「イーーーーーーーッ!!」 奇声、他にどう表現しようもない複数人の奇声が上がった。 あまりにも高らかに喉を潰しながら叫んだせいで、奇声を出した何人かはむせ込んでせきをしていたりする。 場所は何の変哲もない、どこにの国や街にでもある様な主要道路であった。 通り過ぎようとする車を堂々と引きとめながら、迷惑極まりない覆面と全身黒タイツの男達が練り歩いていた。 「さあ、お前達。そこら中に蜘蛛の巣をばら撒いてやりな。遠慮は要らないよ!」 黒タイツの男達の中で紅一点、艶やかな赤い着物を豪華に着こなした女性が威勢の良い声が響き渡る。 年齢は二十代後半であろうか、長い黒髪を後頭部で無造作に纏めて金色のかんざしを挿している。 路上で着物とは場違いは場違いであるが、黒タイツの男に囲まれているためなおさら目立ってはいた。 「イーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」 またしても黒タイツの男達から、先ほどよりも長い奇声が発せられた。 彼らは持っていた白いビニール袋から蜘蛛、または蜘蛛の巣を取り出すと所構わずなすりつけ始めた。 自分達が無理やり止めさせていた車に、道路の標識に、または道路脇に並ぶ民家の塀などにとにかくなすりつけた。 一体何が目的なのかは一目ではわからないが、迷惑かつ気持ちの悪い事だけは確かであった。 特に愛車に蜘蛛の巣を擦り付けられた者が怒って車から出てくる事はあっても、この異様な集団に面と向かって文句が言えるはずもない。 黒タイツの男達は大名行列の如く大勢で道路を進み、蜘蛛の巣を撒き散らしながら街を練り歩いていく。 そして、その黒タイツの男達の中に彼はいた。 「いつもながら、なんなんだこのバイトは。本番までがしょうもねえ」 平凡な高校生であるはずの有馬 達彦(ありま たつひこ)が、黒タイツの中に混じって、当然のように黒タイツ姿でいた。 まわりと同じようにビニール袋から蜘蛛や蜘蛛の巣を取り出しては適当な場所に擦り付けている。 そのやる気のない様子が見えたのか、着物を着た女性がしかる様に声をかけた。 「こらそこの戦闘員A、しっかり働かないか。でないとバイト代が減る事になるよ!」 「そうは言いますけどね。どうせ悪事を働くなら、もっとまともに働きませんか?」 子供のイタズラ程度の行為に嫌気がさして達彦が言う。 「口答えするんじゃない。お前達は何時でも喋る時はって……なんだ何時ものアンタかい。ならいいか、アンタには期待してるから、ゼット」 「女郎蜘蛛さん、なんです? そのゼットって」 「どうせアイツが現れれば戦闘員で最後まで残るのはアンタだから、アルファベットで最後のゼット。どう考えてもアンタは戦闘員の中でも別格だろうし、なんなら高校卒業後にウチに就職する気はあるかい? アンタなら怪人のポストを用意してやるよ」 遠慮しておきます、そう言おうと達彦が口を開けた途端、真昼間であるにも関わらず辺り一体を照らし出す光が出現した。 「ぬう、この光は!」 誰だか解っているのに、思わせぶりでお約束な台詞を女郎蜘蛛が発する。 光の発生源は黒タイツの大名行列が進む二十メートル程先にある歩道橋の上からであった。 白を基調として袖や襟、ミニスカートの裾などが赤色で縁取られた活動的な服を着て、お洒落のつもりか小さな羽根が服の背中部分についている。 一風どころか、何風も変わった格好をした少女が歩道橋のしかも縁部分に足を突いて立っていた。 遠近法に関係なく小さな背丈と、日本人にはありえない金髪ツインテールの少女の影が光を背負っているためこちらへと伸びてきていた。 「今日も、明日も明後日も。未来永劫守っていきます、この街を。空と海と太陽と、その他色んな物が生みの親。魔女っ子天使、エンジェリオン参上ッ!」 「またしても我らの崇高な行為を邪魔する気か、エンジェリオンッ!」 ちなみに昨日も同じ登場と、迎えの言葉でしたと達彦はそっと心の中だけで突っ込んでいた。 「蜘蛛の巣をそこら中に擦り付ける事の何処が崇高な行為なのよ。蜘蛛なんて女の子からしたら、ただの害獣なのよ。自分の糸で首つって死んじゃえ!」 「貴様ぁ……行け戦闘員たち、あの小娘を血祭りに上げてお仕舞い!」 「イーーーーーーーーーーッ!」 わらわらとスタートを切ったばかりのマラソンのように、周りと押し合いへし合いしながら黒タイツの戦闘員たちが魔女っ子天使のいる歩道橋へと群がっていく。 あるものは無謀にも歩道橋の支柱にしがみつき登り始めたり、あるものは普通に上り階段を上っていく。 だがエンジェリオンは、五メートル近い歩道橋の縁から思い切り飛び降りた。 落下の途中で何処からともなくステッキの様な、木刀のような、杖のような物を取り出し重力をプラスして戦闘員の一人の頭を痛打した。 もちろん一人ぐらいやられ様と数の上では圧倒的に有利な戦闘員達が群がるように襲い掛かるが、不思議な光が爆発したかと思うと十人単位で容易に吹き飛ばされていく。 「まあ、何時もの光景だな。生命力だけが取り得のない戦闘員だし」 「ぐぬぬぬッ!!」 冷静に呟く達彦と、歯噛みする女郎蜘蛛の目の前でどんどん名もなき戦闘員達がエンジェリオンに叩きのめされていく。 だがただ吹き飛ばしたり殴りつけるだけでなく、予期せぬ方向に吹き飛び事故が起きそうになった者にはこれまた不思議な光フォローするなど芸が細かい。 十人、また十人とやられ、残りが目に見えて減っていくと面倒だとばかりに杖の先端に集めた光を爆発させ全員を気絶させた。 さすがに大人数をしとめて息切れこそしているものの、まだその目から戦う意思は消えてはいなかった。 「さあ、土下座するなら今のうちです。してもしなくても、思いっきり殴りますけど!」 「土下座損じゃないかい! まだ勝ち誇るには早いよ、こっちには最後の戦闘員であるゼットが残ってるんだから」 女郎蜘蛛が達彦を自分の前に立たせて、エンジェリオンの前に押し出した。 今までの戦闘員とは体格からして違うことを察したのか、明らかにエンジェリオンが嫌そうな顔をしていた。 「また貴方ですか?」 「悪いな、これも仕事だ」 言うや否や走り出した達彦は、加速する体に反して腕を絞り拳を固めていった。 エンジェリオンに肉薄すると同時に繰り出した拳から伝わる感触は、小さな二つの手のひらで支えられた杖であった。 「ちょっと、何時もの事だけど女の子に拳で殴りかかるってどういうこと?!」 「彼女いるから、それ以外は女じゃねえ」 「ある意味男らしいけど!」 痛みを伴う拳を開いて杖を掴むと、達彦は思い切りそれを引っ張った。 当然のように取られてなるものかとエンジェリオンが体を強張らせて耐えるが、それは達彦の作戦であった。 体を縮こまらせた反面、咄嗟の行動が取れなくなったエンジェリオンに背中を向けてやや屈むと、今度は両手で杖を掴み一気に背負い込んだ。 変則的な背負い投げであるが、エンジェリオンがちょうど達彦の真上に来たところで背負い込んでいた重さが一気に消えた。 前飲めるように二、三度たたらを踏んだ達彦が見上げた上で、小さかった背中の羽を大きくしたエンジェリオンが飛んでいた。 「てめえ、卑怯だぞ!」 「知らないわよ、この世は勝ったもん勝ちよ!」 「白いパンツ丸見えのくせに、勝ちほこってんじゃねえよ!」 「エンジェリック、ビックバンッ!」 確かに白かったが、すぐにそれ以上に白い光にかき消され達彦の体が吹きとんでいった。 出来の悪い人形のように関節を無視してアスファルトの上を何度も転がり、止まった頃には達彦の動きそのものが止まっていた。 その光景を肩で荒い息をしながら見送っていたエンジェリオンは、まだ怒りの発散が足りないとずっと観戦していた女郎蜘蛛をにらみつけた。 元々口は悪かったが、荒んだ目つきで可愛らしさを全て封殺する凄みが見えて女郎蜘蛛が後ずさる。 「いや、セクハラはアタシも反対さ。だからそんな目で」 「本日二発目のッ!」 達彦を襲ったのよりももっと激しい光が当たり一体を包み込んでいた。 それにより達彦の本日のバイトは終了する事となった。 ヒリヒリと痛む額を何度も手で押さえながら、朝日が昇る通学路を達彦が歩いていると、何時もの場所で彼女が待っていた。 何時もの場所とは二人の通学路がちょうど交わる場所であり、待っていたのは達彦の彼女である結城 美羽(ゆうき みはね)である。 短くカットした髪をふわふわ揺らしながら待っていた彼女は、達彦に気づいてすぐに小さく手を振りながら呟いた。 「達彦くん、おはよう」 決して距離のせいなどではなく、恥ずかしがりやな美羽の小さな声は極度に聞き取りにくかったが、達彦はしっかりと片手を上げながら答えていた。 「よっす、相変わらずお前の方が早いな。まさか平気で十分とか待ってないよな。ギリギリに来ればいいんだぞ」 「全然待ってないよ。私もついさっき来た所だから」 「本当かぁ?」 「本当だよ。それよりこんな所で立ち止まってないで、歩こう?」 疑わしげな達彦の視線をかいくぐる様にして、後ろに回りこむと両手で達彦を押し始めた。 もちろん達彦が思い切り踏みとどまれば非力な美羽では押す事すらままならないだろうが、そんな意地悪をするはずがない。 明日は五分だけ早く来るかとだけ思いながら、達彦はそれっきり問い詰めることなく素直に歩き出した。 そして口に上ったのは今週の予定についてであった。 「今週の日曜だけど、どうする? どっかに出かけるか?」 「でも毎週、毎週お小遣いが持たないし」 「それなら心配するな。割の良いバイト見つけたから、ちょっとばかり贅沢に週末を過ごすぐらい平気だぜ」 割が良い半面、怪我は付き物で時間も不規則ではあるが、そんなことおくびにも出さずに達彦は言い切っていた。 なのに美羽の反応はと言えば、あまり良い物ではなかった。 「達彦くんはよくても、奢ってもらってばかりじゃ私の気がすまないもん」 「そうか? 別に俺は嫌々じゃないし」 言いかけて、達彦はそこで言葉を止めた。 大事なのはお互いが楽しむ事であり、自分が嫌ではなくても美羽の気がすまないのなら同じである。 バイトを始めた理由を考えると本末転倒な気がしないでもなかった。 腕を組んで悩み始めたのを見て、美羽が妥協案を提示してきた。 「それじゃあ、今週だけはちょっと贅沢して、再来週からはお互いの家で遊んだりしよ。それなら良いでしょ?」 「まあ、それなら」 「あと、バイトも良いけど無理しないでね。おでこ」 美羽が指差したのは自分の額だが、指摘したのはもちろん達彦の額に張られた絆創膏のことであった。 昨日帰りに別れたときにはなかったのに、朝になっていきなり絆創膏が張られていたらバイトの時にと考えるのが普通である。 そしてその通り額の絆創膏は、昨日に魔女っ子に吹き飛ばされた時に出来た傷であった。 一応は耐衝撃、耐刃、耐圧、他諸々の昨日がついているタイツを着用しているにも関わらず、耐えきれず突いた傷である。 「平気、平気。これぐらい何でもないさ。ちょっとすりむいた程度のかすり傷」 「本当に?」 立ち止まり問い詰めるように美羽が見上げてきたため、朝っぱらから見詰め合う事になった二人。 もちろん美羽は睨んでいるつもりのようだが、どうにも迫力が足りなかった。 だから達彦は問い詰められた後ろめたさなどを微塵も感じることなく腕を伸ばして、美羽を抱きしめていた。 「だったら充電」 「うっ…………」 恥ずかしさのあまり、文句も言えず真っ赤な顔で美羽は俯いてしまう。 通学路と言う場所が場所だけに、同じ学校の幾人もの生徒に目撃されながら抱き合う二人を引き裂いたのは、学校のスピーカーが掻き鳴らす予鈴の音であった。 おもわずパッと離れた二人は、すでに辺りに一人の生徒も見当たらない事に気づいてから走り出した。 「やべっ、思わずやりすぎた。美羽、走るぞ!」 「もう、普通に歩いてたら余裕だったのに」 学校の校門に近づくにつれ、二人と同じように走ってくる生徒はいたものの、ギリギリである事に変わりはなく、二人は学校へと駆け込んでいった。 朝の全力疾走のおかげで達彦の右斜め二つ、一時限目、二時限目と続けて眠りこけている美羽。 自分の席から右斜め二つ前の美羽を微笑ましく眺めながらも、達彦は真面目に授業を……受けているはずがなかった。 真っ白だったノートに書かれているのは、先生が懇切丁寧に黒板に書いた解説などではなく、バイト中の宿敵との戦闘シミュレーションであった。 戦闘員のバイトは基本は日当で、戦闘結果によって色がつくシステムになっていた。 前回は日当八千円に加え、敢闘賞である五百円。 他にはエンジェリオンに一撃入れれば千円、一度でも転倒させれば三千円、万が一倒せば十万円だったりする。 もちろんそのどれもが一度も出た事は無いという話であるが。 「美羽は折半したいって言ってたけど、金は持って持ちすぎる事もないもんな。どうしたもんか……」 スピード、パワー、テクニック共に達彦の方が遥かに上なのだが、エンジェリオンは羽で飛んだり光の玉を出したりと常識が通用しない。 ちなみに授業はちょうど物理の時間で、この世の物理法則を切々と教師が語っていたりする。 「と言うか、根本的な問題として女郎蜘蛛さんの組織はどこにあるんだ? 目的もよくわからんし」 バイトを探していたある日、着物を着た女郎蜘蛛に勧誘されて気がつけば戦闘員のアルバイトを始めていた達彦である。 それから意味が全く無い嫌がらせを町全体に行っては、現れたエンジェリオンに吹き飛ばされてきた日々。 向こうが正しい事は重々承知の上で、せめて逸し報いなければと無駄な戦闘員魂を燃やし始めた。 いくら常識が通用しなくても、人間である以上隙が出来るタイミングぐらいあるだろうと、これまでの経験を全て頭の中で思い出してみる。 右も左もわからなかった頃の初対面、問答無用でその他大勢と一緒に吹き飛ばされた。 少しだけ要領がわかってきた二度目の対面、初撃は免れたものの戦闘員の一人が吹き飛んできて巻き込まれた。 三度目の正直では根性で最後まで残り、初のタイマンであったが、エンジェリックビックバンでいきなり吹き飛ばされた。 四度目ともなるとさすがに他とは違う物を感じたのか外見ではなく雰囲気を覚えられ、警戒心ビンビンの中でその他大勢としてまとめて吹き飛ばされる。 そして昨日の五度目は、ようやく一撃を入れられたものの羽で飛ばれて逃げられ、パンツをもろ見れたものの吹き飛ばされた。 「まともに戦えられなかったから糸口がねえよ」 今まで一体何をやってきたんだと、授業中だということを忘れて達彦は頭を抱え込んだ。 戦闘員である達彦が勝ってしまっては後々困る事になりそうだが、だからといって負けっぱなしも達彦の中の意地が許さなかった。 アルバイトである事を抜きにしても、一矢報いなければ自分が許せなかった。 「でも、どうやって……一発逆転を狙うなら、漫画とかだと必殺技の直前か、直後がパターンだよな。だけど直後は無理だな。避けられもしなけりゃ、耐えられもしない」 となればエンジェリオンが必殺技であるエンジェリックビックバンを放つ直前、そこで何かをするしかない。 だが頑丈さが取り得の黒タイツを着ただけの戦闘員に何が出来るのだろうか。 授業を全く聞かずに、二時限目が終わり、休みを挟んで三時限目へと突入していく。 未だ美羽は眠りこけており、達彦も同じように必殺技の直前にどこか隙ができない物か考え続けていた。 「思い出せ、なんかないのか。必殺技を出す時の前触れとか、癖とか。決め事とか」 決め事は必殺技の名を叫ぶ事ぐらいですぐに却下され、他にはと思った所で何かが達彦の頭の中で引っかかる。 二度タイマン時に受けた必殺技の光景を、ビデオテープを見るように何度も巻き戻して思い出しなおす。 すると頭の中に引っかかっていた光景が、頭を出して現れた。 杖の先端に白い光を集め、大きく振りかぶってから投げつけるその瞬間、振りかぶった時にエンジェリオンは標的から目をそらすのだ。 恐らくは大きすぎる力に振り回されているのだろうが、狙うならばそこしかなかった。 「なんとかなるんじゃねえのか?!」 なんとかなったらボーナスの十万確定だと、寝こけている美羽をみた達彦だが、一つおかしな事に気づいた。 朝に遅刻しそうになって走ったのは解るが、三時限目になってまで寝こけているのはさすがにおかしくないか。 最近他に疲れるようなことがあったのか、心配する達彦の携帯がバイブレーションモードでブルブルと震えだした。 メールの様で、確認した画面には女郎蜘蛛からの招集の言葉が映りこんだ。 「ゲッ……いますぐ来いって、授業中だっての」 だからと言って無視もできずにいると、ビックリしたように美羽が飛び起きるのが見えた。 自分と同じように携帯をチェックし出したかと思うと、キョロキョロと不安げにあたりを見渡し始めた。 寝すぎで気分でも悪くなったのか、そのわりには顔色は血色よさそうで、詳細はわからなかったが達彦は立ち上がり手を上げていた。 「先生、美羽の気分が悪そうなんで保健室に連れて行っていいですか?」 「お前な……そういうのは、普通隣の席の奴が言うもんだろ。で、どうなんだ結城? 気分が悪いのか?」 「あ、はい……少し。できれば保健室に行きたいんですけど」 控えめな言葉が真実味を倍増させ、仕方ないと溜息をつきながらも先生は保健室行きを許す言葉を吐いていた。 「なら言いだしっぺの有馬。ちゃんと結城を保健室に連れて行って来い。それと、お前はちゃんと戻って来いよ」 「了解っと。美羽、立てるか?」 甲斐甲斐しく世話をする姿にクラスメイトから冷やかしの声が飛ぶが、達彦に不適な笑みを浮かべさせる逆効果であった。 今にもうらやましいだろと言いそうな達彦であったが、今は美羽が優先だと肩を貸して廊下へと出て行く。 教室のドアを閉めてすぐに授業を再開する言葉を背に受けながら、達彦は美羽を伺った。 「なんか本当に辛そうに見え始めたけど、大丈夫か? 朝からずっと寝てたみたいだし、寝不足か?」 「ううん、ちょっと疲れてるだけなの。実は私もバイトを始めちゃってて」 「え、マジで? どんなんだ、やっぱファーストフード?」 「えへへ、秘密」 理由はだいたい想像ついていたので、職種を尋ねるも美羽ははぐらかすばかりであった。 そんな美羽を保健室へと送り、たまたま保健室の先生が留守であったため、ベッドへと寝かせる。 布団をかけてやってから、安心させるように布団を二、三度手のひらでたたく。 「実はちょっとバイトがはいっちまって、これから行って来るけど黙っててくれるか? ずっと付き添ってたってことにして」 「あまり気が進まないけど、わかった」 「んじゃ、よろしくな。たぶんそんな時間は掛からないと思うから」 急ぐ様に走って達彦が保健室を出て行ってから一分もたたないうちに、美羽はベッドから出て立ち上がっていた。 達彦には疲れてると言っただけに、相変わらずだるそうではあったが、眼差しを強く引き締め何か言葉を口ずさみ始めていた。 戦闘員様の覆面とタイツを着てから現場へと駆けつけた達彦であるが、その時にはすでに戦闘は始まってしまっていた。 昨日と同じように、人々の迷惑も顧みず主要道路のど真ん中で戦いが繰り広げられていた。 響き渡る戦闘員達の奇声と、エンジェリオンが放つ真っ白な光のエネルギーが飛び交っている。 その戦闘現場から少し離れた場所に、何時もの赤い着物を着た女郎蜘蛛を見つけた達彦は、挨拶がてらに駆け寄っていく。 すると達彦が声をかけるよりも先に、苛立った声で女郎蜘蛛が叫んできた。 「ゼット、出番はまだだけど何をやっていたんだい。間に合わないかと思ったよ!」 「すみません、女郎蜘蛛さん。それで状況はどうなんです?」 「見ての通りさ、忌々しい小娘め。もうあと半分しか戦闘員は残っていないよ。やっぱり最後はアンタに頼る事になりそうだ」 頼りにされて嬉しくはあるが、吹き飛ばされていく同僚達を見ているとあまり嬉しくなくなってくる。 一応攻略の鍵こそ見つけているもののと、不安と期待を抱きながらエンジェリオンを見て、ふと達彦は異変に気づいた。 戦闘員たちをものともせずに立ち回ってはいるが、その顔に余裕は見られず、玉のような汗が大量に流れ疲労を物語っていた。 杖から放たれる白い光のエネルギーも何処か弱々しく達彦の目には映った。 かと思えば同僚達の戦闘員達が幾人も纏めて吹き飛ばされ、達彦は被りをふった。 「十分強えじゃねえか」 「そろそろアンタの出番が近いよ、準備はいいかい?」 「まあ、やるだけやってみますよ。ボーナスの為に」 軽い屈伸運動と柔軟を行っているうちに、大勢いたはずの戦闘員は達彦を除いて全て地面に倒れこんでいた。 倒れこんだ戦闘員達の中で荒いほどに乱れた息をしながら立っているエンジェリオン。 そこに違和感を感じながらも、達彦は一歩前へと進んだ。 「よってたかって悪いが、いいか?」 「よってたかられても、鬱陶しいだけよ。アンタだって……その鬱陶しい一人なんだから。早く帰らなきゃいけないんだし、さっさとやられなさいよ!」 「とりあえず息整わないうちは叫ばない方がいいぞ。深呼吸でもしろっての」 「言われなくたって」 あがっていた息を静かにさせ、エンジェリオンが息を思い切り吸い込んだ刹那、達彦は駆け出した。 突然の行動にシャックリのようにヒュッと息を吸い込んだエンジェリオンは、慌てて回避行動に移るために背中の羽を羽ばたかせた。 羽ばたくと同時に浮き上がり宙返りした時にひるがえった髪に、達彦の拳がかすっていく。 そのまま達彦が真下を通り抜けていったのを確認すると、着地してすぐに怒鳴る。 「なんて卑怯なの。武士道精神とかないわけ!」 「んなもんあったら、雑魚をぶつける前からタイマンに出てるさ。所詮勝ったもん勝ちだろ」 悪者らしく、肩をすくめる達彦にエンジェリオンが顔を真っ赤にして憤る。 「信じられない。他のとはちょっと違うかと思ってたら、卑怯さだけでも段違いじゃない」 「大勢で取り囲む方が卑怯だと思うがな」 「ムッキー!」 サルのように唸ったエンジェリオンが、杖の先端に白い光を収束させて投げつけてきた。 必殺技には程遠い、通常攻撃のそれはかわした達彦の横を素通りしていく。 「避けるんじゃないわよ。私は早く帰りたいって言ったでしょ!」 「それは俺も同感だ」 冷静に言葉を返している辺り余裕で避けていそうな達彦であったが、その実必死に迫り来る光球をかわしていた。 もちろん普段であれば一撃を交わしても二撃目で倒されそうな物なのだが、やはりエンジェリオンは不調のようであった。 自分自身の攻撃でどんどん疲労をためていっているようで、光球のスピードも落ちていた。 対する達彦は光球をかわしながら間を詰めて行き、ひたすらにチャンスを待っていた。 「もう、ちょこまかと面倒くさい。一気に決めちゃうんだから!」 痺れを切らしてエンジェリオンが叫び、力を込めて杖を握りなおしたのを見て、達彦も構えなおした。 先ほどまでとは明らかに光量の違う白い光が杖に集まりだし、確実に必殺技が飛び出してくることだろう。 チャンスはエンジェリオンが杖を振りかぶった一瞬、達彦から目をそらした時である。 達彦が何かをしようとしているのが雰囲気で解ったのか、観戦モードであった女郎蜘蛛でさえ拳に汗を握っていた。 「エンジェリック」 振り回すようにして杖を振りかぶり、半分勢いに飲まれて必要以上にエンジェリオンの上半身が回転していく。 集めすぎたエネルギーに振り回され、一瞬だがその視線が達彦から離れた。 エンジェリオンが振りかぶったのとは逆方向へと、達彦はエンジェリオンを中心に円を描くように動き、死角へと回り込む。 「ビックば……あれ?」 エネルギーを放とうとした先に達彦の姿が見えず、わずかに動きが鈍った。 「こっちだ」 「後ろ?!」 慌てて杖の方向を後ろへと向けようとしたエンジェリオンだが、真後ろにいた達彦がその腕を掴みとめた。 肉薄する両者だがエンジェリオンは武器を抑えられ、かつ至近距離では自分自身も巻き込まれる危険性があった。 隙と迷いの二段重ねで完全に混乱したエンジェリオンへと、止めを刺そうとした所、エンジェリオンの悲痛な声が耳に届いた。 「あ、やばいかも!」 何がだと問うよりもさきに、杖の先に集められていたエネルギーが何時までも放たれなかった為に暴発し、二人が同時に吹き飛ばされていった。 ゴロゴロとアスファルトの上を転がされた達彦はやがてガードレールにぶつかり、その上からエンジェリオンが重なるようにぶつかってきた。 ムギュウッと潰された達彦の意識はそこで刈り取られ、達彦がクッションとなったエンジェリオンは、体の痛みに顔をしかめながらもなんとか立ち上がっていた。 「いたたたたた……もう、なんなのこの人。なみの怪人よりも、よっぽど手ごわいんだけど」 「あーっはっはっは、どうやら作戦通り満身創痍のようね、エンジェリオン。今でもボロボロなアンタならこのアタシでも」 勝ち誇る女郎蜘蛛を無視して、エンジェリオンは服についた汚れとホコリを払い落としていた。 完全なる無視状態にさすがに女郎蜘蛛はさらに声を高らかにして叫ぶ。 「このアタシが怖くて現実逃避かい? それならそれで、すぐにでも目を覚ましてあげ……るよ?」 勝ち誇っていた言葉が尻すぼみに消えていったのには、すぐ目の前で笑えない笑みをエンジェリオンが浮かべていたからだ。 「どうでもいいけどアンタは、戦闘員よりよっぽど弱いから。怪人やめたら?」 女郎蜘蛛がヒステリーな声を上げるよりも先に、真っ白な光が辺り一体を包み込んでいた。 結局今日も基本給である日当と、女郎雲から個人的な敢闘賞分の給料をもらってから竜彦は学校へと向けて走っていた。 エンジェリックビックバンの暴発に巻き込まれてから長い時間気絶していたわけではないが、それでも学校を抜け出しているため急がねばならない。 一応美羽に口裏あわせを頼んだものの、あまり上手い嘘を美羽に期待するのも酷である。 正面の校門からではなく、裏門から校内へと入り込み、そのまま一度保健室へと向かおうと廊下の角を曲がった竜彦の前に突然美羽が現れた。 お互いに行き違おうとしたのならまだしも、美羽が廊下に座り込んでいる事に竜彦はあわてた。 「お前、なんで出歩いてるんだよ。座り込むほどなら大人しく寝てろよ!」 「あ、竜彦くん。バイトはもういいの?」 「そんなことどうでもいいだろ。なにをのんきに…………なにしてるんだ?」 声を大きくする自分と、しゃがみながらぽかんと見上げてくる美羽。 お互いの温度差に妙なものを感じて、竜彦は冷静になってたずねてみた。 「ちょっとその……に行って戻ってきたら転んじゃって」 「なんでこんな何もない廊下で。それでどこに行ってたって?」 「だから……だよ」 聞きなおしてもごにょごにょと言いよどむ美羽を見て、竜彦は察してやるべきであった。 聞かれるたびにごまかし、かつ顔を赤くしている美羽の態度を見て。 それでもなおしつこくどこへ行っていたのか聞いてきた竜彦に、とうとう美羽は怒鳴るように言ってしまった。 「だからトイレに行ってたの。何度も言わせないでよ!」 「わ、わりい。すぐに思い浮かばなくて、立てるか?」 手を貸して立たせた直後、短く途切れた声と共に美羽が座り込んでしまった。 竜彦とはつながっていない方の手でおさえたのは、左足の赤くはれ上がった足首あたりであった。 「転んだ時にでも変なふうにひねったのか。立てなさそうか?」 「ん、ちょっと辛いかも」 それならと今度は問う前に竜彦は、美羽の背とひざ裏に手を通して持ち上げていた。 突然の竜彦の行動に戸惑う驚いた美羽が何かを言う前に、さっさと抱き上げたままで保健室へと向かっていく。 距離にして一、二百メートルであるが、美羽にとってはそれよりもずっと長く感じたであろう。 よく上下する不安定な乗り物に乗った様な感覚のまま保健室前へとたどり着き、竜彦が不自由な両手の代わりに、足でスライド式のドアを開けた。 「先生、ってまたいないのかよ」 職務怠慢もいい所だと、少しだけイラついた達彦は、まず美羽をベッドに座らせから勝手に保険室内をあさりはじめた。 一番最初に冷シップを冷蔵庫から取り出したが、冷やして良いのか暖めるのか、一瞬悩んだ後それを冷蔵庫に再度しまいこむ。 変わりに戸棚から塗り薬のような物をとりだして、ベッドに座る美羽の足をとって薬を塗りこんでいった。 赤くはれ上がった患部に念入りに薬を塗りこむと、最後に包帯代わりに自分のハンカチを巻きつけた。 当然の事ながらハンカチの意味がわからず、美羽が問いかけるように見上げてきた。 「達彦くん、ハンカチ汚れちゃうよ?」 「気にすんな、おまじないみたいなもんだ。って今何時だ」 授業を抜け出して来ていたことを思い出した達彦が時間を確認すると、すでに四限目が終わりそうになっていた。 完璧サボった形となってしまい、達彦は急いで立ち上がると教室へと向かう一歩直前で振り返った。 「あっと、お前はどうする?」 「今から歩いても私だと直ぐに戻ってくることになりそうだし、授業は午後からにする」 「なら昼飯もここで食わしてもらおうぜ。美羽の弁当もってきてやるからよ。鞄に入ってるよな?」 「入ってるけど、鞄をそのまま持ってきてね。色々入ってるから」 そう言わなければ容赦なく鞄をあさりそうな竜彦に、美羽はすまなそうな顔をしながら念を押していた。 もちろん達彦はそういわれても嫌な顔一つせず、了解とだけ呟いて走って教室へと向かい出した。 ちゃんと午後から授業に出た美羽であるが、思った以上に足の状態は悪化したらしく歩かずに座席についているだけでも薄っすらと額に汗を張り付かせていた。 放課後に達彦と一緒に帰ることを楽しみにしていたのか、頑固に痛みに耐えていた美羽であったが、結局は六限目の終わりと共に家からの迎えで帰っていた。 そして翌日、美羽は学校を休んでいた。 登校時の待ち合わせ場所で待っているときに、美羽から連絡を貰った達彦は、心配すると同時に今週の土日が駄目になったことを痛感していた。 再来週なら大丈夫だからと美羽は言っていたが、それでも達彦にとって一週間は少し長かった。 久しぶりの一人の登校も、同じ部屋に美羽がいない授業もどこか空虚で溜息しか出ない。 いっそバイトの呼び出しが掛かってこないかと、隠れて携帯の液晶画面ばかりを眺めていた。 「かかってきて欲しいときばかり、こんなもんだよな」 あきらめて制服のズボンに携帯を入れる直前、震えた。 急いで画面を見ると、女郎蜘蛛からの招集のメールであった。 朝から抱えていた億劫なうずく様な気持ちを奮い立たせ、達彦は携帯を強く握り締めていた。 「先生、でっかい方!」 興奮しすぎたからか、手を上げながら立ち上がった達彦の物言いはストレートすぎた。 失笑や忍び笑いを跳ばして一気に大爆笑へと発展したクラスの中でも、達彦の目つきだけは真面目であった。 「お前は結城がいないと、急に粗暴になるな。お花を摘みにと言えとは言わんが、言い方を考えろ」 「それで、行っていいんですか?」 「ああ、行って来い。漏らされてもかなわんしな。どんなにでかくても良いが、ちゃんと戻ってこいよ」 お許しを貰うと直ぐに達彦は駆け出していた。 周りから見るとよほど我慢していたのかと見えるほど、急なダッシュであった。 女郎蜘蛛のメールから場所を確認するとわりと近くであり、まずは校内の人気の無いトイレで着替えを済ましてから走った。 見た目よりも遥かに動きやすい黒タイツを肌に張り付かせ、たどり着いたのは学校から走って十五分程にある大通りのある街中であった。 そこではやはり達彦がたどり着くよりも先にエンジェリオンと戦闘員その他との戦いが始まっていた。 唯一つ思いも寄らなかったのは、エンジェリオンが苦戦していると言う一点であった。 苦戦と言っても戦闘員達が押しているわけでもなく相変わらず一方的に不思議な光によって弾き飛ばされている。 ただ、時折エンジェリオンは顔をしかめ、動きが止まるのだ。 「女郎蜘蛛さん、一体どうなってるんですか?」 「詳しくは解らないが、どうやら昨日のアンタとの相打ちが効いてるみたいだね。チャンスだよ、今日こそアイツを葬っておくれ」 たまには自分で働いてくださいと普段なら言いそうなところであったが、達彦の視線はエンジェリオンに釘付けであった。 精細さを欠く動きに、急に立ち止まった所を襲われ慌てて杖を振り、戦闘員達を吹き飛ばす。 ついつい、エンジェリオンを助けようと一歩を踏み出そうとする自分を達彦は踏みとどまらせた。 (いや、別に真面目に戦わなくても……どうせ、女郎蜘蛛さんたちにはたいしたこと出来ないだろ?) そう、バイトを始めてまだ一ヶ月と経っていないが、女郎蜘蛛の組織は本気で世界制服とかやっているわけではない節がある。 真面目に目指されても困るが、どこかエンジェリオンと対決すること事態が目的のところがあった。 だから不調であれば、エンジェリオンは現れさえしなければいいと思った。 もっと直接的に言えば、自分以外に苦戦させられているエンジェリオンは見たくなかった。 (何本気で心配してんだよ、俺は。それじゃ、まるで) 惚れてるみたいじゃねえかと、今日は学校を休んでいるはずの美羽に心の中で謝った瞬間、達彦の目にあるものが映った。 さりげなくエンジェリオンの腕に巻かれているハンカチ。 あまりにもそこに巻かれていて当然のようにしていたため、気づかなかったが達彦はそのハンカチに見覚えがあった。 濃紺と紺のチェックの柄のハンカチである。 明らかに男物のハンカチは、達彦が昨日美羽の怪我した足に巻いてやってものであった。 「落ち着け、落ち着け俺。別にあんな市販品どこにでも……でも、そう考えれば惚れてておかしくない。と言うか、美羽に殴りかかってたのか俺は?」 「何をブツブツ言っているんだい、ゼット。そろそろ出番だよ。準備運動は万全かい?」 「げっ、もう少し待ってくれま」 せんかと言いきる前に、最後の戦闘員が女郎蜘蛛と竜彦の足元にまで吹き飛ばされてきた。 その先にいるのは、立っているのでさえやっとに見えるエンジェリオンが、荒く乱れた息を繰り返す体を杖で支えていた。 どう考えても達彦であれば勝機の見える姿であるが、もしもエンジェリオンが美羽であれば、勝てるはずがなかった。 と言うよりも、達彦に美羽が殴れるはずがなかった。 「さあ、最後の戦闘員ゼット。今日こそあの憎きエンジェリオンに止めを刺してやりな!」 グダグダと言い訳を考えるよりも先に、達彦は駆け出した。 「また、貴方なのね……今日は、下手に手加減できないからッ?!」 途切れ途切れの息の合間に達彦がエンジェリオンの間合いに入り込むと、その言葉が断たれた。 屈むように咄嗟に足へと手を伸ばしたエンジェリオンを見て、達彦は間に合うように拳を突き出した。 狙い通りエンジェリオンが咄嗟に伸ばした杖に拳がぶち当たり、ぎりぎりと一見押し合う様な膠着状態へと持ち込んだ。 「手加減してるつもり?」 「いや、聞きたいことがあるだけだ。何で怪我してんのに出てきた。別に良いだろ、真面目にやんなくても。女郎蜘蛛さんが何しようと、どうせ誰も困りはしねえよ」 「そうでしょうね、あんなチンケなこと子供と同じだわ。別に私だって、この街を守りたいとか馬鹿な考えで、こんな馬鹿な衣装着てるわけじゃないわよ!」 杖を振り払い、押し合っていた達彦の拳が振り払われた。 それでも直ぐに達彦は、逃がさないとばかりに逆の手で杖を捕まえた。 「答えろ、だったらなんで出てきた!」 「さっきから煩いわね。バイトだからよ。お金が欲しいの。好きな人が一人でがんばろうとするから、私だって手伝いたかった。それだけよ、悪い?!」 全然悪くないけどと、ちょっと達彦は泣きそうになっていた。 それから後ろの方でこちらの決着を待っている女郎蜘蛛や、あたりで倒れこんでいる同僚の耳に届かないように声を潜ませた。 声を届かせるのは、目の前でこちらを睨みつけてきているエンジェリオンだけだ。 「美羽、俺だ。わかるだろ」 「ちょっ、なんで本名を…………私のファン? ストーカーじゃない」 「アホ、達彦だ。有馬 達彦、彼氏の声ぐらいわかれ!」 「た、たつひこくん?!」 相手が誰か解った途端、驚きから泣きそうな顔へと美羽の顔色が変わっていった。 達彦と同じようにまさか相手が自分の恋人だと思わずに痛めつけていたことを思い出したのだろう。 だがそんなことよりも達彦は、どうこの場を押さえるべきかと考えていた。 これ以上杖を掴み続けているのも違和感があるため、手放し見合い、それからお互い何も出来なくなってしまう。 なんとなく達彦がヘロヘロなパンチを繰り出し、エンジェリオンである美羽がそれを大げさに避ける。 だが思わず痛んでいる足で踏ん張ってしまうと、つい達彦が助けようと不自然に手を伸ばしてしまい、固まった二人の間で奇妙な沈黙が流れる。 「なにをやっているんだい。チャンスじゃないか!」 女郎蜘蛛の声に促され、伸ばした手でそのままペチンと軽くではあるが美羽の頬を叩いてしまった。 「あっ…………」 「えっ…………」 信じられないと言う目つきで叩かれた頬を押さえながら呆然としている美羽と、自分の行為にやってしまったと恐れおののいている達彦。 じわりと美羽の瞳に涙が浮かび始めた頃に、ついに耐え切れなくなった達彦が美羽を抱きしめるように背中に手を回して持ち上げると走り出した。 「ゼット、一体何をするつもりだい!」 「女郎蜘蛛さん、エンジェリオンは俺が絶対に食い止めて見せますから。こいつだけは俺が!」 もはやヤケッパチで口が勝手に喋るのを聞きながら、達彦は走る。 運が良かったのは、美羽が上手く察してくれた事だろう。 頬を叩かれたショックを抑えて、適切な言葉を放ってくれた。 「放しなさいよ。アンタなんかと心中するつもりなんて、これっぽっちもないんだから!」 「俺一人じゃ、地獄は寂しすぎるぜ。一緒にいこうじゃねえか」 「ゼット!!」 どれぐらい美羽を抱えて走ったことか、女郎蜘蛛や戦闘員達が豆粒ほどの大きさになった頃、二人を大きな白い光が包み込んでいった。 「で、一体何がどうなってるんだ?」 エンジェリオンと一戦闘員であるゼットが相打ちという、ありがちなエピソードをでっち上げた後、達彦は着替えを済ませてから真っ先に美羽の家に来ていた。 結局無理がたたって余計に足の怪我が悪化した美羽は、ベッドの上でる。 勉強机の椅子をベッドの脇に寄せてすわりながら、達彦は全ての説明を求めた。 「何処から話せばいいのかな?」 「とりあず、エンジェリオンがバイトってどういうことなんだ? 戦闘員のバイトってのも今考えれば、すっごい変だが」 「達彦くん、もしかして募集要項全然読んでないの?」 「あ〜……金銭面しか読んでねえ」 だからなのかと納得しながらも、美羽は答えてくれた。 「エンジェリオンも、女郎蜘蛛さんや戦闘員さんたちも全部バイトか役所の職員の人達なの」 「あ?」 「一種の町興しでね。斬新な考えを選んでみたら、魔女っ子とかヒーローものを真面目にやってみようって事になって、実は私の他にもライダーとか色々この町にはいるんだよ?」 「全然、知らなかった」 「やっぱり狙いすぎて外してるのかなぁ?」 とぼけた言葉を発しながら、達彦は言われた事がどういうことなのかちゃんと整理でき始めていた。 中途半端というよりも、最低限の迷惑しかかけない女郎蜘蛛。 授業中に何度抜け出しても大きなお咎め無しであったのは、もしかすると学校にもバイト内容が筒抜けであったのだろう。 あの教師陣に戦闘員をやっている事が筒抜けとは嫌過ぎるが、そうなると美羽がエンジェリオンであることも筒抜けであるはずだ。 二人が付き合っていることを知っている教師もいる中で、黙っていたとは性質が悪すぎる。 「でも、なりゆきで相打ち演じちゃったから達彦君の戦闘員はともかく、次回からエンジェリオンは出せないよね。そのうち連絡あると思うけど、クビってことなのかなぁ?」 名残惜しそうな言葉を聞いて、本当はお金の為に嫌々じゃなくてノリノリだったのではと達彦がかんぐる。 それに普段大人しい美羽があれ程荒い言葉を使い、動き回るのを達彦は見たことがなかった。 「まあ、その所はなんとでもなるんじゃないか? ただし、俺はもう戦闘員はするつもりは無いけどな」 「それじゃあ、どうするの? 別の普通のバイトを探すの?」 「今は秘密だ。俺だけじゃ、何とでもなる問題でもないしな」 口ではそういいつつも、達彦はなんとかするつもりではあった。 「事情はわかったから、しばらく無理するなよ。お前の痛そうな顔なんてあんまり見たくないから。何時ぐらいなら、まともに歩けそう?」 「明後日にはってお医者さんは言ってたよ。学校に行けそうなら、今度は前日の夜に電話するね」 了解の意を示すように、軽く手を上げて美羽の部屋を出て、さらに家から出て行くと達彦はある場所を目指して歩き出した。 それは今もなお授業中であろう学校ではなく、全く別の場所にあるこの街の役所であった。 「イーーーーーーーッ!!」 奇声、他にどう表現しようもない複数人の奇声が上がった。 場所は何の変哲もない、どこにの国や街にでもある様な主要道路であった。 通り過ぎようとする車を堂々と引きとめながら、迷惑極まりない覆面と全身黒タイツの男達が練り歩いていた。 その中の言葉通り紅一点、真っ赤な着物を着崩しながらも着こなした女郎蜘蛛が高らかに命令を下す。 「さあゼットの弔いだ。好きなように蜘蛛の巣をばら撒いてやりな」 やっている事は普段と全く変わりなく、黒タイツたちがそれぞれ手に持ったビニール袋から、何時もの蜘蛛の巣を取り出していく。 わらわらと蜘蛛の子のように戦闘員達が散らばっていこうとすると、近くの民家の屋根にとある人影が眩い光と共に降り立った。 逆行になって全く見えないその姿は、光が収まるにつれて明らかとなっていく。 真っ白な服やスカートの縁を青く塗り替えられ、やはり背中には小さな羽根を背負ったその姿。 「今日も、明日も明後日も。未来永劫守っていきます、この街を。空と海と太陽と、その他色んな物が生みの親。帰ってきた魔女っ子天使、エンジェリバース参上ッ!」 「思いっきりエンジェリオンの格好を塗り替えただけじゃないかいッ!」 「チッチッチ、甘いです。甘すぎる。今日は私の大切な人をご紹介。空と海と太陽も、彼の通った後には破壊あるのみ。唯一愛するのはエンジェリバースだけの、超人ゼットッ!」 「どう聞いてもこっち側の人間じゃないのかい。しかもゼットって、裏切りじゃないかッ!」 再三の女郎蜘蛛の突込みを無視して、エンジェリオン改め、エンジェリバースが超人ゼットなる人物を紹介した。 真っ黒な黒光りする体躯と頭部を裂く様に二本の赤い角のような物がそそり立っている。 やはり超人と言うよりも、怪人に近いが、正義の味方のつもりらしく超人ゼットは叫んだ。 「さあて、準備はいいかクソ野朗ども。死にたくなかったらさっさと下がれ、死にたかったらさっさとかかって来い。エンジェリバースに手を出す奴は、即殺ゥ、即滅ゥ、即壊ィ!」 「がんばってね、超人ゼット!」 エンジェリバースの声援を背に超人ゼットが民家の屋根から飛び降り、戦闘員達の中へと飛び込んでいった。 「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」 「イーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」 女郎蜘蛛と戦闘員の悲鳴、超人ゼットの雄たけびが街の隅々にまで広がっていった。
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