悪夢の中で会いましょう



そこは世界で一番優しく、世界で一番残酷という矛盾した世界である。
人によっては楽園とも地獄ともなりうる、夢という名の世界。
今日もまた、柊 開夢(ひいらぎ はるむ)はそこにいた。
ただしその夢は彼の作り出した世界ではなく、彼の高校での友人が作り出した夢の中であった。
やわらかく暖かな太陽の日差しの下に、街を一望できる小高い丘は一面草花に包み込まれるといった楽園に限りなく近い場所である。
完全に楽園になりきれないのは、友人が座り込む地面のすぐ隣に座る、同じ高校の制服を着た女生徒との二人の距離が原因であった。
友達同士が隣に座るには近く、恋人同士が座るには遠い距離。
戸惑う友人がすぐそばにいた開夢の存在に気づくと、必死の形相で言葉を投げかける。

「あ、開夢。丁度良い所に。なあ、気がついたら隣で座ってたんだけど、どうすればいい? どうすれば良いと思う?」

普段決して見る事のできない友人の狼狽振りに、開夢が呆気に取られたのは一瞬。
誰しも夢の中では本当の自分をさらけ出しやすいのだ。
それも友人が開夢を本物ではなく、自分が作り出した存在と信じ込んでいたのならばなおさらであろう。
安心させるように、肩に手を置いてささやきかける。

「ちゃんと相手を良く見てみろよ。嫌がっているように見えるか?」

締めすぎたネジのようにギリギリと音が聞こえそうなほどにゆっくりぎこちなく、だけど一瞬だけ隣の女生徒を見た友人はすぐさま視線を外した。

「嫌がってないように見えない事も無い」

「事も無いじゃない。俺にもそうは見えないよ。がんばってみろや、本番はもっと緊張するぜ」

「本番、そうだよな。本番、練習だ。それにお前が居るなら、失敗のない練習だ」

ゴクリと生唾を飲み込んだ友人が、亀より遅いスピードで自らの手を女生徒の肩へと伸ばしていく。
もう彼の目には開夢は映っておらず、最後にもう一度がんばれよと開夢が残していった声も聞こえていない事だろう。
結末までを見る気も開夢にはさらさらなく、友人の夢から遠ざかっていく。
人と人の夢は繋がっており、開夢はその繋がりを利用して夢を渡っていくのだ。
いつものように開夢は幾つもの夢を渡り歩き自分の夢に帰っていのだが、とある夢の中で足を止めた。

「なんだこれ、真っ暗じゃねえか」

電気の光に慣れきった開夢が見た事も無いような、完全な闇の中に閉ざされた夢であった。
目の前にかざしたはずの手の平でさえやっと見る事ができるぐらいの暗さで、決して良い夢には思えなかった。
あまり知らない人の夢にだけは手を加えない開夢であっても、手心を加えたくなる程である。

「まあ、たまにはいいか」

夜よりも暗い辺り一体の暗闇に対して開夢がイメージしたのは、夏の日差しよりもさらに強い太陽の光であった。
チリチリと肌を焼かれそうな、まともに上を見上げられないほどの明るい日差し。
開夢のイメージの影響で薄っすらとだが、辺りの闇が薄れ数メートル先ぐらいまでなら見えるぐらいになってきた。
恐ろしい程に悪い夢だったんだなとこの夢の主の事を思うと、開夢の目の前に一人の少女が現れた。
中学生ぐらいの年齢であろうか。
艶やかな黒髪と少々きつめの瞳が印象的で、この悪夢の前に怖がりもせず毅然としているのが、なおさら性格のきつさを物語っていた。

「よお、大変だったみたいだな。こんなことも偶にはあるさ。何もかも忘れて寝ちまうことだな」

開夢の言葉に答えるわけでもなく、少女は最初から変わらない強い眼差しで開夢を見ている。
怯えているようには見えないが、警戒心だけはしっかりと感じて開夢はそれ以上この場に留まる事を躊躇した。
どうせ朝になれば忘れてしまっているだろうと、軽く手を挙げて踵をかえした。

「じゃあな」

最後まで一言も発しなかった少女を残して、開夢は帰途へとついた。





次の日の朝、学校へとついた開夢が教室へと向けて歩いていると、並々ならぬ強さでその背を叩く者がいた。
廊下中に聞こえたのではないかと思うような音に、周りを歩いていた無関係なものまで驚いた顔で開夢と背中を叩いた生徒を見ている。
そして叩かれた開夢はというと、突然の痛みに呼吸もままならず咳き込んでいた。

「カハッ、痛えな。おい!」

いつまでも引かない痛みを押さえ込んで叫ぶと、そこには見知った男の満面の笑みがあった。
それが可愛い女の子であるなら大歓迎であろうが、朝一で見るには暑苦しすぎる代物である。
開夢の顔が見る見るうちに暗雲漂うしかめ面になって誰が攻められようか。
だが目の前の男は、舞い上がりきった心のままに語りかけてきた。

「開夢、なにしけた面してんだよ。この良い天気のしたお天道様に申し訳ないとは思わんのか。さあ上を向け、一緒にお天道様にご挨拶だ。お天道様のバカヤローッ!!」

「ああ、確かに申し訳ない。まずお天道様に謝罪してから、即座に俺にもって聞けよッ!」

開夢の訴えを無視してクルクルと踊るようにしている目の前の人物は、昨晩に開夢が夢の中で背中を押してやった男である。
好きな女生徒を前にして怯えるように慌てふためいていた人物と同一人物には決して見えない。

「それがさあ、昨日夢のなかでお前が出てきてさ……グフ」

「そいつは良かったな。だからって朝っぱらから俺に気持ち悪い顔みせんな。味噌汁で顔を洗って出直せ」

「ああ、つれないぞ開夢。とても夢の中のお前と同一人物とは思えないぞ!」

「うるせえ、夢と現実をごっちゃにするんじゃねえ」

混じりっ気なしの不機嫌で突き放すが、別の者が食いついてきた。
これまた同じクラスメイトの女生徒である。

「うっそ。開夢君、昨日はアンタに出てきたの?! なんでぇ、つれないじゃん。アタシの所に着てよ。アタシも良い夢みたい!」

「だから俺に言うな、俺に」

「あーずるい、ずるい! 普段はどうでも良いけど、夜だけは開夢君に来て欲しい。だって開夢君が夢に出てきた人って必ず良い夢なんだもん」

「だからッ!」

今度は別の女生徒が走り寄りながら、叫んできた。
実は開夢が夢に出てくると良い夢になるというのは、開夢を知るものにとって共通する意見であるのだ。
それは本当に本物の開夢がそうしているからなのだが、当たり前のようにまわりはそんなことを思うはずが無い。
自然と開夢が夢に現れるのは吉兆、良い夢の証とされるようになっていった。
毎日の恒例行事のようにクラスメイトに囲まれた開夢は、長い廊下を、より長い時間をかけさせられながら教室へとたどり着く。

「ほら、散った散った。もうすぐホームルームだぞ」

「ちぇ。今日こそ、アタシんだからね」

犬でも追い払うかのように手を振った開夢に対しても、諦めずに言付けていく者もいた。
開夢も最初は軽い趣味のような感じで良い夢を見せて回っていたのだが、こう騒がれてはさすがに辟易してしまう。
しばらく止めるかなと座った椅子を斜めに傾けながら思っていると、教室のドアが開いて担任の教師が入ってくる。
つられる様にして騒がしかった教室が静かになっていき、大人数が慌てて椅子に座るけたたましい音が響く。
耳に痛いそれらを聞いていると、何故か担任の教師がわざとらしい咳払いをした。

「あ〜連絡を忘れていたわけじゃないんだが、突然ですまん。学年主任から校長をふくめて忘れていたんだが、転校生を紹介する」

戸惑いながらの言葉の後に、静まり返ったはずの教室がざわめきだした。
教師は教師で、それを沈めるでもなく、何故忘れていたのかとしきりに首をかしげている。
だが何時までもそうしているわけにも行かなかったのだろう、一応は手で騒ぎを収めてから廊下へと顔を向けて言った。

「里見君、はいってきなさい」

教師が閉めたドアをもう一度開いて、件の転校生が教室へと入ってくる。
周りと一緒に騒ぐよりも、わりと教師もいい加減なもんだと呆れていた開夢は、その少女を見るなり我が目を疑った。
中学生かと見間違うかのような背丈に、腰よりも長い黒髪……だが意志の強そうだった目だけが、昨晩と違っていた。

「あの子、昨日の?」

その小さな呟きが聞こえたのか、今気づいたように開夢へと顔を向ける少女。
開夢にだけわかるようにいたずらっぽく笑ったかと思うと、急に涙ぐんで走り出した。
呆然としている開夢へとむけて。

「開夢、開夢だ。夢じゃないよね。開夢ッ!」

文字通り飛びつくように抱きついてきた少女を、思わず立ち上がって受け止めてしまうが、もちろん彼女の名前を開夢は知らない。
突然の事で頭が正常に働かず、思ったよりも小さな体だとか、良い匂いがするとか、やわらかいとか、余計な事しか考えてくれなかった。
おかげで中途半端に背中に回した手が宙をさまよう中、密着した少女から鋭い何かが開夢の鳩尾へと吸い込まれてた。
突き刺さっていたのは、小さな拳であった。
その鋭さに衝撃音は皆無で、開夢の胸の中からありったけの酸素が逃げていく。

「ッ?!」

「開夢、また会えてよかったよぉ」

今しがた鳩尾を痛打した本人とは思えない甘えた声で、少女はのうのうと言ってくる始末で、さらに。

「おい、開夢の奴泣いてんじゃねえか」

「馬鹿、察しなさいよ。思いがけない再開に感動してるんじゃない」

呼吸困難に陥って涙目で打ち震える開夢は、周りから見たら感動で言葉もないと見えているらしい。
そんなわけあるかと叫びたくとも、まだまだ酸素は開夢の胸に取り込まれてこない。
もはや言い訳よりも酸素が欲しいと切に願う開夢へと、教師から救いの手が差し伸べられた

「あ〜、浸っている所すまんが、前に来て先に自己紹介をしてくれるか? 柊との関係は、まあ休み時間にでも深めてくれ」

「そんな開夢との仲って」

パッと顔を赤らめて少女が離れた隙に、開夢は椅子に倒れこむように座り込んで、酸素をむさぼっている。
何故か都合よくそんな開夢の姿をクラスメイトの誰もが見ることなく、教壇へと向かった少女に視線が注がれていた。

「里見 芽衣亜(さとみ めいあ)です。開夢とは小さな頃の幼馴染なんです。結婚の約束までしてました。きゃっ、言っちゃった」

「うらやましいぞ、開夢。なんでお前だけ。そんな幸せわけやがれ!」

(知らん、知らん、知らん。俺は、てめえなんて知らん。それよりも、もっと酸素ッ!)

まわりから小突かれつつも、まだ開夢は酸素を求めていた。

「先生、里見さんは開夢君の隣が良いと思います」

「おお、そうだな。うるさくならなければかまわんぞ。それじゃあ、特に他には連絡事項はない。すぐに一時限目が始まるから、聞きたい事は一時限目の間にまとめとけよ」

担任の教師が教室を出て行ってすぐに一時限目のチャイムが鳴り響いた。
一時限目の担当の教師が来るまで、数分も無いことであろう。
すぐさま開夢の隣が空けられ、つい今しがた名前を知ったばかりの自称幼馴染が満面の笑みで座り込んでくる。
かと思えば、すぐに開夢の席へと机を近づけてきた。

「まだ教科書ないから見せてね、開夢」

「はぁ? なんで俺が絶対に」

「一限目始めるぞ。昨日の続きからだ、ページはわかるな」

「チッ」

嫌だという前に担当の教師が教室へと入ってきてしまい、開夢は断りきれなくなってしまう。
委員長の起立の声を聞きながら、諦めた開夢はしぶしぶ了承するしかなかった。
お願いしますの礼をして、着席してから一分も経たないうちに、芽衣亜が教科書をどんどん自分サイドに引っ張っていく。
授業の出だしからそれ程教科書が必要ではなかったため、気にしなかった開夢であるがもっと早く気づくべきであった。
楽しそうに教科書にマジックを走らせている芽衣亜に。
慌てて教科書を引っ張ると文章の要点や暗記部分が黒く綺麗に塗りつぶされていた。

「なにしてんだ、てめえ」

鳩尾への一撃といい、何を考えているのかわからない芽衣亜に脅しを含めて言い放つが、効果は薄かった。
むしろ恍惚とした表情を浮かべて、開夢が嫌がる様子を見上げてきていた。
なんだコイツと気味悪がって教科書を取り上げると、ふいに芽衣亜が開夢の手をとって指の一本一本を開いてきた。
今度はなんなんだと見ると、そこには世にも恐ろしい光景が広がっていた。
シャーペンがミシンの針のように、開夢の指と指の間を縫い付けるように繰り返し上下運動していた。
もちろん芽衣亜の手によって。

「ッ?!」

背筋が凍りつく思いをしながら開夢が手を引っ込めると、残念そうに眉を寄せながら芽衣亜が唇を尖らせていた。
仏の顔も三度まで、すらすらと頭に思い浮かんだ言葉をかみ締めて開夢は、芽衣亜を無視しながら隙をうかがい始めた。
やがて開夢が相手をしてくれない事に気づいた芽衣亜が、前方の黒板を見た瞬間、開夢の体が限界を超えて素早く動き始めた。
椅子に座りながら出来る上半身の回転、それについて来るのはついさっき芽衣亜にいたずらされた手のひらだ。
タイミングは間違いなく完璧であった。
どう考えても避けられないはずであったが、まるで全てが見えてたように後ろからの一撃を芽衣亜がかわした。

「げッ」

「残念でした。無駄な、努力」

芽衣亜の頭で爆発するはずだったエネルギーが暴走をはじめ、予期せぬ所まで開夢の体をねじりきっていた。
ぐらりと傾く体の先にいるのは、開夢にしか見えないように舌を出している芽衣亜である。
しかもまだ終わりではないというように、傾いた開夢の服を掴んでひっぱってきた。
逃げようとするエネルギーと新たに加えられたエネルギーによって、完全に開夢の体は制御を失っており、芽衣亜ともども床へと倒れこんでいた。
そこに至るまでに壮絶な戦いがあったのであるが、周りが二人の行為を知覚したのは二人が床に倒れこんでからである。

「開夢、その……まだお昼だし、皆が見てる。開夢だったら、私も断らないんだけど」

端から見れば、開夢が芽衣亜を押し倒したかのようにしか見えない中、芽衣亜がこぼした台詞は、致命的であった。
話を聞いていないどころか、授業中での開夢の行為に、教師の額には破裂寸前の血管が浮かび上がっていた。

「元気が有り余っとるようだな。柊ぃ。高ぶりが収まるまで廊下にでも立ってろ!」

弁明不可能な教師の怒り具合に、廊下へと直行する以外に選択肢はなかった。





終わる事の無い芽衣亜の陰湿な攻撃を昼間までなんとか耐え抜いた開夢は、四限目が終わるとすぐに教室を飛び出していった。
背中越しに芽衣亜の叫び声が聞こえるが、それさえ無視して走り去る。
やや早めに終わった授業のおかげで、まだ廊下に人影はほとんどなく、一目散に開夢が目指したのは屋上であった。
階段を駆け上がり、屋上へと続くドアを開けるとすぐに扉を閉めて鍵までかける。
それからようやくドアに背を預けてほっと息をついたのもつかの間。

「遅かったね、開夢。待ちくたびれちゃった」

「なんで、どうしてお前がここにいるんだ!」

確かに開夢は誰よりも速く教室を抜け出し、誰よりも速く廊下を駆けたはずだ。
なのに平然と屋上と空を分ける金網にもたれかかる芽衣亜がいた。

「だってぇ、開夢とずっと一緒にいたかったんだもん」

「気持ち悪い台詞は一生ちっぽけな胸にしまってろ。お前はなんなんだ。俺に幼馴染の女の子なんていねえよ!」

「ふ〜ん、やっぱり私の力が効いてないんだ。他の皆は半分夢に浸ってるのに」

開夢の指摘に芽衣亜の瞳が、ようやく昨晩会った時のそれと重なった。
鋭く射抜くように見つめる瞳は、奇妙な求心力を発揮して開夢を包み込んでくる。

「その通りよ。私は開夢の幼馴染なんかじゃないわ。昨日夢のなかで私と会ったでしょ。だから周りに半分夢を見せてにの学校に追いかけてきたの。開夢が何者か知るために」

「じゃあ、やっぱり昨日のはお前なのか。同じ力を持った奴なんて初めて見た」

「あら、開夢と私の力は全く違うものよ。むしろ昨日感じた限りじゃ、対極にあるわね」

どこか上からモノを言う芽衣亜の態度に眉をひそめながらも、開夢は対極というキーワードに引き寄せられた。

「どういうことだ?」

「だって私人間じゃないもの。もっと別の、人が悪夢を見たときに発するエネルギーを食べて生きる存在。私たちは自分たちのことを夢魔って呼んでるわ。開夢はその逆で、人に良い夢を見せる夢聖って所ね」

「そうか、よかったな。それじゃあな。ってドアが開かねえ! 開けろッ!!」

即座に回れ右をしてドアを開けようとしたが、ガチャガチャと拒否されるばかりでノブが回らなかった。
一目散に逃げようとした開夢のお尻を蹴り上げてから、芽衣亜はため息混じりに言った。

「他人の夢に入り込むなんて力を持ってて、なんで私たちを全否定するのかしら? 別に信じなくても良いけど、一つ忠告に来たのよ」

「痛ってぇ、忠告?」

「今後人に良い夢を見せるのは止めなさい。さっきも言ったけど夢魔は、人に悪夢を見せて恐怖や不安のエネルギーを食べるの。少しぐらいなら良いんだけど、特定の人間に対してやりすぎると当然その人は死んじゃうわ」

「おい、いまさらりと凄い事を言ったぞ」

「凄いのはこれからよ。普通の夢魔はそうならないように気をつけるんだけど、気をつけない馬鹿ってやっぱりいるのよ。そして悪夢を見たときに人が発するエネルギーは良い夢を見る事に慣れている人ほど大きい。この意味が解るわよね?」

それはつまり、この学校のさらに特定の学年のクラスの者たちであった。
開夢が毎日誰かの夢に入り込み、少しだけ良い夢を見せ続けてきたのだ。
もしも芽衣亜の言う事が本当であるのならば、これ以上に良い餌場は見つからないだろう。
とは言うものの、はいそうですかと丸ごと鵜呑みに出来るほど開夢は馬鹿ではない。

「あ〜、はいはい。忠告は聞いておくからとりあえず、だからとっとと夢の中に帰れ」

「うわっ、わざわざ追いかけてきた女の子に冷たい仕打ち。いやよ、人間の生活って思ったより楽しいんだもん。それにまだ開夢を苛め足りないわ」

「アレだけ好き勝手やってまだ足りないとぬかすか、この口は!」

もちの様に柔らかいほっぺたを両手で引っ張り挙げるが、芽衣亜は痛がったのは一瞬ですぐに言い返してきた。

「いふぃふぁ。いいじゃない。私は夢魔なの、言わば究極のドSなのよ。だから開夢が嫌がれば嫌がるほど燃え上がるの」

「気味の悪い事を大声で暴露すんな。俺はお前みたいな性癖はもっとらん!」

「当たり前よ、SとSじゃ駄目じゃない。開夢はMじゃなきゃ駄目なの!」

「どういう主張だこら、しかも決めつけんな。俺とお前の相性は最悪だ。だからSとSで良いんだよ!」

屋上で言い合うこと数十分、午後の授業が始まる予鈴が鳴り響いた頃になってようやく二人の言い合いは終わりを告げた。
だがおかげで開夢は昼飯を食べるのを逃してしまい、それに気づいた頃にひそかに芽衣亜がニヤリと笑ったとか。





辛すぎる一日が過ぎ去り、ようやく開夢が家に帰り着いたのはすっかり日の暮れた頃であった。
晩御飯だと呼ぶ母親の声にあいまいに応えつつ、自室へと入り込んだ開夢はそのままベッドへと倒れこんだ。
体がベッドに沈みこむと同時に、まぶたもゆっくりと沈み込んでいく中で口だけはなんとか動いていた。

「あんのアホ……散々人を引っ張りまわしやがって。疲れた、もう明日こそは無視だ。無視」

ノート一冊丸々埋まってしまうほど大量の文句を呟きたいものの、体はそれよりも休息を欲していた。
完全に閉じていた瞳に映るのは暗闇のみで、急速に睡魔が開夢の足を掴んで眠りに引きずり込もうとしていた。
抗う理由もなく、眠りに陥る一歩手前で開夢はある事を思い出した。
それは帰り際に芽衣亜が言っていた言葉、もう少しだけ話す事があるからと夢の中で会おうとの約束である。

「誰が守るか……」

そう呟いて眠りに落ちた瞬間には、開夢は夢の中で起きていた。
現実での疲れが現れているのか曇り空のように灰色の天井が広がって、心の揺らぎを示すかの様に地面はデコボコと落ち着きがなかった。
肌寒そうに腕をさすりながら何もかも芽衣亜のせいだと結論付けると、開夢は明後日の方を向いて呟いた。

「逃げるか」

いつまでもここで待っていれば本当に芽衣亜がくるかもしれない。
せめて夢の中ではゆっくりしたいと、開夢が走り出した。
走るという行為自体は夢の中での移動距離に関係ないが、歩いて逃げるのと走って逃げるのでは気持ちが違ってくる。
思いっきり地面を蹴りだし、夢から夢へと渡っていく。
誰の夢なのか考えずに渡り歩き走り抜けた先で、開夢はとある夢に行き着いていた。
それは一昨日に芽衣亜と出会った時の暗闇に似ていたが、似ているだけで程度は低く、薄暗いという程度の夢であった。
芽衣亜のせいではないだろうかと疑いつつ去ろうとすると、暗闇の中から声が聞こえた。

「誰か……て、助けて。お願い、誰か!」

「げッ、勘弁してくれよ」

明らかな助けを求める女の子の声を前にして、平然と去れるほど開夢は冷たくはなれなかった。
せめてこの悪夢が芽衣亜のせいではありませんようにと願いつつ、悪夢の中へと突撃していく。

「おい、助けて欲しかったらもっと声を出せ。位置がわかんねえよ!」

「その声、こっちです。こっち!」

「その声って特定できるって事は、知り合いかよ」

ほとんど手探り状態で探し当てた相手の手を取って、開夢は暗闇が届かぬであろう場所を目指して走り抜ける。
その途中で後ろから獣のような遠吠えが聞こえたのは気のせいか。
どうやら気のせいではないようで、それを聞いた途端に、掴まれた手のひらにさらに力が込められる。
やがて獣の遠吠えも途切れ、お互い顔が見れるぐらいに暗闇が薄れた場所までたどり着いた。
それからようやく相手の顔を見る余裕が生まれたが、開夢の思ったとおり相手はクラスメイトの一人であった。

「小川かよ。じゃ、じゃあ。俺はこの辺で」

コキコキとぎこちない格好で開夢が一方的に別れを告げて、また別の夢へと逃げ出した。
あまり深く夢の中で関わり過ぎないようにという考えもあったが、開夢はもっと別の事が気になっていた。
彼女を逃がす時に聞こえた獣のような遠吠え。
ただの悪夢にしては現実感のありすぎる声に、まさかという思いが残る。

「気のせいだよな」

そう思い込みたくて、呟きながら開夢は夢の中で逃げ続けていた。





その夜は上手く逃げる事ができた開夢であるが、翌朝になれば当然学校へと行かなければならない。
こそこそと辺りをうかがいながら登校し、珍しく誰にも見つからず教室に入ろうと一歩を踏み出した途端、背中に誰かがのしかかってきた。
誰だと疑うまでもなく、その人物は開夢の首に腕を回しながらぶら下がってくる。
キュッとしまった喉は気体である空気でさえ通らなくなってしまう。

「う゛……め…………ぃあ」

「開夢、昨日は何処へいってたのかな? あれほど待ってろっていったのに」

ドスを聞かせた声はもちろん開夢にしか聞こえておらず、クラスメイトの目には朝から良くやるわと言う風に映るのみである。

「くび……」

「ずっと待ってて馬鹿みたいだったわ。お詫びに今から甘味所に連れて行って」

絞まっていた喉が次第に潰れだし、開夢は反論どころかうめき声一つでなくなっていた。
もう後数秒で目の前が真っ白になってしまうのではと思ったとき、芽衣亜の肩をポンポンと叩いてくれるものがいた。

「あの、開夢君苦しそうだし。離してあげた方が」

「え、あっ気づかなかった。ごめんね、開夢」

開夢以外に本性を現す気の無い芽衣亜は、一応は腕を離すものの、内心かなり不満そうであった。
なぜなら、

「た、助かった。ありがとうな。お、がわ?」

「開夢君が苦しそうだったから。本当に、それだけで。他意はないの」

「ああ」

向き合いながらも微妙に視線をそらしあう二人に、ただならぬ雰囲気を感じたからだ。
ただ単に、開夢は昨晩の彼女の夢が気になっているだけで、小川 温海は開夢が夢に出てきた事を気にしているだけだ。
そうではあっても、その場にいなかった芽衣亜にそれを理解しろというのも酷な話である。
さりげなく伸ばした手で開夢の背中をつねったとして、誰が攻められようか。

「痛ッ、なにしてんだお前!」

「後で覚えてなさいよ、開夢」

小声で訴えてからぷいっと顔を背けて自らの席へと向かった芽衣亜を見送り、二人もぎこちないままに笑いあってから席へと着いた。
不機嫌な芽衣亜はかえって開夢に嫌がらせをすることなく、ずっと顔を背けたままであった。
開夢もその方が面倒がなくよかったので、自分からは接しようとせずにホームルームが終わり、一限目が始まった。
半分教師の話を聞き流していると、やけに大人しすぎる芽衣亜が気になってくる。
もちろん、何かたくらんでいるのはと疑う方で。

「おい、芽衣亜」

せっかく呼んでやっても完全無視である。
無視するつもりがされてどうするんだよと、わけのわからない嘆きを頭の中で叫んでいるとふと開夢の目に温海入り込んできた。
普通に授業を受けているだけなら気にもしなかったが、完全に机に体を預けて眠りに陥っていたのだ。
それだけならよいのだが、寝苦しそうに眉をひそめているのは気のせいであろうか。
ふいに思い出したのは、昨晩の温海の夢の中で聞こえた獣の叫び声である。

「芽衣亜、一つ聞いて良いか?」

またも無視してくる芽衣亜に、開夢はそのまま尋ねた。

「昨日俺に何を言おうとしたんだ? まさかとは思うが」

「もう一匹の夢魔が近くまで来てたの。危ないから出歩くなって教えてあげようとしたのよ、馬鹿」

「ちょっと待て、近くってこのクラスの誰かの所ってことか?」

「ほかにどんな近くがあるって言うのよ?」

相変わらず顔を向けずに教えてくれる芽衣亜であるが、開夢の顔色は話を聞くにつれ悪くなっていっていた。
もしも昨晩の温海の悪夢が夢魔によるものであったのなら。
中途半端に手助けをするだけして、夢魔がまだ温海の夢の中にいるのならば。

「やべ、今は全然眠くないし。芽衣亜、すぐに俺を眠らせれるか?」

「寝たいのなら勝手に寝れば、知らない」

「放課後、甘味所で食いほブッ!」

最後の最後まで言い切る前に、芽衣亜の拳が開夢の横隔膜を痛打していた。

「なんだかわかんないけど、お休み開夢」

寝るというよりも気絶であったが、上機嫌の芽衣亜をおいて開夢の意識は遠い所へと旅立っていた。





ズキズキと夢の中出まで痛む腹を押さえながら、開夢は昼間ゆえに少ない夢の中を渡り走っていた。
昼間ゆえに数個の夢を渡るだけで目的の温海の夢へと開夢はたどり着いていた。
そこはやはり昨晩と同じく夜よりも暗い闇に閉ざされており、かすかにだが獣じみた咆哮が響いてきていた。
本当にそれが芽衣亜の言っていた夢魔なのか。
そもそも出会ってしまったのならどうすればよいかも解らずに、開夢は闇の中へと走りこんでいた。

「昨日より一段と濃くなってねえか。小川、聞こえてたら返事しろ!」

叫べど声は返ってこないため、開夢はまず辺りの暗闇を晴らす事に決めた。
闇とは反対のイメージを辺り周辺に植え付け、夢を丸ごと開夢の望むように塗り替えていく。
そうする事で薄らいでいった景観の中でうずくまり怯える温海を見つける事ができ、開夢はすぐに駆け寄り助け起こし始めた。

「おい、小川。立てるか?」

「はるむ、開夢君? よかった、急に眠くなったと思ったら真っ暗で。どうして良いかわかんなくて」

「とにかく逃げるぞ」

温海の手を引いて走り出したが、数秒もしないうちに辺りの闇が濃くなっていってしまう。
いや濃くなってはいたが、それは一点に闇が集中し始めたからであった。
散らばっていた砂を集めるようにして集まった闇がやがて人間の形に似たものへと変化し、それは人間以上へとなっていった。
闇色の表皮を持ち、人が持ち得ない鋭い爪や牙を持ったそれは身の丈が五メートル以上で十分に化け物と呼べる代物であった。
それが二人の前に立ちふさがるように現れた。

「ほとんどまるっきり化け物じゃねえか!」

「開夢君、どうなってるの? 開夢君が現れたら良い夢になるんじゃないの?!」

どう答えたものか言葉に窮する開夢が、後ろに隠れていた温海へと振り向いた瞬間、化け物が開夢へと手を伸ばしてきた。
決して素早いとはいえなかった行動であるが、真後ろに温海がいたためになす術もなく開夢は掴み取られてしまう。

「クワセロ、モット。モットダ」

「喰わせろ? 何を、痛え、アリを潰すみてえに握るんじゃねえ!」

「クワセロ、クワセロ、クワセロ、クワセロ、クワセロ」

ギリギリとつぶす様に手のひらで開夢を握り締める化け物は、そればかりをずっと呟き続ける。

「お前はそれしか言えねえのかよ。消えやがれ、こんちくしょお!!」

ありったけのイメージを込めて光を創造した開夢は、目の前の化け物へとそれを集中させた。
自分自身で作り出したイメージでありながら、強すぎる光に満足に目を開けている事さえできなかった。
僅かに開くことが出来た目で見たのは、乾燥して乾ききった砂のようにボロボロと消えていく化け物の姿であった。
おかげでボトリと落とされてしまい、慌てて温海が開夢へと駆け寄ってきた。

「開夢君、大丈夫? アレは一体何なの? 本当にただの夢なの?」

「悪い夢だ。本当にただの悪い夢……だ」

本当は言い切りたかったが、開夢の眼前に巻き起こった光景がそれを許してはくれなかった。
先ほどよりもさらに濃い闇が現れ、再び形を取り始めた。
今度も人型ではあったが、先ほどよりもさらに人に近く、大きさも開夢たちと変わらないぐらいであった。
陶磁の様に白い肌に相反するように闇を凝縮した様な髪は、芽衣亜にそっくりであった。
その人間もどきは自らの姿を確認すると、滑らかな言葉遣いで叫び始めた。

「素晴らしい、たった二晩で無魔から魔獣、魔人へと成り上がった者がいただろうか。なんと素晴らしい、これがかつて滅んでしまった夢聖の力なのか!」

「人間に、アイツと一緒になりやがった」

「ほほう、私の他にすでに夢魔に会っていたか。そいつはとんだ間抜けだな。こんなにも素晴らしい素材がそばにあって放っておくとは」

「あ? なんか知らんがカチンと来たぞ」

とは言うものの、少しばかり開夢の腰は引けていた。

「さあ、もっと喰わせろ。やがて魔鬼、魔王、魔神となって全ての人間をむさぼりつくしてくれる」

「誰がやるか。小川、さっさと逃げッ」

「逃がすと思うか、この私が」

元化け物が伸ばした腕を開夢と温海へと向けると、何処からともなく真っ黒なロープのような物が現れ開夢の四肢へと絡み付いてきた。
それだけでも腕が軋むほどに縛り付けてくる上に、開夢だけは手足をバラバラの方向にねじり上げられていた。
抵抗しようと思うような生易しい物ではなく、開夢の口から出るのはうめき声以外には何もなかった。

「グァ……タェ。アガァッ!!」

「はる、む君?!」

「さあ、いくら夢の中といえど体を引き裂かれては心が先に死ぬかも知れんぞ。さっさと夢聖の力を私に使った方が身のためだぞ」

こう何度も目の前で変身されれば、開夢にだって自分の力がどう夢魔に影響するかぐらいは察する事ができる。
何故だかわからないが、夢聖としての力は夢魔の力を限りなく大きく出来るということだ。

「だ、れが…………ウ、アァァァァッ!」

だがようやく絞り出した声も、元化け物が手の平を握りつぶす動作をしただけでさらに四肢をひねり挙げられ悲鳴へと変化した。
夢の世界の端から端まで聞こえそうなほどに大きな叫びに、開夢自身耳がいかれそうであった。
夢の中でこれ以上意識を失えず、濁流のような痛みの中で開夢は、彼女の姿を視界に納めた。
コレまでに見た事も無い、表情の彼女は、静かに元化け物の背後から肩に手を置いていた。

「この雑魚すけ。開夢をいじめて良いのはね」

「馬鹿な、何時の間に」

「この私だけなのよッ!!」

二度ほど開夢の腹を痛打した事のある拳が、芽衣亜よりも数段大きな慎重を持つ元化け物を殴り飛ばしていった。
二回、三回と転がっていく姿を見送りながら、早撃ち勝負を行った後のガンマンのように芽衣亜は拳に息を吹きかけていた。
それから気が済んだように息をつくと、開夢へと向けてまくし立てた。

「開夢、夢魔に会ってたのならそう言いなさいよ。鼻に指を突っ込んでも起きないから、何かあったと思って慌てて探しに来たのよ!」

「女がそういうことをするなよ。ありがたみが半減以下だぞ!」

「いいじゃない、減るもんじゃないわ」

そう言いながら芽衣亜が腕を一振りすると、開夢と温海を拘束していた黒いロープが崩れるように消え去り、二人が崩れ落ちる。

「開夢君、どうして里見さんが?」

「起きても覚えてたら、話してやるよ。覚えてたらな」

開夢が温海の手を借りて立ち上がり芽衣亜がムッとした隙に、元化け物が立ち上がって瞬時に移動していた。
立ち上がったばかりの開夢の背後であり、そばにいた温海を弾き飛ばし後ろから開夢の首を締め上げるように腕をまわした。
思ったより早い回復と、吹き飛ばされた温海を抱きとめるので芽衣亜の動きが遅れた。

「そうか、貴様が先に出会っていた同族か。だが見たところ今の私と同じ魔人クラスのようだな」

「グェ、また……首かよ」

「だがこれで勝機は我が手の中だ。さあ、もう一度夢聖の力を使うのだ」

脅しと共にさらに開夢の首が絞められていく。

「里見さん、開夢君が!」

「開夢! ……いいわ、その表情。自分で首絞められないのが残念だけど、とっても苦しそうよ!」

「里見さんッ、何をこんな時に冗談言ってるんですか!!」

「冗談じゃないんだけど」

「なお悪いです!」

首を絞められている開夢をほったらかしにして、二人がボケと突っ込みを行っている間に我慢の限界に達した開夢が夢聖の力を使ってしまった。
気がついたころには元化け物を光が包み込んでその中へと溶かし込んでいっていた。
そしてその体がさらに協力になって再生されていく。
姿かたちこそ先ほどの人間ベースの物と変わらないが、威圧感だけは比べ物にならないほどに大きくなっている。

「どうだ、これで私のランクはさらに上昇したぞ。この小僧さえあれば、もっと強くなれる。さあ選べ。終わりなき悪夢の果てにはてるか。それとも我を失い狂って悪夢から逃げるのか」

元化け物が満足げにいられたのは、高笑いを始めて数秒の事であった。

「うるさいわねッ!」

霞む様に消えていった芽衣亜の姿が、次の瞬間には元化け物のすぐ横で飛び上がっていた。
頬に深く刻み込まれた拳は、吹き飛ばすよりも化け物の膝を折り曲げさせていた。
殴りつけた格好の芽衣亜が体を宙で回転させると、後からついてきた踵が元化け物の脳天に突き刺さる。
極め付けに地面へと投げ出されてうつ伏せになった元化け物の背中へと両足で追い討ちをかけた。

「グハッ!」

「人が開夢の苦しみようをみて悦に入ってるのがわかんないのかしら。馬鹿が馬鹿笑いして、こっちはアンタなんか足蹴にしても気持ちよくないのよ!」

「ば、馬鹿な……魔鬼となった私が」

信じられないとばかりに、何も無いところへ手を伸ばした元化け物の手を芽衣亜が踏みにじる。

「ちょっとは褒めてあげるわ。自分が強いって思い込んでる馬鹿を踏みにじるのってなんて楽しいのかしら。アタシはね、魔人じゃなくて魔王クラスなのよ。雑魚すけちゃん?」

「そんな、そんなぁッ!」

「悔やんだって遅いわよ、今度はアンタが悪夢をみる番よ。消えちゃいなさい!」

手のひらを足で踏み潰したのを機に、芽衣亜は腕をさかのぼり体を足を、最後に頭を踏みにじり苦しませていった。
開夢はさんざん元化け物にいたぶられ、温海も悪夢をみさせられたが、逆に同情してしまいそうになっていた。
唯一楽しそうだったのは、極刑を実行する芽衣亜だけであった。





「どうあぁッ!」

あまりにも気分の悪かった光景に、ベッドから飛び起きた開夢は意味不明な奇声を発していた。
体中の冷たい汗を感じながら辺りを見渡すと、そこは教室の自分の席ではなった。
真っ白な壁と真っ白なベッドのシーツ。
突然叫びながら起き上がった開夢におそろいているのは保険の先生であった。
何故自分がここにという顔をしている開夢へと、簡単に説明してきた。

「覚えているかしら、授業中に寝てると思ったらそのまま倒れこんだのよ。ただの睡眠不足でしょうけど、夜更かしも程ほどにしておきなさいよ。先生はこれから起きたって連絡してくるから、残りの二人の面倒をみててね」

「残りの二人って?」

「貴方の隣のベッドで寝てる二人よ。学校は寝に来る場所じゃないんだから、まったく」

保険医の言う二人が芽衣亜と温海だと気づいた時には、開かれたドアが閉まっていた。
それからようやく終わったのかと安堵しつつ、開夢はもう一度ベッドに倒れこんで、今まで見ていた夢を思い出した。
温海に悪夢を見せようとした夢魔、その夢魔を強くしてしまう自分の力に、かなり強力な夢魔であることがわかった芽衣亜。

「でも、なんで芽衣亜が俺たちを助けてくれるんだ? 夢魔なのに」

「知りたい?」

「って、うぉ。何時の間に起きやがった!」

天井を見上げて寝転がっていた開夢を、いつの間にかおきてきた芽衣亜がベッドに両肘をつきながら覗き込んできていた。

「ああ、びっくりした。お前、俺を……いや、なんでもない」

「からかって楽しいわよ。いじめるともっと楽しいわ。なんならいじめてあげようか?」

「いらんわ。で、なんで助けてくれるんだ?」

「昨日も言ったけど、さっきの夢魔みたいになんでもかんでも人の悪夢をむさぼり食う奴っているのよ。でも逆に、それを止める夢魔もいるって事。食事程度に悪夢は見せるけどね」

そう聞いて納得してしまいそうになるが、開夢が聞きたかった事とは少しずれていた。
だから、開夢は言い直して聞きなおした。

「俺が聞きたいのは、何でお前が止める側にいるって事だ」

「人間が面白いからかな。ごく偶に、開夢みたいにいじめてて楽しいのもいるし。それだけ」

「えらく単純だな」

だが模範解答のよう価値観を変える劇的な物語を聞かされても、納得できなかったであろう。
一部いじめていて楽しいとは受け入れがたいが。

「ま、とりあえず小川にとりついていた夢魔はいなくなったんだ。これでお前がここにいる意味もなくなっちまったな。これからどうするんだ? また、食い意地のはった夢魔でも探しに行くのか?」

たった二日であったが、本当にいろいろあったと走馬灯のように芽衣亜の悪逆が思い出されていった。
肉体的にも精神的にもよく耐えて、反撃をさらに反撃されたもんだと遠い目になる開夢である。
それでも芽衣亜がいなくなるのであれば、爪の先ほどわずかには寂しくなるもんだと思えなくもなかった。
もちろんそれは芽衣亜がいなくなる事が前提条件としてあるが。
最後の最後ぐらいは自分も含め楽しくやってやろうと決意した開夢であるが、その決意は芽衣亜の一言によってぶち壊された。

「開夢なんか勘違いしてない?」

「え、勘違いって……」

なにがと本当にわかっていない顔を向けた開夢に、忘れっぽいんだからと芽衣亜ガ説明する。

「そりゃ私は夢魔の中で食べ過ぎない派だけど、好き好んで食べ過ぎ派を追いかけてるわけじゃないわよ。それに言ったでしょ、開夢がクラスメイトに良い夢見させすぎて夢魔の良い餌場になってるって」

「って事は、つまり……ずっと?」

「それに開夢みたいな夢聖の力って夢魔にとっては最高の餌なのよ。夢魔にとっての良い夢は、最高の悪夢になる。だから私がずっと守ってあげるね。報酬として軽く、ものすごく、死ぬほどいじめるけど」

それは結局プラスとマイナスでゼロであるのだが、それを突っ込めるような元気は開夢には皆無であった。
これから先のヴァイオレンスな生活を夢見て瞳をキラキラさせる芽衣亜を前に、何も言えるはずが無い。
無事毎日を生きていけるのか、両肩を落として不安に陥った開夢がぽつりと呟いた。

「悪夢だ」

「だから大丈夫だって。私が守るんだから」

「それこそが悪夢だ」

両肩に続いて、ポッキリと折れそうなほどに開夢の首が折れていった。

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