事があるんです。本人が言うには先祖にそう言う人が居たらしいと控えめに言っていましたが、とにかく頭の良い人で子孫ではなく本人なのではと村中で噂になったこともありますよ」

「それで、その人は?」

「そこからは私が話しましょう。期待をさせてしまってすみませんが、八年ほど前に奥さんと子供を置いてふらりと姿を消してしまったのです」

そこまで言ってから口ごもるようにして村長はリコをちらりと見て、何かを確認してから告げた。

「実はその子供がリコなのです」

「なるほど、見た目に反して賢いわけか」

「お兄さん、わたしのことをそんな風に思ってたの?」

「まあね。君はどこか子供らしくないというか。何かあるような気はしていた」

どうも奥さんに比べて村長の方は、この話をあまりしたくなかったようで、区切りをつけてマーガスに食事を勧めだした。
大賢者ギアス、その名をあてにしなかったと言えば嘘になるが、本当にいるのならばと我知らずマーガスはフォークを力強く握り締めていた。
食事を始めてからは村長とその奥さんとたわいのない話をしながら時間が過ぎ、そろそろ眠気が襲いだした頃、先に食事を終えたリコが席を立ちマーガスのマントを引っ張った。

「お兄さん、今日はわたしの家においでよ。村長さん、まだわたしの家残ってるよね?」

「ああ、まだ残っているが……」

「だって、ほらこっちこっち」

「あまり引っ張らないでくれるか?」

マーガスの言葉で火傷の事を思い出したのか、ぱっと手を離したリコは手招きでマーガスを外へと誘い出した。
何か心配そうな視線を向ける村長をいぶかしながらもマーガスは、リコの言うがままに後を追った。
外はすっかり日が落ちており、昼間の日差しによる暑さとは違う、肌寒い空気が辺りを支配していた。
真冬のように身を刻むような寒さではないが、自然とマーガスは身を包むマントをしっかり体に巻きつけるように締め付けていた。

「ねえお兄さん、明日には行っちゃうの?」

「そのつもりだ。だけど、君を連れてはいけないよ。君にどんな理由があったとしても、自分の事で手一杯の私にはとても」

「私が大賢者ギアスの娘かもしれなくても?」

「君は本当に見た目通りの年齢なのか?」

言葉に出さなくても、リコの示したカードは取引である事に間違いはなかった。
村長やその奥さんもリコが大賢者ギアスの娘かもと言う話はしていたが、目の前で不適に笑うリコはまだ他にカードを持っているのではと思わされる。
大賢者ギアスの娘だとしても、本人の居場所を知らなければ何にもならないが、カードそのものを引っ込められる恐れから指摘できなくなってしまう。

「明日までに考えておくよ」

そう言うのが精一杯のマーガスであったが、リコの方はもはや連れて行ってもらえるのが決まってしまったかのよう嬉しそうにマーガスの腕に抱きついてきた。
決断する事で頭が一杯であったマーガスにとってそれは突然すぎて、よろけた拍子で顔を覆っていたフードが一瞬めくれていた。
慌ててフードを被りなおし、軽くリコを中止してから案内されるままにリコの家へと足を向けた。
リコの家は村の離れにあるようで、辺りに同じ村人の民家は皆無で、村長の家からかなり歩く事になった。
大賢者の血族、または本人が住んでいたには普通過ぎる木造の家の玄関にリコが触れ、マーガスが上がりこもうとすると、遥か後方に複数の人の気配が現れ出した。
明かりにしては仰々しすぎる松明を何本も持った男達で、思わずリコを後ろにかばったマーガスの前で男達は取り囲むように円を作り出し始めた。
その中にはリコの見知った顔もあるようで、村人なのかとマーガスが疑うよりも先にリコが男達へと話しかけた。

「どうしたの。おじさんたち。なんか変だよ?」

「リコ、なにも言わないからゆっくりとこちらへ来るんだ!」

命令するような口調で一人の男が言うと、逆効果であるようにリコがマーガスの後ろへと隠れた。
マーガス自身も一体何事かと驚いてはいたが、頭のどこかで何が起こっているのか、かつての記憶と似たような光景に思い当たりがあった。
そしてマーガスが取り囲まれて数分、やや息を切らせた村長が前へと進み出た。

「リコを助け、大蛇を退治してくれた恩人を疑いたくは無いが、そのフードをとってはくれまいか?」

「お断りします。先にも言いましたが、あまり人に傷跡を見せたくはないのです」

「例え、それが自分が疑われる元となってもですかな?」

元と村長は言ってはいるが、もはやすでにマーガスは疑われているも同然であった。

「村長さん、なんのこと? お兄さんが何かしたの?」

「やはり、君を連れて行くことはできないようだ」

「お兄さん!」

リコの叫びを切欠として、マーガスは空へと跳び上がっていた。
村人達の包囲網などは関係ないとばかりに、軽々と村人達の頭上を飛び越え遥か後方で着地した。
夜空のせいで村人たいはよく見えなかっただろうが、どんな脚力であれば大の大人の頭上を軽々と飛び越えられるのか、いきり立っていた村人達の何人かはぽかんと口を開けて固まっていた。

「できれば追ってこないで欲しい。私は誰も傷つけたくはない!」

そういい残し、再び大きく飛び上がりながら姿を消していったマーガスを、ハッと我に返った村人達が松明を手に追い始めた。
すぐにリコも後を追おうとしたが、その手を残っていた村長がしっかりと掴んでいた。

「リコ、行ってはいかん。仮にも恩人を悪くするつもりはない」

「だったら、なんで大勢で取り囲もうとするの? 言っていることとやっていることが違うじゃない!」

たかが十歳児の言葉によって村長はその手を離してしまい、リコもまた追いかけ始めた。





到底村人に追いつくことの出来ない脚力と跳躍力を持ったマーガスであったが、村の男が総出で探す村の中に身を潜めていた。
本来ならば直ぐにでも村を出るべきであったのだが、マーガスの手元には旅に出るための水と食料がほぼ皆無なのだ。
この村で補給できると思い込んでいたために、山頂で襲われた商隊からは最小限しか頂いてきていなかった。
数人の男達が直ぐ目の前をかけていく中で、せめて水だけでもどうにかできないかと考える。
民家の影に潜みながら、せめて井戸から水でもと辺りを見渡した時に、背後からマントの裾をつかまれた。

「しーッ」

思わず振り払おうと振り向いたそこには、どうやって見つけたのかマントを掴むリコが、自分の唇に指際を当てていた。

「お兄さん、これ。出て行っちゃうなら必要でしょ?」

リコが差し出してきたのは、水がたくさん詰まった水筒であった。
ここまでくると感心よりも、呆れてしまう。
さらにせめて食料も持ってきたかったんだけど、急すぎて用意できなかったと言われればなおさらだ。

「気持ちだけで十分だよ、ありがとう」

「どういたしまして」

そう言って笑うリコに、笑って別れを告げればそこで終わりであったのだが、マーガスは聞かずには居られなかった。

「君は、もう想像ついているんじゃないのか。このマントの下が、火傷なんかじゃないって」

「うん、お兄さん火が駄目だって言う割には自分で焚き火を世話してたし。火じゃなくて、火が起こす何かが駄目なんだなって思ってた」

「正解だ。火の起こす熱が、体を乾かすから駄目なんだ」

何故そこで自分からフードを外したのかは、マーガス自身もわからなかった。
ただリコならばという希望だったのかもしれないが、フードの下のマーガスの顔を見て息を呑む声が聞こえた。
闇夜に、テラテラと得体の知れない液体で照りかえる表皮は緑色で、両目はリコの拳ぐらい大きく、マーガスの意思とは無関係に落ち着きなく辺りをキョロキョロと見渡している。
化け物と言えばそうであるが、その顔はまぎれもなくカエルであった。
マーガスが隠そうとする皮膚の全ては緑色で、ミトン型の手袋のしたは水かきのある三本指であった。

「怖いかい?」

「想像してたよりも。でもそれは見慣れてないからだよ。誰だって自分と違う所が他人にあればびっくりする。でも肝心なのは、それから。何時までもびっくりし続けるのか、慣れた上で普通につきあっていくか」

そう言うとリコは、マーガスの手袋を外し始めた。
言葉通りおっかなびっくりという感じではあったが、しっかりとその手を取っていた。

「わたしはお兄さんが優しい人だって知ってるから、だから大丈夫、信じられる」

「君のその言葉は、百人の罵声に勝る勇気をくれるよ。水、ありがとう」

リコの手を離し、手袋をはめなおしたマーガスは、再度の礼を言ってから家の影を飛び出していった。
すぐさま村人たちに発見された様な声が響いたが。カエルの姿が生み出す脚力で振り切っていったようだ。
その事にほっとしたリコは、言い忘れた事があったとうっかりしていた自分の頭をコツンと叩いていた。

「大事な事、お母さんもお兄さんと同じだったって言うの忘れちゃった。もしかしたらお兄さんも同じかもしれない」

その考えを振り払うように、首を振ったリコはゆっくりと自分の家へと足を向けた。





硬い岩がベッドでも、清々しい朝があるものだと改めてマーガスは知る事となった。
現に朝日を目の前にしてからだの節々は痛むものの、一人の少女に自分の姿を認めてもらえた事実が希望と言う活力をみなぎらせてくれていた。
リコから貰った水を軽く口に含んだマーガスは、昨晩の村がある方角を眺めた。
目の上に手をかざし、村が視界の中で一望できる程度にしか離れていないのは、夜間の移動を極力避けたためであった。
できる事ならもう一度だけでもリコと話がしたかったが、周りがそれを許さないのは解りきっていた。
だからマーガスは村を背にする。

「大賢者ギアスか。それぐらいの知を持つ物にしか、治せないのかもしれないな。この体は」

確かな物ではないが、目標が出来ただけでもマシかと一歩を踏み出したところで、大地が横に揺れた。
地震かと思った揺れであったが、揺れ方に何処か違和感を感じたマーガスは誰かに引かれる様にして振り向いていた。
リコのいる村から立ち上る砂煙、それを裂くようにして一匹の大蛇が空へと上るのを見た瞬間、己の失態を知り走り出した。

「まさか、まだ一匹残っていたなんて。くそ!」

走るのさえまどろっこしいと、距離を稼ぐようにして跳び跳ねていく。
幸いにしてさほど村から離れていなかったために、十数分でたどり着く事ができた。
だが間に合ったとは到底言えず、もうすでにそこは地獄となっていた。
村人達の大半は逃げ惑い、残りの大半は地面に倒れうめき声一つ上げることなくたんたんと血を流していた。
マーガスが呆然とする間にも、やや離れた場所に地面を食い破るように現れた大蛇が村人を空へと跳ね飛ばしていた。
その叫び声にハッと我に返ったマーガスは、自分の方へと逃げて通り過ぎようとした一人の村人の手を掴み引っ張った。

「おい、リコは無事なのか?!」

「うるせえ、アレが見えねえのか。村長の奴、だからあんなの直ぐにでも殺しちまえっていったんだ。こうなる前に!」

返答にならない言葉を叫んだ直後、マーガスの手を振り払って村人は再び逃げ出した。
どうやら錯乱しすぎて昨晩追い回した相手だということすら気づいていない様子であった。
リコを先に探すべきか、大蛇を止めるべきか。
迷いながらも大蛇が居るであろう方角を見つめた時、すでにその姿は消え去っていた。
不自然に揺れる地面の下から、来るかと剣を抜いた直後、先ほどマーガスが引き止めた村人が地面から現れた。
止められないタイミングに意味もなく手を伸ばしたマーガスの前で、村人は大木よりも太い胴体に巻きつかれ砕かれてしまった。
凍りつくようにマーガスは固まってしまったが、それは村人が殺されたからではなく、その大蛇の姿に対してであった。
大蛇の大口の中に守られるようにひそむのは人間の女性の上半身であり、その女性の目がマーガスをとらえて離さなかった。

「貴様は、私の息子を殺した……貴様が、何故殺した同胞よ!」

「同胞? 何を言っているんだ。俺はただ、人を襲っていたから」

「貴様こそ何を言っている。これは復讐なのだ。同胞ならわかるであろう。奴に無理やりこんな姿にされ、何も知らない人間に忌み嫌われたのなら」

大蛇の口に潜む女性が何を言っているのか、マーガスにはほとんどわからなかった。
マーガスのマントの下の姿はカエルであり、目の前の大蛇とは似ても似つかないどころか、自然的に見れば天敵である。
それに友人や恋人から忌み嫌われたのは本当であるが、無理やりこんな姿にされたとは誰かが意図してかけた呪いなのか。
もしや目の前の相手は自分よりもよほど詳しいのかと口を開きかけた時、大蛇の体に飛んで来たカマが刃を立てようとして失敗しカランと音を立てて落ちた。

「化け物が。よくも、よくも俺の妻を。死んでしまッ……カッ…………」

突然自分で首を絞めるようにしだした村人を、大蛇と口の中の女性の四つの瞳が鋭い光と共に睨みつけていた。
ヘビに睨まれたカエルのように身動きを止めてしまった村人はよだれや鼻水、涙を流しながら何かを求めるように空へと手を伸ばし、弾ける様に全身から血を流しながら果てた。

「なにを……もう、やめろ!」

「邪魔をするな!」

次なる得物を求めて次の村人を探そうとした大蛇へと駆け寄ろうとしたマーガスへと、先ほどの村人へと向けた眼光が向けられた。
金縛りになったように前身が言う事を聞かず、それだけに飽き足らず全方位へと引っ張られるように体全体が軋み出した。
言う事の聞かない手のひらからは大剣が零れ落ち、何か暖かい物が喉元を通り過ぎようとしていた。

「もう止めて!」

そんなときだ、幼き少女の叫びが鳴り響いたのは。

「もう止めて、お母さん!」

その叫びが大蛇の眼光を緩め、金縛りから解き放たれたマーガスは何よりも先に空気を求めて胸を引っかくようにしていた。
咳き込んでいるマーガスの視界の端では、大蛇と、その大蛇を母と呼んだリコがいた。
そう、一度たちともリコは母親と兄が死んだなんて口にしていない、いなくなったといったのだ。
マーガスはてっきり父親の疾走と共に、やがて死んだと勝手に思っていたのだが。

「リコ……何故、同胞とはいえお前の兄を殺したその男を。何故止めるのだ。それに村人達は私達だけに飽き足らず、お前までも村から追い出した!」

「お兄ちゃんはもう、心まで化け物になってたじゃない。何の関係もない商隊の人たちを殺して。どうして止めてくれなかったの? お母さんなら、まだ心までは化け物になってなかったお母さんなら…………そのためにお父さんを探そうと村を出たのに」

「煩い、煩い。やはりお前は色濃くあの人の血を継いでいるだけのことはある。信じられない、もう。何もかもが信じられない! その愛する夫が私と息子をこんな姿にしたんだぞ!」

「お母さん!!」

大蛇の尻尾がリコの体を目指してなぎ払われた。
もしもその尻尾が当たればリコの小さな体なの人形のように軽々と吹き飛ばす事であろう。
まだ空気を求めあえぐ体を叱咤しながら、マーガスは駆けた。
リコの体を抱き上げ、跳び上がったマーガスの真下を大蛇の尻尾が駆け抜けていくがそれで終わりではなかった。
あの四つの瞳が、得物を縛り付けて放そうとしない大蛇の瞳が狙いを定めていた。
上空でアレを浴びてはと、がむしゃらに振り回した大剣がバチンッと何かを弾いたような音を立てたままに、バランスを崩したマーガスはリコと一緒に落ちていった。
まともな体勢を取れない中で、民家の屋根へと落ちたのは不幸中の幸いであった事だろう。
屋根を突き破り屋内へとリコを庇って背中から落ちたマーガスは、背中に激しい痛みを感じながらリコを案じた。

「リコ、大丈夫か?」

「私は大丈夫……けど、聞いてたよね。さっきの話、もしかするとお兄さんのその姿も私のお父さんのせいかもしれないの」

「大賢者ギアス」

マーガスが呟いた直後、リコはマントへと顔をうずめるようにして呟いてきた。

「お兄さん、お願いがあるの。私のお父さんが原因なのに、こんな事頼む方がどうかしてるのもわかってる。でもお母さんを、お母さんを殺して……これ以上、お母さんが罪を犯さないうちに。お願い」

いくら聡明な子供でも、リコがそう告げた声は泣いていた。
聡明だから自分がどんなに酷い事を願い頼んでいるのか理解しているからかもしれない。
親の死を望む親不幸ぶりと、マーガスの姿が自分の父の暴挙のせいであるかもしれないことに苦しんで。
そんなリコの頭をなでつけながら、マーガスは答えた。

「わかった。君のお母さんを止めよう。出来るだけ殺しはしない」

「お兄さん」

殺した方が何よりも早く、後にリコ以外憂いの残らない結果となるのは解っていた。
だがマーガスは自分を追い回した村人達よりも、自分の姿を見ても信じられると言ってくれたリコの気持ちを優先させたかった。
それには出来るだけ剣を振るうことなく相手を止める事が求められるが、その為にはこの辺りに容易にはないある物が必要であった。

「リコはこの辺りに隠れていてくれ、それとこの辺りに井戸はないか?」

「井戸、あるけど解りにくい場所があるから私も行く。お兄さんに辛い事を頼んでおいて、自分だけ隠れてられない」

「しかし……」

「こっち、ついてきて」

無理に隠れていろと言っても、隠れて付いてくる可能性があると思ったマーガスは何も言わずリコの後を追って民家を出た。
その途端に崩れ出した民家の上からリコの母親であるらしい大蛇が、民家ごと押しつぶそうとその体で体当たりをしていた。

「いない、何処へ。そこか!」

殺気、それに似たものを背中に感じタ刹那、マーガスは振り返り大剣を盾にするように構えていた。
またしても上空での様に何かを弾いた感覚が手に残り、マーガスは再びリコを追って走り出した。
大蛇の眼光は予想したとおり普通の人には見えない不可視光のようで、ただ睨む行為とは少し違う魔法のようであった。
二度も弾かれ、それでは駄目だと大蛇の方も気づいたようで、接近しようとマーガスを追い始めた。
時にその大きな体でマーガスを押しつぶそうとし、隙あらば眼光での金縛りを飛ばしたりとマーガスは背中に気をとられ先を走るリコを何度も見失いかけていた。
リコに被害が及ばないだけましだったのかもしれないが、一体井戸は何処だと何度目かの眼光を剣で弾いた時にそれは聞こえた。

「お兄さん、ここ。井戸はここだよ!」

リコが叫んだ場所では簡素な屋根を持ち、円柱型に石を組んだ典型的な井戸の姿があった。
その井戸へと飛び込む姿勢をマーガスが見せると、何かをするつもりだと悟った大蛇が先を越そうとその大きな体を跳ねさせた。

「リコ、逃げろ!」

「きゃあぁぁぁぁぁッ!」

マーガスの目の前で、リコの直ぐそばで大蛇が頭から井戸へと突っ込み破壊されたそれから水柱が立ち上った。
雲のまばらな空から雨の様に水が降り注ぎ、あたり一面に水溜りを造り始めた。
水溜りの中でしりもちを付いているリコの目の前で、高笑いしながら大蛇が地中を食い破り再び現れた。

「何をするつもりだったのかは知らないが、これで万策尽きたであろう。絶対に許さない、同胞も血を分けた娘であろうと。何もかもを許さない!」

「お母さん」

「もうそうするしかないんだ。もう私はただの化け物なんだから」

「いや、違うね」

自暴自棄となった叫びに答えたのは、マーガスであった。

「アンタは村を襲うまでは人間だった。俺がリコを村まで連れて来る間、ずっと見てたのはアンタだろ? 娘が心配で、俺が危ない人間だったらすぐにでも助けるつもりだった。姿はどうあれ、それは母親として普通の人間と同じだったよ」

「そうだ。お前の言うとおりだ。だが村人達はそんなお前を追い回した。このままではいずれ娘のリコもそうなると思ったからだ」

「だからって村を襲ったのが間違いだった。アンタはその瞬間、自分から人間である事を捨てたんだ」

「違う、私は人間として扱われなかった時に、人間ではなくなったのだ。偉そうに御託を並べるお前とて、だからこそそんな布きれ一枚で自分を隠しているのだろう?!」

忌み嫌われたその姿を指摘され、一瞬だけマーガスは戸惑う自分を自覚していた。
だがそれでもとマントの止め具に手をかけると、一気にはがして自らの姿を太陽の下でさらして見せた。
醜くいカエルの顔とぬめりを持った緑色の肌を持った姿を。

「そうさ、俺は化け物だ。だがな、心まで化け物になったつもりは微塵もない。お前のように!」

「私は、人間だ!!」

マーガスを押しつぶそうと、再度大蛇が宙を舞うように跳ねた。
それをかわす素振りを見せず、マーガスの口がゲコッと本当のカエルの様な声を上げていた。
大木よりも太い大蛇の体がマーガスの体を押しつぶし、地に落ちた水を跳ね上げた。
水溜りが再び雨になって降り注ごうとしていたが、雫となったそれらが再び大地に落ちる瞬間は訪れなかった。
時が止まったかのように、宙に浮き続ける雫に戸惑う大蛇の耳に潰れたはずのマーガスの声が届く。

「カエル魔法、シャボン」

浮かんでいた数多くの水滴が膨らみ、薄い膜を持ったシャボン玉となって辺りを埋め尽くし始めた。

「なにが魔法だ。こんなもの!」

尻尾を使い辺りを埋め尽くすシャボン玉を振り払うが、フワリと自在に浮き上がるシャボン玉は羽毛のように尻尾をかわしていった。
普通ならばいくらかろやかなそれでも、一つや二つは割れてもおかしくはない。
そこでようやく大蛇はそれが魔法と前提が付く、ただのシャボン玉ではないことに気づいた。
ならば生きている本体をと、目の前に現れたマーガスへと一睨みの眼光を飛ばすが届く寸前で弾き飛ばされた。
剣を振るうでもなく弾いた事に、それがシャボン玉に写った姿なのかと辺りを見渡してみれば、全てのシャボン玉にマーガスの姿があった。

「どれだ、どれが本物の!」

「探そうとしても無駄だ。もう、やめるんだ。お前の夫だったという男は俺が捜す。リコが心配なら、それまでずっと俺が守ってみせる。だからもう、リコを悲しませるのはやめるんだ!」

「本当か? 我が子をを守り、なおかつあの男まで見つけると言うのか?」

「俺とアンタ、そしてリコの目的は同じだ。俺もできる事なら、元の体に戻りたいと思っている。俺とリコが大賢者ギアスを見つけるまで、アンタは何処か人のいない場所で隠れていてくれないか? 人に牙を向けず、人に剣を向けられない場所で、待っていてくれないか?」

「お母さん、私からもお願い。お父さんを見つけるから。私一人では無理だけど、お兄さんが手伝ってくれるのなら無理じゃない」

答えは最初、沈黙であった。
それも仕方の無いことなのかもしれない。
一度不審に陥った心が容易く戻る事もなく、リコだけならまだしも、マーガスが完全に善人だと判断する材料は少ない。
散々迷い続けるリコの母親へと、リコもマーガスも何も言わず待ち続けた。
戦いたくはない、これ以上傷つけあいたくはないと願いながら我慢強く答えを待っていた。
そして答えは静かに告げられた。

「信じよう、我が子と同胞を」

呟きを聞き届けて直ぐに、マーガスが生み出した魔法のシャボン玉がはじけだした。
一つ、また一つと弾けていく中で、リコの母親はそれら全てを目で追っていた。
最後の一つが弾けた後には、リコの母親のほとんど直ぐ目の前にマーガスとリコがいた。
解ってくれたんだと駆け寄ろうとしたリコを見て、リコの母親の唇が歪み、弾ける様に飛び出していた。

「リコ、止まれ!」

「え?」

振り返ったリコの目の前でマーガスが前へと跳ね、リコを追い抜くと同時に剣を刺し出していた。
再び振り向いたリコの目の前では、大蛇の口の中の母親の胸にマーガスの剣がふかぶかと突き刺さっている光景があった。

「お母さん?」

「ごめんね、リコ。何度も怖い目に、辛い目にあわせちゃって」

「正気だと、馬鹿な!」

倒れゆくリコの母親が伸ばした慈愛の手はリコへと届く事はなく、胸から剣が抜け落ち、赤くは無い青みがかかった地が流れ落ち始めた。

「どうして、どうしてリコを襲う振りなんか。何故私に殺させた!」

「ゴフッ……もう間に合わない、から」

「お母さん、お母さん!」

「貴方の言うとおり、村を襲うまでは心は……人間だった。でも、一度理性を手放したら……後は、狂う一方だった。大事な、リコでさえ殺したいと思う程に。だから、殺して欲しかった…………心だけは人間のうちに」

途切れ途切れの言葉が、さらにかすれるほどに活力が失われていた。
例え今ここで命を助けたとしても、狂う一方だったと言う言葉が本当であれば、いずれ同じ事の繰り返しとなるだろう。
それでも生きて欲しいと願うリコの感情は全く別の物であった。

「嫌だよ、死なないでお母さん。狂っても良いから死なないで、酷い事言ってるのも解ってる。だけど、死なないで!」

「本当にごめんね、もうお母さん……リコを殺したいだなんて思いたくないの。リコの事、頼めますか?」

「ああ、私が守ろう。大人になり、愛する人と結婚し、幸せになるまでずっと。我が子の様に」

「ありがとう。それと、気をつけて……怒りに我を失った時、自分の中の魔物が目を覚ます。貴方だけでも……魔物に心を食われることなく、元の姿に」

最後にもう一度リコへの謝罪と感謝を述べて、リコの母親は息を引き取った。
変わり果てた母親へと縋りつくように泣き叫ぶリコを慰め、マーガスは大賢者ギアスへの憤りを強めていた。
今までは自分だけのものであったそれが、リコとリコの母親、そして言葉を交わすことなく命を立ってしまったリコの兄の分まで。
怒りに我を失ってはいけないと言うリコの母親の遺言に従い、空に向かって吼えたくなるような怒りを奥歯の向こうでかみ締めていた。





全ての事後処理が終わってからの翌日、リコとマーガスの見送りは村長夫婦しかいなかった。
それだけでもまだましな方で、リコの母親の埋葬や旅支度の間に幾度となく二人は村人達から命を狙われる事となった。
最初は無力なリコを、リコをマーガスが守ると知れば、善人面で手伝いを申し入れ早く出て行けと無言で圧力をかけながら隙を探る。
ある意味リコの母親よりも手ごわい相手となってしまっていた。
だからこそ、たった二人とはいえ心から心配してくれる二人の心遣いが温かかった。

「水と食料、それに路銀まですまない」

「いえ、あれはリコの家の家具全般の代金とでも思ってください。それに次の商人が立ち寄るまで待っていては、とても私どもではあの子を守りきれませんから」

「ええ、本当に。確かに大勢の命は失われましたが、だからと言ってリコちゃんには何の関係も無いことです」

確かに二人の心遣いは嬉しいのだが、はやりあんな事が立て続けに起こった以上、マーガスは疑わざるをえなかった。
村長とはいえ、なぜそこまでリコの事を案じるのかと。
年の功なのか、マーガスの気持ちをいち早く察した村長が自ら答えてきた。

「見ての通り、私達夫婦には子供がおりません。村長などをしてはおりますが、私どもの家を訪れる者は問題を抱え行き詰った者ばかり」

「あの子だけなんですよ。何時も笑いながら、喜んできてくれるのは。もう本当の娘、孫みたいで」

私達の孫をお願いしますと頼まれたのは、声が重なるほどに二人同時であった。
もちろんマーガスも快く答え、お預かりいたしますと答えた。

「お兄さん、こっち。早く行こうよ」

「何を張り切っているんだか、それでは」

先を勝手に歩き出したリコを追うようにマーガスが歩き出した直後、リコの幼く高い声が響き渡る。

「村長さんもおばさんも元気でね。手紙書くから!」

つい昨日母親をなくした子供には思えないほどの笑顔で、リコは村長夫婦へと手を振っていた。
そんなリコに追いつきミトンの手袋越しに頭に手を置くと、軽くポンと叩いて先を促した。
マーガスは結局あの後再びマントを羽織り、自らの姿を外界から隔絶するように隠してしまっていた。

「ねえ、お兄さん。これから何処に向かうの?」

「さあ……当てがあるわけじゃないからな。適当に大きな町へといって、リコのお父さんの情報でも集めようか」

「眉唾の情報ばっかりの気がするかも」

「そうだな。一つ二つの情報じゃあ本物は無いだろうけれど、百も当たれば本物があるだろう」

なんとも気楽な意見に、ふっとリコが笑っていた。

「知らなかったけれど、お兄さんってかなり暢気なんだね。良い人だってのは知ってたけど」

「良い人なのかな、私は」

「うん、だって私を連れてきてくれた。別に連れて行かなくても村長さんが面倒を見てくれただろうし、いつか村の人だってわかってくれたかもしれないのに」

それは無いだろうと思いながらも、リコは何故かそう言ってしまっていた。
あのまま村に残っていれば夜にならないうちにリコはこの世の人ではなくなってしまっていただろう。
そう言ってしまったのは当てなど殆ど無いこの旅で、不安になっていたのかもしれない。
ただ必要だと言って欲しかった、望んで連れてきたんだと言って欲しかった、あの時の母親との約束だからでも良い。
そう願うリコへと、マーガスは自分の考えを本気で答えていた。

「当てがあろうとなかろうと、一人より二人の方が旅は楽しいだろう?」

それが慰めなどではない事は、差し出された手が証明しており、リコはしっかりとその手を握り締めていた。

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